2016年1月26日火曜日

お祖母ちゃんの薬

「朝ごはんにチャパティを食べているつもりが、実際は毎日ご飯を食べていた。」
人がいかに思い込みで日々を生きているかということに目からウロコが落ちた。

この事例は和田氏・中田氏著「途上国の人々との話し方」に紹介されていたものだ。
この本や講座で、本人自身が気づくことの大切さを知ることができた。
それ以来、できるだけ事実を聞き出すことを心がけているが、相手に上手く気づきを得てもらうことができたという自信はまだない。

唯一、自分でこれは上手くいったなと思った事例は、私の祖母との対話である。
「おばあちゃんが薬を飲んでいるけど、あんなに飲んでいて大丈夫なのかな。どうにかして。」と、母親が繰り返していた。そこで、こんな会話をはじめてみた。

私「薬を飲み過ぎじゃないかとお母さんが言ってるけど、どれくらい飲んでるの?」
祖母「いや、でも、最近、お腹の調子が悪いからな、〇〇内科で出してもらってな・・・・(中略)それで、元々、〇〇の薬は飲んでてな、でも言われたとおりに飲んでてな・・・(以下、続く)」
私「じゃあ、何の種類の薬を飲んでいるか書き出してみよか。薬出して。」

その後、祖母が薬の名前を読み上げ、私がリストを作るという作業を行った。
そうしたところ、サプリメントも含め、十数種類のリストができあがった。

祖母「・・・・・・・・多いな。」
私「多いね。どうする?」
祖母「○○に電話して何を減らしたらいいか相談しようかな。(〇〇は医者である私の叔父)」
私「それがいいんちゃう。」

結果的には、リストアップした薬の種類を手紙に書いて送ったそうで、叔父のアドバイスの下、祖母は薬の種類を減らした。
家族が何を言っても薬の種類を減らさなかった祖母が行動に移したのは、薬の多さに自分で気づいたからなのは間違いない。

上手くいった!と思う経験は、この時以外に無く、事実質問は難しいなぁ、練習しないといけないよなぁと思っていた。

そう考えていたところ、和田さんの自主ブログの投稿を拝見した。
文章が短文で読みやすいと中田さんの紹介まで読み進めたところ、「技術を習得するとは真似ること。そして実践することだ。」と気づいた。
そして、鳥肌がたった。
文章でも気づきを促せるという和田さんの技術に感動した。
感動を伴った気づきは生涯忘れないと思う。

実のところ、事実を聞くことは心がけていても、そこから先の気づきを促すための練習は怠りがちで、聞き出すより先にコメントを言いたくなってしまう。
そもそも、その練習をすること自体をすぐに忘れてしまうのである。
これからは忘れずに練習と実践を続けていきたいと思った。

公益財団法人太平洋人材交流センター(PREX) 奥村 玲美


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2016年1月19日火曜日

ファシリテーターは“先生”ですか?

こんにちは。
ムラのミライ西宮事務所でボランティアをしています金智子です。
今回は、私が年末に参加したJICA関西での紛争国の研修員を対象とした研修コース「紛争解決と共生社会作りのための実践的参加型コミュニティ開発手法」で学んだ事・気付いた事について紹介したいと思います。

この研修は、日本の参加型地域開発の経験を踏まえ、コミュニティ開発プロジェクトの計画立案に携わる参加者が、より持続的で効果的な参加型地域開発の実施手法を習得することを目的とし、研修のコースリーダーが中田豊一さんでした。
参加国はアフガニスタンやコソボ、南スーダンといった、様々な形で問題解決に取り組むNGOや政府組織の研修員です。

この研修コースは1ヶ月半にわたり、良い事もそうでない事もお互いに学ぶことができた期間になりましたが、その1ヶ月半の中で私たちのコースリーダーである中田さんの意図(ファシリテーションスキルとは何ぞや)についてお話したいと思います。

この意図を理解していたのは、私を含め2,3人だったと思います。
かく言う私もコース中盤になってやっと、中田さんが講義以外でも日常的にファシリテーションスキルを使い、研修員自らが意思決定する場を作ろうとしている事に気付きました。
これの何が重要かと言うと、この意図に気付かない研修員達は中田“先生”はなぜ次に何をすべきか指示を出してくれないのか、相違する意見があった時なぜどちらが正しいか言ってくれないのか、と言った不満と不安を持っていました。
“先生”なんだから、次にする事は常に用意し研修員にさせる、と言う様な事を求めていたように思います。

