2023年3月22日水曜日

メタファシリテーションのできるまで(9)

プログラムの進め方について、試行と錯誤を文字通り重ねつつよろよろと(やり方がよく分からないのと資金が常に足りないという二重苦によって)進んでいた頃、とにかく確かな拠り所が欲しいということで「数字に凝った」ことは、前回お話ししました。同時に、村人たちとのやり取りは次第に自由自在という具合になっていった頃で、これはこれで楽しくて仕方ないというレベルになりつつありました。何せ、話すごとに新しい世界が広がっていくのですから。ただ、この村人とのやり取りとプログラムの組み立てがうまく噛み合わない、結びつかないというのが当時の悩みでした。

村を構成する要素が見えてくる

ところで、村人の話を聞くつどに世界が広がる、というかどんどん村というジグソーパズルのピースが埋まっていくような感覚を持つようになっていた私は、自分でも気づかないうちに対話のコツを方法論的なものにまで高めていました。と言って、それをちゃんと言語化していた訳ではありません。あくまでも手順というか、こう質問してこう答えが来たら、次はこう聞く、みたいなものが整理されていったと言った方が正しいでしょう。 



以下は、これまでにもいろいろなところで紹介されている例ですが、分かりやすいのでここでも取り上げてみましょう。「鉈」です。村を歩いていると、よく腰のあたりに鉈をぶら下げた男たちに行きあいます。そんな時は、すかさず鉈を入り口にいろいろ話を聞いていきます。少々長くなりますが、お付き合いください。

私:あなたの腰に下げているそれ、なんですか?
村のおじさんA(以下A):これか?鉈だ。
私:ほう、それはなんに使うのですか?
A
:主に山仕事だな。枝を払ったり、蔓を払ったり、草刈ったり、いろいろだな。
私:その鉈、買われたんですか、それともご自分で作られた?
A
:鍛冶屋に頼むのよ。
私:鍛冶屋さんは、この村にあるのですか?
A
:いや、あそこに鍛冶屋の村があるだろうが。XX村だよ。
私:今使っている鉈を、
XX村で作ったのはいつ頃だったか覚えてますか?
A
:さぁて、いつ頃だったかな、10年前くらいかな。
私:
XX村のどなたに注文されたんですか?
A
Bさんだよ。いつも彼女に頼んでいるんだ。
私:そうですか。最近、何か
Bさんに頼んだことはありましたか。
A
:鋤の具合が悪くなったんで、新しく鋤を頼んだな。
私:それっていつ頃でした。

A
4月さ。5月あたりから、ぼちぼち田んぼの鋤起こしをやらにゃならんでな。
私:
Bさんには、頼む時いくらか払うんですか。
A
:いや、できた時に払えばいいんだ。
私:じゃ、それまでお金はいらないんですね。

A
:いるさ。材料の屑鉄を買って持っていくでな。
私:そうなんですね。屑鉄はどこで買うんですか。

A
:〇〇村の市場さ。
私:ほう、そうでしたか。この鉈のためにはどのくらいの屑鉄を買ったんですか。

A
:1キロだよ。
私:で、
Bさんに渡すと、この(と鉈を指差して)完成された状態で返してくれるんですね
A:いや、返ってくるのは鉈の身の部分で、柄は自分でつけるんだ。
私:そうでしたか。柄にする木はどこで取るんですか。

A
:家の裏庭のジャックフルーツの木さ。
私:その木は、
Aさんので?
A
:そうさ。
と、こんな調子で時間の許す限り、延々と続いていく)

 

もちろん、当時録音していた訳でも、その場で記録を取った訳でもないので、確かこんな聞き方をしていたなという記憶に基づいて復元(というほど大袈裟なものでもありませんが)してみたものです。この辺りまで聞いていくと、この後聞いていくこと、そしてここで時間がなくて終わってしまったら、次の機会に聞いてやろうと思うことが山ほど出てきます。もちろん、聞くネタはすでに集めてしまっているので、そのネタに従って他の人にも聞くことができ、益々村の生活についての知識が増えていくというサイクルがすでにできていました。 

「ネタ」から「ネタ」へ 質問が質問を生む

では、どんな「ネタ」が集まったのか、ちょっと見て見ましょう。 


まず、「鉈→山」です。「鉈を持って山仕事」という話題が出てきたので、適当なタイミングで鉈を使った山仕事のことをじっくり聞いていくことができます。この時は、鉈について聞いてやろうと思っていたので、主にそのことを聞いていきましたが、例えば、すぐに「これから山でどんな作業をするんですか」と聞いてみても構いません。自分だったらどういう風に聞いていくか、どんな話題が出てくるか、ちょっと想像してみてください。
 


