2014年12月30日火曜日

インドから届く、村の人たちのアツい想い

これまで、日常生活で使える事実質問を紹介してきましたが、
現場では実際にどのように使われているのでしょうか。
今回は、ムラのミライの活動地であるインドの例をご紹介します。

村の人たちが、ため池の管理や植林について学ぶため、
他の地方まで視察研修に行ったときのことです。
研修に参加した村の人たちが、現地のNGO職員に質問します。


植林現場は、参加者達が山で行う植林とは違って平地で行われており、等間隔で苗木が育っている。3年前に植えたという木はすでに人の背丈ほどにもなっている。
「この木は何の木ですか?」
「野生の蚕が住みつくための木です」
「どこから苗木を手に入れましたか?」
「私達(NGO)からの支援です」
「1年目に植えたということですが、2年目は何をしたのですか?」
「枯れてしまったり根付かなかった苗木を植えかえる作業をしました」
「その苗木はどこから?」
「私達(NGO)からの支援です」
「今年は何をしましたか?」
「新たに苗木を植えたり、苗木と苗木の間に豆類を植えたりしました」
「それは、どこから手に入れましたか?」
「私達(NGO)からの支援です」
「村の人たちは、いつまで、NGOに頼っていかねばならないのですか?」
「・・・・・」
声を失くすNGOスタッフと、とまどった顔の相手の村の人達。




20078月にムラのミライと活動を初めてかれこれ7年。
自分たちが活動で得てきた経験や知識をもとに、
村のことを考えて行動するようになりました。
「かっこいい村を増やしたい」という強い意志のもと、
彼らは、今まさに指導員として新たな一歩を踏み出そうとしています。

ご協力のほど、どうぞ宜しくお願い致します。

(2014年度インターン 山下)

2014年12月23日火曜日

相手からの質問こそ、ビッグチャンス

相手の思い込みではなく事実を聞きだす手法として、これまで事実質問を紹介してきました。この事実質問を使ってやりとりをしていると、相手から逆に質問をされることがあります。それまで質問することばかりに意識を向けていただけに、返せなくなってしまうこともあるかもしれません。しかし、事実質問におけるポイントさえ押さえていれば、相手から質問を受けたこの状況も、相手に気付きを促すチャンスへと変わります。

相手から質問された場合、出来る限り簡潔に要点のみをまとめて返答しなければなりません。特に相手の質問が思い込みを含む場合、正面からその質問に答えてしまうと空中戦に突入してしまいます。事実質問で相手に尋ねるときと同様、注意して返答するようにしましょう。

答えにくい質問で尋ねられたときこそ、ビッグチャンス到来です。
その状況をふたつの場合に分けて、以下詳しく見ていきましょう。

まずひとつめ、それまでのやりとりに相手が納得していない、分かりにくさを感じている場合。この場合、あなたに再度説明するチャンスが訪れたことになります。それまでのやりとりが少しあやふやで、相手にしっかりと伝わっていなかったのでしょう。それまでのやりとりを素直に振り返り、相手とのやりとりを再出発させましょう。

そしてふたつめ、相手の質問が明確でなかったり、そもそもの流れを相手が勘違いしてしまっている場合。この場合こそ、相手の質問を逆手にとり、相手に気付きを促すことができるチャンスです。質問のずれを生じさせた原因を探り、答え方を工夫しましょう。

書籍『途上国の人々との話し方』より、ひとつ例をご紹介します。
実際にあった例ではなく、「私」が研修で課題としておこなったロールプレイの一場面です。

私「A団体では、井戸掘りボランティアの話のようなパターンを避けるために、プロジェクトを持たずに村に入るようスタッフやボランティアに強く指導している。ボランティアたち一行も、それに従って、特定の課題を用意せず、白紙の状態で村人と話しあうつもりで臨もうとした。ところが村の入り口に着くや否や、彼らの姿を見つけた村人数人が寄ってきて、『A団体の方ですね。あなたたちは、この村でいったいどんなプログラムをやってくれるのですか』と機先を制する質問を投げかけてきたのである。そこで問題。こんなとき、あなたはどのように対応するか」
研修生たちからは「いや、私たちは村のことを学ぶために来たのであって、何か決まった援助をするために来たのではありません」など、ありきたりでとても通用しないようなアイデアしか出てこなかった。
私「もしもこれが和田さんであったら、次のように対応したに違いありません。『ほー、これは素晴らしい。プログラムですか。これまで、この村にはどんなプログラムが入ってきたか、教えてくださいませんか』」

これに対してその村人が明確に答えられなかったとすれば、それは、その村人がプログラムについてイメージを持っていないにも関わらず、プログラムを求めているということ。そのことに本人が気付くようにことを運んだら、ひとまずその話は打ち切ることができる。その上で、そこから仕切りなおせばいい。
逆に、プログラムについて明確な例を挙げることができたのであれば、今度はそれについてこちらから事実質問をつなげながら、相手の経験分析の作業を手助けすればいい。インフラであれば、今も役に立っているかどうかが分かるような質問をしていく。「あんまり役に立っていないな」ということになったのであれば、冗談めかして「私たちにもそんなプログラムをしてほしいのですか」とでも応じれば、そこから仕切り直すことが可能になるだろう。

相手からの質問は「私はこう思う」という意見でもあります。意見の中に含まれた思い込みを突いてあげることで、気付きを促すことができるのですね。


2014年度インターン 山下)

2014年12月16日火曜日

「事実質問」に隠された思い込み

私たちが使っているメタファシリテーション(対話型ファシリテーション)手法は、「事実質問に始まり事実質問に終わる」ことは皆さんご存知の通りです。では、事実質問の対極に位置する質問をどう呼ぶか、覚えておいでですか?

そう、「思い込み質問」でしたよね。その典型が、「朝ごはんは『いつも』何を食べますか?」というような一般化された質問で、本人は事実を聞いているつもりでも、実際には、相手の思い込みを誘発する可能性が高い。だから私たちは、「いつもは」ではなくて、「いつ」「どこで」「何を」と聞いて行く必要があるわけです。

では、ここでひとつ質問です。

対話型ファシリテーション講座で、参加者のひとりが、他の参加者が首にかけてあるネックレスを指して、「これはどこで買ったのですか?」と尋ねたのですが、これは事実質問と言えるでしょうか?

