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2015年11月10日火曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 番外編「村人たちが教えてくれたこと」

 11月に入り、朝晩の冷え込みが一層厳しくなる。前回のよもやま通信から約3ケ月、流域管理のプロジェクトは終了し、きっと今頃村人たちは米や野菜の収穫 に向けて日々の農作業に精を出しているに違いない。日本では、夕方5時を過ぎると、辺りは真っ暗、四季の移り変わりを感じる。

今回のよもやま通信2部番外編は、2013年からプロジェクトに参加した筆者が、2年前に初めて村を訪れたときからの記憶をたどりながら、綴っていきたいと思う。

目次

1.初めての村
2. 指導員って誰?
3. 農業カイゼンに向けて
4. 地域の手本は世界の手本

 

1.初めての村

2013年7月初旬、筆者が初めて訪れた村は2007年のフィーズ1から流域管理事業に参加しているゴディヤパドゥ村だった。ゴディヤパドゥ村までは研修センターから車で30分ちょっと、インド着任から1ケ月、いよいよやってきた村への訪問に心が踊る。村に到着する前、近くの祠で別の村の人たちと待ち合わせた。しばらく経つと、10人くらいの村人たちが合流した。そのなかの3人は帽子を被っている。一行がゴディヤパドゥ村に到着すると、数名の村人たちが迎えてくれた。
キョーコさんとラマラジュさんから、「ソムニード(旧団体名。2014年よりムラのミライに団体名変更)の新しいスタッフ」と村の人たちに紹介してもらい、スーリーと一緒に森に向かう村人たちについて行った。すぐに帽子を被った青年が話しかけてきた。彼はポガダヴァリ村のチャンドラヤ、テルグ語がわからない私は、彼が言うことはよくわからなかったが、だいぶ人懐っこいヤツだということだけはわかった。山道を行くと、ゴディヤパドゥ村の人たちが「石垣」のことや「ため池」のことを色々と説明している。他の村人たちは興味深そうに話を聞いていて、一人は懸命にノートをとっている。私は村人たちが語らう様子を写真におさめた。これが筆者の、村での初めての仕事だった。
「この村人たちは一体何のために来たのか?」「どこからきたのか?」「この帽子を被った人たちの役割は何なのか?」
実際には、村に入る前に当日の視察研修について聞いているはずなのに、なんだかよくわからない。
「そういえば、帽子を被っている人たちは指導員と呼ばれている人たちだ。でも指導員の仕事って何だろうか?それに帽子を被っていない人たちはどこの村の人なんだろう?」
色々な疑問を浮かべながらただ山道を行く。パイナップルが生えているのを見たのは初めてだった。ところどころ急な斜面や木の生い茂る道もあった。「流域とは何か?」の実感もないまま、ゴディヤパドゥ村の流域を歩く。汗をかきながら村にもどると、
「これでいつもの10%くらい」とキョーコさんが言った。
ずいぶんと歩いた気がしたが、これで10%。これからどれだけの山を登るのかと思うと、楽しみな反面、恐ろしくも感じた。こうして、無事にフィールドデビューを果たした筆者だったが、この時はまだ、村のことも、村人たちのことも、流域のことも何にもわからなかった。
それから、村に行く機会は増えて行った。初めての村訪問から2週間後(2103年7月中旬)、次にゴディヤパドゥ村を訪れた際には、種籾選びの研修を行った。別の日に、スーリヤムさんと訪れた、同じく2007年から流域管理事業に参加しているブータラグダ村では、モデル農地の畑を囲ったフェンスの測定と支払を行った。これらは農業改善の一環だという。どちらの村でも、何やら中心人物らしき若者たちがいた。彼らは村のリーダーなのだろうか?
こうして、何度か村を訪れ、石垣の設置や農業改善の話を聞き、それに対して懸命に取り組む村人たちを見て、なんとなく個々の活動はわかってきたような気がしていた。しかしながら、この流域管理事業というものが、実感としてわかるとは言えなかった。



2. 指導員って誰?

最初にゴディヤパドゥ村で会った帽子を被った3人と、ゴディヤパドゥ村とブータラグダ村の中心人物らしき若者たちは「指導員」だった。ブータラグダ村、ポガダヴァリ村、ゴディヤパドゥ村から男性12人女性1人の計13人の指導員たちがいる。彼らの多くは『こいつら、おれと同い年くらいかなぁ』と思わせる青年たちだった。ラマラジュさんとキョーコさんによる指導員に向けた研修では、それぞれが自分の持ち味を発揮して積極的に参加していた。中には喋くりの人もいれば、シャイな人もいる。ズバっと返しが早い人もいれば、自分のペースでしっかり伝える人もいる。その様子を見ていると、各村の指導員たちが良き仲間であり、良きライバルのように思えた。
指導員たちは皆、2007年から始まった流域管理事業のフェーズ1からこの事業に参加しており、筆者にとっては先輩たちだった。流域のコンセプト、流域管理のための計画づくり、そしてその計画に基づいた植林や石垣の設置など流域保全の実施とモニタリング、彼らは自分が学んだ流域管理の技術を、流域を共有する周辺の村に伝えるために指導員になったらしい。
「なぜ周辺の村に伝える必要があるのか?」
指導員たちは、自分たちの村の流域を保全するには、そのコンセプトを隣の村にも伝える必要があるとわかっていた。そして、フェーズ1でムラのミライの研修を受けてきた経験から、活動を強制したり、流域のコンセプトの理解無しで何かを作ったり植林するだけでは、流域管理の技術は伝わらないことも知っていた。だからこそ、今度は指導員として、ムラのミライから技術を正しく伝える技術を学ぶことに必死だったのだ。



2013年10月、ポガダヴァリ村の指導員によるアナンタギリ村での研修を初めて訪れた。上述の最初のゴディヤパドゥ村訪問の際にやってきたのはアナンタギリ村の村人たちだった。彼らは、この日、ポガダヴァリ村の指導員と研修の約束をしたのにも関わらず、アナンタギリ村の村人たちは時間通りに集まらない上に、前回の研修のことを村内で共有するという宿題もやっていなかった。村人たちは、何の研修をやるかも知らぬまま、指導員とソムニードが来たから顔を出してきただけだった。すると、ポガダヴァリ村の指導員たちとキョーコさんとラマラジュさんは「今日は研修しない」と早々に切り上げた。筆者は驚いた。研修は甘くないとわかった瞬間だった。アナンタギリ村は反省をしたのか、やるべきことをやった上で、もう一度研修のお願いがあった。スタッフも指導員も、研修に対してこういう厳しさを保っているからこそ、研修を受ける村も研修に対して真剣に取り組むようになるのだと学んだ。
それから約2年間、筆者はこのアナンタギリ村を含む新規参入の村を何度も訪れた。初めてキョーコさんとラマラジュさんから指導員による研修のモニタリングを任されたのは、2014年2月、マンマングダ村でのアクション・プランの研修だった。研修を担当したのは、ブータラグダ村の指導員たち。知っているテルグ語の単語を拾いつつ、スーリーに内容を訳してもらいながら、研修の流れを追う筆者。研修は順調に進んでいるように見える。しかし、よく見ると、参加者の中で研修員の声に反応するのはいつも同じ人たちで、女性や年配の人は座って研修を眺めている。ただ、筆者には何も出来ない。さりげなく指導員の一人を呼んで、女性や年配の人も話し合いに参加出来るように促す。少しは良くなったような気もするが、やっぱり話の中心は変わらない。「研修の始めから指導員と目標を話し合えばよかったのだろうか?」「他に何かできたのだろうか?」村での研修の難しさを実感した。いま思い返してみれば、指導員が女性だったり、年の近い年配だったりすると、また研修の内容で女性しか知らないことや年配しかしらない質問を交えると、女性や年配の参加者も進んで発言してできるようになったのかもしれない。
こうして、研修の難しさを実感しながら、指導員による数々の研修をモニタリングして、時には指導員と一緒に自分も指導する立場で流域管理の研修を続けてきた。村でこれまでの活動のフィードバックをしたときは、初めて村人たちの前に立ち、「フィードバック」をしたつもりが、ただの数字の羅列になってしまい、村人がポカーンとさせてしまったこともあった(2014年7月)。
指導員のモニタリングを行うはずが、順調に研修進んでいる研修でも何かと喋りたがるスーリーを止めるためのモニタリングになることもあった(随時)。植林の指導とモニタリングでは、朝から夕方まで指導員と村人たちと一緒に山を駆け巡った(2015年5~8月)。最初は、研修をただ見ているだけだった自分が、研修をモニタリングし、指導員と共に指導し、村人たちと一緒に流域管理の事業をつくっていく。こうして、私は少しずつ、彼らの流域管理事業に参加させてもらえるようになったのだ。
そして、その過程で、指導員たちが新規参入村での研修について
「字の読めない人でもわかりやすいように、写真やイラストを使おう」とか、「今回は女性の参加者が少なかったから、次回からはもっと女性が参加者を増やせるようにしましょう」とか、「(研修する村で日常使う言語が違うため)言語が伝わらないところでの研修は本当に難しいけど、彼らはよく理解しようとしていたね。」とか、そういう話をしてくれるようになった。私が初めて会ったときには、「どっから来たんだ?」「家族はどこにいる?」「結婚しているのか?」と、向こうからの質問ばかりだった会話が、今度は指導員たちから、研修についての提案やフィードバックを聞けるようになって、筆者もほんの少しでも指導員たちに近づくことが出来たんじゃないかと思った。


指導員が研修を行ったアナンタギリ村、パンドラマヌグダ村、バルダグダ村、コッタグダ村、マンマングダ村、どこの村でも、指導員は真摯に研修を行い、そして村人たちは流域のことを理解し、流域管理の活動を続けて行った。チャンドラヤが、ある日言った。
「ヒロさん、流域管理の活動をビデオで残そう。そうしたら、もっと多くの村の人にも伝えられるから。」
『きっとコイツらの活動は続いて行くんだろうなぁ。』その彼らの活動の一部に参加出来たことを嬉しく感じた。


 

3. 農業カイゼンに向けて

農業改善には、ブータラグダ村、ゴディヤパドゥ村、ポガダヴァリ村の3か村が参加した。水と土が農業に重要ということぐらいは、農業とは無縁の人でもわかる。しかし、農業改善を流域管理の活動の延長線上として考えると、具体的な活動や実感はすぐには湧かなかった。
農業の改善とは、一体どういう意味だろうか?
生産性を上げることなのか?コストを下げることなのか?作物の価値を高めることなのか?
村人たちの農業改善とは、村の中で自分たちがずっと続けていける農業を取り入れることだと思う。それは、生産性も、コストも、作物の価値も全て網羅している。農業の年間計画を立てることで、農地を有効活用することで、より長期間に渡り多種類の作物がとれるようになる。村の資源を活かした有機たい肥やバイオ農薬を使用することで、化学肥料を買うコストも下がる。そして、化学肥料を使用しない分、土壌の質も保つことができる。それらを達成するための研修と実践の積み重ね、それが村人たちの農業改善の活動だった。また、ブータラグダ村では、種を村の中で調達できるように、村人たちの出資で種子銀行(シード・バンク)も完成した。



2014年7月、農業改善活動の一環として、ブータラグダ村とポガダヴァリ村から代表の10名(各5名)が、タミル・ナードゥ州に視察研修に行った。タミル・ナードゥ州では、州政府の支援によって園芸やコリアンダー、ミントなど換金作物の栽培が大規模に行われていた。村人たちも、その規模やビニールハウスを使う技術には驚いていた。そして、もう一つ、村人たちが視察したのが、自然のものを活かし、その土地に適した品種で伝統的な農業を行う青年の活動だった。二つの異なる農業を見て、村人たちは、自分たちが進むべき道を再確認した。もちろん後者である。青年から学んだ農業の技術を村に帰って他の村人たちにも伝え、実践を開始すると意気込んだ。視察研修の振返りで、「オラたちが村で目指すのはこっち農業だ。」と確信する村人たちが頼もしかった。


その後、月に一回、農家たちがグループを組んで行うモニタリングに同行すると、タミル・ナードゥで学んだ技術を活かしていることがわかった。しかも、視察研修に行ったメンバーだけではなく、村に残った人たちにもきちんと伝わっている。このモニタリングでは、毎回農家たちの工夫と協力を見ることができた。ある農家が稲から害虫を遠ざけるために、畦に花(マリーゴールド)を植えて田んぼを囲うと、次の月にはそれを参考にして別の農家も実践していた。水はけが悪く作物が枯れてしまった農家がいれば、別の農家がアドバイスを送り、今度は枯れないように栽培をしていた。
村人たちの農業改善を間近で見て、そのモニタリングにも参加して、筆者も村での農業について学ぶことが出来た。ただ心残りなのは、村人全員が理解し、納得出来るモニタリング項目をつくるためのサポートが出来なかったことである。もっと農業の知識と、そしてファシリテーションの力があれば、それが出来たのかもしれない。


