2013年12月21日土曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第10号「リンゴと言えばカシミール、安全な野菜と言えばオラたちの村!」

 

目次

1.収穫が続く、モヤモヤも続く
2.山奥の農村から、海沿いの農村へ
3.資源は巡る
4.さぁ、オラたちの村で始めよう
5.年を経て、見えてきた変化
6.ブドウと言えば、ハイデラバード。身体に良い野菜と言えば・・?
7.産めよ殖やせよ・・・そのためには?
8.ようやく一つに繋がった!資源は巡る、オラたちの村で。
9.熱意に加えて、実現させるために必要なコト

思えば今年も天候に悩まされた1年だった。雨が降り始めたかと思えばすぐに止み、
雨が降るかと思えばサイクロンとなり、そして次々に襲ってくる巨大低気圧。

それでもなんとか切り抜け、穏やかな晴天を仰ぐ日が戻って幾日。
12月の今、黄金に輝く田んぼでは、稲穂が頭を垂れている。



1.収穫が続く、モヤモヤも続く

今年の3月頃から、B村の人たちは従来の農業とは違った方法で、田んぼや畑、キッチン・ガーデンで栽培を行ってきている。
従来の方法と言うのは、畑でもトウガラシと豆だけ、あるいは茄子だけ、と数種類の作物を長くて2・3か月栽培する、あるいは、複数の豆や雑穀の種を一度にばら撒き、できたものから収穫していくというもので、それがB村の人たちにとっての「農業」だった。

筆者たちソムニード(現ムラのミライ)・スタッフや農業専門家は、村のオッチャン・オバチャンたちのこうした従来の農業に、「農地をデザインする」という意識変化を促し、そして実践してきた。これまでのオッチャン・オバチャンたちの奮闘は、「よもやま通信2」のバックナンバーをご一読いただきたい。

さて、8月頃から、畑ではトウモロコシや茄子、ゴーヤや瓜系の野菜など一人のモデル農家(農地デザインに基づく新しい農業に挑戦する農家)の農地から、何種類もの野菜が収穫できている。

「売って得た収入の1割を、流域管理委員会に納めよう」
そう村のリーダーたちが言い出したのは、9月頃。

「畑や田んぼで使う水や土は、山で作られる。いわば、みんなで作りだして管理してきている土とか水だから、収入の一部を流域委員会に入れて、みんなの活動に使おう」と言うのが、その理由だった。

村の他のオッチャン・オバチャンたちも「そうだ」と言って、毎月末に、その月のモニタリング・シートから確認して、売り上げの1割を流域委員会の共同資金に入れてきた。

ラマラジュさん筆者も、村での研修中にそのような話を聞いて「そうだよな」とは思いつつも、「腹の底から、そうだと信じてやっている訳ではない」と感じていた。



B村の人たちには、流域管理という言葉が体に染みついていて、「何かあった時のために」共同資金を作っていかねばならない、という考えには、もう疑問の余地をもたなくなっている。
ただ、その「何かあった時」というのが、具体的にあるようでない。
「オラ、そこからローンを借りて、肥料を買いたいなぁ」
と、つぶやく声は以前から出てくるが、堅実なリーダーである青年モハーンが、「ある程度、口座に残しておかないとダメ」と言って、なかなかローンの貸し出しを行わない。そして、他の村人たちもやっぱり「そうだよな」と、共同資金からはほとんど借りずに、高利貸しや政府のローンを利用している。
「でも、やっぱり農業でも、流域委員会の共同資金からもっとローンを借りられるようになりたいなぁ」
「どうすればええかなぁ・・もっと資金を増やして・・」
ずっと悶々としているB村のオッチャン達を見て、筆者たちは提案した。
「そういう活動をしている、農民組合を見に行きますか?」
「どこ!?コルカタ?」と、去年の視察研修を思い出す1人のオッチャン。
「いえ、今年はすぐ南の州、タミル・ナードゥ州です」と、ラマラジュさんが大声で行き先を発表するや、
「おぉ、ビーチだビーチだ」と、ほとんどが海を見たことのないB村の人たちは大喜び。
G村でも同じような場面が展開され、かくして、B村G村のオッチャン・オバチャン合計20名が、約1200キロの道程を、電車を乗り継ぎながら1昼夜かけて、900人以上が加入しているという農民組合へ向かった。


2.山奥の農村から、海沿いの農村へ

村人20名にソムニード・スタッフ5名という大所帯な一行をまず迎えてくれたのは、
タミル・ナードゥ州の州都はチェンナイ市に拠点をもつジャヤチャンドランさん
筆者がジャヤチャンドラさんに「今、村でこんな話になってます・・」と共同資金の話をした際に、今回の視察先を提案してくれたのだ。
視察先は、Kazhi Kadaimadai Farmers Federation(KKFF)という農民組合で、チェンナイから更に260キロ南下した海岸沿いの町に事務所を持つ。
B村G村からの参加者20名は、3日間、KKFFのスタッフや組合員である農民たちから、活動について話を聞き、農地を見せてもらい、液肥の作り方や種もみの選定など実践してもらった。
「ところで、お前さんたちはほとんどが30代くらいのようだが、意図があってそのような参加者編成になったのかな?」と、KKFFの理事メンバーの一人が、参加者たちに訊いてきた。
確かに、そこに集まってきている8名ほどのKKFFの理事メンバーの全員が50代以上であり、こちら側より明らかに年齢層が高い。理事メンバーだけでなく、毎日、行く先々で出会うKKFF組合メンバー(農民)のほとんどが、50代・60代だった。
KKFFは現在どこからも資金サポートを受けず、KKFF運営スタッフ(農民ではなく事務管理専門として係わっている人たち)の給料も、組合の財政で賄っている。
そのためにも、稲の種もみを組合員の農民から買い取り、製品化して販売したり、自然災害で作物が被害を受けた時に保障が受けられる農作物保険事業を進めたりしている。そして、組合員たちは自分の暮らす集落内で、さらに小さな農民グループをつくり、そのグループ内で農業用ローンの貸し借りを行っていた。
こうした収入の安定化、農業のセーフティ・ネットを初めて見聞きしたB村G村の人たちは、毎日興奮してフィールドを回り、お腹いっぱいにタミル料理を食べ、自分たちの村のことを思っていた。



3.資源は巡る

そしてKKFF視察研修の最終日の午後、村の人たちはある農地へと案内された。
そこは、約0.5エーカーの土地で、半分ほどは池になっている。残り半分の土地は更に2つに区切られ、一方では畑の中をシチメンチョウやニワトリ、アヒルがガーガーと鳴きながら歩き回り、残り一方の場所では牛が寝そべり、地面から1メートルほど床を高くした小屋でヤギが飼育されていた。
もう60に差し掛かろうかという男性の農場主が現れ、穏やかに村人たちに聞いた。
「お前さんたちの村では、2エーカーというと、一年でいくらの収入が得られるかの?」
「え~っと、田んぼで2エーカーだと、大体2~3万ルピーです」
「そうかいの。ワシのこの土地は、面積どれくらいだと思う?」
「0.5エーカーくらい?」
「そうじゃな。この農地からはな・・・・、最低でも20万ルピーは収入があるぞ」
「ウソだ~!」「ありえない!」と思わず口々に反応する村のオッチャンたち。
「ほほ、この池では魚を養殖しておるし、畑では野菜が採れる、ヤギも産めよ殖やせよで売れていくし、シチメンチョウやニワトリは卵を産むし、肉も売れる」
ラマラジュさんが、B・G村の人たちに一つひとつお金に換算して計算させていくと、やっぱり20万ルピーは軽く超える。
「しかもな、この牛が食べるワラはどこから採れると思う?」と、またもやB・G村の人たちに問いかける農場主。
「田んぼですよね?」と神妙に答えるG村のオッチャン。
「そうじゃ。そしてこの牛の尿は、液肥になってまた田んぼに戻る。そして牛の糞は、池の魚の餌にもなる。池の底にたまった糞は、パイプで汲み上げて、また農地に戻す。分かるかいの?全てが循環しておるのよ。ここでは、何も無駄になっておらん」
「ほおぉ」「へぇぇ」「これが、よく話に聞くIFSか」と、村の人もラマラジュさんも筆者もヒロアキも、全員が感嘆の声を一様に漏らした。
IFSとはIntegrated Farming Systemのことで、作物の栽培、畜産、養殖など農業に関連する生産活動を統合して実施する農業形態のことを言う。つまり、この農場主が行っているように、家畜の排せつ物が肥料となり、その肥料で作物を育て、作物の残りの部分がまた家畜の餌になる、というように、限られた狭い土地の中で資源が循環して利用され、生産活動が行われるのだ。
さらにこの農場主は、「これとあれと・・これら5種類の葉を牛の尿に15日間浸け込んでおくと、天然の農薬になる。作物に虫が付いたら、これを水で薄めて振りかけたらええ」と、村のオッチャン・オバチャンたちに葉っぱを取らせて、自然農薬の作り方も教えてくれた。
目を爛々とさせて、話に聞き入る村の人たち。
そして最後に農場主が言った。
「お前さんたちは、ワシより若い。息子みたいな歳やな。わざわざアーンドラ・プラデシュ州の山奥から来たというお前さんたち20名の中で、今ワシが話したこと見せたことを、何人が村に帰ってからやってくれるかの?」
思わずお互いに顔を見合せる村の人たち。
「4人くらい、今ここで、『オレがやったる』と言うてくれたら、ワシは嬉しい」
すると、真っ先にB村のオッチャンたちが手を挙げた。
「ホホ、頑張ってくれや」
この時オッチャン達が手を挙げたのは、単なるその場の勢いではなかったことが、この後、自分たちの村に帰ってから判明する。





4.さあ、オラたちの村で始めよう

タミル・ナードゥ州から戻って3日と経たずに、視察研修の振り返り研修を依頼してきたB村からの参加者たち。
村に帰ったその日の夜には、すでに村人ほぼ全員に見聞きしたことを説明したと言うのだから、筆者たちもその熱意には驚かざるを得ない。
液肥や自然農薬の作り方や農民組合の活動内容のポイントを、一つずつ思い出しては書き出していき、「村全体でこれから実践していくこと」「個人で実践していくこと」について考え始めた。

11月下旬のある日。B村の裏手に立つ大きなタマリンドの木の下で、ビニールシートが広げられ、木の棒を組み合わせたシンプルな三脚台には、ミニ黒板が乗せられた。
各世帯から1人ずつ、30人弱が次々に集まり、ビニールシートの上に車座になる。20代から40代がほとんどで、50代から60代が5人といない。10名ほど、オバチャンや矍鑠(カクシャク)としたオバアチャンたちも参加している。
「今日からオレ達が受ける研修は、これからのオレ達の村のこと、山や畑や田んぼ、そしてどういう暮らしをしていくか、ということについて考えていくためだ」
6名いる青年リーダー達の一人、ドゥルガ・ラオが自ずと集まった人たちに話し出した。
「だから、今日1日だけでなく、この研修が終わるまで毎回、全員が参加すること。いいね?」
そして、別の青年リーダー・アナンドが話し出す。
「この前、僕たち10人がタミル・ナードゥ州に視察に行ったことは話しましたよね?何を見て来たのか、みんなもまだ覚えていると思う。この視察研修で学んだことも基にして、これからの村での暮らしを考えていこう」
神妙な面持ちで聞き入っている30人の村の人たち。
「それでは、ラマラジュさんにキョーコさん、研修をお願いします」
2007年に彼らと活動を始めて以来、こんな風に研修が始まったのは、初めての事だった。

