2017年8月29日火曜日

コミュニティ開発プロジェクトの「あるある」セッティングを変える~これがホントのメタファシの力・・・かな?②

前回の続きで、一対多の場合、どうやってすでに主催者側の思惑で場が設定されている、そして動員されている側も義理でつき合っている状況を崩していくのかというお話をします。


まず、ひな壇に椅子が並べられていたら、ひな壇から下りて、なるべくコミュニティからの参加者に近づきます。ほとんど、最前列で聞いている人たちに接触するくらいに。

ある意味、あざといやり方ですが、参加者との物理的距離の近さ、訓示を垂れるのではなく、お説教をするのではなく、あなたたちに語りかけるのですよ、ということを態度で示す。それこそ、何百人もいる広い会場ではできないことですが、せいぜい最大100人くらいの会場では可能なことです。参加者の人数が2,30人程度で、おなじフロアに、お偉いさんたちの椅子が置いてあるというだけのセッティングだったら、椅子から下りてみんなと膝をつき合わせて床に座るということをします。

実は、これは腰痛の出やすい私のような年寄りには辛い話ですが、最初が肝心です。こういうときは、私もできる限りやせ我慢をします。最初にこうすると、あ、こいつはなにをするんだろうな、ということでまず、最初の物理的な「つかみ」ができます。


さて、物理的に「つかめた」としても、後が続かなければどうにもなりません。問題は、これから話をする、参加者に語りかける私が何を話し始めるのか、どんな話題から始めるのかで、大げさにいえばその後の活動の展開そのものが決まってしまいます。ま、あまりプレッシャーを感じても仕方がないのですが、ここでのパフォーマンスが、私の(ということは、この文章を読んでいるあなたの)今後の活動、今集会の参加者として目の前にいるコミュニティのメンバーとの活動をし易くするのです。

まず、今度は何を話の「つかみ」として持ってくるかです。私がここで話すのは落語家として、あるいはエンタテイナーとしてではないので、また政治家や、例えば講演に来た学者先生ではないので、ただ参加者の注意を引けばいい、それだけの話題ではいけません。例えば時事ネタ、芸能ネタなどなど、新聞やテレビなどで知られている話題はいけません。よく、そういうネタでうまく聴衆を引き込んで本題に入っていく、話のうまい人がいますね。

私たちの場合は、話が「うまい」必要はありません。それよりも、なによりも大切なのは、私が参加者にどのようなことに、持続的に関心を持ってもらい、それが行動変化につなげていけるか、そのような話題を持ち出せるかどうかということです。そのような話題は、参加者が日々生活するコミュニティで起こっていること以外にはありません。

では、そのような話題をどうやって見つけるのか。それも、初めて訪れる場所でどうやって見つけるのか。それは、集会が行われる場所に行くまでの移動の間に見つけるしかありません。そうです。それは、私がどれだけ観察しているのか、その観察力にかかっているのです。

例えば、インドネシアのある小さな島を尋ねたときのことです。そこには、スピードボートで行きました。その島は珊瑚礁が美しく、海の碧さに吸い込まれるようです。ただ、ボートが船着き場に近づくにつれ、大して高くもない海岸近くの丘、せいぜい100メートル前後でしょうか、の頂上まで畑がつくられています。さて、そこで私はいろいろな可能性を考えます。ここに住む人たちは、半農半漁だろうな、最近急激に人口が増えているだろうな、作っているのはキャッサバが主かな、などなど。そして、上陸し、船着き場のすぐ近くにある村の人々と相まみえることになります。

島と周りの海は、まだ濃密な自然を残していて、文字通り天国のような美しさです。村の人たちへの第一声は、その美しさに圧倒されたことについてでした。珊瑚礁の海があまりにも美しいので、おもわず吸い込まれそうになって海に落っこちそうになったことなどから話を始めると、ここで笑いがとれたりします。こちらは、別に大げさに言うこともなく、素直に感じたことを述べればいいのですから、ここまでは特に難しいことはありません。


さて問題はこれからです。私が次ぎに何を話し、そして村人に何を聞くか、それがこの集会の性格を決めます。それは、次回のお楽しみに。

和田信明




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2017年8月22日火曜日

事実質問で「三省吾身」:生活習慣を改善しましょう!

