2012年4月26日木曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第2号「オラ達の村の水と土」

 

目次

1.  ため池?それとも運動場?
2.  溜まった土、流れてきた土

1. ため池?それとも運動場?

前号では青々とした稲が水田で風に揺らいでいる長閑な風景を紹介したが、その後、結局雨は1滴も降らないまま、稲刈りの季節を迎えた南インドの農村部。
水田は乾き、土が割れ、穂に実はつくものの大きくならず、通年より1カ月ほど早々と村人たちは稲を刈り取った。
中には刈り取らずに牛に食べさせた村もあったほど。
インド全土では降雨量は平年以上にあったというものの、アーンドラ・プラデシュ州沿岸の農村部では、昨年の雨季の降雨量は平年以下だった。
というより、全く降らなかった。

村は乾ききっている…ような印象を受けるが、ここで2つの対照的な村を紹介しよう。
もちろん、この通信の舞台となっている村である。

P村は48世帯で、低地にあり、他の村に比べても政府スキームを多く活用し、労賃をせっせと稼いでいる。
村には2つの大きなため池があり、その内1つは、2年前に貯水量を増やしたり水門を築いたりと整備を施した。
そのため池も2011年9月下旬にはほぼ満水だったのに、10月下旬にはもうすっからかんとなってしまった。
すっかり水の上がったため池には、バレーボール用のネットも張られて、一見すると運動場でも作ったのか?と見間違えてしまう。


ため池の水を何に使ったのか質問すると、村人曰く、
「10月にまた雨が降るかと思ってたし、ため池に水はあるし、二期作ができるかなぁと皆で田んぼに水を引いてみたら、雨が降らなかったんだよね」
別の村人曰く、
「お前が勝手に水門開けて、水を引いたからだろう」

結局、P村の今年の米は、平年の半分ほどしか収穫できなかった。
しかし、お米からの収入の損失部分を埋めるかのように、政府スキームを使って石垣を作ったり道路整備したりして、ある程度の現金収入を得ている。

G村は28世帯、山の高地にあり、この半年で麓からの山道を整備して、オートリキシャ(小型自動三輪車)も楽々通行できるようになったが、それまでは自転車さえも走れないほどのデコボコ道だった。
この村にはため池が一つあり、ため池を南北に挟むように水田地が広がっている。

前事業が終了した後、G村の人たちは自分たちで魚卵を購入し、養殖を生業とする近隣の村で数名が養殖のイロハを習い、4種類の魚をこのため池で育てている。
ちゃんとG村の人用とそれ以外の人たち用に、販売価格を分けていて、これら収益はすべて村の流域管理委員会に納めている。
G村も2011年9月下旬頃はほぼ満水で、その後雨が降らなかったにも関わらず、2012年3月までため池の半分以上は水が残っていた。

村人曰く、
「魚がいるから水が枯れてはいけないし、二期作を初めて実践しようかという話も村で出たけど、今年はまだ挑戦する時期じゃないって、決めたんです。でも、稲刈りの後にもう一度、土が湿る程度に田んぼに水を放流して、全ての土地でひまわりを咲かせようってなりました。見た目もきれいだし、種は油で売ることができますからね」


G村はP村に比べても穂の実りは大きかったが、収穫量はやはり例年の6割ほど。
そして2012年3月、村の田んぼ一面にひまわりが咲いた。

県内一帯を見渡すと、昨年末以降、P村のようにほとんどのため池は干上がり、たくさんの運動場が広がっているような光景が「当たり前」である。
G村は魚がいたからある意味「手をつけずに置いた」だけで、幸運にも稲作後の農作物にも水が使えたのだ。
(通常、この地域では、稲作後にゴマやひまわり、緑豆等を栽培する)

両方の村ともに、ため池の整備はしていても、溜まった水をどうやって使っていくかという計画まではしていなかった。そもそも整備した時点では二期作なんて考えはなかったのだ。

村の人たちの思い込み、あるいは期待として、雨季は毎年決まった時期(6月から9月と10月下旬頃)にやって来て、たくさん雨が降ってくれる、というものがある。
しかしながら、よもやま通信第1部の6月や7月発行号を読み返してみても、毎年、村の人たちは雨が降らないと空を睨み、政府のお偉いさん達は雨乞いの儀式をしている。
もし「雨季はいつからいつまでですか」と聞けば、「6月から9月までです」と村の人たちは答える。
しかし、去年は?2年前は?3年前は?と聞いていけば、順調に6月から9月まで降った年などないことが明らかである。


