2012年11月19日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第5号「オラたちの仲間探し&理想と現実の農地利用」

 

目次

1. 新しい仲間の探索開始
2. キンチョーの初対面
3. 研修って、こういうこと
4. オラの村の変化
5. 理想と現実のギャップ
6. 笑顔の向こう側


南インドでの気候では、6月から8月までの本格的な雨期の後、10月下旬ごろから2週間程、短期間の雨期がある。
10月は稲穂に実が付き始める前で、十分な水分を土に溜める重要な雨。
だから全く降らないのも降り過ぎるのも困る。
今年は雨があまり降らない内に、10月になって急に気温が下がりだした。
気温20度前後で「なんか寒いねー」と言い合う頃、久しぶりに黄門さまがインドにやって来た。

1.  新しい仲間の探索開始

この通信に登場するG・T・B・P村の人たちは、よもやま通信第1部から、一緒に活動をしてきている。

自分の土地だけ何とかすればいい、というのではなく、村全体で水や土を守り、森を育てるという意識に変わり、それを実行してきた。
そして今、こうした活動を近隣の村々にも広げようじゃないか、と村の人たちが動き出したのが6月頃。
村から何人かが指導員になって、流域管理とはなんぞやという事を伝授し、一緒に水や土、森を守っていく仲間を増やしていこうということになった。

「どうやって、他の村を巻き込んでいきますか?」と、指導員14人に尋ねるラマラジュさん。
「村に行って説明したり、研修したりすればいいかと。」
「どうやって、その村を選びますか?」
「関心のある村?」
「どこの村が関心あるかないか、知っていますか?」
「たぶん、あの村とあの村と・・・」
「そうした村の人たちは、あなたの村で何をしてきて、何が変わったのか、ということを知っているのでしょうか?」
「いや、きちんとは知らないと思う。」

こうした会話を続けていき、「そうだ、オラの村で発表会を開こう」ということに。
何を言葉で説明して、何を見せて、どこに連れて行くのか、それぞれの村の指導員たちがああでもない、こうでもないと頭をひねる。
自分の村の模型を使って、お互いに意見を言い合い、「石垣を見せて、ため池に連れて行って…」と、コースも考える。

「ひとつ聞いても良いですか?」と切り出す筆者。
「ため池とか石垣づくり、植林、こうした作業は、この流域管理事業でなくても政府スキームとかでもしてますよね?それとあなたたちのした作業とは、何がどう違うのですか?」


ハタ、と動きを止める指導員たち。
そしてこの質問は、そのままズバリ、G村での説明会の時に参加した、他の村のオッチャンたちからも発せられたのでした。
G村の指導員4名は、その時にこう答えていました。

「政府スキームで同じように石垣を作るとき、あなたは何をしましたか?…そうですよね、ただ人足として石を運んで労賃をもらっただけですよね。僕たちもそうでした。だけど、ぼく達が流域管理事業で行った時は、自分たちで場所を考えサイズを測り、コストを計算して、作業を管理しながら実行したのです」
「それに、政府スキームはぶっちゃけ、お金をもらうためだけにやるだろう?だけど、オラたちの活動は、村で水不足や土砂崩れなんかにもう困らないようにするためにやったんだ。だから、川に沿った山の斜面にたくさんの石垣を作ったし、水源地にも植林をしたんだべ」


読み書きのできないオッチャンも得意げに話すと、説明会に来ていた村の人たちは、自然とこう頼んでしまう。
「オラ達にも、どうすればいいか教えてくれる?」


2.  キンチョーの初対面

7月から9月にかけて、G・T・B村でこうした場面が繰り広げられた。
そして筆者たちソムニード(現ムラのミライ)スタッフも指導員について行って、これから事業に参加したいという村々を実際に訪れた。
初めましての挨拶から、一緒に村の中を歩かせてもらっても良いですか?と許可を求めてから、彼らの案内に沿って、山の中を歩きながら色々と話を聞いていく。
それは、よもやま通信第1部第1号にも出てくるように、最低限必要なルールだ。
8月からインド駐在を始めたショーコにとっても、初めて体験する場面であり空気である。