ファシリテーターは“先生”なのでしょうか。
もちろん、この研修での中田さんの役割はコースリーダーで、日本の経済発展の歴史等を教える時は“先生”としての役割を果たされていたと思います。
しかしながら、ファシリテーターは講義でファシリテーションの極意を教える役割にとどまらず、中田さんの講義外で実践されていたファシリテーションスキルに気付き学び、その技を盗む事こそがファシリテーションスキルをマスターする第一歩になるのではないかと感じました。

色々な講義に出て学べることも沢山ありますが、相手が何を意図しているのかを探り、講義や講座の外での人との交流の中から学ぶことは計りしれない物があると思っています。
まだまだファシリテーターマスターへの道は遠いですが、日々アンテナを張り、相手への興味を持って一歩でもマスターへ近づくことができるよう、日々努力しようと思っています。

(金智子 ボランティアスタッフ)



中田がみっちり指導するフィールド研修
マスターファシリテーターを目指す旅@インドネシア


2016年1月12日火曜日

インドの村人に事実質問???

なますてー! 西宮事務所でインターンをしています関西学院大学の土居誠です!
今回は僕がインドで実践した対話型ファシリテーションを紹介したいと思います!

インドのとある村で、現地で運営している学校の問題を把握するために調査をしている時でした。

いきなりですがみなさん、「学校はどうですか??」この質問現地でよく使っちゃいませんか!!!???
僕も過去によくこの質問をしていました。学校を把握したいとなるとなんだか自然とこの質問をしてしまいますよね〜・・・でもですね、だいたいこの質問への返答って、「学校はいいよ!」のようないわゆる褒め言葉じゃないですか?
逆に「ここがダメだよー! もっとこうすべきだ!」そう言ってくれる人ってあまりいないと思います(僕も見た事がありません)

昔の僕はそのような返答が来ても何も感じませんでした。しかしあるときに考えたのです。なんでそんな返答ばっかりなんやろ・・・・・・・・・と。気づいたのは、彼らは僕ら(教育支援をする側)からしたらそれを聞けたら満足、嬉しい、安心と思う答えしか言わないことに気づきました。”ホンネ”を言わずにいわゆる僕たちの機嫌どりをしていた、正式に言うと僕たちがさせていたのです。

知らぬ間に“支援する側””支援される側”といった力関係を対話の中に生み出していることに気づいたのです。
こんな質問をして村の人に本当に思っている事・事実・”ホンネ”を語ってもらえない、僕らの機嫌とりみたいなことをさせてしまっていたら何も現地の現状なんて把握できないし、問題も見つからないし見つかったとしても必要な支援につながらないことに気づきました。

そしてそこから僕は、村の人に学校の問題点を探る時に質問の仕方を変えました。

「最近学校で何か困ったことがありましたか?」
「最近お子さんに何か問題はありましたか?」

といった質問や、授業実施時間に休みがちな子どもの家に行き、
「お子さんはなぜ休んでいるのですか?」ではなく

「お子さん今なにしてますか?」
「お子さん今どこにいますか?」
「それはいつからですか??」
「昨日お子さんに何か変わった事ありましたか?」

といったような質問をするようになりました。もちろん自己紹介を含めた礼儀も忘れずに行います。

質問の仕方を変えた事で、現地の現状・問題把握することがでただけでなく、現地の人とフラットな関係を作る事もできました!!

みなさんも 少し質問の仕方を変えて フィールドワークをされては、日々の生活をされてはいかがでしょうか(*^^*)???

インターン 土居



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2016年1月6日水曜日

でこぼこ通信_第22号_「今日からプラスチックは燃やしません!」2016年1月6日発行

 

でこぼこ通信第22号「今日からプラスチックは燃やしません!」2016年1月6日発行

In 601プロジェクト通信 ネパール「バグマティ川再生 でこぼこ通信」 by master2016年1月7日

 

目次

1.新たな村でのDEWATSプロジェクト開始
2.いざ、バグマティ川へ!
3.清流を下ると・・・
4.援助劇場はどこでも起こっている
5.今日からプラスチックは燃やしません!
6.エンジン全開・・・なるか!?DEWATS

