2015年5月26日火曜日

Break-up: ことばを噛み砕く

先日、流域管理プロジェクトで関わるとある村の人たちから、流域管理委員会(※1)で、共同管理する農地を耕したいので、開墾にかかる費用をサポートして欲しいという要望が上がっていた。
私がその村を訪れた際に、また村人たちは費用のサポートについて聞いてきたので、彼らが本気で開墾計画を立てているかを知るために、『耕すのにどれだけの費用がかかるのか』『土地の面積はどれくらいか』『何を植えたいか』『誰が作業をするのか』『(管理していくうえで)誰がどの役割を担うか』などを聞いていった。
結果、面積や植える作物は決めているものの、それ以外の部分は「みんなで作業する」「流域管理委員会が管理する」など、あいまいな回答ばかりで、口では「欲しい、欲しい」という割には「で、結局、誰が何するの?」というところは、何も話し合われていないことがわかった。

このように、村人も、私自身も、無意識のうちに、「みんな」「委員会」「ミーティング」「トレーニング(研修)」というような、あいまいな言葉を使っていることがある。例えば、「明日の研修について、ミーティングで村のみんなと共有した」と村人が言えば、なんとなく、「あぁ、研修のことは村の人たちに伝わっている」と思い込んでしまう。しかし、それをもう一つ噛み砕いて、「明日は何の研修だっけ?」と聞いてみると、他の村人に研修のことを伝えた本人も何の研修かよくわかっていないことや、「ミーティングには何人来たの?」と聞けば、実は4人しかいなかったなんてこともある。つまり、村人の回答を、もう一段階、二段階、三段階と、噛み砕いていかなければ、事実には到達できない。

村人が言った言葉を噛み砕くことの大切さに改めて気が付いたのは、前川さん(※2)とある村人との実に単純な、-しかし、私はずっと見落としていた-やりとりを見たからである。

「明日は9時に研修があると、みんなに伝えています。」という村人のことばに対して、私やフィールドスタッフは
「明日9時に来るから、時間通り集まってね」と言ってしまうところ、前川さんは
「明日は何の研修をするの?」

と、すぐさま『研修』という言葉を噛み砕いた。すると、実は村人たちには、私たちが意図したことが伝わっていないことがわかった。『研修』『ミーティング』などの曖昧な言葉を聞き逃すことなく噛み砕くことができる力、それが、ファシリテーターになるために必要なんだとわかった瞬間だった。


注意書き
※1 流域管理委員会=ムラのミライは2007年から、南インド、アンドラプラデッシュの農村で、流域管理事業を行っている。詳細はよもやま通信をご覧ください。
※2 前川さん=ムラのミライ海外事業チーフ。凄腕のファシリテーターで、本プロジェクトのプロジェクトマネージャー。

(インド事務所駐在員 實方博章

2015年5月22日金曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第20号「オラたちの植林計画」

 

目次

1.いざ、合同研修
2.オラたち自信ないです
3.ウェディング、ウェディング、ウェディング
4.植林計画は難しい、だけどオラたちだってやれば出来る
5. カシューナッツは良いの?悪いの?

5月に入り、夏真っ只中の南インド。気温は連日40度を超え、道を行けば汗がタラタラと流れ出す。木陰がいとおしい季節、、、夏はまだまだ続く。



1.いざ、合同研修

これまで農業改善に取組んできたブータラグラ村(以下B村)とポガダヴァリ村(以下P村)、そしてそのB村とP村の指導員から流域管理の技術を学び、農業改善についての取組みも始めた新規参入の5か村(バルダグダ村、パンドラマヌグダ村、コッタグダ村、マンマングダ村、アナンタギリ村)の村人たち。夏が訪れ、6月下旬から7月上旬に来る雨季を待つあいだ、流域管理委員会を中心に流域保全の活動計画づくりと、その実践を行っている。
4月某日、B村、P村と新規参入の4か村から、数名が代表して研修センターに集まり、今年度の活動計画づくりの合同研修(オリエンテーション)を行った。研修では、今年度の活動計画に活かすために、村ごとにムラのミライとの活動を開始してから何を学んできたかを振返った。普段は、指導員や農業改善活動の先輩という立場のB村・P村の村人たちと、彼らから研修を受ける側の新規参入の4か村の村人たちが、この研修には互いに参加者として出席している。共に参加者としてこれまでの活動を振り返るからこそ、B村とP村の2007年からの活動の話を改めて聞くのは、2012年から活動を始めた彼らにとっても刺激的だったに違いない。
昨年、初めて流域管理委員会を中心とした流域保全のための活動を行った4か村だったが、昨年は石垣や堰堤など保水土対策の構造物の設置と、水源地での植林活動を中心に活動した。今年の活動計画では、引き続き保水土対策の構造物の設置と、昨年度カバーできなかった集水域と裾野での植林を行っていくことが決まった。植林の話になり、B村のモハンが立ち上がった。
「オラたちが最初に植えた木は、今ではその実を食べられるようになったんだ。」
植林をしたからと言って、明日、明後日、1年経ったって、効果が見えるわけではない。だけど、2010年に植林を経験しているモハンの話を聞いて、新規参入の4か村の村人は、流域保全という目的にプラスして、食べ物や薪など村人たちにとっての生活物資にもなる集水域と裾野での植林へのやる気を見せた。ラマさんから、植林方法の研修を受け、村人たちは今回の研修の内容をそれぞれの村での共有を行った。