これは形の上では確かに「事実質問」なのですが、実際は「思い込み質問」になるのです。というのも、その質問は、「このネックレスはどこかで買ったものに違いない」という前提で、言い換えれば、聞き手の側のそのような思い込みに基づいてなされているからです。もしかしたらそれは誰かにもらったものかもしれないのです。

これは援助関係者が村に行って「問題は何ですか?」と聞くのと同じ構造です。つまり「あなたたちは何か問題を持っているに違いない」という思い込みに基づいているわけです。この質問をされた村人は、その次には「何か問題があるようだったら、私たちが援助してあげますから欲しいものを言って下さい」という言葉が来るのを察します。すると「問題は何ですか」という質問は「何が欲しいですか」という意味に受け取られてしまいます。こちらは相手の問題を聞いているのに、相手からは「欲しいもの=おねだり」リストしか出て来ないのはそのためなのです。

ネックレスの場合であっても、思い込み質問に対して相手は必ず違和感を持つはずで、それは対話の深まりを妨げる要因として機能します。思い込み質問にならないためには、「これは何ですか」⇒「ネックレスです」⇒「それは、ご自分で買われたのですか?」という質問をして、相手が「はい」と答えたところで、「どこで」「いつ」「いくらで」というように聞き込んで行くわけです。

メタファシリテーションの極意は、単なる事実質問ではなく、思い込みを排した簡単な事実質問にあるというのはこういうことです。そう考えるならば、事実質問の練習の場は、日常のどこにでも見出せるに違いありません。「仮説を立てる」ことや「気付きを促す」ことなど小賢しいことは考えないで、まずは正しい事実質問ができるように心がけることです。千里の道も一歩から、というわけですね。



(ムラのミライ共同代表 中田豊一)

2014年12月9日火曜日

事実で紐解く「近代化」

会議やミーティングの場において、誰しもが経験したことのないことに対して議論しようとすると簡単に空中戦に突入してしまいます。経験が全てというわけではありませんが、自分は知っていると勘違いしてしまうことは非常に恐ろしいことです。今回は、中田がインドネシアでコミュニティ開発に携わる人々を相手に、実際に行った研修の記録からご紹介します。

「近代化は産業化、産業化の主役は企業」
中田 「私たちの社会で今、起こっていることを一言で言えば、何と言い表せるだろうか。つまり私たちが今現在舞台としている「最大のコンテクスト」は、いったい何だろうか。」
研修生 ??(研修員一同、首を傾げる)
中田 「皆さんの中で、いわゆる先進国に行ったことのある者は、手を挙げてみて。」

研修員の半分ほどが手を挙げる。どこに行ったかを尋ねてみると、そのうちの半分ほどが日本。さらには、イギリス、アメリカ、オランダなどに行った経験を持っている。

中田 「では、それらの国とインドネシアの村落社会との違いは何だろう。海外に行ったことのない者は、ジャカルタと君たちの町や村を比べてみてもいい。」

研修員からは「ビルが多い。インフラが立派。人々が忙しそう…」などなど色々出てくる。そうしているうちに、ひとりから「とても近代化されている」という発言が出てくる。

中田 「そう。ひとことで言えば、近代化の度合いが違うと表すことができる。では、「近代化」とは一体何だろうか。定義はいろいろだが、これもまた日本とインドネシアの違いを考えてみれば明らかになる。ちなみに、この会場の外を見てみよう。通りは、日本であふれているのだが、それは何だろう(註-「近代化」という概念が出てきたわけだが、その定義を考えさせてはいけない。空中戦に入る。ここではもう一度、参加者の注意を目に見えるものに引き戻すよう努めた)。

研修生 「トヨタ!」

中田 「そう、インドネシアでは行く先々、道あるところすべて日本の車が走っている。スーパーに行けば、日用品から電化製品まで日本のものが限りなく置いてある。パナソニックやソニーだけではない。花王のシャンプーや大塚製薬のスポーツ飲料などが町の雑貨屋の棚に並んでいる。ところで、トヨタやソニーとは何だろうか。それらは、どんな組織か。」

研修生 「会社。」

中田 「そのとおり。会社、企業である。では、インドネシアにも、トヨタやソニーのような企業が存在するだろうか。」

研修生 「国内の企業としては大きな規模のものが、ジャカルタあたりにはたくさんあるが、日本や欧米やあるいは韓国の大企業とは比べものにならない。全然強くない。競争できない。」

中田 「先進国は、先進工業国とも言われるように、工業を中心とした産業が著しく発達していて、その主役は企業である。したがって、途上国と先進国の違いは、つまるところ、強い企業があるかどうかに集約されている。つまり、先進国と途上国の近代化の度合いの違いを最も雄弁に物語るのが、企業の発達の度合いである。」

その場にいる大半の人があまり理解できていない問題を扱う場合、イメージのみで話を進めないよう気をつけなければなりません。自ら直接経験していないことをいかに理解するか、というのがメタファシリテーションの真髄なのです。

このやりとりのあと、中田は「村社会における近代化」へと話を進めます。続きは書籍『途上国の人々との話し方』をご覧ください。



2014年度インターン 山下)

2014年12月2日火曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第16号「規定づくりは難しい」

 

目次

1. 流域管理委員会の設立
2. 作戦会議
3. 再びの研修、そして実施
4. VVK登場
5. 規定づくりは難しい
6. ここが出発点

1. 流域管理委員会の設立

前回のよもやま通信でお伝えした農業カイゼンに活躍するブータラグダ村(以下B村)、ポガダヴァリ村(以下P村)の村人たち。
その二つの村の指導員たちは農業カイゼンに精を出す一方で、流域管理の技術を周辺の村人たちにも伝えるために奮闘している。


各村の現状を振返り、これから村全体で流域管理の活動を続けることを決めた新規参入の6つの村では、流域管理委員会の設立が始まった。
それに伴って、各村で流域管理委員会の活動方針となる規定づくりの研修とアクション・プランの作成が行われた。

出来上がった規定を指導員と共に振返りを行い、それをもとに改善のために指導員が研修を行う。
そして、その規定を基にアクション・プランをつくり実施を始める。
その実践を基にまた規定づくりの振返りと研修を行う。
研修と振返りを繰り返し、流域管理委員会の規定の完成に向けて村人たちと指導員たちの努力が続いている。


2. 作戦会議

村の現状を知るためのミーティングに参加して、P村の指導員のパドマはあることを気にしていた(よもやま通信第14号参照)。

それはミーティングに参加している女性が極端に少ないということ。
そして、参加していても積極的に発言をしている女性はほとんど見られないということ。唯一の女性指導員として活躍するパドマだからこそ、他の指導員たちよりも女性の参加に対する意識が強く芽生えたのだろう。
指導員研修や、P村での研修の際、パドマは誰よりも積極的に発言をする。そんなパドマを見ていると、はじめから彼女だけが特別だったような気さえする。
しかし、パドマ自身も自らの努力によってP村や新規参入村の村人から認められるようになったのである。






もう一つ忘れてはいけないのが、家長の研修への参加を促すことだった。各家庭から一人ずつ研修に参加する場合、家長であるお父さんではなくお母さんや読み書きの出来る息子が参加する場合も多い。
女性の参加者が増えたり、若い世代が先頭に立って流域管理の活動を進めていくのは、村の今後にとって喜ばしいことである。
しかし、流域管理委員会の規定づくりのように、村全体のことを決めるには女性たちと青年たちだけでは話がつかないということもある。このため、今後の研修では特に女性と家長の参加をバランス良く促すことが決まった。


