2023年2月21日火曜日

メタファシリテーションのできるまで(7)

インタビュー修行は順調だったものの、それが現場ですぐに活かせるかというとそうは簡単にはいきません。自分で計画し、相手にお願いしてさせてもらうインタビューは、いわば事前にそれなりに聞くことを想定し、自分が聞きたいことを質問していくのですから、慣れてくればそれは順調にいくわけです。しかし、現場で、その場で、しかもいつも違う状況の中で、となると話は違います。こちらが望むようなおあつらえ向きの状況、そんなものがあれば、の話ですが、などありようはずもありません。

 

その場で確かめられることは、その場で確かめる

しかし、そんな状態からのブレークスルーのようなものが、ある日訪れました。ちょうど乾季の暑い日だったことを覚えています。ある村で、1人の農民の乾季の「困りごと」についての聞き取りを行なっていた時のことです。乾季の農民、特に「土地なし」の農民にとっては、仕事がないというのが「困りごと」のパターンです。この時も、私は彼の話を聞く前から、「仕事がない」、では「何か仕事を生み出すプログラムを考えなければいけませんね」などという埒もない想定問答を考えながら対話を試みました。

私:今、何に困ってますか。
彼:農繁期ではないので、仕事がないです。
私:なるほど。それはいけませんね。で、今は何をしているのですか。
彼:唐辛子を作っています。
私:えっ?(彼は、「土地なし」農民じゃなかったっけ)唐辛子って、どこで作っているのですか?
彼:ほら、あそこ。斜面の畑。
私:(なんと、あそこは彼の畑?)
 

この話は、「途上国の人々との話し方」にも紹介しています。その場で確かめられることは、その場で確かめる、ということが漸く体に落とし込めてきた、そんな感触を得た最初の例なので私の記憶に残ったやりとりだったのでしょう。このような問いかけができると、そのあと、「いつから作っているのですか」、「唐辛子の前は何を作っていたのですか」、「収穫はいつですか」、「収穫後は誰に売るのですか」など色々聞けますね。「農繁期ではないので、仕事がないです」に対して、「それは困りましたね、どんな支援が必要ですか」と返してしまえば、彼との対話はそこでお終い。対話が終わってしまえば、彼について何も知ることができず、つまるところは彼のリアリティーに迫ることはできず、十年一日のごとく同じようなプログラムを続けることになります。


支援という名の視野狭窄

しかしこれ以上に私に学びを与え、その後の現場でのパフォーマンスを向上させるきっかけを与えてくれたのは、「ほら、あそこ。斜面の畑」です。私にとって、これはちょっと衝撃的でした。なぜなら、それまで私は村に行って、村のことを観察したことがなかったのです。もっと端的に言うなら、農民相手のプログラムをやっているのに、農業の現場そのものをじっくりと観察したことがなかったのです。ちゃんと観察していたら、このやり取りももっと違ったものになっていたでしょう。例えば、

私:いやー、暑いですね。今年の夏も焼けるような暑さですね。
彼:まったくだ。
私:ところで、あの丘の斜面の畑、あれはどなたの畑ですか。
彼:あぁ、あれか。あれは俺んだ。
私:そうなんですね。今は何を作っているんですか。
彼:唐辛子さ。
私:いつから作っているんですか。

という具合に、最初から「相手の話を聞く」ということができるようになります。言ってみれば簡単な話です。しかし、この簡単なことに何年も気づかなかったのですから、お恥ずかしい話です。これも、それまでは常にプログラムありきで村に行っていたからでしょう。支援という名の視野狭窄です。

 

世界は話のネタに満ちている

こうして、まず観察する、それも農民に会って話を聞くまでに、周りをよく観察しておく、そして話を聞く相手のこともよく観察するということを意識的にやるように心がけるようになりました。すると、なんと世界は話のネタに満ちているではありませんか。というより、観察するだけで、自分がまったく知らないことをどれだけ見過ごしてきたのか、よく分かりました。あそこに植えているのは、ソルガムだな、ソルガムはいつ頃植えていつ頃収穫するのだろうか。あ、この人が持っているナタはどこで買ったのだろうか、どんな作業に使うのだろうか、など、こちらが学ぶべき教材が、答を教えてくれる人とともに私をいつも待ち受けていたのだということをやっと理解したのです。

