2016年6月30日木曜日

でこぼこ通信_第24号_「ママ、もう1個ゴミ箱いるんじゃないの?」2016年6月30日発行

でこぼこ通信第24号「ママ、もう1個ゴミ箱いるんじゃないの?」2016年6月30日発行

In 601プロジェクト通信 ネパール「バグマティ川再生 でこぼこ通信」 by master


目次

  1. エコレンジャーを目指すオバチャンたち
  2. ママ、もう1個ゴミ箱いるんじゃないの?
  3. 子は親の鏡~ゴミ分別を続けるコツは、「習慣化」
  4. 行動の伴わない人の言葉に誰が耳を傾ける?

1.エコレンジャーを目指すオバチャンたち

5月30日の朝、和田さん(※1)と一緒に、研修の会場に向かった。事務所から車で20分ほどかけて行く、ナイドール村。ここでは、バグマティ川中上流に住む村の人たちを対象にした「エコレンジャー」育成研修を週に一回開催してきた。

研修では、まず、「川の汚染や路上に廃棄されるゴミといった問題に取り組むために、地域で具体的にどのような行動を起こすべきか?」を参加者自身が考えるような問いかけやグループワークを行った。それを受けて、参加者の大半は、家庭でできるゴミ分別・生ゴミ堆肥づくりや、地域での定期的な清掃活動、また近所の人へと学んだことを伝えるといったアクションも起こし始めている。

今後は、これまでの研修や自分たちで始めた活動を通して学んだことを周りの人へと伝え広げる「エコレンジャー」として、参加者自身が研修を担っていく。今日は、他の参加者やソムニード・ネパールのスタッフ、そして研修講師の和田さんの前で、これから予定している研修のデモンストレーションをする日。

研修の参加者は、ほとんどが女性。学生もいるが、多くが家庭を持つ「オバチャン」。この日は、朝から雨が降りそうな天気だったが、オバチャンたちは、暗くどんよりした空気を吹き飛ばすほどの明るい顔で、「ナマステ~!」と迎えてくれた。

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 2. ママ、もう1個ゴミ箱いるんじゃないの?

勢い溢れるオバチャン参加者のなかでも、私(※2)が特に注目しているのが、マイナ・ディディ。(“ディディ”とは、ネパール語で「お姉さん」の意味。年上の女性に対して“~さん”という丁寧な呼び方をするために使われる。)

研修の内容を熱心にメモに取り、質問に対して常に発言し、グループワークではまとめ役を買って出る、とにかく積極的な参加を見せている。

そんな彼女が、デモンストレーションンのなかでみんなに伝えたエピソードのひとつに、こんなものがあった。

「私には、3歳の息子と6歳の娘がいます。研修に参加し始めてから家でのゴミ分別を始めましたが、娘は、ゴミの種類ごとに別々のゴミ箱に入れる習慣がつきました。息子は、まだ幼くて分別はできませんが、『ゴミをゴミ箱に入れる』ということは身に着けています。」

発表では、さらりと終わらせてしまったこの話。

実は、子どもたちへの影響はこれだけではないということを、私は知っている。というのも、前回の研修の休憩時間中、彼女は嬉しそうにこんなことを語ってくれたからだ。

「研修を受けたあとには、必ず子どもたちに話をするの。ゴミ分別も子どもたちと一緒に始めたのよ。ほら、これがその写真。最初はゴミ箱を3つ置いて、家にあるゴミを全部分別することにしたんだけどね、今では4つに増やしたのよ。だって、しばらくしてから娘にこう言われちゃったんだもの。『ねぇママ、金属ゴミを入れる箱もいるんじゃないの?』ってね。