「素晴らしいですね、みなさん。ドゥルガ・ラオにアナンド、説明をありがとう」と、ラマラジュさんも、嬉しくて興奮した状態である。
「それではもう一度、アナンド達が視察研修から何を学んだのか、視察に行っていない人で誰か私たちに話してくれませんか?」
と、ラマラジュさんが尋ねると、何人かの村人たちが次々と、その内容を自分の言葉で説明した。
そして、「自分も家畜を殖やす」「村全体で、種の収集と保管、販売をする」等々、すでに話し合ったという計画案を、筆者たちに共有してくれた。
そして、オッチャン・オバチャンたちの熱いやる気を損なわず、何が本当に必要なのかをあぶりだしていくために、自分たちの現状を客観的に見つめて分析する作業を筆者たちは手助けしていった。


5.年を経て、見えてきた変化

「今も、村の中には牛やヤギ、鶏などの家畜がいますね。その餌はどこから採ってきますか?」

「牛の食べる草は、田んぼや山の麓で、ヤギは山の中かなぁ」と答える村のオッチャン。
更にやり取りを続けて、まずは全員の意識を山の中の、石垣と小川に向けていく。
そして、青年リーダーたちが筆者たちのサポートとなって、2009年から石垣など今までに山の中や麓で施してきた保水土対策について、周辺の農地等で生じた「良い変化」と「トラブル」について、個別に聞いて書き出していった。
土に厚みが出た、根菜類のサイズが大きくなった、果実が生りやすくなった、乾季でも土中が湿り続けている、作物のサイズが大きくなったので収入が増えた、等々の共通の「良い変化」が
見えてくる。
さらに、「崩れやすい石垣」と「崩れない石垣」が浮き彫りになった。
「どういう時に、崩れていますか?」と筆者が尋ねると、
「ヤギの放牧に来た後に、崩れているのよ」とオバチャンが言う。
「ヤギの放牧に来る場所は、決まっているのですか?」
「大抵は決まっているよ」
「その場所の石垣全部が、放牧の時には必ず崩れるのですか?」
「そうじゃないよ」とオッチャンが言う。
「崩れているのとそうじゃないのと、何か違う点はありますか?」
しばらく遠い目をして考えているオッチャン達。
「もう、みんなちゃんと見てないんだから!」と怒り出すオバチャン。「幅が狭い石垣が、壊れるのよ。ヤギが上に乗って、木の葉っぱをむしゃむしゃ食べるでしょ。だからその時の勢いに耐えられないの。幅がある石垣は、何匹乗っても崩れていないじゃない」と、大声で言う。
すると、「あぁそうだそうだ、だから、オレは少し広めに直したんだ」と、何人かのオッチャンたちが同意した。
石垣を作った当初は、まだそこは何も植物が無いからヤギも来ないし、こうした状況は発生しない。4年が経った今、土ができ、ヤギが食べに来られるだけの植物が育って初めて、遭遇している状況なのだ。
そして自然と、「新しく石垣を作る時は、少し広めに幅をもたせる」という共通認識が生まれる。同様に、この4年間の山や川での変化について細かく書き出していった。

 

6.ブドウと言えば、ハイデラバード。身体に良い野菜と言えば・・?

「この川の水は、あなたたちの田んぼに来ますよね?」とラマラジュさんが尋ね、同意する村人たちに、更に質問する。
「何人が、今までと少し方法を変えた稲作をしていますか?」
4人が手を挙げる。
「ワシの田んぼではな」と、初老の村人が話し出した。「1本か2本のまだ若いナヨナヨした稲の苗を、25センチ間隔で植えただろ。しばらくは、地面にヘナ~っと横たわっとる訳よ。ワシ自身も、あぁダメだった、と思ったものよ。周りの村からも、田んぼに出るたびに笑われたしな。
そしたら1週間か10日ほど経つと、ピンと立っておる。あの時はぁ、心の底からホッとしたよ。
そしたら後はグングン伸びて、今は他の村のヤツよりも、ワシの稲穂は実をつけているわい。」
と、通称「SRI」と呼ばれる稲作方法に転換した村人ソンブルが、自慢気に話した。
しかも、ソンブルは、同じ田んぼの面積で去年は15キロの種もみを買っていたが、今年は1キロで済んだことや、化学肥料を減らし堆肥を使うことで、更に支出が減ったことを、具体的に金額を挙げて披露した。
「他の人たちも、今までとは違う農業に挑戦しましたよね?」と水を向けると、
「畑では・・」「キッチン・ガーデンでは・・」「果樹園では・・」と、具体的に栽培作物の種類や収穫量、その販売による収入など、モニタリング・シートを見ながら数字を書き出していって、変化を目に見える形にした。


「私の畑では、もう毎日毎日、色んな野菜が採れて、妻も子どもたちも大喜びですよ。特に妻は、『市場に野菜を買いに行く時間が省けた』と言っていますが、そうなんですよね。
1時間も歩いて市場に行かなくて良いので、私たち夫婦で畑で作業する時間がさらに持てるようになって、しかも良い野菜がたくさん採れるようになっているんです」
と、3人の子どもを持つオッチャンが話すと、他にも同様に「市場に野菜を買いにいくことが減った」という村人が、続々と出てきた。
「ナイックさん」と、このオッチャンに呼びかけ、「あなたの畑では、農薬や化学肥料を使っていますか?」と尋ねた。
「いいえ、今年は無農薬で、堆肥のみを使いました。あ、そうそう、この前は、視察研修に行ったチランジービーさんが、5種類の葉っぱで自然農薬を作ったと聞いて、それを買って使いました。いやぁ、良く効きますね、アレは。」
チランジービーが嬉しそうに「まだあるよ」と、他の村人たちにもPRする。
「ところで、市場で売っている野菜は、無農薬ですか?」と聞くと、
「わからない」と言うのが、B村の人たちの第一声。
「でも、使っているのがほとんどだと思う。だって、害虫にやられずに、たくさん販売しようとか、良い値で買い取ってもらおうとか考えると、農薬に頼ってしまう」と、別のオッチャンが答える。
「じゃぁ、ナイックさんのお家では、今年は農薬が付いていない野菜を食べられたのですね。良いですねぇ。」と言うと、
「そうだ、私たち家族は、健康に良い野菜を食べれているんですよね」と、さらにナイックの顔が明るくなった。
この時、他のオッチャン・オバチャンたちも、ハッとした表情に変わった。
「ブドウと言えば、どこを思い浮かべますか?」と、突如、尋ねてみた。
「ハイデラバード」と、特産地を言う村の人たち。
「牛やヤギと言えば?」「シータンペータ村」、「ターメリックと言えば?」「パーラッケミディ村」、「ホウキ草と言えば?」「ゴディヤパドゥ村」と、続けていき・・・
「安全な野菜と言えば?」
「・・・・・オレたちの村、ブータラグダ村、にしたい!」と一斉に声を上げるオッチャンたち。
こうしたやり取りの後、従来型の農業から少し方法を変えた新しい農業を実践する農地が、B村で今年は27か所なのが、来年は候補として54か所が上がった。


 

7.産めよ殖やせよ・・・そのためには?

「最初に、個々人で家畜を殖やしたいと言っていましたよね?」と、村の人たちの計画案に戻っていく。
「今、2013年に、この村には何世帯の人が、何の家畜を、何頭飼っていますか?」と筆者が尋ねると、頼もしや、青年リーダーの一人、ラメーシュが前に出てきて助けてくれる。
農耕用の牛、乳牛、ヤギ、ヒツジ、鶏、の5種類の家畜がいるのだが、それぞれ飼っている世帯数と合計の家畜数をその場で聞き、模造紙に書き出した。
「次に、来年2014年に、誰が何の家畜を飼おうと思っていますか?」
そしてラメーシュは、なんと7年先の 2020年の予測まで聞きだした。
来年についてだけでも見てみると、農耕用の牛で約1.5倍の30頭、乳牛は約3倍の14頭、ヤギやヒツジ、鶏も約2倍と、大層な数にまで増える。
「今いる牛やヤギに対して、1年中、餌は与えられていますか?餌の収集に困る時はないですか?」と筆者が訊いてみる。答えは予想通り、
「いや、あります」と、ある青年が答える。「特に稲作が始まると、あぜ道とか通れないので、牛の餌を確保するのに毎年苦労しています」
すると、期待通り、
「そうだよ。今でさえ苦労しているのに、こんなに一度に家畜が増えちゃったら、何食わせるんだよ。腹を空かせっぱなしだと田んぼも耕せないよ」
「家畜を殖やすには、餌も確保しないと飼えないよ!」と、大事な部分に村人たちが気付く。


8.ようやく一つに繋がった!資源は巡る、オラたちの村で。

「ところで、牛を増やして何をするのですか?」と質問する。
「田んぼを耕したり、フンをたい肥作りに使ったり、尿を液肥や自然農薬にするのです。堆肥や液肥は、自分で使う以外にも、販売できますし」と、異口同音に村の人たちが答えた。
「あなたが飼っている牛の食べるワラは、どこから採れますか?」と、更に質問する。
「ボクの田んぼです」
「田んぼの水は、どこから来ますか?」
「xx川から引いているから、デワダ山の上からです」
このやり取りから、村の人たちは、農薬も化学肥料も使わずに稲作するためには牛が必要で、そのためにも、十分な水を確保する必要があり、だから山での保水土対策を続けていかねばならない、とまるでパズルのピースを組み合わせていくように、考えを固めていった。

山で作り出される水や土、生育する植物、これらをベースにして自分たちや家畜の食べるモノを生産し、さらに家畜の排せつ物や植物の一部が、土や水に還元される―――。
タミル・ナードゥ州で見た農地は、0.5エーカーという小さな土地で個人が営む循環型の農業だった。
今、B村の人たちの目の前におぼろげに浮かんできているのは、村全体で営む循環型の暮らしである。
自然と、青年リーダーたちが再び村人たちを車座にさせて、話し込んでいく。


6人の青年リーダーたちが一列に座り、彼らが他の村人たちからアイデアを聞き出していく。他の村人たちの意見に頭から否定しないで、常に、山頂から川下までの流域管理の考えに沿って、可能性を探っていく。
B村を含めた広域村落の村長(=サルパンチ)となったモハーンは、鳴り続ける携帯電話に忙しそうに対応しながら、要所要所で「自然資源は、村の共通の財産だ」と、強調し続けた。
森と土と水と人、そして家畜に農業、全てが関わり合い、切り離せない資源の循環。
やがて、B村をどんな村にしたいのか、どんな生活を営んでいきたいのか、という話に辿りつく。
【安全な水と土で安全な野菜を作りだす村、そして、高利貸しなど外部からの融資に頼らなくても自活していける村】