皆さん、初めまして。関西事務所インターンの李と申します。

私はアメリカの大学院で非営利組織管理を専攻していて、ムラのミライとメタファシリテーションに興味を抱き、夏休み中はインターン生としてここで勉強することになりました。そして来て早速、メタファシリテーションの基礎講座に参加する機会を頂きました。

基礎講座では、本当のメタファシリテーションは自分の想像とナイーブな理解よりずっと深いものだと感じ、事実質問の難しさも痛感しました。そして一番印象深かったのは、参加者が事実質問を通じて直したい習慣や癖についてお互いにアドバイスをするコーナーでした。

当時私が直したい習慣は「寝るのが遅いこと」でした。組んだ方は私に色々質問をして辿り着いたのは「アメリカに住んでいる私にとって、寝る時間は丁度海の向こうの皆が一番楽しい時間なので、SNSをつい読んでしまって寝るのも遅くなった」という理由でした。

当時の私は「あ、なるほど、そういうことかも」と思いましたが、今は日本に住んでいても、遅寝の癖が全く直っていません。初めて事実質問をしたもの同士、正解を掘り出すのはなかなか難しいようでしたね。

結果はともかく、基礎講座が終わった後、私が思いついたのは、「生活習慣を改善したいなら、自分が自分へ事実質問するのも出来そうでは?」。


中国の論語から「三省吾身」という言葉があります。「日に三たび吾が身を省みる」、自分を振り返すことで改善すべきことを見つけて自律することです。基礎講座を受けた私は、寝る前に自分へ事実質問をしながら一日を振り返って、遅寝とか、色んな悪い生活習慣の原因を見つけようと思います。

例えば:
「あぁ今日もまた気付いてたら2時になってしまった。」

「ベッドについたのは何時?」
「1時45分。」

「お風呂は何時に行った?」
「12時半くらい。」

「家には何時に帰った?」
「6時半くらい」

「お風呂の前にはなにしてた?」
「テレビを見ながらご飯食べたり、運動をしたり、他は特に何も…」

「ご飯は何時にたべた?」
「7時くらい」

「運動は何時間続いた?」
「1時間くらい。」


みなさんはもう察したでしょうか?私の言葉の中には矛盾があります。時系列を作れば一目瞭然ですが、時間が合っていません。ご飯を食べたところからお風呂へ行くまで、5時間半もありますのに、1時間の運動しかしてなかったです。しかし私は他に何をしたのかを、全く覚えていません。運動をしていたので、割と充実していた記憶があります。

それを分からないまま、先に成功した例と比べようと思いました。

「この二ヶ月で1時前に寝たことはある?」
「2,3回くらいあると思う。」

「覚えてるのはいつ?」
「確か、お仕事もない、宝塚(熱狂的なファンです)も休演日だったとある水曜日だった。12時くらいで寝た。」

「その日の昼間はなにをした?」
「お部屋を片付けて、洗濯物をして、そして夜は出前を食べた。」

「出前は何時に食べた?」
「8時くらい」

「そしてなにをした?」
「お手紙を書きました。それに一時間くらい掛かって。次の日は朝早いと思って、10時くらいでお風呂に入った。」


ここで問題を縮めることができました。運動もお手紙も実際一時間しかかけないのに、どうして運動した時だけ、五時間も流れてしまいましたか。

運動とお手紙の区別を考える時、私はもう一つのバグを見つけました。私はとんでもない運動音痴なのに、一時間も運動し続けることが出来るのでしょうか?