3. 再びの研修、そして実施

まず行われた規定づくりの研修では、B村、P村の指導員が自分たちの村の規定を参考に、流域管理委員会の目的、その目的を達成するための具体的な活動、管理委員会のメンバーや責任者の選出方法などを規定としてまとめられた。
「流域を管理する」「一年中水を使えるようにする」「農業の改善を行う」などの目的が掲げられ、そのための活動として植林や石垣など構造物の設置、委員会の資金確保のため会費や、収穫の一部寄付などを定めた。

そして、行われたアクション・プランの研修。
6つの新規参入村にとって今回のアクション・プランづくりは、二度目の経験。それもあって、アクション・プランづくりそのものはさくさくと進む。
しかし、流域管理委員会がまだなかった前回とは違い、今回のアクション・プランは流域管理委員会の規定に基づいて作成されなければいけない。また、前回なかった植林も、今回アクション・プランの対象となる。指導員が地域に合った植物を植えるように呼びかけると、年配の参加者があれを植えろ、これを植えろと、若手の参加者たちにアドバイスを送る。
こうして各村のアクション・プランが出揃った。
アクション・プランに基づいて、各村では植林と石垣など構造物の設置が行われた。


村人総出で作業に取り組んだため、アクション・プラン提出から一か月後を待たずして作業の半分以上を終えた。
この間、非常に強いサイクロンの接近があったが、石垣等の構造物へのダメージはなく、植林された苗木も無事だった。村人たちは農業の傍ら、現在も残りの作業を行っている。


4. VVK登場

アクション・プランに基づいた植林や石垣づくりも進み、村人たちは石垣など構造物の継続的なメンテナンスの必要性を感じていた。
また、流域委員会の規定をつくるなかで、今後の活動への資金の必要性を感じ、その資金を外部からではなく村の中から調達するために流域委員会の規定でも、各家庭から資金を融通し合って流域委員会の資金にすることが定められた。
「でも実際のところどうやって村のお金を積立てて、それをうまく運用していく?」
そんな村人たちの要望に応えたのが、ビシャカパトナムのおばちゃん信用金庫、VVKことビシャカ・ワニタ・クランティである(以下VVK)。資金運用の研修を希望した4つの村から、各村4人計16名がビシャカパトナムにやってきた。
普段、あまり村から出ない参加者にとっては、ビシャカパトナムは大都会。中には海を初めて見るという村人もいた。
そんな村人一行だが、今回の目的は観光ではなく、流域委員会の資金運用のコツをVVKから伝授してもらうための研修だということを忘れてはいない。
内部資金運用の研修なら任せなさい、とVVKのおばちゃんたちが待ち構える。

「貯蓄の方法と、流域委員会でその資金をうまく運用していく方法を知りたくてやってきました。」
村人がVVKにやってきた目的を話して、研修が始まる。
まず、VVKの簡単な歴史から、会員の申込書や通帳、融資のシステムについて話すVVKのおばちゃん。村人たちはおばちゃんたちのスピード感に圧倒されながらも、VVKのおいたちや、貯蓄、ローン返済のシステムなどおばちゃんの話を必死に聞いている。

その後のトレーニングでは、グループ内での毎月の貯蓄と貸し借りについてゲーム形式で学んだ。
一通りの研修を終えて、村人からVVKへの質問の時間になった。保険の制度や返済について疑問点を再確認するなかで、一人の村人が聞いた。
「VVKは政府に税金を払っているのですか?」
「資金の運用(ローテーション)には税金はないわ。でも利益に対する税金は払っているわよ。」
筆者も他のスタッフもこの質問に驚かされていると、VVKのおばちゃんも『こんな質問されたのは初めてだわ。この子はデキル子ね。』
と、鋭い質問に対して驚くと同時に、VVKのことをもっと知ろうという姿勢を嬉しがっていた。

「VVKには災害時など緊急用の貯蓄はあるのですか?」
「VVKにはそういう別々の貯蓄はないわ。」
「ただ、これはあくまでもVVKのルールよ。だから、こういう細かいルールはそれぞれの村で決めていけばいいのよ。」

模範解答のような返答を聞いて、さすがムラのミライと長年活動してきたおばちゃんたちだと、筆者は感心していた。この返答はVVKのおばちゃんたちが自分たちでVVKの規定をつくっていなければ、絶対に出てこない言葉だろう。

「今日は本当にありがとうございました。村に帰って今日学んだことを共有して、流域管理委員会の活動に活かします。」
「また、いつでもいらっしゃい。」
そんなやりとりを聞いて、VVKに研修の依頼をしたのは間違いではなかったと、改めて感じながらVVKスタッフたちのもとへ向かう筆者。
「今日はありがとうございました。こちら謝金です。」
「ヒロさん、、、これだとちょっと足りないわよ。」
「え、でもこの額で話がついていたじゃないですか。」
「そうだけど今日は村人が16人も来たし、VVK側はスタッフも理事もいるし、もうちょっと出してくれてもいいんじゃない。」


数人のおばちゃんたちに囲まれカツアゲ状態の筆者は、ソムニード・インディアのおばちゃんラトナを呼び、今後の研修の料金は一律ではなく、参加人数や研修内容ごとにVVKから事前に伝えることで合意した。
思わぬかたちでおばちゃんたちのパワーに触れた瞬間だった。


5. 規定づくりは難しい

アクション・プランづくりと実施、資金運用の研修、そして振返りを通して、規定を作っては見直し、作っては見直しと、流域管理委員会の規定完成に向けた研修は続いている。
指導員たちの努力のおかげでアクション・プランづくりは出来るようになった。
アクション・プランに基づいて植林や、石垣の設置も出来る。
だけど、規定の中身は委員会の目的と具体的な活動内容がちぐはぐだったり、老若男女全員へ理解が行き届いていなかったりと、まだまだ完成に向けて行うべきことは多い。村の流域管理委員会の規定が完成して、機能しない限り、流域管理の活動を継続的に行っていくことは難しい。そして、指導員たちはそれを知っているからこそ、自らの農業カイゼンに忙しいなかでも何度も新しい村に足を運び、振返りと研修を続けている。


B村やP村、VVKだって長い時間と労力をかけて自分たちの力で完成させた規定。それは新しい村でも同じ。1回や2回の研修で規定が完成するわけでない、でもこの規定があるからこそ、B村もP村もVVKも自分たちの活動を継続できている。
私たちスタッフの役割は、新規参入村でも規定が完成するまで、村人たちと指導員たちのサポートをすることのように思う。


6. ここが出発点

新規参入村への研修に先立って、B村の村人たちもVVKを訪問した。B村の訪問の目的はグランド・デザインの一環として行う村の内部資金運用についての研修である。
B村は今後高利貸しからの借金をせず、村の中で資金を回していけるような仕組みづくりをおこなっている。流域管理技術の習得から、その技術の農業への応用、そして種子銀行(シード・バンク)の設立に、内部資金の運用、

『安全な水と土で安全な野菜を作り出す村、そして高利貸しなど外部からの融資に頼らなくても自活していける村』

という目標に向けて着々と活動を進めるB村。



新規参入村がB村のところまで行くにはまだまだ時間がかかるだろう。それでもB村も始まりは同じ。一歩一歩着実に歩んできたからこそ、今のB村がある。B村の指導員が新規参入の村へ伝えられる最も大切なことは、その部分なのかもしれない。
そんなB村のグランド・デザインについては次回以降のよもやまで。


注意書き

VVK:ビシャカパトナムの女性たちの信用金庫。
ヒロアキ(筆者):實方博章。現場にて修行中。
ラトナ:ソムニード・インディアのフィールドスタッフ。

2014年10月14日火曜日

基準は何ですか?