いずれにせよ、村人たちの農業改善は成果を上げた。村人たちが必死だったのは、農業は彼らの生活そのものだったからだと思う。とはいえ、いままでは農業だけで食べていけるわけではなかった。流域管理事業が始まる前、村の農家たちは都市への出稼ぎや日雇い労働による生計を余儀なくされていた。流域管理の成果が出て、土壌が回復し、使える水も増えた今では、自分の村で、家族と仲間と暮らしながら、農業で生活が出来る。だからこそ、この生活をずっと続けようと、農業改善に本気だった。実際には、今までの農業のやり方を変えるという決断を下すのは、村人たちにとって容易なことではなかったと思う。それが出来たのは、2007年から寄り添ってきたムラのミライ・SOMNEED Indiaへの信頼があったから、そして、彼ら自身のなかに、きっとこの方法なら上手く行くという確信があったからに違いない。



4. 地域の手本は世界の手本

村人たちがコミュニティで考えて、コミュニティで計画し、コミュニティで実践する村づくり。ブータラグダ村では、「孫子の代まで暮らし続けられる村」をつくるため、村のグランド・デザイン(総合計画)が策定されて、実践されている。他の村も負けていない。自分たちの流域を再生し、守り、活用し、そしてそれを広めていく活動は続いている。
『流域、農業、指導員、水、土、森、人』
2年前、筆者が初めて流域を歩いたとき、初めてモデル農地を見たとき、初めて指導員の研修に同行したとき、あの時バラバラだったキーワード。
2年間、植林や石垣づくりのため村人と流域の中を歩き、年間計画を見ながらモデル農家と一緒に田畑を周り、指導員と一緒に研修の計画を立てるなかで、バラバラだったキーワードが一つに繋がっていった。それにもし名前をつけるならば、それは『流域管理』になるんじゃないかと思う。


自分たちのコミュニティがもつ資源に気付き、それを守り、活用していく。きっとそれは、インドの山奥の小さな村の話だけではなく、この世界のどこにいても共通の、地域づくりのあり方なのではないだろうか。
『地域の手本は世界の手本』
村人たちの、流域管理を通した地域づくりは、きっとこれからインドの、日本の、そして世界中の地域づくりの手本になっていくに違いない。こんな素晴らしい事業に参加出来た事を我ながら誇りに思い、遠くインドの山奥の、サワラ族の村人たちへ深く感謝を示したい。
そして、インドの村で、村の未来に向けて走り続ける村人たちと一緒に活動していく中で、
「おれも大原けぇっべ(俺も大原に帰るか)」
という気持ちに辿り着いた。今度は、自分が暮らす地域で、地域を盛り上げていきたい。



注意書き

筆者:實方博章。ムラのミライ元スタッフ。2013年6月〜2015年8月まで流域管理事業に従事。
キョーコさん:前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、本事業のプロジェクトマネージャー。流域管理プロジェクトの他にも研修事業から出版事業まで全てを統括するスーパーチーフ。
ラマラジュさん:よもやま第一部からおなじみの名ファシリテーター。現在はビシャカパトナム市にてムラのミライ・コンサルタントとしてプロジェクトや研修事業に従事。
スーリー:夏の暑さにも負けず、村人と野山を駆け回るSOMNEED Indiaのフィールドスタッフ。
スーリヤムさん:SOMNEED Indiaの会計担当。普段はビシャカパトナムの事務所で会計その他の事務作業全般を行っている。


2015年8月17日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 よもやま通信 第22号「奇跡じゃない、これがオラたちの軌跡」

 7月下旬、例年、村人たちは田植えの準備で忙しい。ところが今年はどうやらお天道様が頑張りすぎているらしく、まだまだ夏の暑さが続く。待っても待っても来ない雨を、辛抱強く待ち続ける村人たち。8月に入ると、やっとたくさんの雨が降るようになってきた。これから、村人たちの農業が始まる。



1    雨降って、さぁ植林

指導員の力を借りつつ、植林計画を完成させた村人たち。合計8か村から58世帯が植林を行う。植木屋に苗木を注文し、村で手に入る株分け用の茎(植林方法の一つ)は自分たちで収集して、準備は万端、あとは雨が降るのを待つだけだ。
と、思いきや、なかなか雨が降らないうえに、降ってもすぐにやんでしまう。
「こんなに雨が降らないのは30年ぶりだ」
とラマさんも首をかしげている。なにより大変なのは村人たち。植林はともかくとして、これっぽっちの雨では生活に一番重要な米づくりができない。
そんな不安な日々が続く中で、8月に入ると少しずつ雨が降り始めてきた。田植えが出来るようになるまではもう少し雨が降るのを待つ必要があるものの、これでなんとか植林活動は始められる。
「植林をするからモニタリングに来てほしい。」
と最初に連絡があったのは、コッタグダ村だ。コッタグダ村は12世帯と、他の村と比べても小さな村で、テルグ語の読み書きができる人が数人しかいない。活動をしていく中で読み書きが必要なときは、いつも1人の青年がその役割を担っている。
植林当日、コッタグダ村に出かけて行ったスタッフとポガダヴァリ村の指導員たち。しかし、村に到着してみると植林を行う9世帯のうち、3世帯の人たちしかいない。ちょうど雨が降ったので、他の村人たちは田植えに行ってしまったのだ。そして、いつも読み書きを担当し、音頭を取っている青年も別の農作業に行ってしまって、いない。
もちろん、読み書きの出来ない村人たちも植林の経験はあるし、植物の知識は豊富だ。植林計画も、読み書きが出来ない人でもわかるように、木の名前ごとに色を変えてリストを作り、縮図に描きこんでいる。だけど、その場を仕切り、村人たちを統率する青年がいないため、村の人たちの重い腰がなかなか上がらない。
そんな中で、これまで研修に参加してもいつもの青年に隠れて前には出てこなかった少年スレッシュが、リーダーシップを発揮した。彼は、縮図を読みながらその土地の持ち主や作業を手伝っている人たちに説明をして、苗木の種類と間隔にも注意しながら植林活動を手伝った。
計画に基づいた複数の樹種を植える植林をした経験がなくて、戸惑っていたコッタグダ村の人たちも、この若者の活躍に刺激を受けたのか、翌日には残りの村人たちも植林に取り組み始めた。いつも村での読み書きを担当している青年の不在で、どうなるかと思ったコッタグダ村の植林は、もっと若い世代の活躍で、無事に実施することができた。スタッフも、指導員も知らないところで、着々と若い世代が育っているのだ。
そして、村人たちが一度やる気になりさえすれば、
「ライムの木は水がたっぷり必要だから、こっちに植えた方がいいぞ」
と言った具合に、植物の知識が豊富な年配の世代が今度は若い世代を助ける。計画に沿って、時には修正しながら、植林をする。植林そのものは、個人の土地でしていても、村人たちは世代を超えて協力しながら、森づくりを進めている。





    





2    ブータラグダ村の裏舞台

前回のよもやまで触れた、「オラたちの村づくりを他の村の仲間たちに」。事業パートナーのJICAチームの訪問時に他の村の人たちも呼んで、これまで行ってきた活動を劇の形式で発表することに決めたブータラグダ村の村人たちだが、そのきっかけは、ブータラグダ村での準備の日でのやりとりだった。以下はキョーコさんの回想をつづる。

15人弱が集まったブータラグダ村での準備の日。
ラマラジュさんがおもむろに尋ねる。
「例えばラジェシュ、君がハイデラバードの学校の寄宿舎で病気になったとする。で、父親はこの村にいる。父親を、例えばチュッカイヤ、君だとする。」
何が始まるのだろう、と恐る恐る話を聞いているブータラグダ村の人たち。そして言われるままに、ラジェシュとチュッカイヤはみんなの前に出てくる。
「ラジェシュの友人を、ドゥルガラオ、そして医者をラメーシュ、としようか」
ドゥルガラオもラメーシュも、前に出てきた。
「例えばこの村でも、親が不在の時に子どもが急に具合が悪くなったら、君たちはどうする?」
「助けてあげます」
「どんな風にするのか、ちょっと見せてくれるかな?医者に診せるのに必要なお金は、父親が送ってくれるとしよう。」
私自身も、最初は何をしようとしているのだろう、と思っていたけれど、ここにきてピーンときた。
ゴニョゴニョと、話し込んでいる4人。周りの人たちから急かされて、4人の寸劇が始まった。

(病人役)「あ~、苦しいよう。頭が痛いよう。う~ん、う~ん・・」
(友人役)「どうしたの?わ、凄い熱!いつからこんなに熱が?」
(病人役)「朝から・・・(シーツを被って、ぶるぶる震える)」
(友人役)「お医者に見せないと・・・っていうか、親御さんに知らせないと」
(電話をかける友人役)「もしもし、ラジェシュのお父さんですか?ラジェシュがすごい熱を出していて、お医者に見せた方が良いと思うんですけど」
(父親役)「マラリアか?・・あ、そう、分からない。とりあえず、早いところに医者に連れて行ってくれ」
(友人役)「分かりました。また連絡します」
(病人を医者に連れて行った友人役)「先生、今朝から急に熱が出た様なのですが」
(触診をする医者)「脈が速いですね。ここは痛くないですか?(病人と問答してから)血液検査をしましょう。万が一、マラリアだったら注射を打たないといけません」
(父親に電話をかける友人役)「検査をするのですが、マラリアかもしれません。お金を送ってくれますか?」
(父親役)「わかりました。お金は送るので必要な治療をしてください。また連絡をしてくださいね」
(医者役)「検査の結果、マラリアですね。注射をしましょう。(注射をしてから)そしたら、2・3日経っても熱がさがらなければ、また来てください。下がっても、1週間後にまた様子をみましょう」
(友人役)「はい」
(医者役)「1200ルピーです」
(友人役)「はい、お金です。領収書をください」
熱を出して震える病人役も、注射を刺す医者役も、さすがそういう場面に何度も出くわしているためか、とてもリアルにやってみせた。
だが、単に寸劇をするのが目的ではない。続けてラマラジュさんが質問する。
「お父さんには、この後どうするのですか?」
「友人がとりあえず電話して、注射をしたことやその後の様子を伝えます」
「友人だけが、伝えたらいいのだろうか?」
「いえ、病気になった息子本人も、連絡しないといけないです。元気になってからでも、何があって、どんな治療をして、今どうなったのか」
「そうですね」
そして、一呼吸置いてから次の質問をする。
「ところで、みなさんが今している活動は、誰と誰がしていますか?」
「ぼくたちB村と、ムラのミライと、ソムニード・インディア」
「だけですか?」
「ジャイカ」
「そうですね。今までに、ジャイカの人たちに会ったことはありますか?」
「この前、村に来られました。たしか数年前にも・・・」
「来週、また来られます。ジャイカの人たちに、何があって、何が起きて、どうなったか、それを説明するのは、誰がいいのでしょう?」
「ボク達だ」
「そうです。ムラのミライも、ソムニード・インディアもジャイカに伝えています。だけど、あなたたちからも、伝えなければいけませんよね。私たちは、伝えることができます。だけどそれは、ムラのミライがあなたたちの活動を見聞きしたことであって、ブータラグダ村が経験したこと、その時々で考えたこと、感じたことを伝えることができるのは・・」
「ボク達です」
「じゃぁ、どうやって伝えましょうか?2007年の事は、もう実物を見せられません。どうしますか?」
そして、集まっていた村の人たちが頭を寄せて考え始めた。
まずは何が起きたのかを順序だてて思い出す村の人たち。議論を引っ張るのは、指導員も務めるアナンド。私たちが忘れかけていた細かいことまで、覚えていた。
ただ何をしたか、何が起こったかを思い出すだけではない、その結果、どうなったのか。
そして、その結果がこのブータラグダ村にどういう影響を及ぼしたのか、そうした事を見ていくのが、自分たちで行う評価である。
模造紙に書いて読み上げるだけの発表はつまらないと、劇も交えて、2007年からどう変化していったのかを小道具でも表現することになり、JICAの人たちが来る日まであと10日と迫る中、彼らの準備は急ピッチで進んでいった。
そして、改めてこれまでのプロセスを自分たちで振り返ったオッチャンオバチャンたちは、
「JICAだけじゃなく、この事業をしている他の村の人たちにも見てもらおう」と奮起して、約100人が座れる場所や昼食の準備も、「任せておいて」と頼もしく宣言してくれたのだ。



3    奇跡じゃない、これがオラたちの軌跡

最終評価当日、ブータラグダ村を訪れるスタッフたちとJICAチーム、この時期に合わせてネパールから和田さんもやってきた。
村人たちが準備した会場には、砂で作ったブータラグダ村の流域のミニチュアと、村でとれる作物やSRIの稲のモデルが展示されている。JICAチームや和田さんたちに用意された歓迎の花の首飾りには、2009年に植林した木が咲かせた花が使われ、濃厚な香りを放っている。この地で「サンパンギ」と呼ばれるインド原産の木だ。劇の準備だけでも大変だっただろうに、自分たちで工夫しながら会場を設営して、スタッフとJICAチーム、そして他の村の人に、これまでの活動を伝えようとするブータラグダ村の人たちがより一層頼もしく感じられた。