息子はね、外に一緒に出かけたとき、道端に落ちてるゴミを見て、『ママ、これゴミだよね?ゴミ箱に入れないと!』って言って、拾ってゴミ箱に入れたのよ。」

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3. 子は親の鏡~ゴミ分別を続けるコツは、「習慣化」

このエピソードは、マイナ・ディディについて、2つの事実を物語っていると思う。

1つ目は、もちろん、この研修の目的通り、「(ゴミ分別という)アクションを、他人に伝え広げる」を実行しているということ。

そして2つ目は、口先だけでなく、ゴミ分別を、「習慣化している」ということだ。

私は、彼女の話を聞きながら、ある回の研修の中で和田さんが紹介した「子は親の鏡」という話について思い出していた。

「みなさんは、今では『家でゴミを分別しています』と言っていますね。その行動を続けるためには、習慣化する必要があります。みなさんには、子どもがいますよね。子どもというのは、親の行動を映す『鏡』です。ポイ捨てをしない子は、親の行動を見てそれを身に着けているはずです。もしあなたの子がポイ捨てをしているなら、それはあなたの行動を真似ているからですよ。子どもの行動を観察することで、自分の習慣について振り返ってみてください。」

良くも悪くも、私たちは親や周囲の大人の行動を真似て、自分の習慣を形成していく。

例えば、ゴミ箱のないところで捨てたいものがあるとき、ポケットやカバンに入れて家まで持ち帰ることは、日本人にしてみれば、当たり前のことかもしれない。

ネパールに住んでいると、バスの中で食べたお菓子の空袋を外に「ポイッ」とする人や、歩きながら小さなゴミを道に落とす光景は、珍しくない。それは別に、「ゴミを捨ててやろう」と意図的にポイ捨てしているわけではない。ただ単に、「必要のないものだから手放す」という感覚が当たり前で、無意識のうちに癖になっているのだと思う。

マイナ・ディディの子どもたちが親になる頃には、ネパールでも、「無意識」にゴミをゴミ箱へ入れる人が増え、種類別にゴミを分けて処理することが「当たり前」になるだろうか?

彼女の嬉しそうな顔を見ながら、そんな期待を抱かずにはいられなかった。

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4. 行動の伴わない人の言葉に、誰が耳を傾ける?

さて、発表の後に和田さんがオバチャンたちに念押ししたこと。

「外に出かけるとき、みなさん、必ず携帯を持って出ますね?その時に、買い物で使うためのマイバッグも手に取るのです。行動の伴わない人の言葉は、誰も信じません。もし、誰かがあなたに『ゴミを減らさないといけません』などと説教をたれることがあれば、聞き返せばよいでしょう。『あなたは、マイバッグを持ち歩いていますか?』と。」

そう、口で言うことは誰にだってできる。

でも、カトマンズのゴミ問題を解決するためには、行動が伴わなければ意味がない。

平気な顔でポイ捨てをしているネパールの人だって、(おそらく、当たり前すぎて無意識だからこそ「平気な顔」でしているのだと思うが・・・)聞かれれば、「ポイ捨てはよくない」「ゴミを減らさないといけない」と言うだろう。


しかし、言葉通り実践できている人はいったいどれくらいいるだろうか?

研修のネパール語通訳をしているソムニード・ネパールのウジャールでさえ、和田さんに

「ウジャール、おまえはマイバッグ持ってるか?」と聞かれると、

「持ってます!」と答えながらも・・・、実際には、ヨーグルトを買いに行ったさい、ビニル袋に入れてもらってきていたこともある。

私自身、ネパールで働き始めてから、自分の行動を見直すようになった。

「ネパールで何をしているんですか?」と聞かれるたびに、

「NGOで働いています。私たちの団体は、バグマティ川をきれいにするプロジェクトをしていて、家庭から出る排水やゴミによる環境汚染を食い止めるために、地元の人々の習慣を変えるための研修をしています。」といった答え方をしてきた。

新しい人と出会い、この質問をされるたび、内心“ドキッ”とする。果たして、私自身の生活はどうだろうか?と。

この仕事をしている私は、バグマティ川の汚染を減らすような生活ができているだろうか?生活の中で、少しでもゴミを減らす努力をしているだろうか?

