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2026年3月3日火曜日

「水破産」の時代に生きるということ (1)


第 7 回「SDGs 岩佐賞」を農林水産・食の部でムラのミライが頂きましたので、受賞の直接の理由となった水と土の保全で、ムラのミライがどのような取り組みをしてきたのかを、お話ししようと思います。

ところで、この一文のタイトルが、ずいぶんとセンセーショナルなのが、気が引けますが、これは私の造語ではありません。

「水破産」、英語では「Water Bankruptcy」。

この言葉は、国連大学の「水、環境、健康研究所」が今年2026年に出した報告書のタイトルに使われています。正しくは、「Global Water Bankruptcy」、地球規模で水が破産状態にあるということですね。副題に「Living Beyond Our Hydrological Means in the Post-Crisis Era」とありますから、「危機の後の水資源の限界を超えた時代に我々は生きている」と言うことでしょうか。
危機などという時期はもう過ぎている、すでに水資源は破産状態だと言うのですから、穏やかではありません。でも、「相当やばい状態だぞ」というのは、この20年ほど私たちムラのミライのメンバーが現場で感じ続けていたことです。そして、この20年ほど、ムラのミライはこの「やばい」状態をなんとかする闘いを、微力ながら続けてきたと言えます。



私たちが、何を見、何をしてきたかを述べる前に、この国連大学の報告書で言う「水の破産」状態とは何を指すのか、巻頭の要約の部分の記載を見てみましょう。この要約では、水の破産状態を12の見出しで紹介しています。

1.        地球は世界的な水破産時代に入った。

2.        数十億人が水不足に苦しんでいる。

3.        地表の水は広範囲にわたり減少している

4.        湿地帯は大陸規模で消滅させられてきた。

5.        地下水の枯渇と地盤沈下は後戻りができないほど広範囲にわたっている。

6.        氷圏の減少は、重要な「水の貯蔵庫」の消滅につながる。

7.        主要な農業地帯で水資源が枯渇しつつある。

8.        土地と土壌の劣化が水につながるリスクを増幅させている。

9.        干ばつの人為的要因が増大し、それに伴う損失が非常に高くついている。

10.     水質の悪化により、利用可能な水資源が縮小している。

11.     惑星規模の淡水境界が越えられた。

12.     既存の水資源管理と課題の設定はもはや目的に適わなくなった。[1]

 

会社で言うと、経営危機という状況ではなく、すでに破産してしまっていると、最大限の表現で水資源の状態を表現していますね。もう本当に後がないのだよ、と。

いわゆる先進国の都会に住んでいると、水資源の危機(もう危機と呼べる時期は終わっているのでしたね)と言われてもピンときません。だって水道の蛇口を捻ると水がジャブジャブ出てくるのですから。それに夏になると、近年決まって大雨、洪水の災害のニュースが飛び込んできます。これって、水が必要以上にある、余っているのでは、などと思わせるような印象を与えますよね。しかし、実は毎年の洪水と水の破産状態は、同じコインの裏と表、同じ原因に基づいています。このことは、おいおい説明していきます。


ところで、上記の「破産状態」の項目のうち、私たちムラのミライに直接関わっているのは、7番目と8番目の項目です。何せ、ムラのミライは、団体の創設以来主に関わってきたのは農村です。私も、主な国を挙げるだけでも、インド、ラオス、ネパール、インドネシア、イラン、ケニア、セネガルで多くの村をつぶさに観察してきました。これから、そこで何を見てきたのかをお話しするのですが、その前に、上記2項目、

7. 主要な農業地帯で水資源が枯渇しつつある。

8. 土地と土壌の劣化が水につながるリスクを増幅させている。

のそれぞれが、どのように要約されているのか、ざっと全体の状況を理解するために、少し長くなりますが、引用しておきます。

まず、農業地帯での水資源の枯渇については、こうあります:

世界の淡水取水量の約70%が農業に使用されている。約30億人と世界の食糧生産量の半分以上が、地表水・土壌水分・積雪・氷河・地下水を含む総貯水量が既に減少中または不安定な地域に集中している。1億7000万ヘクタール以上の灌漑農地(フランス・スペイン・ドイツ・イタリアの国土面積を合わせた規模に相当)が、高いまたは非常に高い水ストレス下にある。[2]

 

また、土地と土壌の劣化については、以下のようです: 

世界の農地の半数以上が現在、中程度から深刻な劣化状態にあり、土壌の保水力を低下させ、乾燥地帯を砂漠化へと追い込んでいる。塩害だけでも、約8200万ヘクタールの天水耕作地と2400万ヘクタールの灌漑耕作地——合わせて1億ヘクタール以上の農地——を劣化させ、世界の主要な穀倉地帯の一部で収穫量を減少させている。[3] 

ここで注意しておかなければならないのは、上記の現象は全て人為的行為によってもたらされたということです。そのことは、このレポートの本文にもはっきりと書かれています。以下がその引用です。 

世界の主要な帯水層の約70%が長期的な減少傾向を示しており、その多くは帯水層の圧縮や貯留能力の喪失により、人間の時間尺度では事実上不可逆的な状態にある。並行して、農業由来の塩分・硝酸塩・農薬汚染、産業・鉱業汚染、深層揚水により溶出する天然ヒ素・フッ化物により地下水質は劣化しており、一部の帯水層では物理的には存在するものの、経済的・生態学的に利用不能な状態となっている。[4] 

さらに、こう続けられています。 

世界の農地の50%以上がすでに中程度から深刻な劣化状態にあり、土壌の保水力を損ない、乾燥地帯の砂漠化進行を加速させている。塩害だけで約8200万ヘクタールの天水耕作地と2400万ヘクタールの灌漑耕作地が劣化している (合計面積はフランスとスペインの国土を合わせた面積を上回る)。これにより土壌肥沃度が損なわれ、地下水や地表水が塩類で汚染され、世界の主要穀倉地帯の一部で収穫量が減少。地域・国家・地球規模で食料安全保障、健康、生計が直接脅かされている。[5]



なぜこんなことが起きるのか、結論から言ってしまえば、水の使い過ぎです。あるいは、水を使いすぎることを前提とした農業を、この数十年続けてきたことの結果としてこのような危機的状況、いや破産状態でしたね、になっています。でも日本は大丈夫だ、などと思っていたら、それは戯言です。日本の食料自給率がカロリーベースで38%だということは、よく知られていますね。

つまり、私たちは、自分たちが食べるものの6割以上を輸入に頼っているわけです。国産の肉も、その飼料はほとんど輸入に頼っているわけですから、輸出元で水資源が枯渇すれば輸入している食料が途絶える可能性だってあるわけで、畜産業はそのものが成り立たなくなることもありうるわけです。 

さて、前振りが長くなりましたが、これからが本題です。昨年の3月まで、土と水の保全のプロジェクトをしていたセネガルの話からしましょう。

 

続く


出典
[1] “GLOBALWATER BANKRUPTCY -Living Beyond Our Hydrological Means in the Post-Crisis Era-“United Nations University Institute for Water, Environment, and Health Richmond Hill, Canada, 2026  p10

[2] ibid. p11

[3] ibid. p11

[4] ibid. p28

[5] ibid. p28 


和田信明(ムラのミライ シニアコンサルタント)

2025年10月10日金曜日

セネガル事業報告会レポート3:「普及活動」や「持続性」の秘訣は何ですか?

セネガル報告会レポート後編です。

菊地さんと和田さんによる対話形式の報告のあと、参加者からもたくさん質問が上がりました。その一部をご紹介します。

 

Q:元々、事業地の小規模農家たちは「農業で生計が立てられなくなって都市や欧州に出稼ぎに行く」という問題を抱えてたとのことでしたが、ため池などで土壌の保水能力が向上し、(水やりなど)水のマネジメントがうまくいった場合、出稼ぎに行かなくても済む営農パターンというのはありますか?

和田:それはわかりません。ただ、教えたのは『何事にもコストがかかる』ということです。種や肥料を買うことだけがコストではない、労働時間や売る時の経費を含めて、すべての工程でどれだけのコストをかかるのか、ということが明らかになるようにしました。そこから、各自が判断すれば良いと思っています。(つまり、それぞれが自分で考えて「こういう農業をする」と決めて、実行する、それを続けていくということ)


Q:「指導員養成」や「指導員による循環型農業の普及」という活動について、指導員はどのように農法を普及していったのですか?ムラのミライから動機付けはどのように行ったのですか?

和田:普及方法は、自分の畑の周りのひとたちに伝える、ということです。まず、農民は遠くまで行けません。また、指導員の畑の周囲の農民たちが、「なにやってるんだ」と思い、(指導員に)聞く。そこで、指導員は系統的に教えるのではなく、それに応える・教える、という感じ。興味を持った人が聞いてきた時に、その場で教える、ということです。
また、ムラのミライは動機付けはしません。そうなるだろう、という予想がつくのです。ンディアンダ村の指導員の一人が、「土壌の塩化を防止するのが自分だけではだめだ」と気づいたように、それ(知識や発見)が動機づけになるのです。(場所を)限定的にするのではなく広範囲でしないとだめだ、ということに村人自身が気付くようになること。それが重要だと考えています。



他にも、最後の1年間にンディアンダ村で整備されたため池の使い方や効果、既存の灌漑設備の有無や研修に来ていた農民たちの選出方法など、終了時間ギリギリまで、参加者の質問は続きました。

 

まだまだあるエピソード

たくさんの方々に参加していただき、質問もいただき、本当にありがとうございました。

「大変勉強になりました。農民の皆さんの意識が少しずつ変化していく様子を思い描くことができ、大変興味深く拝聴いたしました」
「沢山の実践ベースのお話を聞くことができ、大変勉強になりました!」
などの感想もいただきました。

まだまだエピソードはあります。

続きは、11月1日(土)のイベント「セネガルのお話&ランチ交流会in 京都(西アフリカ料理)」でみなさんと共有できればいいなと思います。
ぜひご参加ください!
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2025年9月26日金曜日

セネガル事業報告会レポート2:村での研修のやり方を再現

セネガル報告会レポート中編です!


