2019年4月26日金曜日

地域で助け合う、子育ての輪_第1話_ひとりでがんばらない子育て、はじめよう

 【記録】ひとりでがんばらない子育て、はじめよう(プロジェクトの記録 第1話)

In 608プロジェクト通信 西宮「地域で助け合う、子育ての輪」 by master「西宮で広げる、地域で助け合う 子育ての輪プロジェクト」の記録
第1話(2019年4月26日号) 「西宮で広げる、地域で助け合う子育ての輪プロジェクト」の誕生の巻
執筆=原康子 山岡美翔
目次
新連載へようこそ
国際協力の現場で生み出しされた技術を子育てに
開店休業「子育てに使うメタファシリテーション講座」
西宮でa little(ア・リトル)と出会う
コミュニケーション講座から「助け合う仕組み」をつくるプロジェクトへ進化
新連載へようこそ
新連載「ひとりでがんばらない子育て、はじめよう」へようこそ。
この連載は、ムラのミライのスタッフ、原康子山岡美翔が兵庫県西宮市で活動する市民団体a little(ア・リトル)と一緒に、2018年4月から実施している「西宮で広げる、地域で助け合う子育ての輪プロジェクト」のことをお伝えしてゆくものです。
まずはこの連載を担当する二人の自己紹介からお付き合いください。
はじめまして、原康子です。2016年の夏以来、京都市上京区で、夫と11歳の息子と暮らしています。京都に来る前は、インドとネパールに住んでいて、その前は岐阜でした。なので、京都は初めての場所であり、16年ぶりの日本での生活です。息子はインド生まれの、ネパール育ち。思えば、息子が生まれたその日から、インド人、ネパール人、日本人を問わず、同僚とその家族、友人、知人、通りすがりの人までも、ホントに大勢の人に子育てを助けてもらってきました。息子もちょっと大きくなり「今度は私が助けてもらったご恩を返す番!」と思っていた矢先、日本での暮らしがスタート。外見は日本のおばちゃんですが、中身は世話好きで、子ども好きのインド人おばちゃんです。早速、日本でも私がインドやネパールでしてもらったように、お子さん連れの人たちに気軽に話しかけたり、ちょっと荷物を持ってあげたりなど、迷いなくドンドンお節介しようとしました。ところが、日本のお子さん連れの方たちの反応は、ことごとく私の想定外。ちょっと話しかければ「すみません、子どもがうるさくして」と速効で謝られたり、ちょっと手助けしようとすれば「すみません、大丈夫です」と速効で断られたり。「あれれれ〜」というお節介の空振りが続きました。そんなことも、私の「西宮で広げる、地域で助け合う子育ての輪プロジェクト」に関わることになったきっかけになったのですが、続きは本文で。では、続いて山岡の自己紹介です。 


はじめまして、山岡美翔です。こども園に通う娘と夫と暮らしています。2012年からインターンとしてムラのミライの活動に携わり始め、その後結婚、出産を経て2015年から理事、2017年からスタッフとしてムラのミライで働いています。出産の直前まで、バリバリ働いていた私にとって、「子育て」は少し遠い世界のように感じていました。そんな私が「西宮で広げる、地域で助け合う子育ての輪プロジェクト」を始めることになったのは、産後のしんど~い経験がきっかけです。
子どもが生まれた翌朝目が覚めると、助産院の窓から真っ青な空が見えました。秋だったので空が高くて、とても空気が澄んでいたのを覚えています。隣にはすやすやと眠る可愛い赤ちゃん。その日の内に駆けつけてくれた友人、退院の日まで沐浴や授乳の仕方などを丁寧に教えて下さった助産師さんに支えられ退院の日を迎えました。里帰り出産だったので、一ケ月は実家がある神戸で暮らしていました。その後、神戸から車で1時間半ほど離れた自宅へ戻りました。結婚後移り住んだ場所で、私の知り合いは一人もいません。産後2か月、3か月とゆっくりとした時間が流れていました。日常的に会話できるのは、スーパーの店員さんと夫ぐらい。そんな頃、私は子育てのモヤモヤを抱え始めます。最初は、何に悩んでいるのかも分からず、「私ってダメダメお母さん」というモヤモヤが膨らみ、外出が億劫になる日が続くようになりました。保健師さんにも悩みを話してみましたが、モヤモヤが晴れることはありませんでした。
産後5カ月ごろ初めてのベビーサークルで友人ができ、少し元気を取り戻した私は、ムラのミライの「事実質問」を思い出しました。事実質問は、ムラのミライが国内外の講座・研修で紹介している考え・感情(思い込み)と事実を区別する質問術です。事実質問を使ってみると、その時漠然と悩んでいたことの、何が思い込みで、何が本当の課題なのかを整理することができました。(詳しくはムラのミライのブログ「メタファシリテーション自主学習ブログ」に書いた記事をご覧ください。)
そして、誰も私のことを「ダメダメお母さん」とは言っていないし、子育てについては産前におむつ替えを数回しかしたことのない初心者だったこと、一方で学生時代から好きだった子どもとの遊びは、「保育士さんだったの?」と言われるほど得意なことに気がつきました。私は課題が整理できモヤモヤを晴らせたことで、自信を取り戻して、自分にも赤ちゃんにも無理がない暮らしを始められるようになりました。
この新連載では、私のように、今一人で産後を迎えようとしている方、今まさに子育てのモヤモヤを抱えている方と一緒に、「がんばりすぎない暮らし」を考えられるといいな、そんな思いで原稿を書いていきたいと思っています。


