2009年5月27日水曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第13号「とうとう完成!コレがオラたちの村の未来図」

目次

1. 習ったらやってみる、作ったら使わないと!
2. 長かった道のり

1. 習ったらやってみる、作ったら使わないと!

日に日に気温が上がってきているなと感じ始めた3月、あっという間に気温は35度に達し、4月には時には40度近くまで上り続け、5月は呼吸するだけでも暑い日が毎日続くという、とうとう一年で一番過酷な季節が始まった。

マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下、ポ村)、ゴトゥッパリ村 (以下、ゴ村)のオジサン・オバチャンたちは、植林、灌漑、測量の専門家から続けざまに受けた教えを忘れない内にと、汗を滝のように流しながら、活動計画を作っていたそんなある日。

「ところで、植林予定地は、何ヘクタールあるのかの?」
という、村人への素朴な黄門様の質問に誰も正確に答えられなかったのだが、そもそも、ポツポツと十円玉ハゲのように岩肌が見え隠れしている山の斜面の面積を、今まで誰も測ったことがない。
「でも、お前さんたち、ワニさん(※よもやま通信の前号を参照)から距離の測り方を習ったじゃろ?」
という、これまた黄門さまのシンプルな指摘にうなずいたオジサンたちは、実際に土地の面積を測ってみようということになった。



まずは復習も兼ねて、巻尺を持ってマ村、ゴ村、ポ村の3チームが研修センターの敷地内を図ってみたのだが、3つのチーム共にてんでんばらばら。しかも測り方が、頭の中で50メートル、100メートル、と数えるだけで地面に印も付けない。
なんだか見たことがあるぞ、この風景、と思った黄門さま。

「あぁ、一度きりでは覚えてないよなぁ」と、納得のため息をつくソムニード(現ムラのミライ)スタッフ・・・そして、ワニさんに習ったことをもう一度思い返し、覚えなおしたことはすぐに実行してみよう、と、次は植林予定地での実際の計測をしたのである。

かつて焼畑をしていた場所、ほとんど表土が流れて岩が見えてしまっている場所等、その場所の周辺を測り、その縮図を方眼紙に描き、その面積を出す。
筆者でさえも、一瞬頭が真っ白になる算数なのだが、研修に参加した村人の中では、特に青年たちの飲み込みが驚くほどに早く、三角定規やコンパスを使って植林予定地の縮図が自在に描けるようになり、この青年たちを中心にした「測量チーム」がマ村、ポ村、ゴ村のすべての植林予定地に赴き、そこの村の人たちと一緒に巻尺ひとつで何箇所もの山の斜面を測量し、三角定規やコンパスを使って図面に落としていった。



「え~っと、この一辺の長さは、縮図にすると何センチになるのかな?」と、ある青年。

「それは、1メートルが○センチだから、縮図にすると△センチだよ」

「この三角形の高さって、どうやって出せばいいんでしょう?」と、別のオジサン。

「あぁ、それは、こうやって90度のところで出すんだよ」

測量チームが他の村の人たちを指導していく、つまりマ村、ゴ村、ポ村の区別関係なく村の人たち同士で助け合うものだから、ラマラジュや筆者の出る幕は、まるで無し。

「自分たちで縮図を描いて面積出して、活動計画作るなんて、村の人たちもスゴイもんだなぁ」と、改めて感嘆するより他にない。

そうして、各村・各集落ごとの植林地面積の算出を、自分たちでやってのけたのだ。
そして中期活動計画も大詰めになってきた頃、毎日10人は日射病や熱中症による死亡者が報じられている過酷な季節。

各村々で、項目の妥当性を話し合おうと、夜明けと同時に村に出かけ、陽が上りきる前に事務所に戻る、という極力太陽から逃げるような毎日を送る中、こんなやり取りがあった。