次に、鍛冶屋が集まる
XX村という話題が出てきました。これも、しめしめと言いたくなるほどの情報の宝庫となりうるネタです。Aさんは鉈や鋤の他にどんなものをこれまで作ってもらっていたのか、それぞれの道具はどのくらいの頻度で注文しているのか(言うまでもありませんが、「どのくらいの頻度で注文するのですか」なんて聞いたらダメですよ)、全て、材料の鉄は自分で買って持って行っているのか、鍛冶の料金はそれぞれいくらか、バーゲンはするのか、他で頼むことはあるのか、などなど、ここでも聞くことは山ほどあります。 


さらに、「
5月にぼちぼち田んぼの鋤起こし」という話題が出てきました。現地では、5月といえば乾季の一番暑い時期です。こんな時に鋤起こしをするとはどういうことでしょう。どんなタイミングでするのでしょう。その後の作業は、一日のどの時間帯で行う?など、ここでも聞くことは沢山あります。 



さらに、柄の部分は自作でしたね。裏庭の、ジャックフルーツの木の枝を使っていました。ジャックフルーツは、巨大な実をつける木です。私のような者には、季節になったら出てくるフルーツ(もちろん都会でも青果市場やスーパーで売ってます)としての認識しかありませんでしたが、このような使い方を聞くと、他にも木の部位による使い方がありそうですね。ここでも、聞くことがいっぱい出てきます。さらに、裏庭にはどんな木を植えているか、山に植っている木で、自分が所有している、あるいは独占的に利用できる木はあるか、共有する木で利用しているものはあるか、などなど、話題の広がりはほとんど無限(大袈裟ですね)と言っていいものがあります。
 


まだまだありますよ。〇〇村の市場についても聞くことは沢山あります。屑鉄の他には、何か一緒に買ったものはあるか、一番最近いつ行ったか、その時は何を買ったか、などなど。例えば、買うだけではなく何かを売るということもしているかもしれませんね。
 

頭の中でパズルの全体像を組み立てる

この鉈の例でわかるように、Aさんは、エンドユーザーでもあり、製作者の一部でもあり、また材料の供給者でもあり、と、私たちの消費者というイメージからは大分違った消費者としての在り方(とでも言うのでしょうか)があります。 


例えば、このように自分も消費者でありながら製作の一端を担うという消費の在り方ではなく、全く完成品を買うだけということはあるのでしょうか。その場合は何を買っているのでしょうか。そういうことも、確かめることができますね。そして、そのような「買うもの」の中で、何が
Aさんの村や周辺の村で作られているのか、何が他所から来るのか。 


このように、上記のこれだけのやり取りでも、村というものを重層的に理解し、村の全体図のジクソーパズルのピースを埋めていくピースを得ることは十分にできます。ただ、このように対話をしながら、そういうことが一瞬で頭の中で構造化できる、そのためには、やり取りの一つ一つをその場で分解しながら対話を進めていくという技術、能力がなければいけません。
 


私は、気がついてみると、活動を始めてから
78年経つとそのようなことを自由自在にできるようになっていました。そして、最初は苦痛だった村人とのやり取りが、楽しくて仕方がないという風になっていました。


和田信明(ムラのミライ海外事業統括)

 

 

村でサヤインゲン栽培についての聞き取り4

以前「認定トレーナー・前川香子のチェックポイント」とZoomセッションでサヤインゲン栽培の聞き取りについてアドバイスをいただきました。

以前の記事
村でサヤインゲン栽培についての聞き取り1
村でサヤインゲン栽培についての聞き取り2
村でサヤインゲン栽培についての聞き取り3


今回は、その後Aさんに追加で聞き取りをしたときの様子をご紹介します。

前回の聞き取りでは、昨年2月末に植えたサヤインゲン(種1kg分)を4月18日に収穫するという話だったので、今回はその結果(出荷量など)を確認しました。
今回は約10分と短い時間でのやりとりになりました。