では、ここから、第1回目の担当の原が続けます。
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国際協力の現場で生み出しされた技術を子育てに
さて先ほど2016年から京都に住んでいるとご紹介しましたが、それには理由があります。これまで、ずっと国際協力の現場で、「メタファシリテーション」という手法を使った仕事をしていました。どんな手法だったのか、どんな仕事だったのかは、インドでの話を前著「南国港町おばちゃん信金」に書いておりまして、よかったら、そちらもご覧ください。


2016年の夏に帰国はしましたが、その時は、某国での仕事の開始を待つ間のほんの数ヶ月間の帰国の予定でした。短い期間でも、せっかく日本にいるのだから、この機会を使って、山岡と一緒に、メタファシリテーションを子育てに使ってもらえるような講座はできないか、と考え始めていたのでした。というのも、山岡が自己紹介で述べていたように、メタファシリテーションは、子育てをめぐるモヤモヤやイライラ感の解決策を見つける際に有効です。それに、子どもの「学校に行きたくない」「いじめられている」といった悩みごとにも、子どもの自己肯定感に配慮しながら事実で聞いてゆくことで、子どもが自分でそれらを乗り越える解決策を見つけてゆく手助けに有効なのを、私も山岡も自分の子どもとの対話で、実感していたからです。
さて2016年夏から数ヶ月だけ暮らす予定だった京都の小さなアパート。実は、現在(2019年)も住んでいるのですが、それは諸事情で次の国での仕事がなくなってしまったからなのです。
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開店休業「子育てに使うメタファシリテーション講座」
その国の仕事が突然なくなってしまったことで、ムラのミライは設立以来何度目かの財政危機に直面します。その危機は我が家の家計も直撃しました。長年、ずっと国際協力の現場にいた私は、これから日本で、一体何をしたらよいのか途方にくれました。こうなったら、まだ試行錯誤だった「子育てに使うメタファシリテーション講座」を何とかしなければ、と焦りに焦りました。しかし、焦って何とかなるほど、現実は甘くありませんでした。
山岡をはじめ、他のムラのミライのスタッフも理事も一緒になって、講座のチラシをつくり、あちこちに配り、知り合いに頼んだり、様々なサイトで広報したり、講座の企画書を持って子育て関連の団体や企業に持ちかけたり、あれこれやってみましたが、25年以上の実績のある国際協力の分野ならともかく、子育ての分野では新参者。「ムラのミライ、何それ?」という状態が続きしました。参加者が少なすぎて赤字の講座、講座のために借りた会場も、参加者が集まらず、キャンセル料だけを払うということも1度や2度ではありませんでした。



