2023年8月3日木曜日

メタファシリテーションのできるまで(14)

2000年代に入るとにわかに慌ただしくなった我が身、というほどでもありませんが、自分の団体以外の仕事が入るようになってきました。と言ってもJICAの短期専門家とJBIC(国際協力銀行)の短期専門家ですけどね。当時、ODAの方も機会があったらNGOを使ってみようという風潮(?)があったようで、インドでもJBICが活動をしている日本のNGOを調査していました。調査は東京の老舗NGOシャプラニールが委託されていて、下澤嶽さんがわざわざパタパトナムまで来てくれました。2002年のことです。その後、下澤さんが好意的に報告してくださったのか、南インドのある州政府の森林プロジェクトのインパクト調査の予備調査をやってみないか、というオファーをJBICのインド事務所からいただきました。2週間ほどの期間だったと思います。それまで契約を交わして、仕様書に従った仕事をするなど、しかもそれらがいきなり英語です、やったことがなかった小さな、けし粒のようなNGOにとっては、難儀なことでした。でも、どうにかこうにかやり遂げて、なんだか数十年ぶりで学生に戻った気分で、英語で報告書を書き上げ、提出しました。これがその後累積で数千ページになる英語での報告書の最初の一つとなったわけで、まさか50歳をすぎてこんなことをするようになるなんて、人生なんて分からないものです。その報告書が合格だったみたいで、その後、半年にわたる本調査も発注していただけました。この本調査は、本当に助かりました。なぜなら、その時、JICAの草の根技術協力プロジェクトが一つ決まっていたのですが、インド政府の許可がいつ来るのだろうかという宙ぶらりんの状態で、最も困ったのが、お金がないということ。どうやってJICAのプロジェクトが始まるまで生き延びようか、という状態だったのです。最も慢性金欠状態の小さなNGOにとっては、珍しいことではなかったのですが。


私たちが従事したインパクト調査の対象は、住民参加型森林プロジェクト。南インドのある州政府森林局のプロジェクトです。資金はJBICが供与していた日本の円借款、つまり円借款プロジェクトだったわけですね。確か5年のプロジェクトで、私たちが調査に入ったのはその最終年だったと記憶しています。まあ、確か何十億円というプロジェクトですから、私たちのようなささやかな団体からすれば、台所の隅からいきなり大きなスタジアムの真ん中に引き出されたような、そんな感覚ですかね。別に、私たちがこのプロジェクトをやったわけではないのですが、いきなり大掛かりな仕掛けのものに関わらなければならないというので、こんな気分にもなったわけです。この調査をするために、まず調査チームを立ち上げなければならず、わがムラのミライ(当時はソムニード)から原康子、ラマ・ラージュの3人、そしてJBICに紹介されたインド人の専門家が5人、タミール語-英語の通訳が2人、がメンバーとなりました。私がチームリーダーということで、実際に調査のマネージメントは原さんとラマに頼り切り。二人が頑張って取り仕切ってくれました。この時にチームに専門家として加わってくれた5人のうち3人は、その後、何度も一緒に仕事をするようになり、しかも3人ともそれぞれの専門分野では、私の師匠ともいう存在になりました。このお三方は、それぞれ灌漑、植物(森林)、マイクロクレジットの専門家で、しかもいわゆる机上の専門家ではなく、それぞれの活動で長年の経験と実績を持った方々でした。これから約10年というもの、随分と彼らと一緒に仕事をすることになりましたが、仕事をするたびに実地で勉強させてもらうという役得がありました。門前の小僧みたいなものですが。最も、植物の師匠には、「お前は、いつまで経ってもマンゴーとカシューナッツの木しか見分けられない」と呆れられたものです。


カシューナッツ

さて、この仕事は私の「それから」に大きな学びを与えてくれました。学びは二つあります。まず、第一に、この仕事を通じて私は「マイクロ・ウォーターシェッド」という考え方を学びました。なぜこんな考え方を私が学ぶことを得たかというと、関わったプロジェクトが、このマイクロ・ウォーターシェッドという枠組みで村単位の森林管理をしていたからです。この考え方が、私にどのように村を俯瞰的に見るかという視点を与えてくれました。まあ、いわば村を理解するための枠組みのようなものです。「ウォーターシェッド」と言うのは、日本語では分水嶺です。例えば、「〇〇峠は、日本海側と太平洋側を分ける分水嶺です」などという言い方を耳にされたことがあると思います。一つの地域にこの分水嶺はいくつもあります。特に周囲を山や丘で囲まれている村があるとすると、その村は、要は分水嶺で囲まれていると言うことができます。そして、この村は分水嶺から流れてきた水が集まったところから流れる渓流や川、あるいは地下水を利用して暮らしを営むことになります。さらには、この村の周囲の自然、森や林、草原などもこの水を利用して成り立っています。このような枠組みが与えられると、自然資源の維持管理なども総合的に、系統的に計画、実施することができます。この話をしだすと、キリがないのでこの辺でやめておきます。ところで、この考え方がメタファシリテーションのどこにどう関わるのか、それはおいおいお話しすることにします。