天候をコントロールすることはできないが、水の使い方、言いかえれば農業のシステムを見直せば、少ない雨量でも必要な収穫量を確保することはできるかもしれない。
そしてやっぱり今までと同じように、水源地や山の中で、水や土を流し出さずに溜めていくという作業も継続していかなければならないのだ。
村のオッチャンオバチャンたちも、うすうすと、気付き出している。


2. 溜まった土、流れてきた土

水について悲喜こもごも起こっていた傍ら、村のオッチャンオバチャンたちは、前回事業で作った石垣(土壌流出を止める役割)やら堰堤(水流を弱める役割)やら苗木やらの、モニタリングのやり直しを始めていた。
水土保全のために設置した設備をそれぞれ見ている内、例えば川に作った堰堤では、
「土が溜まってて凄い。やった?」という人と、
「これだけの土が流されて来ていて大変」という人と色々だ。
堰堤の設備そのものをチェックするだけでなく、溜まった土もその厚さを見ることで、水源地付近からの土がそれだけ流れ出している、という状況を、感覚ではなく見て実感できる。

そしてひとつ一つ村の人たちが再モニタリングして気付いたこと。
「同じ川に作っても、堰堤が埋まりそうなくらい土が溜まっている所と、全然溜まっていない所がある」
そこで今度はソムニード(現ムラのミライ)が一つ一つ聞いていく。
「土が溜まっている堰堤と溜まっていないのは、それぞれどこにありますか?」
「その山の斜面には何がありますか?何が植わっていますか?」
「山の斜面に石垣があるのなら、石垣の役割は何ですか?」
こうした質問を重ねていって、一つの状況を発見した村人たち。

「石垣を作っていない山の川ほど、土がたくさん流れ込んできている」

そして、ここでもう一度、石垣や堰堤の機能について、絵を描きながら聞いていくと、一つの活動が生まれてくる。

「あぁそうか、土がたくさん流れ込んできている川の斜面に、石垣を作った方が、川に流れ込む土が少なくなるのか」

脱穀などの作業が終わり、乾季が始まった時期を利用して、川に土が流れ込まないための短期アクションプランを作って、石垣と堰堤の設置を行うことにした村の人たち。

「アクションプランって何だっけ?」という反応を、意地悪くも少し期待していた筆者だったが、さすがに「アクションプラン」という言葉にも慣れてしまっている村のオッチャンオバチャンたちで、
「はいはい、アクションプラン、作りまっせ―」と、場所を選定したら、予算作りも含めてさっさと表にまとめてしまった。

今回から少し違うのは、予算の何割かを村の流域管理委員会が負担すること。
そして3月までに、アクションプラン通りに石垣と堰堤の設置が完了した。

苗木はどうなったか?
山の岩だらけの斜面に植えた場所は、苗木が育つまで、豆や雑穀の畑作を行っているが、B村では、豆のツルが苗木に絡みに絡まって、見るからに成長を妨げている。

「だって、豆を食べるんだもん」と、はにかむ村の青年。脱力する筆者たち。

前回事業では、初めて自分たちの森から採集した種や根を使って植林したが、結果からして生存率はあまり芳しくなかった。
水源地付近は、近隣の村の野焼きの火が燃え移り、植えた苗木もほぼ焼かれてしまった。


ただ、山の中腹エリアでは苗木もすくすくと育っており、すでに子どもの背丈くらいになっているものもある。

「だけど、石垣より上の斜面に植えた苗木は、他の場所の苗木よりも、成長具合がとても良いですよ」
と、それぞれの村の人たちが発見している。
はてさて、この結果を踏まえて、これからどうするか?
再挑戦を始めよう。

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第3号「オラが村の調べ物」

 

目次

1.  最初のステップ
2.  調査と未来のお嫁さん
3.  生物多様性、名前もいろいろ

昨年度の雨が少なかったせいで、今年のカシューナッツやマンゴーの花の付き具合がよろしくなかったアーンドラ・プラデシュ州農村部。
花があまり咲かないということは、実もならないということで、村の人以上に筆者も困ってしまう。
45度を超える暑さが続く夏を耐え抜くためには、マンゴーが必要不可欠。どうなることやら。


 

1.  最初のステップ

さて、段々と昼間の研修は受けづらくなってきたこの季節、村の人たちの頭と身体にしっかりと刻み込まれた「流域」という概念だが、村の人たちも気になりだした「次のエリア」。
「流域って何ですか?」
と問うと、身体を使って説明するのが、村の人たちの定番。
「トップゾーン(水源域)は頭で、だから髪があるように木が必要になります。胸からお腹にかけてがミドルゾーン(集水域)。腰から下はローワー(lower)ゾーン(裾野)で、足の方は田んぼになります。この頭から足の先までを流域と言います」