私(實方)が現場で少しずつ研修を任さられるようになって、事実質問の中で特に気を付けなければならないと実感したのは「何(what)」の使い方です。「これは何ですか?」の質問に代表されるように、「何」を使った質問は事実を聞く出すために非常に有効な質問になります。一方で、「何(What)が問題ですか?」のように、それが事実のようにみえて、相手の考えを聞いてしまうこともあります。


以前、ある村で種の保管に関してのルールをまとめる研修がありました。村人たちが各家庭から種を持ち寄り、保管に適した種を選んで保管庫で管理して、今後必要に応じて種の貸し借りを行います。この種の貸し借りのシステム(種子銀行またはシードバンク)を整備することで、村人たちは外部からの現金調達をすることなく、必要な種を村の中で賄うことを目指しています。村人たちは、種の収集、管理、貸付、回収、という一連の流れに関するルールづくりを行いました。村人たちは、私たちより遥かにすぐれた農業の知識と経験を持っています。私たちの役割は、その経験をルールとして定める手助けをすることです。

この研修で、あるスタッフが、「種選びの基準は何ですか?」と村人たちに尋ねました。

すると、村人たちは、色や大きさなどといういくつかの項目をあげました。このやりとりを聞いていた私は、「基準は何ですか?」という質問で聞けるのは知識であり、私たちが聞くべきなのは経験のほうだと判断しました。

そこで私は「種を選ぶ作業で何をしましたか?」という質問をしました。

このときの狙いは、知識だけではなく自らの経験に基づいて「保管に適した種」の選び方を明確にすることです。その質問に対して、村人たちは「大きすぎる種と小さすぎる種は除いた。」というように、具体的な経験を話してくれました。そして、そういった経験がそのまま種選びのルールとして適用されました。


 答えだけは聞けばさほど違いの見えない場合も、「知識」を聞くのと「経験」を聞くのとでは、その意味合いが全く異なります。質問を事実・考え・感情の三種類に分ければ、知識は考えであり、経験は事実です。つまり、人に何かを思い出させるためには、知識ではなく経験を聞く必要があります。そして、「何(what)」という言葉は、使い方次第で知識を聞く質問にもなれば、経験を聞く質問になります。今回は「何(what)」ですが、おそらくこのように事実を聞いているようで、考えを聞いてしまう質問もあるように感じます。今後も、この一見変わらないように見えても、意味が大きく違う質問に気を配りながらファシリテーションスキルを高めていきたいと思います。




(インド事務所駐在員 實方博章

2014年10月7日火曜日

「そのワンピース可愛いね」が大切なわけ

簡単な事実質問を重ねながら相手の課題分析を手助けする際、事実質問の内容にばかり気を取られ、「いつから○○したんだ」「誰と○○したんだ」等と、どうしても刑事ドラマのワンシーンのようになってしまうことがあります。場合によっては、あまりの圧迫感から相手に不快感を与えてしまうかもしれません。

今回紹介するポイントはそうした状況を避けて、どうやって話を切り出すのか、そしてどうやってセルフエスティームを上げるか、悩んだときに使える尋ね方です。

「セルフエスティームが上がるエントリーポイントを探す=持ち物について尋ねる」

事実質問それ自体は、それほど複雑な技術ではありません。相手の返してくれた答えに対して事実のみを繰り返し聞いていきます。ひとつの事象に関していくつもの事実質問が可能なので、きちんと意識さえすればいつまでも続けることが出来ます。

肝心なのはその入り口です。単刀直入に課題に関する質問をするのではなく、まずは相手の心を開き、信頼関係を築くのに適当であると思われる話の入り口を見つけることが大切なのです。代表的な例が「服装」や「持ち物」です。相手の身の回りにあるもので、その人が実はひそかに自慢しているのではないか、拘りがあるのではないかと思えるものに目を向けます。
「そのワンピース可愛いね、どこで手に入れたの?」
最初の一言があるのとないのでは、相手の感じ方も大きく変わってきます。相手から持ち物を褒められたら悪い気はしませんよね。私の場合、嬉しさから一瞬にして心を開いてしまいます。

このように、服装や持ち物は最も簡単で効果的な話の入り口ではありますが、そこから課題へと繋がるとは限りません。そこからは有効な糸口を探して徐々に事実質問の内容を考えていきましょう。

相手の課題解決を手伝う際のファシリテーションの手順は『途上国の人々との話し方』第3部「メタファシリテーションの実践」に詳しく書いてあります。まだお読みでない方はぜひこちらをご覧ください。


2014年度インターン 山下)

2014年9月30日火曜日

課題発見後にも威力を発揮する事実質問

今回は、中田がファシリテーターを務めたJICA関西での紛争国の研修員を対象とした研修コース「紛争解決と共生社会作りのための実践的参加型コミュニティ開発手法」で、同席した私(山崎)が学んだことをご紹介します。

これまでのブログでも
何を(What)、だれが(Who)、どこで(Where)、いつ(When)、どのくらい(How many/muchといった5W1Hを用いた単純な事実質問を重ねることで、本当の課題を見つける方法を説明してきました。ただし、なぜ(Why)、どんなふうに(How)は禁句でした。

この5W1Hは、課題を発見した後、それを解決しようとするときにもとても重要となります。
すなわち、アクションプランを作成するときです。

例えば、「パンが食べたい」としましょう。(パン好きですので)
この願望を実際に行動に移すにも計画が必要です。

いつ? 今週の日曜日?
どこで? パンが美味しいと噂のあのレストラン?
だれと? 大学の友達と?

この3つの点だけでも、スケジュール帳を見て、レストランの情報を確認して、友達に連絡して、と、しなければならないことがたくさんありますね。

するべきことは果たしてこれだけでしょうか?