音声のチェックを終えて、会場の準備は整った。隣のパンドラマヌグダ村とバルダグダ村から、そして車で2時間も離れたポガダヴァリ村とアナンタギリ村から、招待された村人たちがぞろりぞろりと集まって来る。それに合わせて準備に携わっていないブータラグダ村の村人たちも会場にやってくる。
『これから何が起きるんだろう?』と、ワクワクしながら、お父ちゃん、お母ちゃんが働く姿を見つめる村の子どもたち。立派に会場を仕切る息子たちを静かに見守る村のおじいちゃん、おばちゃんたち。会場が一杯になった。アナンドがマイクを握る。彼は流域管理の指導員として、村のリーダーの一人として、流域管理の活動を引っ張ってきた。ムラのミライとソムニード・インディアのそれぞれの代表格和田さんとラマさん、2007年からずっとB村に寄り添い研修を行ってきたキョーコさんとラマラジュさん、他のスタッフたち、JICAチーム、招待された他の村の人たち、それぞれの紹介を終えて、いよいよブータラグダ村の軌跡の発表が始まる。



...そう、始まりは2007年、ムラのミライ、ソムニード・インディアとブータラグダ村との出会い。
最初は、流域なんて言葉も知らなかった。でも研修を受けて、自分たちの流域のことを知った。自分たちの村にある資源を知った。植物図鑑を作って、計画づくりのやり方を学んで、石垣をつくって、植林をして、今度はそれを村のみんなでメンテナンスできるような仕組みをつくって、、、
少しずつ自分たちの森のことを知って、それを守り、今度は農業に活かすための実践を続けてきた。そして、自分たちが習得した技術を隣の村にも教えるようになった。
今では、自分たちで流域管理の計画を立て、それを実践できるようになった。今では、乾季でも村で水が手に入るようになった。今では、農業の計画を立てて、小さな土地を有効活用して、より多くの、多種類の作物がとれるようになった。今では、化学肥料に頼らなくても、ミミズや牛糞や葉っぱを利用して、土に栄養を与える方法を知った。毎月各世帯から貯金を募り、今では村の中でお金の貸し借りが出来るようになった。そして、今では
「安全な水と土で安全な野菜を作り出す村、そして高利貸しなど外部からの融資に頼らなくても自活していける村」
という目標を立てて、それを達成するため2020年までの計画を立て、実行している。
誰かが『あーしろ、こーしろ』と、指示したわけじゃない。この全ては、ブータラグダ村の人たちが自分たちの意思で続けてきたこと。自分たちの意思だから、8年間、ずっとこの活動を続けてこられた。
ブータラグダ村の軌跡の発表が終わると、会場からは拍手が巻き起こった。司会をしていたアナンドがブータラグダ村のみんなを呼び寄せた。子どもたちも、若者たちも、お母ちゃんも、お父ちゃんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、『これがオラたちのブータラグダ村』だと言わんばかりに、その嬉しそうな顔には、自分たちの村を誇る自信が感じられた。
素晴らしい発表に筆者も感動した。そしてなによりも、この日のために村で計画をして、準備をして、私たちスタッフや他の村の人たちを招待して、この大きな催しを成功させたことがブータラグダ村の成長を物語っているような気がした。ブータラグダ村だけが特別だったわけじゃない。ただ、一つ一つの研修を積み重ねて、村のみんなで考えて、村のみんなで計画し、村のみんなで実践をしてきたから、いまのブータラグダ村がある。



他の村人たちは、このブータラグダ村の軌跡を聞いて、何を思ったのだろうか?
司会のアナンドが、他の村人たちにコメントを求める。
同じ2007年から流域管理を続けてきたポガダヴァリ村のチャンドラヤは、
「オラたちも、流域について学んで、植林をして、石垣をつくって、農業のことを学んで、、、」
と、自分たちの活動もアピールするように身振り手振りで話しだした。ブータラグダ村の発表に触発されたのか、前日にJICAチームがポガダヴァリ村を訪問したときよりも、もっと威勢がいい。同じく前日にJICAチームが訪問したときは、恥ずかしがる表情を見せていたアナンタギリ村のクリシュナも、今日は堂々と話している。
パンドラマヌグダ村とバルダグダ村は、ブータラグダ村の指導員から流域管理について学んできた。指導員たちから学び、実践してきたことを振返って、
「自分たちもこの流域管理の活動を続けて、ブータラグダ村のようになりたい。」
と抱負を語った。
ブータラグダ村の発表は、ブータラグダ村の人たちだけでなく、他の村の人たちにとっても、自分たちの活動を振返り、評価する機会になったのだった。そして、その振返りをもとに、これからの村づくりを考えるとき、他の村にとって、ブータラグダ村は一つの道しるべになる。
2007年に始まった流域管理プロジェクト。2015年8月31日で、2011年9月から始まった草の根事業(第2フェーズ)は終わりを迎える。そのため、今回JICAチームを迎えて行った【最終評価】。
でも、ブータラグダ村の村づくりの活動のなかでは、これはきっと通過点にしか過ぎない。このプロジェクトで学んだことを活かし続けながら、お互いに新たに学び続けながら、そしてその学びを、流域を共有する他の村の仲間たちに伝えながら、ブータラグダ村の村づくりは続いていく。




「あれ、よもやま通信2部も今回が最終回?」
、、、ではありません。プロジェクトのお話はもう少しだけ続きます。次回のよもやま通信もお楽しみに。

注意書き

ラマさん:SOMNEED Indiaの代表で、植林活動においては、30年に渡る豊富な知識と経験を持つ。
JICA:国際協力機構。本事業のパートナー。
キョーコさん:前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、本事業のプロジェクトマネージャー。流域管理プロジェクトの他にも研修事業から出版事業まで全てを統括するスーパーチーフ。
ラマラジュさん:よもやま第一部からおなじみの名ファシリテーター。現在はビシャカパトナム市にてムラのミライ・コンサルタントとしてプロジェクトに従事。5月下旬から6月上旬に来日し、高山、東京、名古屋でセミナーや研修を行った
和田さん:2015年5月までムラのミライ共同代表を務め、同年6月からは、海外事業統括としてムラのミライの活動に携わる。

筆者:實方博章。

2015年7月6日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第21号「オラたちの村づくりを他の村の仲間たちに」

 5月下旬から6月上旬にかけて、記録的な猛暑に苦しめられた、事業地のアンドラ・プラデッシュ州。6月も中旬を迎えると、雨がポツリポツリと降り始め、暑い暑い暑い夏の終わりがやっと近づいてきた、雨季の到来に向けて、村人たちは植林や農業の準備で忙しい。




   






目次

1.植林計画
2. さぁ、今年も始めるべ、オラたちの流域保全
3.農業改善は?
4.来週、来週、また来週
5.オラたちの村づくりを他の村の仲間たちに

1.植林計画

前回のよもやま通信で、村人たちの奮闘をお伝えした植林計画づくり。
「この畑は東西の長さが25メートルだから、この縮図にすると、、、」
と、初めての作業に戸惑いながらも、一目で自分の植林する土地がわかるようにと、自分の畑の縮図を書き上げた村人たち。そして、その縮図のなかに、食料になる果実が採れる木、家畜のえさになる木、料理に使う薪として使える木、薬をつくるために必要な木、木材として利用出来る木など、それぞれ用途の違う木をバランス良く育てられるように植林計画をつくっていく。計画づくりのまとめの段階で、植林活動において長年の経験をもつラマさんによる研修が各村で行われた。
炎天下の中を山の上まで進む村人とスタッフたち。縮図に書かれた土地の大きさが正しいかを再確認しながら、計画づくりのアドバイスを行うラマさん。そして、その横でラマさんのアドバイスに熱心に耳を傾けながら、アナンタギリ村の村人たちを助けるのは、ポガダヴァリ村(以下P村)の指導員パドマとチャンドラヤ。
2012年からこのアナンタギリ村で流域管理の研修を行ってきたP村の指導員たちは、アナンタギリ村の村人たちからの信頼は厚い。マンゴー、カシューナッツ、ライム、チークなど、植林する木がどれくらいの大きさまで成長するかを確かめながら、何の木を、どこに、どれくらいの間隔で植えるかを計画し、縮図に落とし込んでいく。声を張り上げるラマさんの横で、ノートをとり、縮図を見直して、アナンタギリの村人をサポートするパドマ。その様子を見て、筆者はふと気付いた。『そういえば、おれは今日なんもしていない。』いくら小僧とはいえ、村に行って何もすることがないというのは恥ずかしい。最近でいえば、石垣などの構造物をチェックしに行ったり、縮図の書き方を教えたり、苗木をする上で妨害になる岩や切り株など、村人が見落としていればそれを伝えたり、、、何かしら仕事はある。


しかし、この研修でその役割を担っていたのは指導員のパドマとチャンドラヤだった。とはいえ、彼女たちもラマさんの植林研修に参加するのはこれが初めてで、事前に打合せをしていたわけでない。それでも、自分たちが隣村のアナンタギリの人たちを引っ張っていく。スタッフのラトナでも、スーリーでもなく、村人のパドマが、チャンドラヤが、隣村の村人たちに、縮図の書き方を教えて、植林計画づくりをサポートしている。何もすることがないことが少し恥ずかしい気持ちになるのと同時に、スタッフ以上の働きを見せる指導員が頼もしかった。そして、ムラのミライ一行は、指導員の二人に任せて、その場を去った。



2. さぁ、今年も始めるべ、オラたちの流域保全

こうして、植林に石垣や堰堤などの構造物と、流域を守るための今年のアクションプランが出来上がった。今まで何度もアクションプランをつくり、そして周辺の村に教えてきたP村とブータラグダ村(以下B村)はもちろんのこと、P村の指導員から指導を受けたアナンタギリ村も、植林計画に少しだけ修正点があるだけで、ほとんど問題ない。他の村のアクションプランも前回と比べて上達している。
そして、村人たちは石垣や堰堤の設置作業をはじめ、植林のための穴を掘り始めた。プロジェクトが終了する8月までの期間、村人たちは農作業に並行して、アクションプランに基づいた保水土対策を進めていく。



3.農業改善は?

村全体で流域保全を実践する村人たちは、世帯単位での農業改善にも取組んでいる。
一昨年、昨年と実践を開始したB村とP村に続き、今年からは4か村14世帯が新たにミミズたい肥づくりへの挑戦がはじまった。1月にミミズたい肥づくりの先輩農家の研修を経て(よもやま通信18号参照)、たい肥小屋をつくり、ミミズや牛糞などを調達し、たい肥を作り始めたのは3月末。それから約2カ月が過ぎ、雨期を前にしてどの村でもミミズたい肥の出来上がりは順調に進んでいる。


と、言いたいところだったが、初めてのたい肥づくりで全てがそう上手く進むわけはない。最初の1か月が経った頃は、セメント容器の土を掘り返すと何匹ものミミズが元気に動き回っていた。牛糞や葉っぱを混ぜた土がどんどんサラサラになって、たい肥づくりは順調に進んでいると思えた。
しかし、6月に入って、スタッフ達がパンドラマヌグダ村とバルダグダ村を訪れると、8名のうち5名の農家たちの容器は、牛糞の塊で埋め尽くされていた。そこにミミズはいない。
「ミミズがみんな死んじまったよ。」
牛糞を水に溶かさず、ドカドカと追加投入し続けた結果、それが固まって容器の中が全く空気のない状態になってしまったのだ。
早く代わりのミミズを、と思っても、同じ村で順調にたい肥が出来上がっている農家たちさえ、まだ他の村人に提供するほど多くのミミズは育っていない。それに、農家たちがたい肥についてしっかり理解していない限り、ミミズを調達してきてもまた同じ失敗を繰り返してしまうに違いない。
スタッフ達の間では、先輩農家のチランジービーに、定期的にアドバイスに来てもらうように頼んだ方が良いという話が出た。隣村のチランジービーなら、パンドラマヌグダ村、バルダグダ村に通うのもそう遠くないし、販売するのに十分な量のミミズを持っている。
数日後、ブータラグダ村を訪れた筆者達は、チランジービーに事情を話した。
「パンドラマヌグダ村のたい肥なんだけど、ミミズが全部死んじゃって、、、」
「あぁ、それなら知ってるよ。ヤツらの方からたい肥づくりが上手くいかないから見てくれって言ってきたよ。」
筆者たちが、チランジービーに事情を話す前に、彼らは自分たちでチランジービーにアプローチしていたのだ。そう、スタッフが知っている以上に、周辺の村人たちはチランジービーの農業技術をわかっている。まだまだ始まったばかりの農業改善だが、チランジービーのような先輩農家の存在は最大の安心材料だ。これから、彼がどのようにパンドラマヌグダ村やバルダグダ村の人たちにアドバイスを与えていくのか楽しみである。