マンゴー

二番目は、「住民参加型」ということについての学びです。何せ、調査したプロジェクトが前面に押し出しているのが、この「住民参加型」。プロジェクトの柱となるコンセプトが「Joint Forest Management」、つまり政府と住民が「一緒に(joint)」に森林管理をしようというのです。これには、それまでの政府森林局と国有林周辺の住民(周辺の村の住民ということですね)の長い確執の歴史がありました。はっきりと言えば、森林局にとって住民は取り締まりの対象でしかなかったのです。住民から言えば、森林局は自分たちの資源を使うことを取り締まりの対象とする圧政者、よく言って煙たいお上というわけです。この数十年、インドの森林は危機的状況にあります。有体に言えば、森林が荒廃していっています。その大きな原因が周辺住民による囲い込み、違法伐採、家畜による被害などです。で、森林局の職員は、違法伐採の取り締まり、囲い込みに対する裁判、など、住民に対しては、警察や検事みたいなことをするのが、仕事になっていました。しかし、それではキリがない。それでは、いっそのこと住民にある程度国有林を利用する権利を与え、その代わり地域住民が森林を保護、管理する組織を作って森林の保護育成を図っていく、というのがこのジョイント・フォレスト・マネージメント(共同森林管理)というわけです。


これは典型的な「住民参加型」のプロジェクトです。で、どんなプロセスを踏んでいたかというと、まず対象となる村に「管理委員会」を組織してもらう。そしてその「管理委員会」と共同森林管理の協定書を取り交わす。この協定書には、簡単に言えば、住民がしていいこと、してはいけないこと、どんな権利を森林に対して持つかなどが書いてあるわけで、共同管理のバイブルみたいなものです。そして、そのような共同管理をするご褒美として、5年間の村の開発プロジェクトを実施します。そのために作られるのが「マイクロ・プラン」。村でどんなプログラムを実施するのか、年度ごとの計画が記載されています。これだけ見ると、なんだか素晴らしい「住民参加型」のように見えますが、そうは問屋がおろさない、というのが実態でした。私がここで学んだのは、本当に住民主体で何かをやろうとしたら、絶対こういうプロセスを踏んではいけない、ということでした。この教訓は、その後私たち自身がやったプロジェクトに反映され、住民参加型、というより住民主体のプロジェクト、住民主体の活動を作り出すのはこうやればできるのだ、という方法論を確立するのに随分と役立ってくれました。反面教師として。


だって、これまで警官のような制服を着て、場合によっては鉄砲を持って違法伐採者や違法開墾をする村人たちを追いかけ回していた現場の森林局職員が、急にニコニコしながら村にやって来て、「お困りごとはありませんか」、「こんなプロジェクトを一緒にやりませんか」などと言っても、すぐに相互の信頼関係が生まれるはずがありません。で、「お困りごと」を聞くと、村人はここぞとばかりに「ああして欲しい」「こうして欲しい」というおねだりをします。すると、本来は、村の主体的開発計画になるはずのマイクロプランは、おねだりリストと化します。そして、プロジェクトの初年度に、予算が許す限りの「おねだり」を実現してしまうと、後は、マイクロプランの存在は忘れられます。あるいは、マイクロプランの存在は村の有力者しか知らない、さらに極端な場合は、村人は誰もその存在を知らないという場合さえあります。ですから、村人がマイクロプランの存在を知っているだけでも、それは大したものだ、という認識を私たちは持つようになりました。とほほ、な話ですけどね。この州の話ではありませんが、私が別の州で調査をしていて、村人に、この村の開発計画はどこに書いてあるかという質問をしたときに、「マイクロプラン!」と即座に村人が答えたのに感心したことがありました。ところが、ではそのマイクロプランを読んだことはあるかと聞くと、これもまた即座に「ない!」と答えるではないですか。思わず「なぜ?」と聞くと、「英語で書いてあるから読めない」そうです。この時、そばにいた森林局の偉い人が、そっと耳打ちしてくれました。村人のおねだりを全部マイクロプランに書いてしまった。ところが、それを全部やる予算がない、この村には有力な政治家がいてなぜ実行しないんだと追求されると困る、だから、村人には読めない英語だけのマイクロプランを作った・・・。これを聞いた私と中田さん(中田さんもこの時は調査団のメンバーでした)は、思わずその場で吹き出しそうになって、笑いを飲み込むのに必死でした。


また、この頃はマイクロクレジットが大流行りで、どこの団体も、政府系であろうと、西欧のおきなNGOであろうと、多くの組織が競い合うようにマイクロクレジットを村に、都会のスラムに持ち込んでいました。やり方としては、女性にマイクロクレジットのグループを作らせ、そのグループにクレジット(貸付金)を与えるというものです。その代わり、グループでは貯金をする、その貯金を銀行に預け、それが貸付金に対するギャランティーになる、ざっとこんな仕組みです。貸付金は、やれ教育資金だの起業資金だのとお題目がついている場合が多かったのですが、借りる方にとっては、それは建前。私の知る限りそのほとんどが生活資金として日々の消費や他の借金の返済に消えていくものでした。この共同森林管理のプロジェクトも、そのプログラムの一つとしてマイクロクレジットをやっていました。実は、植林をした際、苗木の天敵はヤギや羊です。新芽を食べてしまうから。だから、このプロジェクトでは、ヤギを売ったらクレジットを与えるというふうにしていました。で、ある村のある女性グループに話を聞いたところが、その答えが以下のよう。
「ヤギを売ったのですか。」
「はい、売りました。」
「で、貸付金はもらえたのですか。」
「はい、もらえました。」
「その貸付金は、何に遣いましたか」
「ヤギを買いました。」
これには、私も、彼女たちの話を聞いていた他の調査団のメンバーも腹を抱えて笑いました。グループのおばちゃんたちも、一緒に大笑いです。この会話は一部を切り取ったものですが、このようなおばちゃんたちの本音話を聞き出すためには、それまでにどのようにどのように話を聞いていくかにかかっていることは言うまでもありません。


和田信明(ムラのミライ インハウスコンサルタント)