財布の中身と相談するのも忘れてはいけません!
いくらくらい必要なレストランなのか確認して、それが財布の中身と合っていなければ、ピクニックに計画を変更しなければならないかもしれません。

このように、私たちは計画を立てながら、日々の行動に移しています。

上の例は個人の小さな計画ですが、課題を解決するのに時間がかかる場合、また自分ひとりでは解決できない団体、グループ、コミュニティ内の課題であった場合、アクションプランの作成はより複雑になります。しかし、5W1Hを意識してアクションプランを作成することで、周りの人との協働もしやすくなるのではないでしょうか。

大切なことは、アクションプランを作成する際に

What? (行動、目的物)
Who? (責任者)
When? (スケジュール)
Where? (場所)

How much? (予算)
How many? (資源、目標、目的など)

For what? (目的、目標)

これらをできる限りはっきりさせることです。

事実質問で本当の課題を発見するのは、質問される当事者であり、外部の人間ではありません。それと同じく、アクションプランもまた、その当事者が作成しなければなりません。この5W1Hをはっきりさせたアクションプランを自分たちで作成することは、持続可能なプロジェクトの実行へと繋がります。



2014年度インターン 山﨑)

2014年9月23日火曜日

その悩み、本当に悩んでいますか?

以前、明日すぐに使える事実質問「偽事実にご用心」で、悩んでいる友人の相談に乗ってあげるときを例に、事実質問の注意点を紹介しました。

対話型ファシリテーションは、事実質問によって行われる課題解決のための技法であるため、悩みを抱えている友人の話を聞き、その問題を解決へと導くときにもかなり効果的だと言えます。今回はそのやりとりを研修で実践してみた際、研修参加者から寄せられた意見・質問をひとつピックアップしてご紹介します。

「課題の重要度がわからない」
悩んでいる友人から相談を持ちかけられ、「いつから悩んでいますか」「最近そのことで悩んだのはいつですか」などと話の核に迫ろうとします。しかしいつまでたっても問題がぼんやりしており、なかなか課題がはっきりしてこないことがあるかもしれません。

この対話型ファシリテーションにおいて重要なのは、本人に「気づいてもらう」ことで自発的に課題解決へのアクションをとるよう仕向けることです。本人の中で重要度が低い課題は、解決策がわかってもそこに向けたアクションがとりづらく、結果として以前のままということになりかねません。

本人が悩んでいる問題がどれほど解決を必要としているかを知りたい場合、以下のような質問をしてみると良いでしょう。
「その課題を解決するために何か解決策を打ったことはありますか」
「そのことを誰かに注意されたことはありますか」
悩んでいると口では言っていても解決に向けた努力をしたことがない場合、その問題はあまり日常生活に影響を与えていないのでしょう。本人としては誰かに迷惑をかけたつもりでも、周りの人から注意されたことがなければ、それは本人の勘違いかもしれません。

「君はそんなことで悩んでいるのかい?」というセリフで友人を傷つけてしまわないためにも、これらの質問を一度挟んでみてもいいかもしれませんね。



2014年度インターン 山下)

2014年9月16日火曜日

マジックのようなファシリテーション

ムラのミライ(旧称ソムニード)では、4月下旬から2ヶ月間「ReadyFor?」にてクラウドファンディングを行いました。たくさんのご支援をお寄せいただき、現在「子どもたちから始めるバグマティ川再生」プロジェクト実施に向けて準備を進めております。

今回のブログでは、以前の課外活動の際に和田が行った子どもたちとのやりとりをご紹介します。ムラのミライの研修を受けた現地の小中学校の教育担当の先生たちが、今度は子どもたちを連れてバグマティ川に向かいます。課外授業に関してはこちら(プロジェクト通信(ネパール)第7号 「モデル・レッスン始動!~慌てふためくレッスン初日~」)をご覧ください。

ひとつ目の地点での検査を終え、次の地点に移動するためバスに向かいます。初めてのキットを用いた検査に子どもたちだけでなく保護者も楽しそうにしています。そんな様子を黙って見ていた和田が「ビスタ先生、次の地点へ向けて出発する前に2分だけいいですか?」と切り出しました。※後半部に登場する「私」はネパール駐在スタッフ池崎です。

和田    「皆さん こんにちは。私の名前はWADAといいます。」
    「皆さんとお話したいので、2分だけください。」   
    「皆さんは、楽しかったですか?」
生徒    「はーい!とってもっ!!」(ニコニコ笑顔)
和田    「では、ここで皆さんが何をしたか、教えてください。」
生徒    「観察―!」
和田    「では、観察するために、何を使ったか教えてください。」
生徒    D.O.測定器!」「バケツッ」「検査キットー!」「掬い網~」「シャベル!」
口々に生徒が元気よく応える。
和田    「それだけですか?それだけじゃないでしょう?」
生徒    「掬い網!」
和田    「それはもう誰かがいいました!」
生徒    「うーん。エコバッグ?」
和田    「他には?」
生徒    「お水!」「川!」
和田    「他には?」
(中略)
しばらくして、「目!」「手!」と誰かが叫んだ。
そして「体全体!」と、ある男子学生が叫ぶ。
ワッと笑い出すクラスメート。
和田    「その通り!」
    「今、何が聞こえますか?」
    「今から1分間。目を閉じて、集中してみてください。」
    「何が聞こえるでしょうね?」
そして1分間の沈黙の時が流れた。
1分後。
和田    「何がきこえましたか?」
生徒    「川の音―!」「風の音―!」「お水の音!」「トンボの羽の音がした!」
    「コオロギの鳴き声が聞こえた!」
和田    「コオロギですか?本当に?今きこえましたか?」
    「コオロギはいつの時間帯に、どの季節に鳴き声がきこえてくる虫ですか?」
    「これは皆さんへの宿題です。また調べてきてください。」
和田    「もし自分の目でみて、耳を澄まして、実際に手で触れてみると、実に多くのことがみえてくるようになります。」
    「鼻で匂いを嗅ぐことも大事です。意識を鼻に集中して、匂いを嗅いでみてください。」「体全体を使うのです。」
和田    「皆さん、このスンダリジャルの風景を頭にしっかり記憶しましたか?
    体全体を使ってみえてきたことを、記憶してください。」
和田    「では、次にここをみてください。」
和田が皆の視線を、河岸に促した。
(中略)
移動バスへ向かう道中のこと。
ディベンドラと私は顔を見合わせた。
お互い何を思っているのか察しがつく。
    「すごかったですね。今の。」
    「観察するということがどういうことかを、子供にもおばあちゃんにもわかる言葉で、且つ楽しく説明されてしまいました。」
ディベンドラ「あれこそがソムニード流ファシリテーション。」


和田によるマジックのようなファシリテーション。つづきが気になる方はこちら(プロジェクト最新情報(ネパール)第8号 「マジシャンとファシリテーター」)をご覧ください。


(2014年度インターン 山下)