家では、プラスチックのゴミ箱と缶・瓶用のゴミ箱、そして生ゴミ・紙ゴミを分けている。生ゴミ・紙ゴミ以外は、オフィスに持ってきて、オフィスのゴミとまとめてリサイクルに出している。思えば、日本でここまで分別にこだわったことはなかった。そして、自分の生活から出るゴミの量について振り返ることもなかった。

今、日本の生活を振り返ったとき目に浮かぶのは、様々な包装紙やプラスチック包みですぐにいっぱいになる、自分の部屋のゴミ箱。そして、何を買うにしても、過剰に包装のされた商品の並ぶ店。

日本では、道端や川にゴミ山ができている光景を目にすることはほとんどないが、かといって、ゴミがネパールより少ないわけではない。大量に排出されているゴミを燃やすだけの燃料とお金が、ネパールよりもあるというだけのこと。

 

6月3日、日本に戻った私は、八百屋さんで野菜を買った。

スーパーではなく八百屋さんを選んだ大きな理由は、個包装されていない野菜を買う選択肢があると思ったからだ。あいにく、すでにパッケージされている野菜も一部あったが、それでも、スーパーで買い物するよりかはゴミを減らすことができた。

消費者としてのこの行動は、とても些細なものかもしれない。

でも、「口だけではなく、実際にアクションを起こし、それを継続する」というのが、私が研修でオバチャンたちと一緒に学んだこと。小さなことだろうと確実に行動を積み重ねる。それなしにはネパールのオバチャンやその子どもたちに顔向けできない。

「他にも、私にできること・私がすべきことは何だろう?」と、オバチャンたちの表情を思い浮かべながら考えるのだった。

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注意書き


※1 和田さん:ムラのミライスタッフ(そして設立者)和田信明。

デモンストレーション研修について鋭いコメントを入れつつも、ジェスチャーや声のトーンで参加者を笑わすことを忘れない。すっかりオバチャンたちの心をつかみ、研修の最後の集合写真タイムでは、個別の写真撮影もねだられることに・・・。


※2 私:筆者、ムラのミライスタッフ近藤美沙子。

ネパール人にも日本人にも「ネパール人に見えるね~」と言われつつも、ネパール語の習得は遅く、オバチャンたちとのやり取りは簡単なネパール語or英語。ちなみに、マイナ・ディディの子どもたちの話は英語でしてもらった。

2016年6月28日火曜日

「●●じゃない」経験を思い出してみる

10歳の子どもにも80歳のおばあちゃんにもわかるように話す。
これは、ムラのミライ流ファシリテーションの鉄則の一つ。

「この人がわかれば誰でもわかる」というボトムラインを設定し、どう伝えるとよいかを考え、相手に質問を投げかけやり取りをしていくべし、と言い換えればよいでしょうか。
「貧困」「収入向上」といった、小難しいけれど抽象的な専門用語などもってのほか、わかりやすく話せないということは、相手の理解力が足りないのではなくて、伝える側の技量不足という、なんとも厳しい指摘が隠されている鉄則です。

たとえば・・・

*「観察」とは何か?だったら、川の観察を終えたばかりの生徒に「観察に何を使ったか」というやり取りを通じて、道具だけじゃなくて五感も使って音、におい、見えたものを記憶していくことを知ってもらう (でこぼこ通信第8号「マジシャンとファシリテーター」より)
*「地図」「アクションプラン」なら、そこからわかること/わからないことを(ファシリテーターが言うのではなく)村の人たちが考え、リストアップするように…などなど。

相手に体験してもらったり、考えてもらったり、思い出してもらったり…相手の経験に引き付けることが重要なんだと学んできました。
(と、簡単に書いてますが、私やSOMNEED Nepalのスタッフたちは、まだまだサラッとはできないんですよね。)