私:4月18日から収穫と言ってた分は、全部で何回収穫した?
A:5回。あまり(量が)多くなかった。1回で20kgぐらいの収穫だった。
私:1回目の収穫も20kgだった?
A:1回目は大体(量が)多いよ。
私:1回目の量は覚えてる?
A:1回目は50キロで、2回目からはだんだん減っていった。
私:その時の買取価格は?
A:1キロ20バーツだった。
私:1回目50キロということは、(出荷額)1000バーツぐらい?
A:そう。それからは2回目800バーツ、3回目600バーツ、4回目400バーツちょっと、5回目は400バーツだった。
私:合計で3200バーツぐらいだね。
A:本当は良く育てば10回ぐらい収穫できるんだよ。(Aさんが) Cさんの畑に植えたときは1回目(の出荷額が)2000バーツぐらいになった。
私:それは何月?
A:6月。4月の収穫分は田んぼに植えた。畑に植えた方が本当は良く育つんだよ。
私:世話は同じようにした?
A:そう。
私:6月に植えた畑には前にも植えたことある?
A:初めてだった。2月末に田んぼに植えたのもその時が初めてだった。

サヤインゲン、花
出典:Flickr(Photo by:Forest and Kim Starr


私:2月に植えた分は育ちが良くなかったって言ってたけど、それは葉が付かなかったとか?どういう状態?
A:虫が根っこを食べちゃったんだよ。
私:2月に田んぼの脇に植えたサヤインゲンに付いた虫と同じ?
A:そうそう。最初は順調に育ってたけど、そのうち苗1本ずつ虫がついて(順番に)枯れていった。
私:どれくらい?半分ぐらい?
A:半分ぐらい枯れた。
私:それは多かったね
A:うん。もし枯れなかったら、本当はもっと収穫できてたな。
私:枯れたときは農薬撒いたりした?
A:何もしなかった。使ったとしても結果が出ないからそのまま放っておいた。
私:今後、またサヤインゲンを植える予定なの?
A:そのつもりだけど、まだ種をもらってない。
私:いつ(種を)もらう予定?
A:(今年)2月に植えるつもり
  (→種は蒔く1ヶ月前に王室プロジェクトの会議に出席して申請するシステム)
私:どこに植える?
A:まだわからない、多分Cさんの畑の下のところかな。

「世話は同じようにした?」は、曖昧な聞き方になってしまったなと感じました。
時間はかかりますが、6月は種何kg分植えたかや、作業の仕方などを順に聞いて2月と何か違いがあったか確認するのが良いでしょうか。

結果的に4月収穫分の出荷額は3200バーツということでした。
(前回の聞き取りによると投資額は500バーツ+α、植えてから約2ヶ月で収穫)

赤字は出ていませんが、前回の聞き取りではだいたいいつも種1kgあたり合計1万バーツ前後の出荷額になるとAさんが話していたため、それに比べると今回の出荷額は通常の3分の1程度だったことになります。

地域全体でサヤインゲンが枯れていた時期だったため、Aさんのサヤインゲン栽培に特別な問題があったわけではないかもしれません。
ただ枯れていってる最中に何も対策を取らなかったと話していたので、本当に効果的な対応策が無いのか、今後のためにも追って確認しておくといいかなと思いました。

寺田華恵さん
メタファシリテーション講座修了生/Chiku ChikuTong Tong (ちくちくトントン)

2023年3月1日水曜日

メタファシリテーションのできるまで(8)

現場でのやり取りに手応えを覚え、農民(より大きな括りだと村人ですね。余計なことですけど、相手を農民と呼ぶ私は都会者とでも言うのでしょうかね)とのコミュニケーションに大分自信を持つようになったのですが、では実際にプロジェクトをするにはどうしたらいいのか、農民の本音のようなものがわかったところで何をすればいいのか、事業としての取り組みと農民とのコミュニケーションの間の繋がりがまだ見えていない、そんな時期に私はいました。この活動を始めて5、6年がたった頃でしょうか。

数字への入り口

この時期、私は数字に凝り始めていました。

具体的に何をしたかというと、まず植林をするのに正確な地形図がないのに音をあげてスタッフに測量トレーニングをしました。日本から測量の道具(古いやつです)を提供してもらい、尚且つこれも日本の測量の専門家たちに来てもらい(休暇を利用したボランティアです。飛行機代も何もかも自費で来ていただいています。今なら、もしこんな必要があったら、現地の専門家に謝礼を払って来てもらいますが)、CSSSのスタッフに測量のトレーニングをしてもらいました。しかし、みなさん、仕事の合間に休暇をとってきてくださっているので、現地に滞在していただけるのはせいぜい3、4日です。この期間でできることは、教えてもらいながら測量機器の操作をするのがやっとで、とても自分たちで地形図を作るところまではいきません。それでも、地形図がないと正確な植林計画ができない、特に斜面に植樹するときの苗の必要数が計算できないなど、スタッフに理解してもらうことはできました。

だからと言って、測量が定着したわけではないのは、インストラクターが側についていないとできない程度の習熟度だったからなのは明らかです。それに、もう一つ、私がそれから10年以上経ってから実行したことですが、この時はまだ村人に直接測量を訓練する、それもメジャーを使っての極めて簡単なものさえ行わなかったことです。まだそのことは当時の私には発想がありませんでした。どんなプログラムも、「村人のプログラム」などと偉そうに言っていた割には、本当は自分たちが持ち込んだ、支援者の支援者による支援者のためのプログラムだったという自覚がなかったのですね。

どのくらい足りないのですか?