2014年9月9日火曜日

コミュニティファシリテーターの卵が思うこと ~「意識して考えるということ」~

現在ネパール駐在員として環境教育を通した街づくりプロジェクトを担当しています。

前回の「ファシリテーターのたまご体験談 「自分もまるで同じ」という気づき」2014318日発信号)では、「自分は全く何も知らないし、分かっていないし、脳みそを使ってもいないということに気がつくこと。」の大切さを痛感していることをお伝えしました。

「頭を使って考えていない」と知ることはまず一つ。
そして実際に「使っていない」状態から「使えるようになる」というのも一つ別のこと。

「意識する」という行為なくして「考える」ことは始まりません。
怠け者の私を筆頭に、大抵のヒトは「考える」ことを放棄します。なぜなら、楽だから。

考えるという行為はまず「意識する」行為から始まり、考え続けるためには、常に意識し続ける行為が伴います。その「続ける」という部分こそが多くのヒトにとって苦痛であり試練でもあるのです。
しかしその試練を乗り越えることなしに、「頭を使わない」状況から「頭を使って考えることができるようになる」状況へはたどり着けません。ムラのミライ(旧称ソムニード)流のプロのファシリテーターになるには本当の意味で「頭を使う」ことが必須であり、避けて通れない道です。

そんなことは分かっていてもなかなかできないのが、ファシリテーターの卵を名乗るこの私。「うーむ。そうか。やっぱりちょっとは考えて、自分だったらどうするかを、いっちょ真剣に(!)考えてみるのだ!」と意識的に考えてみたものの、普段考え慣れていないヒトが考えようとしても、大したことは考えられません。それがよくわかったのが、でこぼこ通信第11号「吸い込まれる落とし穴」の章でお伝えしたところです。

地元のコミュニティからの要請を受けて、ムラのミライがゴミやリサイクルに関する研修を行った時のことです。今回が初めて要請を受けての研修であり、そんな研修が私や他のネパール人スタッフにまだまだできるはずもないということで、ファシリテーター・和田(ムラのミライ共同代表:和田信明、ムラのミライ流ファシリテーションという方法論を確立した1人、)が、ファシリテーションを使った研修を行いました。

研修の前に、自分ならどうするかを考えてみました。
①自己紹介
②参加者が何をしてきたかの確認
③手軽にできるゴミ処理・リサイクル活動案のブレスト(日常的、長期的)

大したことは考えきれていません。これはもしかすると考えたことには入らないことかもしれません。


そして和田の研修が一通り終わった後に気がついたこと。

私やディベンドラが行っていたであろうこと、まさにこれが「空中戦」である。

「ゴミ」について深く考えることもなく、いきなり「さぁ、ゴミの減量のために何ができるかを皆で一緒に考えましょう!」と入ってしまうところ。一体何を「ゴミ」と呼ぶのか。資源ゴミはゴミなのか。ゴミはどこから出てきて、どこからどこまでを「ゴミ」と呼ぶのか。100年も200年前にも、或いは人類が誕生する前からいわゆる「ゴミ」はあったであろうが、なぜ今はその同じ「ゴミ」が問題となっているのだろうか。
「ゴミ問題」をなんとかしたいとざっくりいっても、一体ゴミの正体を知ることなくして、どうやってその問題を特定し、その問題に対する対処法を考えることができるであろう。
言葉の響きだけでわかったような気になってしまう。それが落とし穴である。吸い込まれるようにはまっていった罠である。


小手先で表面上のことだけに意識を向けて「考えた」ことにしても、それは「考えたこと」には微塵もなりません。相変わらず「考える」ってどういうこと?と思ってしまう自分は馬鹿なのかと少し肩が落ちたりもします。

そもそも、このように「考える」ということは、日本で教育を受けた私の身に全くついていないということなのかと思うと愕然とします。あれほど高い授業料を払って、自分への教育として投資したこともあるのに、一体自分は何を学んできたのだろうとすら思います。しかし、同時にあれやこれやと自分を慰める術は持っている私。自分もいつかできるようになるはずだと楽観視しています。


意識することと反省することが次のステップへとつながると信じて、引き続き、「自分だったらどうするか」を忘れないように意識し続け、試練を少しずつ乗り越えていきたいと思います。




(ネパール事務所駐在員 池崎翔子)

2014年9月4日木曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第15号「農業カイゼン始まる」

 

目次

1. 農業カイゼン始まる
2.やっぱりこれがオラたちの農業
3.チャタジー氏による研修
4.月間モニタリング
5.ポガダヴァリ村のみなさん

今か今かと待ち望んだ雨が村の田んぼを潤す8月。
村々では田植えも終え、辺りを見渡せば若い稲たちが視界を緑に染める。昨年に引き続くブータラグダ村も、今年から新たに加わるポガダヴァリ村も、いよいよ本格的な農業カイゼンがスタートした。



1.農業カイゼン始まる

前回のよもやま通信でお伝えしたように、近隣の村へ流域管理技術を普及するために大活躍をしている指導員たち。その指導員たちは本業である農業にも精を出す。

活躍中の指導員たちが住むブータラグダ村(以下B村)とポガダヴァリ村(以下P村)では、村やら研修センターやらタミル・ナードゥやら、大忙しの研修を終えて、それぞれ農業カイゼンの取り組みをスタートさせた。
昨年に引き続くB村では、5月に設立された種子銀行(シードバンク)も完成し、6月に一回目の種の貸付を終えた。すっかりたい肥づくり名人になったマレッシュに続けと、2人の農家が新しくたい肥づくりを始めた。そして、モデル農家たちは新しいモデル農地での実践を開始した。

一方で、今年から新しく農業カイゼンを始めるP村でも、アクション・プランづくりや技術研修を終えて、いよいよ本格的な実践に移った。
B村での視察研修で目にした、たい肥づくりにもやる気は十分。またSRI農法に取り組む水田では、田植えされた稲たちが前へ倣えをするように綺麗な列が出来上がっている。7月の下旬の本格的な雨季の到来と共に、モデル農家たちの新しい挑戦が始まっている。


2.やっぱりこれがオラたちの農業

本格的なモンスーンの到来が迫る7月上旬、B村、P村から各5名がタミル・ナードゥ州クリシュナギリ県への視察研修に参加した。村人たちが住むスリカクラム県から丸一日かけての列車の旅である。
B村・P村での農業の取り組みに活かすため、乾地農業の視察と農家との対談、農作物のマーケティングに関しての知識を深め、今後の村での農業に活かしていく。

タミル・ナードゥ州クリシュナギリ県は、アーンドラ・プラデッシュ州、カルナタカ州との州境に位置している。高地にあるクリシュナギリ県の気温は30度程度。真夏でも最高気温は35度くらいだと聞く。
40度に近い気温のところからやってきた村人たちとソムニード(現ムラのミライ)一行にとっては、なんとも過ごしやすい気候だった。