1.新たな村でのDEWATSプロジェクト開始

2月にデシェ村での活動が終わり(でこぼこ通信第17号「事業の終わりこそ、デシェ住民の活動の始まりである」2015年3月3日発行)、3月から始まるはずだった、新たな場所での分散型排水処理施設(DEWATS)の建設。
4月の地震、9月から続く燃料不足によって、地震そのものの影響だけでなく、建設資材の価格が高騰し確保が困難になったり、ガソリンが手に入らず車両が使えなかったりとなかなか着手できずにいたが、11月に入り、ようやく建設開始の目途がたち、同時に村人たちへの研修に取り掛かることができるようになった。

新たなDEWATSの建設予定地は、デシェ村から歩いて10分ほど、バグマティ川を挟んで向かいに位置するバスネット村。村に隣接するNational Marty’s and Peace Parkの敷地の一部を提供してもらいDEWATSを建設する(バスネット村の家庭排水とともに、この公園のトイレの排水もDEWATSで処理することとなった。)この公園の理事メンバーには、環境教育プロジェクトでも大活躍のスミ先生やラジェシュ先生、ゴビンダ先生が名前を連ねている。

建設と並行しておこなう研修では、何のためDEWATSを建設しているのか=川を汚染している原因が自分たちの生活にあること、その解決のためにDEWATSを活用することを理解してもらう。DEWATSを援助の遺跡にしてしまわないためだ。その研修の第一回として、バグマティ川を上流から下流まで移動し、川を観察するフィールド・エクスポージャーを実施した。(昨年の様子はこちら→でこぼこ通信第12号  「読み書きできない彼女たちに分かるはずがない」2014年8月5日発行)

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2.いざ、バグマティ川へ!

12月23日、午前7時。
吐く息も真っ白で、みんな目深に帽子やストールをかぶっている寒い朝だ。
この日、集まったのはバスネット村の人々と、公園の運営メンバー合わせて約70人。
バス2台をレンタルして、いざスンダリジャルに向かう。
このバスが時間通りに来なくて30分も凍える羽目になったのだが。



今日は和田ディベンドラもいないので、フィールド・エクスポージャーを切り盛りするのはウジャール。そこに公園関係者ということで、スミ先生という強力な助っ人が加わった。
和田もディベンドラもいないことにやや不安気味だった2人ではあるが、ふたを開けてみると、私たち同行スタッフ(ラングー、ビノード、ミッシー、筆者)にも「そこのグループの水質検査を手伝って」や「あと15分したら水質検査のためにみんなを集めますね」など、テキパキと作業の指示を出し、切り盛りしていたと思う。


スンダリジャルで観察を開始したのは午前9時ごろ。
「ほら、魚とれたで!」
「そのプラスチック早よう拾って!」
「この実はティムルって言うてな…」
と、網とバケツを持って生き物調査を楽しむオバチャン、オッチャンたち。
(ネパール語の訛りはよくわからないが、村の人たちがワイワイ話している様子を見ると、私が慣れ親しんだ関西弁で聞こえてきたので、ここでも関西弁にさせていただいた。逆に参加者を前に話すウジャールやスミ先生はちょっとかしこまった感じである。)

ひととおりの生き物調査と簡易水質検査が終わると、参加者みんなを集めたウジャール。
ウジャール「みなさん、ここで何を見ましたか?…なるほど。でも、見るだけじゃないですね。例えば、どんなにおいがしました?匂いをかぐ、音を聞く、手で触ってみる。
からだ全身を使って、川とその周りの環境を知ることができますね」
と「観察とはどういうことか」伝えようとする。
その後、木くずとプラスチックを手に取って、土に還るゴミとそうでないゴミの話をした。
ここスンダリジャルも、見た目はキレイでまだまだ魚や虫が住んでいるとはいえ、あちこちにプラスチックや古くなった服・靴がそのまま捨てられ、放置されている。
(このやり取りにピンときた方、そう、元ネタはこちら→第8号 「マジシャンとファシリテーター」 2014年1月20日発行)


日も高くなり、だいぶ暖かくなったところで、次の観察ポイントである中流グジェシュワリに移動した。

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3.清流を下ると・・・

グジェシュワリに到着した途端、
「うわ、スンダリジャルよりも汚れている!」というオバチャンたち。
スンダリジャルにはなかった藻が生えている。スンダリジャルで見たような魚も見られない。川の汚れは数値になっても現れた。例えば、スンダリジャルでは6 mg/l以上あった溶存酸素量の値が4 mg/lまで下がっている。