 

これですぐにやっていることが変わったかというと、そう簡単にはいきませんでしたが、このことに気づくと、なんだか私の視界を覆っていた靄が、少し晴れたようなきがしてきました。なんだ、未来は明るいじゃないか、とまではまだいきませんが。

 

この続きは、また次回ということで。

和田信明(ムラのミライ海外事業統括)



2023年2月1日水曜日

私のメタファシリテーション活用法

メタファシリテーションを学び始めてから10年以上が経ちました。仕事や地域活動、身近な人とのコミュニケーションなど様々な場面で助けられてきましたが、中でもメタファシリテーションを学んだおかげで、家族関係が明らかによくなったというのは私にとって一番大きなことです。今回は、私がどんなふうにメタファシリテーションを取り入れて、その結果、家族関係が良くなっていったかについて1つの例をお話したいと思います。私のやり方がみなさんにも効果的なものかはわかりませんが、あくまで私個人のストーリーとしてお読みいただければと思います。

いつの時期かはっきり覚えていないのですが、学び始めて2年くらい経った頃だったでしょうか。帰りが遅いのに連絡がなく、何度携帯に電話をしても出ない夫に対してイライラしていた時のことです。1人で待っていて、不安が募り、色々な妄想が私の頭の中を忙しく駆け巡っていました。「どうして帰ってこないし、電話も出ないんだろう」から始まり、「もし何かよくないことがあったらどうしよう」「私をこんなに心配させるなんて、最低だ」「わざと連絡しないで私を困らせようとしているんじゃないか」「私への嫌がらせだ」「今回だけじゃない、そういえば前には〇〇のことで嫌な思いをさせられたんだ」と思考はどんどんエスカレートして、だんだん夫への怒りも湧いてきました。


そうした中でメタファシリテーション講座で、感情、考え、事実という現実を構成する3つの要素をまずは区別できるようになることがメタファシリテーションの第一歩であると学んだことを思い出し、今の状況を整理してみることにしました。起こっていることをメタ的に観察したのだと思います。「事実」は夫が帰ってこないということ、そして4回電話しても電話に出ないということ。その他の部分は自分が作り出した「考え」だと気づきました。「事実」と「考え」を頭の中で整理すると、いかに自分の作り出した「考え」が自分の不安や怒りを煽っていたかがわかり、それだけでだいぶ冷静になることができました。

そして、過去の同じようなケースでのやり取りを振り返ってみると、やっと夫から電話がかかってきた時に、「わざと連絡しなかったんでしょ!」など自分が作り出した「考え」をぶつけていたということに気がつきました。夫はそんな時ムッとして謝ることはありませんでした。私としては、こんなに嫌な思いをさせたのに、謝りもしないで!と心の中で思っていましたが、「考え」の部分は私が自分で作り出したもので、当然夫と共有していないので、理解できなかったのだと思います。


その後、私は不安になってきた時、怒りを感じた時などには、何が「事実」で何が「考え」かを意識し、「事実」に意識を集中するようにしました。それでも「考え」がしつこく浮かんできたら、その考えに対して、自分で事実質問をしてみたりもしました。もう1つ徹底したのが、相手とのやり取りの中で「考え」は持ち出さないということでした。最初は「考え」にどっぷり浸かりきって、あ、これは自分が作り出した考えだ!と気づくのに時間がかかったりもしていましたが、だんだんと自然にできるようになってきました。その結果、何と言っても自分が作り出す「考え」に振り回されることがなくなって本当に楽になりましたし、楽になったことで夫との関係が良くなったと感じています。

久保田絢(ムラのミライ理事/メタファシリテーション認定トレーナー)