そして私は自分への事実質問を続けました。

「どんな運動をしましたか?」
「ネットの筋トレ動画を見ながら一緒にやっていた。」

「動画の長さはどのくらい?」
「何本があって、合わせて一時間くらい。」

「途中止まりました?」
「めちゃくちゃキツかったから、何十回も止まりました。」

「止まった時はなにをしました?」
「ストレッチしたり、水を飲んだり、携帯を読んだり。」

「携帯でなにをした?」
「Weibo(中国のツイッター)とWeChat(中国のライン)。でも本当にチラッと見て、メッセージを返事するだけ…」

「メッセージはどのくらい返事した?」
「さぁー覚えてないな。」


そして私は記録を読みました。全く自覚がなかったのですが、自分は驚くほどリプライとメッセージをしていました。そして自ら他人にコメントするのも少なくなかったです。運動の疲れを楽しく休みながら回復する時間が経つのは体感より早かったでしょう。しかし、お手紙を書くと集中しなければなりませんので、効率よく出来ます。

おそらく私はどうしても寝るのが遅くなるのは、SNSをしながら他の事をやる癖があるせいでしょう。
まだ事実質問の初心者ですのでこれは遅寝の本当の原因かどうかは分かりませんが。少なくとも、これからは運動中や他の時に、携帯を見るのは慎もうと思います。



この現代社会では、「先延ばし症候群」という悪い習慣を持つ人が増えています。特に若者のなかでは、私みたいに「いつの間にかこの時間になった」という人が少なくないと思います。そして、SNSをしすぎるSNS依存者も沢山います。他には「お菓子を食べすぎ」とか、「ついつい自分の爪を噛んでしまう」とか、人はそれぞれ、直したい生活習慣の一つや二つがあるでしょう。

事実質問を通じて、自分の日常生活をもっと客観的に見ることが出来ます。そして「あれ?」と思われる意外な発見が見つかるかもしれません。そういう「吾が身を省みる」時間を毎日作って、自分にいくつかの事実質問をしたら如何でしょうか?
皆さんももっと健康な生活を送りますように!


(ムラのミライ 関西事務所インターン 李 資業



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2017年8月15日火曜日

コミュニティ開発プロジェクトの「あるある」セッティングを変える~これがホントのメタファシの力・・・かな?

今回は、「一対多」の話を書きます。

これまで、このブログに書かれてきた話は、「一対一」のインタビューに関わる話、そしてそこから発展するファシリテーションの話だったと思います。ただ、私たちは、最終的にはコミュニティー全体を相手にする(そんなことはしないよとここでツッコミを入れた読者は、このコミュニティーを、ご自分の仕事、活動に合わせて、例えばクラスとか部署とかに変換してみてください)可能性が高い。そのとき、どんな入り方をするのか、つまり「一対多」のコミュニケーションを始めるのか、その辺りからお話しします。

私の村の経験と言えば、そのほとんどが、いわゆる開発途上国の村ということになります。私が、このような開発途上国の村へ行く目的は、大体二通りに分かれます。まず、最初のパターンとして、初めての村に行く。この場合、初めてと言っても二通りあります。私が、1人、あるいは誰かとぶらりと訪れる場合。この場合は、通りがかりの村人にその場で話を聞いていくという展開が多いので、まず「一対多」の場面はありません。私も、皆さんが基礎講座で習ったとおりのアプローチをするだけです。

もう一パターンは、ムラのミライのプロジェクトではなく、どこかの(敢えてどこかということは言いませんが)プロジェクトの枠組みの中で、そのプロジェクトの対象となっている村に行く。こういうときは、たいてい村人たちは動員されていて、集会場か何かに集まって私たちプロジェクト関係者の「ご一行様」を待ち受けている、という場合が多い。例えば、この「ご一行様」の中には、行政の職員がいたり、地元のNGOの職員、特に対象となる村を担当している職員がいたりします。私の立場といえば、大体が評価を頼まれたとか、調査を頼まれたとか、モニターを頼まれたなんて場合が多い。つまり、プロジェクトをやる側にとっては、どうにか私に好印象を持って欲しいということ。集会場に着くと、ひな壇が設けてあり、プロジェクトのタイトルが書かれたバナーが掲げてあったり、で、やれやれ。これで住民主体だって???というセッティングが多い。そう、私が呼ばれるのは、いわゆる住民参加型と謳うプロジェクトが多いんだな。で、こういうセッティングがされている時点で、私のプロジェクトに対する印象は、限りなく悪くなっていく。