ただ、この頃になると、数字に凝り出していた私は、数字を尋ねるということをしていました。例えば、村人から「水が足りない」と言われれば「どのくらい足りないのですか」という具合に。それに対して「あの田んぼを灌漑するのに足りない」と言われれば、「どの時期にどれだけの水が必要なのですか」と、具体的に問い返すことをしていました。また、これに加えて「水が足りない」と思うようになったのはいつからか、そんなことも尋ねるようになっていました。


このように問い返す、具体的な数字を尋ねるということを通して、幾つか学ぶことがありました。

まず、第一に村人たちは数量的に足りる足りないを把握しているのではないということ。必要量はこれだけだから、これだけ水のストックがなければいけないとか、これだけの容量の溜池が必要だとか、「水が足りない」ということの根拠は必要な時に十分な雨が降らなかったとか、井戸が枯れてしまったとか、溜池に水が溜まらない、あるいは干上がっている(乾季にはよくあることですが)とか、目前の現象としての水不足であり、だからこの耕作面積に対してこれだけ不足していたという数量的に把握した認識はありません。

第二に、水がなぜ不足するのかという原因についての考察がありません。いつ頃から水不足は始まったのか、始まった頃一体村で何が起こったのか、あるいは起こり始めたのか、そのことを問うということがありません。もっとも、偉そうにこういう私も、そんなことを考え始めたのは、もっと後のことですが。

第三に、水やり(灌漑)そのものについても、計画的に行なってはいません。

分析する枠組みの一歩手前で

以上のような学びはあったのですが、ではそれをどのような枠組みで検討すればいいのか、課題は果たして何なのか、そこまで突っ込んで考えていくには、当時の私はまだまだ経験や知識が不足していました。今思えば、水不足ということを村の時間軸上での変化という文脈に落とし込む、そして他の自然資源との関連において総合的に判断していくという知識も技術も、そして何よりも見識もなかったわけですが、そのような知見ができるまでには、後数年かかりました。


しかし、そのような知見も、ただ待っていても持てるようになる訳ではありません。私の現場での技術も、新たな知識を得てそれを自分の知見とするに必要なレベルに達するまで、それなりの進歩を遂げていました。それが具体的にどういうことか、次回に例を挙げて説明してみましょう。
 

和田信明(ムラのミライ海外事業統括)

 

2023年2月21日火曜日

メタファシリテーションのできるまで(7)

インタビュー修行は順調だったものの、それが現場ですぐに活かせるかというとそうは簡単にはいきません。自分で計画し、相手にお願いしてさせてもらうインタビューは、いわば事前にそれなりに聞くことを想定し、自分が聞きたいことを質問していくのですから、慣れてくればそれは順調にいくわけです。しかし、現場で、その場で、しかもいつも違う状況の中で、となると話は違います。こちらが望むようなおあつらえ向きの状況、そんなものがあれば、の話ですが、などありようはずもありません。

 

その場で確かめられることは、その場で確かめる

しかし、そんな状態からのブレークスルーのようなものが、ある日訪れました。ちょうど乾季の暑い日だったことを覚えています。ある村で、1人の農民の乾季の「困りごと」についての聞き取りを行なっていた時のことです。乾季の農民、特に「土地なし」の農民にとっては、仕事がないというのが「困りごと」のパターンです。この時も、私は彼の話を聞く前から、「仕事がない」、では「何か仕事を生み出すプログラムを考えなければいけませんね」などという埒もない想定問答を考えながら対話を試みました。

私:今、何に困ってますか。
彼:農繁期ではないので、仕事がないです。
私:なるほど。それはいけませんね。で、今は何をしているのですか。
彼:唐辛子を作っています。
私:えっ?(彼は、「土地なし」農民じゃなかったっけ)唐辛子って、どこで作っているのですか?
彼:ほら、あそこ。斜面の畑。
私:(なんと、あそこは彼の畑?)
 