今回の視察研修の受け入れをしてもらった現地NGO・ROAD(Rural Organization for Action and Development)の協力で、地域の農家とマーケットを訪れた。一行が最初に訪れた農家は、広大な敷地に建設されたビニールハウスでガーベラ(キク科)の花を栽培している。10名の女性従業員が雇われて収穫から包装まで一連の作業を行っている。村人たちは興味深さそうにガーベラの花を観察し、農家の話に耳を傾ける。


その後も、ピーマンの栽培を行う農家、バラの栽培を行う農家、トマトの苗木づくりを行う農家など、広大な土地でビニールハウスや水道による灌漑設備をもつ農家との面会が続いた。
B村の農家たちもP村も農家たちも、この農家たちのような広大な土地はないし、水道による灌漑設備もない。筆者は「村人たちはこの農家たちに会って何を思っているのだろうか」と考えていた。

この農家たちが広大な土地で育てた作物は、地元のマーケットを通して州外に売られている。一行が訪れた組合のマーケットでは200以上の業者が店を連ねて、大型のトラックが何台も行き来していた。その組合も地元の農家たちで形成されていて、毎朝この場所で大きな取引が行われている。



このように村での農業とは異なる農業を視察する一方、この土地で伝統的な農業を重視して、有機農業を行う農家ラジャ氏と会う機会を得た。
ラジャ氏は外来種の栽培や一品種の大規模な生産ではなく、伝統的な自然農業を推進している。現在B村でも実践が始まった種子保管も行っている。自然資源を利用した殺虫剤の作り方や牛尿の効率的な集め方など、B村・P村ですぐに実践できる農業の技術を学ぶ機会を得た。
中でも村人たちは補助の竿を立ててトマトの成長を促す技術には特に興味を示していた。伝統的な農業の大切さを説くラジャ氏の話に聞き入る村人たち、「オラたちの農業と同じだ」と共感を示す。大規模な換金作物の栽培を行う農家たちと、自然農法で伝統的な農業を推進する農家。二つの異なる道を行く農家たちに出会った村人たち。

「ハイテク農業スゲー」と、その農地の規模や技術には驚かされたと思う。だけど、結局のところ振返りミーティングの話題の中心は、伝統的な農業を行うラジャ氏だった。
「オラたち、プラスチックは使わない」と、ラジャから教わった技術を村で実践をして行こうと決めた村人たちだった。
タミル・ナードゥで見た全ての技術を自分の村で応用できるわけではない。それでも、モデル農家たちはこの視察で得た知識を、自分たちのもつ資源と、そして自分たちが描く村の未来に照らし合わせて上手く使い合わせていくことはできる。
ヒロさん、おれの畑でもこのやり方でトマト育てるよ。」と意気込んでいたのはP村のチャンドラヤ。
このタミル・ナードゥの視察研修が今後の農業にどうやって活かされていくか、筆者は楽しみに感じていた。


3.チャタジー氏による研修

タミル・ナードゥでの視察を終えたB村とP村のモデル農家たち。
P村では有機農業専門家のチャタジー氏を迎えての研修が行われた。
昨年度は農業カイゼンの取り組みを中断していたP村にとっては、同氏との久々の再会となる。
研修が始まり、現在行っている活動について尋ねるチャタジー氏にパドマが答える。「これまでは村で流域の上流と中流の管理に取り組んできました。今年からは、これまで取り組んできた流域管理の技術を下流の農地で応用して農業のカイゼンに取り組んでいます。農地を有効利用できるようにデザインして、葉菜、果菜と合わせて品種も増やしました。」と実践を始めた農業について説明する。

まるで事前準備をしていたかのように明快に説明するパドマ。その様子には、プロジェクト開始以来村人たちをサポートし続けてきたラマラジュさんも驚きを隠せないようで、「ヒロ、いまパドマがどうやって説明したかわかったか?パドマがあれほど完璧に答えるとは僕も少し驚いたよ。」と、ちょっとした興奮を隠せないようだった。
水田のモデル農家であるダンダシが負けじと自分のモデル農地について説明する。
「ワシはモデル農地とそれから別の農地でもSRIを始めたんじゃ。種もみも研修に倣ってしっかり選んだぞ。種も今まで1エーカー当たり60キロ使っていたのが今年は10キロに減った。」

P村とソムニードとの活動が止まっていた間も、近隣の村に流域管理技術の普及活動を行っていた指導員たち。昨年から農業カイゼンを始めたB村の指導員たちとの交流も、P村の指導員にとって良い刺激になったに違いない。なんだかこの農業カイゼンの取り組みでもP村のリーダーとして活躍してくれるような予感がした。現状を共有した後で、チャタジー氏による実践技術指導が行われた。


畑地では煉瓦の囲いをつくり、燻炭と有機たい肥を利用して保水度を高めると共に農地を更なる有効活用する技術。水田向けには、自然資源を利用した殺虫剤の作り方とその適切な使用方法に関しての技術研修が行われた。


4.月間モニタリング

B村・P村の実践開始に伴って、ソムニードはモデル農家たちと毎月農地のモニタリングを行う。
モニタリングは1から5点までの採点方式で、評価項目はソムニードが用意した項目とモデル農家が用意した項目を合わせている。『アクション・プラン等の書類がしっかりなされているか?』『他のモデル農家のモデル農地を見に行ったか?』といったモデル農家としての姿勢を評価する項目と、作物の育ち方や農地のメンテナンスを評価する項目を織り交ぜている。最初のモニタリングはソムニードが主導して行った。

モデル農家と一緒にモデル農地に赴き、農地とファイルを見ながら評価を行う。
評価される農家たちの表情は、『我こそはモデル農家なり』というような人もいれば、『勘弁してください。』というような人もいる。
B村・P村共に一通りの評価を終え、アクション・プランに基づいて農業を実践している農家と、そうでない農家がわかった。2カ月目のモニタリングでは、それぞれの農地で最も点数の高い人をリーダーとしてグループに分けて、ソムニードではなくグループのメンバー全員で評価を下す。


なぜ5点満点ではなく4点なのか、何が出来ていれば5点をあげられるのかをグループ全員で共有して、評価シートに記載する。
こうしてお互いに評価を行う中で、自分が見落としていた点にも気が付き、自分の農業にも役立てることが出来る。
最初は「これはよく出来ているから5点だ」「いや、4点だよ」と言い合っていた村人たちだが、一つ一つの項目で出来ているところと出来ていないところを共有しながら進めるうちに。
「今日までに6種類の作物が栽培されている計画だけど、1種類抜けているから4点」などと、何が出来ていなかったのかを明確に評価を始めた。