そして、下流のテク。
ゴミ中間集積場に近く、以前はゴミの埋め立て地だったテクでは、何とも言えない臭いがただよい、ゴミだらけのドブ川と化してしまっている。
参加者のオバチャン、オッチャンたちもすぐにマスクを身につけ、顔をしかめ、水質検査用の水をとりに行くのに、「誰が行くんよー」という感じで躊躇している。
私自身、ここにやってくるのは3回目だが、やはり慣れない。中流グジェシュワリと大きく違うのは、溶存酸素量の値である。魚介類の生存が脅かされる3mg/lを大きく下回る1mg/lを記録した。

一日で上流からここまで移動してきた参加者たちは、あまりのスンダリジャルの状況とのギャップに驚いていた。






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4.援助劇場はどこでも起こっている

さて、そんなテクでの出来事。
駐車スペースから川まで歩いていく途中で、一人のオバチャンがゴミを分けていた。
「何をしているんですか?」と聞くスミ先生と参加者たち。
「こうやってごみを分けて、資源回収業者に買ってもらえるものを売るんだよ」と、いきなりやってきたお客さんにもちゃんと答えてくれるオバチャン。

実は、テクを訪れるのは初めてだったというソムニード・ネパールのスタッフ、ラングー。
テクに漂うゴミの臭い、バグマティ川の汚染状況にショックを受けていたのかもしれない。
参加者がオバチャンの話を聞いているときにコッソリと耳打ちしてきた。

ラングー「トキエさん、あの人はこんな環境の悪いところでマスクもつけずに素手でゴミを分けているんだ。フィールド・エクスポージャー用のマスクと手袋は多めに持ってきてるから、少し彼女にわけても大丈夫?」
筆者「うーん、まぁ、数枚ならわけてもいいんじゃない。」
そのオバチャンがマスクや手袋をもらったからといって使わないんじゃないかなーという気はしたが、反対する理由もなかったのでOKした。

テクでの水質検査を終えた帰り道、そのオバチャンはまだゴミを分けていた。
さっき渡したマスクもつけてないし、手袋もはめていない。

後日、オフィスでフィールド・エクスポージャーの報告をしていた時に、それこそが「援助劇場」(詳しくは、『途上国の人々との話し方』をご覧いただきたい)の落とし穴なんだと気づかされた。ラングーが心配したことは間違っていないとは思う。あの環境で、素手でマスクもつけずに作業していたら、絶対に体に悪い。怪我をすることだってあるだろう。
でもきっと、オバチャンはゴミの臭いにも、素手で作業することにも慣れてしまっているのだ。そこに他所から来た私たちが「マスクと手袋、使ってくださいね」と渡したところで、すぐに使う必要も感じなかったのだろう。オバチャンにとってはそれがいつもの生活、いつものことだから。

それを、例えば「彼女が無知だから」という乱暴なロジックで片づけられるものではないと思う。つまるところ、外部の人間が「こんなに劣悪な環境であの人たちは生活をしている。●●が必要!」と思ってとモノやお金を渡したり、研修をしたりしても、それは援助する側の「思い込み」でしかないのだ。当の本人がそれを「問題だ」と思い、何とかしようとしなければ、モノもお金も研修も無用の長物である。同じことがあの短いやりとりでも起こっていたのだ。

だからこそ、今回のフィールド・エクスポージャーが、バスネット村の人たちにとって、「気づかないうちに、自分たちの周りもあっという間にテクのような状態になってしまうかもしれない」「これはなんとかしなきゃダメなんじゃ?」ということに気づいてもらう第一歩になればいい。

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5.今日からプラスチックは燃やしません!