この話は、「途上国の人々との話し方」にも紹介しています。その場で確かめられることは、その場で確かめる、ということが漸く体に落とし込めてきた、そんな感触を得た最初の例なので私の記憶に残ったやりとりだったのでしょう。このような問いかけができると、そのあと、「いつから作っているのですか」、「唐辛子の前は何を作っていたのですか」、「収穫はいつですか」、「収穫後は誰に売るのですか」など色々聞けますね。「農繁期ではないので、仕事がないです」に対して、「それは困りましたね、どんな支援が必要ですか」と返してしまえば、彼との対話はそこでお終い。対話が終わってしまえば、彼について何も知ることができず、つまるところは彼のリアリティーに迫ることはできず、十年一日のごとく同じようなプログラムを続けることになります。


支援という名の視野狭窄

しかしこれ以上に私に学びを与え、その後の現場でのパフォーマンスを向上させるきっかけを与えてくれたのは、「ほら、あそこ。斜面の畑」です。私にとって、これはちょっと衝撃的でした。なぜなら、それまで私は村に行って、村のことを観察したことがなかったのです。もっと端的に言うなら、農民相手のプログラムをやっているのに、農業の現場そのものをじっくりと観察したことがなかったのです。ちゃんと観察していたら、このやり取りももっと違ったものになっていたでしょう。例えば、

私:いやー、暑いですね。今年の夏も焼けるような暑さですね。
彼:まったくだ。
私:ところで、あの丘の斜面の畑、あれはどなたの畑ですか。
彼:あぁ、あれか。あれは俺んだ。
私:そうなんですね。今は何を作っているんですか。
彼:唐辛子さ。
私:いつから作っているんですか。

という具合に、最初から「相手の話を聞く」ということができるようになります。言ってみれば簡単な話です。しかし、この簡単なことに何年も気づかなかったのですから、お恥ずかしい話です。これも、それまでは常にプログラムありきで村に行っていたからでしょう。支援という名の視野狭窄です。

 

世界は話のネタに満ちている

こうして、まず観察する、それも農民に会って話を聞くまでに、周りをよく観察しておく、そして話を聞く相手のこともよく観察するということを意識的にやるように心がけるようになりました。すると、なんと世界は話のネタに満ちているではありませんか。というより、観察するだけで、自分がまったく知らないことをどれだけ見過ごしてきたのか、よく分かりました。あそこに植えているのは、ソルガムだな、ソルガムはいつ頃植えていつ頃収穫するのだろうか。あ、この人が持っているナタはどこで買ったのだろうか、どんな作業に使うのだろうか、など、こちらが学ぶべき教材が、答を教えてくれる人とともに私をいつも待ち受けていたのだということをやっと理解したのです。

 

これですぐにやっていることが変わったかというと、そう簡単にはいきませんでしたが、このことに気づくと、なんだか私の視界を覆っていた靄が、少し晴れたようなきがしてきました。なんだ、未来は明るいじゃないか、とまではまだいきませんが。

 

この続きは、また次回ということで。

和田信明(ムラのミライ海外事業統括)



2023年2月1日水曜日

私のメタファシリテーション活用法

メタファシリテーションを学び始めてから10年以上が経ちました。仕事や地域活動、身近な人とのコミュニケーションなど様々な場面で助けられてきましたが、中でもメタファシリテーションを学んだおかげで、家族関係が明らかによくなったというのは私にとって一番大きなことです。今回は、私がどんなふうにメタファシリテーションを取り入れて、その結果、家族関係が良くなっていったかについて1つの例をお話したいと思います。私のやり方がみなさんにも効果的なものかはわかりませんが、あくまで私個人のストーリーとしてお読みいただければと思います。

いつの時期かはっきり覚えていないのですが、学び始めて2年くらい経った頃だったでしょうか。帰りが遅いのに連絡がなく、何度携帯に電話をしても出ない夫に対してイライラしていた時のことです。1人で待っていて、不安が募り、色々な妄想が私の頭の中を忙しく駆け巡っていました。「どうして帰ってこないし、電話も出ないんだろう」から始まり、「もし何かよくないことがあったらどうしよう」「私をこんなに心配させるなんて、最低だ」「わざと連絡しないで私を困らせようとしているんじゃないか」「私への嫌がらせだ」「今回だけじゃない、そういえば前には〇〇のことで嫌な思いをさせられたんだ」と思考はどんどんエスカレートして、だんだん夫への怒りも湧いてきました。