ムラのミライの事業では、スタッフが一方的に村人(相手)に何かを教えるのではなく、対話をベースに活動をすすめます。なので、報告会でも、菊地さんと和田さんの対話がベースとなりました。
和田さんと菊地さんのほのぼのとしたやりとりに笑ったり、なるほど〜と思ったりしながら、あっという間で内容が盛りだくさんの時間となりました。その中でもとっておきの場面をお伝えします。

セネガルでムラのミライがやったこと・やらなかったこと

さて、セネガル事業は2017年から2025年まで続きましたが、2017年に開始した直後に、私、前川も初めてセネガルを訪れました。それまでは、山に囲まれたインドの村で活動していたので、セネガルの果てしなく続く地平線と視界を遮るものがほとんどない赤茶けた広い大地に驚き、絵本「星の王子さま」に出てくるバオバブの木を初めて見て感動していました。


私は10年近くインドやネパールで和田さんの研修を間近で見てきたので、セネガルでも変わらず「メタファシリーテーションの鉄則だなぁ」と思って和田さんや中田さんと農民の皆さんとのやり取りをみていたのですが、綾乃さんは当初、その研修スタイルに驚いたそうです。

菊地さんは事業が始まって数か月後の2017年5月にムラのミライに入職と同時にセネガルで駐在を始めました。報告会では、初めてセネガルで和田さんの研修に参加したときの様子をこう話していました。

菊地:私、最初に和田さんの研修に出た時、とってもびっくりしたんですね。私の知っている研修って、必ず講師が最初に「今日は○○の研修です」と言って始まったり、どこかに「○○の研修」と書いてあったりしてました。でも和田さんの研修では、そういうことが何もなかったんです!農業の事業と聞いていたので、研修も種とか農法の話から入ると思っていましたが、和田さんの村人への最初の質問は「最近、洪水はいつありましたか?」とか「朝、太陽が昇ったら何が起こりますか?」なんです。「えっ、今から何が始まるの?」「今日は何の研修なの?」と私も村人も一緒にびっくりしてました。和田さんは、毎回、研修のテーマを決めていましたか?事業の全体的なテーマも決まっていたのですか?
和田:菊地さんや村人たち、確かに驚いてましたね。研修全体のテーマ、事業期間を通してどのようなことを(村人に)わかってもらおうか、というのはあらかじめ決めていますよ。でもね、毎回の研修のやり方は、その日の村人たちの顔を見てその場で決めるのです。
菊地:だから「畑への水やり」という同じテーマでも、訪れる村ごとに研修のやり方が違ったのですね!

和田:なんで僕が村人に「太陽が昇ったら何が起こる?」というような質問をするか菊地さんはわかりますか?
菊地:うーん、村人たちの興味をひくためですか?
和田:それもあるけど、僕が村人との対話をベースに研修をする理由はね、村人たちが『何を知っていて何を知らないか』を分かってもらうためなんです。それが研修。『農作物への水やりはどのタイミングでやるのか、それは朝です』と言ったって村人は腑に落ちないし、頭にも残らない。「太陽が昇ったら何が起こるか」という現象を、自分の体験を、時系列で追体験してもらう。そのために村人に質問をしていくのです。


そこで、菊地さんが「私も追体験してみたいです」と和田さんにまさかのリクエスト。苦笑いしながら、和田さんが菊地さんに聞いていきます。

和田:日が昇るころに起きたことある?その時、あなたの身体に何が起こりましたか?
菊地:体、特に顔が暖かくなりました。
和田:そうだね、ぽかぽか暖かくなるね。その時、地面で何が起きているか知っていますか?
菊地:う~ん、・・・知りません
和田:その体験は、どこでしたの?
菊地:初詣です。
和田:なるほど、そこでは地面のことは体験し辛いかもしれませんね。だけど、セネガルでは相手は農民です。周りに土があります。朝日が昇ってくると、朝露がでてくる、地面が温かくなる、ということを思い出せるのです。
菊地:なるほど。私と同じように「体が温かくなる」という体験は一緒ですが、それ以上に「同時に地面で起きている現象」を具体的に答えられるのですね。

実際に「その場で体験しながら現象を理解する」という研修のワンシーンを、菊地さんは動画でも見せてくれました。
動画では、和田さんがコップの中にティッシュで作った「こより」の先を浸しながら、村人たちと会話をしています。それは、見えない土の中の「毛細管現象」を説明している場面でした。村人たちは、ティッシュがコップの中の水を吸い上げ湿っていく様子を見たり触ったりします。


メタファシリテーションを1対複数人でする時のポイント

和田:例えば「熱伝導」という科学用語をいきなり伝えるのではなく、「やかんでお湯を沸かすと、中の水がどうやって温まっていくか」という例をとったりするのも同じです。こうした現象を利用して、植物は水や養分を吸い上げる、という説明をするのです。
菊地:だから、村の人たちも最後は大きく頷いているのですね。
和田:そうです。最初の質問ではポカーンとしていた村の人たちも、質問に答えていく形で、自分たちの経験を知識と結びつける、ということができるのです。

菊地:全員が理解していたのでしょうか?
和田:優秀な人たちはいます。研修で10人に1人が喰いつけばいいし、20人に1人が実践し、その人から広まれば良いのです。事業開始当初、優秀だなと感じ入った人は3~4人。その中でも特に優秀なひとりは「わたしは何も知らなかったことを知りました」と嬉しそうに言っていました。最初から、全員が理解する必要はありません。
菊地:そうでしたね、何人かは研修後にすぐに実践しましたね。
和田:農業プロジェクトと言っても、ピーマンのつくり方を教えることはしませんよ。私自身も作ったことは無いですしね。ただ、ピーマンの栽培過程のどの時点で、水を集中的にやるか、というようなことは教えることができます。

つまり、和田さんが一貫して村人たちに教えてきたのは、彼ら自身が考えて実践するための知識や方法です。それを受けて、菊地さんがあるエピソードを思い出しました。

菊地:畑の面積を測って、必要な種の数や作業人数、日数などを算出するというような研修をした時、それまで面積を出したことはない人たちがほとんどでした。その計算中、トマトが一番効率よいということがわかって実践した農家もいました。こちら側が言わなくても、自分で発見して実践する、ということですね。

このように、写真や動画も見ながら、二人による和やかな対話の時間が終わりました。
後編は、参加者からの質問と和田からの回答を一部ご紹介します。

 ★2025年11月1日(土) には、イベント「セネガルのお話&ランチ交流会in 京都(西アフリカ料理)」を開催します。ぜひご参加ください! 

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セネガルの小規模農家が抱えていた問題とは?

2025年9月8日月曜日

セネガル事業報告会レポート1:ムラのミライとセネガルとの出会い

こんにちは、ムラのミライの前川香子です。
8月23日(土)にセネガル事業報告会をオンラインで開催しました。その一部を、3回に分けてお伝えしたいと思います。

私の報告会の当日の担当は、司会進行でした。
スピーカーは2人のセネガル事業担当者。
1人は、和田信明さん(ムラのミライ シニアコンサルタント)、そしてもう1人は、菊地綾乃さん(元セネガル駐在員、ムラのミライ認定メタファシリテーション®トレーナー)でした。菊地さんは、ムラのミライ入職前にJICAの海外協力隊としてベナンでの活動経験がありました。(なので、菊地さんは駐在前からフランス語が堪能で、駐在中に現地語のウォロフ語も話せるようになりました)

2時間と長丁場の報告会でしたが、菊地さんが和田さんに質問する形式で和やかに進み、参加者の方(国内外のNPOの方々が多かったです)からの活発な質問も飛び交うとても楽しい時間でした。
では、報告会レポート前編です。

 

そもそも、なぜセネガルに??

「なんでムラのミライがセネガルで事業をするの?」
セネガル事業をするにあたって現地調査を始めた2012年、私は海外事業チーフとして主にインドやネパールの事業担当だったのですが、あちらこちらで聞かれました。
報告会でも、この部分に触れています。

菊地:ムラのミライって、セネガル事業の前まで20年近く、インドやネパールといった南アジアが活動拠点でしたよね?私もムラのミライ=南アジア、というイメージでした。「セネガルで」というのは、誰が最初に言い出したのですか?
和田:僕と中田(前代表の中田豊一)の2人です。2人とも時期は違うのですが、フランスに留学経験があって、西アフリカならフランス語が使えるかなと思ったのです。そこは、一種のノスタルジーですね。
あと、僕と中田で開発した方法論(メタファシリテーション®)が南アジア以外でも汎用性を持つのか、というのも試してみたかったんです。インドでは、水資源を管理できる範囲で(1つの村)、水と土と森を村人が管理できるようにしていこうという事業をやっていました。村人はいわゆる家族で農業を営む小規模農家(以下、小農)の人たちです。この小農って、全世界の農家人口の85%を占めているんです。アフリカは全人口の51%が農民で、その大多数が小農。だから彼らが水や森を管理できないとなると、地球環境的にも大変なことになります。もうあちこちで猛スピードで大洪水や干ばつで大変なことになっていますよね。だからこそ、小農の彼らが使える資源を適切に活用して、水や土を再生していくよう方法論を確立したいという思いで、セネガルでの事業をスタートしたんですよ。
菊地:そうだったのですね。
和田:西アフリカといっても広いからね。最初からセネガルだった訳ではなく、ブルキナファソやマリも検討しました。でも、治安上の問題や、何よりこの方法論を理解してくれるセネガルの現地NGOに出会えたことで、最終的にセネガルとなったのです。

