2009年8月1日土曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第15号「オラたちの自慢のリーダー!」


目次

1. 共有されていた活動計画
2. ソムニード(現ムラのミライ)の役割

日本各地で大雨情報が伝えられている頃、南インドでは雨が足りず、マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下ポ村)、ゴットゥパリ村(以下、ゴ村)のオジサン・オバチャンたちは、毎日のように空を流れる雲を見つめては、雨が降るよう念じていた。

この時期、南インドでは田植えの時期に当たるが、ほとんどの村では雨のみに頼っているため、田んぼに十分に雨水が溜まってからでないと、苗が植えられない。

しかし、前号で登場したガンガイヤ率いるマ村の集落では、雨が降り始める前に溜め池や水路を作り上げたので、なんとか田植えができるだけの水を貯水池に溜めておくことができている。

一方で、ポ村やゴ村では、そうした灌漑設備の整備がまだ進行中で、十分に水を溜められず、今年の田植えができるかどうか、ビミョーな状況が続いていた。
それでも、田植えと同じくらいに重要な植林も、オジサン・オバチャンたちは忘れてはいなかった。

「この2~3日の雨で、土が掘りやすくなったので、さっそく山頂での植林を始めます!」
と、電話連絡をしてきたのは、ゴ村の青年、モハーン。

今号では、ゴ村での植林作業を中心に、ご紹介しよう。

 

1. 共有されていた活動計画

今回の植林は、どの村でも、二つの方法ですることになっている。

山頂付近では、種を直接埋め込むか、バラバラと撒くやり方。
中腹付近では、苗木を植えるやり方。
山頂付近はほとんど表土が流れ落ちているため、わずかな土でも生存しやすいように、苗木ではなく種を使用する。そうすることで、ゆっくりと時間をかけて発芽し、苗木を植えるよりも根付きやすくなるのだ。

そのため、活動計画を作り始めているときから、自分たちの山で種を集めていたのだが、セメントを使う作業がないゴ村では、ガンガイヤたちが貯水池を整備している間、自発的に苗床を作り苗木を育てていた。

これには、黄門様もビックリである。



ラマラジュさん、キョーコさん、見てください。ボク達が作った苗木です」
と、少し恥ずかしげに苗床を紹介してくれるモハーンを初めとするゴ村の青年たち。

マ村やポ村の建設作業のモニタリングや資材調達なんかで、ほとんどゴ村には足を運ぶコトができずにいたのだが、モハーンたちは植林作業に向けて、自分たちで考えながら黙々と準備を進めていたのだ。

読者のみなさんもすでにお気付きのように、ゴ村は通信の中ではほとんど脇役のようにひっそりとしていて、今まではマ村やポ村についての記述が大半である。
というのも、ゴ村は研修参加頻度も人数も少なく、そして目立って発言するようなこともなく、静かに研修を受けては片道3時間かけて帰っていく、というのがモハーンたちだった。そんなゴ村が、活動計画通りに各家で種を集め、さらに苗床を育てていたのだから、驚く以外のなにものでもない。

ゴ村を囲む山をふもとの村から見上げると、焼畑をしていた場所でもあるので、遠くからでも茶色い地肌がくっきりわかる。土を掘る道具に数キロの種、飲み水をたっぷり入れた水がめと、身軽ではない村の人たちは、とても身軽な筆者を尻目に、ヒョイヒョイと山を登っていく。

表土がすっかり流れ落ちている山肌は石と砂でざらざらしており、非常に足元がおぼつかない上、斜面が急なのでちょっと強い風が吹くと危うく転げ落ちそうになる。


石と石の間に残っている土を軽く掘り、種を埋める。また歩いて、場所を探して、掘って、種を埋める。
この作業の繰り返し。

種を埋めると、斜面上方から雨で流されてくる土や水を受け止められるよう、U字型に小石を積んでおく。そうした作業を邪魔しないようにしつつ、ある青年に尋ねてみた。

「この植林計画は、誰が作ったんですか?」
「モハーンたちが、黄門様から研修を受けて、活動計画を作ったんだよ。その中に植林もあるのさ。」

「あなたは何をしてきたんですか?」
「ボクも、1回くらい研修に出たことあるけど、後は、モハーンが集会で研修の内容を話してくれるのを聞いてたのさ」

「活動計画って、どんなものですか?」
「植林とか、石垣つくりとか、何をいつするのか書いてあって、それに必要な資金も計算してあるんだよ」

別のオバチャンに聞いてみた。このオバチャンも、一度も研修には姿を見せたことはない。

「どうして、山のてっぺんにこうして種を埋めるのですか?去年か一昨年は、自分たちで調達して山の麓にマンゴーの苗木を植えたんですよね?」
「だって、山の上にも木があれば、川にも地下水にも水が流れるようになるじゃない。それに、土が流れ落ちなくなるって言うし。なによりも、子どもたちに木を残さないと。だから、山のてっぺんだけじゃなくて中腹にも、苗木を植えるのさ。」