4.来週、来週、また来週

農業改善の広がりは、ミミズたい肥だけでない。今年から新たなに4か村17世帯の農家が、SRIと呼ばれる稲作方法に挑戦する。ポガダヴァリ村では昨年、ブータラグダ村では昨年、一昨年と実践を行ったSRI。周辺の村の農家たちは、B村やP村の農家たちが一体何をしているのか気になっていた。このSRIでは、種もみを選んだうえで、従来の方法に比べて苗が若いうちに一本一本の苗を25センチほどの間隔で田植えする。苗が若いうちに田植えを行うことで、従来の稲作に比べて少量の水でも、稲が育つようになる。また、苗と苗の間を適切な距離をとって、等間隔に植えることで草取りも容易になるし、必要な種もみの量も抑えることができる。
しかしながら、まだ弱々しい苗を、しかも一本ずつ植える方法なんて、何本もの苗を束にして田んぼいっぱいに敷き詰める方法に慣れているこの地域の村人たちにとっては、とても考えられるものではなかっただろう。実際、B村のある農家は、最初に田植えをしたときに、周りの人に笑われたという。それが、日を追うごとにみるみる成長し、フタを空けてみれば周辺の村の農家たちが、「そのやりかたをオラにも教えてくれ。」と、話すようにさえなった。
こうして周辺の村の農家たちも、オラたちもSRIに挑戦したいと名乗り出てきた。もちろん、これまで長年やってきた農業をいますぐ全て変えるわけではない。それでも、各村から何人かが、自分の田んぼの一部をモデルとして使い、新たな挑戦をすることで、今回は挑戦を見送った同じ村の農家たちにとってもSRIを間近で観察するチャンスになる。そして、SRIに挑戦した農家たちの結果を見て、来年以降、新たに挑戦を決意する農家たちも生まれてくるだろう。いまは10人以上の農家がSRIを実践しているブータラグダ村も、2年前は4人の農家からSRIへの挑戦が始まった。新規参入の村々でも、この第一歩が踏み出されたのである。
流域管理事業を進めるなかで、B村やP村の農家たちがSRIを積極的に取り入れるようになったのは、化学肥料の使用を抑え、村の資源を有効活用し、土にやさしい農業をおこなっていくことが、流域を守る活動の一環だと気が付いたからである。そして、土にやさしい農業を継続し、その方法を、流域を共有する周辺の村に広めていくこともまた、流域管理の活動なのだ。
だからこそ、この流域管理の事業でも、各村の流域管理委員会に対して、SRIの道具をサポートしている。必要な道具は、雄牛につなげて田んぼを耕すための耕耘器と、苗を植える位置(25センチの間隔)の印をつけるための道具(マーカー)、そして、除草機の3種類。エンジン式ではないので、燃料も必要なく、特に高額な道具ではない。
シンプルな道具ではあるものの、ムラのミライが活動している村では、これらの耕作道具を手に入れるのが難しいため、村人たちに変わってスタッフが近隣の街からこれらの道具を調達しなければならなかった。キョーコさんからのアドバイスももらい、筆者とスーリーは早速、スリカクラム市の農業用具屋に向かった。これは5月の最初の週の話である。
「2年前にこちらでSRIの、耕耘器と、マーカーと、除草機を購入しました。この3つの道具が4セット欲しいんですが。」
「いまは在庫がないけど、3、4日後には用意できますよ。」
絶対に3、4日で用意が出来るはずはないとは思ったものの『3、4日で用意できると、そこまで自信を持って言い切るということは、少なくともこの道具をつくれる職人が在籍しているか、取寄せ先がわかっているんだろう。2週間もすれば用意ができるに違いない。』と、筆者は高を括っていた。注文を済ませて、しばらく相手からの連絡を待つ。
3日後、先方からの連絡はない。これは予想通りだ。
4日後、スーリーが電話をかけると、先方は電話に出ない。
さすがに電話を無視されるのはまずい兆候だと、再びスリカクラム市を訪れる筆者とスーリー。しかし、店のスタッフは悪気もなく、平然と取寄せ先の店に電話をかけて、「今週中には用意ができる。」と言った。
それ以降、スーリーが電話をしても、電話に出ないか『後でかけ直す』といった具合で、まともな対応をしてくれない。結局、最初に予想した2週間を過ぎても、用意される気配がないまま、筆者は5月の下旬から日本へ一時帰国した。
そして、2週間後、筆者がインドに戻ったころ、SRI農具はまだ調達できていなかった。いよいよ雨も降り始め、もうすぐ本格的な雨季が来る。種まきの時期は刻一刻とせまっている。このままでは今年の稲作に間に合わなくなってしまう。
「どうやら、この店にはこれ以上期待できない。なんとかして他の方法を探すしかない。」
と、筆者とスーリーは他にSRI農具を売っている店を探すことを決意した。別の街の農業用具屋に行き、SRIの道具について尋ね、スリカクラム市の農業研究所の研究員に事情に話し、とにかくSRIの道具を調達するために必死に駆け回った。しかし、どこで誰に聞いても、
「それなら、スリカクラムの誰々が取り扱っているよ。」
と、現在注文を出している店の名前を出すだけだった。どうやら近隣の地域でSRIの道具を取り扱っている店はここだけらしい。結局、筆者たちはまた店を訪ね、催促するほかに道はなかった。
「最初に3,4日で用意できると言ってから、もう1カ月も経っています。用意できないなら用意できないと言ってください。」
「用意できるが、おれたちはいま忙しいんだ。来週までには用意するから。」
と、またどこかで聞いたセリフを話す店主。店主曰く、スリカクラム市周辺の農家たちで現在もSRIを実践している農家は非常に少ないので、道具を調達するのが大変に困難とのこと。代わりに農業機械の購入には政府から補助金の額も大きいため、スリカクラム県に住む農家たちの多くは、高額な農業機械を注文しに店を訪れ、店もその対応に追われている。
昨年、乾地農業の視察研修でB村とP村の農家たちが訪れたタミル・ナードゥ州でも、政府の補助金による機械を使った大規模な農業が行われていた。同時に、自然資源を活用して、土地に適した農業を実践している農家にも出会った。研修に参加した農家たちが選んだのは後者であり、SRIの稲作方法はまさにその実践である。高額な機械の導入は、いくら政府の補助金が出るとはいえ、農家個人でかなりの額を自己負担する必要がありリスクも大きい。購入した後の燃料やメンテナンス・コストもかかる。
村の農家たちにとって、そういった高額の機械は必要ない。SRIを取り入れることで、種もみのコストを減らし、高額な化学肥料や農薬の使用をやめて、村の資源から作るミミズたい肥やバイオ農薬(葉っぱを発酵させてつくる農薬)に切り替え、稲作に必要なコストは、工夫次第でいくらでも改善することができる。B村の農家も、P村の農家も、これでかなりのコスト減らし、収穫量を増やした。B村とP村の農家に刺激を受けて、新規参入村でも、SRIが始まろうとしているのに、、、その農具が調達できない。筆者たちスタッフは、ただただ催促を続けた。
そして、6月某日、ついにSRI農具が届いた。注文から約一か月半が経過していた。
店までSRI農具を取りに行ったスーリー曰く、店主が『あんたたちの執念には根負けした。』と話していたらしい。なにはともあれ、これで農具の調達が雨季に間に合った。後はB村とP村の先輩農家たちから、SRIの研修を受ければ、新規参入村の農家たちも実践に移れる。



5.オラたちの村づくりを他の村の仲間たちに

流域保全のための石垣や堰堤などの構造物づくりに、植林活動、そして農業改善、それから指導員達は周辺の村での研修と、大忙しのB村の村人たち。
『安全な水と土で安全な野菜を作り出す村、そして高利貸しなど外部からの融資に頼らなくても自活していける村』
という、彼らの描いたグランド・デザインの達成に向けて活動を続ける。
グランド・デザインの研修の一環で、村人が自分自身の夢について語った。ある人の夢は、地元の学校の先生になること、ある人の夢は、耕作用の牛を買うこと、ある人の夢は、子どもに質の良い教育を与えること、またある人の夢は、、、
ひょっとすると、かつてのB村の村人たちであれば、これらの夢が実現できる夢だなんて、思わなかっただろう。だけどいまは、山に土が戻り、3月でもまだ村には水が残るようになった。自分たちで農業を計画し、村の自然資源を有効活用することで、少ない投資で、多くの種類の作物がとれるようになった。高利貸しではなく、村の中で資金を融通するために、各世帯から毎月少しずつ積み立てをして必要時にお金を借りる仕組みもできた。
こうして着実に近づく『オラたちの村』のビジョンのなかに、オラのアタシの、それぞれの夢がある。そして、その個人の夢の実現に向けても、すでに取り掛かっている人たちがいる。
この流域管理プロジェクトは、2015年8月で終了を迎える。プロジェクトの第1フェーズ※から、ずっと活動を続けてきたB村。植林や農業改善と行った活動を継続する一方で、このプロジェクトの振返りを行うステージにも突入している。
6月末には、プロジェクトのパートナーであるJICAから、最終評価チームもやってくる。その最終評価を前に、村人たちが集まり、どのようにしてB村の軌跡を伝えるかという話し合いが行われた。ラマラジュさんとキョーコさんが見守る。

「劇のように見せるのはどうだろう?」

と言ったのは、指導員としても活躍するラメッシュだった。そして、
『せっかくの機会だから、他の村の人たちにもオラたちの軌跡を紹介したい』
と、JICAチームの訪問に合わせて、新旧8か村の村人たちをB村に招待することを決めた。リハーサルでは、指導員をはじめて若い村人たちが、少し恥ずかしそうに発表している様子が見られた。
そして、いよいよブータラグダ村での一日が迫る。プロジェクトの評価に来るJICAチームにとって、これまで共に活動してきたムラのミライにとって、そして、ブータラグダ村と同じようにプロジェクト開始当初から活動を続けてきた村にとって、ブータラグダ村から流域管理技術を学んだ新規参入の村にとって、そして、ブータラグダ村の村人たち自身にとって、この一日はどのような一日になるのだろうか?
この続きは、次回のよもやまで乞うご期待。



注意書き

ラマさん:SOMNEED Indiaの代表で、植林活動においては、30年に渡る豊富な知識と経験を持つ。
筆者:實方博章。現場で修行中。
スーリー:夏の暑さにも負けず、村人と野山を駆け回るフィールドスタッフ。
ラトナ:オバチャン相手に研修経験豊富なフィールドスタッフ。
キョーコさん:前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、本事業のプロジェクトマネージャー。流域管理プロジェクトの他にも研修事業から出版事業まで全てを統括するスーパーチーフ。
スリカクラム市:ムラのミライの事業地があるスリカクラム県の県庁所在地。
JICA:国際協力機構。本事業のパートナー。
ラマラジュさん:よもやま第一部からおなじみの名ファシリテーター。現在はビシャカパトナム市にてムラのミライ・コンサルタントとしてプロジェクトに従事。5月下旬から6月上旬に来日し、高山、東京、名古屋でセミナーや研修を行った。

2015年5月22日金曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第20号「オラたちの植林計画」

 

目次

1.いざ、合同研修
2.オラたち自信ないです
3.ウェディング、ウェディング、ウェディング
4.植林計画は難しい、だけどオラたちだってやれば出来る
5. カシューナッツは良いの?悪いの?

5月に入り、夏真っ只中の南インド。気温は連日40度を超え、道を行けば汗がタラタラと流れ出す。木陰がいとおしい季節、、、夏はまだまだ続く。



1.いざ、合同研修

これまで農業改善に取組んできたブータラグラ村(以下B村)とポガダヴァリ村(以下P村)、そしてそのB村とP村の指導員から流域管理の技術を学び、農業改善についての取組みも始めた新規参入の5か村(バルダグダ村、パンドラマヌグダ村、コッタグダ村、マンマングダ村、アナンタギリ村)の村人たち。夏が訪れ、6月下旬から7月上旬に来る雨季を待つあいだ、流域管理委員会を中心に流域保全の活動計画づくりと、その実践を行っている。
4月某日、B村、P村と新規参入の4か村から、数名が代表して研修センターに集まり、今年度の活動計画づくりの合同研修(オリエンテーション)を行った。研修では、今年度の活動計画に活かすために、村ごとにムラのミライとの活動を開始してから何を学んできたかを振返った。普段は、指導員や農業改善活動の先輩という立場のB村・P村の村人たちと、彼らから研修を受ける側の新規参入の4か村の村人たちが、この研修には互いに参加者として出席している。共に参加者としてこれまでの活動を振り返るからこそ、B村とP村の2007年からの活動の話を改めて聞くのは、2012年から活動を始めた彼らにとっても刺激的だったに違いない。
昨年、初めて流域管理委員会を中心とした流域保全のための活動を行った4か村だったが、昨年は石垣や堰堤など保水土対策の構造物の設置と、水源地での植林活動を中心に活動した。今年の活動計画では、引き続き保水土対策の構造物の設置と、昨年度カバーできなかった集水域と裾野での植林を行っていくことが決まった。植林の話になり、B村のモハンが立ち上がった。
「オラたちが最初に植えた木は、今ではその実を食べられるようになったんだ。」
植林をしたからと言って、明日、明後日、1年経ったって、効果が見えるわけではない。だけど、2010年に植林を経験しているモハンの話を聞いて、新規参入の4か村の村人は、流域保全という目的にプラスして、食べ物や薪など村人たちにとっての生活物資にもなる集水域と裾野での植林へのやる気を見せた。ラマさんから、植林方法の研修を受け、村人たちは今回の研修の内容をそれぞれの村での共有を行った。


 