それが、ブータラグダ村の人たちが目指す村であり、描き出す暮らしとなった。
それに到達するための具体的な活動も、当然のごとく話し合われた。
堆肥作りを拡大したり自然農薬を醸造し利用したり、まだ未着手の山で土留めを行ったり田んぼに小さな貯水池を併設したり、牛・ヤギ・羊のエサ場づくりをしたり、という流域管理の活動や、そして、個々人の農産物は村の流域管理委員会が買い取って委員会が販売したり、融資を行い利子を貯めていったり、農作物保険を勉強して実施したりすることで、共同資金を増やしていき、自分たちの投資に必要なお金は村で作り出す、という具合にだ。
「ブータラグダ村を、モデル村にしてみせる」と、鼻息は荒い。
筆者たちは、その様子をただ見守っていた。時には、声を荒げるオッチャンもいたし、席を外すオバチャンもいた。
話し合っていたのは1時間半くらいか。
6人の青年リーダーたちは、2007年・08年から研修に参加し続けて、徐々に台頭してきた村の青年たちである。その頃は「研修に行くよりも畑を耕す」と言っていたオッチャン達も、今では研修に加わり、そしてこの場で「どんな農業をしたいのか」「どうしたら農業で食っていけるのか」と、声を大にして意見を言っている。
リーダー達だけではない、村全体が階段をひとつ上がったような、そんな光景だった。


9.熱意に加えて、実現させるために必要なコト

「お待たせいたしました。これから何をしていくか、話がまとまりました」と、アナンドが筆者たちにそのリストを見せてくれる。
「なるほど。では、これをさらに具体化していくために、何年にどの活動を完成させますか?」
と、村人たちに質問した。
また白熱する議論。
そして、例えば田んぼに併設する貯水池は2014年から2018年にかけて、各年に何個ずつ、と言う具合に、2014年から2020年にかけて活動を割り振っていった。
ここでいう2020年というのは、感覚でしかない。だけど、これくらい「長期間」の先には、必ずや描く村の姿、そして望む暮らしを全員ができる、できていたい、というゴールを自分たちで設定したのだ。
この村の人たちが描いたゴール先の姿は、ソムニードが事業の長期的な目標として考えていることやその指標として捉えていることと、ほぼ合致する。
ソムニードは、事業を始める際に、事業タイトルも活動内容も言わなければ、研修の参加対象者も限定しない。一歩ずつ、時には立ち止まりながら、時には後戻りしながらも村の人たちと進んでいくと、必ず、お互いの歩みが一致するのだ。

「この後、何をしますか?」と、ワザと他の村で研修を行っているB村の指導員に、ラマラジュさんが尋ねた。
「アクション・プラン作りです」と、胸を張って答える青年。
この事業が2015年8月に終わることも、全ての活動に対して事業から資金サポートが出ないことも、承知済みのB村の人たち。
フェーズ1が終わる2010年にもやろうと思ってまだできていなかった、「財源」を含めたアクション・プラン作りに、これから取り組まなければならない。
冷や汗あぶら汗を流しながらの研修の日は、まだまだ続く。



<注意書き>

 ラマラジュさん:ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部からおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。

 キョーコ:前川香子。この通信の筆者で、プロジェクト・マネージャーを務める。

 ジャヤチャンドラン氏: マイクロ・クレジットおよび住民組織に関する専門家。ソムニードとの付き合いは長く、特に2004年からのビシャカパトナム市内スラムに暮らす女性たちによる「オバチャン銀行」の事業では、スラムのオバチャンたちを手厳しく指導してきた。

 ヒロアキ:今年6月末からインドに赴任してきた新人駐在員、實方博章。ヒーローのニックネームで、村の人たちにも人気者。

2013年9月27日金曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第9号「オラたち指導員の四苦八苦」

 

目次

1.先輩指導員からの「研修の心得」
2.やり取りのテンプレートができていた
3.オラが提案しちゃいけねぇ
4.みんなって誰?












8月はほぼ2週間、ラマラジュさんヒロアキ、そして筆者はインドを離れ、ソムニード20周年記念事業の一環として、日本に滞在していた。
各種ワークショップに参加し、日本食に舌鼓を打ち、大阪・名古屋で水に関するシンポジウムに出席し、
時々インドご飯を食べて、お腹も心も満たされて8月末に南インドは農村部に戻ってきた。

7月には雨季が始まったものの、村に戻って来てみると、カラッカラに乾いた水田。
あわや干ばつか、と思った矢先にまた雨が降り出し、それからずっと降ったり止んだりの天気が続いている。
植えた稲の苗が枯れる心配もなくなり、ようやく村のオッチャンオバチャンたちも、研修再開である。

1.先輩指導員からの「研修の心得」


2007年から事業に参加している古参組のP・B・G・T村。
これらの村が、周辺の村も巻き込んでいこうと奮起して、合計15人の指導員が去年誕生している。15人の内、T村の3人は開店休業中。
前号でお伝えした通り、にっちもさっちもいかない状況がまだ続く。
残りの12人の内、B村の1人の青年が、村の近くで始まった役場主催のパソコン教室に通い出したものの、パソコン不足ということで教室が即日閉鎖となり、別の町にパソコンを習いに行ってしまった。
来年には戻って来るとの言葉を残していったが、どうなるかは誰も知らない。
実質11人で、10か村を対象に研修を行っているのだが、新たに2人が指導員になりたいと、指導員研修にやって来た。いずれも20代半ばの青年である。
これで、現在、実際に研修を行える指導員は13人。その内女性は一人だ。
7月・8月が農繁期で研修を行えず、先輩指導員たちはほぼ2か月のギャップを経て、再び研修を始めることに。
その前に、2人の新人指導員に対して、まずは「指導員の心得」から始まる「研修とは何か」というオリエンテーションを先輩指導員から行ったのだが、
2か月のギャップなんてモノともしない人もいれば、まるで初期化されている指導員もいる。
とりあえず、次の原理原則は覚えていてホッとする筆者たち。

聞いても【 】。
見たら【 】。
やってみて【 】。
【 】すれば、自分で(その技術を)使うようになる
(【 】内に何が入るか、読者のみなさんも再度考えてみてください。)

そして指導員の中でも人一倍機転が利くアナンドが、
自分の今までの体験から「研修の心得」を伝えた。
「最後にポイントを言うのは、参加者だよ。
指導員のしゃべる時間は、参加者たちが発言する時間よりも少ないといけない。
そのために、参加者たちの関心を引き出し、
どんな発言も無下に否定せずに、自分たちで考えて答えを発見していくようにしないとね」

聞いていてホレボレするアナンドの『研修の心得』。
彼が研修をするとき、筆者たちは大船に乗った気分で、いつもモニタリングをしている。
しかし、最近の指導員たちによる新規参入村の村人たちへの研修で、ある一つの傾向が出てきていた。
研修を受ける村のオッチャンオバチャンたちは、もうすでに「流域とはなんぞや」ということを知っている。
そして「流域」が一連の研修の重要キーワードということも、身に染みついている。
そうすると、理解の有無に関わらず、「これを言えば指導員たちが喜んでくれる」ということを掴んでいる。
それに指導員たちが気づいているかどうか、ソムニード(現ムラのミライ)・スタッフによる指導員たちへの指導員研修で、確かめてみた。


2.やり取りのテンプレートができていた

指導員たちが最初の指導員研修で抽出した11の研修トピックに基づき、筆者たちは6つの研修マニュアルを作っている。
指導員研修では、その研修マニュアルに基づき、基本的な流れやポイントを確認しながら、
どうやって自分(指導員)たちが、村の人たち(研修参加者)から答えを引き出すかを練習するのだ。

ある日の指導員研修。
いつもとは少しスタイルを変えて、
・筆者たちが指導員役、
・13人の指導員たちが「新規参入村のオッチャンオバチャン(研修参加者)」
のつもりになって、模擬研修を行った。


「植物図鑑が必要だと言いましたよね?何のために必要なのですか?」
と聞く筆者。
「無くなりかけている薬草とかを記録するため」
と答える村人役の指導員アナンド。
「他には?」
「子どもたちにも教えるため」
「何を?」
「薬になる木とか植物とか、そういう木を切らならないように教えないと。」
「なるほど。だけどあなたたちも、薬草関係の植物を知っていても薬屋さんで薬を買ってますよね?切ることの何がいけないのですか?」
と、指導員が絶対に聞くであろう質問をする。
「そうだけど・・・・そうそう、木を切ると、そこから土が流れていき、やがては岩だらけになってしまう」
と答えた唯一のオバチャン指導員パドマ。一斉にうなずく他の指導員たち。
さらに、
「例えばそこに、植物図鑑で調べて薬に使える木を植林できる」
と答える別の青年指導員。
他の指導員たちも、一様に 「正にその通り」 という顔をしている。
「マンゴーやカシューナッツのような実がなる木を植えれば、良いじゃないですか」
と意地悪な質問をするラマラジュさん。
「他に、何のために植物図鑑を作るのか、何を記録するのか、意見はありますか?」
・・・無言の指導員たち。
村のオッチャンオバチャンたちの中では、
「木がなくなれば、土が流れて山が禿げて、川にはやがて水が流れなくなる」
というセリフが常套句となっている。
そして、こう言えば指導員たちがいつでも納得する、とオッチャンたちは気づいている。
指導員たちもこれを黄門さまの印籠のように思っていて、
最近では、この文言で全てが進んでいくかのように使っている。
確かに流域管理の背景にある基本アイデアではあるが、
印籠も出すタイミングを間違えれば、その後の展開はどうなるだろう?
果たして、それだけで植物図鑑を作る必要があるのだろうか?

そして指導員たち自身で、考えた。
考えたと言うよりも、自分たちが植物図鑑を作った時の事、出来上がった図鑑、そしてどう使っているのかを思い出した。
そして、村の人たちにとって本当に植物図鑑が必要なのか、何のために必要なのか、を引き出していくにはどうすれば良いか、再び考えた。


3.オラが提案しちゃいけねぇ

トピックは変わって、「オラが流域のミニチュア作り」へと移る。
自分たちもやって来たように、
画板上に「オラたちの流域」を粘土で再現し、絵の具で川や池や道路、集落なども描き込み、
現在の保水土対策と、今後の計画をそこに表すのだ。
ここでも、指導員たちはあくまでも問いかけを続けることで、
村のオッチャンオバチャンたちが
『村の人たち全員が、自分たちの流域について共通の理解をもつ』ことの重要性に気づき、
ミニチュアを作る行動に移せるようになるのが目的だ。
ところが、どこの村のオッチャンオバチャンたちも、
「模造紙に地図を描けば良い」
という意見が最初にでる。
指導員たちも、一度は通った道。
実際に、自分たちも2009年~2010年頃、まずは平面に地図を描いて、
流域の範囲や現状・そして計画を村の人たちの間で共有しようとしていた。
しかし、最終的にはミニチュアを作って、今後の計画を立案した経験がある。
視覚化された教材は、言葉だけで説明を受けるよりも分かり易い。
では、ミニチュアの代わりに、地図(平面図)では何が不十分なのか?