日も傾きかけたころ、同じく下流に位置するチョバールでの観察&水質検査も終わった。ウジャールとスミ先生が参加者の前に立ち、今日のふりかえりを始めた。

ウジャール「今日、スンダリジャルからチョバールまでバグマティ川を見てきましたね。」
参加者「テクやチョバールの川がびっくりするくらい汚れていたわ!」
ウジャール「そうですか。でも、あなたたちが住んでいるところの川がまだ汚染されていないように見えるとはいえ、このまま放っておいたらどうなると思いますか?気づかないあいだにテクやチョバールみたいになるかもしれませんよ」
少しのあいだ、黙り込む参加者。

ウジャール「今日はたくさんのプラスチックを見つけましたね。(ミッシーや私を指して)彼女たちが住んでいる日本でもプラスチックはたくさん出るけど、分別されている。ネパール人の私たちにもできないわけじゃない。たとえば、今日みなさんに渡したエコバックで買い物すると、プラスチックを減らせる。玉ねぎとニンニクを買ったとして、一つの袋のなかで混ざっても大して問題じゃないでしょう?」
「ネパールに住む私たちは、いったん誰かから学んだら、それで十分と思ってしまいがちです。でも、そうじゃなくて、私たちはいろいろな人・経験から学ぶことができるんです。」
最後に、一人のオバチャンが、話したいことがあると、みんなの前に立った。
「今日は本当にありがとう。最近の燃料事情でウチも調理に薪を使い始めたんやけど、実はプラスチックも一緒に燃やしてたんや。そやけど、今日こうやって川を下ってきて、観察して…今日からプラスチックは燃やさへんって決めた!みんなも、な!」と言ってくれた。






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6.エンジン全開・・・なるか!?DEWATS

この翌日、DEWATS建設に関するMOU(覚書)が公園の運営委員会とムラのミライの間で締結され、ささやかながら署名式が執り行われた(式は多分に形式的なものであるが、そこは各種儀礼を大事にするネパールである)。ムラのミライ側の署名人は和田が務めた。
署名式には、フィールド・エクスポージャーに参加した公園スタッフのオバチャンたちも立ち合った。

署名前の和田によるスピーチ。
和田「昨日のフィールド・エクスポージャーに参加した人は?なるほど。あなたたちはテクにも訪問して現状を見てきましたよね。テクのような環境に住みたい人はいますか?」
参加者「いや、住みたくないですね…」
和田「でも、このままだと、数年もたたないうちに、このあたりもテクのような状態になってしまいますよ。だから、動くなら今なんです」

ここから、エンジン全開なるか!?
これから始まるDEWATSの建設や研修のようすは、次号以降の通信でお伝えしたい。

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注意書き

スンダリジャル、グジェシュワリ、テク、チョバール:バグマティ川でのモデル・レッスンやフィールド・エクスポージャーを実施する際の観察ポイントの地名。上流から下流までバスで移動して観察&水質検査をおこなう。
和田:ムラのミライスタッフ(そして設立者)和田信明
ディベンドラ、ウジャール、ラングー、ビノード:ソムニード・ネパールのスタッフたち
ミッシー:ムラのミライスタッフ、近藤美沙子。現在、ネパール事務所に長期出張中。本人たっての希望により、ニックネームのミッシーの名で本通信に初登場。

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このプロジェクト通信に登場する和田信明にじっくりコミュニティ開発を学ぶ、インドネシアでの研修を2016年3月に開催。
詳細は下記をクリック!

マスターファシリテーターを目指す旅

2016年1月5日火曜日

コミュニケーションは「気合い」

この自主学習ブログを、ときどき見ています。日頃学習という行為から遠いところにいる身としては、特に書くこともないので投稿したことがなかったのですが、今日は、暇に任せて書いてみようと思います。で、何を書くか。やはり、この方法論の創造者である中田さんについてから書き始めます。


中田さんとは、ときどき一緒に出かけることがあります。この十数年を顧みてみると、2年に1回くらいの割合でしょうか。最近では、一昨年だったかな、セネガルに行きました。二人が出張で出かけるというのは、ムラのミライのスタッフ泣かせです。なにせ、もう初老と言っていいおじさん二人です。当人たちは楽しいのですが、物忘れが激しい。で、出張精算のときに、えーーーと、あの領収書はどうしたっけ?ということになります。それでも、中田さんは、私より気が確かだと思っていて、仕方がないので和田の面倒をみようと思っている気配がありありです。私たちが出張するときは、特に打合せをすることがない。私は、中田さんの言うとおり動きます。中田さんは、どうせ私に相談しても無駄だと思っている。でも、私にとっては、脳みそを人に預けるのは楽で良い。持つべきものは友です。その中田さんも、その日の気分で適当に動いているので、そんなに私を連れ回すストレスはないと思います。