ところで、こういうときは、「ご一行様」の1人1人がスピーチをすることが多い。村人もご苦労な話で、これに付き合わなければいけない。こういうときに、集会場に動員されている村人たちの顔を1人1人じっくり観察していると、果たして「来賓」のスピーチ、大体がこのプロジェクトはこういう意義があって村人の積極的な協力があって素晴らしい成果が出ていて、などなど、「へ?」な話が多い、をどれだけ理解したり共感を持って聞いたりしているのかよく分かります。うんうん、ともっともらしくうなずいたりして聞いているのは、大体オジサンたち。恐らく、プロジェクトをやるに当たって作られた住民組織とやらの役員をやらされているオジサンたちでしょう。女性、じいさま、ばあさまたちは、明らかに何がどうなっているのやら、今日初めて聞きました、という顔をして聞いている。私が話しかけようと狙いを定めるのは、もちろんこういう人たちです。で、この人たちに話しかけようとするだけではなく、この人たちに話しかけること、その話しかけ方を通して、プロジェクトを実施している人たちにも、あんたたちがやってることのリアリティーはこういうことよ、ということをなるべく悟らす(大概は、見ている方は何が起こっているか理解できなくて、悟らないのですけどね、トホホ)。

では、どういうアプローチをするか?まず、私がするのは、私が話す番になったとき、セッティングをなるべく壊すこと。

何をするかって?それは次回のお楽しみ。

和田信明






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2017年8月8日火曜日

「対話型ファシリテーション」は脇役中の脇役。主役はいつも○○。

今回は、息子(9歳)お弁当シリーズの完結編です。

本当は前号「“自分が好き!”が問題を解決する力になる“対話”って?」の続編で「自己肯定感」をテーマにしたお話の予定だったのですが、突然、昨年来(2016年11月)続いていたお弁当問題が半年かけて、解決しましたので、そのご報告です。

今回のタイトル「○○」に何が入るのか、それは読んでのお楽しみ。

第1話「自分の身は自分で守る子になる対話って?」から半年。ようやく「お弁当を食べるのを邪魔される」問題が、めでたく解決した息子。つらいお弁当の時間が、一転して、楽しい幸せな時間に変わったそうです。さて何があったのか、解決の数日前に遡って、ご紹介しましょう。

息子はまた暗い顔で学校から帰ってきました。その日は、C君だけでなく、他にも何にもの同じクラスの男子から、お弁当を食べるのを邪魔されている、と言いました。
この日、彼が特に落ち込んでいたのは、「同じクラスのこの子だけは、ボクに優しい」と思っていた子からも「おまえと仲良くしている“フリ”をしてるのは、おまえをいじめたいからだ。」と言われたからだそうです。

小学校3年生男子の社会も、厳しい社会。

物心つく前から自己肯定感が高く、人と争うことが嫌いで、人見知りもほとんどなく、周りの大人からは「天真爛漫」と言われることの多い息子ですが、学校では「世間の荒波」に揉まれています。

私はこのお弁当問題を息子が話してくれる度に、刷り込みをするように何度も同じことを息子に伝えました。

●唾を飛ばしたり、背中を叩いたりして、お弁当の邪魔をする子や、仲の良いフリをする子と無理に一緒に座ってお弁当を食べ続ける必要はない。

●我慢して彼らに合わせる必要は全くない。

●1人で食べたり、同じクラスの女の子たちと一緒にお弁当を食べたりすることは全然格好悪いことではなく、むしろ格好いい。

その都度、彼は「邪魔されても同じクラスの男子と一緒に座って食べないと。」と言うばかり、せいぜい邪魔される度に先生に言いつける、くらいしか行動していませんでした。

そんな日が続き、彼がお弁当を残してきても、私からは何も聞かないようにしました。そのうち、お弁当の時間の話はほとんどしなくなりましたが、それでも残してきたおかずを家で食べている時に、ポツリポツリと涙声で「今日も邪魔された」と話すことは何度もありました。