13人の指導員たちのエース、アナンドは、「地図で良いよ」という参加者たちに対して、
こんなワークショップを実施した。
「では、3つのグループに分かれて、『子どもからお年寄りまでが一目で分かる、自分たちの流域』を地図に描いてください」



30分ほどの作業を終えて、満足げなグループもいればそうでないグループも。
「そしたら、Aグループの地図をBグループのプラカシュさん、あなたが説明してくれますか?」
この指示を聞いて、プラカシュのみならず、Aグループ全員がぽかーんと口を開けている。
周りに押しだされるようにオッチャンは前に進み出ると、Aグループが描いた地図の前に立ち、しばらくじーっと見つめていた。
「え~~~~~、これが○○山で、こっちがXX山?
なんでこんなとこに、こんな川が?この丸いのは、池か、オイ?池ならもっと麓だろうが。・・・・う~、わかんねぇ」
なんとか地図を読み取ろうとするプラカシュ。
「オラたちの村がない」
と、ぼそっと呟く別のオッチャン。
ここは、3つの村が水源地から中腹にかけて点在し、ひとつの小さな流域を作っている。
この内、中腹にある村がその地図から抜けていたのだ。
「川なのか道路なのか、分かんないわよ」 「っていうか、すべての山が入ってないじゃない」
と口を出すオバチャンたち。
ただ黙って、そんなオッチャンオバチャンたちの様子を、アナンドはただ見ている。
別の言い方をすれば、待っているのだ。
村の人たちが、地図では何が表しきれないのか、代わりにどうすれば良いのかを言ってくるのを。

「地図でイケると思ったのに、難しいなぁ」
「どこが難しかったですか?」と聞くアナンド。
「ぐるりと囲む山が、上手く模造紙に描けない」
「山とか村の位置で、どっちが高いとか低いとか、分かりづらい」
3つのグループの地図を見ながら、色々出てくる意見。
「なら、それらを表せる方法はありますか?」
「ガネーシャみたいに、像を造ればええんや!」と、オバチャンの一人が言った。



ガネーシャとはヒンドゥー教の神様の一人で、毎年8月末か9月頃にガネーシャの誕生祭と言うのがある。
その時に、手のひらサイズから果ては40メートル級のガネーシャ像がインド国中で飾られ、
一定期間お祈りをささげた後、海や川、池などに沈められる。ガネーシャ像は、粘土やプラスティックで作られるのが主流だ。


このオバチャンは、そのガネーシャ像を思い出したのだ。
「そうそう、ガネーシャ像みたいにすれば、デコボコも分かり易いわね」
と、赤ちゃんを連れて研修に来ているオバチャンが言う。
「地図だと分かりづらい山の反対側も、それなら作れるな」と青年たちも納得。
そして、「粘土で作ろう」という意見で一致した後、
アナンドが、
「実際の大きさよりも小さいサイズで立体的に表すことを、「ミニチュア」と言うんですよ」
と説明した。
こんな風に、その場の状況や参加者の様子を見ながら研修ができる指導員は、アナンドとパドマくらいだ。
この2人の成長ぶりには、ラマラジュさんも舌を巻いている。


4.みんなって誰?

研修にやって来る村のオッチャンオバチャンたちの中には、
声のでかい人、恥ずかしがり屋の人、横槍ばかり入れる人などなど、様々な人がいる。
流域管理事業は、個人単位の事業ではない。
村単位で取り組まなければならない活動だ。
そうした中で、研修に参加していない人たちが、今までの経緯、あるいはどんな研修が開かれているのかを知っているか、というのは
情報共有がされているかどうかを測るひとつの方法である。
ある日のP村の指導員たちの研修がひと段落した時に、指導員や参加者から許可をもらって、ラマラジュさんが今回初めて研修に参加する人たちに、質問をした。
「前回、いつ研修があったか知っていますか?」
「先週の土曜日やったかな?」
と答えるオッチャン。
「何についての研修だったんですか?」
「さぁ」
と答える人もいれば、
「なんか、植物がどうのこうのって言ってたのが聞こえてた」
と言うオバチャン。
すると、今までの5回の研修に全て参加してきた30代前半の威勢の良いオバチャンが、
「あのねー」と、前回の研修について話し出した。
そこに、いつも中心的に発言をするオッチャン達数名が加わり、
やいのやいのと今までの研修について、好き放題に話している。
「例えば、ポーライヤさん。あなた『走れ』って言われたら、どうしますか?」
と、突如ラマラジュさんが尋ねる。
「え、『なんで?』って聞く」
「『とにかく走れ』って言われたら?」
「『どこまで?』って聞く」
「それに答えてくれなかったら?」
「じゃぁ走らない。だって訳わかんないし。」
「あなたたちが、今日の研修に来た目的は何ですか?」
と、やり取りを引き継ぐ。
「なんだか参加してみたかったから」
と答える人もいれば、ただニヤーっとしている人も。
「いつまで、この研修は続くのですか?」
「さぁ?」
「もともと、誰が何のために、P村の指導員たちに研修をして欲しいって頼んだのですか?」
「・・・・・」
「これは、誰のための研修ですか?」


「みんなのためよ」
と、威勢の良いオバチャン、スジャータが答える。
「みんなって誰?」
「この村の全員。子どもからお年寄りまで。男性たちが中心になって、これからこの村を良くしていくの」
「男性が中心なら、スジャータさんはどうして研修に来ているの?」
このソムニード・スタッフと、今まで研修に来たことのないオッチャンオバチャンたちとのやり取り、
そしてスジャータとのやり取りを傍で見ていたP村の指導員たち3名。

今までの研修の事が共有されていないことや、集会のような場がない事、
集まっても男性ばかりがただ車座になって世間話のついでのように色々話をしていること、
そして議事録が残されていない事、などが浮き彫りになった。
「私も、植林とか必要になったら、作業に参加するの。だから研修に来てる」
と、別のオバチャンがボソッと言った。
そして、研修が終わった後2日以内に集会を開き、
不参加だった村の人たちにも研修で何を話し合ったのかを共有し、
最後にノートにその内容と集会に来た人たちのサインを取る、ということが決まった。

全部で10か村ある新規参入村だが、
「みんな」イコール「4~5人の村人たち」だったり、研修記録が無かったりという村が、ポツポツ出てきた。
指導員たちも研修参加者たちも、「研修」に慣れてきた頃に出てくる罠。
でも、こんな研修ができる指導員たちは他にはいない、と確信する筆者たち。
気持ちを新たに引き締めつつ、研修もだんだんシフト・アップしていく。

 

注意書き

  ラマラジュさん=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部からおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。

  ヒロアキ=今年6月末からインドに赴任してきた新人駐在員、實方博章。ヒーローのニックネームで、山を駆け回る。

  筆者=前川香子。プロジェクト・マネージャーを務める。

  【 】すれば、自分で(その技術を)使うようになる=答えはこちら。聞いても【忘れる】。見たら【覚える】。やってみて【解る】。【発見】すれば、自分で(その技術を)使うようになる。
詳しくは、和田信明・中田豊一著「途上国の人々との話し方~国際協力メタファシリテーションの手法」みずのわ出版

2013年7月22日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第8号「オラたちの活動は、山あり谷あり」

 

目次

1. 読み書きなんて関係ない
2. モデル農地も十人十色
3. 活動は七転び八起きの連続だ
4. 欲しい欲しいと言う前に、何ができるか自分の頭で考えろ
5. 一難去って、また一難!?


毎年5月末頃になると、いつインドの最南端が雨季に入ったか、を日々チェックするようになる。
この南西モンスーンは、気温45度になる酷暑の後の、恵みの雨。ただ、インドも例外ではなく、雨の降り方が年々極端になり、時には大洪水を引き起こす。
今年の南インドは数週間早く雨期に入り、農村ではシトシトといい具合に降り続いている。ようやく暑さから逃れて人心地がついた頃、村のオッチャン・オバチャンたちの農作業が始まる。

1. 読書きなんて関係ない

『畑の中を区分けして栽培すると、効率よく多くの種類の作物が栽培できる』と、コロンブスの卵のように衝撃を受けた村の人たち(第7号参照)。
村の人たちは今、1家族が1モデル農家として、農業改善に取り組んでいる。取り組む農地は5つ。田んぼ、平地の畑、キッチン・ガーデン、山の斜面の畑、そして果樹園。B村で29家族、G村で20家族、合計49家族がモデル農家に挑戦している。1メートルの棒を持って田んぼなり畑なり自分のモデル農地をなぞって歩き、農地の形を縮尺図に落すと、これが「オラのモデル農地」のデザイン・シート。
コロンブスの卵を経た村のオッチャン・オバチャンたちは、このデザイン・シートに、7月から9月まではココになすびを植えて、こっちにはトマトを植えて、柵を利用して豆のツルを這わせて・・・
と考えて、シールを貼ったり文字を書き込んだり。種は何グラム、誰から買うのかあるいはもらうのか、自分の村以外からの調達ならば、誰がそれを調達するのか、等々、個人レベルであるいはチームで、作業も決める。

「ねぇねぇ、やっぱりアタシも田んぼの畔に豆を栽培してみるよ」
そう言って、村の青年の腕を引っ張るG村のオバチャン。オバチャンの手には、豆のシールとデザイン・シートが握られていて、それを青年にズイっと渡す。それを見ていたラマラジュさんが言った。
キョーコさん、あのオバチャン、何をしなければいけないか、ちゃんと分かってますよ」

このオバチャン、全く文字の読み書きはできないし、発言が活発なわけではない。文字は知らないけれど、いろんな紙を使って何をしているのか、どこに何が記録されているのかは、知っている。
つまり、文字の読み書きが分からないオバチャンでさえ分かるのだから、読み書きできる人にも、何がどこに書かれているのかが分かっている。
G村は20家族のモデル農家の内、読み書きできるのはたった4人。この4人の周りにオッチャン・オバチャンが、カボチャや豆やコメやマンゴーやその他いろいろなシールと紙を持って、群がっている。

こうした研修風景が真夏の間に繰り広げられ、その合間に、筆者たちは、有機農業専門家のから、耕作デザインの考え方や保水土対策を学習した。
モデル農地の土壌成分分析の結果も、ようやく農業局から届いて、それを見ながらより良い方法を探る。

「この作物とこの作物は、相性がいいですよ」
「有機炭素の値が高いところは良い土壌なので、あまり有機肥料を足す必要はないですね」
「傾斜がこのくらいだと、石垣よりも溝を作った方が、土壌流出を止めるのには効果的です」
次々と繰り出されるチャタジーさんのアイデアを、吸収するのに必死な筆者たち。
これを、さらに村の人たちに分かり易いように、後日村で紹介する。
「キッチン・ガーデンの人は、1メートル四方を囲むように石を置くと、土が流れずに済みます」
30人弱のB村のオッチャン・オバチャンたちが集まったまだ残暑厳しい日に、筆者たちがチャタジーさんからのノウハウを紹介すると、
「そうすると、水も溜まりやすくなるね」と、B村のオッチャンが答える。
「オラの裏庭広いから、そんなにチマチマ作れねぇ」と言う人がいると、
「お前んとこは、それより石垣作ったら良いんだよ」と、別のキッチン・ガーデンのメンバーがアイデアを出す。
「ワシの田んぼは、今までどおり稲だけでええ。植え方は変えるけどな」
「オレの田んぼは、ちっちゃなため池も備えて、その土手にはカボチャも植えてみる」
こうして、各モデル農家が、それぞれのモデル農地のデザインを考え、アクション・プランを作った。誰一人として、同じデザインの人は無く、また、栽培作物も違う。
月半に渡った、デザイン・シート作り&アクション・プラン作り研修を経て、「モデル農地」の実践が、いよいよスタート。


