先日、流域管理プロジェクトで関わるとある村の人たちから、流域管理委員会(※1)で、共同管理する農地を耕したいので、開墾にかかる費用をサポートして欲しいという要望が上がっていた。
私がその村を訪れた際に、また村人たちは費用のサポートについて聞いてきたので、彼らが本気で開墾計画を立てているかを知るために、『耕すのにどれだけの費用がかかるのか』『土地の面積はどれくらいか』『何を植えたいか』『誰が作業をするのか』『(管理していくうえで)誰がどの役割を担うか』などを聞いていった。
結果、面積や植える作物は決めているものの、それ以外の部分は「みんなで作業する」「流域管理委員会が管理する」など、あいまいな回答ばかりで、口では「欲しい、欲しい」という割には「で、結局、誰が何するの?」というところは、何も話し合われていないことがわかった。
このように、村人も、私自身も、無意識のうちに、「みんな」「委員会」「ミーティング」「トレーニング(研修)」というような、あいまいな言葉を使っていることがある。例えば、「明日の研修について、ミーティングで村のみんなと共有した」と村人が言えば、なんとなく、「あぁ、研修のことは村の人たちに伝わっている」と思い込んでしまう。しかし、それをもう一つ噛み砕いて、「明日は何の研修だっけ?」と聞いてみると、他の村人に研修のことを伝えた本人も何の研修かよくわかっていないことや、「ミーティングには何人来たの?」と聞けば、実は4人しかいなかったなんてこともある。つまり、村人の回答を、もう一段階、二段階、三段階と、噛み砕いていかなければ、事実には到達できない。
村人が言った言葉を噛み砕くことの大切さに改めて気が付いたのは、前川さん(※2)とある村人との実に単純な、-しかし、私はずっと見落としていた-やりとりを見たからである。
「明日は9時に研修があると、みんなに伝えています。」という村人のことばに対して、私やフィールドスタッフは
「明日9時に来るから、時間通り集まってね」と言ってしまうところ、前川さんは
「明日は何の研修をするの?」
と、すぐさま『研修』という言葉を噛み砕いた。すると、実は村人たちには、私たちが意図したことが伝わっていないことがわかった。『研修』『ミーティング』などの曖昧な言葉を聞き逃すことなく噛み砕くことができる力、それが、ファシリテーターになるために必要なんだとわかった瞬間だった。
注意書き
※1 流域管理委員会=ムラのミライは2007年から、南インド、アンドラプラデッシュの農村で、流域管理事業を行っている。詳細はよもやま通信をご覧ください。
※2 前川さん=ムラのミライ海外事業チーフ。凄腕のファシリテーターで、本プロジェクトのプロジェクトマネージャー。
(インド事務所駐在員 實方博章)