2017年からは、ムラのミライだけで講座をするのが難しいのであれば、すでに子育ての分野で活動をしていたり、ネットワークを持っている団体と一緒に講座が出来ないだろうか、とコバンザメ作戦、いやコラボレーション作戦を考え、そんな団体を探し始めました。そこで出会ったのがa little(ア・リトル)でした。
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西宮でa little(ア・リトル)と出会う
ここから、話の舞台は、ムラのミライの事務所があり、a littleの皆さんが活動する兵庫県西宮市となります。あの高校野球や阪神タイガースの甲子園球場。そう甲子園のある街が、西宮市です。関西の2大都市、大阪市と神戸市の真ん中くらいに位置する、市内に海も山もある人口約48万人(2019年4月現在)の街です。ちなみにムラのミライの事務所は、甲子園のある駅からはひと駅離れた阪神西宮駅から歩いて15分くらいのところにあります。
2015年に設立されたa littleは、西宮で「集う」「学ぶ」「助け合う」という活動を子育て中の女性だけで運営している団体です。
西宮市在住の同僚からa littleを紹介してもらい、何度かミーティングやイベントに足を運びました。そのうち、産前・産後の夫婦を対象にした講座や家事・育児サポートをしている彼女たちに、子育てに使うメタファシリテーション講座に参加してもらいました。その後、子どもとの対話や、家事サポートに入ったお家で、対話を実践しみたところ、子どもや家事サポートに入ったお家の方が、これまでになく相手がどんどん話してくれたそうです。そこで、2017年度には「子育てに使うコミュニケーション3回連続講座」をa littleとムラのミライの共催で行うことになりました。どの講座もa littleがこれまで西宮で築いてきた行政や子育て支援グループとのネットワークのおかげで、満席となりました。しかし、講座は満席となりましたが、数回の講座をやったくらいで、子育てをめぐる諸々の問題を改善するのは不可能です。また私が帰国後に出会った何人もの「大丈夫です」「すみません」とばかり言う小さなお子さん連れの女性たちの厳しい子育ての実情もぼんやりとしか分からないままでした。
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コミュニケーション講座から「助け合う仕組み」をつくるプロジェクトへ進化
だんだんa littleのことを知るうちに、ひと月に何度も開かれるミーティングやイベント、講座、子育て中の方を対象にした家事や育児サポートが膨大な仕事量にも関わらず、運営メンバーの皆さんが限りなくボランティアに近い形で、仕事のやりくりしていることが分かってきました。また、あまりに活動が多種多様で、誰に、何をして、それをどういう活動につなげていきたいのか、私にはよく分からないことも多々ありました。それもそのはずで、a littleの運営メンバーの皆さんも、どうしたら西宮で子育て支援の仕組みを作ってゆくことができるか、試行錯誤をしている真っ最中だったのです。
そこで、ムラのミライとa littleで一緒に、講座ではなく、もう少し時間をかけて子育て支援の仕組みをつくるようなプロジェクトはできないか、と考え始めました。3年間のプロジェクトの企画書をつくり、ジョンソン・エンド・ジョンソン日本法人グループの助成金にムラのミライが応募したところ、採択されました。そうして2018年4月から「西宮で広げる、地域で助け合う子育ての輪プロジェクト」が始まることになりました。
なかなかインドやネパールで受けた子育てへの手助けのご恩返しができず、日本でヤモヤしていた私の気持ちもだんだん晴れてきそうな気配です。


どうしたら小さいお子さんを持つ方たちが、私のようなおばちゃんに声をかけられ、気軽に小さなお世話を受けたり、断ったりできるようになるのか。
どうしたら私のような子どもがちょっと大きくなったおばちゃんが、小さなお子さんを持つ方たちに気軽に声をかけ、ちょっと助けたり、おばちゃんたち自身もちょっと助けられたりできるようになるのか。
仕組みづくりなんて大袈裟なものでなく、本当はもっと簡単なこともかもしれません。でもなかなか気軽に助けたり、助けられたりが出来ない現実があることも確かです。ならば、気軽に助け合える仕組みをつくればいいのではないか、というプロジェクトの始まりです。
毎日のようにニュースになる児童虐待、産後ウツによる自殺、家事と子育てを母親1人で担うワンオペ、保育園に入るための保活など。子育てを助けてと言えない社会、助けてと言わせない社会はごめんだと思う方、どうぞときどきこの連載をのぞいてみてください。私も山岡も1人でも多くの子育て中の方と子育て中の方を支援したいと思っている方々に読んでいただきたいと思っています。
子育て中の方で「今は周りに助けてくれる人が誰もいない」と思っている方は、多いかもしれません。しかし、西宮で、そしてあなたのご近所でも、きっと、あなたと、あなたのお子さんのちょっとした手助けができたら嬉しい、と思っている人が必ずいることを、知っていただけたらいいなと思います。
それでは次回「“地域で助け合う”ってどういうこと?」もどうぞお楽しみに。