2. モデル農地も十人十色

「オレがメートルを測るから、父ちゃんはレンガを持ってきて」
B村のキッチン・ガーデンのモデル農家を訪ねると、土地の周りをロープがピンと張ってある。
そして、1mごとにマークを付けているのは、このモデル農地研修に一番精力的な青年、チランジービー。彼は田んぼのモデル農家なのだが、キッチン・ガーデン担当の父親を手伝っていた。


さて、長さを測るとはどういうことか。
読者諸賢には何のことはない、朝飯前のことだろう。
巻尺をピンとまっすぐに張って、ゼロを起点に合わせて、そして1mごとに印をつける。簡単なようで、最初はできなかった村の人たち。
思えば、巻尺を持ったことはあるけどきちんと使ったことはない、という村の人たちが多かった3・4年前。
ゼロを起点に合わせる、ピンと巻尺を張る、
これに気付くきっかけになったのが、飛騨高山の山奥からインドの山奥まで来てくれた測量専門家による研修だった(よもやま通信 第1部12号に登場)。

これを手始めにして、後々、面積や体積も出せるようになり、そしてため池も掘った。
今では公共事業の道路整備で、賃労働に参加した村人が、作業量から必要な労働日数を割り出して、役人にそれを教えてあげるまでになった。
チランジービー含め、村の人たちがこの事業の中で身に付けた、基礎で大切なスキルのひとつである。

閑話休題。

こうして、「何が何のために必要なのか」を理解し、自分のモデル農地に必要な保水土対策も施したモデル農家のオッチャン・オバチャンたち。
灼熱の太陽でカピカピになっていた土も、降り続くシトシト雨でいい具合にしっとりと湿り、6月頭にはあちこちのモデル農地で、土が耕された。
耕起、種の購入、雑草抜き、石垣づくりや1メートル四方のレンガ起き等々、モデル農地に関して行った作業や、お金の出入り(今はまだ支出ばかりだが)も、モニタリング・シートに入れていく。

「オレ、字は書けないけど数字は書けるから、とりあえず作業した日にちだけは書いてるんだ。」と広げたファイルをグループ・リーダーに渡して
「その日は柵作りをして、4~5日かかったんだよ。その後、種を買って、同じ日に種まいて・・」と日付で作業内容を思い出して、リーダーに代わりに書いてもらう。そのモニタリング・シートを持って各モデル農地を見て回ったある日。新人駐在員、ヒロアキも畑のグループ・リーダーの後について走り回った。
「キョーコさん、見てよこのオバチャン。サトイモばっかし植えてやんの」
と、広大な畑を持つオッチャンが、あるオバチャンのキッチン・ガーデンを指さして言った。


それに対してこのオバチャン。

「何を言うとるか、よう見てみぃ。柵の周りにホレ、ゴーヤに豆に植えとるじゃろうが。最初は、いろんなものが植えられると分かっても、何やらメンドイなぁと思って、シールを貼ったりはがしたりしたけどなぁ・・・柵を見たらやっぱり植えたくなったんじゃい」
確かに、デザイン・シートはサトイモのシールがでーんと貼ってあり、その周りには他のシールを剥がした跡が。
すると、一緒にいたキッチン・ガーデン・メンバーのオバチャンが、「アタシも・・」と話し出した。
「アタシも、あんましたくさんの野菜を植えるのも手間がかかるなぁ、とは思ったけど、畝を作って、区画を分けて、種まいたり苗を植えたりすると、やっぱしここになすびも植えた方が、孫に食べさせてやれるなぁって思ったんよ」と、デザイン・シートやアクション・プランを少し変えて、なすびも植え始めたことを『告白』。

研修場所に戻ると、田んぼチームのメンバーで、B村のリーダーでもあるモハーンでさえも、頭をかいて話し出した。
「田んぼの中にちっちゃなため池を計画通りに掘ったのです。だけど、その畔に植える野菜を、アクション・プランに乗せるのを忘れてしまっていて・・・それに気づいたら、昨日の晩は全然眠れなかったんですよ」
と、筆者たちスタッフを見て、苦笑い。


3. 活動は七転び八起きの連続だ

大抵のモデル農家たちは、デザイン・シート通りに畑や田んぼ、果樹園などで栽培を始めているが、こうした「実際にやってみて、初めて気づいた」ことにぶつかる農家もしばしば。


まるでやったことのなかった「農地利用計画」。
他でもない「オラの田んぼ・オラの畑」が、どのような畑や田んぼに変わるのかを、まずはデザイン・シートという形で視覚化し、目指すべき形を浮かび上がらせた。
そして実際にやっていく内に、「やっぱりコレは変えた方が良い」という事はでてくる。
そしたらそこは臨機応変に、状況に合わせて変えていけば良い。計画は道筋を立てる上では重要だけど、それに固執することはない。ましてや相手は畑や作物。やってみてナンボ、のことなのだ。このことを、スタッフたちと村人たちと確認してから、モハーンがにっこりして言った。

「今日は、ゆっくり眠れそうです」
こうして、順風万帆に動き出したモデル農地。極端な大雨や日照りにならないことを、祈るばかりだ。


4. 欲しい欲しいと言う前に、何ができるか自分の頭で考えろ

翻って、指導員たちのその後の様子。
前号で、P村の指導員たちも波に乗りだした話をお伝えしたが、絶好調に波に乗っている。
P村の指導員チームは、若手のニイチャンに、30代のオバチャン、そして50代半ばのオッチャンと、性別も年代もある程度バランスのとれた指導員チームだ。


オバチャン指導員は、2007年の事業開始当初から頭角を現していたパドマで、研修のやり方も呑み込みが早い。
P村が担当するのは20世帯弱の村で、P村とその村の流域は、まさしく一つの山の分水嶺であっちとこっちに分かれている。つまり、ある山の頂上から東南方向に広がる斜面がP村の流域、西側に広がるのが、P村がこれから研修をしていくその村の流域だ。
「・・・ということで、これを流域と呼びます」と、
一番最初の研修「流域とは何か」を、考えさせるパドマ。
「なるほどー。で、これから何を作るんじゃい?」と聞いてくる初老のオッチャン達。
このオッチャン達は、他のどの村よりも、「何かを造りたくて(造ってほしくて)ウズウズしている」のが丸わかり。
パドマが何を言っても、何を尋ねても、「何を造るか」というハナシに持っていこうとする。
すると、
「おめえら、ちゃんと聞けよ」
とこのオッチャン達と同年代であるオッチャン指導員、ダンダシが喝を入れた。

「何も考えずに、『アレが欲しいコレが欲しい』と言い続けてきたから、今こんな状態なんだろう。それを変えたいと思って、ワシらに研修をしてくれと、言ってきたんだろう?」
「ハイ、そうです・・」と縮み上がるオッチャン達。
「だったら、まずは欲しい欲しい言う前に、何ができるかテメエの頭で考えろ。そのために、ワシらが研修をしてるんだ」
と、睨みを利かす。
ダンダシは、このおねだりオッチャン達と同じく、読み書きができない。
ただ鍬を振るい、汗にまみれて一日中農作業に精を出す、どこにでもいる村人だ。
他の男性指導員たちは、シャツにズボンという村でも当たり前になった服装で研修をするが、ダンダシは、こうした初老の男性たちと同じように、シャツに腰巻を身に付けている。
ある意味、「息子やそれよりも若いヤツのいう事なんか・・」と思われがちな研修シーンでも、ダンダシがいると、その場の空気が引き締まる。

「あんなオヤジもこうした研修を受けて来たんだ。だったらワシも・・」
と思っているかどうかは、まだわからないが、パドマが女性の村人たちの背中を押しているように、おねだりオッチャンたちの背筋を伸ばさせているのは、紛れもなくダンダシだ。

「ダンダシが指導員になりたい、と言ってきた時には驚いたし、続けられるのかと思いましたが、いやはや、ダンダシの指導員効果は抜群ですね」
と、ラマラジュさんもダンダシの存在感に感嘆の声を上げている。
そのダンダシも睨みを利かすだけでなく、問いかけもするようになって2回目、3回目と研修を重ねるうちに、おねだりオッチャン達のおねだり回数が激減し、第2のパドマを思わせるようなオバチャンも出現と、P村指導員たちの活動は、予想以上に波に乗っている。


5. 一難去って、また一難!?

P村が追い付いた、と思ったら、急に足を止めたのがT村。3人の指導員がいるこの村は、流域下流部にある10世帯弱の村を受け持っていた。
だが、指導員研修で2人がソムニード(現ムラのミライ)から研修のイロハを学んで、いざ、と言う時に、この時用事で来られなかった別の指導員が、横やりを入れてきたのだ。

「オレを差し置いて、研修に行くのは許さん」と、こういう訳だ。
この指導員、村の土地持ち有力者の息子で、村で起こっていることには自分も何かと関わりたい。だから今までの研修も受けてきたけれど、実際に指導員として研修するには、正直度胸が足りない、そんな青年である。

「早く、研修を受けさせてくださいよー」
と、下流域の村からは催促の声が連日のように届く。
他の2人の指導員は、研修をしてあげたい。だけど、この青年を無視するわけにもいかない。かといって、青年が今更指導員研修を受けるには、遅れを取ったようで彼のプライドが許さない。
そんなにっちもさっちも行かなくなった時、2人の指導員とG村の指導員たち、そしてソムニードで相談して、この下流域の村の人たちから要請を受けた形で、G村の指導員たちが下流域の村に研修に行くことになった。もちろん、下流域の村の人たちは大喜び。
待ってましたと、他の村と合同で研修を受け始めた。


ところが、このT村の青年が今度は脅しをかけてきた。

「オレたちの村は、今、別のNGOと一緒に、土地の権利を獲得しようとしているんだ。オレたちを無視して研修をするのなら、お前たち(下流域の村の人たち)の土地の権利獲得の手助けはしてやらないぞ」
すると、G村の指導員たちが反論に出る。
「何を言っているんだよ。土地の権利と、この流域管理の研修は全くの別物だろう。僕たちだって、そのNGOの人たちの手助けで、土地の権利がほとんど獲得できそうになってるんだ。だけど、この流域管理の研修だって続けてるよ」
すると、下流域の村のオッチャン達も、息巻いて思いをぶつける。

「オラたちにとっては、やっとこの事業に参加できるチャンスなんだ。指導員がどの村の人だろうが、オラ達には関係ない。この事業の指導員で、研修をしてくれるって人たちならば、その人たちの言う場所までオラたちは行く。オラたちは研修を受けたいんだ」

この一件の後、青年と他の村の人たちの間にもビミョーな溝ができてしまったT村。後の2人の指導員たちは、自分たちも指導員として研修に行きたいし、何とか青年を宥めようと必死になっている。また、彼のプライドを傷つけないように、彼が研修に再び参加できないかと頭を悩ませている。
筆者も、何か青年やT村の人たちが事業に戻れるきっかけになりそうなことはないかと考えた。だけど結局は、やっぱりT村の人たちが、

「事業に戻る」
「モデル農地なり指導員研修なり研修をまた受けたい」
と言ってくるまで、ここは待つしかない。

G村とは同じ少数民族で、何かと集まりやら山の作業やらで顔を合わし、お互いに情報交換をしている。G村のモデル農地のことも、果てはB村のさまざまな保水土対策も、T村の人たちは耳にしているようだ。
P村は、一度フェイドアウトしかけて、また戻ってきた。T村は、どうだろうか。

事業もちょうど折り返し地点を迎える。一筋縄ではいかない、それが事業である。



注意書き

 ラマラジュさん=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部からおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。今年の8月に来日し、8月17日・18日のシンポジウムに登壇します。

 キョーコ=前川香子。この通信の筆者で、プロジェクト・マネージャーを務める。

 ヒロアキ=今年6月末からインドに赴任してきた新人駐在員、實方博章。ヒーローのニックネームで、山を駆け回る。


2013年4月29日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第7号「走り出したら止まらない!?エンジン全開オラたちの研修」

 

目次

1. 指導員デビュー!
2. これがオラの研修スタイル
3. 守って、使って、作り出す
4. だけど、どうやって?
5. アタシたちも、負けてられない!