「黄門様、あそこに苗木を植えて、石垣も作ろうと思うんです。」

「で、石垣のサイズはどれくらいで、何メートル間隔で作るんじゃ?」
と尋ねる黄門様に、活動計画を開いて無根拠な数字を答える村のオジサン。

「お前さんたち、この場所の縮図を描いたろ?」

「そうですけど・・・?」
百数十メートル先の山肌を眺めながら、どのように石垣を設置するか、黄門様が縮図の中に簡単にデザインする。

「一センチが○メートルだから、実際の石垣の長さはどれだけになるかの?」

「はい、黄門様。△メートルです。」

「すごいや!山を登って巻尺で測らなくても、石垣の長さが分かる!」

「しかも、10メートル間隔で石垣を作るとしたら、石垣をいくつ作ればいいのかも、わかるんだ」
口々に興奮した気持ちを叫ぶ村の人たち。



「お前さんたち、縮図はこうやって使うんじゃよ」

面積を算出したらもう縮図の役割は終わったと思い込んでいた矢先、黄門様とのやり取りで、縮図の意味、利用方法に開眼した村のオジサンたち。こうやって、木の植える位置もデザインできるんだと、何人かのオジサンたちは気がついた。

そして、別の村で・・・

「え~っと、灌漑の専門家シバナッパンさん(※よもやま通信前号参照)が来られたときにも、ここに貯水池を作っても水は溜まらないからやめておけと言われたんですが、やっぱり作ろうと思うんです。」

「ナゼじゃ?」

「この下に開墾する田んぼに水を引くためです。」
ところが、その田んぼを灌漑するためには、彼らが計画する貯水池の貯水量では足りないことも判明。しかも、彼らもここに作っても水が十分にたまらないだろう事は知っている。

「例えば、この貯水池の建設に20万ルピーかかるとする。お前さんは、50万ルピーの資金を持っている。貯水池建設のために投資するか?」

「え~ッ、黄門様。20万ルピーも投資しませんよ。」

「ナゼじゃ?」

「だって、作っても水が溜まらないし、意味ないじゃないですか・・・」
だんだん声が小さくなって、最後にはエヘヘと苦笑いする村のオジサン。

「自分の金じゃぁなければ、最後にはどうなってもいいからとりあえずもらえそうなものはもらっておけ、ということが良く分かるのう。ま、誰でもそういうもんじゃ。」

 

2. 長かった道のり

そんなやり取りもありながら、村のオジサン・オバチャンたちは、雨季の始まる前に行う雨の神様への儀式の合間を縫って、植林作業やら灌漑設備の建設やらに必要なコストや労働日数を計算していった。
これらの計算は、昨年度の活動計画の作成と実際の作業の経験から、村人の動員数や作業量がどれくらいになるのかが分かっているので、一日一人当たり100本の苗木を植える、というような無謀な数字は出てこない、と思ってみれば・・・



「では、4つの山の山頂付近、合計5ヘクタールに、10種類の種を埋めたり蒔いたりという作業、どれくらいでできますか?」

「そうですね、6人で4日間あればできますよ、ラマラジュさん」

「それはスゴイ。ところで、一人でどれだけの種を、あんな高い場所まで運べるのですか?」

「う~ん、まぁ10キロくらいがせいぜいだと思いますよ、キョーコさん」

「あ、そうだ。埋めるための道具とか、飲み水、お昼ご飯も持って上がらないと!」

「上り下りだけで、結構時間がかかるなぁ。しかも、4つの山でしなくちゃいけないんだ・・・」

「となると、6人で4日間はムリってことか。」

貯水池の堆積土の除去や水路の整備などの作業では無茶な労働計画は出てこないが、初めて計画する植林になると、すぐに無謀な作業計画をはじき出す村のオジサンたち。しかし、一回考え方を整理できると、山腹付近での植林作業計画でも、暴走しかける計画を自ら省みることができるのが、やはり昨年度に何度も何度も「一羽の鶏を100人で食べるのか」と刷り込まれたおかげであろう。

そうして、出来上がった中期活動計画。

「灌漑に必要な水量を貯めるためにはどれくらいの大きさの貯水池が必要なのか?」

「土中の保水度を向上させるには、どうすればいいのか?」

「度重なる土砂崩れを防ぐには、何が必要なのか?」

「水源地を涸れさせないためには、どこに何をすればいいのか?」

そして、

「将来の補修や管理に必要なコストをどうするか?」
ということも、それぞれの村で考えた。

事業当初は「オラの田んぼにさえ水が来れば、それで良し」としか考えていなかった村のオジサン、オバチャンたちだったが、「オラたちの山に木があって、水が涸れることなく、村のみんなでずっと田んぼで米が採れているように」と考えるようになり、そして活動計画を作り上げた。
事業開始から約20ヶ月が経っていた。