発表会に来ていたのがオッチャンや青年たちばかりだったので、実際に村で会うオバチャンたちは、興味と警戒心の入り混じった顔で筆者たちを見つめてくる。
関係が築きあがったG・T・B・P村とは違う雰囲気のミーティング。
それでも指導員たちと村の人たちとの会話に加えてもらいながら1~2時間も過ごすと、オバチャンたちも陽気に話し出す。

「私たちも、研修を受けたいわー」ということになり、
「それじゃぁ、ぼく達(指導員)も準備ができたら連絡しますから、その時には研修日時と場所を、皆さんから言ってくださいね」と、指導員がそれぞれの場所で告げていった。

指導員たちは、こうして『関心のある村』を発掘しながら、同時に、「研修とは何か、指導員はどうあるべきか」といった研修も受けていっている。


3.  研修って、こういうこと

そして10月下旬、黄門さまの久しぶりのインド再来である。
2週間も前から、G村の青年リーダー・ガンガイヤは「何を聞かれるんだろう、僕は何を話せばいいんだろう」と緊張しっぱなし。
G・T・B・P村から指導員たちを含め、黄門さまに会いたいオッチャンオバチャンたちが人数制限の下集まり、そして彼ら指導員たちから研修を受けたいという5村からも、オッチャンたちがソムニードの研修センターに集った。


「みんなナマステ。G・T・B・P村のお前さんたち、久しぶりじゃな。」
「はい、お久しぶりです黄門さま!」
「新しくここに来ている村の人たちよ、ソムニードの研修を受けるときには、ただ座って聞いておればいい、というものではない。ここに来たら、脳みそを使わねばならぬ。いつも何かを学んで帰って行ってくれ」

新参の村人たちは、いったい何が始まるんだろう、とドキドキしながら黄門さまの話を聞いている。

「では、今からエクササイズをしてもらおう。G・T・B・P村のお前さんたちは、新しい村の人たちに何を教えたいのか、新しい村の人たちは何を学びたいのか、それぞれ50個挙げてごらん」

ニンマリする古参の村人たちと、おっかなびっくりの新参の村人たち。
うれしいことに、新参の村人たちも時間をかけて、50個書き上げた。

そして発表が済むや否や、黄門さまから繰り出される次のお題、
「その中から、まず指導しなければいけないこと10項目、まず最初に研修してほしいこと10項目を、選んでごらん」

ひきつった笑顔を浮かべながらも、新参の村人たちもグループで考える。

「指導員の人たちからまず学びたいことで、水をためること、土壌流出を止めること、マンゴーがもっと採れるようになりたい、土砂が流れてくるのを少なくしたい、石垣の作りかた・・」
「ちょっと待ってくれるかの。最初の土壌流出を止めることと、後で言った土砂が流れてくるのを少なくしたい、というのと、何が違うのじゃ?」
「え~っと、何が違う・・?」
「ワシにはあまり違わないように思えるがの?」
「はぁ、たぶん」
「もう少し考えてみぃ」

新参の村人たちは、発表会で聞いていた「成果」が頭に残っており、自然とこの活動を始めたら「土を守るんだなー」「水がたまるんだなー」と期待している。
中には、もう少しクリアに意見を言う村人もいるけれど、黄門さまは筆者たちに対して、「ここがボトムラインじゃよ」とも見せてくれているのだ。
そして、G・T・B・P村の村人指導員たちに対しても、「どういう順序で指導していけばいいのか」を考えさせた。

「こうしてお前さんたちは研修を受けていくわけだが、本当に指導員たちから研修を受けたいんじゃな?」
と新参の村人たちに対して聞く黄門さま。
同じように、「お前さんたちも、指導していきたいんじゃな?」と指導員たちに尋ねる。