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2019年4月9日火曜日

1杯の紅茶から見えるネパール ースタディツアー参加レポート

 2019年2月に参加した「ネパール・スタディツアー」の様子の一部をお伝えしたいと思います。氷点下10度の北海道札幌市から、夏のような日差しが照りつけるネパールの首都カトマンズまで移動すること約20時間。トリブバン国際空港に到着した時の高ぶる気持ちは、今でも鮮明に覚えています。

 現地で、私が設定した調査テーマは「ネパールの人々の職業や業種」です。今回はツアー後半に訪れたデシェ村の食料品雑貨店でのインタビューのひとコマをご紹介します。

 ムラへ行く前には、いろんな質問の準備をしました。実際にどのような風景・場面でのインタビューになるのか、事前にはわかりませんので、30個ほどの質問を考えました。例えば、農作業場であれば、「今は何の作物を栽培しているのですか。」「この道具は何に使うのですか。」、家の中であれば、「今、一緒に住んでいる家族は何名いますか。」「今日の午前中は何をしていましたか。」といったような具合です。もちろんお店の場合の質問も考えていました。移動の車中では、期待と不安が入り混じりながら、過ごしていました。移動中に見えるムラの風景や、人々の様子も貴重なヒントになります。

 ムラに到着し、「今日はここでお話を聞きますよ。」と言われた場所は、なんと商店でした!まずは、販売商品の種類と店頭在庫の数量をざっと確認。

まずは店舗の様子を見学。質問のきっかけが見つかる場合も
 そして案内された場所は店舗裏の小部屋でした。
「おっ、ここは何のスペースなんだろう。ぜひ、質問してみよう。壁に掛かっている紙袋には何が入ってるのかな、気になるなぁ。」といろんな想像が脳内を駆け巡ります。そしてインタビューへ。
 最初は「今日、私たちが訪問するまでに何名のお客さんが来ましたか。」と質問しました。その後は「来店したお客さんは何を買いましたか。」「皆さん現金払いでしたか。」と話を続けたことで、少しずつ商売の全体像が明らかになりました。そこで、いよいよ小部屋について聞いてみることに!

私「このスペースは何の場所ですか。」
店主「ここは休憩場や作業場として使っています。でも、昔はここで喫茶店をやっていたんだ。」
私「そうなんですか(おっ、新たな情報だ。喫茶店についても、聞いてみるぞ!)。」
店主「そうそう。でもね5年前にやめたんだ。紅茶や砂糖の値段がどんどん上がって儲からなくなったんだ。20年前に2ルピーだった紅茶(1杯)の値段も、今や20ルピーになってしまった。」

 その後もやり取りは続きました。物価上昇の話に始まり、当時から現在に至るまでのムラの様子の変化等、いろいろな話が次々に出てくるではありませんか。特に後半は、私から質問する機会が減ったように覚えています。気が付くと1時間半が経過していました。

インタビューが始まると、あとは流れに身を任せます
 一番大事なことは、綿密な準備をしつつも、会話の流れに身を任せて、臨機応変な対応をすることです。デシェ村でのやり取りのように、ひとつの質問が触媒となり、突如として化学反応を起こすこともあるのです。

 帰国後は、ネパールの紅茶価格の変動について調べています。紅茶はネパールを代表する消費財のひとつです。紅茶価格の動向は、ネパールの歴史の縮図であり、経済・社会の変遷を捉えていくうえで、ひとつの補助線になるのではないかと考えています。この考えのきっかけとなったのは、現地でのひとつの事実質問です。シンプルな対話を積み重ねるメタファシリテーション。その奥深さを日増しに感じるようになっています。

(伊藤 慎時 北海道大学公共政策大学院)


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2019年4月4日木曜日

地震から事実質問へ ―ネパール・スタディツアー参加レポート


 中国の実家で地震を体感したことがなかった私は、昨年の9月に留学先の札幌で初めて地震を経験しました。安全のために何をするべきかがわからなくて、ただ家で揺れが終わるのを待って、近の避難所へ行きました。今までも当時の怖さをきっちりと覚えています。その後、次回の安全のために、耐震や危機対策に興味を持っています。
 今回、ネパール・スタディーツアーに参加して、首都のカトマンズへ行きました。
1日目に街やタルバール広場で壊された建物、2日目はバスネット村(※註1)で建設中の家をたくさん見て、「ネパールの地震」(※註2)について気になったので、詳しく聞こうと決めました。そして「ネパールの地震」について、34日目にウッタルバヒニやデシェ村でインタビューする前に事実質問を準備しました。