カウンターパート団体との共通認識のつくり方

和田さんから、セネガル現地NGOの話が出ましたが、それが、セネガル現地NGOアンテルモンドの代表ママドゥさんです。

和田さんや中田さんがママドゥさんに出会ってすぐに、セネガルでの事業がスタートしたわけではありません。まずは2014年、2015年とアンテルモンドのママドゥさんとメラニーさん、それと中田さん、和田さんの4人でセネガルの5州を巡り、ローカルNGOや農民の話を聞き、現地の様子を見ました。2016年には、ママドゥさんとメラニーさんにインドの事業地に来てもらい、村人による小規模流域管理事業を見てもらうことになりました。

ママドゥさんたちはいくつかの村を訪れ、「流域管理委員会」のメンバーである村人たちから、ため池や土壌流出防止のための石垣や植林地について、そして今後の計画についての説明を受けました。(ムラのミライのスタッフは、村では事業の説明をせず、ママドゥさんたちの通訳をしたり、村人の説明に少し補足説明をしたりするくらいです。)

『村にある知識やノウハウと、土壌・水保全の科学的な知識を結び付ける』そして『外から来たNGOが一方的に押し付けるのではなく、農民自身が考えて決める(自己決定)』というムラのミライのアプローチに、ママドゥさんたちは、大変驚きました。

そうして、「同じように土や水の問題を抱えるセネガルで、ムラのミライとぜひ一緒に事業がしたい!」とセネガルでの活動が始まりました。

セネガル事業開始エピソード続き、報告会では、「セネガルでムラのミライは何をしたの、何をしなかったの?」という話に続きます。続きは後編で。


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村人による小規模流域管理事業(インド)とは

2025年7月18日金曜日

18年ぶりの世代交代(3)名前のついていない時代に、橋をかける

 “空白の時代”を生きる私たちができること
経済、コミュニティ、環境のあいだに橋をかける――メタファシリテーションを片手に、“名前のついていないミライ”をつくる仲間を募ります!

分断を越えて橋をかける
こうした「ケアの危機」、「環境の危機」は、もはや未来の話ではなく、「今ここにある危機」です。私たちムラのミライは、そうした危機の最前線で、地域の実践者とともに取り組みを続けてきました。一人一人の力では決して背負いきれないその重みに向き合う仲間として、理事や監事、認定トレーナー、会員やサポーターのみなさんの存在があります。


 写真:セネガル・ンディアンダ村のため池。乾季に入っても水をたたえ、周囲の井戸水も干上がっていない。

“空白の時代”をつなぐ
イタリアの思想家アントニオ・グラムシが、20世紀前半に語った言葉です。
「古いものは死にかけていて、新しいものはまだ生まれていない。」まさにいま、私たちはその「空白の時代」を生きています。ムラのミライが目指すのは、この空白を“つなぐ”こと。あちらこちらで分断されてしまった領域のあいだに橋をかけることです。そして、その橋をかける技術が、メタファシリテーションです。

(出典:アントニオ・グラムシ『グラムシ獄中ノート』(三一書房、1978年/大月書店、1981年)原文:The old world is dying, and the new world struggles to be born.)


無視されてきた声に耳をすます
設立から32年間、ムラのミライが取り組んできたのは、インドやネパールでの水や森の保全、スラムの女性による信用金庫の立ち上げ、西宮での産前産後の家族支援の仕組みづくり、セネガルでの大地の再生、日本各地での子ども支援団体やひとり親家庭の支援団体との協働、そして公共の制度への働きかけなど、いずれも「無視されてきた声」に耳を傾け、そこから人びとが立ち上がっていく支援でした。

そして、これからも、就労困難を抱えた若者支援、子どもの権利を軸とした子ども支援団体・海外ルーツの子ども支援団体への伴走、ひとり親家庭の実態と可能性に関する調査、国内外でのメタファシリテーション研修や認定トレーナー等育成、自然資源の再生への取り組みなど、複数の現場で展開していきます。

橋をかけるという挑戦
昨年、前代表の中田は年次報告の中でこう語りました。「いま求められているのは、“自助”と“公助”のあいだに橋をかける試み」

その橋をどうかけるか——これは、いま私たちが直面する問いです。

ムラのミライは、まだ名前のついていない時代へ、迷いながらも一歩ずつ、仲間とともに歩んでいきます。これからも、名前のついていないミライづくりへのご参加、ご支援をどうぞよろしくお願いいたします。

 写真:京都の会場で参加してくださった新旧役員・会員・サポーターの皆さん

(原康子 ムラのミライ代表理事)

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2025年7月11日金曜日

18年ぶりの世代交代(2)グラスを洗いながら思った誕生日

新しい理事・監事との出会い
総会では、新しく選ばれた理事、監事の挨拶がありました。ベテランのライター、フェアトレードの先駆者、伝統野菜を使った企業の経営者、企業CSR部門で長年NPO支援をしてきた方など。この日は欠席でしたが、メディアで活躍する記者も新しく理事に加わってくれました。彼女たちと一緒に、新しいスタートが切れることが嬉しくてワクワクが止まりませんでした。また再任された河合監事は、「ここは気をつけないと!」と毎年ビシッと背筋を伸ばすのを手伝ってくださる組織基盤強化のプロフェッショナルです。新しい理事・監事たちに向けて「NPO法人の理事って?監事ってどんな役割、ムラのミライでは何をする?」という勉強会も予定しています。とっても心強い皆さんなのです。

話を元に戻すと、会場に集まった新旧の会員やサポーターの新理事、監事の皆さんは、初対面の方が多いとは思えない空気感。なんというか「お久しぶり!」という雰囲気で、オンライン参加の皆さんも含め、なんともいえないほんわかした空気が会場に満ちていました。

 


グラスを洗いながら思ったこと
総会後の理事会も無事終わり、ほっとして会場の後片付けをしている時ことです。流し台で、使ったグラスを洗っているとき「あっ、今日は新しいムラのミライの誕生日だ!」という気持ちになりました。グラスを洗う手を止めた途端、その場にはおられないけれど、何十年も支えてくださった正会員や、サポーターの皆さんの顔が、浮かんできました。そのおかげなのかどうか、グラスをよく割る私も、その日は1つもグラスを割らずに片付けることができました(「誕生日!」と私がぼーっとしている間に、新理事の一人が素早く洗ってくれましたし)。

“見えないもの”と向き合う
少しだけ、認定トレーナーの現場で起きていることの続きを、そして新理事・監事のみなさんの専門分野にも共通するテーマについて触れたいと思います。
私たちは「資本主義」という巨大な構造の中にいます。この仕組みを成り立たせてきたのは、本来は不可欠であるにもかかわらず、ずっと“見えないもの”とされ、正当に評価されてこなかった存在たちです。たとえば、植民地主義の名残として奪われた土地や資源、女性が担うものとされてきた再生産(ケア労働)、一方的に搾取・収奪されてきた生態系、そして国家が支える制度やインフラ。これらは「便利な土台」として当然のように資本主義社会で消費され続け、疲弊しきってしまっています。


写真:セネガルの土壌の塩化が進む大地(白い水玉模様の箇所が塩化している部分)

「今ここにある」危機の現実
その影響は、私たちの活動地でも危機的でした。たとえばセネガルでは、過酷な植民地時代を経てなお、今も土地と水資源の枯渇が猛スピードで進んでいます。そんな中、2024年度にはンディアンダ村から「よみがえる大地」の報告が届きました。動画もありますのでぜひご覧ください。

一方、日本では148カ国中118位というジェンダーギャップのなか、母親ひとりによる子育てが極めて困難な現実があります。そして、10〜19歳の死因の1位が「自殺」であること。2024年度には小中高生の自殺者が529人と過去最多となり、女子が初めて男子を上回ったことなどです。女性や子ども、若者にとって、どれほどこの国が生きづらいか、数字でも突きつけられています。さらに、高齢化の進行により、国民の5人に1人が75歳以上という時代に入り、医療・介護体制の整備は待ったなしの課題となっています。続きは3回目で!


写真:困難を抱える若者の就労応援プログラム(休眠預金等活用事業カウンターパート団体 一般社団法人nimo alcamo開催@京都)

(
原康子 ムラのミライ代表理事)

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2025年7月4日金曜日

18年ぶりの世代交代(1)出演者ほぼ総入れ替えから始まる新シリーズ

「代表就任の日、もうマンゴーラッシーしか喉を通らない!?」

2025年6月、ムラのミライに訪れた18年ぶりの世代交代。プレッシャーに押しつぶされそうになりつつのぞんだ代表就任日の出来事を3回にわけてお伝えします。

代表就任のご挨拶

みなさん、こんにちは。このたび、認定NPO法人ムラのミライの代表理事に就任しました原康子です。2025年6月、18年間にわたって代表を務めてくださった中田豊一に続いて、代表理事のバトンを受け取りました。また10年〜30年の長きにわたって支えてくださった理事・監事の皆さんの多くが任期満了で退任されていきました。これはもう、ドラマなら最終回どころか「出演者ほぼ総入れ替え」の衝撃展開なのですが、ムラのミライはここで終わりません。むしろ、ここからが新シリーズのはじまりなのです。


プレッシャーとラッシーと代表初日

そんなわけで、人生初の代表挨拶を書いているのですが、あまりの緊張で喉を通るのはマンゴーラッシーくらい。大手出版社から本を出されたばかりの中田の後の代表挨拶ですよ。中田さんの前なんて、ムラのミライ創設者の和田信明の挨拶だったのですよ。お二人の代表挨拶や年次報告書の巻頭言は、いつも読みやすくて、簡潔で、知性と教養にあふれていて…。(たまに小難しすぎて読み飛ばしていたのは、私です。すみません。)

そんな二人に続く代表理事が、どれだけ大きなプレッシャーか!?胃をキリキリさせながら、代表理事就任の日となる2025年6月14日の活動報告会・総会・理事会にのぞみました。