「よし、大筋ではコレでよかろう。マ村、ポ村、ゴ村の皆の衆、早速作業に取り掛かるが良い。ただし、植林のデザインを仕上げてから、植え始めるのじゃよ。」
と、黄門様から印籠を見せられて、喜び浮かれる村のオジサン・オバチャンたち。

「雨季が始まるまでに、灌漑設備の建設を終わらせないと!」

「種や苗木も、早く集めないとね」



雨季の前触れのように、空が暗くなり風が吹き荒れる日も出始めたこの頃。今年は平年並みに雨が降る予想が出ており、村の人たちも期待で一杯だ。

さてさて、これからどのように活動計画が実行に移されるのか。

スタッフも村の人たちも、空模様と活動計画を見比べながらの日々が始まる!


3. 注意書き

黄門様=和田信明。特定非営利活動法人ソムニード(現ムラのミライ)の代表理事。村のオジサン・オバチャンたちが1センチにもこだわって、灌漑設備のサイズやら予算やらを計算しているため、嬉しい悲鳴を上げている。

ラマラジュさん=頭の中の計算器のバージョンアップが著しく、活動計画に書かれたサイズやコスト、労働日数をものの数秒で検算するようになった。

筆者=前川香子。活動計画作成が終盤に近づくにつれ、暗算するという機能を放棄。


2009年4月13日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第12号「七転び八起き、活動計画への道のり(3)」(2009年4月13日、23日に前編、後編に分けて発行)

 

目次

1. 活動計画は”作ったら終わり”じゃない
2. 森林と灌漑設備の専門家に学ぼう
3. どんな地図が必要なの?

1. 活動計画は“作ったら終わり”じゃない

一年で一番涼しい時期である1月、マーミディジョーラ村(以下、マ村)やポガダヴァリ村(以下、ポ村)、そしてゴトッゥパリ村(ゴ村)のオジサンやオバチャンたちは、今まで何のメンテナンスもしてこなかったため池など、灌漑設備の底にたまった堆積土の除去や土手の補強作業をしていた。

前回から続いている活動計画作りの中から最優先活動を取り上げた、2008年度版活動計画の実行なのだが、計画したとおりの期間内に作業を開始して終わらせられるのは、十ある作業の内一つか二つ。
「どれだけ進んだかな?」と、村でもオジサンたちがファイルにとじている活動計画表を見ながら、村の人たちと巻尺で作業途中のため池の体積を測り始めると、まだ何も聞いていない内から
「いやぁ、思った以上に土が固くてねぇ」とか、
「来ると思ったオヤジ連中が来ねえんだ」とか、なんやかんやと理由をつけて予定通りに作業が進んでいない言い訳を始めるのだが、とりあえず途中で放り出すことなく完了させてきた。
「とりあえず掘っちゃえ」とならないよう、活動計画表をいつも見るように促し、ため池の体積が作業前に比べてどれだけに増えているのか、村の人たちとチェックしては目標サイズと照らし合わす。



労賃の支払い日には、自分たちで記録付けている作業記録簿を提出してもらい、各村人への支払額を算出する。そして、今回、甘く計算していた作業期間や、一日の作業ペースを見直して、これから完成させていく中期活動計画表に反映させていくべく、マ村・ポ村・ゴ村のそれぞれの作業内容や労働延べ日数を共有する。

手足だけを使う労働者ではなく、自分たちで計画して、責任者が指揮して、労働して、記録も付けるという一連の作業に勤しむ村のオジサンやオバチャンたち。

 

2. 森林と灌漑設備の専門家に学ぼう

そんな忙しいオジサンたちの元へ、南隣の州、タミルナードゥ州から列車に揺られること1日半かかってやって来たのは、森林専門家のティナガランさんと灌漑設備の専門家シバナッパンさん。

二人とも80歳近い高齢だが足腰は強く、陽が照りつけるフィールドでもヒョイヒョイと歩き回る元気なオジイチャン達。



早速村に入ると、「このため池へはどこから水が流れ込んでいるんじゃ?」「この斜面には石垣があれば良い」「この村には○○という木はあるのかの?」「岩だらけの場所での植林は、まずこうすればいいんじゃ」と矢継ぎ早に質問やアドバイスが飛び交い、ラマラジュも声をからしながらの通訳をする。
そして、二人がマ村を訪れたとき、私たちはものすごい発見をしたのだ。