 

2.オラたち自信ないです

2012年から共に活動する5つの村のなかで、1か村だけ合同研修に参加しなかった。マンマングダ村だ。後日、決まったことを伝えがてら、彼らの様子を見に、村を訪問すると、
「オラたち、植林の計画なんて難しくて立てられないよ。」
と、自信なさげに話すマンマングダ村の人たち。
「去年だって村で話し合ってしっかり活動計画を立て、実践したじゃないか。」
と、励まそうとする筆者
「だけど、オラたちの中で読み書きできる人が少ないし。」と話す青年。
「(計画は立てないで)作業だけならいつでもやるけどな。」とオッチャン。
15世帯と、他の村に比べても小さいマンマングダ村では、確かに他の村に比べて読み書きの出来る人は多くはない。だけど、流域管理委員会で事務や会計など実務を行う青年たちは、読み書きが出来る。村全員が読み書きできないからと言って、活動計画を立てられないということはないのだ。それでも、一部の村人は、植林する場所や植える木の種類を細かく選ばなければならない植林計画なんてオラたちには難しすぎると決めつけ、一部の人は政府の補助金のように、面倒な活動計画など立てなくても、与えられた仕事に応じて手っ取り早く労賃をもらえる方がずっと楽だと考えている。
「植林にしろ他の活動計画づくりにしろ、もしもわからないことがあればいつでも研修します。ただ、活動の計画を立てるのは、マンマングダ村の皆さんです。ムラのミライと一緒にやっていくか、もう一度話し合って、教えてください。」
それだけ伝えて、スーリーと筆者はマンマングダ村を去った。



3.ウェディング、ウェディング、ウェディング

数日後、マンマングダ村から朗報が届いた。村で話し合った結果、ムラのミライとの活動を続けていくという結論に至ったのだ。そして、植林計画づくりの研修への要望もあった。これで、合同研修に欠席したマンマングダ村も含めて、全ての村で今年の活動計画づくりが始まる。他の村でも、先日の研修の共有が行われて、活動計画づくりが始まった。
(これから、植林の研修やアクション・プランの確認で忙しくなるぞ。)
と、安心した筆者だったが、現実はそれほど甘くなかった。というのも、ヒンドゥー教徒たちにとって、結婚に最良の大安吉日が今年はこの時期に集中していたため、村人たちは連日結婚式に参加していて、活動計画の話し合いをする時間がほとんどないのだった。スーリーが村人に電話をすると、
『今日と明日は村で結婚式なので、集まって話し合う時間がない』と、どこの村人も口を揃える。とはいえ、いつまでも『時間がない時間がない』と、言っているばかりでは何も進まない。雨季に備えて植林の準備の必要もある。
これでは埒があかないと、電話だけではなく、スーリーと筆者で直接村に様子を伺い行くと、ある村では結婚式の準備で大忙し、ある村では隣村の結婚式でほとんどの人が外出中、またある村では何人もの村人が親戚の結婚式で遠出しており数日は帰ってこないと、まともに掛け合ってくれさえしない村人たち。これで本当に雨季の前に活動計画がつくれるのか?という再びの不安が押し寄せる。