2.オラたち自信ないです

2012年から共に活動する5つの村のなかで、1か村だけ合同研修に参加しなかった。マンマングダ村だ。後日、決まったことを伝えがてら、彼らの様子を見に、村を訪問すると、
「オラたち、植林の計画なんて難しくて立てられないよ。」
と、自信なさげに話すマンマングダ村の人たち。
「去年だって村で話し合ってしっかり活動計画を立て、実践したじゃないか。」
と、励まそうとする筆者。
「だけど、オラたちの中で読み書きできる人が少ないし。」と話す青年。
「(計画は立てないで)作業だけならいつでもやるけどな。」とオッチャン。
15世帯と、他の村に比べても小さいマンマングダ村では、確かに他の村に比べて読み書きの出来る人は多くはない。だけど、流域管理委員会で事務や会計など実務を行う青年たちは、読み書きが出来る。村全員が読み書きできないからと言って、活動計画を立てられないということはないのだ。それでも、一部の村人は、植林する場所や植える木の種類を細かく選ばなければならない植林計画なんてオラたちには難しすぎると決めつけ、一部の人は政府の補助金のように、面倒な活動計画など立てなくても、与えられた仕事に応じて手っ取り早く労賃をもらえる方がずっと楽だと考えている。
「植林にしろ他の活動計画づくりにしろ、もしもわからないことがあればいつでも研修します。ただ、活動の計画を立てるのは、マンマングダ村の皆さんです。ムラのミライと一緒にやっていくか、もう一度話し合って、教えてください。」
それだけ伝えて、スーリーと筆者はマンマングダ村を去った。



3.ウェディング、ウェディング、ウェディング

数日後、マンマングダ村から朗報が届いた。村で話し合った結果、ムラのミライとの活動を続けていくという結論に至ったのだ。そして、植林計画づくりの研修への要望もあった。これで、合同研修に欠席したマンマングダ村も含めて、全ての村で今年の活動計画づくりが始まる。他の村でも、先日の研修の共有が行われて、活動計画づくりが始まった。
(これから、植林の研修やアクション・プランの確認で忙しくなるぞ。)
と、安心した筆者だったが、現実はそれほど甘くなかった。というのも、ヒンドゥー教徒たちにとって、結婚に最良の大安吉日が今年はこの時期に集中していたため、村人たちは連日結婚式に参加していて、活動計画の話し合いをする時間がほとんどないのだった。スーリーが村人に電話をすると、
『今日と明日は村で結婚式なので、集まって話し合う時間がない』と、どこの村人も口を揃える。とはいえ、いつまでも『時間がない時間がない』と、言っているばかりでは何も進まない。雨季に備えて植林の準備の必要もある。
これでは埒があかないと、電話だけではなく、スーリーと筆者で直接村に様子を伺い行くと、ある村では結婚式の準備で大忙し、ある村では隣村の結婚式でほとんどの人が外出中、またある村では何人もの村人が親戚の結婚式で遠出しており数日は帰ってこないと、まともに掛け合ってくれさえしない村人たち。これで本当に雨季の前に活動計画がつくれるのか?という再びの不安が押し寄せる。


ただ、そんな大忙しな状況でも、着実に計画づくりを進めている村があった。よもやま通信でもおなじみのP村とB村である。自分たちの村でも結婚式があって忙しい中でも、合間を縫って話し合い、保水土対策の構造物の設置場所を決めたり、植林をする土地も測り始めたりしていた。更にP村のパドマは、隣のアナンタギリ村へ指導員として計画づくりの研修に行くことも決まっていた。
さすがに2007年から活動を続けているB村とP村は他の村とは一味違う。いくら結婚式が続くと言え、村人全員が四六時中結婚式の準備をしているわけではない。だから、どんなに忙しくても、活動計画の重要性がわかっていれば、どこかで時間を見つけてコツコツと進めていくのである。



4.植林計画は難しい、だけどオラたちだってやれば出来る

結婚式のピークがひと段落して、少しずつ活動計画の話し合いを始めた各村の村人たち。これまで行ってきた保水土対策の構造物設置に関しては、自分たちでしっかり計画を立てることができるようになっていた。
ただ今回、新規参入の村人たちが苦戦したのは、植林の活動計画で、特に植林する土地を縮図に落とし込む作業だった。B村とP村では、農業改善の活動で、縮図を利用してきたのでなじみがあるが、新規参入村にとっては初めての経験、植林する土地を測るだけでも一苦労である。
例えば、四角形の土地を測るときに、私たちにとっては1辺の長さをそれぞれ測るのは当然のように思えるが、彼らは一辺の中間から、対の辺の中間までの長さを測っていた。つまり、彼らのノートには四角形の土地の図が十字で書き記されていたのである。ちなみに、村人たちが植林をする土地は、正方形でも長方形でもなく、四辺の長さがまちまちで、人によっては四角形ではない土地もある。なので、二辺の長さだけ測れば全体図がわかるというわけにはいかない。
そんな図を基にしては、植林なんてできっこないと、A地点からB地点、B地点からC地点と、一緒に土地の測定をやり直し、それぞれの辺をノートに記して大まかな土地の図を描く。そして、その土地には既に立っている木や、大きな岩や石垣などがあれば、それらの位置も把握する。土地全体の測定を終えて、その土地にある木や岩などのチェックも済んだら、下書きした土地の図を方眼紙に落とし込む。
この縮図書きの作業では、流域管理委員会でも中心的な役割をしている青年たちに加えて、現在学校に通っている村の高校生世代も大活躍した。高校生たちは、町の寄宿学校に通っているが、ちょうど夏休みで村に帰っていたのだ。
「この方眼紙上では、1マス(5mm)が2メートルだから、40メートルは、何センチになる?」
と一つ一つのルールを確認しながら作業を行うなかで、
「こりゃ、難しい。」と悲鳴を上げる青年たち、
「こんなの簡単だよ。」と、スイスイと線を引く少年。
青年たちと同世代(もしくは少し年上)の筆者は、『自分も高校生に勉強教えられたら、ちょっと恥ずかしいかもなぁ』と、この状況に少し同情しつつ見ていた。
ただ、彼らの表情を見ていれば、村の青年たちは少し恥ずかしがりながらも、下の年代が流域管理の活動に興味をもって一緒にやっていけるのが嬉しいに違いなかった。そして、少年たちにとっては、何に役立つかもわからずに学校で習っていることを応用して、自分の村の活動に役立てることが嬉しいのだ。
縮図が書き終わると、今度はオッチャン・オバチャン世代の出番である。
「ここには岩があるけど、この木だったら1メートルも岩から離せば育つから大丈夫だ」
「この木は食べ物だけじゃなくて、家畜の餌にも使える」
などと、経験を活かしながら、自分の土地に適した木を選んでいく。こうして、年代を超えた協力をしながら、各村では植林の活動計画を作っていった。
合同研修にも欠席して、最初は
「オラたちには、出来ない」
と自信を無くしていたマンマングダ村でも、活動計画は順調に仕上がっている。保水土対策の構造物設置の活動計画は、新規参入の5か村の中では一番早くに完成させた。それに、その設置場所も、流域管理の研修で学んだ基本を踏まえている。植林の活動計画も、弱音を吐かずに作成中だ。
村人たちと一緒に土地の測定をして、植林の活動計画づくりを行ってわかったことは、彼らは一度聞いたことはすぐに覚える。もちろん、方眼紙の使い方など、何度も説明が必要なこともある。それでも、土地の測り方や図の書き方など、一度見本を見せれば、基本は確実に抑える。そして、植林活動に限らず、保水土対策の構造物を設置する時にも、ここが流域のなかでどこに位置するかをしっかりと意識しながら活動計画を作っている。
村人たちは出来ないなんてことはない。
水のことも、土のことも、森のことも、経験ではわかっている。ただ、知識としては知らないことはある。それでも、流域管理の研修で覚えたことは、自分の経験と照らし合わせて理解をしているし、活動計画の作り方だって、研修を行えばすぐに出来るようになるのだ。
その証拠に、長年一緒に活動するB村やP村では、活動計画の研修なしでも計画づくりを完成させているし、忙しい中でも指導員として他の村のサポートさえ行っている。今回研修を行った新規参入の5か村でも、石垣や堰堤などの構造物の活動計画は完成して、その計画に基づいてすでに設置作業を開始している。
あとは植林の計画の最終仕上げをするだけだ。




 

5. カシューナッツは良いの?悪いの?

植林の計画づくりの研修では、
「カシューナッツの木を植えたい。」
という声をよく聞いた。収穫が直接現金収入につながりやすいカシューナッツだが、葉っぱが土に還りにくいという問題点もある。
現に、森の中を歩いていると、カシューナッツが育つ場所は、その落ち葉ばかりで、しかも朽ちにくく、土がほとんど見えないところもある。植林計画づくりでは、果物が取れる木や、薪として使える木、家畜のエサになる木、木材として使える木、薬として使える木など、用途の違う木を万遍なく植えることを推奨しているが、やはりカシューナッツを植えたい村人たちは多い。
流域管理という点から考えると、カシューナッツばかりを植えるべきではないということを、どうように村人たちに伝えれば良いかと考えていたら、キョーコさんがこんな話を聞かせてくれた。
「今日、私と一緒に石垣のチェックに行った彼の名前は何だっけ?とてもするどい質問をしてきて一緒に歩いていて楽しかった。」
と、バルダグダ村での研修で、こんなやりとりがなされていたのである。
「カシューの木って、良いのかな?悪いのかな?」と切り出したのは、高校を卒業したばかりの、サントーシュだ。
「あなたはどう考えているの?」
「いつも疑問に思っていたんだけど、カシューナッツの林の中では、葉っぱの上を水がダーッと流れていって、水が土に浸み込まないし、斜面がすべりやすくなるんだよね。」
「そうだね。私もすべったことはあるよ。他にも何か気が付いたことはある?」
「カシューの葉っぱは、ほら、虫食いの跡がほとんどない。」
「それはどういう事かわかる?カシューの葉っぱをたい肥づくりでミミズのエサにあげるかな?」
「虫やミミズはカシューの葉っぱを食べないんだね。」
「そう、つまり土を作る、という面ではバクテリアもミミズも食べにくいから、土になりにくい。」
「そうすると、この場所では土も生まれないし、水も水中に浸み込んでいかないし、、、そしたらヘタすりゃ食べ物が作れなくなっちゃうな、、、なんだか前からもっていた疑問が一つ解決できたなぁ。それじゃ、キョーコさん、他にも疑問があるんだけど、石垣と堰堤の役割ってさ、、、」
こうして、流域に関してのキョーコさんと少年との対話は続いた。
まだ高校を卒業したばかりの彼は、流域管理委員会のメンバーでもなければ、常に研修に参加しているわけではない、それでもお父さんやお母さん、先輩たちから流域管理の話を聞いて、時には自分も研修に参加して、「流域ってなんだろう?」と、考え続けていた。
そして、それは、研修に参加したら自動的に考えつくものでもない。幼いころから森を歩き、森で暮らす彼がずっと心の中に秘めていたもの。そんな疑問を、キョーコさんと森を歩くいまがチャンスと、色々と聞いてみたのだ。『カシューナッツの葉っぱは土になりにくいから、植えちゃダメ』なんて一方的に言わなくても、流域のコンセプトを思い出せば、村人たちの中でその答えが出てくる。
ムラのミライが流域管理の研修をしたB村とP村、そしてB村の指導員が研修を行ったバルダグダ村。
そのバルダグダ村の一人の少年の疑問は、流域管理のコンセプトが、ムラのミライの知らないところでも、着実に広まっていることを物語っている。そして、そんな村人たちが、年代を超えて協力して出来上がった活動計画に基づいて、これから実施を始める。その様子は、次回以降のよもやま通信で乞うご期待。

注意書き

ラマさん:SOMNEED Indiaの代表で、植林活動においては、30年に渡る豊富な知識と経験を持つ。
筆者:實方博章。現場で修行中。
スーリー:夏の暑さにも負けず、村人と野山を駆け回るフィールドスタッフ。
キョーコさん:前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、本事業のプロジェクトマネージャー。流域管理プロジェクトの他にも研修事業から出版事業まで全てを統括するスーパーチーフ。


2015年4月10日金曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第19号「オラが俳優、アタシが女優」

 

 目次

1.  農業カイゼン振返り
2. その葉っぱ食べられます
3. オラたちの農業をビデオに残そう
4. オラが俳優、アタシが女優
4-1. ミミズたい肥
4-2.  「液肥」「バイオ農薬(葉っぱを発酵させて作った農薬)」
4-3.  「もみ殻燻灰」「キッチンガーデンでの効果的な野菜栽培」
5.   テルグ映画!!いや、農業カイゼン

朝は毛布が必要なほどに冷え込んだ(南インドにしては)寒くて長い冬がウソだったかのように、日に日に気温が増した3月、照り付ける太陽の日差しがまた一段とまぶしくなる4月。今年も暑い暑い南インドの夏がやってきた。

 