若葉が芽吹く春。
日本では厳しい冬の後に来るその穏やかな気候に、老若男女、心躍る季節。
対してインド。
冬の後の春は文字通りアッと言う間に、新幹線が目の前を通るがごとく過ぎていき、老若男女も野良犬も気力を奪われる夏が始まる。
それでもマンゴーが勢いよく若葉を生い茂らせ花を咲かせるように、ソムニード(現ムラのミライ)の事業地の村の人たちも暑さが始まる中、勢いづいてきた。

1.  指導員デビュー!

前回(第6号)で、指導員たちの重たい腰が上がらぬ様子をお伝えしたが、一度腰を上げるとスイスイ動き出した指導員。
といっても、B・G・T・P村の4つの指導員15人の内、走り始めたのはB村の4名。
2月末から、ソムニードから指導員研修を受けるやすぐに、近隣の村々へと研修を実施している。
B村が担当するのは、5村。いずれも山を登って行かねばたどり着けない、ソムニードのスタッフ泣かせの場所にある。
5つの村を2グループに分けて、1回の研修に合計20~30人が集まるように指示された村の人たちであるが、驚くことに、最初から20代の娘さんやオバチャンたち、60代のお年寄りと、女性たちも参加してきた。
B・G・T・P村で事業を始めた2007年当時は、女性の姿なんてほとんど見られなかったものである。


最初の研修テーマは『流域って何?』というもの。
すでにB村から、流域という単語を何度も聞いてきているので、それがキーワードだというのは分かっている。
果たしてどういう風にそれを理解させるのか。
最初に指導員デビューをしたのは、4人の内3人。
村のリーダーでもあるモハーン、指導員エースのアナンド、最年少で負けん気の強いシマハチャラン。
「雨の中、外に立つとまず体のどこに雨が当たりますか?」
よしよし、いつもの例が飛び出したぞ、と指導員を会場後ろから見守るラマラジュさん
「どういうこと??」という顔で、指導員を見つめる村の人たち。

状況を想像しやすいように説明する指導員たちだが、別の例も飛び出した。
「ここに小っちゃい子がいますね。この子を水浴びさせるとき、手桶で上からザバーとかけると、どのように水は流れますか?」
「あぁ、頭か!」
「頭から、お腹に流れていくね」と答える村の人たち。
こうして、いつものごとく流域とは山の頂上から平野の川まで、水の入口から出口までのエリアだということを『説明』した指導員たち。
だけど、これじゃぁモノ足りないなぁと筆者も思っていた矢先、モハーンが村の人たちに一つの課題を出した。
「ではみなさん、村の地図を描いてみてください。あなたたちが薪を採ってくる山、畑地がある山、集落はどこにあって、田んぼはどこまで広がっているのか。そうそう、川や池もあれば描いてください。」
この課題を聞いた時、初めて研修を受ける村の人たちにできるのか?と私たちは疑ってしまった。
ソムニードは、指導員が使う研修マニュアルというものを作っている。1回の研修の重要ポイントや、研修の流れ、何を問うべきかのヒントなどが書かれている。
そしてそのマニュアルのヒントに「参加者の村の山から平野までのおおよその図を描く」という部分があるのだが、筆者たちは「指導員が村の人たちから聞き取って描く」としていた。
今までの経験では、初めて自分たちの村の地図を描く時には丸1日は優にかかったものだが、果たして40分後。
「できましたー!」と発表する村のオジサンたちの手で拡げられた模造紙には、驚いたことに山から田んぼまで綺麗に収まり、畑やメインの大木、砂防ダムや池や井戸、道路に脇道にと、縮尺は無論正確ではないが、大まかな概要がわかるようになっている。
B・G・T・P村の人たちが、あまりにも描けなかっただけ??と内心首をかしげる筆者。


そして、この地図を使って、さらにアナンドが続ける。
「この地図はあなたたちの村についてですね?では、ここに雨雲が来ました。どのように雨が降って水が流れてきますか?」
最初と同じ質問だが、使う材料が違う。
村のオバチャンも、「この山のこの川を通って、こんな風に流れて来て、田んぼに来るの」と、大声で言う。
何人かの意見を待って、アナンドが尋ねた。
「そうですね、この山から水が流れて来て、田んぼの下の川へと流れて出ていく。では、ここ(山の頂上)からここ(川の先)までを何と言いますか?」
「・・・ウォーターシェッド(流域)??」
「どこの?」
「・・・オラ達の村のウォーターシェッドか!」
そして何度も「ウォーターシェッド」とおまじないのように言い続ける村の人たち。
その顔は、まさしく『腑に落ちた』表情だった。

「これから皆さんが受けていく研修は、このあなたたちの村のウォーターシェッドをどうしていくか、ということについてです」
まずは今がどういう状態なのかを知ることから始めようと、次回へのつながりを持たせて最初の研修を終わらせた。
カッコよく指導員デビューを果たした3人の指導員。
だけど研修時間の7割は、3人とも座ったまま。
立って話さないと、ということは分かっているけど、立てなかった。
それくらい緊張していたんだよなぁと、彼らの晴れ舞台に胸を熱くする筆者たち。


そして、4月にJICAインド事務所のエジマ所長がクギタさんと一緒に村に来られたとき、この地図を使って、村のオッチャン達は言った。
「コレが、ボクたちのウォーターシェッドです!」
「みなさんは数々の研修を受けているようですが、研修で学んだことを何に活かしたいのですか?」と、改めて聞く所長。
「岩が見え始めている山頂を、木々で覆いたいのです。今までは、そんな事考えもしなかった。だけど、山頂も木々で覆われていないといけないということに気付いたのです。そして、山から土が流れていくのを止めたいのです」
たった2・3回の研修を受けただけで、ここまで言える村のオッチャンがとても頼もしい。
同時に、指導員がそうやって分かり易く教えているんだ、ということが垣間見える出来事でもあった。

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2. これがオラの研修スタイル

そんな指導員たちも、場をこなすごとに自信もつき、アドリブも利かすようになった。


『今ある資源の再確認』のテーマで、「調査」について話が及んだ時。
「今ある村の資源について、調査が必要だなぁ」とある参加者が言った。
「資源って、具体的に何ですか?」と尋ねるアナンド。
「人口とか家畜の数とか、山にある木の種類とか、農地の面積とか、井戸の数とか・・?」
「それを知ってどうするのですか?」
「・・必要なのです」
「何に必要なのですか?」
「何がどれだけあるのか、みんなで知る必要があります」
「そこの集会場の壁に、村の絵図が描いてありますね。家や井戸、田んぼが全部絵に描いてあって、その上、この村の田圃や井戸の数、森林の面積も書いてある。もうみんな知っているんじゃないですか?」
「えぇぇ~~、でも今のことを調査しないとねぇ?」
「調査して、みんなで知って、そしてそれを何に使うのですか?」
聞いていて痛快な質問をこれでもかと繰り出す、指導員アナンド。
今まで村の人たちは、さまざまなNGOと「村のことを調べましょう、みんなで壁や床に絵を描きましょう。そして質問に答えてくださいね」という調査しか体験してこず、その結果を何かに使ったこともない。
なので、まずは調査をする目的を村のみんなで理解して、それから調査項目を全員で考え、調査員を選んで、実施する。
アナンドの忍耐強さも天晴だけど、質問攻めに耐えていた村のオッチャンオバチャンたちも、楽しそうだった。
やはり、研修は楽しくないといけない。
そして、そんなアナンドの雄姿を横目に見て、「ボクもこんな風になってやる」と闘志を燃やす最年少指導員のシマハチャラン。
他の指導員が必要な時に、ササッとチョークやペンなどを出して研修のサポートをする姿もいじらしい。


指導員それぞれのスタイルに特徴がでてきたこの頃。
きっとお互いのやり方に意見を言い合う日も来るだろう。だけど、それが逆に彼らのスキルをさらに高めることになるに違いない。


3.  守って、使って、作り出す

そして話は一転、農業について。
指導員が別の村で研修をするのと同時に、自分の村ではこれから農業のやり方を少しずつ変えていく。
化学肥料や農薬を使う農業から、ミミズを使ったたい肥を作り、有機農業へと転換していくのだ。
山の中で土や水を守り木を育てることに注力してきたが、畑や田んぼでも同じである。
土や水を守り、使い、そしてさらに作っていく。
これまでの農業を振り返る中で、G村のオバチャンたちは気づいた。
「あらぁ、アタシらって野菜を買ってばっかりじゃない!」
山の畑地でも裏庭でも、自分たちで食べる野菜と言うより、ホウキ草やパイナップル、豆類など「売ればお金になる」ものをたくさん栽培してきている。
「あなたは、山の畑地で、あるいは田んぼで、あるいは裏庭で、何のために農業をするのですか?」
「西ベンガル州に視察に行って(第4号参照)、何に気づきましたか?自分たちの場合は、何をしないといけないのですか?」


いくつかの研修を経て、村のオッチャンオバチャンたちは、これからの農業のテーマを掲げた。
1年を通して、自分たちの農地からたくさんの種類の作物を作る。
自分の家族に必要な作物を、安全な農法で作る。
肥沃な土で、少ない投資で、害虫にも対処できる、そんな農業ができるようになりたい。


4.  だけど、どうやって?