そして最近、もう一つの方法を学びました。
それが、「●●じゃないってどういうことなのか?」を考えてもらうこと。

5月、日本に一時帰国中に、とあるセミナーでプレゼンテーションをする機会をいただきました。そのプレゼンテーションのテーマの一つが「持続可能な開発」。
でも、「持続可能」ってどういうことを指すのでしょうか?
ともすれば空中戦まっしぐらの話題、どう「10歳の子どもにも80歳のおばあちゃんにもわかるように」話をするか!?
ネパールの村のオバチャンたちや子どもの顔を思い浮かべても、いいアイデアが浮かびません。西宮のオフィスで準備をしながら、うーん、と頭を悩ませていたところ・・・

中田さんから投げかけられたのが、
「身の回りで持続可能じゃないことって?」
という質問でした。

「持続可能性とは?」では空中戦まっしぐら、抽象的なことしか思いつかなくとも、「持続可能じゃないこと」だと、自分の経験や身の回りを振り返れば、案外、地に足の着いた例が思いつくものです。

このときは、セミナーのメイン参加対象が学生であることから、学生時代~現在を振り返って
「持続可能じゃないこと」
を思い出してみました。

それは、返済が必要な奨学金。
卒業し、就職してから返済することで、その返済金は次の奨学生への奨学金に使われる・・・という仕組みですが、最近では卒業後に奨学金を返済できない人が増えているというニュースがたびたび流れていますよね。つまり、今ではその仕組みが持続可能じゃないものになってしまっているでのはないでしょうか。
かくいう私も大学入学から大学院修了までの約6年間にわたって受けていましたので、月々の返済が負担になることが多々あります。

中田さん曰く、これは、和田さんもよく使うやり方なんだそうです。
(まだ、ネパールでは実際のやりとりにお目にかかったことはありませんが・・・)
私も、次、村の人や生徒たちの前で話をする機会があれば、真似して使ってみようと思っています。


田中十紀恵 ムラのミライ 海外事業・研修事業コーディネーター/ネパール事務所)

http://muranomirai.org/trg2016bgnepal

2016年6月21日火曜日

アフガニスタン 稲作の課題が浮かび上がった瞬間 農業普及のファシリテーション

海外で一連の研修をする場合、初回の終わりに必ず「習ったことを現場で実践練習するように」という宿題を出します。和田さんの場合、「やらない者は次の回には来なくていい」と言うようですが、私は気が弱いので、そこまで厳格にはやれません。

今年の3月、アフガニスタンの農業普及員20人余りを相手に、3日間の研修をやりました。それから1カ月半ほど空けて同じ人たちを対象に2度目の研修をしたのですが、その際、例のよって、まず宿題の発表をやってもらいました。結局10人ほどが手を挙げて自ら進んで発表してくれたのですが、その中には驚くほどうまく使っているケースがいくつかありました。

以下はその一例です。

Hさんは、アフガニスタン西部の県の農業普及員で、最近では稲作技術の改善に力を入れています。ある村で、20人ほどの農民に集まってもらい、稲作をめぐっていろいろやり取りしていたところ、複数の農民から、年によって苗の出来のバラつきが多く困っているという話が出ました。そこで、品種を聞いてみるとほとんどが在来種とのこと。

Hさんは、ここは先月習った事実質問を使ったメタファシリテーションの出番だと考え、「それは何という品種ですか」から始めて、その品種の特徴や栽培方法などをひとつひとつ具体的に聞いていきました。さらに、それは主に自家消費用か、販売用かを尋ねたところ、自家消費用が多いがそこそこ販売もしているとのことです。地域の市場での価格を聞くと、改良品種に比べてかなり安い値段でしか売れないこともわかりました。  

Hさんは気合を入れなおして質問を続けました。

H 「皆さんは、市場で値段の高い改良品種のお米を買うことはありますか」
農民数人 「時々買います」
H 「では最近では、どのような機会に買いましたか」

ひとりが「先日、お客さんが来た時に買いました」と答えると、他の人も「うちも」「私も」というふうに次々と同調しました。それを見てHさんは「この地域の稲作に関する課題がこの場で浮かび上がった」ことを確信したそうです。つまり、彼らは稲作農民でありながら、自分たちが作ったコメをお客さんに出せないと考えている。価格的にも品質的にも改良品種に及ばないことにそれぞれが何となく気が付いてはいたが、自分とのやり取りを通して、彼らはそのことを共通の課題としてここではっきり認識した。Hさんはそう確信したわけです。