「今まで皆さんが行ってきた流域での活動は何で、どこで行ってきましたか?」と問うとアレやコレやと口々にする。
そして次の質問を待たずして声にする村の青年。
「だから、後は『足』の部分で何かをしなければいけないと思います」

「何かって何?」と聞くソムニード(現ムラのミライ)スタッフに、
「さぁ・・?」と首をかしげるオニイチャン。

「2007年にソムニードとJICAと、この流域管理事業を始めた時、皆さんはまず何をしましたか?」
「植物図鑑を作りました」
「いきなり図鑑を作ったの?」
誰が村に来て、何をしゃべって、どこを歩いて、とひとつ一つ思いだしていくと、
「そうだ。自分たちの村に、どんな植物があるのかを調べたんだ」
そしてそこから、何が村にあってどんな状況にあるのかを知って、アクションプラン作りになったんだ、と嬉しそうな村の若者達。
するとすかさず発言する、頼もしいG村の青年リーダー、ガンガイヤ。
「次も、足の部分にあたる所に何があるのかを、まず調べないといけないですね」
「何って、田んぼだべぇ」というオッチャンに、若者たちが反応する。
「田んぼに何を植えているか、ということ?そもそも村の田んぼの面積はどれだけあるのか、僕は知らないなぁ」
「田んぼ以外にも、裾野から下の方にはため池があって、家があって、お寺もあるし、畑もあるしなぁ」
「家畜もいるから、家畜についても調べたらいいんじゃない?」
「そしたら、牧草地も入るのか?」
(お、良いところに目をつけた!)と心の中で拍手する筆者たち。
「いやいや、牧草地は裾野のゾーンじゃないし」
(お、ちゃんとゾーンのことも考えてる!)と感心する筆者たち。
あぁだこうだと調査項目を決めていく村の人たち。
確かに、牧草地は山の中腹にあったりするけれど、これから取り組むべき課題でもある。
但し、この時点では村の人たちに、とことん話をさせて、こちらから「この事を調べましょう」とは言わない。
言わなくても、「裾野にあるモノ/そこで今活動していること」から外れずに考えていけば、すでに植物調査を経験している彼らのこと、筆者たちが考えていることとそう大して違いは出ない。
ただ、そこから何を気付けるか、という過程にソムニードのスパイスが加わる。
(そこが筆者にとっては重責なのだが…)


そして決まった調査項目。
村の世帯数、人口、その内何人が、出稼ぎやら寄宿学校やらで村の外に出ているのか、家畜の数、といった基本的な項目から、家族ごとで政府スキームに2011年度に何日間従事したか、毎月の配給制度で受け取る品物や量、田畑・果樹園の耕作面積なども、調査担当の村人が家を廻って記録することに。
村全体で集まって調べるのは、栽培作物(自家消費作物と換金作物)、採集作物、耕作地別の農作業カレンダー、水の利用状況、放牧状況など。


2.  調査と未来のお嫁さん

世帯ごとに聞いて回る調査は、フォーマットも村の人たちで決めて、担当者が各家を廻る。
日本の農村地と違って、隣りの家まで数十メートルということはなく、長屋のごとく家が隣接しているのが南インドの農村地。
各家を廻るのもそう時間はかからない。
数日経って、調査をしたのか、どのように調査をしたのかを知るために、P村に行った時に、その辺のオバチャンをつかまえた。


「ナマステー。最近、何か調査をしてるらしいけど、あなたの家には誰か来たの?」
「あぁ、配給カード更新のための政府の調査のことかい?」
「あら、そんな調査もやってるのですね。それとは別に、あなたの村の人も調査をしてるらしいのですけど。」
「あぁ、もしかして、チャンドラヤのことかい?そういえば家に来たらしいね」
「あなたはその時いましたか?」
「いや、いなかったけど、うちのダンナから聞いたよ。家族構成とかその内何人がこの家に住んでいるかとか、牛が何頭いるか、鶏を飼ってるかとか、あと、田んぼや畑の面積を記録するからってことで、帳面も見せたらしいよ」
「そうなんですか。ダンナさん、ちゃんと話をしてくれるのですね。良いですねぇ」
「っていうか、こうこう答えたけど合ってるよな?って確かめてきたのよ。うちのダンナは家の事を知らなかったりするからねぇ。あはは」
そして別の日。
T村で、すでに記録された調査フォーマットを見て、記入漏れなどが無いか確認していると、ある世帯の調査表で不思議なことを発見。
「あれ、ブッチャイヤさんってもう結婚されたのですか?」と近くに居たオッチャンに聞く。
「いや、まだじゃのう?」
「でもここにお嫁さんらしき人の名前がありますよ?」
「この間、結婚する事が決まって相手の家族に会ってきたとは聞いたけど、よっぽど気に入ったんじゃのう」
え、そういうこと?と首を傾げるソムニード一同。