 
中田さんと二人で出かければ、行くのは村です。村で中田さんが何をするかと言えば、ひたすら「何もしない」ということをする。私のことを観察している。というより、私の呼吸をはかっている。彼が見るのは、勘所です。私が村人とするやりとりなど、中田さんから見れば、飽きるほど見ている。恐らく、全てのパターンが、中田さんの頭脳に格納されていると思います。それは、相撲の四十八手ではないけれど、武道だって技の数は決まってる。私の「技」だって、1年も私と一緒にフィールドに行けば、あ、これね、という風にパターンは分かってしまう。それでも、中田さんは、私のやりとりに口を挟まず、じっと見ている。恐らく、透視している。何を見ているかと言えば、やはり、どのタイミングでどんな身体の動かし方をするのか、その呼吸を見ている。この「呼吸」と「勘所」というのは、言語化できないものです。

メタ・ファシリテーションは、畢竟「技」です。これは、肉体の運動に係わる領域です。幾ら口で説明しても、実際に自分で身体を(口が主ですが)動かしてみないことには分からない。中田さんが言語化したのは、骨格の部分です。あるいは、筋肉の部分も言語化したかもしれない。それは、暗黙知を説明知に変換するという作業だった。なぜ、それを中田さんはしたか。それは、自分で言語化したものを再び暗黙知に落とし込むためです。つまり、私の基本的な骨格、筋肉の動きを、中田さんが自分でなぞれるように言葉にした。そして、改めて自分でそれをなぞってみることをした。ただし、それだけでは、分からない部分があります。その分からない部分というのは、言語化できない部分です。それは、言ってみれば皮膚呼吸、気配を察知し、次の動作を骨格や筋肉に示唆する。これは、やはり師匠の動きを見て、その呼吸を覚えるしかない。そして、自分でできるようになるまで、なんどもその動きを練習するしかない。
 
中田さんのすごいところは、このことがよく分かっていることです。中田さんは、若い頃格闘技をやっていた。だから、いかにこの技がコミュニケーションをする技だと言っても、その辺りの、何というか皮膚感覚みたいなものをよく知っている。

特に、村などで一対多のコミュニケーションをするとき、その成否を決めるのは「気合い」です。気合いと言っても、別に相手を圧倒する波動を出すとか、そういうことではありません。気合いと言ったって、相手を牽制するものから相手を包み込むものまでいろいろあると思います。要は、その場を作り出す、共有の場を作り出す呼吸のようなものです。だから、この場合の気合いは空気のようなものを読むのだ、タイミングを読むのだ、と言っても、いわゆる「空気を読む、読まない」の空気とは対極のところにあります。いわゆる「KY」の空気とは、自分がそこに入れないか、入れるか、つまり入れない人は排除されるというものです。私の言っているのは、排除される人を作らない空気、場を創り出すということです。
 
よく、私の現場を見て、これは和田さんだからできる、という言い方をする人がいますが、当たり前です。今の私のレベルで私のようにできる人は、私しかいません。だって、私は日々進化しているから。というより、私の技は日々進化しているから。別の言い方をすれば、を読み、講座に出ただけでできるようになるものは、技とは言いません。技術と言いますが、技も術も基本的には同じことを言っています。敢えて区別をすれば、術とは、技を実現する方法です。これは、繰り返し、身体に馴染むまで練習するしかありません。本を読んで理解できることは、たかがしれています。それは、とりもなおさず、自分が理解できる部分だけ理解していると言っているのと同じです。

事実質問というのは、いわばサッカーでボールを蹴るという基本と同じです。足をボールに当てられるようになったからと言って、ゲームを理解し運営していくということにはなりません。問題は、その先です。一旦ゲームになったら、何を見越して、どこにボールを蹴るかということ、つまりゲームを作る蹴り方をしなければなりません。だから、会心の体技とは、自分の思ったところに思ったタイミングで、ボールを蹴ることができたときです。そして、大事なことは、それを受ける相手がいるということです。

だから、気合い、なんです。会心のできが味わえるようになるまで、倦まず弛まず精進してください。



(ネパールオフィス 和田信明 


ここに描かれた空気を共有できるフィールド研修
マスターファシリテーターを目指す旅@インドネシア


→和田信明・中田豊一の共著「途上国の人々との話し方