ただ、そんな大忙しな状況でも、着実に計画づくりを進めている村があった。よもやま通信でもおなじみのP村とB村である。自分たちの村でも結婚式があって忙しい中でも、合間を縫って話し合い、保水土対策の構造物の設置場所を決めたり、植林をする土地も測り始めたりしていた。更にP村のパドマは、隣のアナンタギリ村へ指導員として計画づくりの研修に行くことも決まっていた。
さすがに2007年から活動を続けているB村とP村は他の村とは一味違う。いくら結婚式が続くと言え、村人全員が四六時中結婚式の準備をしているわけではない。だから、どんなに忙しくても、活動計画の重要性がわかっていれば、どこかで時間を見つけてコツコツと進めていくのである。



4.植林計画は難しい、だけどオラたちだってやれば出来る

結婚式のピークがひと段落して、少しずつ活動計画の話し合いを始めた各村の村人たち。これまで行ってきた保水土対策の構造物設置に関しては、自分たちでしっかり計画を立てることができるようになっていた。
ただ今回、新規参入の村人たちが苦戦したのは、植林の活動計画で、特に植林する土地を縮図に落とし込む作業だった。B村とP村では、農業改善の活動で、縮図を利用してきたのでなじみがあるが、新規参入村にとっては初めての経験、植林する土地を測るだけでも一苦労である。
例えば、四角形の土地を測るときに、私たちにとっては1辺の長さをそれぞれ測るのは当然のように思えるが、彼らは一辺の中間から、対の辺の中間までの長さを測っていた。つまり、彼らのノートには四角形の土地の図が十字で書き記されていたのである。ちなみに、村人たちが植林をする土地は、正方形でも長方形でもなく、四辺の長さがまちまちで、人によっては四角形ではない土地もある。なので、二辺の長さだけ測れば全体図がわかるというわけにはいかない。
そんな図を基にしては、植林なんてできっこないと、A地点からB地点、B地点からC地点と、一緒に土地の測定をやり直し、それぞれの辺をノートに記して大まかな土地の図を描く。そして、その土地には既に立っている木や、大きな岩や石垣などがあれば、それらの位置も把握する。土地全体の測定を終えて、その土地にある木や岩などのチェックも済んだら、下書きした土地の図を方眼紙に落とし込む。
この縮図書きの作業では、流域管理委員会でも中心的な役割をしている青年たちに加えて、現在学校に通っている村の高校生世代も大活躍した。高校生たちは、町の寄宿学校に通っているが、ちょうど夏休みで村に帰っていたのだ。
「この方眼紙上では、1マス(5mm)が2メートルだから、40メートルは、何センチになる?」
と一つ一つのルールを確認しながら作業を行うなかで、
「こりゃ、難しい。」と悲鳴を上げる青年たち、
「こんなの簡単だよ。」と、スイスイと線を引く少年。
青年たちと同世代(もしくは少し年上)の筆者は、『自分も高校生に勉強教えられたら、ちょっと恥ずかしいかもなぁ』と、この状況に少し同情しつつ見ていた。
ただ、彼らの表情を見ていれば、村の青年たちは少し恥ずかしがりながらも、下の年代が流域管理の活動に興味をもって一緒にやっていけるのが嬉しいに違いなかった。そして、少年たちにとっては、何に役立つかもわからずに学校で習っていることを応用して、自分の村の活動に役立てることが嬉しいのだ。
縮図が書き終わると、今度はオッチャン・オバチャン世代の出番である。
「ここには岩があるけど、この木だったら1メートルも岩から離せば育つから大丈夫だ」
「この木は食べ物だけじゃなくて、家畜の餌にも使える」
などと、経験を活かしながら、自分の土地に適した木を選んでいく。こうして、年代を超えた協力をしながら、各村では植林の活動計画を作っていった。
合同研修にも欠席して、最初は
「オラたちには、出来ない」
と自信を無くしていたマンマングダ村でも、活動計画は順調に仕上がっている。保水土対策の構造物設置の活動計画は、新規参入の5か村の中では一番早くに完成させた。それに、その設置場所も、流域管理の研修で学んだ基本を踏まえている。植林の活動計画も、弱音を吐かずに作成中だ。
村人たちと一緒に土地の測定をして、植林の活動計画づくりを行ってわかったことは、彼らは一度聞いたことはすぐに覚える。もちろん、方眼紙の使い方など、何度も説明が必要なこともある。それでも、土地の測り方や図の書き方など、一度見本を見せれば、基本は確実に抑える。そして、植林活動に限らず、保水土対策の構造物を設置する時にも、ここが流域のなかでどこに位置するかをしっかりと意識しながら活動計画を作っている。
村人たちは出来ないなんてことはない。
水のことも、土のことも、森のことも、経験ではわかっている。ただ、知識としては知らないことはある。それでも、流域管理の研修で覚えたことは、自分の経験と照らし合わせて理解をしているし、活動計画の作り方だって、研修を行えばすぐに出来るようになるのだ。
その証拠に、長年一緒に活動するB村やP村では、活動計画の研修なしでも計画づくりを完成させているし、忙しい中でも指導員として他の村のサポートさえ行っている。今回研修を行った新規参入の5か村でも、石垣や堰堤などの構造物の活動計画は完成して、その計画に基づいてすでに設置作業を開始している。
あとは植林の計画の最終仕上げをするだけだ。