そしてB村では、どこの村より一足も二足も先に、農業研修に取り組んでいる。
一家族が一つの農地を選び、そこが、有機農法・低コスト・高収量の農業を実践していく「オラのモデル農地」だ。
「2012年に、あなたのモデル農地では、何がいつどれだけ採れましたか?」
「え~っと、マンゴーが5月から6月で、ジャックフルーツが7月頃、ゴーヤが11月頃で、豆が1月・・」と、カレンダー形式にしたフォーマットに、作物のシールを貼っていく。

B村だけで30世帯。
その内、読み書きができる人は3割程度。
文字を極力使わずに「オラのモデル農地」の農地デザインをし、栽培計画を作れるように、スタッフ達はシールやイラストの準備で毎日が忙しい。
ショーコも日本のカッターを片手に、野菜やイモや果物の写真、果ては牛糞のシールにひたすら切り目を入れる。


筆者が、オッチャンオバチャンたちでひしめき合う研修会場の中を縫うように歩き、出来具合を確かめていた時。
「キョーコさん、あのね、ワシはサポタが好きなの」と言って、サポタ(ピンポン玉より少し大きいサイズの果物で、干し柿のような味)のシールをぺたんと紙に貼るオジサン。
「オジサンのモデル農地は・・・裏庭の畑ですね。へぇ、畑にサポタの木があるのですか?」
「いいや。サポタは別の場所に植えてあるの。でもワシはコレが大好きでねぇ。えへへ。」
満面の笑顔で教えてくれるオジサンだが、この作業は、モデル農地をする前(2012年)の状況と、した後(2013年)の比較をするためにも、正確な情報が必要だ。
おもわず一緒にえへへと笑った後、シールをはがしてもらう。
今年は何を植えるのか、自家消費用か販売用か、農地のどこに植えるのか、等々、考えてみることはいっぱい。
「どこって、バーッと種を撒くんだよ」と、胸を張って答えるオッチャン。
それは、まるで花咲か爺さんのように、あるいはニワトリに餌をやるみたいに、4・5種類の種をまとめて畑に撒き散らすのが、今までのやり方。
だけど収穫時期はバラバラ。
「この作物Aは、何月に収穫できるのですか?」と筆者が尋ねる。
「8月」とオバアチャンが答えてくれる。
「じゃぁ、作物Bは?」「11月。作物Dも。」
「作物Cは?」「1月」
「それじゃぁ、例えば作物Aを、この場所だけに植えるとしましょう。そしてBは・・」と、あるオバチャンの農地を例に取り上げ、畑の中を区分けして、それぞれの作物の収穫月を数字で入れる。
それを、月毎につくってパラパラ漫画のように連続して見られるようにした。
収穫が終わったスペースは、その後の月は空白である。
「6月に作物ABCDの種を、別々のスペースに撒いたとしましょう。じゃぁその後、畑がどうなっていくか、見てみましょうか。」と、8月、9月、10月、11月、12月、1月とシートをめくっていくと・・・
「あぁ!!1月になると、畑の4分の1しか使ってない!」
「っていうか、8月に作物Aが採れたら、その後、そのスペースで別の野菜が作れるかも?」
「へぇぇぇぇ」
一様に驚きの声を上げる村の人たち。

今まで、畑をどのように使うか、ということを考えてこなかった村人たち。というよりも、考える場面がなかったし、どのように考えたらいいのか、誰も教えてくれなかった。
この農業改善の研修を始めてから、B村の青年チランジービーは、毎回必ず参加している。
それ以外の研修には、「他の奴らが学んでくれたらいい。その代り、オレは土を耕している」と、朝から晩まで田んぼや畑に出掛け、研修に参加した人たちの指示通りに石垣や植林作業に参加してきた。
だけど、この農業に関しては目の色が違う。
「オレが家族を食わしてるんだ。もっと良い野菜やコメを作るために、研修に出てくるんだ」
彼の熱意に応えるためにも、筆者たちも、専門家や農業局から絶えず学習する日々である。


5.  アタシたちも、負けてられない!

そして、目の色を変えた村人が、ここにも4人。
読者の中で、最近の通信でP村について話が無いなぁと、気づいておられる方がいるだろうか?
もし気づいておられたら、相当なよもやま通信マニアである。
たぶん、筆者一人だけだろう。
さて、P村から連絡が途絶えて5か月ほど経ったある日、「近くに来たから」とP村の指導員候補を訪ねて行った。
偶然か必然か、B村の指導員アナンドの研修風景のビデオデータを持っていたので、「見てみますか?」とノートパソコンをその場で広げた。
「これは、何回目の研修ですか?」と尋ねるオバチャン指導員パドマ。
「2回目ですよ」と何気なしに答えるラマラジュさん。

しばらく食い入るようにアナンドの研修風景ビデオを見つめていたパドマたちに、ラマラジュさんが尋ねる。
「で、あなた方はどうしますか?」
「・・・後で連絡します」


それから3日も経たない内に、P村のパドマから連絡があった。
「指導員研修を受けたいです。私たちも他の村で研修したいです」
「それは良いけど、どの村で研修するのですか?あなたたちは、どの村に声掛けしたのですか?」
「・・・これから声掛けします」

それから1週間後、「事業に参加したいって言う村を見つけました!」と、意気揚々と連絡してきた青年指導員チャンドラヤ。
きっと、研修一回で謝金がナンボという計算もあっただろうが、アナンドの勇姿が引き金になったのは間違いない。
さて、遅れて波に乗ってきた、いやこれから乗ろうとしているP村。

これでまた、B・G・T・Pの4つの村が揃ったわけだが、果たして次回ではどうなっているのか。
筆者も戦々恐々、もとい興味津々である。


注意書き

ラマラジュさん=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部からおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。

筆者=キョーコ=前川香子。この通信の筆者で、プロジェクト・マネージャーを務める。

垣間見える出来事=JICAインド事務所エジマ所長とクギタさんの村訪問については、ソムニード(現ムラのミライ)のフェイスブックページにも写真付きで紹介しています。

ショーコ=池崎翔子。3月末で、インド駐在からネパール駐在へと異動になりました。これからは、ショーコ発のネパール情報をご期待ください。


2013年2月14日木曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第6号「指導員による研修開始・・・なるか!?」

 

目次

1.  研修って何?
2.  教えるのではなく、考えさせる
3.  いつになったら始まるの?
4.  これがオラたちのスタイル
5.  村の人からのリクエスト
6.  準備は万端!?


インドは暑い国でカレー三昧、というイメージがとても強いが、インドにも寒い季節はある。
カレー以外の食べ物も探せばある。
寒さについて言えば、今年は南インドでも例年より早く11月頃から気温が下がっていった。
12月から1月にかけては気温も湿度も落ち着く、1年で最高の季節。村では朝晩の気温が15度くらいになり、深い霧に包まれる。
毛糸の帽子や耳当てを着けて、カーディガンを羽織ったりして寒さを凌ぐのだが、裸足なのは変わらない。
インドの1年の内、唯一汗をかかないこの時期に、村の人たちは稲刈りをし、その作業の前後に指導員としての研修を受けていた。
今回は、その指導員たちにまつわるお話。

 

1.  研修って何?

前回(第5号)で、「流域管理を一緒にしていく仲間を増やそう」と、獅子奮闘した指導員たち。
近隣の村々に声をかけて、自分たちの活動成果の発表会を行い、「オラたちもそういう活動をしたい」と、新規参入する村人たちに見事言わしめた。
そこで、指導員がそうした村の人たちに研修をしていくためには、まずは指導員自身がソムニード(現ムラのミライ)から研修を受ける。
ソムニードの定番研修、指導員研修だ。


まだ稲穂に実が付き始める10月から、指導員研修は始まった。
「みなさんとは2007年から一緒に活動していますが、2007年から今まで、何を学びましたか?」
と、にこやかにラマラジュさんが尋ねると、指導員たちはそれぞれ記憶に残っていることを口に出していく。
「え~っと、流域が3つのゾーンに分けられることとか、石垣の作り方とか‥」
「ボクは巻尺を使った距離の測り方が好きだ」
「アクション・プランの作り方も学んだ」
「では、その中で一つを選び、それについて説明してもらえますか?」

じゃぁオレが、と、一人の青年指導員が、どうやって流域を3つのゾーンに分けて考えるのかを説明する。
「どうやって、その知識を得ましたか?」
「え~っと、研修を受けたから」
「研修って、なんですか?」
「新しいことを習ったり、どうやって石垣を作るのかとか、スキルを得るところ・・・で良いかな?」
不安そうに答えるニイチャンに、周りの指導員たちが「そうだそうだ」と同調する。
「そうですね、研修では知らなかったことや新しい技術を学びますね。だけど、その学び方にも色々あります」
そしてラマラジュさんが黒板に次の文章を書いた。

【1. 聞いても忘れる】
【2. 見たら覚えている】
【3. やってみて解る】

読者のみなさんにも、この文章に見覚えのある方も多々おられることだろう。

そして【4.○○すると、使うようになる】という最後のセンテンスがあるのだが、これに関しては読者の方々にも考えていただきたい。
そして、ラマラジュさんが続けて指導員たちに尋ねる。
「この3つで、研修をする時に必要なのはどれだろう?」
「ぼくは、聞いても少しは覚えてるよ」とほほ笑む青年、モハーン。
「だから、聞くのとやってみるのが一番だと思う」
「オレは、見るのとやってみるの二つ」
「いや、3つ全部じゃない?」
ワイワイと言い合う指導員たち。
「ダンダシさん、たしか息子さんが町から帰ってきましたよね?」
と、指導員の中でも最年長の50代半ばの男性に尋ねる筆者
「いるよ。農業を仕込んでるんだけど、ヤツには真剣さが足りない」
「例えば稲作は、どうやって教えていますか?」
「ワシと一緒に田んぼに入って、牛の使い方とか肥料の撒き方を見せたりやらせたりしたさ。それに、どんな害虫がでてくるか、その時にどうすればいいか、話してきかせることもある」
「なるほどー。みっちり仕込んでますね。じゃぁみなさん、研修に必要なのは、ラマラジュさんが黒板に書いたものでどれでしょう?」
「やっぱり3つともだよ、キョーコさん」
「そう。モハーンが言うとおり、聞いても全てを忘れるわけではないし、ダンダシのように話して聞かせることも必要ですね」
と、後を引き継ぐラマラジュさん。

「だから、この3つのことを意識しながら、みなさんはこれから研修をしていってください。じゃぁ練習してみましょう。皆さんがこれまでに学んだことの中から一つ選んで、10分間『研修』してみてください。」



2.  教えるのではなく、考えさせる

ということで、G・T・B・P村からのそれぞれの指導員たちは、村ごとにチームに分かれてトピックを選び、模擬研修をしてみることに。
たとえばG村が講師役で、他の指導員たちは、『流域管理のことなんて全く分からない研修初参加の村の人たち』という設定だ。
さすが2007年からソムニードの研修を受けて来ているだけあって、最初に自己紹介をしたり何時まで参加が可能か研修時間を訊いたり、という基本は押さえている。
そして一方的な講義口調ではなく、質問形式で相手とやり取りをするのも忘れない。
「どの指導員が、一番うまくやっていると思われますか?」
と聞いてくるショーコには、研修を受けている人たちの顔を見てごらんとアドバイスする。
一番堂々としゃべっているように見える指導員でも、『初参加の村人役』の人たちはつまらなさそうにしている。
実は、質問内容が固すぎたり説明が難し過ぎたりするのだ。
試行錯誤する指導員たちの中でもキラリと光るのが、B村の青年アナンドだ。
とても単調に穏やかに話す青年である。
「この前、いつお会いしましたっけ?」
と、まずは前回の復習から入るアナンド。
これもソムニード・スタイルの研修の基本。
「先週、あなたたちの村で発表会があった時に、聞きに行きました」
「そうでしたね。その中で、記憶に残っているものはありますか?」
「初めて、石垣の役割を知ったよ」
「植林をたくさんしてたよね」
と、『初参加の村人役』の指導員たちが答える。
そして次々と簡単な質問を投げかけ、自分の村の山の状態について思い起こさせる。


「だからやっぱり、ぼく達も石垣を作りたい」と『初参加の村人役』。
「じゃぁ自分たちで作ればいいじゃないですか」と、アナンド。
この切り返しに、『初参加の村人役』たちもビックリ。
「ハイ、では一緒に作りましょう」
とはすぐに言わず、例えば本当に石垣が必要なのか、何が自分たちでできるのか、次にどのような研修が必要なのか、わずか10~15分の間で相手に考えさせるように促している姿は、もう第2のラマラジュを見ているようだ。
『初参加の村人役』の指導員たちがいつの間にやら真剣に考えているが、
「ちょっとちょっと、そんなことを考えるのは初めてじゃないでしょ?」
と内心ツッコミを入れる筆者たち。
こうして、どんな質問が答えやすいのか、どんな教材があったら分かり易いのか等々、指導員として意識すべきことを段階を経て身につけていった。

そして、新規参入の村人たちに研修をするぞー、と鼻息荒く、本題の流域管理コンセプトに入ろうとした途端、
「稲刈り前のお祈りが…」「稲刈りが始まって…」「お腹を壊して…」
と、指導員研修が次々と後倒しになっていった。

 

3.  いつになったら始まるの?