 写真:一番暑いときが一番おいしいマンゴー


全国各地のトレーナーたちの実践

当日は22名もの方が(オンライン5名含む)参加してくださいました。朝からの雨にも関わらず、遠方から参加くださった方も多数おられました。彼女/彼らたちは、私の心細さやプレッシャーなどを吹っ飛ばしてくれた面々でした。その日は、活動報告会と総会、理事会と朝から丸一日がかり。まずは午前中の認定メタファシリテーション®トレーナーによる活動報告会でした。その報告会を皮切りに、私の胃の痛みは次第に消えていきました。

青森県、秋田県、福島県、東京都、神奈川県、兵庫県と各地で活躍する8人の認定トレーナーたち。子ども支援、高齢者向けのアートサロン、上司と部下のコミュニケーション、福祉系の大学の授業、農村の獣害対策、日本語教室、まちづくり、中間支援NPO、と多様な現場でメタファシリテーションを駆使している報告がされました。認定トレーナーたちの活躍ぶりに圧倒されたのと同時に、メタファシリテーションが使われている現場の意味を考え、その感動でウルウルしてしまいました。「現場の意味」については、後述します。

次回、新しい理事、監事との出会いに続きます。

写真:6月14日認定トレーナー活動報告会開始前の様子

(原康子 ムラのミライ代表理事)

2024年10月30日水曜日

セネガルで学んだ「自分の認知を知る」ということ 〜ムラのミライのプロジェクト視察〜

 「ムラのミライの海外事業地へ行く和田さんに同行し、ファシリテーションスキルを見てみたい!」
ということを和田さんに伝えると、OKの返事をいただいたので和田さんと原さんの渡航に合わせてセネガル農村部で行っている持続可能な農業プロジェクト地を訪問させてもらいました。


セネガルの農村部では、近代農業の普及と人口増加が自然環境に負担をかけ、農業が続けられない状況が広がっています。若者たちは希望を求めて都市部に移り住み、農村は活力を失いつつあります。
そんな中で、ムラのミライは地域資源を活用し、雨水を効率的に土壌に浸透させる技術を導入することで、作物の生産性を向上させるプロジェクトを推進しています。
このプロジェクトが始まって3年、住民たちはその成果を実感し始めていました。

 

訪問の目的は、プロジェクトを遂行する中でどのようにメタファシリテーションを使っているのかを学ぶことでした。
 

実際に和田さんの質問を聞けたのは、村の関係者による会議に参加したときのことです。
 

プロジェクトが来年初めに終了するため、ため池を管理するための土壌保全委員会の結成について話し合っていました。
村人たちは新しい委員会を作るべきか、他に方法はないかと議論していましたが、和田さんはその間、ずっと耳を傾けているだけでした。

そのうちに、既存の村落自治委員会で管理はできないかという提案がありました。
和田さんはそこでもただ聞いていましたが、最後にこう質問しました。
「その定款を最後に読んだのは誰ですか?」

村人たちは「読んでない」「どこにある?」と話し始め、最終的には「次回のミーティングまでに定款を読んでおきます」という結論に。

和田さんは「ではそうしましょう。次回のミーティングはいつにしましょうか?」と確認して会議は終了しました。
 

「その定款を最後に読んだのは誰ですか?」と和田さんが聞いた時、ただ「事実を確認する質問」に見えますが、実は自分も知らないことを知りたいという姿勢がそこにあると思います。
この質問により、村人たちは「自分たちがやるべきこと」を自然に意識し始め、和田さんが答えを押し付けるのではなく、彼ら自身で気づきを得る場となりました。


会議後、和田さんにこの対話について聞いたところ「質問というのは、自分がわからないことを聞くことだ」とおっしゃっていました。
この言葉はシンプルですが非常に重要です。
 

メタファシリテーションでは、相手に気づきを与えることだけでなく、相手を知ろうとする姿勢が欠かせません。
事実に基づいた質問をすることで信頼関係が築かれ、対話は自然と深まり、相手との関係も強くなっていくのです。
 

もしあなたが誰かに自分のことを聞いてもらう場を想像してみてください。質問してくる相手が本当に自分のことを知ろうとしてくれる、その気持ちが伝わると嬉しいですよね!
相手を知ろうとする気持ちから生まれる質問は、決して上から目線ではなく、対等な対話の中で生まれるものなのです。
 

次回のブログでは、セネガルで学んだもう一つの重要なポイント、「要素を分解すること」について具体的な対話事例を用いてお話しします。
特に、相手の話を聞きながら、どのように重要なポイントを見極めて深掘りするか、そのプロセスについてご紹介します。
お楽しみに!


(松浦史典 ムラのミライ認定トレーナー) 

 


2023年12月28日木曜日

メタファシリテーションのできるまで(20)

この連載は、一応今回で終わりということにします。タイトルで「できるまで」と謳っておきながら、「できてしまった」後のことまで延々と書いているので、看板に偽りありと言われそうですが、メタファシリテーションは、技法、教授法、そしてそれを支える制度までまだ発展途上なので、完成形ではないという意味で「できるまで」なんだとご了解ください。


「メタファシリテーションができるまで」の現在までを3つの時期に分けるなら、私が国際協力の世界で、自分で団体を立ち上げた1993年から2006年辺りまでが、メタファシリテーションの「ネタ」の仕込みの時期と言えます。この間、私の南インドの現場での悪戦苦闘があり、徐々に自分なりの方法論と言いますか、技術を身につけ始め、それに従って資金を調達する以外の現場仕事が楽しくなってきた時期です。この間、中田豊一さんとの第2の出会いがあり、彼が私の現場でのパフォーマンスに感心してくれ、彼と様々な議論をする中で、私自身の学びもパフォーマンスの向上もあり、自分のやり方があながち的外れなことをやっているのではないという自信がついてきた時期でもあります。


第2の時期が、2006年あたりから、中田さんがメタファシリテーション(当時はメタファシリテーションという言葉はありませんでした)の講座をやり始めた、つまり私の現場でのパフォーマンスを言語化し、体系化し、それを教授し始めた頃からの時期です。中田さんの偉いところは、この言語化という作業の過程で、様々な練習方法を自ら編み出し、それを自身で実践し、技術を身につけていったことです。そして、途上国の現場で現地のNGOや日本人の駐在員に、地元住民とのやり取りをやって見せて、技法の有効性を示していることです。自分で言うのも気が引けますが、「和田の現場でのやりとりはすごいんだよ、でも、こう言う理屈を理解してこうやって練習すれば、和田のようにできるんだよ」と言うことを実践しているわけで、まさに彼が体系化した技法の中身が「看板に偽り無し」ということを実証して見せています。


この間、2010年には、メタファシリテーションとは何か、ということを詳細に説いた「途上国の人々との話し方-国際協力メタファシリテーションの技法」を中田さんと私の共著で上梓しました。思えば、「メタファシリテーション」という言葉を公に使ったのは、この時が初めてです。そして、これ以降、私も中田さんが編み出した「メタファシリテーション」の講座を少しずつ講師としてやるようになってきました。このような講座をやることの最大の利点は、受講生の中からメタファシリテーションをより深く学び、自分も講師になるという人たちが出てくることです。言語化され、体系化された手法の凄さは、こういうところにあります。メタファシリテーションという手法として確立される以前は、私のパフォーマンスを実際に現場で見て、それを真似していく、つまりは徒弟制度の親方と弟子のような継承のされ方しかなかったわけで、中田さんも、当初はわざわざ私の現場まで訪ねてきて、私を観察するということをしていたわけです。しかし、手法として確立し、教授方法も確立してくると、多くの人が私を直接見ることなく、技法を学び、望めば自分で習得していく道が開けるわけです。おかげで、私が長年現場で直接鍛えた数少ない弟子たち以外に、講座の講師としてメタファシリテーションを広めてくれる人たちが、段々と増えていきました。


第3の時期が、2016年頃以降、現在に至る時期です。宮下和佳さんが中心になって、メタファシリテーションの制度化を積極的に進めてくれた時期になります。中田さんや私の次の世代に、メタファシリテーションが引き継がれた時期です。私は現場の職人、中田さんはいわば現場の思想家なので、きちんと制度を整えたり、さらに多くの人々へのアクセスをよくしたり、など必要性は理解していても中々できません。中田さんが開いた課程をステップ1からステップ3という形で展開し、教材を整え、ビジュアルの面でも工夫を凝らし、さらには、3段階の検定試験を設け、誰でも望む人は試験を受けて講師の資格を得ることができる認定トレーナーの制度を設けるなど、中田さんや私などの手を煩わせることは、何もなくなっていると言って過言ではありません。


何よりも嬉しいのは、次世代の皆さんそれぞれ、職場、子育て、医療、福祉など、そもそもの国際協力の現場を超えた分野で、メタファシリテーションを応用し実績を積み上げつつあることです。この後、どんな展開を遂げていくのか、楽しみです。今後、メタファシリテーションのプロジェクトでの応用など、まだまだ言語化しなければならないことがあるように思えます。それは、才能豊かな後輩たちがやってくれるでしょう。


最後に、蛇足であることを恐れずに言えば、私がのちにメタファシリテーションと名付けられた手法を発見し、その手法に熟練していくにつれ分かってきたことは、この手法を身につけると余計なことで思い悩むようなことがなくなってきたことです。もやもやしていることなど、その根拠が明らかになってみれば、なあんだ、こんなことでクヨクヨしていたのか、ということが多いのです。そうなると、私にとっての悩み事は、家族のために作るご飯を何にしようかということだけになります。歳をとるにつれてあれこれ出てくる体の不調はともかく、心だけは随分と軽くなります。
では皆さん、いずれまた。


和田信明(ムラのミライ インハウスコンサルタント) 




2023年11月16日木曜日

メタファシリテーションのできるまで(18)

前回は、例え話とは、相手に対する共感がないとできません、というか、相手の腑に落ちるような譬えは、自分が相手だったらどう考えるだろうという想像力、もっと言えば洞察が働かなければできないということをお話ししました。その相手に対する想像力とは、畢竟自分に対するメタ認知がなければ働きません、ということころで終わりましたね。