1. 農業カイゼン振返り

農業カイゼンへの取り組みも2年目を終えるブータラグダ村。有機農業専門家のチャタジー氏を招き、今年度の取組みに関しての振返りが行われた。
「去年の4月から何をしてきたか教えてくれるかい?」
とチャタジー氏の問いかけに対して、新しいモデル農地の選択、農地利用計画づくり、保水土対策、コスト計算、活動記録付け、と取組みを一つ一つ挙げていく農家たち。
「去年までとの違いが見えたかい?」
「サイクロンでダメになって食べられなかったのが残念だけど、豆類や、ウリが昨年より良く育ちました。」
「よく育った理由はわかるかい?」
「(1平方メートルの保水土対策の構造物をつくり)土が流れなくなって、保水できるようになったからです。特に傾斜がある土地でも作物が良く育つようになりました。」
こうした振返りのなかで、水田では、必要な種もみの量を60kgから6kgに減らすことができたことや、化学肥料を使わなくなったこと、一株の穂の数が増えたことなどの成果が挙げられた。昨年度以上に田んぼの土手を有効利用して豆類などの作物を育てる農家や、田んぼの周りにマリーゴールドの花を育てることで、害虫から稲を守る方法などの工夫するモデル農家も増えた。


畑やキッチンガーデンでは、農地利用計画づくりと保水土対策により、これまでは3種類しか栽培できなかった畑で7種類栽培ができたなど、多種類の作物を長期に渡って栽培できたことが挙げられた。また以前は作物をごちゃまぜに栽培して枯れてしまっていたが、間隔をしっかりとって栽培することで防ぐこと出来たことも成果として挙げられた。2年目になって始まったグループでのモニタリングを通して、他の人もモデル農地を観察する機会も増えた。


2. その葉っぱ食べられます

農地の有効活用による収穫の向上、村の資源を使った有機肥料の採用によるコスト削減と土の保全の面では成果が見られているが、「今後の課題は何なのか?」村人たちに考えさせるため、和田代表が問いかける。
「サツマイモを切ると中身は何色じゃい?」
「白です。」
「それじゃあ、カボチャは?」
「黄色です。」
ニンジン、カリフラワー、トウモロコシ、唐辛子、ゴンゴラ(葉野菜)と、村人たちが知っている野菜を挙げて、普段村人が食べる部分の色を聞く和田代表。そして、赤、白、黄色、緑と質問に答える村人たち。
「色々な野菜があるけど、なんでそれぞれ色が違うのか誰か考えたことはあるかい?ニンジンもダイコンも同じ色でも良いのに、なんで違うんじゃろ。」
「人間も同じように色が違うから、それと同じじゃないかな。」
「でも人間は食べんじゃろ。」
考え込む村人たち。すると和田代表が問う。
「色々な野菜があるけど、共通点があるのはわかるかい?」
「うーん。」
「葉っぱの色は何色だい?」
「どの野菜も葉っぱは緑色です。それから根っこがあるのも同じです。」
村人たちが知っている知識を基に、和田代表は植物が根を通して土から栄養を取る仕組みと、葉っぱで光合成を行い、栄養を取り入れる仕組みを村人たちと一緒に確認する。
「植物に必要な栄養も、人間に必要な栄養も同じじゃよ。だから、わしらは野菜が生きているうちにそこから栄養を摂らなきゃいかん。」
「オラたち、野菜の一部分しか食べてないなぁ。」
「最初の質問に戻るが、野菜の色は何で違うんじゃろ?おまえさんたちが食べとるのは、野菜の一部だけなんじゃよ。もっと知りたいじゃろうから、ここからはチャタジーの出番じゃ。」
そして、バトンタッチを受けた有機農業専門家のチャタジー氏から、米、野菜、肉・豆の栄養についての研修が行われた。
「まず、君たちにエネルギーを与えるのがお米です。バイクに燃料がないと走れないのと同じで、私たちも動くのにエネルギーがいりますよね。」
うんうん、うなずく村人たち。
「それから豆や肉や牛乳は、からだをつくるために必要だから、これも毎日食べなきゃだめですよ。」
「それから、バイクと人間が違うのは、私たちは生きていますよね。だから体を守るための食べ物が必要です。それが野菜です。お米と野菜と肉・豆をバランス良く食べる必要があるんですよ。」
と黒板に、摂取すべき栄養バランスを分かり易く示すため、ピラミッド型のイラストを描く。
「この三角形を覚えておいてください。まず一番たくさん必要なのがお米です。それから次は野菜、次に肉や豆、それを4対3対2の割合で食べるのが一番理想です。それから、塩や油や香辛料はできるだけ減らしましょう。」


和田代表のファシリテーション×チャタジー氏の講義という2人の合わせ技で、これからは作物を増やすだけでなく、栄養バランスも考えた作物の栽培を取り組んでいく必要性に気づいた村人たち。そして、今まで食べていなかった作物の葉っぱを上手く調理して食べられれば、いま食べている食材からもより栄養を摂ることができる。とは言え、村人たちの食生活はそう簡単には変わらない。
「ヒロ、今度、村人たちを研修センターに呼んで、みんなで葉っぱの料理を食べてみろ。」
いままで食べたことのないものを食べるのには抵抗があるのは当然。その抵抗をなくして、この研修で気づいたことを村人たちが実践できるように、そして栄養バランスを取り入れた農業計画が出来るように、今後研修をしていくのはスタッフの役割だ。


 

3. オラたちの農業をビデオに残そう

B村に続き、2014年から農業カイゼンに取り組んできたのはポガダヴァリ村(以下P村)の農家たち。年間を通して精力的に活動してきた農家の一人、流域管理技術普及の指導員でもあるチャンドラヤが普段より少し改まって話をもちかけてきた。
「ヒロさん、オラ、良いアイデアを思いついたんだけど。」
そして、2014年7月に実施されたタミル・ナードゥ州での農業視察研修の際に、彼の携帯電話で撮った動画を見せながらこう話す。
「オラたちの農業の取組みをビデオにしたいんだ。そうすれば、オラたちもいつでも復習出来るし、新しい村で研修するときだってそのビデオを使えるし、どうだい良いアイデアだろ?」
「それは良いアイデアだね。」と同意しながら、筆者は感心していた。チャンドラヤは流域管理技術普及のための指導員として周辺の村に研修を行っているが、農業カイゼンもまた周辺の村に技術を普及しようとしている。同じ指導員のダンダシもチャンドラヤの話の横で、静かにうなずく。思い起こせば1年前、チャンドラヤもダンダシもB村の農家たちから農業カイゼンの研修を受けたのだった(よもやま12号参照)。そして今度は、自分たちが中心となって周辺の村に広めていこうとしている。『自分たちが学んだ技術を他の村に伝えていく』これまで彼らが行ってきたことが、当然のように体に染みついている。そして、映像教材による農業カイゼン技術の普及は、もちろんスタッフの意図するところでもあり、ピタリとタイミングが一致した。
「チャンドラヤからの提案もあったことですし、私たちと一緒に農業カイゼン用のビデオ教材をつくりませんか?」
と、キョーコさんとラマラジュさんからの提案に、
「待ってました。」
と意気込むチャンドラヤ。
こうして、B村とP村での実践を基にした、モデル農家主演のビデオ教材づくりがスタートした。


 

4. オラが俳優、アタシが女優

今回作成する教材は、「ミミズを利用した有機たい肥」「液肥」「バイオ農薬(葉っぱを発酵させて作った農薬)」「もみ殻燻炭」「キッチンガーデンでの効果的な野菜栽培」の5つ。各技術を実践しているモデル農家が主演する。ビデオ教材づくりのために日本から映像づくりのスペシャリスト・シマさんがやってきて、B村、P村での撮影を行った。

 

4-1. ミミズたい肥

まずは、B村でミミズを利用した有機たい肥づくりの撮影。主演は、たい肥づくり名人コンビのマレッシュとジャンマイヤ。一年前にP村が農業カイゼンについて学びに来たと時、材料を全て用意して「3分クッキング」のように作り方を教えたこともある。たい肥づくりの要領とポイントを体得しているため、今回の主演者としての白羽の矢が立った。とはいえ二人にとってはこういった映像への出演は初めての経験。毎回の研修でもシロートの筆者が彼らの写真を撮ることは何度もあるが、今回彼らにビデオカメラを向けるのはプロのシマさん。撮影開始直後、彼らの緊張する様子が伝わってくる。
「まず順番に自己紹介してください。挨拶と自分の名前と村の名前を言えば十分です。」
と、二人に伝えるラマラジュさん。
「ナマステ、サー(Sir)。私の名前はマレッ、、」
「ストップストップ。私に話しかけているわけじゃないんだから、“サー”はいりませんよ。このビデオを見るのは、村の人たちですよ。」
気を取り直してテイク2。
「ナマステ、私はブータラグダ村のマレッシュです。」
「ナマステ、私はブータラグダ村のジャンマイヤです。」
すると、今度は『ラマラジュさん、これでオッケーですか?』と聞かんばかりに正面のビデオカメラではなく横に立つラマラジュさんの方をちらちらと伺う。すると、すかさずシマさんが指示を出す。
「ラマラジュさん、私の真後ろに立ってください。」
ラマラジュさんがビデオカメラの真後ろに立つと、彼らの目線は正面のビデオカメラに向かう。
「今日は、ミミズたい肥づくりの方法をお伝えします。」
「OK」
OKサインが出るごとに、少しずつ自信が見えてきた2人。こうして撮影が波に乗り始めると、緊張も解けいつもの笑顔が戻ってきた。たい肥小屋のサイズや設置場所を解説し、たい肥づくりの実演をする2人。
読み書きのできない彼らとの撮影では、台本を使うことは出来ない。流暢に話すことは出来ても、教材に用いるテルグ語は彼らの母語ではない。ラマラジュさんがセリフの指示を出すと、それを丸暗記するのではなく、自分たちが話し易い言い回しでしっかりと話すマレッシュとジャンマイヤ。
もし筆者が英語で、いや日本語ですら、台本をもらって出演することになったら、この二人のようにわかりやすい説明ができるだろうか?たい肥づくりを実践し、ポイントを完璧に網羅している二人だからこそ、台本なんかなくても自分の言葉で説明ができるのだ。ゆっくりと一つ一つの作業を丁寧に説明する2人の映像は、この映像を見る他の村人たちにとってわかりやすいミミズたい肥の教材になるに違いない。




 


 





4-2. 「液肥」「バイオ農薬(葉っぱを発酵させて作った農薬)」

液肥とバイオ農薬の教材の主演は、よもやま通信でもおなじみの農家チランジービー。B村だけでなく、他の村の農家からも一目置かれる存在の彼は、常に農業カイゼンのための工夫を続けてきた。昨年度の水田でのモデル農業で取り入れたSRI農法は、今年度は別の田んぼにも拡大した。彼の取組みをみて、「自分の田んぼでもやってみよう」と挑戦する農家たちもいる。タミル・ナードゥ州での農業研修で液肥の作り方を学び、いち早くその技術を導入したのもこのチランジービーだった。そんな彼だからこそ、今回の教材への主演は当然だった。撮影当日は別の研修にも参加していて大忙しの彼だったが、撮影に必要な材料を全て用意していて準備は万端。普段は液肥とバイオ農薬を販売用にも作るため、ドラム缶サイズの大きな容器を利用しているが、今回の撮影ではビデオを見る人にとって分かり易いようにと、小さなバケツを用意してくれた。農業カイゼンについて、これまでもB村の内外の人に何度も話した経験を持つチランジービーにとっては、ビデオ撮影もお手の物で、初めて液肥やバイオ農薬を作る人にとって重要なポイントを分かり易く説明してくれた。セリフや作業の見せ方は自分からラマラジュさんに「こうしましょうか?」と提案することが多かったチランジービー。シマさんは、1シーンの撮影の長さや太陽との向きのことを指示を出せば十分で、
「どれだけ喋り慣れた人でも、カメラに向かうと多少は緊張するものなのに。」
と、全く物怖じしないチランジービーに舌を巻いた。もちろん、撮り直し(NG)回数は、彼が断トツで最少。そんな頼もしいチランジービーが主演するビデオ教材をみて、多くの農家たちも彼に続くに違いない。彼が地域を代表するモデル農家になる日もそう遠くない。







 

4-3. 「もみ殻燻灰」「キッチンガーデンでの効果的な野菜栽培」

もみ殻燻炭と畑やキッチンガーデンでの効果的な野菜栽培の教材には、P村から、ビデオ教材づくりを最初にもちかけてきたチャンドラヤと、畑のモデル農家のパドマが出演した。一度は挫折しそうになったP村での農業カイゼンを再開するために、2人はずっとP村のなかで働きかけてきた。再出発した農業カイゼンでも、読み書きの出来ない農家の記録付けを手伝ったり、作物が上手く育たたない農家にアドバイスを送ったりと、村のリーダーとして熱心に取り組んできた。そんな2人の主演は今回のビデオ教材に申し分ない。早朝から始まった撮影だが、お昼にかけてどんどん暑さが増していく。もみ殻燻炭の撮影では火を起こす必要があるため、更に暑さが増した気分になる。そんな中でも、ついに念願が叶い嬉しそうなチャンドラヤだが、ビデオ教材づくりを持ち掛けてきたときは、こんなに本格的な撮影が行われるとは思っていなかったに違いない。チャンドラヤは、少し緊張する様子も見られるが、どこか楽しそうに、そして時折NGを出しながら主演俳優としての仕事をこなす。その横でほとんどNGを出さず堂々と振る舞う主演女優のパドマ。二人のコンビネーションがその映像に味を出す。炎天下のなかで1日がかりの撮影、冬の日本からやってきたシマさんにとっても過酷な一日だったに違いない。そして、最後はヘトヘトになりながらも主演の仕事を全うしたチャンドラヤとパドマ。この経験がまた自信となり、これからも多くの農家に向けて農業カイゼンの取り組みを広めていくだろう。