Hさんによると、そのあとのプロセスは比較的簡単でした。改良品種のメリットとデメリット、必要な技術や資源などなどについて説明していったところ、こちらから薦めたわけではないのに、何人かが自発的に試験的な導入を申し出ました。併せて、本題であった新しい技術の導入にもほとんどの農民が自主的に取り組む姿勢を見せたりと、農村訪問は期待以上の成果を上げたそうです。そういう話を自慢げにではなく、淡々と要領よく報告してくれるところに、Hさんのもともとの実力を垣間見た思いでした。

「ここでは、『事実質問によって自らの問題に気付かせる』という比較的高度のテクニックが使われたわけです。常に意図的にできるかどうかはともかく、適切な事実質問ができるようになると、このような現象が頻繁に起こってくるようになります。他の皆さんもぜひ挑戦してほしいと思います」
私はそうコメントして次の発表に移りました。

中には、「これは何ですか」と聞き始めたもののすぐに「問題は何ですか」と尋ねてしまい、結局、Wish List(おねだりリスト)が出てきてしまったなど皆の爆笑を誘う報告もあって、満足度150%の有意義かつ愉快な報告会になりました。

次回が楽しみです。

中田豊一 ムラのミライ 代表理事)


http://muranomirai.org/trg2016cfindia
「課題を浮かび上がらせる対話」を実地に学ぶ研修


2016年6月20日月曜日

でこぼこ通信_第23号_「ゴミを分別するためには、まず何をする?」2016年4月15日発行

でこぼこ通信第23号「ゴミを分別するためには、まず何をする?」2016年4月15日発行

In 601プロジェクト通信 ネパール「バグマティ川再生 でこぼこ通信」 by master

目次

1.復習では順調かに見えたが・・・
2.言ったそばから・・・!行動に結びつかない参加者たち
3.全然具体的じゃない!はい、やり直し~!
4.行動を起こすために必要なこと

春の訪れを祝うホーリーのお祭りも終わり、日中の気温が30度を超えるようになった4月。
DEWATS(分散型排水処理施設)の建設地であり、同時に川の汚染の仕組みやその解決のための取り組みに関しての研修を受けてきたデシェ村とバスネット村の住民たちを対象に研修を始めた。
これはもともと、DEWATSプロジェクト1年目の活動地であるデシェ村から、3年目には「指導員」として自分たちで研修を実施できるような人材を輩出するために予定していたTOT(Training Of Trainer:指導員養成研修)である。そこに、2年目のプロジェクトに関わっているバスネット村の住民、および隣接する国立公園(National Martyrs and Peace Park)のスタッフたちからも「参加したい!」という声が上がり、一緒に研修を受けてもらうこととなった。

1.復習では順調かに見えたが・・・

午前中はまず、「川の汚染の原因は何?」や「その汚染はいつから起こるようになったのか?」ということについて、講師の和田さんから参加者に問いかけをしながら解説があった。実は、このことは以前の研修でも網羅している。でも、時間が経っていたり、参加者間での理解に差があったりするため、身近な例に引き付けて振り返りをした。