 

5. カシューナッツは良いの?悪いの?

植林の計画づくりの研修では、
「カシューナッツの木を植えたい。」
という声をよく聞いた。収穫が直接現金収入につながりやすいカシューナッツだが、葉っぱが土に還りにくいという問題点もある。
現に、森の中を歩いていると、カシューナッツが育つ場所は、その落ち葉ばかりで、しかも朽ちにくく、土がほとんど見えないところもある。植林計画づくりでは、果物が取れる木や、薪として使える木、家畜のエサになる木、木材として使える木、薬として使える木など、用途の違う木を万遍なく植えることを推奨しているが、やはりカシューナッツを植えたい村人たちは多い。
流域管理という点から考えると、カシューナッツばかりを植えるべきではないということを、どうように村人たちに伝えれば良いかと考えていたら、キョーコさんがこんな話を聞かせてくれた。
「今日、私と一緒に石垣のチェックに行った彼の名前は何だっけ?とてもするどい質問をしてきて一緒に歩いていて楽しかった。」
と、バルダグダ村での研修で、こんなやりとりがなされていたのである。
「カシューの木って、良いのかな?悪いのかな?」と切り出したのは、高校を卒業したばかりの、サントーシュだ。
「あなたはどう考えているの?」
「いつも疑問に思っていたんだけど、カシューナッツの林の中では、葉っぱの上を水がダーッと流れていって、水が土に浸み込まないし、斜面がすべりやすくなるんだよね。」
「そうだね。私もすべったことはあるよ。他にも何か気が付いたことはある?」
「カシューの葉っぱは、ほら、虫食いの跡がほとんどない。」
「それはどういう事かわかる?カシューの葉っぱをたい肥づくりでミミズのエサにあげるかな?」
「虫やミミズはカシューの葉っぱを食べないんだね。」
「そう、つまり土を作る、という面ではバクテリアもミミズも食べにくいから、土になりにくい。」
「そうすると、この場所では土も生まれないし、水も水中に浸み込んでいかないし、、、そしたらヘタすりゃ食べ物が作れなくなっちゃうな、、、なんだか前からもっていた疑問が一つ解決できたなぁ。それじゃ、キョーコさん、他にも疑問があるんだけど、石垣と堰堤の役割ってさ、、、」
こうして、流域に関してのキョーコさんと少年との対話は続いた。
まだ高校を卒業したばかりの彼は、流域管理委員会のメンバーでもなければ、常に研修に参加しているわけではない、それでもお父さんやお母さん、先輩たちから流域管理の話を聞いて、時には自分も研修に参加して、「流域ってなんだろう?」と、考え続けていた。
そして、それは、研修に参加したら自動的に考えつくものでもない。幼いころから森を歩き、森で暮らす彼がずっと心の中に秘めていたもの。そんな疑問を、キョーコさんと森を歩くいまがチャンスと、色々と聞いてみたのだ。『カシューナッツの葉っぱは土になりにくいから、植えちゃダメ』なんて一方的に言わなくても、流域のコンセプトを思い出せば、村人たちの中でその答えが出てくる。
ムラのミライが流域管理の研修をしたB村とP村、そしてB村の指導員が研修を行ったバルダグダ村。
そのバルダグダ村の一人の少年の疑問は、流域管理のコンセプトが、ムラのミライの知らないところでも、着実に広まっていることを物語っている。そして、そんな村人たちが、年代を超えて協力して出来上がった活動計画に基づいて、これから実施を始める。その様子は、次回以降のよもやま通信で乞うご期待。