メタ認知と言ってもそんなに難しいことではありません。自分だったらこんな時は楽をしたいな、休みたいな、そんな時にどうしたら自分はモチベーションが上がるだろうか、など具体的な状況で自分ならどう反応するか、それを自分の胸に手を当てて正直に考えてみればいいだけの話です。それでも、これがなければ、相手に対する想像力も働きません。こうあるべきだ、などというメタ認知が決定的に欠けた上から目線では、相手の共感も何もあったものではないということです。相手に対する想像力が働けば、こんな状況ではどんな発想をするだろうかという想像も働きます。そして、そのような発想に沿った、相手の身近な習慣、話題、などを例え話として話すと、相手の腑に落ちるという可能性は高まります。


以下は、私の例え話の「最高傑作?」として、中田さんが「途上国の人々との話し方」(みずのわ出版、2010年)p336〜337に紹介してくれたものです。インドネシアのスラウェシ島北部の海岸沿いのバジョ族(海洋民族です)の村での話です。その村を訪れた時、村を案内してくれた女性リーダーが、「みんな(プラスチックゴミを)ポイポイ捨てるものだから、ご覧の通り村はゴミだらけです。(略)なにかいい方法はありませんか」と私に相談しました。そこで私は同行していた村人たちにこう語りかけました。

和田「命はどこから来ますか。」
村人「アッラーからいただいたものです。」
和田「では、終わったら誰に返しますか。」
村人「地上の生命が終われば、アッラーにお返しします。」
和田「そう、アッラーにいただいたものは、アッラーにお返しする。」
和田は天を指しながらそう言うと、次に波打ち際のプラスチックのゴミを指差して尋ねた。
和田「このゴミは、もともとはどこから来たものですか。」
村人「お店で買ったものです。」
和田「その商品はどこから来たのですか。」
村人「町の工場でしょうね。」
和田「これを捨てた人はどこに返したのですか。」
村人「海ですね。」
和田「工場から来たものを、この人は海に返したのですね。あなたたちはアッラーから来たものはアッラーに返すと言いました。では、工場から来たものはどこに返さなくてはならないのですか。」
村人「工場です。」
厳粛な顔つきになった村人に、和田が言い添えた。
和田「町から来たものは町に返す。陸から来たものは陸に戻す。海から来たものは海に返す。これがエコロジーです。」

この例え話はよく覚えています。その時の詳しい状況は、もう忘れてしまっていますが、村の海の波打ち際にプラスチックのゴミが散乱していたことは、よく覚えています。この浜辺にプラスチックゴミが散乱しているという光景は、このスラウェシ島のバジョ族の村ではなくとも、現在は途上国の海岸の至る所で目にする光景です。日本の海岸も、散乱というほどひどくはなくとも、プラスチックゴミを見かけます。敢えて言えば、この「海辺のプラスチックゴミ」が象徴する課題を私たちムラのミライは、彼我の共通の課題として解決するために、日本と途上国で活動しているのです。この辺りの事情は、中田と私の共著「ムラの未来、ヒトの未来」(竹林館 2016年)に書いていますので、よかったら読んでみてください。

さて、話を戻せば、例え話をするとして、毎回クリーンヒットというわけにはいかないので、できのよかったネタは覚えています。このバジョの村での話も、よく覚えているのですが、残念なのは、できがよくても2度と使う機会は巡ってきません。私の場合の例え話とは、その場の状況に合わせてその場で思い付かなければならないもので、同じ状況が2度と巡ってこない以上、せっかくいいネタを思いついても、その場で1度使えば終わりということです。

まさに、そのような状況そのものが滅多にはないことですが、状況が巡ってくれば私は「神様ネタ」を時々使います。私自身は特定の宗教、信仰に帰依することがこれまではありませんでしたが(そして、これからもないのではないかと思っていますが、何が起こるか分からないのが人の世の常、断定はしないでおきましょう)、他人の信仰は尊重します。途上国では敬虔な信仰心を持った人が多いし、特に回教国では、そのように感じます。彼らは、たとえ研修中でもお祈りの時間が来れば、研修を中座して、祈りを捧げに行きます。ここで紹介した例え話は、そのような彼らの信仰心への信頼とも言えるものがなければ出てくるものではありません。彼らの敬虔さ、誠実な信仰心を日頃感じていたからこそ、このような例え話を真摯に受け止めてくれるだろうという確信めいたものがあり、その場で咄嗟に出てきた話だったわけです。

ところで、この例え話は私が一方的に話したものではなく、あくまでも私が問いかけ、相手に答えてもらうという形をとっています。そして、「掴み」のところの「命はどこからきたか」という問いかけ以外は、すべて事実を聞いています。つまり、メタファシリテーションの基本に沿って対話を組み立てています。くどい様ですが、相手が多数でも、例え話をするときも、必ず問いかけ、相手とともに事実を確認していくというのが基本です。


和田信明(ムラのミライ インハウスコンサルタント) 

2023年11月7日火曜日

メタファシリテーションのできるまで(17)

おばあちゃんがふむふむと頷いてくれるような例え話

前回の続きから。おばあちゃんにどんな例え話をすれば、空気中の酸素の存在をそれなりに納得させることができるか、というのがお題でしたね。みなさん、何か思い付かれましたか。私のは、こうです。


「サンバル(南インドの、野菜がいっぱい入ったいわば“味噌汁”のようなものだと思ってください)を作るとき、何を入れる?」。
恐らく毎日のようにサンバルを作っているおばあちゃんは、即座に材料を答えてくれる。
「じゃあ、ダル(ま、これも豆の“味噌汁”のようなものだと思ってください)を作るときは?」。
これも毎日作っているので、即座に材料を答えてくれる。
「で、この二つに共通の材料は?」。
ふむふむと考えながら、これもおばあちゃんは答えてくれる。そこで、次の問い。
「この中で、入れると溶けちゃって見えなくなる材料は?」。
数秒の間ののち、「あっ、塩だ!」とおばあちゃんは答えてくれる。
「そうだね。塩は溶けちゃうと見えなくなるね。でも、入っていないと食べてみれば絶対分かるよね。」
おばあちゃん、頷く。「塩の入っていない料理なんて、考えられないよね。」
おばあちゃん、これにも当然だという表情で頷く。
「料理に塩が入っていないと、料理にならないように、空気の中にも、見えなくてもないと困る、それがあるから私らが、息ができる、それが酸素というものなの。」ここでおばあちゃんは、なるほどという表情で頷く(はず)。

実際には、集会の後で思いついたので、こういう風に行ったかどうかは分かりませんが、まずこんな感じで行けたのではないかという予想というか、確信というかは、これまでの経験からあります。残念ながら、この譬え話のネタはこれまで使う機会がなく、これがあの時できていればなぁ、という私のほろ苦い経験としていつまでも覚えています。だいたいうまく行った時の話なんてすぐ忘れてしまうものですが、失敗というか、後でああすればよかった、しまったな、という経験はいつまでも覚えているものです。

無自覚な上から目線

ところで、海外協力、援助(国内の支援活動でも同じことが言えますが)をする側が陥りやすいのが、自らの使命の高尚さ、崇高さとでも言うのでしょうか、理想の社会の実現に向けて活動をする、しているという思いの強さ、思い込みの強さが、ともすると相手にも理想の姿を求めてしまう傾向があります。決してスーパーヒューマンを求めるのではないにしても、これはコミュニティのためだから、このくらいは無償でボランティアするのは当たり前、自分の健康のためだから毎日薬を飲むのは当たり前、子どもの学校を建てるのだから積極的に協力するのは当たり前、自分たちのための施設だから、自分たちで管理運営していくのは当たり前、などなど、相手側の役所、住民に対してこのような期待を持ってしまうことが多々あります。というか、ほとんど百パーセントがこんな具合ですかね。

なぜ私が確信を持ってそんなことを言えるのか。それは、私たちのところに持ち込まれる国際協力NGOの相談事が、全て「相手がこちらの期待通りに動かない」というものだからです。これは、相談を持ちかけてくれるNGOの規模の大小には関わりません。それこそ、その名を聞けば誰でも知っているような大きな団体から、みんなが無償ボランティア、予算規模も年間せいぜい100万円前後というような小さな団体まで、事情は変わりません。


メタ認知が欠如すると例え話はできない

こんなことが起こる理由は、簡単です。それは一言で言えば、要求する側のメタ認知が足りない、あるいは全くないからです。平たく言えば、あんたは他人に理想のあり方を求めるほど理想的な人間か、ということ(つまり、他人に要求するようなことを、自国で、自分の生活圏で、自分の日常でやっているか?ということ)に対する自覚がない、ということに尽きます。

そうやって、自分の胸に手を当てて考えてみると、プロジェクト先の住民には地域の保健委員として家庭訪問を定期的に巡回することを要求しながら、自分は住む地域でボランティアをやったこともない、せいぜい年に一度か二度お祭りなどのイベントに参加するだけだ、などということはザラにあります。ましてや、外国の任地に長期間いる場合、本国でそのような時間はないということです。


また、地域の助け合いが必要などと呼びかける側の地方自治体職員が、自分は家には寝に帰るだけで、地域の助け合いどころではないというのもよくある話で、これも自分のことは棚に上げて、という例です。

当然ながら、自治体の職員はいくつものプログラムを兼務して極端に忙しいという方も大勢います。ですから、問題は、さまざまな事情があって地域のボランティア(持続的、かつ定期的な)ができないことではありません。問題は、そのような自分に対するメタ認知があるかどうか、そして、自分がそうなら働きかける相手も十分にそのような事情にあるのではないか、という想像力があるかどうかの問題です。