今までチャタジーさんや黄門様が2回ほど訪れたチェックダム(よもやま通信第1号、第7号参照)。今回もこの場へとみんなでゾロゾロと歩いていったのだが、マ村の人たちの作業によってつもりに積もった泥が取り除かれて、以前は見えていなかった底など全貌が明らかになっていた。



そしてこれを見たシバナッパンさんは、「おい、これはチェックダムではないぞ。水の流れを変えるための水壁じゃ」と指摘。
ダンダシを含めて狐につままれたような村のオジサンたち。
これはいわば、「露天風呂」だとおもっていたら実は「池」だった、というくらいのマヌケな発見であるが、堆積土除去作業のおかげで遺跡発掘というオマケがついてきた。

ポ村、マ村は、村の中で二人の専門家から色々とアドバイスを受け、ゴ村は研修センターでのまとめの日にマ村やポ村の振り返りの発表を聞いた。そして、「理解したこと」「これからの作業」を、山頂部、中腹部、裾野のそれぞれでリストを作成、発表したのだが、ゴ村のプレゼンでは、山頂からでも作物を収穫するような植林計画を自信満々に発表した。

「これまで研修してきたことが抜けてしまったのか!?」と危ぶんだ筆者たちは、山頂から裾野までの特徴を尋ねると、青年モハーンはこう答えた。

「山頂とは、人間で言うと頭の部分。中腹はおなか、裾野は足の部分に当たります!」
さらに尋ねる。

「で、山頂が頭なら、それはどういう意味ですか?」
「え~っと、てっぺん」

「・・・・・・・・・」
このやり取りを聞いていて、文字通り頭を抱えるポ村のパドマ。

私やマ村のダンダシがゴ村に行って、山頂から裾野部分まで、それぞれの区域の特徴とか必要な作業とか話したのに・・・。なんで覚えてないの~?」
一回だけの研修で、すっかり理解できたら私たちも嬉しいんだけどなぁ、と思った私たち。「またゴ村に行かなくちゃ」と、鼻息荒く決意するパドマだったが、自分が研修で教えたことをモハーンが答えられないことにず~っと、「どうして・・・どうして・・・」とつぶやいていた。

シバナッパンさんやティナガランさんたちが来る直前の中期活動計画作りの研修では、「専門家がやってくるよ」と聞いたとたん、

「新しいため池が欲しい」

「石垣が作れたらいいな」
と、この事業が開始した当初の「何かがもらえるかもモード」に一瞬逆戻りしたオジサンたちだったが、二人の専門家がタミル・ナードゥ州へと帰っていった後から、再び「自分たちでやらなきゃモード」に突入し、体積がどれくらいあれば、自分たちの農地が灌漑できるのか、再び計算機をたたき出した。

そして次に村に現れるのは、飛騨高山からやって来た測量の専門家!

 

3. どんな地図が必要なの?

稲刈りも終わって当分農作業も無いオジサンとオバチャンたちの元へ、二人のオジイチャン専門家の次にやって来たのは、飛騨地域で農場も営む測量の専門家、ワニさん。

マ村(マーミディジョーラ村)、ポ村(ポガダヴァリ村)、ゴ村(ゴトゥッパリ村)のオジサンたちは、自分たちで描いた地図を使って、今、村にある灌漑設備や今後の植林計画などについて説明したところ、「皆さんの地図もスバラシイ」と、測量専門家のワニさんからお褒めの言葉が!

そして、「これからどんな地図が必要ですか?」「誰が使うのですか?」と、ソムニード(現ムラのミライ)でおなじみの質問攻撃がワニさんからも繰り広げられる。しかし、世の中にどんな地図が存在するのかほとんど知らないオジサンたち。
初めての場所に行くにしても、「人に聞いていけば着けるさ」

山の高低や斜面の傾度にしても、「あの山がこの山よりも高くて、斜面がちょっと急なんだよな。オラたち知ってるよ」

田んぼの位置にしても、「オラの田んぼは、○さんと□さんと△さんの田んぼに囲まれていて、水路から水を引いてるよ」

等々、地図などなくても「オラたちの取って知ったる村の中」と、感覚的に生活を営んでいける。
そこで、ワニさんが様々な地図を紹介した。

「コレはワタシの農場で使っている地図ですが・・・」と、まず最初に見せた図面は、広大な田んぼを栽培している米の種類ごとで色分けがしてある、縮小サイズの違う図面を2つ。
稲作中にどのようにこの図面を利用しているのかを具体的に紹介すると、オジサンたちからは「オラたちの田んぼも、土が肥えている所、痩せている所、灌漑のやり方とかを、こうした図面にすることができるかも」という声も挙がってきた。
そして、