そうした中でメタファシリテーション講座で、感情、考え、事実という現実を構成する3つの要素をまずは区別できるようになることがメタファシリテーションの第一歩であると学んだことを思い出し、今の状況を整理してみることにしました。起こっていることをメタ的に観察したのだと思います。「事実」は夫が帰ってこないということ、そして4回電話しても電話に出ないということ。その他の部分は自分が作り出した「考え」だと気づきました。「事実」と「考え」を頭の中で整理すると、いかに自分の作り出した「考え」が自分の不安や怒りを煽っていたかがわかり、それだけでだいぶ冷静になることができました。

そして、過去の同じようなケースでのやり取りを振り返ってみると、やっと夫から電話がかかってきた時に、「わざと連絡しなかったんでしょ!」など自分が作り出した「考え」をぶつけていたということに気がつきました。夫はそんな時ムッとして謝ることはありませんでした。私としては、こんなに嫌な思いをさせたのに、謝りもしないで!と心の中で思っていましたが、「考え」の部分は私が自分で作り出したもので、当然夫と共有していないので、理解できなかったのだと思います。


その後、私は不安になってきた時、怒りを感じた時などには、何が「事実」で何が「考え」かを意識し、「事実」に意識を集中するようにしました。それでも「考え」がしつこく浮かんできたら、その考えに対して、自分で事実質問をしてみたりもしました。もう1つ徹底したのが、相手とのやり取りの中で「考え」は持ち出さないということでした。最初は「考え」にどっぷり浸かりきって、あ、これは自分が作り出した考えだ!と気づくのに時間がかかったりもしていましたが、だんだんと自然にできるようになってきました。その結果、何と言っても自分が作り出す「考え」に振り回されることがなくなって本当に楽になりましたし、楽になったことで夫との関係が良くなったと感じています。

久保田絢(ムラのミライ理事/メタファシリテーション認定トレーナー)

 

 


 

 

2023年1月17日火曜日

メタファシリテーションのできるまで(6)

相手のことを知らなかったという自覚から

靄の中でモヤモヤしていた私が何を決心してやったかというと、インタビューです。私は「支援している」相手を知らないで「支援している」のではないか、恥ずかしながら、そして遅まきながら気付きました。で、相手のことを少しでも知ろうと思ったわけです。

ではどうするか。私はラマに頼んで、6つの村を選んでもらい(当時パタパトナム郡を含む3つの行政郡を対象としていたので、それぞれの郡から村を2つずつ)、さらに村ごとに1人インタビューの相手を選んでもらいました。一応ジェンダーバランスも考えて男女それぞれ3人ずつ。これを年に一回、3年間続けました。今思えば、この6人の方達もよく付き合っていただけたものです。私が曲がりなりにも現在もこの仕事を続けられているのは、紛れもなく、彼らのおかげです。


忘れもしません。最初にインタビューしたのは、山際にある小さなアウトカーストの村の女性でした。何を聞いたかは、ほとんど覚えていませんが、この時の私は謙虚でした。まあ、そうならざるを得ません。実は何も知らなかったという自覚があってのこのインタビューでしたから。まず、名を名乗り、「お話を伺ってよろしいですか」と相手の了解をとりました。彼女は少し驚いたようで、未だかって外から来た「偉い人」にこんな態度を取られたことはなかったからです。とりあえず、「話を聞いてくれていいよ」と快く(と私は解釈しました)承知してくれました。場所は、彼女の家の土間。呉座のようなものが敷いてあったでしょうか。CSSSのスタッフが通訳をしてくれました。

虚心坦懐に聞く、確かめる

私がこの時心に決めていたことは、知らないことは虚心坦懐に聞くこと。聞いたことがある程度で知っているつもりにならないこと。曖昧なところは、相手が不快にならない限りははっきりするまで確かめること。こんなところでしょうか。で、「まずはご家族のことから聞かせてください」というような調子で始めたと記憶しています。

この時、私はのちにメタファシリテーションと呼ばれるようになる手法の核のようなものに気づいたのです。それはこんなことでした。まず私はこの女性の家族の構成を聞きました。夫、息子2人、娘1人、夫の両親はもう亡くなっている、自分の両親も亡くなっている(彼女はよその村から嫁いできた)、息子のうち長男はビシャカパトナムに稼ぎに出ている、2番目の息子は隣町で勉強している、娘はよその村に嫁いでいる、とこんな具合に。

なるほど、では今はこの家にいるのは夫と自分の2人か、と思いながら、次に特に考えもなしに、偶然に、いや後から思えば幸運にも、「で、今ここに住んでいるご家族はお二人ですか」と尋ねたのです。それに対する答えはなんと「住んでる家族は8人です」。思わず「えっ?」となりますよね。実は、夫の弟とその妻、子ども4人が一緒に住んでいたのです。この時は、偶然の問いが私の思い込みをひっくり返してくれました。