事業地周辺の田んぼは黄金色に輝き、早いところでは11月半ばから刈り取り作業を始めている。
新規参入の村人にばったり会った時、そっと聞いてくる村のオジサン。
「あのう・・いつになったらワシらは研修を受けられるんじゃろうか?」


新規参入の村人たち
同じような質問を、やはり同じような時期からチラホラと耳にし始めていた。
「どうしますか、キョーコさん。これは一度、指導員たちをせっついて、早く指導員研修を再開しないと村の人たちが研修を受けられないと言った方が良いかもしれませんよ」
と、ラマラジュさん。
「う~ん、私たちがそういうことを言っても、指導員たちは痛くもかゆくもないでしょうね。ここは、私たちじゃなく、新規参入の村人たちに、
『早く指導員研修を再開して、ぼく達に研修をしてよ』
と強く言ってもらいましょう。その為に、一度、稲刈り作業が落ち着いたら、指導員たちと新規参入の村人たち、全員にまた集まってもらいましょうか」

そうして色々仕掛けをして、1月下旬に合同ミーティングを開くことになるのだが、その前にとある訪問者を迎えた。


4. これがオラたちのスタイル

1月半ば、待ちわびた訪問者が村まで訪ねて来てくれた。
この事業を一緒にしている、JICA(国際協力機構)中部国際センターからカトウさんと、インド事務所からクギタさん。
今、一番脂ののっているB村を訪問した時には、B村近隣の新規参入組の4か村からも、4~5人ずつやって来た。
大きな木の下にビニールシートや茣蓙を敷いて、カトウさんやクギタさん、筆者たちを入れて総勢40名近くが、その上に直に胡坐をかいて座る。
どの村からも、20代30代の若者たちが多数を占めており、全体的に活気がある。
そしてそれぞれの村について、紹介してもらうことになった。
「えぇ~、何について話せばいいの?」
と戸惑うニイチャン、オッチャンたち。



そこへ、おもむろに立ち上がってシートの隅から真中へズイズイと移動してきたのが、B村の指導員たち4名だ。
当たり前のように、今までカトウさんやクギタさんが座っていた真ん中の場所に移動してきて、あれよあれよとカトウさんとクギタさんは隅に追いやられる。
そして、彼らの生活言語であるサワラ語で、何をどのように発表すればいいのか、モハーンやアナンドたちが指導し始めた。
「スゴイですね。ソムニードではなく、彼らが自然に前に来て、新しい村の人たちを指導しているなんて」
と、カトウさんもビックリ。
そして、それぞれの指導員たちが各村の発表準備の手伝いをして、いざ発表。
「ぼく達の村は25世帯で、あまりお米が採れません。果樹もそんなにないし、野菜もあまり育たないです」
「ぼく達の村は、家畜もいて井戸もあります。だけど、夏にはほとんど水がありません。川も夏は水が枯れます。山には木がありません」
「あのね、無い無いばっかり言ってないで、何があるのかを言ってごらんよ」と、モハーン。
そして次の村の発表では、誰一人として文字が読めないため、指導員が手伝って書いた紹介事項のリストが読めない。
最初は指導員が代わりに読み上げようとしたが、結局は指導員が小声で伝え、それを村のニイチャンが大きな声で発表することになった。


「ぼくたちの村は、カシューナッツの木だらけです。お父ちゃんたちが若い時に植えたから、もう20年近く経って実もならなくなったし、木の下はカシューナッツの枯れた葉が邪魔をして、他の植物が育ちません。このままだと、移住するか、全部の木を切り倒すしかないと思っています・・・」
内容は悲壮的なのに、発表しているニイチャンは、対照的にとても朗らかに言うのでジョークにさえ聞こえてくる。
このエリア周辺の共通の課題として、筆者たちも認識はしているのだが。

そして次に、
「それらの今『困っている事』に関して、何をしなければならないと考えているのか、教えてくれますか?」
とソムニードから水を向ける。
さらに指導員が入って、各村ごとに話し合い、発表する。
どの村も、やはり今までに何かをしてきた訳でもなく、今特別に何かを考えているわけではない。
そして件のカシューナッツだらけの村の発表では・・・
「カシューナッツだらけなんですが、もうどうしていいかわかりません。教えてください」
やっぱり、とても素敵な笑顔で発表する。
クギタさんがさらに突っこんで聞くと、5~6年前から実らなくなり、毎年、切ろうか移住しようか、いやまだ待とうと悩んできた、とのこと。
「指導員による研修で、これから彼らがどんなアクションを取るのか、今後が楽しみですね」
とクギタさん。

最後にはB村からモハーンが、この事業を始める前の状況から事業中の活動について、自分たちが何を学んでどう変わったのか、意気揚々と語った。
「最初は自分一人だけで研修に参加していたとか、直に経験談を聞けるのは楽しいですね。それに、やっぱりB村とこれから活動を始める他の村々と、話し方が違いますね」
と、カトウさん。
次回来ていただく時には、カシューナッツだらけの村はどうなっているのか、そして指導員たちがどこまで成長しているのか、色々と楽しみを見つけつつ、カトウさんとクギタさんもB村を後にした。


5. 村の人からのリクエスト

そしてやって来た指導員たちと新規参入の村々との合同ミーティングの日。
稲刈りは終わったけど、次にはホウキ草の刈り取り作業が待っている1月下旬。
B・G・T村からの指導員11名中8名と、新規参入8か村から合計32名が集まった。
「みなさんこんにちは。私はソムニードの職員で、キョーコと言います。私のテルグ語は分かりますか?」
と、尋ねる筆者。(テルグ語は、この州の公用言語)
2007年から一緒に活動しているB・G・T村の人たちは、私のテルグ語のクセにも慣れているため、言わんとしていることは分かってくれている。
しかし、新規参入の村の人たちは、生活言語がサワラ語だったりオーリヤ語だったりと、テルグ語に慣れていない人たちもあるため、余計に私のテルグ語は分かりにくかったりするのだ。


すると、私の横にドカッと座ってきたのがモハーンだ。
「大丈夫です、キョーコさん。ボクが、サワラ語にも通訳しますから」
と、今までになく積極的に研修に関わってくれる。
しかも、指導する側として。
32名の内、黄門さまによる研修(通信第5号を参照)に参加したのは10名にも満たなかったため、もう一度似たような頭の体操をすることにした。
新規参入村にはエリアごとにチームに分かれ、指導員から学びたいことを制限なしでリストアップしてもらい、そして指導員は一チームとなって、指導すべき項目を指導順にリストアップする。
指導員もこのリストアップ作業はすでにしているのだが、2か月以上経っているため、やはり覚えていないが、さすがに記録は取っていた。

どのチームもうんうん唸ってリストを仕上げて、お互いに発表する。
「植林がしたい」「野菜の収穫量を増やしたい」「石垣を作りたい」「水が足りない」
といった単なる欲しいものリストから、
「山頂から土が流れていく原因を知りたい」「そしてその土の流出を止める方法を教えてほしい」
と少し具体的になったものまで、さまざまだ。

そして指導員たちによって、研修項目のリスト案が読み上げられる。
「(1)流域とは何ぞや、(2)村にある資源の調査、(3)植物資源の記録づくり・・・」
と全部で11項目。
しかも、すべての項目について、1回の研修でできるわけではない。
「みなさんが研修してほしい、と思っていることは、今のリストの中にありましたか?」
「いつくかはありましたよ、キョーコさん。だけど、ワシらが一番したい石垣作りは、どこにあるんじゃろ?」
と、新規参入組の中の最高齢のリーダーが不安げに聞いてくる。
「どこですか、スレシュさん?」
と、この村を担当するG村の指導員に質問を投げる。
「はい、石垣とか何かを作るのは、この7番目の『アクション・プラン作り』についての研修をした後ですね」
「えっ!?最初から作れないの?」
「ちなみに、8つの村の皆さんが、石垣とか植林とか何かを作ったりするために、220万ルピーの予算がすでに確保されています」
と、告げる筆者。
「220万ルピー・・・!!」
一気に目が輝くオッチャン達。
もしこれが映画なら、オッチャンたちの目には、ガンジーの顔が映し出されていることだろう。
(インドの紙幣はガンジーの肖像画が使われている)
同じような光景を、数年前にも味わったなぁとデジャブを感じるラマラジュさんと筆者。
そして面白そうに眺めているショーコ。
「じゃぁ、4月からそのお金で石垣が作れるのかの?」
と、筆者たちを通り越して、指導員たちに聞くオッチャン。
「え~と、その~、先ほども言ったように、それまでに色々と研修があるので、4月からはムリかと・・・」
「じゃぁ、いつになったら研修を初めてくれるの?」
と別の村のニイチャン達も聞いてくる。
お互いに顔を見合わせる指導員たち。

 

6. 準備は万端!?

「それでは、指導員たちにしろ研修を受ける皆さんにしろ、いつ研修を実施できるのか、あるいは受けられるのか、お互いに可能な時期を調整しましょう」
とラマラジュさんが提案する。
そして、各村ごとに、今年の2月から12月まで、1か月の内どれだけ研修に時間が割けそうか、あるいは全く無理なのか、農作業も考慮しながら「年間スケジュール表」を共有した。
やはり田植えの季節である8月は、指導員も村の人たちも研修可能日数はゼロである。
指導員チームも、G村やT村は8月以外にも研修可能日数がゼロの月が何回かあるが、B村はそういう時でも動けそうだ。
もちろん、その時の天候や雨量次第でこのスケジュールも変わってくるが、例えばG村やT村の指導員の代わりに、B村からそのエリアに指導員が赴いて研修をしよう、ということも、この場で共有できた。

そして、今までのらりくらりとはぐらかしてきた指導員たちも、今回きっちりと、村の人たちと第1回目の研修日時と場所を決めた。
「ということで、指導員研修もお願いします」
と、筆者たちともみっちりスケジュール調整をした指導員たち。
さて、無事にその日に研修が始められるのか。
指導員たちはどのような研修を展開してくれるのか、次のご報告を乞うご期待。


注意書き

ラマラジュさん=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部からおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。

【4.○○すると、使うようになる】
この答えは、中田豊一・和田信明 共著「途上国の人々との話し方~国際協力メタファシリテーションの手法」の中に。

筆者=キョーコ=前川香子。この通信の筆者で、プロジェクト・マネージャーを務める。

ショーコ=池崎翔子。体験することすべてが新鮮なその眼を通して書いたエッセイ、「インドつれづれ」もどうぞご覧ください。