◆ゴミは、その使い道を知ってさえいれば、ゴミになることがない。(例えば、落ち葉は堆肥になるし、切り倒した木は家具にできる。さらに燃やした木屑もその灰を畑に撒くことができる。たとえプラスチックであっても、私たちが分別さえすればリサイクルすることができる。ただし、混ざったゴミはただのゴミになる。)
◆参加者の祖父母の時代は、村の人口が少なかったため、屋外で用を足しても土壌や水の中に存在するバクテリアによって分解できる量だったが、今は人口(=排泄物やゴミ)が増え、農地などが減っているため、バクテリアの処理能力を超えたゴミが汚染物質として川を汚している。
◆30年ほど前のネパールでは、機織りから服をつくるところまで自分でしている人たちを多くみたが、今では大きなショッピングモールなどで(プラスチック包装=ゴミとともに)服を購入している。
◆和田さんが小さい頃、駄菓子屋さんで売っている飴は個包装されずにガラス瓶に入っていたが、現在では、服や飴をはじめとした商品はすべてが個包装されたうえ、レジでさらにプラスチックの袋に入れて手渡される。
◆家でたまったプラスチックゴミは燃やしている家庭が多いが、プラスチックを低温で燃やすとダイオキシンが排出され、自分や自分の子どもたちの健康を害する。
これらの復習を終えたあとは、グループに分かれ、今日学んだことを20個自分たちの言葉で発表してもらった。若干訂正が必要な箇所があったものの、概ねの発表では、今日のポイントを網羅できていたと思う。

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2.言ったそばから・・・!行動に結びつかない参加者たち

さて、ランチ休憩に入ったところで、今回の研修にふさわしい“教材”がやってきた。
今日のメニューはロティ(発酵させずに平たく伸ばしたパン)、豆とジャガイモのカレー、ヨーグルト、そしてチヤ(甘~いミルクティー)だった。おいしいランチをいただきながらも、ヨーグルトやチヤを入れる小さなプラスチックカップ(ネパールでは、チヤといえばこのカップで出されることが多い)や、飲み水を入れるカップを参加者がどう処理するかが気になって、少しソワソワする

ランチで出たゴミは、これらのカップ以外に、ロティとカレーを入れる葉っぱのお皿やヨーグルトが入っていたプラスチックの袋があった。ウジャールが、「分別するために別々の袋に入れるよ!」といってゴミ袋を用意するも、食後に袋の中を見てみると混ざって入っているゴミたち・・・。

「あーぁ、さっき『ゴミは分別することで再利用できます』って発表してたばっかりやのになぁ・・・。」
人の行動変化はすぐには起こらない。まぁ予想通りか、と思いながらも、少しがっかりした気分で迎えた午後のセッション。そこで和田さんは、さっそくランチで出たゴミを“教材”に研修を再開した。
和田「さてみなさん、ランチを食べたときにこれら3つのプラスチックカップを使いましたね。ひとつはヨーグルト、もうひとつはチヤ、そしてこれは水を飲む用。誰か、このカップの底を見た人はいますか?午前中に話をした、リサイクルのマークがあるか確認した人は?」
(しーんと黙り込む参加者たち。どうやらみんな、確認するのを忘れていたらしい。)

和田「みなさん、これらのカップを使ったあと、どうしましたか?」
参加者「ゴミ袋のなかに入れました。」
和田「カップだけですか?葉っぱのお皿も一緒に入れませんでしたか?」
参加者「もちろん、分別しました!」
和田「ゴミ袋に入ったカップやお皿は、どこにいくのでしょう?」
参加者「葉っぱのお皿は燃やして堆肥になります。プラスチックのカップは業者に回収されます。」
和田「ほお、そうですか。では、これを見てください。(ゴミ袋を見せる)何もかもごった混ぜに入っていますよ!混ざった状態ではただのゴミです。分別して初めて資源になるのです。」
(気まずい顔をしながら黙り込む参加者たち・・・)
和田「この袋の中身をちゃんと分別すれば、実際の“ゴミ”は半分以下になります。残りは資源になるのです。疑うなら、やってみたらいいですよ。」
神妙な顔つきで静かになる参加者たち。さすがに、自分たちの行動を目の前で突きつけられて、返す言葉がなくなってしまったようだった。

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3.全然具体的じゃない!はい、やり直し~!