このお弁当問題、私の提案「我慢して一緒に食べなくていい」「1人で食べればいい」以外にも、彼には彼だけの様々な解決方法があり、また自力でこの問題を解決する能力もあります。ただ何ヶ月も同じことが続き、邪魔されることに耐え、先生に言いつけて、先生にC君たちを叱ってもらう、くらいしか対処する方法がわからなくなってしまっていました。

対話型ファシリテーションでは「提案しない」「アドバイスしない」というルールがありますが、読者の皆さんはすでにお気づきのように、私はこのルールを徹底したときもあれば、そうせずに「ああすればいい、こうすればいい」と言ってしまっているときもあります。
ある日、提案したい気持ちをグッと押さえ、息子が「自分で解決方法を見つける」ために事実質問だけで対話してみました。

私「お弁当の時間は同じクラスの男子だけしかいなかったの?

息子「同じクラスの女子もいたし、4年生と5年生の子たちも同じ教室で食べたよ。お弁当の時間は僕たち3年生が4年生の教室に行って食べることになっているんだよ。」

私「同じ3年生の子だけで食べたのではないのね。お弁当の時間が終わった後の休み時間は誰と遊んだの?」

息子「4年生と5年生のお兄ちゃんたちとサッカーをして楽しかったよ。ボクはゴールキーパーで、何度もゴールされそうになるのを止めて、お兄ちゃんたちに褒められたんだ。」

私「同じクラスの男子たちは?」

息子「昨日も今日も同じクラスの男子とは遊ばなかったよ。だってみんな、すぐボクのことを汚いとか、ウザイとか言ってボクに鬼ばかりやらせる鬼ごっこするんだもん。そんなの嫌だから、上のクラスのお兄ちゃんたちと遊ぶことが多いよ。」
(お弁当の時は我慢して同じクラスの男子と一緒に座っているのに、休み時間までは我慢してまで遊んでいない息子。ココが解決の糸口になりそうだと思いました。)

私「今日もお弁当の時間は同じクラスの男子と一緒に座って食べたの?」

息子「そうだよ。だからおにぎりを1つ食べただけでおかずは食べられなかったんだ」(邪魔されたことを思い出して、ちょっと涙声)

私「一緒にサッカーをした4年生と5年生のお兄ちゃんたちもお弁当の時間は同じ教室なんでしょう?お兄ちゃんたちと一緒にお弁当を食べたことはないの?」

息子「一度、お兄ちゃんたちと一緒の席に座ろうとしたけど、“オマエは来るな”っていう5年生の子が1人いて、その時は食べなかった。」(涙声)

私「その後、お兄ちゃんたちに“一緒に食べてもいい?”って聞いたことはないの?」

息子「うん」

私「先生に“同じクラスの子としか食べてはダメ”と言われたことはある?」

息子「ない」

私「先生に“お兄ちゃんたちと一緒に食べていい?”と聞いたことはある?」

息子「ない」

息子「一緒にサッカーで遊んでいるお兄ちゃんたちに“一緒に食べていい?”と明日、言ってみようかな。」

私「同じクラスの男子と我慢して一緒食べてもいいし、お兄ちゃんたちに聞いてみてもいいし、自分のやりたいようにしてみなよ。」

翌日。

息子(笑顔で)「今日はお弁当残してないよ。」

私「今日は、C君や同じクラスの男子に邪魔されなかったんだ。」

息子「同じクラスの男子と食べるのは、止めた。今日は、お兄ちゃんたちに “隣に座ってもいい?”って聞いてみたんだ。そしたら4年生のお兄ちゃんが“早くそう言ってくれればよかったのに。一緒に食べよう!おかずもおやつも交換して食べようね。”と言ってくれたんだ。」

私「よかったね。」

息子「ボク、先生に言わずに、自分で“隣に座ってもいい?”言ったんだよ。お兄ちゃんたちと一緒に食べて楽しかったよ。お兄ちゃんたちと食べているとC君も3年生の同じクラスの子も、全然ボクのほうに来ないんだ。お兄ちゃんたちもボクと一緒にお弁当が食べられて楽しいって言ってくれたよ。」