修復作業中のダルバール広場(カトマンズ)

 一番聞きたかったのは地震が発生した時の事実です。だから、最初に「どこにいましたか」と聞こうと思いました。簡単な質問から始まると、記憶を呼び出しやすいし、順調に進めば、「どこ」と聞くと、「誰といました」、「何をしました」、「何を見ました」、「何を感じました」を思い出して答えもらえると思いましたに、地震が発生した時に何を一番気にしたを知りたかったので、揺れがおさまった何をしたのかを聞いて、答えから分析したいと思いました。

【デシェ村のMさんの話】
私「地震が起こった時、どこにいましたか?」
Mさん「畑にいました。」
私「その後、家に帰りましたか?」
Mさん「はい、携帯で家族と連絡が取れなくて、家にいた息子のことが心配でした。」

【ウッタルバヒニのSさんの話】
私「地震が起こった時、どこにいましたか?」
Sさん「妹の家にいました。地震が起こったので外に逃げましたが、もう一度妹の家に戻り、家族の入院費や、ビザを申し込む書類を取りに行きました。」

これらの話から、地震が起こった時に一番心配したのは家族の安全と貴重品だとわかりました。また、地震への備えがなかったのではないかと気づきました。なぜなのか知りたかったので、次に「どこかで地震に関する知識を教えてもらうことがありましたか」と聞いてみました。

【デシェ村のMさんの話】
私「どこかで地震に関する知識を教えてもらうことがありましたか?」
Mさん「いいえ、教えてもらったことはなかったです。」

【ウッタルバヒニのRさんの話】
私「どこかで地震に関する知識を教えてもらうことがありましたか?」
Rさん「私の夫は、前に学校で勉強した地震対策を教えてくれました。家の中では重いものを下に、軽いものを上に置くように言っていました。でも、私はフォローしていなかったんです。」

デシェのMさんへのインタビューからは、学校で教えてもらえたのかどうかはわからなかったですが、Rさんの答えから、地震対策を教えている学校があることがわかりました。
地震を経験した今は、何か準備しているのかを聞いてみたくて、ウッタルバヒニの人たちに質問しました。

【ウッタルバヒニのSさんとRさんの話】
私「今、地震に備えて、何か準備をしていますか?」
Sさん「家族と丈夫な新築マンションへ引っ越しました。」
Rさん「重いものを下に、軽いものを上に置くようにしました。」

 デシェでは直接「地震に備えて、何か準備していますか?」とは聞かなかったのですが、「地震で屋根が壊れてしまって、トタンを支援してもらったんです。今でもそのトタン屋根を使っています」という話から分析すると、壊れた家の建て直しも終わっていなくて、次に地震が起こった時の対策にも十分に取り組めていないのではないかと考えられます。

レンガ造りの家

 今回は簡単な事実質問をして、答えから分析することの楽しみを感じました!
 最初に訪れたバスネット村では、「思い込み質問」(例えば:「ネパールの子供達は何歳から小学校へ行きますか」という一般化した質問)をたくさん使ってしまい、会話が進みにくいことに気づきました。
 でも、次に行ったウッタルバヒニ事実(その人の経験)を聞くと、インタビューされた村の人たちからどんどん話してくれるようになりました。地震が起こった時のことを教えてもらえたし、地震が次に来た時のための準備の必要性も認識しました!
 また、ウッタルバヒニでのインタビューで得られた情報を使って、次のデシェで質問すると、どんどん面白くなりました。例えば、ウッタルバヒニで、地震が起こった後に家には戻らずに、一時的に安全な場所へ避難していたと聞きました。地震の後は避難したかもしれないという情報がすでにあったので、次のデシェ村では「どこで、誰と、どのぐらいの間に住みましたか」といった質問を出せました。もし、もっと時間があれば、村の人から見ると、地震が起こった時に政府のどんな支援を得られたのかをもっと知りたかったです!
(蔡一諾 スタディツアー参加者)


註1:バスネット村、ウッタルバヒニ、デシェ:ムラのミライが2012年から2017年まで実施していたプロジェクトで一緒に活動した村の名前。スタディツアーでは、2日目にバスネット村、3日目にウッタルバヒニ、4日目にデシェ村を訪問し、話を聞かせてもらいました。

註2:2015年4月、5月に発生した地震のこと。

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