では、いったいどうやって行動に結び付けるのか?それについては、次のグループワークで鋭い指導が入ることとなった。
次のお題は、「ゴミを減らすためにできることを、次の3つに分けてリストアップすること。」
(1)   自分の家族だけでできること
(2)   自分の近所の人たちと一緒にできること(コミュニティでできること)
(3)   行政との連携が必要なこと
さらに、和田さんからは、
「できるだけ具体的な行動を書いてくださいね」という指示があった。

与えられた時間は40分だったが、ほとんどのグループは40分を待たずに完成させて、暇そうにしていた。
「シッディヨ?(ネパール語で「終わった」という意味)ホントに~??」
と聞いて回りながらも、とりあえず発表を始めた・・・が、最初のグループが一番目の項目を読み上げたところで、すぐに和田さんのツッコミが入った。

参加者「容器についているリサイクル・マークを確認することで、自然に分解できるゴミとできないゴミを分別します。」
和田「そうではなくて、誰が・いつ・何をするかということを具体的に書いてくださいと言ったんです。これは家族でできることですよね。では、あなたの夫ですか?子どもですか?誰がするんですか?いつするんですか?ゴミはどこに置くんですか?そういうことを一つ一つ書いてくださいと言ったんですよ。」

そして、他人事かのようにニヤニヤした笑みを浮かべてみている他の参加者に対して、
和田「他のグループも同じような内容だということは分かっています。はい、全部やり直し~!!・・・ちなみに、このマークは、プラスチックゴミだけについているものですから、生分解できるかどうかの識別ではありません。」


「あれま~、やってもたで!」といった感じで一旦大笑いするものの、さっきとはうってかわって険しい顔になり、ネパール人スタッフたちに質問攻めをする参加者たち。
「ね、ウジャールさん、どういうことなん?」
「なんか意味分からへんのやけど」
「何があかんかったん?あたしら何を書けばええん?」
ネパール語のやり取りなので詳しくは分からないが、筆が進まないところを見ると、おそらくこんな感じの訴えかけだろうと思う。


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4.行動を起こすために必要なこと

ここで、紙とにらめっこ状態の参加者たちに、和田さんが解説を追加した。
和田「あのね、みなさん。例えば、堆肥用のゴミとそうでないものを分別したいとするでしょう。そのために最初にすることは何ですか?・・・」
こう切り出したあと、「ゴミを分別する」という行動について、どんなステップがあるかを解説した。
(1)    ゴミ箱を2つ設置する
(2)    それぞれに、例えば「生ゴミ」「プラスチック」といったラベルを貼る
(3)    ラベル通りにゴミを分けて入れるように、家族に周知する
(4)    生ゴミで堆肥をつくるために、庭に穴を掘る
(5)    家族に、ここは生ゴミを入れる穴だと周知する
(6)    生ゴミ用のゴミ箱がいっぱいになったら、穴に入れる
(7)    プラスチックゴミの場合は、さらにリサイクルできるもの/できないものに分ける
・・・などなど、「ゴミを分別する」と一言で言っても、実はこれだけ多くのステップを踏む必要があるのだ。

和田「これが、家族でできることです。でも、分別したゴミを回収してもらうときに、全部一緒くたにされたらどうですか?あなたたちの努力はゼロになりますよね。そこで、近所の人たちとの協力が必要になるんです。あるいは、電池のようにそのまま捨てると危険なゴミはどうしましょうか?行政がきちんと処理をしてくれないと困りますよね?そういった外部との協力についても、先ほど説明したような具体的なステップが分かっていないといけないんです。」


ネパールでは、ことあるごとに「政府がやらないからしょうがないよね。ケ・ガルネ?(What to do?/どうしようもないね)」というセリフを耳にする。
「停電が長くて困るね。でも、ケ・ガルネ?」
「ゴミ回収がなくて困るね。でも、ケ・ガルネ?」
という具合に・・・
「ケ・ガルネ?」で物事を済ませ、日々生活しているネパール人たちに対して、呆れを通り越して「なんて我慢強いんだ!」という尊敬の念すら抱くときもある。
しかし、プラスチックゴミを燃やし続け、自分の家族や近所の人、通行人みんながダイオキシンを毎日吸い込んでいることや、バグマティ川から飲み水を供給できないほどに汚染が進んでしまうことに対して、「しょうがない」では済ませられないはずだ。