5. テルグ映画!!いや、農業カイゼン

こうして、シマさんによるビデオ撮影が無事に完了し、現在は編集作業が進んでいる。B村とP村の農家たちが実践している農業カイゼンが、今度は別の村の農家にとっての教材になる。村人たちが、みんなでテレビがある家に集まってテルグ映画を見るのと同じように、これからは農業カイゼンの映像を見ながらみんなで一緒に新しい農業を学ぶようになるかもしれない。印刷物ではなく、映像で目や耳を通じて学ぶことで理解も深まるし、読み書きの出来ない農家たちも一緒に学ぶことできる。今までも、「良質な種もみの選び方」など、スタッフであるラマラジュさんが実演したビデオ教材はあった。だけど、今回の教材は、農家たちが自分たちで実践したことを、自分たちの村で、自分たちの口から語っている。この教材を見て学ぶ別の村の農家たちは、NGOスタッフや専門家ではなく、自分たちと同じような村の農家たちの取組みを見て、「オラたちにも出来る。アタシたちもやってみよう」と刺激を受けるに違いない。きっとそれは、大学のオープンキャンパスで教授や職員でなく、現役の在校生から、高校生が受験や大学の話を聞くのに近いと思う。
「実際に汗水流して試行錯誤してきたおっちゃんたちにしか出せない味が出てるよね。」
「出来る、使えるという説得力が全然違いますね。」
と、編集途中のビデオをチェックしながら、キョーコさんとラマラジュさんとシマさんが、以前のスタッフ実演時との違いを話していた。
出来上がったビデオ教材を見て、主演俳優・女優たちはどんな反応をしめすのか、筆者は楽しみで仕方がない。そして、その教材をつかってB村、P村のモデル農家たちがどうやって他村に農業カイゼンを広めていくのか、他村の農家たちは、見た目も、言葉も近い、先輩の取組みに刺激を受けて、どうやって農業カイゼンに取り組んでいくか。今後の進展の様子はまた次回以降のよもやまで乞うご期待。

 

注意書き

サイクロン「フドフド」: 2014年10月に事業地を襲った強力なサイクロン。
筆者・ヒロ:實方博章。現場で修行中。和田代表とチャタジー氏が野菜の話をしているときにビクビクしながら聞いていたノンベジタリアン。
キョーコさん:前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、本事業のプロジェクトマネージャー。流域管理プロジェクトの他にも研修事業から出版事業まで全てを統括するスーパーチーフ。
ラマラジュさん:よもやま第一部からおなじみの名ファシリテーター。現在はビシャカパトナム市にてムラのミライ・コンサルタントとしてプロジェクトに従事。
シマさん:奈良原志磨子。普段はムラのミライの関西事務所で海外事業の補助業務を行っているが、映像のプロとしての経験があるため、教材づくりのためにインドに出張。
サー(Sir):インドの習慣で、目上の男性を呼ぶ際などに用いる。女性はマダム。(よもやま11号「村人からマダムと呼ばれる日」参照)


2015年2月23日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第18号「オラがミミズたい肥づくり名人」

 

目次

1. ミミズたい肥づくり始めます
2. ちょっとトイレに行ってきます。
3. よく肥えた土ってどういう土?
4. オラがミミズたい肥づくり名人
5. 広がり始まる農業カイゼン

2月に入り肌寒い朝が続く季節も束の間、南インドの夏がゆっくりと近づいてくる。



1. ミミズたい肥づくり始めます

前回のよもやまでお伝えした、農業カイゼンに取り組むB村とP村の村人たち。そして、そのB村とP村の指導員たちから流域管理技術の研修を受け、計画づくりとその実施を行う新規参入の村人たち。新規参入の村人たちの中から、お隣のB村やP村の農業カイゼンの様子をみて、オラたちも農業カイゼンに取り組みたいという声が上がってきた。
新しく農業カイゼンへの興味を持ち始めた村々では、その一環としてミミズを利用した有機たい肥づくりに挑戦する。村人たちは、すでにたい肥をつくって利用しているB村とP村の村人たちからその極意を学び、彼らの村でも実践を始めることになった。B村とP村での有機たい肥づくりの視察研修を前に、まずは事前研修を行った。


 

2. ちょっとトイレに行ってきます。

事前研修を任されたのはラトナ、スーリー、筆者。3人で研修の進め方と内容について話しあう。
「前回までの研修で学んだことを確認して、それからミミズたい肥づくりを始める目的を明確にして、たい肥について現時点で知っていることを共有して、今度の視察研修で学びたいことを確認して、それで最後にスケジュールを決める。こういう流れで行きましょう。」
と3人で合意して迎えた当日、
「今までどんな活動をしてきましたか?」
研修が始まり、これまでの活動について尋ねるスーリー。これまでの活動を振返る村人たち。
「アクションプランを作って、それを基に石垣をつくったり植林したりしました。」
「それでどんな成果がありましたか?村ごとに発表してください。」
参加者たちが村ごとに話し合って発表する。ラトナが黒板に表を描いて、そこに出た意見を書いていく。
バルダグダ村からの参加者が言う
「土壌の流出が防げて多くの作物がとれるようになりました」
ラトナが黒板の表を埋める。
そして、パンドラマヌグダ村からの参加者が言う
「土壌の流出が防げて多くの作物がとれるようになりました」
ラトナが黒板の表を埋める。。
そして、アナンタギリ村からの参加者が言う
「土壌の流出が防げて多くの作物がとれるようになりました」
ラトナが黒板の表を埋める。。。
そして、コッタグダ村からの参加者が言う
「土壌の流出が防げて多くの作物がとれるようになりました」
ラトナが黒板の表を埋める。。。。

異口同音に質問に答える村人たち、これではまったく活動の振返りになっていない。『この流れはマズい』と、思う筆者だがどうしたらいいかもわからない。ただこの上滑りした議論が続いてしまう。どうすればこれを止められるのか、そして、果たしてどうやってここからミミズたい肥につなげていけばいいのか。
焦るが何もできない筆者、質問を続けるスーリー、黒板を埋めるラトナ。
すると、一人の村人が立ち上がった。
「ちょっとトイレに行ってきます。」
それに続いて他の村人たちもぞろぞろとトイレに立つ。そう、村人たちにとってこのやりとりは退屈で仕方がなかったのだ。研修序盤からつまずきムードが漂う。。。


3. よく肥えた土ってどういう土?

これまでの研修の流れを見てその状況を見かねた和田代表の助言で、『土』と『ミミズ』についてそれぞれ知っていることを書き出してもらう作業をすることになった。元々、筆者たち3人組の計画では、『ミミズたい肥』について知っていることについて聞く予定だった。ミミズたい肥の研修だから、ミミズたい肥について知っていることを聞いても良さそうだが、この二つの質問は全く意味が違う。
30分後、『土』『ミミズ』という質問に対して、村人たちは、土とミミズのことではなく、ミミズたい肥について知っていることばかり挙げた。
そう、これは明らかに私たちがたい肥づくりの研修だ、たい肥づくりの研修だ、としつこく押し付けてしまったせいである。
そして、おそらく私たちが最初から「ミミズたい肥」について知っていることを聞いていたら、この村人たちの答えを基に、「では知らないことは、P村やB村の先輩たちに聞きましょう」という流れになっていたに違いない。
しかし、そもそも土とは何か、ミミズとは何か、どういう働きがあるのか、ということがわかっていなければ、たい肥がなぜ必要なのか、ということもわからないままである。必要性がわからないまま作り始めたら、後はどうなるのだろう?
村人たちが作業を終えて発表すると、和田代表が立ち上がる。
「おまえさんたち、たい肥をつくるということじゃが、よく肥えた土ってどういう土か知っているかい?」
「えぇーと、作物がよく育つ土。作物にとって良い食べ物がある土です。」
「それじゃ、作物にとっての食べ物って何じゃい?」
「・・・」
「例えば森の土を思い浮かべてみなさい。森には色々な草や木があって水がある。森の土にはたい肥は必要かい?」
「必要ないです。」
「土は植物が住むところで、栄養と水を含んでいる。その栄養は植物から来ているんじゃ。葉っぱは落ちた後どうなる?」
「乾燥して、虫が食べる。」
「雨季にはだんだん腐っていく。」
「誰がその葉っぱを腐らせているんじゃい?」
「水!!」
「おまえさんは水を飲むと腐るのかい?水を溜めているバケツは腐るか?」
「・・・バクテリアかなぁ?」
「そう、バクテリア。バクテリアはきみらと同じ生き物じゃ。じゃあ生きているってどういうことだい?生きるためには何がいる?」
「食べ物!!」
「そうバクテリアもおまえさんたちと同じように食べて糞をする。その糞が土の栄養分になるんじゃ。バクテリアがどれくらい小さい生き物が知ってるか?」
「うーん。。。」
「1立方センチメートルの土には、1億匹のバクテリアが住んでいる。つまり土そのものが生き物みたいなもんなんじゃ。植物がバクテリアに栄養を与えて、バクテリアが土の栄養分をつくる、そしてその土でまた植物が育つ、これが切っても切り離せない植物とバクテリアと土の関係じゃ。」
さっきまで退屈そうにしていた村人たちも、この研修を聞き入っている。

「それじゃあ、またたい肥の話に戻るが、森と農地の違いは何じゃ?」
「森にはたくさんの種類の木や草があります。」
「森は整備されてないけど、農地は整備されています。」
「整備されているっていうのはどういうことじゃい?」
「えーと、森では色々な植物があるけど、農地では何種類かの決められた作物を育てます。」
と、今までの研修で一度も自分から口を開いたことのないコッタグダ村のおっちゃんも今日は積極的に発言する。和田代表が続ける。
「そう、森では色々な植物があってそれぞれ違う時期に枯れるから、常に土がつくられ続けている。しかし農地では作物ごとに植えているし、枯れる前に取り除くから土が出来ない。つまり作物は土から栄養を取るけど、土に栄養は返さない。だから農地では意識的に作物が取った分の栄養を返す必要があるんじゃ。
さっき説明した植物とバクテリアと土の関係は覚えているかい?この循環を意識的につくるのがたい肥の役割じゃ。しかし、森で土が出来るのに時間がかかるように、バクテリアだけでは土が出来るのにすごく時間がかかる。だからミミズの助けをかりて、バクテリアが食べ物を消化しやすくすることで、土が出来るまでの時間を短縮する。それがミミズたい肥ということじゃ。」
退屈しのぎにトイレに行っていた村人たちも、和田代表の研修は食い入るように聞いている。そして、なにより、参加者全員が楽しそうに質問に答える。テルグ語が苦手で普段は研修で喋るのを躊躇しているような参加者さえ和田代表の研修では口を開く。
和田代表の研修のあとで、村人たちは視察研修で学びたいことを確認した。「土」と「ミミズ」という意識があるからこそ、「ミミズたい肥」のつくり方を学ぶのではなく、農業カイゼンのためにミミズたい肥について学ぶという意識が生まれてくる。なぜなら、村人たちは土が重要なことを誰よりもよく知っているのだ。
そして、農業カイゼン、ミミズたい肥づくりもまた、流域管理の一部なのだ。植林や石垣など構造物の構築を通した森での土づくりと、農地での土づくりの違いが、ミミズたい肥づくりと流域の関係ということ、この部分はこれから何度もつついていくことになるだろう。



4. オラがミミズたい肥づくり名人

和田代表の研修を経て、事前準備はばっちりの村人たち、今度は農業カイゼンの先輩であるB村の農家を訪ねて研修を受ける。B村での視察研修当日、たい肥づくりの指導員は村のなかでも特に熱心に農業に取り組むチランジービー。昨年P村が農業カイゼンの視察でB村を訪れた際にも農業カイゼンの普及に中心的な役割を果たした青年である。
そして、流域管理研修の指導員としておなじみのアナンドも加わる。
たい肥小屋の大きさや、たい肥づくりに必要な素材や道具などを丁寧に説明するチランジービー。葉っぱは苦みのないものを選ぶだとか、小屋は日の当たる場所に建ててはいけないなどのつくり方の部分と、牛糞など他の肥やしと比べて使い勝手が良いことや、土の質を高めることができることなどの、利用方法や効果まで漏れなく解説する。そして、一通り説明をすると