そばで聞いていた別のオバチャンが、自慢げにさらに付け加える。
「ほら、この向かい側にも山があるだろ?で、大きなマンゴーの木がポツンと見えるかい?あそこから、ずーっと向こうの焼畑地の端っこまで、同じようにモハーンたちのグループが作業してるよ」

なんと青年もオバチャンたちも、活動計画やら植林の目的やら植林の場所を、研修に参加していないのに、きちんと理解して自分の言葉でしゃべっている!
そして他のオジサンやオバチャンたちも、この植林作業を通じて、今までモハーンたちが受けてきた地味な研修の過程がどんなものだったのかを、身体で感じていた。時には前日から研修センターに泊り込んで研修を受けてきたモハーン。寡黙だけれどしっかりと村を引っ張っている若手リーダーの出現に、私たちは嬉しくてたまらない。


朝は曇り空だったのが、昼前には太陽がすっかり顔を出して気温が上がる中、山の峰を伝い、岩をよじ登り、谷底まで降りて再び斜面を上りながら、一日かけて種を全て埋め込んだ。

「よしッ、次は苗木を植えるぞ!」と、ゴ村の人たちの士気は上がる一方。

ところがゴ村の人たちのやる気とは裏腹に、遠慮がちにシトシト降る雨はまだ苗木を植えるには十分ではない。
しかし、苗木は森林局の苗床から次々とソムニードの研修センターへ運ばれてくる。
太陽に照らされて苗木が萎れないように朝夕に水遣りをしながら、雨よ降れ降れとさらに念じる。

村の人たちも田植えを始めないと、という気持ちの焦りが募り始め、中には「植林よりも来年のオラたちのメシとなる田植えの方が優先じゃ」と言う村人も出始めた。
そうした祈りというか執念が通じたのか、まとまった雨がようやく降り始めて数日。各村から一斉に植林作業開始の電話連絡が入ってきて、研修センターの警備スタッフも動員しての苗木の運搬作業となった。

ゴ村に植林作業の様子を見に行くと、村の人たちはもう山に登っていて、村では学校から子どもたちの声が聞こえてくるばかり。一度に苗木を持って上がることはできないから、誰かがまた山から降りてきたら様子を聞いてみようと、しばらく麓から山を見上げて待っていた。

すると、先日山のてっぺんで植林するワケを話してくれたオバチャンが苗木を取りにやって来て、今度は中腹にどうやって苗木を植えているか教えてやるからついて来いと、自信満々である。
再び、時々石に足を滑らせながら山を登ると、すでに植わった苗木を指差しながら自ら説明を始めた。

「中腹といってもね、山の下側、村に近い側にグアバとかジャックフルーツ、カシューナッツとかサポタとかフルーツのなる木を植えて、手入れがしやすいようにするの。他の種類の木は、あまり世話をかけなくてもいいから山の上側に植えるのよ」


2. ソムニードの役割

こうした苗木の植える配置とかU字型に石を置くとか、村の人たちは、いろんなことを知っている。種の採取の仕方、苗木の植え方ももちろん知っている。

だから、ソムニードの役割というのは、単に苗木を与えたり植林の方法を教えたりすることではなく、村全体でどのような森を作り、どうやって育てていくのか、オジサンやオバチャンたちが考えて実践するための技術を研修で身に付けさせることだ。
それが、活動計画作りであり、この後につづくモニタリングである。そしてそうした技術を身に付け始め、ゴ村の人たちを引っ張っているのが、モハーンであり、ゴ村の人たちもモハーンに全幅の信頼を寄せている。

こうしてゴ村だけでなく、ポ村、マ村でも数日かけて、数千本の苗木を植えた。

植えている最中は順調に降っていた雨も、ここ最近はまた快晴の日々が続いている。
とにかく今は、どれだけの種が発芽し、苗木が根付くか、様子を見守るしかない。

オジサン・オバチャンたちは、「次の作業はナンだっけ」と、自然と活動計画をチェックするようになってきた。

8月は田植えで多忙な時期になるハズなのだが、空模様はいかに!?
そして、村の人たちはこのまま順調に作業を進めていけるのか!?

続きは次号で。


注意書き

黄門様=和田信明。特定非営利活動法人ソムニード(現ムラのミライ)の代表理事。村の人たちが作業の完了報告を労働日数(mandays)で答えるようになり、「こんな村のオヤジたち、他にいないよねぇ」と思わずニヤリ。
ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。苗木運搬の前日の大雨には夜も眠れないほどに緊張。
キョーコ=前川香子。本通信の筆者。今回初めて植林作業のイロハを体感し、森で生きる村の人たちの凄さに改めて脱帽。

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