注意書き

ラマさん:SOMNEED Indiaの代表で、植林活動においては、30年に渡る豊富な知識と経験を持つ。
筆者:實方博章。現場で修行中。
スーリー:夏の暑さにも負けず、村人と野山を駆け回るフィールドスタッフ。
キョーコさん:前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、本事業のプロジェクトマネージャー。流域管理プロジェクトの他にも研修事業から出版事業まで全てを統括するスーパーチーフ。


2015年5月19日火曜日

事実質問で変わった?姉弟の関係

私はムラのミライに出会うまで、「ファシリテーション」というものに触れたことがありませんでした。人とのコミュニケーションに関する勉強なども特にしたことがなく、対話型ファシリテーション基礎講座に初めて参加したときには、それまで自分がどれだけ人の話を聴いていなかったかということに気づき、ショックを受けました。特に、9歳離れた弟とは、本当に的外れなやり取りばかりをしていました…(トホホ)。

弟「最近、一つのことに集中できない気がする。失敗を恐れて、壁に当たる前に違うことに手をつけてしまう」
私「小さい頃からそうやったもんね~。失敗するのが嫌いで、ピアノを教えた時も、間違えるとすぐ機嫌が悪くなって諦めたりしてたよね。きっと人前で恥をかくのが嫌なんやろねぇ。」
弟「えええ、そうなん…!そうなんかなぁ…?」

悩み相談を受けるたびに、こちらの思い込みで答えるだけで、解決に至らないことが多くありました。

姉という立場では、ついつい自分の方が物事を知っていると思ってしまいます。私は、弟と同じ家や学校で過ごしてきたし、彼のことも生まれたときから見てきている。なので、彼が抱えている問題の解決策くらい知っていると、無意識に思い込んでいたのでしょう。

講座を受けた後には、色々とアドバイスをしたいとはやる心を落ち着け、なるべく事実質問をすることに徹しました。

弟「最近、学校の授業が退屈や。」
私「最近って、今日の授業で退屈なものがあった?」
弟「授業じゃなくて、今日はテストやったんやけど。」
(どの教科のテストがあったのか、結果を返してもらったテストはどの教科で、何点だったかなどを確認)
私「返ってきたテスト、お父さんかお母さんに見せた?」
弟「うん。○○の点数がよくないから頑張らなあかんなって言われた。テスト前にあんまり勉強してなかったからちゃうか、とか。それに、クラス全体の点数も悪かったから、先生も怒ってたし…。」
私「○○のテストの点数がよくないって言われたんやぁ。」
弟「点数だけで人を評価してるように感じるんや。前にも…。」
このあと、他にも学校で不満に思ったできごとを話してくれました。

さて、弟が不満に感じたこと、それを解決するには、これまた長~い対話の積み重ねが必要です。

ただ、意識的に事実質問を続けることは、私自身にも変化を及ぼしたようです。
最近では、「前はお姉ちゃんに話しかけて返ってくる言葉がおもしろくなかったけど、今は“深み”があるような気がする。言葉に説得力がある。」という評価をもらいました。

いったい以前はどれだけダメダメな姉だったのか…と反省させられるコメントですが、これからも対話型ファシリテーションを練習し続けていく励みにもなりました。
近藤姉弟のイメージ図 (フリー素材集より)
(海外事業コーディネーター 近藤美沙子

2015年5月12日火曜日

事実質問で広がる出会い in スリランカ

コホマダ?(シンハラ語で「どうですか?」)

以前(4/28)の記事には、JICAボランティアとしてスリランカで失敗したやり取りについて書きました。その後も、現場で「どうしたものかな」と思い、地域状況を改めて知ることに立ち返りました。

障害者の把握を現地の人たちと始めた当初、自営や会議に参加している人たちの姿が目立ちました。たとえば、ポリオによる肢体不自由のあるおばさんと出会いました。

私「これは何を作ってるんですか?」
おばさん「足ふきマットだよ。」
私「何が材料ですか?」「誰が取ってくるんですか?」
おばさん「バナナの木の部位を乾かして作ってるんだよ。ほれ、触ってみ。」「わたしゃ動けないから、そこにいる姉が取ってきてくれるの」
私「作ったもので何をするんですか?」
おばさん「姉に車椅子(手押しタイプ)を押してもらって、村を回って売るのよ。」
私「この一週間でどこで、何個売ったんですか?」
おばさん「○○と△△に売れたから、400ルピー。うふふ。」