私「それで今日はお弁当を全部食べられたんだね、よかったね。」

息子「C君は、5年生のD君が怖いのだけど、そのD君はボクにはとても優しいんだ。C君たちに邪魔されたり、嫌なことを言われたら“ギロッと睨んでやれ”とか“腕をつねるんだ”とか、色々教えてくれたんだよ。」

私「それはすごいね。」

息子「お弁当のときも、その後の休み時間もお兄ちゃんたちとずっと一緒にいると、全然C君も他の同じクラスの子もボクのそばに来ないんだ。だから全然、嫌なことされなかったよ。」

私「お兄ちゃんたちに“隣に座ってもいい?”って言えてよかったね。」

息子「そうだよ、自分でお兄ちゃんに言ったんだよ。これからC君が何か意地悪してきたら、ギロッと睨んでやるんだ〜。」

こう話してくれて以来、一転して楽しいお弁当の時間の話を毎日するようになった息子。C君をはじめ、同じクラスの男子たちに嫌なことをされそうになっても、4年生、5年生のお兄ちゃんたちに追い払ってもらっているそうです。おまけに1人でいるときも、D君のアドバイスに従って(私のアドバイスは聞かなかったけど)、にらんだり、つねったり、時には合気道の技で殴られるのを避けている、というのです。だんだんC君たちも息子の嫌がることをする回数が減ってきたと言います。

こうして半年近く続いたお弁当を邪魔される問題は、息子の力で解決しました。

私があれこれと事実質問を試みたことなど、息子は知りません。大切なのは、お弁当問題を自力で解決したのは「息子」自身だということです。

問題が解決されれば、「対話型ファシリテーション」というのは途端に見えなくなるようです。残るのは「自力で問題を解決できた」という息子の高い自己肯定感。
 対話型ファシリテーションは、そんな脇役がいたのかもわからなくなるような脇役中の脇役です。

タイトルにある○○に入る言葉、もう皆さん、おわかりでしょう。
主役は「本人(=問題を抱える当事者)」なのです。

原 康子 ムラのミライ認定トレーナー)


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2017年8月1日火曜日

青年海外協力隊の現場から~ゴミ今昔物語(後半)

前回の続きです。

台所は2階にあったので、急な階段をそろそろと登って一同移動。茶葉は他の生ごみと共に、ビニール袋ではなくプラスチック製のバケツに入れられていました。その横には、ビニール類のゴミがビニール袋に入れられ置かれていました。

M:すごい整理整頓されたキッチンですね。ゴミを回収車に持って行くのは誰か、決まっているのですか?

L:私です。

M:どのように回収車までゴミを持って行くのですか?

L:このバケツごと持って行くのよ。

M:ゴミを回収車に積んだ後、このバケツはどうするの?

L:家に持ち帰って洗って、またゴミを入れるのよ。

≪※細分化:この台所から収集場所まで、そして帰ってきてからの動作を聞く≫

M:ここにゴミがまだあるけど、今日は回収車来ましたか?

L:まだなのよ。こんな時間なのに。(この時10:30ごろ)

M:最後にゴミを出したのはいつですか?

L:2日前。

M:えっ、昨日は?

L:昨日は笛の音が聞こえなくて、持って行ったときにはもう回収車が行った後だったのよ。
(坂になっているこの地区では、主要道路に収集車が来た時に鳴らされる笛(ホイッスル)が、ゴミ出しの合図になる。坂の上の方に行くほど、笛の音は聞こえない)

M:それは大変でしたね、、、。2日前はどうやって回収車が来たことを知ったの?

L:お買い物から帰ってきたときに、たまたま回収車が来ているのを見つけたから、急いでゴミを出したの。

M:その時、ご近所さんにも知らせましたか?

L:えぇ、もちろん。

M:逆にご近所さんから知らされたことはありますか?