危ない、危ない、ものごとはちゃんと確かめないといけないな、とこの時はそう思ったはずです。目の前の状況を、確実に把握しておくこと。これがそれからのインタビューの方針になったかというと、そうは簡単にはいきません。そういうことが、自然にできてくるようになるまでには、ひたすら経験を積み重ねる他にはありません。と、聞いた風なことを言っていますが、私の場合は本当にそうでした。

通訳を介する時間が生んだ質問の組み立て

こうして私のインタビュー修行と言いますか、そんなものが始まりました。当時はインタビューをすることより少しでも自分が関わる人々のことを知ろうとするのが目的だったわけですが、結果として人に話を聞く技術のようなものをだんだん会得する場になりました。

この私の「インタビュー修行時代」で、怪我の功名?とでも言えるようなこともありました。インドのこの地域の主要な言語は、テルグ語です。しかし私のテルグ語は、簡単な会話を理解する程度で、とてもインタビューができるレベルのものではありません。ということで、前述のようにCSSSのスタッフに通訳(英語−テルグ語)を頼んでいたのですが、この私の質問がテルグ語に訳されている間に、次の質問を考えることができるという思いがけない利点があったのです。


相手の話をスルーしていないか、ちゃんと知らないことは落とすことなく聞いているか、常にそんなことを確認しながら次の質問を考えなければならなかった当時の私には、この通訳が入ることでのタイムラグはありがたいものでした。

インタビュー相手が喜んだわけ

ところで、この最初のインタビュー、終わった時に相手の女性から思いがけない反応がありました。終わった時点で、私は長時間(1時間強といったところでしたかね)付き合っていただいたお礼を述べたのですが、だいぶ立ち入ったことまで聞いた自覚があったので少し恐縮もしていたのです。ところが、彼女は「話を聞いてくれて嬉しかった」と言うではありませんか。その晴れやかな表情を見ても、まんざらそれが社交辞令とは思えませんでした。

後から考えれば、それは私が、彼女が確実に答えられることしか聞いていなかったからだとしか思えません。つまり彼女の生活の具体的なことしか聞かなかった、そして少しでも分からない事があると必ずそのことについて補足の質問をした、そのことが自分のことにとても関心を持って話を聞いてもらえたと印象された、そんなことではなかったでしょうか。

立ち入ったことを聞いてしまったのに、かえって相手からは喜ばれた例としては、別の村の男性に話を聞いた時にもありました。彼は郡の議会の議員に立候補して選挙運動をした時、その選挙資金を借金で賄ったのでしたが、その借金の話を聞いていくと、次から次へとお金を借りていた事が判りました。誰からいくら借りていたのか、彼自身はっきりと分かっていなかったのです。ですから、私が聞くことによってその全体像がはっきりと判り、彼は喜んだのです。

本当は喜ぶどころではないはずですが、呑気ですね。でも、この村人たちの呑気さ、大らかさに接することができるのが、私にとってはこの仕事をする大きな魅力の一つなのです。何せ、普段の生活ではクヨクヨする事が多いですからね。

次回は、こんなインタビューを続けて、何が変わったのかということをお話しします。 

和田信明(ムラのミライ海外事業統括)




 

2023年1月11日水曜日

子どもの世界に入って話を聴く

新年明けましておめでとうございます。ムラのミライスタッフの山岡です。2022年は、メルマガやブログを読んで下さりありがとうございました。本年もムラのミライをどうぞよろしくお願いいたします。

2023年4月で、ムラのミライは設立30周年を迎えます。今年は、国際協力の分野に加え、新たに子ども支援や職場、医療・福祉分野での研修や報告会を企画しています。皆様とお目にかかれる機会が増えることを、今からとても楽しみにしています。

子ども支援者へのプログラムスタート

2022年10月から兵庫県の子ども支援者を対象として「子どもの話を聴く技術 体験プログラム」を実施しています(注1)。11月には、メタファシリテーション体験セミナー受講後の参加者の実践や疑問をヒアリングしました。今回は、フリーで子ども支援の活動に携わっているAさんの現場でのお話をご紹介します。

Aさんのお話を聞いたのは、一緒に体験プログラムを担当しているすずめさん(たねとしずく代表 大和陽子さん(注2))で、私は記録を担当しました。Aさんとすずめさんのやりとりのなかで、特に印象に残っている2つのお話を皆さんにもご紹介したいと思います。
 