しかも、働きかける方は、給料をもらいながら仕事としてそれをやっている。働きかけられる方は、特に途上国では、それでなくても身を粉にして必死に働いて生き延びている。例え、家庭の主婦といえども、朝から晩まで厳しい労働をしている(水汲み、農作業、薪取りなどなど)ので、自分が地域でボランティアができない以上の厳しい条件にあるかもしれないということです。


要は、そのような想像力もなく(従って必要な配慮もできず)、そしてメタ認知もないのに上から目線で偉そうに相手に要求するなということです。しかも、住民参加というのはこのような現状認識に立って、初めて築き始めることができるものなのです。で、例え話は、実はこのような現状認識がないとうまく使えないということを言いたかったのですが、そこに辿り着くまでに長々と語ってしまいましたね。

要は、例え話とは、相手に対する共感がないとできません。というか、相手の腑に落ちる譬えは、自分が相手だったらどう考えるだろうという想像力、もっと言えば洞察が働かなければできないということです。その相手に対する想像力とは、畢竟自分に対するメタ認知がなければ働きません。

この続きは、次回。

和田信明(ムラのミライ インハウスコンサルタント)


2023年10月10日火曜日

メタファシリテーションのできるまで(16)

今回は「例え話」の話から。


前回、一対多のやり取りでは、集会に集まった参加者の中で一番所在なげな表情をしているおばあちゃんをボトムラインに置く(というとモノみたいですが、要は、このおばあちゃんに話に加わってもらえないならこの集会はダメな集会だという基準になってもらう、もちろん私がそう心の中で定めているという意味ですよ)ということをお話ししました。そのボトムラインのおばあちゃん、ほぼ百パーセント動員され、そして話を聞いても分からないしつまらない。あるいは、分からないからつまらない。だから、集会が終わるまでぼんやりと過ごすしかない。こんなところでしょうか。難儀なことです。

そのおばあちゃんの胸中は、察するにあまりあるというほどではありませんが、私自身の類似の体験といえば、学校時代の入学式とか卒業式のうんざりする祝辞でしょうか。話に引き込まれて、思わず聞いてしまった、というような経験は皆無です。私の人生で他人の迷惑になったことがないと言い切れることは、自分がこのようなうんざりするような祝辞を述べる立場になったことがない、ということだけです。


さて、このようなおばあちゃんがいる集会で、私がなすことは、おばあちゃんが興味を持って話題についてきてくれる、発言もしてくれる、そんな集会にすることです。その手始めは、壇上から降りて会場のみなさんにできるだけ近づいてから話すこと。物理的に距離を縮めてしまうことですね。みなさんが床に座っている時は、私もなるべく床に座るようにします。これも、物理的に「上から目線」を解消するわけですね。もっとも、一旦座ってから、また立つこともあります。それは、会場の後ろの方から「おい、顔が見えないぞ」というリクエストというかクレームというか、声がかかった時です。少々あざといようですが、要は、これだけでも「こいつは何を話すんだろう」という期待を持ってもらうことができます。その期待が高まったところで、私が最初にすることは、会場に問いかけることです。例えば、こんな具合に。


「私は、今年で〇〇歳になりましたが、この会場で私より年上の方はいらっしゃいますか?」


すると、おずおずと手をあげるおばあちゃん(おじいちゃんの場合もあります)が大概いますね。ここで、おばあちゃん(場合によってはおじいちゃん)の歳を聞くようなことはしません。出生届とかないところで年寄りに年齢など聞いても、適当な答えが返ってくるだけです。自分でも、自分の正確な年齢など知らないでしょう。で、何を聞くかというと、
「あなたは、この村のお生まれですか。」から始めます。


すると、「いんや、ここではねぇ。〇〇村からお嫁に来ただよ。」というような答えが返ってくる確率が高い。こういう場合は、次に「お嫁に来たのは何年前か覚えてますか。」と聞きます。「さあて、50年以上前になるかねぇ」と答えが返ってくれば、大体15歳から20歳の間に嫁入りしてきたと考えて、このおばあちゃん、65から70歳くらいかな、という見当がつきます。今の日本では、70歳などというとまだまだ現役。でも、途上国の草深い田舎の村の70代と言えば、もうヨボヨボと言った見かけになります。きっと、日の光を浴びながら、日中激しい労働をしてきたのでしょうね。


私の知る限り、農村の女性は、朝暗いうちから夜遅くまで働き詰めです。朝暗いうちに起きてトイレを済ませ、というのはオープントイレットですからね。人目を避けなければいけません。そして、朝飯の用意をする、ミルクティーを作る、それもかまどの火を起こすところから始めます。朝飯を済ませると、家畜の世話、農作業などたくさんの仕事が待ってます。子どもがいたら、子どもの世話をしなければいけないしね。あ、忘れてました。朝飯前に、沐浴しますね。井戸端で、バケツ一杯の水で。この間、男どもは、トイレを済ませる、沐浴する、ミルクティーを飲みながら駄弁る、と、まあこんなところです。その間、女は水を汲みに行ったり、薪を撮りに行ったりと、くるくる働くんですね。都会と違って、時間はゆったりと流れてはいますが、それでも大変な労働量であることには、違いありません。そうやって年齢を重ねてきたおばあちゃんですからね、限りない共感を持って話を聞きましょう。

さて、何年前にお嫁に来たのか分かったら、ここから他の人たちも巻き込みながらさまざまなことが聞けます。例えば、「お嫁に来た時、この村に何家族いたか覚えてますか?」とか。「さあてね、何家族(何軒家があったかでもいい)いたかね。〇〇家族くらいだったと思うがね。」と答えが返ってきたら、「他にその頃を覚えている方、いますか。」と全員を見渡しながら聞いてみます。すると、大概は「覚えてる、確かに〇〇家族くらいだった。」などという声が聞こえてきます。この辺りから、おばあちゃんを入り口として、私と村人全体、は大袈裟として、少なくとも集会に来ている人たち全員とのやりとりが始まります。その頃、どこまで森はあったか、あの山の木はどのあたりまで生えていたか、田んぼや畑はどの辺りまであったか、水はどこから汲んでいたか、井戸はいくつあったか覚えているか、など、集団としての記憶を辿っていくことができます。こういう時は、多数を相手にしている利点が出てきますね。個人では思い出せない時も、他人の記憶によって自分の記憶が蘇ってくる、なんてことはよくありますからね。で、こんなやり取りを重ねていくと、ああ、あの頃は山全体が木で覆われていたのに、頂上付近にほとんど残っていないな、など、過去と現在の違いがみんなに明確にビジュアライズされていきます。この辺りから、樹木と保水の関係、土壌の流出が水の保全に及ぼす影響とか、漠然とした知識ではなく、どのようなメカニズムが具体的に働き、彼らの日常の営みに具体的にどのように関わっているのかを徐々に考えていきます。もちろん、私が問いかけ、彼らの答えを促す、そうしながら少しずつ知識を導入していく、という場面になっていきます。このような時に、知識を落とし込むのに有効なのが「例え話」です。

例えば、こんな風に始めます。「あの山を見てください。雨が降ると何が起こりますか。」すると、「水が流れる?」などの答えがおずおずと返ってきます。「そう、水が流れますね。どんな風に水が流れる?」と再び問いかけると、ここで皆は考え始めます。その時、私は、近くにいる髪のふさふさした男性を指差し、「例えば、この方、はい、立派なお髪をお持ちですね、と、私が一緒に朝水浴びをします。その時、二人同時に頭から水を被ります。どちらの髪が早く乾きますか?」。そう、こういう時都合がいいことに、私の髪は申し訳程度にしか残っていません。少々あざといやり方ですが、なるほどそういうことかという表情がこの頃になると皆の顔に浮かびます。「山に木がないと、水が流れてしまって、すぐに乾いてしまう。木があると、水はすぐには流れないし、すぐには乾かない。地面に沁み込むチャンスが大きいんだ。」とこんな具合に考えて答えてくれます。そこで、私は続けます。「私の頭も昔からこんな寂しい状態ではありませんでした。昔は、ふさふさしていて、頭を洗うと、髪が乾くまで時間がかかったものです。さて、あの山も、先ほど話されていたように、昔は木で覆われていた。その頃は、2年や3年で新しく掘った井戸が干上がってしまうなんてことは、なかったのではないですか。」と、詳しくは書きませんが、これ、みんなとやり取りをしながら、その場で得た情報を再びみんなに返していくところです。


ま、髪の毛の例え話がうまい例えかと言われれば、私としては苦笑するしかないレベルの例えですが、要は、その場の皆がすぐに分かる、身近な例を持ってくるということが肝心なことなのです。これなら、おばあちゃんも時々笑いながら、最後まで付き合ってくれます。

ところで、いつも都合よく例え話が見つかるわけではなく、おばあちゃんに分かってもらえるように説明できないこともあります。その中でも特にこれからお話しする例は、何年経っても忘れることができない、私にとっては悔しい思い出です。


ある村で、植物が酸素を出してくれる、これが空気中にないと私たちは呼吸ができないということを説明しようとしてどうしてもおばあちゃんにすぐに分かってもらえるような例え話をその場で思いつかなかったことがあります。目に見えないものを、つまりおばあちゃんが、これだと目や肌で確認できるものではないので、どう説明したらいいのか。だから、集会が終わる時も、おばあちゃんの顔には?が残ったまま。うーん、悔しい、と思いながら集会場を後にして、帰りの車に乗った途端に、思いつきましたよ。いい例え話を。どんな例えだと思います?