どちらからも、意気揚々とした声で「もちろんです」という返事が返ってくると、黄門さまは「後はわかるの?」と筆者たちに言い残し、連日のおもてなしインドご飯で膨れたお腹を抱えて、ヒマラヤの国ネパールへ戻って行った。

黄門さまが去ってから、本格化していく指導員研修。
「教えるのではなく考えさせる」ためにはどうすんべ、とまずは自分たちの頭を使わなければならない指導員。

その前に指導員に研修をする筆者たちは、指導員たちの顔を思い浮かべながら
「こういうお題でエクササイズしてみる?」
「いやいや、その前に前回の例を使って軽くウォーミングアップだ」
と、筆者たちも頭を使う毎日。
指導員たちの可笑しくも目を見張る成長の様子は、また次回。


4. オラの村の変化

そして、前号で少し触れた「オラ達の農業」。

この通信に登場するG・T・B・P村で農業をするという時、水田、乾地、山の斜面に切り開いた畑、そして家の周りでのキッチン・ガーデンや果樹園、これらが主な農地である。


自分たちで今、何をどこでどのように耕作しているのかを、自分たちで調べたのが今年4月から6月にかけて。
そしてその過程において、どんなつぶやきがあったのかは第4号をご覧いただきたいが、併せて調査した他の項目についても、その結果についてみてみることに。
実は2008年にも同様に、世帯数や家畜数、耕作地の面積なども調査していた。
筆者の予想通り、見事なまでにそれを忘れている村人が多いのだが、嬉しいことに1人か2人は覚えているもので、当時のオラの村事情とも比較してみた。

「農耕用の牛の数が減ってるなぁ」
「でもヤギの数は増えてるよ」
「農耕用の牛は世話がかかるだけだしねぇ」
「ワシは放牧を担当してるけど、乳牛はよく走り回るから見てるのが大変なんじゃ」
「収入は増えてるけど、モノの値段が上がってるから、生活が楽になったって気はしないよねー」

「なんか、土地の面積が変じゃない?」
「う~ん、あの時は土地登録しているところしか、確か取り上げてなかったような気が・・」
「しかしこうやって見ると、調査って変化が分かって良いもんじゃな」
「また5年後に同じように調査すんべ。その頃はどうなってるんだろうの」

と、老若男女それぞれに発見をし、より正確に記録を取ってこれからの研修に使えるよう、G村やB村は土地の面積を調査し直すことにもなった。


5. 理想と現実のギャップ

そして、家畜の餌や薪に使う植物を、今現在、どこから採っているかについても、村の絵地図を使って確認する。

「あなたたちがよく放牧したり利用している植物、山のどこから採ってきているのでしょうね?」

薪と農耕用の牛が好む餌について、やはり調査の時にランキングを行ったのだが、そのトップ10の種類をどこから採取しているのか、山から集落まで描いた簡単な絵地図に落としている。


それを見ながら尋ねる筆者。

「はい、水源地付近から採ってます」と威勢よく答えるG村のオッチャン。
「隣の村の山まで行って、放牧してるのよ」と、絵を見ながら答えてくれるオバチャン。
「あれ?みなさんは、水源地や山の中腹はどうあるべきだって言ってましたっけ?」
「頭の髪の毛のように、山のてっぺんの水源地は木に覆われて、人間や家畜に荒らされず・・・・うふふふふ」
と最後まで言い終わらずに苦笑いするニイチャン。
「だって、まだ苗木は育ってないし」
「だって、植えても隣村の人たちに焼かれたり抜かれたりするし」
「だって、他に牛を連れて行くところないし」
と、口々に理由を告げる。B村でもT村でも同様である。