「さぁ、オラがいま説明したことを言ってみて。」
と、参加者の理解度を確認しながら研修を続ける。その姿は、まさに名人と呼ぶのがふさわしかった。
「ミミズはどこで手に入れるの?」
と参加者に聞かれれば、
「オラのミミズを売ってやるから安心しろ。」
と、しっかりと商売も意識している。彼は今までもミミズたい肥やバイオ農薬(化学薬品を使わない農薬)を作り、自分の農地で利用し、そして他の農家たちにも販売している。今まで店から化学肥料を買ってきていたころのような出費はもういらない。それどころか、今度は自分のもつ資源を利用してお金を稼ぐまでになっている。
B村で一目置かれるチランジービーは、他の村の人たちにとっても、モデル農家だった。研修が進むと少し違うトピックの質問も出てくる。すると、チランジービーは、
「まずはこの説明を終わらせてから、その話をすっぞ。」
と、参加者が混乱しないように一つ一つ順を追って説明する。事前研修の後でキョーコさんから、この視察研修で見落としてはいけない重要ポイントのアドバイスをもらっていたモニタリング担当の筆者たちだったが、チランジービーは重要な点を見落とすことなく進めていく。それどころか、ミミズたい肥づくりの研修をこえて、農業カイゼンの研修になっていく。
SRIについて、バイオ農薬について、牛糞や牛尿を利用した液肥について、チランジービーと参加者たちの熱い議論は続く。
「でもオラたちの村では、耕す田んぼを2年ごとに代えていくから、これを続けていくのは難しいな。」
コッタグダ村の村人がつぶやいた。
「それなら今度はお前さんたちが、次に田んぼを耕す人にこのやり方を教えてやればいい。」
チランジービーはそう答えた。
「オラはミミズたい肥づくりの最初の研修には参加しなかった。でも(自ら試行錯誤を繰り返して)今ではこうやって自分が研修する側になったんだ。」
チランジービーの顔は自信に満ち溢れていた。農業カイゼンへの挑戦も2年目を終えようとしているB村、その成果は個人の農業カイゼンを超え、村の農業カイゼンになり、そしてそれが今度は地域全体の農業カイゼンにつながっていく。彼はきっとこれからも先頭をきって走り続けていくに違いない。







 


5. 広がり始まる農業カイゼン

先輩農家たちからたい肥づくりについて学んだ村人たちは、さっそく準備を始めている。チランジービーたちの指導に基づいて、たい肥小屋の建設を終え、いよいよこれからミミズたい肥づくりが始まる。この研修で学んだ、他の農業カイゼンの技術もこれから実践していく農家は増えていくだろう。流域管理技術に続き、広がりはじめた農業カイゼン、これからの進展の様子はまた次回以降のよもやまで乞うご期待。









注意書き

ラトナ=ソムニードインディアのスタッフ。オバチャン相手に長年の研修経験を持つオバチャン。
スーリー=ソムニードインディアのスタッフ。長年の現場経験をもつ。
筆者=實方博章。現場で修行中。
キョーコさん=前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、本事業のプロジェクトマネージャー。流域管理プロジェクトの他にも研修事業から出版事業まで全てを統括するスーパーチーフ。


2015年1月16日金曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第17号「誰のためのモニタリング?」

 

目次

1. 農業カイゼン実施中
2. オラたちの村の農業
3. これはオラたちのプロジェクト
4. 誰のためのモニタリング?
5. お金の管理も大切です

「暑い」か「すごく暑い」しかない南インドの暑さが少しだけ和らぐ季節がやってきた。さらに今年の村の冬は、例年よりもだいぶ涼しい。稲の収穫を終えた村人たちは、脱穀に忙しい。ついこの前まで黄金色をしていた田んぼには、いま新しい芽が宿る。



 

1. 農業カイゼン実施中

前号のよもやま通信でお伝えしたように、流域管理の技術を周辺の村々に伝えるために奮闘する指導員たち。その指導員が暮らすブータラグダ村(以下B村)、ポガダヴァリ村(以下P村)では農業カイゼンのための取り組みを続けている。

「畑が水浸しになって、ナスが枯れちゃったのよ。だからチャンドラヤに聞いて畝をつくることにしたの。」と話すのは、P村のおばちゃん。失敗しても他の農家のアドバイスを活かしてまた挑戦する。
「アナンドの田んぼを見てオラも真似したんだ。」
と話すB村のおっちゃんは、害虫から稲を守るために田んぼの周りで花の栽培を始めた。
「こうしておくと虫がきても花に止まるから稲を守れるんだ。それに花は町で売れるから現金収入にもなる。」
畑やキッチンガーデンでは次々に収穫が行われ、収穫後に空いたスペースにはまた新しい作物が植えられるため、常に何かの作物を収穫できるようになった。12月を迎えると稲の収穫も始まり、村人たちは脱穀などの作業に並行して二期作目の準備に取り掛かる。
最初は手探りだったP村のモデル農業も、もみ殻燻炭や生物農薬(化学肥料を使わない農薬)など研修で得た技術の応用が増えたり、他のモデル農地を観察したりと、カイゼンへの取り組みがだんだんに積極的になってきた。
「自然に近づいた農業が出来るのが嬉しい。」と、語るのはパドマ。
畑のモデル農業と有機たい肥づくりを行う。彼女のようにたい肥づくりを進める農家に感化されて新しくたい肥づくりを始める農家もいる。
昨年度から農業カイゼンを実践するB村では、その取り組みを村のグランド・デザインとしてまとめる段階に入った。



2. オラたちの村の農業

『安全な水と土で安全な野菜を作り出す村、そして高利貸しなど外部からの融資に頼らなくても自活していける村』という目標に向けて、2020年まで村の農業を完全に有機農業にすること決めたB村。

「その目標を達成するためには何が必要ですか?」
ラマラジュさんの問いかけにすぐさま立ち上がるのは、指導員のアナンドとシマハチャラム。化学肥料の使用をやめて、村の全ての農地で有機たい肥で賄うためにはどれだけの量のたい肥が必要か、そして、そのたい肥を村のなかで生産するためには、どれだけのたい肥小屋が必要か、家族ごとの計画を細かくを計算する。2016までには、2017年までには、2018年までには、と研修に参加している村人みんなで話し合う。
「それから村を全部有機農業にするには、パンドラマヌグダ村(以下パン村)に農業に関しての働きかけも必要だね。」
B村が化学肥料の使用をやめても、流域を共有するパン村が化学肥料を使いつづければ、水や土を通してB村の農業もその影響を受け続けてしまう。現在は流域管理の技術を伝えることに注力するB村の指導員たちだが、ゆくゆくは農業への働きかけも必要になってくる。
さすがB村と筆者が感心していると、ラマラジュさんが言う。
「ちょっとだけつついてあげれば、彼らは自分たちで出来るんだ。僕たちがあーしろ、こーしろなんていう必要はないんだよ。」
今はビシャカパトナムでアドバイザーのような役割をしているラマラジュさんだが、やっぱりラマラジュさんの研修だと村人たちは活き活きとしている。



3. これはオラたちのプロジェクト

11月某日、農業カイゼンに取り組むB村とP村のもとに、JICAインド事務所からイモト次長とウエノさん、それとムラのミライの和田代表がやってきた。イモト次長とウエノさんは今回が初めての訪問、和田代表は一年ぶりの訪問だ。3人がまず訪れたのはB村。これまでの活動を3人と共有し、質問の時間が始まる。
「どうして長い期間に渡り活動を続けているのですか?」
「オラたちの村をこういう村にしたいって目標があるからです。流域を守って、外の人に頼らず自活できる村をつくりたいんです。」

「今までで一番大きな問題はなんですか?」
「石垣をつくるときに、隣の村が反対してきたんだ。でも話し合いをして、オラたちの土地がわかるように木に番号を振って解決できました。」
「指導員になる動機は何だったんですか?」
「オラたちの村は隣の村と同じ流域にあるから、隣の村も流域を守るようになればオラたちの村の利益にもつながるんです。だから隣の村にも指導員として流域のことを伝えています。」

グランド・デザイン完成に向けた研修を続けるB村、今までやってきたこと、それからこれから目指すところ、村人たちの自信がうかがえる。
そしてP村では、農業カイゼンを始めて肥料にかかるコストを削減できたことや、農業カイゼンを始めたことで得た利益を語った。農業のために村のウシをもっと増やす計画を話したP村の村人たちに、
「どうやってウシを購入する計画を立てているんですか?」と村人に尋ねるイモト次長、
「自分たちの貯金で買います。もしどうしても必要なことがあれば、村の預金から貸出を行います。」
と答えるP村の村人。JICAやムラのミライに頼ろうなんて気持ちは、村人の頭の中には少しもないのだろう。このプロジェクトはJICAの草の根事業であり、JICAとムラのミライ(ソムニード)にとっては「多角的資源活用農法(DIFS)を通した農地利用と集水地域保全普及-発展型地域住民主導マイクロウォーターシェッド・マネージメント-」という長い名前もついている。だけど、2007年からずっと活動を続けるB村とP村の人たちにとって、この活動はJICAのプロジェクトでもムラのミライ(ソムニード)のプロジェクトでもなくて、オラたちの村のプロジェクト。

 


4. 誰のためのモニタリング?

B村やP村が自分たちの活動をどんどん進めていくために、ムラのミライ(ソムニード)は、村人たちをうまくつつかなければいけない。キョーコさんやラマラジュさんが現場を空けるなかで、筆者たちは果たしてうまく村人をつつけているのだろうか?
B村で農業カイゼンの活動の一つであるモニタリングの話が出たとき、和田代表が質問を投げかける。
「モニタリングって一体なんじゃ?」
「ファイルをちゃんと管理しているかとか、作物の成長など評価しています。」
「ほう、誰がモニタリングするのじゃ?」
「グループになって、田んぼや畑を回りながらみんなで評価しています。」
「4点は「良い」で、5点は「とても良い」だが、例えば作物の出来具合で何が4点で何が5点か基準はあるのか?」
「、、、えっとー。。。」
そしてこれまで和田代表は、村で一番のおばあちゃんアパランマさんに質問をする。
「アパランマさんもモニタリングに行きましたかい?」
「あたしも一緒について行ったわよ。」
「そうかい。それでモニタリングって何じゃい?」
「。。。」

和田代表とのやりとりで、何人かの村人は「ハッ」としたに違いない。しかし、そのやりとりを見ていて村人以上に「ハッ」として、同時に冷や汗が流れだしたのは、何を隠そうこの筆者である。7月からモニタリングが始まり、回を重ねるごとに村人たちは自分たちだけでモニタリングを行うようになった。それぞれの農家たちがモニタリングで指摘された点を改善している様子も見られた。
「他の人のモデル農地を見て、お互いに学ぶことができる」
と、確かに村の青年たちは、モニタリングを通じてお互いのモデル農地から学んでいる。ただ、これは別に「モニタリング」なんて言葉を使わなくたってそれぞれのモデル農家たちが去年から実践していたこと。それでも今年からモデル農地を点数で評価することにした。その必要はあるのか?

このとき、筆者の冷や汗ポイントは2つあった。一つ目はモニタリングの項目の基準がしっかり出来ていなかったのに、そこを上手く村人たちに指摘することが出来なかったこと。そして、もう一つは、ボトムラインを考えることが出来なかったこと。つまり筆者たちは、読み書きができる青年たちがやっているモニタリングを、村人みんなのモニタリングと思ってしまっていたのだった。しかし現実にはアパランマさんのようなおじいちゃんおばあちゃんはなんだかよくわからないけど、グループに入ったから着いて回っているだけだった。ムラのミライ(ソムニード)の「10歳の子どもにも、80歳の非識字者のお年寄りにも分かるようにすること」という基本理念がしっかり守れていなかった。村人たちがみんなで現状を共有して、それからお互いに学び合うことを促すためのモニタリングが、いつの間にかモニタリングすることが目的のようになってしまっていた。

「これは誰の(ための)モニタリングだい?」
という和田代表の村人への問いかけが、その答えだった。今までのモニタリングは、ソムニード(ムラのミライ)のためのモニタリングで、または村の青年たち何名かのためのモニタリングで、ブータラグダ村のモデル農家たちみんなのモニタリングではなかった。
「これからもモニタリングを続けるか?」
「これからも続けます。」と答える青年たち。
「それなら、村の全員でもう一度、何をモニタリングするかを話し合ってごらん。みんなが理解できて、納得できて、それでシンプルな質問を考えて、わしが1月にまた来るときに見せておくれ。」

こうしてB村では、もう一度モニタリングに関して話し合いが行われることになった。現在は収穫作業に忙しいB村だが、村人たちがモニタリング項目を決めたら、次こそ村人みんなのモニタリングになるように筆者たちもしっかりとサポートできるようにしないといけない。



5. お金の管理も大切です

村の農業カイゼン計画も決まりB村はグランド・デザイン完成に向けて着々と進んでいる。そしてその活動の一つである流域委員会の内部資金運用もその実践が始まった。家族ごとに毎月の貯蓄を行い、その貯蓄から順番にローンを受ける仕組みをつくった。流域管理も、農業も、種の貸し借りも、お金の貸し借りも、全ての活動がオラたちの村のこれからに繋がっている。そんなB村のグランド・デザインの完成は近い。
そしてそのB村の指導員たちは、新しい村で規定づくりとその具体化のための研修を続けている。そんな指導員たちと新しい村の人々の奮闘は、また次回以降のよもやまで。




6. 注意書き

パドマ=P村の指導員。指導員のなかで唯一の女性だが、その実力で新規の村では村人にマダムと呼ばれるようになる。詳しくはよもやま通信2部11号参照。
ラマラジュさん=よもやま第一部からおなじみの名ファシリテーター。現在はビシャカパトナム市にてムラのミライ・コンサルタントとしてプロジェクトに従事。
パンドラマヌグダ村=B村の隣の村。B村の指導員が流域管理の技術を伝授中。
キョーコさん=前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、この本事業のプロジェクトマネージャー。日本での業務を終え、インドに戻る。
筆者=實方博章。現場にて修行中。