答えは、次回ご紹介します。言ってみればなあんだ、というような話ですが、皆さんも考えてみてください。ヒントは、おばあちゃんも恐らく何十年と毎日やっているあれ、です。

和田信明(ムラのミライ インハウスコンサルタント) 


 

2023年9月1日金曜日

メタファシリテーションのできるまで(15)

JBIC(国際協力銀行)、JICA(国際協力機構)でやらせてもらった専門家とは、私にとっては、ある意味では武者修行のようなものでした。両方あわせて年に平均2、3回はやらせてもらったので、随分と色々な場所、と言っても主に村ですが、に行かせてもらいました。


JBICはインドです。インド一国と言っても、面積で日本の約9倍、隣の州まで行くと言っても、主に飛行機で移動するしかありません。同じ州内でも飛行機だったり夜行列車の寝台車で行ったり、州が変われば言葉も変わり、食べ物も大分様変わりします。イメージとしては、ロシアを含まないヨーロッパくらいの広さで様々な国に行ったようなものでしょうか。


JICAでは、インドネシアです。インドネシアも東西5千キロ、首都のジャカルタは日本と2時間の時差がありますが、東の果てのパプア州は、日本と何千キロも離れているのに、日本との時差はありません。ですから、インドでもインドネシアでも、村といっても地方によってそれぞれ成り立ちから言葉から違います。でも、その言葉の違いというのは、私にとっては特に困ったことではなく、何せ日本語と英語しか私には使えないのですから、どのみち通訳を介して住民とやり取りをするということになります。


ところで、この足掛け10年にはなる私の武者修行で何をしたかというと、一対一ではなく一対多のやり取りの修行です。修行といっても、一回ごとにそれなりにうまく行かなければ、次の仕事が来ませんから、それこそ毎回真剣勝負といったところでしょうか。


インドでもインドネシアでも、本当に沢山の村に行きましたが、インドとインドネシアでは、今思えば村への入り方に、というより村人との最初の接し方に大きな違いがありました。これは、別に私がインドとインドネシアで村人との接し方を変えたというのではなく、そもそもの背景の違いです。インドでは、州政府の森林局を相手の仕事でしたから、どこの村に行くにもお役人がゾロゾロ付いてきます。そして、村では大きなテントが張ってあったり、集会所であったりで、すでに壇上に椅子が並べられ、村人は一段低いところに座って待っている、そんなしつらえでした。まさに、最初から「上から目線」の設定です。それに比べて、インドネシアでは、村に行くのはNGOの職員と地方政府のお役人、平たく言えば、村役場、町役場のお役人ですから、地域住民との距離は州政府レベルのお役人よりはずっと近いのです。ですから、最初から村人とは、少なくとも同じ平面で対面し、こちらが気を付ければ「上から目線」になることはありませんでした。もっとも、この「上から目線」、自分がそうなっているという自覚がある人は、援助業界では残念ながらほとんどいません。むしろ、善意の塊のような人たちが、「相手に寄り添う」などと言いながら無自覚に「上から目線」になっているのがほとんどなので、ある意味タチが悪い。ところで、インドネシアですが、同じ目線で対面するというのは、この国が回教国であることがそのことにある程度寄与しているかもしれません。何せ、回教は対人関係がフラットですから。


それに比べて、インドは圧倒的な階級社会。何せ、ヒンドゥー教が多数の国では、人間そのものがカーストという階級で分けられていますから。これに、経済力やその他の要因で、明らかに目に見える形の階級社会となっています。まあ、その中でも役人の世界は階級社会の権化のようなもので、ほんの僅かなエリートが圧倒的な権力を握っています。この話をしているとキリがないのでやめておきますが、そういう背景なので、村に行くと常にひな壇が設けられていて、前に並べられた椅子に座るのは、キャリアのお役人たち、そして私ということになります。目の前には、明らかに動員された村人たちが座っています。正面には、いかにも村の有力者みたいなおじさんたち。そしてその他大勢。その他大勢のすみっこの方には、何でこんなところにいるんだろうと、所在なげな表情の婆ちゃんたちがポツポツと何人か。この婆ちゃんたちこそ、私のターゲットです。どういうことかというと、集会が終わった時に、婆ちゃんたちの表情から所在なさが消え、いや、なかなか面白い集まりだったべさ(何弁だ?というツッコミは無しで願います)という表情が浮かんでいれば、私と集会にいた村人たちとのやり取りは成功ということです。


私は、日頃から私のトレーニングを受けるNGO、NPOの職員のみならず、公務員でも、住民と直接やり取りする可能性のある人たちには、たとえ相手が80歳を超えた非識字者の女性でも10歳の子どもでも分かるような表現で話してください、と伝えています。これは、幼児語を使って話せばいいということではありません。そうではなくて、例えば「分析」とか「評価」とかいう概念を、80歳を超えた非識字者の女性でも10歳の子どもでも分かるような表現で伝えることができますか、ということです。先進国では、年齢、性別に関係なく、中等教育を終えていない人というのはごく稀だと思われますが、途上国では、特に農村部では、高齢の女性は小学校も行っていないという例がまだ珍しくありません。しかしながら、高齢の女性とはいっても、まだ現役で何らかの作業労働をし、家族に貢献している人が多いのです。住民参加を謳うプロジェクトなら、彼女たちを無視していいわけがありません。また、彼女たちは隣近所のおしゃべりの中心、あるいは中心とまではいかなくても重要なメンバーであることが多いのです。そうすると、自分で理解し、納得できたことは、そのような場で話してくれる可能性があります。話してくれるということは、言語化できなければいけないわけで、自分がしゃべる言葉に、集会で聞いたことが落とし込まれていなければなりません。私が集会で彼女たちをボトムラインに置いて話を進める所以です。


さて、これから少し演技力が要求されます。と言っても、ほんのちょっと体を動かすだけです。壇上から降りて、集会参加者に近づきます。そして、そこで床に座ります。これで参加者と同じ目線になります。場合によっては立ったまま話すこともあります。それは、人数が多くて、後ろの方の人に私が見えない場合です。ま、大した演技ではないのですが、これでまず掴みはOK。皆が私の方に好奇の目を向けてくれます。一体このおじさん、何をするんだろう。これで、最初に私が発する言葉を皆待ってくれるという状態になりました。

 

私:この中で、一番お年を召した方はどなたですか。
しばらく待つと、隅の方で婆ちゃん一人がおずおずと手を挙げます。こうなると、期待通りの展開なので、私はしめしめと思い、こう聞きます。
私:私は、〇〇歳ですけど(相手の歳を聞くときは、このように自分の歳を最初に言います。ちなみに、私も今は爺さんですが、当時はまだ還暦前でおじさんでした)、あなたはおいくつですか。
婆ちゃん(以下O):わしゃ、80だよ。(実際は、おそらくそれよりずっと若い。村で高齢者に年齢を聞くと、のきなみ80歳だと答える傾向にあります。)
私:お生まれは、この村ですか。
O:いや、A村じゃよ。
私:ということは、この村にお嫁に来たんですね。
O:(笑う)
私:お嫁に来たときは、何歳だったか覚えてますか。
O:17、8だったかねぇ。
私:お子さんはいらっしゃいますか。
O:おるよ。4人。
私:一番上のお子さんがお生まれになったのは、この村に来てから何年後だったか覚えてますか。
O:翌年だったかね。
私:息子さんですか。娘さんですか。
O:息子だよ。
私:(他の参加者に対して)この中で、この方の息子さん、いらっしゃいますか。

すると、参加者の中の一人のおじさんが、恥ずかしそうに手を挙げて、
男:俺だ、俺だ。
私:あなた、今お幾つですか。
男:53歳だよ。
私:なるほど。(ここで心の中で計算し、おばあちゃんは70歳前後でこの村に来て55年くらいということが分かる)

ここで、再びおばあちゃんに向かって、
私:あなたがこの村に来た時、森はどのあたりまであったか、覚えてますか。
O:ああ、あの〇〇があるところまであった。

ここで、再び他の参加者に対して、
私:他に、その頃のことを覚えている方、いらっしゃいますか。

この問いに対して、おじいさんが一人声をあげる。
O J:覚えてる、覚えてる。確かに、あそこまで森があった。
私:あなたは、その頃おいくつでした。
O J:小学校に通い始めてたかな。

と、こんな調子で始めて、これから、当時森で何をしていたか、薪は?牛の牧草は?その他に利用していたものは?そして、だんだん森が遠のいていく、あるいは減っていったことで何が起きたのかを聞いていきます。そうすると、今は遠くまで牛を連れて行かないと放牧できない、そして、他の村と草地をめぐって争いが起きている、薪も以前は1日かければ必要な分量を確保できていたのに、今は2日以上かけないと必要量が確保できない、それも覚束なくなっている、などという話が出てきます。そうなると、森は大切だなどとお役人から説教されて、そうだそうだと上べだけで頷いていたのが、森が日常の自分ごととして意識されるようになってきます。ここからが、住民参加の始まりです。どうです。ここまで来れば、話のきっかけを作ってくれた婆ちゃんに感謝、ですね。

 

次回は「例え話」についてお話しします。
 

和田信明(ムラのミライ インハウスコンサルタント)

 


2023年8月3日木曜日

メタファシリテーションのできるまで(14)

2000年代に入るとにわかに慌ただしくなった我が身、というほどでもありませんが、自分の団体以外の仕事が入るようになってきました。と言ってもJICAの短期専門家とJBIC(国際協力銀行)の短期専門家ですけどね。当時、ODAの方も機会があったらNGOを使ってみようという風潮(?)があったようで、インドでもJBICが活動をしている日本のNGOを調査していました。調査は東京の老舗NGOシャプラニールが委託されていて、下澤嶽さんがわざわざパタパトナムまで来てくれました。2002年のことです。その後、下澤さんが好意的に報告してくださったのか、南インドのある州政府の森林プロジェクトのインパクト調査の予備調査をやってみないか、というオファーをJBICのインド事務所からいただきました。2週間ほどの期間だったと思います。それまで契約を交わして、仕様書に従った仕事をするなど、しかもそれらがいきなり英語です、やったことがなかった小さな、けし粒のようなNGOにとっては、難儀なことでした。でも、どうにかこうにかやり遂げて、なんだか数十年ぶりで学生に戻った気分で、英語で報告書を書き上げ、提出しました。これがその後累積で数千ページになる英語での報告書の最初の一つとなったわけで、まさか50歳をすぎてこんなことをするようになるなんて、人生なんて分からないものです。その報告書が合格だったみたいで、その後、半年にわたる本調査も発注していただけました。この本調査は、本当に助かりました。なぜなら、その時、JICAの草の根技術協力プロジェクトが一つ決まっていたのですが、インド政府の許可がいつ来るのだろうかという宙ぶらりんの状態で、最も困ったのが、お金がないということ。どうやってJICAのプロジェクトが始まるまで生き延びようか、という状態だったのです。最も慢性金欠状態の小さなNGOにとっては、珍しいことではなかったのですが。