「だけど、流域管理事業をしてきた僕らは、やっぱり水源地を荒らしちゃダメだし、薪や放牧はもっと集落に近いところから採るべきだ」と、G村の若き青年リーダー・ガンガイヤは、他のオッチャンやオバチャンたちに、身振り手振りを使って説明する。
「そうよねー。アタシも、山の上まで行って薪を取ってくるのはホントしんどくて嫌なのよ。山の上まで行くと1日仕事だけど、麓のあたりだと半日もかからない。薪集めの時間が短くなると、他の作業ができるのよ」と、オバチャンが力を込めて主張する。
「もっと麓や集落付近で、家畜の餌も薪も、採って使えるようにしたいわぁ」というオバチャンたちのつぶやき。

よもやま通信第1部にでてきていたオラたちの村の未来予想図は、「どのように自然資源を守るか」という視点が強かったが、これからは「守りつつどう使っていくか」という視点から、村の将来像を描いていく。

このオバチャンのつぶやきもまた、その村の将来像に落としていくのだが、それはもう少しオッチャンオバチャンたちが脳みそを沸騰させてから。


6. 笑顔の向こう側

こうした作業をしている中、村を歩き回っていろいろ観察していたインターン生、チンナ・キョーコ

「あのぅ、私気づいたんですけど、B村はたくさんのお家で家庭菜園をしてるのに、G村はほとんどしていませんね。」
「そうなのよねぇ。G村は家の周りに場所がないから、二軒ほどしかしていない。場所がないから栽培できない、と思っているんだよねぇ」
と、村のオッチャンオバチャンたちが、彼ら独自の言葉サワラ語でワイワイ議論している傍らで、和やかにやり取りするチンナ・キョーコと筆者。

「あぁ、だからガンガイヤさんが空間を利用した家庭菜園というのをして、あんなにステキな笑顔を見せていたのですねぇ」
このガンガイヤのステキな笑顔は、ソムニードのフェイスブックにもアップしてあるのだが(2012年7月20日記事)、地面(平面)に場所がないなら、空間を利用して野菜を育ててみようと、彼だけがトライしているものである。


他の村のオッチャンオバチャンもこうした栽培には興味はあるものの、腰が引けてすぐに行動に移すのは難しい。

こうしたキッチン・ガーデン含め、乾地、山肌の畑、水田で、自分たちが食べていける農業が、そして放牧や薪の採集の理想を現実にした土地利用が、これから進んでいく。
つまり、森を中心に土や水を守りつつ、農地でそれらをうまく使っていく、そんな村の絵が、オッチャンオバチャンたちにも、おぼろげに見えてきた。

前号で予告していたこれからの村の計画図は……また今度。
よもやま通信第2部が始まって約1年、今まで村のオッチャンオバチャンたちがしてきたことは、こうして次なる展開へとつながってきた。
指導員として流域管理をしていく仲間を増やしていくのと、自分たちの農地利用の改善と、ますます多忙になるオッチャンオバチャンたちだが(そして筆者たち‥)、今後の山あり谷ありを楽しみにしていただきたい。


注意書き

黄門さま=ソムニード共同代表の和田信明。現在ネパールに駐在し、親方としてバクマティ川再生プロジェクトに取り組む。今回は約1年ぶりのインドへの里帰り。

ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部でもおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。

筆者=前川香子。プロジェクト・マネージャーを務めるが、いまだに事業名が長すぎて覚えられない。

ショーコ=池崎翔子。まだインドに来て数か月。体験することすべてが新鮮なその眼を通して書いたエッセイ、「インドつれづれ」もどうぞご覧ください。

チンナ・キョーコ=松本京子。ソムニード関西事務所のインターン生。筆者と同じ名前のため、インドでは「チンナ(=ジュニア)キョーコ」と呼ばれ、ラマラジュからも、体力には合格点を付けられた。インターンの日々についても、「インドつれづれ」で掲載予定。

フェイスブック=ソムニードのFacebookページ。よもやま通信では書ききれない、研修の一コマや日常風景もアップしています。フェイスブックのアカウントが無くても見られます!