まだファシリテーションとまでには至らなかったものの、「いつから」、「どこで習得したのか」など、事実質問を心がけながら状況を知っていきました。他にも、魚売り、ココナッツ取り、編み物、市場での野菜売り、宝くじ売り、日用品作りなどをする、様々な障害者と出会いました。

そのような状況把握や活動について、活動のパートナーである村役場の担当官とよく話をしてました。

私「この数ヶ月間、ミス(担当官の敬称)や住民ボランティアと障害者宅を回らせてもらって、たくさん学ばせてもらいました。自営やっている人も多いんですね。」
担当官「そうね、テル・マハッタヤー(テルさんの意味)。でも、貧しくて、ずっと家にいる人もたくさんいるのよね…。どうしたら良いかしらね。」
私「…この地図で言うと、どこの村は回り終え、どこの村をまだ回っていないんですか、ミス?」
担当官「そうねぇ(地図の上に印をつけていく)。こことここは奥地で、まだ住民ボランティアも登録できてなくて、私もまだ行けていないの。行かなきゃ。来週木曜に時間があるから行ってみましょうか、テル・マハッタヤー。」

彼女らと一緒に巡回すると、これまで知らなかった層の人たちと出会いました。座敷牢のような小屋に閉じ込められている人、鎖につながれた青年…。そして、家族に「なぜ?」とは聞かず、「いつから?」「何があったのですか?」などから聞くことが重要でした。思わず「なぜ」を聞いてしまい家族から“言い訳”を引き出してしまうこともありましたが…。

その後の活動は、またのお楽しみに!
巡回中の写真
(ボランティア 東田全央)

2015年5月5日火曜日

事実質問は過去形で

対話型ファシリテーションは、手法が単純なところに最大のメリットがあるのですが、その柱である簡単な事実質問を繋げるのはそう簡単でないのを、皆さん日々実感されていることでしょう。そこで、今回は、事実質問を繋げるための、ちょっとしたコツを改めてご紹介します。

ご存知のように、基礎講座では、参加者の「改めたい習慣」をめぐって練習します。横で聞いていると、事実質問ができなくて一般的な質問をしてしまう場面にたびたび出くわします。たとえば、ある方から「朝ごはんを食べないまま出かけてしまうことが多いので、その習慣を変えたい」という課題が提起されました。ほとんどの方は、講座で習ったように「今朝は朝食を食べましたか?」と聞き始めることができます。出て来た答えに基づいて、さらに次々と事実質問をしていくうちに、聞き手は「これは寝る時間が遅いため、朝起きられないことが原因ではないか」という仮説にたどり着いたようです。

ところが、次に出て来た質問は、「夜は何時に寝ますか?」という一般化された質問でした。相手は視線を宙にさまよわせながら、「遅いことが多いですね」としぶしぶ答えました。そこからは、「もっと早く寝れば、朝余裕が持てるかもしれない」という聞き手の仮説に迎合するような方向にやり取りが進んでいきました。結局、自分で気付いてもらう前に、こちらの思い込みを相手に押し付けるパターンに入ってしまったわけです。典型的な思い込み質問の罠にはまったケースです。本来は、「前の日の夜は、何時に寝ましたか?」と事実質問をしなければならないのですが、自分の仮説に囚われてしまうと、それがなかなか出て来なかったのです。

では、これを避けるためには、どうすればいいのでしょう。一番覚えやすいコツは、「相手の行動に関する質問をする場合は、常に、『過去形で聞く』ように心がける」ということです。よく考えてみれば、事実は、今現在、あるいは過去のことですよね。とはいえ、現在形の質問は、過去形に比べると本当に事実質問かどうかの判断が難しいのです。

「When=いつ」質問の有効性は、講座などでも口酸っぱく言ってきました。それに加えて、この「過去形の質問へのこだわり」を念頭に置いて質問するよう心がけることで、事実質問に徹することがより容易になるはずです。例えば海外協力の現場で、「農薬はどんなものを使いますか?」ではなく、「どんな農薬を使いましたか?」と聞けるようになれば、地に足の着いたやり取りが続けられます。

実を言えば、このコツが言語化できたのは、つい数か月前で、ここ数回の基礎講座に出られた方にはお伝えすることができたのですが、それ以前の方には、こういう形でお示しすることができていません。「事実質問は過去形で」と心の中で唱えながら、ことに臨むことを強くお勧めする次第です。

(ムラのミライ共同代表 中田豊一