この月間モニタリング、何人かのモデル農家はずば抜けて高評価を得る。時期の面でも、作物の組み合わせの面でも、アクション・プランを忠実に守り、農地を余すことなく有効活用している。そして多くのモデル農家は完璧とはいかないまでもそれぞれ工夫して農業に取り組んでいる。前回のモニタリングで指摘された点を修正したり、実践が順調に進むモデル農家たちからアドバイスを受けたりして、自分のモデル農地をもっと良いものにしようとカイゼンに取り組む。このようにモデル農家たちが揃って農業カイゼンに取り組む一方で、活動が停滞しているモデル農家がいることも事実である。モデル農業の流れについて行けなかったモデル農家たちを、いかにして復活させるかが今後の課題になりそうだ。


5.ポガダヴァリ村のみなさん

ところで、筆者は、今年の5月に初めてP村の人たちと顔を合わせた。
今までも指導員の4人(パドマ、ダンダシ、チャンドラヤ、バライヤ)と顔を合わせる機会は多かったものの、4人の他にどんな村人がいるのかはよく知らなかった。

今年からP村と接する機会が増えて、一つ気が付いたことがある。それは、B村にせよ、P村にせよ、プロジェクトのフェーズ1からソムニードと共に活動してきた村では、(例えば指導員といった)特定の村人たちだけではなく、他の多くの村人たちも自分が研修やモニタリングの参加者であるという意識が強いということ。

現在、流域管理技術の研修をしている新しい村々では、研修やミーティングの中心人物になる人は、毎回変わらない。そういった村のリーダーのような人たちの存在は非常に重要なのは確かである。一方で、そのリーダーがいなければ何も進まないような村をつくってしまってはいけない。

5月以降、P村の指導員以外の人々と会う中で、指導員以外の人が研修やモニタリングのなかで活躍するのが見えた。これは筆者が感じていたB村の強さと重なる。きっとこれは2007年からソムニードの研修を続けてきた成果に違いない。この様子を見て、いまは毎回中心となる人物が同じ新しい村々でも、研修を重ねるにつれて、もっともっと多くの人たちが活躍を始めるだろう。そして、そういった活躍できる人を増やせるような研修を行っていかなければならないと思った。そのためにも、これからP村から学ぶべきことは多い。「ヒロさん、これを見てくれ」と、自信に満ちた笑顔でモデル農地を案内するチャンドラヤ。そこには、タミル・ナードゥで学んだトマト栽培の技術が応用されていた。

これからもまだまだ続く、P村とB村の挑戦。この続きは、また次回以降のよもやま通信で。


注意書き

ソムニード一行

ヒロ、ヒロさん、ヒロアキ(筆者)=實方博章。現場で修行中。

ラマラジュさん:ソムニードの名ファシリテーター。

2014年8月26日火曜日

インドの山奥での活動の原点は、日本の山奥にあり。

私がムラのミライ(旧称ソムニード)に入ったのは20057月。当時はスタッフになるためのインターン期間という位置づけでしたが、この時に、ファシリテーターの世界に足を踏み入れたと言えるでしょう。ただ、自分の過去の経験を振り返ってみると、既にその世界を垣間見てたんだなぁと、後になって気づきます。

 「スターウォーズ」はエピソード1にダースベイダーの誕生秘話があるように(ちなみに、私はこのシリーズを全く観たことが無いです)、私にとってのエピソード1は、ムラのミライに入る前、長野県の山奥で始まっていました。

 私の前職は、過疎の村での廃校を利用したフリースクールと村おこしを目的にしたNPOです。そこで「農業の先生」として在職されていたのがIさん。だけど農家ではなく、50キロほど離れた町で暮らし、長年の会社勤めを辞められた後に、初めてこの村に来られたいわゆる「ヨソ者」です。

Iさんは一日中、田畑や山を村の人たちと歩き回り、畑や道端で話をする毎日。会話の中でピンとくるものを拾い上げて、話を掘り下げておられました。

 Iさんの投げかけが『事実質問』だったかどうかは、はっきりと覚えていませんが、村の60代、70代の方々は、いつも嬉々として喋っておられました。そして、絶えていた在来種の茄子を復活させようと、農家の方が自ら模索し始めたその行動を傍らで見ていて、「これってなんだか楽しい」という感覚が、私の中に染みついていったのでした。

 またある日のこと。フリースクールに在籍していた中学生が、村の農家さんとIさんに弟子入りして畑作を始めた時、「苗を買いたいからお金をちょうだい」と、事務をしていた私に手を差し出して来ました。

 「何の苗をどれだけ買うの?」「いくらするの?」と、私はとっさにIさんではなく、その子に尋ねました。その場にいたIさんも、口出しせずにただ黙っているだけ。そこからのその子の行動は、今思えば、インドの村の人たちとほぼ同じ行動でした。

 この後、Iさんから、私の取った行動に対して「エライ」と言っていただいたのです。

 でも、何がエライのか、その時には分かりませんでした。ただ、その子がIさんたちに訊きながら、そして時々愚痴をこぼしながら、汗を流している姿を見て、「こういうの、なんだか楽しい」と感じたのでした。

 この時は自分の中で消化できていなかった体験と感覚ですが、数年経った今となっては、その仕組みが分かります。

 そして、この「なんだか楽しい」という原体験を味わわせてくれて、この世界に足を踏み入れる動機を作ってくれたIさんは、私の人生の師匠の一人です。



(事務局次長/海外事業部チーフ 前川香子)

2014年8月12日火曜日

新天地セネガルでの挑戦!

現在ムラのミライ(旧称ソムニード)では、新たなプロジェクト地であるセネガルの調査を終え、プロジェクトを開始する準備を進めています。今回のブログでは、先日の聞き取り調査の際、現地カウンターパートであるIntermondesと一緒に農村で行った、養蜂に関するやり取りをご紹介します。

 和田が、村人に蜂蜜の生産サイクルに関して尋ねました。サトウキビがまだ普及していない村にとって甘味料としての蜂蜜は大変貴重な存在であり、これまで長い間伝統的な方法で養蜂が行われてきました。しかし、2007年に近代的な方法が導入され、今ではその普及が本格的に進んできていることがわかりました。

 近代的な方法に関して具体的に質問を重ねていると、数年内に養蜂箱が耐用年数を迎えてしまうのに、養蜂箱を更新するための資金の当てが今のところないことがわかりました。このままでは養蜂は続かないという課題がやり取りの中で浮かび上がったのです。

和田「どうしたらいいんですか?」
村人「それがわかったら苦労しない」
和田「今日ここにいる中で、ひとりだけどうしたらいいか知っている人がいる」
村人「・・・」(沈黙)
和田「それは・・・」
それまでリラックスしてやり取りを楽しんでいた村人たちが、ここに来て急に真剣になりました。和田はやり取りをどのように進めたのでしょうか。気になる続きはこちらプロジェクト形成調査/セネガル)。

 今、新たに動き出したセネガルでの地域づくり。「出稼ぎに行かなくても、地元の村で安心して暮らしていく」を実現するための、セネガルの初めの一歩です。
皆さん、応援よろしくお願いします。詳しくは下記リンクをご参照ください。




2014年度インターン 山下)