L:もちろん、あります。生ごみは毎日回収に来るけど、ビニールは日曜しか回収に来ないから、出し忘れると沢山たまって大変なのよ。(この時、各曜日の収集ゴミの種類を聞いた)

≪※問題への対処:地区のごみ問題で、夫婦あるいは他の住民たちが「決まった時間に収集場所にゴミを持って行けない」という状況に、どのように対処しているかを聞く。自分が相手だったらどうするだろう、という視点も≫

M:そうですよね、、、。じゃあこのプラスチック系のごみは、1週間分なのですね。こうしたプラスチックのゴミを減らすように、今まで何か取り組んだことはありますか?

≪※問題への対処:今は、ビニール袋のゴミに悩んでいる。というか、分別等々、外から言われ続けている。分別はしているから、出たゴミを何とかするのではなく、元から断つ(=ゴミを出さない)ために何かアクションを起こしたことがあるかどうか、経験を聞く≫

G・L:うーん、ないなぁ、、、。

L:今度お買い物に行く時に、何かバッグを持って行こうかしら。

M:それは良いですね!じゃぁ、お湯も沸いているし、どうぞご飯を食べてください。お邪魔してすみませんでした。
(ここで私はキッチンから階下に先に降りたのだが、Kさん始め他の人たちはまだキッチンに残っていた。そうしたところ、Gさんと引き続き以下のような会話があったらしい)

G:野菜とかはバッグでも良いけど、お肉や魚の時はどうしたら良いんだろう?

K:さっき話してくれたみたいに、昔はどうしていたんだっけ?

G・L:、、、、。そうか、昔はそれもビニール袋を使っていなかったね。明日から買い物に行くときは、家から袋を持って行くようにするよ!どんなの使ったか見せるから、明日また来て!

お礼を言って家を後にするとき、ガネーシュさんとラクシュミさんが、話を聞いてくれて嬉しかった、楽しかったと笑顔で言ってくれていたとのこと。




その後、1時間ほど地区の中を歩き回り、市役所支部に戻っての振り返り。
松浦さんチームともお互いのフィールドワークを共有し、市役所職員の方からも感想をもらった。





 

「こちらから答えを与えるのではなく、彼らが自ら解決策を思いついて、バッグを使うと宣言したことにとても驚いた。」

Kさん曰く、この職員自身も2年間ほどこの地区を担当しゴミ指導をしているが、昔(と言っても20年ほど前)は、そのような未舗装の道路で土壁の家が立ち並ぶ地区だとは知らなかった上に、彼らのキッチンや実際の家でのゴミ分別の仕方を目にしたことは、一度もなかったらしい。Kさん自身も、「今」のことは細かく知っているし、昔の事も聞いたことはあったけど、今回のように具体的な話を聞いたのは初めてだったとのこと。

家の立ち並び方、この都市自体の歴史からして、この地区も急激に人口が増えたことが分かるし、第一、ゴミ=プラスチック・ゴミ(ビニール袋ゴミ)は外から持ち込まれるもの。野菜くず等の生ごみは何千年もの昔から存在するが、微生物が分解する環境では、いつかは土に還るためそれをゴミとは感じない。ゴミと認識するのは、いつまでもそこに残り続ける物質である。

プラスチック・ゴミが「無い」(という認識を生んでいた)生活はいつで、どんな状況だったのだろう、と思って聞き出していったわけだが、このやり取りを聞いていた他の隊員からはこんなコメントももらった。

「いつこのお家を建てたのか、という質問の時には、講座で聞いた【時系列】を思い出したが、そんなに昔にさかのぼるの?とはっきり言って、驚いた。けれど、そこから紡ぎ出された会話を聞いていると、とても自然で聞いていても不思議じゃなかった。だからガネーシュさんもああいう「やってみよう」という言葉が出てきたのですね」

後日談としてKさんから聞いた話によると、この対話の数日後にラクシュミさんを訪ねていくと、買い物帰りのエコバッグを見せてくれたとのこと。意識の変化が行動の変化に結び付きました。

偉そうに解説まで書きましたが、現場でやり取りしている時には私自身、理論は頭から抜けて体で反応しています。今回はこういう対話になりましたが、同じゴミ問題でも対話の始まり方や流れは千差万別なので、あしからず。
前川香子 ムラのミライ認定トレーナー)



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