では、いったい「どうしたら」いいのか?
「ゴミを分別してリサイクルします。」「排水をそのまま川に流しません。」といった答えを述べるのは簡単だが、それをいったいどのように実行するのか?
自分一人でできるのか?
誰かに手伝ってもらう必要があるか?
何か道具や設備は必要か?
お金がかかることか?
そのお金はいくら必要で、誰が出すのか?
・・・こういうことを、小さい子どもやお年寄りまで、誰でも分かるような言葉で説明できて、初めて実行できるし、他人に説明して協力を要請することができる。
「政府がやらないからしょうがない」とは、果たして何を政府にしてもらう必要があり(=自分たちではできない)、何なら自分たちだけでもできるのか?まずは、それが整理できるようになることが、バグマティ川をきれいにするアクションを起こすための第一歩だ。

時間がきたので、「次の研修までに、ゴミを減らすためにできることを実行してみる」という宿題が出され、解散した。
「1週間後に次の研修やるで~!」という威勢のよい声のもと、次の研修日程も決定したが、果たしてどんな結果になるか・・・??

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注意書き

和田さん=ムラのミライスタッフ(そして設立者)和田信明
私=筆者、ムラのミライスタッフ近藤美沙子
ウジャール=ソムニード・ネパールのスタッフ。代表のディベンドラ不在のため、今回の研修の運営と通訳の両方を担い、少してんてこ舞い状態。
マーク=プラスチック材質表示識別マーク

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2016年6月14日火曜日

ジグソーパズルのピースを埋める(2)

前回まで、さんざんジグソーパズルのピースを埋める話をしてきました。話だけでは何なので、以下、実際にどんな具合なのか、イメージ図を示してみました。



上の図は、原康子さんが、この5月15日から17日まで、インドネシアの弟子たちを相手に、私がカトマンズで研修をしたときに、私の話を基に作ってくれたものです。インドネシアの弟子たちは、私が2004年以来教えている弟子たちで、今回来てくれたのは6人(彼らについてはこちら)。自分たちで飛行機代を出し、授業料を払って来てくれました。こうやって、遠路はるばるやってきてくれるのは嬉しいものです。

さてこの研修、英語でやったので、上の図も英語になってます。すみません。誰か、日本語に直してください。これは、あくまでもバーチャルなもので、どこかに実在する村のことではありません。で、たまたま研修のとき、ジャガイモの話題が出たので、ジャガイモを話題として取り上げただけです。前回、私が例に出した「牛」でも同じです。もし気が向いたら牛を話題として、あるいはどんな話題でもいいですから、このジグソーパズルをやってみてください。何を現在という縦軸に置くか、例を出しましたね。あの他にも、思いつくままにやってみてください。
インドネシアのお弟子さんたち(ロンボク島にて)

ところで、これで終わってしまったら「なんだ?」と言われそうなので、もう一つパズルのピースを埋めていくときに必要なことを話しておきます。それは、「ランドマーク」です。

英語のlandmarkの第一義は、歴史的に重要な出来事でしたね。その他、例えば「エッフェル塔はパリのランドマークだ」なんて意味にも使いますし、土地の教会を示す標の意味にも使います。私たちの場合は、これを過去の重要な転換点となるような出来事の意味で使います。

例えば、上図の例では、HYV(多収穫品種)が導入されたのはいつか、プラスチックのゴミが出始めたのはいつか、など、その後村の生活を大きく変えることとなる出来事です。

これは、インタビューを始める前の観察(例えば、村外れに大量のゴミが捨ててある。そのほとんどがプラスチックだ、のような)などから、あらかじめ見当を付けておきます。



はい、上の図が、ランドマークの見本です。

大切なのは、重要な情報を見逃さない、聞き逃さないということです。ジャガイモだから昔から同じモノを作っているだろうとか、コーヒーだから今も変わらず同じ品種を育てているだろうとか、決してそう決めつけないことです。

今日はここまで。


和田信明 ムラのミライ 海外事業統括/ネパール事務所)


和田信明・原康子(講師)と行くフィールドワーク