私たちが従事したインパクト調査の対象は、住民参加型森林プロジェクト。南インドのある州政府森林局のプロジェクトです。資金はJBICが供与していた日本の円借款、つまり円借款プロジェクトだったわけですね。確か5年のプロジェクトで、私たちが調査に入ったのはその最終年だったと記憶しています。まあ、確か何十億円というプロジェクトですから、私たちのようなささやかな団体からすれば、台所の隅からいきなり大きなスタジアムの真ん中に引き出されたような、そんな感覚ですかね。別に、私たちがこのプロジェクトをやったわけではないのですが、いきなり大掛かりな仕掛けのものに関わらなければならないというので、こんな気分にもなったわけです。この調査をするために、まず調査チームを立ち上げなければならず、わがムラのミライ(当時はソムニード)から私、原康子、ラマ・ラージュの3人、そしてJBICに紹介されたインド人の専門家が5人、タミール語-英語の通訳が2人、がメンバーとなりました。私がチームリーダーということで、実際に調査のマネージメントは原さんとラマに頼り切り。二人が頑張って取り仕切ってくれました。この時にチームに専門家として加わってくれた5人のうち3人は、その後、何度も一緒に仕事をするようになり、しかも3人ともそれぞれの専門分野では、私の師匠ともいう存在になりました。このお三方は、それぞれ灌漑、植物(森林)、マイクロクレジットの専門家で、しかもいわゆる机上の専門家ではなく、それぞれの活動で長年の経験と実績を持った方々でした。これから約10年というもの、随分と彼らと一緒に仕事をすることになりましたが、仕事をするたびに実地で勉強させてもらうという役得がありました。門前の小僧みたいなものですが。最も、植物の師匠には、「お前は、いつまで経ってもマンゴーとカシューナッツの木しか見分けられない」と呆れられたものです。


カシューナッツ

さて、この仕事は私の「それから」に大きな学びを与えてくれました。学びは二つあります。まず、第一に、この仕事を通じて私は「マイクロ・ウォーターシェッド」という考え方を学びました。なぜこんな考え方を私が学ぶことを得たかというと、関わったプロジェクトが、このマイクロ・ウォーターシェッドという枠組みで村単位の森林管理をしていたからです。この考え方が、私にどのように村を俯瞰的に見るかという視点を与えてくれました。まあ、いわば村を理解するための枠組みのようなものです。「ウォーターシェッド」と言うのは、日本語では分水嶺です。例えば、「〇〇峠は、日本海側と太平洋側を分ける分水嶺です」などという言い方を耳にされたことがあると思います。一つの地域にこの分水嶺はいくつもあります。特に周囲を山や丘で囲まれている村があるとすると、その村は、要は分水嶺で囲まれていると言うことができます。そして、この村は分水嶺から流れてきた水が集まったところから流れる渓流や川、あるいは地下水を利用して暮らしを営むことになります。さらには、この村の周囲の自然、森や林、草原などもこの水を利用して成り立っています。このような枠組みが与えられると、自然資源の維持管理なども総合的に、系統的に計画、実施することができます。この話をしだすと、キリがないのでこの辺でやめておきます。ところで、この考え方がメタファシリテーションのどこにどう関わるのか、それはおいおいお話しすることにします。

マンゴー

二番目は、「住民参加型」ということについての学びです。何せ、調査したプロジェクトが前面に押し出しているのが、この「住民参加型」。プロジェクトの柱となるコンセプトが「Joint Forest Management」、つまり政府と住民が「一緒に(joint)」に森林管理をしようというのです。これには、それまでの政府森林局と国有林周辺の住民(周辺の村の住民ということですね)の長い確執の歴史がありました。はっきりと言えば、森林局にとって住民は取り締まりの対象でしかなかったのです。住民から言えば、森林局は自分たちの資源を使うことを取り締まりの対象とする圧政者、よく言って煙たいお上というわけです。この数十年、インドの森林は危機的状況にあります。有体に言えば、森林が荒廃していっています。その大きな原因が周辺住民による囲い込み、違法伐採、家畜による被害などです。で、森林局の職員は、違法伐採の取り締まり、囲い込みに対する裁判、など、住民に対しては、警察や検事みたいなことをするのが、仕事になっていました。しかし、それではキリがない。それでは、いっそのこと住民にある程度国有林を利用する権利を与え、その代わり地域住民が森林を保護、管理する組織を作って森林の保護育成を図っていく、というのがこのジョイント・フォレスト・マネージメント(共同森林管理)というわけです。


これは典型的な「住民参加型」のプロジェクトです。で、どんなプロセスを踏んでいたかというと、まず対象となる村に「管理委員会」を組織してもらう。そしてその「管理委員会」と共同森林管理の協定書を取り交わす。この協定書には、簡単に言えば、住民がしていいこと、してはいけないこと、どんな権利を森林に対して持つかなどが書いてあるわけで、共同管理のバイブルみたいなものです。そして、そのような共同管理をするご褒美として、5年間の村の開発プロジェクトを実施します。そのために作られるのが「マイクロ・プラン」。村でどんなプログラムを実施するのか、年度ごとの計画が記載されています。これだけ見ると、なんだか素晴らしい「住民参加型」のように見えますが、そうは問屋がおろさない、というのが実態でした。私がここで学んだのは、本当に住民主体で何かをやろうとしたら、絶対こういうプロセスを踏んではいけない、ということでした。この教訓は、その後私たち自身がやったプロジェクトに反映され、住民参加型、というより住民主体のプロジェクト、住民主体の活動を作り出すのはこうやればできるのだ、という方法論を確立するのに随分と役立ってくれました。反面教師として。


だって、これまで警官のような制服を着て、場合によっては鉄砲を持って違法伐採者や違法開墾をする村人たちを追いかけ回していた現場の森林局職員が、急にニコニコしながら村にやって来て、「お困りごとはありませんか」、「こんなプロジェクトを一緒にやりませんか」などと言っても、すぐに相互の信頼関係が生まれるはずがありません。で、「お困りごと」を聞くと、村人はここぞとばかりに「ああして欲しい」「こうして欲しい」というおねだりをします。すると、本来は、村の主体的開発計画になるはずのマイクロプランは、おねだりリストと化します。そして、プロジェクトの初年度に、予算が許す限りの「おねだり」を実現してしまうと、後は、マイクロプランの存在は忘れられます。あるいは、マイクロプランの存在は村の有力者しか知らない、さらに極端な場合は、村人は誰もその存在を知らないという場合さえあります。ですから、村人がマイクロプランの存在を知っているだけでも、それは大したものだ、という認識を私たちは持つようになりました。とほほ、な話ですけどね。この州の話ではありませんが、私が別の州で調査をしていて、村人に、この村の開発計画はどこに書いてあるかという質問をしたときに、「マイクロプラン!」と即座に村人が答えたのに感心したことがありました。ところが、ではそのマイクロプランを読んだことはあるかと聞くと、これもまた即座に「ない!」と答えるではないですか。思わず「なぜ?」と聞くと、「英語で書いてあるから読めない」そうです。この時、そばにいた森林局の偉い人が、そっと耳打ちしてくれました。村人のおねだりを全部マイクロプランに書いてしまった。ところが、それを全部やる予算がない、この村には有力な政治家がいてなぜ実行しないんだと追求されると困る、だから、村人には読めない英語だけのマイクロプランを作った・・・。これを聞いた私と中田さん(中田さんもこの時は調査団のメンバーでした)は、思わずその場で吹き出しそうになって、笑いを飲み込むのに必死でした。


また、この頃はマイクロクレジットが大流行りで、どこの団体も、政府系であろうと、西欧のおきなNGOであろうと、多くの組織が競い合うようにマイクロクレジットを村に、都会のスラムに持ち込んでいました。やり方としては、女性にマイクロクレジットのグループを作らせ、そのグループにクレジット(貸付金)を与えるというものです。その代わり、グループでは貯金をする、その貯金を銀行に預け、それが貸付金に対するギャランティーになる、ざっとこんな仕組みです。貸付金は、やれ教育資金だの起業資金だのとお題目がついている場合が多かったのですが、借りる方にとっては、それは建前。私の知る限りそのほとんどが生活資金として日々の消費や他の借金の返済に消えていくものでした。この共同森林管理のプロジェクトも、そのプログラムの一つとしてマイクロクレジットをやっていました。実は、植林をした際、苗木の天敵はヤギや羊です。新芽を食べてしまうから。だから、このプロジェクトでは、ヤギを売ったらクレジットを与えるというふうにしていました。で、ある村のある女性グループに話を聞いたところが、その答えが以下のよう。
「ヤギを売ったのですか。」
「はい、売りました。」
「で、貸付金はもらえたのですか。」
「はい、もらえました。」
「その貸付金は、何に遣いましたか」
「ヤギを買いました。」
これには、私も、彼女たちの話を聞いていた他の調査団のメンバーも腹を抱えて笑いました。グループのおばちゃんたちも、一緒に大笑いです。この会話は一部を切り取ったものですが、このようなおばちゃんたちの本音話を聞き出すためには、それまでにどのようにどのように話を聞いていくかにかかっていることは言うまでもありません。


和田信明(ムラのミライ インハウスコンサルタント)