聞きたいことを脇に置いて、まず子どもの話を聴く

Aさん(子ども支援者):調味料づくりのワークショップに参加した小学生と作業しながら、この作業が生活とリンクしているのを知って欲しくて、相手の生活の事を意識して聞きました。
ずずめさん:どんなことを聞きましたか?
Aさん:「何か調味料を手作りしたことはある?」、「それは誰とつくったの?」という感じで聞きました。
すずめさん:その子は、醤油絞りをしたことがあったのですか?
Aさん:はい、フリースクールでやったことがあるそうで、すでにどんな作業があるか知っていました。
すずめさん:他には、どんな質問をしましたか?
Aさん:「家でも醤油絞りをしてみた?」とか。そうそう、私が聞きたかったこと(普段の暮ら)を聞く前に、以前だったら「どうでもいい」と思っていた話がたくさんできたんです!「今日は何を食べたの?」「ここには何に乗ってきたの?」「車には何人乗ってたの?」と事実で聞けたのです。「私が聞きたいこと」をまず脇において、子どもの話をじっくり聞く時間が大切なんだなと感じました。

私は、Aさんのお話を聞き、これまでもこうして子どもの話を丁寧に聞いてこられた経験があって、事実質問を知り細かく聞くことでより共通理解を深めることができたんだなと感じました。

Aさんに質問がないか聞いたところ、「空想の話は事実ではないから、どうやって話を聞けばいいんですか」とお話を聞かせて下さいました。

子どもの世界に入って話を聴くことが安心感に

Aさん:低学年で想像の世界が大きい子だと、空想の話ばかりしてきます。そういう子にはどう話を聞いたらいいでしょうか。
すずめさん:話を「なぁに?」と聞くことが子どもの安心感に繋がります。『Aさんだったら、空想の話を聞いてくれる』ということが安心感になる。子どもは発達段階に応じて現実の話をする日がくるし、相手が大人でも想像の話を聞く存在は必要だと思います。
事実質問を使えば、子どもにとっては答えやすく、会話の練習にもなります。支援者は、子どもから空想の答えが返ってきたら、それについていつ、どこ、誰とさらに聞き、キャッチボールを繰り返します。子どもの話したい世界に、大人が入っていく。いつ、誰と質問をすることはあくまで手段で、目的は子どもとの信頼関係をつくることです。
Aさん:それはよく分かります。いつ、どこで、とかそれだけに捕らわれると手法だけになってしまって、「寄り添う」とか、「子どもの世界に入って聞く」という姿勢を忘れてしまいそうになります。
すずめさん:メタファシリテーションの目的は、信頼関係を築いて行動変容に導くことなので、Aさんの気付きがとても嬉しいです。
Aさん:その言葉を一番聞きたかったです。手法に陥るのが不安でした。何が不安かは分からなかったけど、今の言葉を聞いて安心しました。子どもの世界に自分が入って、事実質問をしてみるというのが納得できました。

お二人のやりとりを聞いて、Aさんが率直に事実質問への不安を聞かせて下さり、その疑問が晴れたことがとても嬉しかったです。また、すずめさんの「子どもの世界に入って聞く」という言葉が、私が聞き慣れた「子どもの目線で」とか「対等に」と言った言葉よりも、ずっと分かりやすい表現で、私自身の学びにもなりました。

「子どもの話を聴く技術体験プログラム」活動報告会を開催

個別フォローアップでは、Aさん以外の参加者からも「子どもの話を聞けた話」や、「現場での課題」について聞くことができました。2023年3月に「子どもの話を聴く技術体験プログラム」活動報告会をオンラインで開催しますので、子ども支援者の方の気づきを皆さんにも聞いていただければ嬉しいです。報告会参加ご希望の方は、チケットサイト(Peatix)からお申し込みをお願いします。(定員に達し次第締め切ります)

2023年も、子ども支援現場での研修を通して、子どもの話をじっくり聴ける大人が増え、「子どもが安心して自分の意見を言える場所」を増やしていきたいと思っています。本年も皆様のご理解・ご協力をいただければ幸いです。
(ムラのミライ 事務局長代行 山岡美翔

(注1)「子どもの話を聴く技術体験プログラム」は、兵庫県の子ども支援者を対象に
1)体験セミナー、2)セミナー参加者への個別ヒアリング、3)マイクロラーニング動画教材制作の3つの取り組みを行っています。

(注2)西宮での子育て支援プロジェクトでご一緒したNPO法人a littleの大和陽子さんが、2022年、子どもサポートステーションたねとしずくを設立されました。大和さんには、本プログラムの企画・運営にご協力いただいています。本稿では大和さんがご希望された呼び名「すずめさん」を使用しています。