(T村の調査担当者を捕まえて)
「ブッチャイヤさんの家には、このお嫁さんはもういらっしゃるのですか?」
「いや、まだです」
「じゃぁどうしたら家族構成に記入できるのですか?」
「ブッチャイヤが、書いてくれって嬉しそうに言うから・・・それに、もうすぐホントに結婚するし」
何じゃソリャ、と脱力する筆者たちを代弁するかのように、
「そしたら、将来の子どもの名前も書いとけー」
と別の青年がツッコミを入れてくれる。
苦笑いしながら担当者は
「もう一度ブッチャイヤの家の調査票を作り直します」
とスゴスゴと去っていった。

似たようなことが、政府が実施する調査にも当てはまる。
P村のオバチャンが言っていた「配給カード更新のための調査」等で職業について聞かれると、あまり村の人は「農業/農家」とは答えない。
お役所に雇われて町から来る人は、パリッとしたシャツにズボンを履き、サングラスをかけてバイクに乗ってさっそうと村に入ってくる。
そして椅子にデーンと腰掛けて、いきなり調査を始める。


村の人たち(特に青年たち)の中には、そういう「外から来た一見さん」に対して少しでもカッコ良い姿を見せたくなるものなのか、職業に「Land Developer」と答えていたりする。
そして調査担当者も何の疑いもなくそのまま記入する。
畑を耕すのも土地開発か?と微笑ましく思ったりもするが、そうした記録を見ただけでは、「P村にはLand Developerが15人もいる」のか、スゴイなー、となってしまう。

調査ひとつにしても、正確な情報を知るためには、村の人たちと関係を作ることから始まる様々なプロセスが要るのだ。


3.  生物多様性、名前もいろいろ

そして村全体で農作業カレンダーなどを調べる作業を始める前に、

P村、G村、T村、B村から何人かが集まって、調査方法や書き込み方などの準備をした。
彼らの中には、山岳少数民族のサワラ語という言葉でしか知らない植物もあり、また、同じサワラ語でもG村とB村では微妙に違っていたりする。
P村はサワラ語を話さず、アーンドラ・プラデシュ州の公用語、テルグ語しか理解できない。
そのテルグ語もなまっていたりするのだが。


その日に準備した調査項目は、「牛のえさになる植物について」
農業については、あらかじめ農作物の写真や絵をこちらで準備できるのだが、牛のえさについては筆者たちも皆目見当がつかないため、葉っぱや枝を採って来てもらった。
この日は、それぞれの草などが、何月から何月まで採集できるのか、ということをカレンダーに落とし込む作業をしたのだが、名前を確認するだけでひと作業。

「この植物は、サワラ語で××と言います」(G村)
「ちがうよー。×○×だよー」(B村)
「何言ってんだ、××だろう。山奥に住んでるから、ちゃんとした名前知らないんだよ」(G村)
いやいや、G村も立派に山奥の村だし・・・と心の中でツッコミを入れる筆者たち。
「これは、テルグ語では△△ですね」(T村)
「違う違う、テルグ語では△○って言うんだよ」(P村)
「間違ってないよー。△△で合ってるよー」(B村)
「田舎者のテルグ語はナマってンだべ」(P村)
いやいや、P村のあなたたちも立派な田舎者ですから・・・と
またまた心の中でツッコミを入れる筆者たち。


なんだかんだと言いながら、こうして採って来てもらった葉っぱや枝は標本にして、後日、植物の専門家から学術名などを教えてもらう。
そうすることで、適切な種の最終方法や植林方法を調べることもできるのだ。
ツッコミ所満載な作業だったが、なんとかフォーマットやら調査方法やらの準備も最低限整った。
何をしているのかを共有するためにも、限られた人だけでなく、なるべく大ぜいの村人が参加した方が良い、ということになり、調査日を設定して、お昼ご飯も流域管理委員会で準備することになった。
果たして、どのような珍回答が出て、どんな結果が出てくるのか…
筆者自身がとても楽しみな今回の調査。
そして忘れていはいない、前回から続く植林の再挑戦。

次号に続く!