「地図には、自分たちだけで使うものと、他人と共有するものの2種類がある」
ということを、田んぼの耕作用の図や温泉の位置図、道路マップ等々を見せてくれて、さらに、
「地図を作るにも、測量が必ずしも必要ではない」
と、ワニさんのおじいさん達たちが昔、測量機材を使わずに水路を築いた方法も紹介して、オジサンたちを力付けてくれた。

ポ村では、測量機材を使わずに巻尺とペンと紙と、そして観察眼で、距離や建物、田畑の位置を記した地図を実際に作ってみることになったのだが・・・

30メートルの巻尺をもって、村の入り口からある地点までを測っていく村のオジサンたち。測っているオジサンたちは30メートルごとに地面に印を付けて、頭の中で「30メートル、60メートル、90メートル・・・」と計算していった。

「で、距離はどれくらいあったんですか?」と、測り終わったオジサンたちに尋ねる筆者

「はい、360メートルです」と、村のオジサン。

「え?390メートルじゃないの?」と、ソムニードのスタッフ。

「あれ、ボクがメモしたのでは420メートルだけど」と、ワニさんがメモを見せる。

「?????」
オジサンたちが測っていくのをみんな一緒について歩いていったのだが、てんでんバラバラ、しかもオジサンたちとワニさんでは60メートルもの誤差が出てしまった!

「じゃぁ、ワニさんが正しいということで」と、オジサンたちの方が正確なのかもしれないのに、安易に何も考えずにすまそうとするオジサンたちだったが、もう一度最初から測っていくことにした。



 

スタート地点を「ゼロ」として、30メートルの印ごとに「1、2、3・・・」とマーキングをしていくようワニさんからのアドバイスどおりに測りなおした結果、

「やっぱり420メートルだった」と、なぜか得意気なオジサンたち。

距離がわかってヤレヤレと安堵しているオジサンたちに、ワニさんからさらに質問が飛んでくる。

「では、田んぼは(マーキングの)何番目から何番目までありましたか?」

「お寺はどのあたりの地点にありましたか?」

「大きなマンゴーの木はどこにありましたっけ?」

「集落は、何番目から始まりましたか?」

などなど。

「え~と4番目から田んぼだったっけ」と、感覚で認識しているためにあやふやな答えしかできないオジサンたちに、もう一度実際に見てもらって、それを黒板に落としていく。

そして集落やら田んぼ等々の情報が図に加えられていき、測量機材がなくても出来る地図の一例が、オジサンたちの目の前に現れた。



マーキングをする意味、情報の取り方、地図の書き方のポイント等にフムフムとうなずくオジサンたちだったが、これはあくまでも、地図の作り方の一例であって、根本的に考えなくてはいけないことは、

「誰のために、何の地図が必要なのか?」

ということである。

このワニさんのインプットが、いつまでオジサンたちの頭に残っているか、少々不安もあるのだが(前編の中のパドマの嘆きが再び聞かれそうな・・・)、活動計画を最終化する時、そして植林や灌漑設備の建設作業が始まるときに、きっと何人かは思い出してくれるはず・・・!

今年は、涼しいはずの1月2月も早くから暑くなり始め、今は、村に出かける時間帯が早朝か夕方に限られつつあるのだが、活動計画最終化に向けて、今日もオジサンやオバチャンたちが待つ村へ、汗を拭き吹き山を登っていく筆者たちだった。

次号に続く



4. 注意書き

ティナガランさん=元森林局のトップで、知らない植物はない植物博士。

シバナッパンさん=三度の飯よりチェックダムや石垣等々が好きな元大学教授。ティナガランさんもシバナッパンさんも、ソムニードの古きよき友人たち。

ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。村のオヤジたちに上手くアメとムチを使い分ける。

黄門様=和田信明。ソムニードの代表理事。

ワニさん=和仁一博。測量専門家でソムニードの理事。飛騨地方で休耕地を利用した農場を営む。

筆者=前川香子。一度にたくさんの専門家たちから教えを受けて、オバチャンたち並に脳みそ沸騰中。