2015年6月23日火曜日

「なぜ」質問の曖昧さ

学生の頃から自分のコミュニケーション能力の低さに付いていた私。ムラのミライでのインターンをきっかけに、話型ファシリテーションを知りました。それまで自分が他人と上辺だけの会話をしていたと気づかされ、以来コミュニケーション力の向上に努めています。空中戦を避けるためになぜどのようにを使わず、簡単な事実質問を繰り返すよう心がけています。

日常生活の中にこの技法を取り入れ、なぜ質問の答えの曖昧さに付き始めた頃、それを身をもって知る事件が起きました。以前、ある職場で、流れ作業の中で私がミスをしたときのこと。上司に呼び出され、

上司池田さん、なんでこれしたの?
。すいません。きちんと確認してなかったです。
上司なんでこう判したの?この時どう考えたわけ?
。すいません。集中力が欠けていました。

ミスをした自分がいと重々分かっていたものの、「いつものようにやっていたから…なぜって聞かれても…」と心の奥で思いました。ミスをした原因を聞かれましたが、思い当たる理由が全く出てこなかったため、その時頭に浮かんできた最も無難な返事をしました。

みなさん、このやり取りからも分かるように、なぜと質問をすると相手は事実に基づいた答えではなく、それぞれの考えや意見を述べてしまいます。答える側は、どう答えたら質問者の同意を得られるかを考え、もっともらしい返答をします。それを防ぐためには、時間をかけて事実質問を繰り返すこと。「なぜ」の代わりに「いつ」を使って会話を始めるなど、簡単な疑問詞を使うことです。

あの時の上司の質問は的外れだったなと思う一方、ミスをした私にする怒りで、それどころではなかったのかも、とも反省しましたが。あの況でどのように返答したら地上へ持ち込めたのかと考える池田でした。

無難な言い訳をする池田さん(フリー素材より)

2015年6月16日火曜日

学びのプロセスを「学ぶ」ことこそメタファシリテーションの神髄

この2回、新企画「産地直送シリーズ」として、駐在員の實方さん(5/26)池崎さん(6/9)の記事を掲載しました。二つの記事について、「途上国の人々との話し方」の著者の一人である中田さんより公開フィードバックをいただきました。読者のみなさんにも学びのある内容ではないでしょうか。(ブログ担当 東田全央)

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實方さんの記事を読むと、現場で学びを深めていることがよくわかり、頼もしい限りです。言葉はとかく一般化されがちなので、「あれ?」と思ったら、よりかみ砕いて聞いて行くという態度と質問術を身に付けることは、メタファシリテーションの神髄とも言えます。

では、實方さんの学びの経過をさらに知りたく質問するとしたら、この記事の内容に関してどういう事実質問が可能でしょうか。皆さんも一緒に考えてみて下さい。私であれば、この記事に対してまず次のように質問するでしょう。

私「『先日』とありますが、この村でのやり取りはだいたいいつ頃のことでしたか?」
實方「○月○日頃です」
私「では、前川さんが村人と研修のことでやり取りしているのに同席したのは、いつでしたか?」
實方「正確にはわかりませんが、○月頃だと思います。」

もし、その時期がずいぶん前であったら、私としては、その間にもいろいろと学んだり、使ったりする場があったのではないかと考え、そのことを知りたいと思うに違いありません。たぶんそれは私だけではないはずです。逆に實方さんからすれば、読者のそのへんの反応を先読みして、それぞれの時期を記事中に示し、その間の経緯をひとことでいいので書いておくと、読者に対してよりダイナミックに学びのプロセスが伝わるはずです。

そのことは、実は池崎さんの記事についても同じことが言えます。

今ひとつうまくいかなかったウジャールさんとの事実質問の練習と記事で池崎さんが示した分析との間に何があったのか、あの分析は自分で考えたことなのか、あるいは誰かに相談したのか、などなど、学びのプロセスについての読者の関心に応えるような記述があるともっとわかりやすいと思います。

相手の視点に立ってものを見たり考えたりするよう普段から心がけることが、ファシリテーターとしての上達の道です。ますますの精進を期待しています。

(ムラのミライ共同代表 中田豊一

2015年6月9日火曜日

事実質問失敗アルアル

2015425日に引き続き、512日にもマグニチュード7レベルの巨大地震がネパールを襲いました。多くの犠牲者と建物の倒壊など物理的・精神的に大打撃を受けましたが、いち早く届けてくださった皆様からの支援金で、雨季に備えた住宅の復興作業が始まっています。

震災の9日前。
対話型ファシリテーションの第一人者・和田によるスタッフ研修に参加していた私と同僚のウジャール君。「事実を問う質問か、そうでないか」という最初の一歩を理解した私たちではあるのですが、その次のステップである「事実を問う質問のみで途切れることなく構成された会話」への発展ができず足踏みをしている状態の二人です。「これは何ですか?」というお決まりのフレーズから出発する会話練習をしてみました。ウジャール君が、私に質問をするという設定で進めてみましたが、会話が盛り上がりません。何がいけなかったのでしょうか。

ウジャール「これは何と呼びますか?」(1)
私「わかんない。でも、私はブランケットって呼んでるけど」
ウジャール「いつ買ったの?」(2)
私「2012年か2013年」
ウジャール「どこで買ったの?」(3)
私「ファブ・インディア」
ウジャール「インドで買ったの?」
私「違う。カトマンズ市内。ファブ・インディアっていうブランド名のお店で買った。」
ウジャール「いくらで買ったの?」
私「あまり覚えてないけど、多分3,000ルピーとか4,000ルピーとか。高かったよ。他の2枚のドレスと一緒に買ったの」
ウジャール「他の2枚のドレスにはいくら使ったの?」
私「結構高かった。覚えてない。」
ウジャール「お店にはどうやって行ったの?」
私「タクシーで行った。」
ウジャール「タクシーにはいくら使ったの?」
私「多分500ルピーいくかいかないか」
ウジャール「それ、片道?」
私「そう。片道。」
ウジャール「買い物にはどれくらいの時間かかったの?」
私「うーん、多分2時間程度?」
ウジャール「何の目的でそのブランケットを購入したの?」
私「え。寒かったから。」
ウジャール「いつの季節に買ったの?」
私「ん~、多分秋か冬?」
ウジャール「どうやって家に帰ってきたの?」
私「タクシー」
ウジャール「帰ったのは夕方ですか?」
私「覚えてない」
ウジャール「誰かと一緒に買い物に行ったんですか?」
私「ひとりで行った。」
(そろそろ飽きてきた私)
「まぁ、これくらいにしときましょうか。おしまい」

ウジャール君の全ての質問に対して答えを返す私。聞かれたことにシンプルに答えながら、一体この会話はどこにつながるのだろう・・・何が聞きたいのだろう・・・という疑問を私に抱かせたまま、そのまま私に強制終了させられた会話でした。

彼の質問は、私の意見や感情を問うものではなく、事実に基づいた相手(私)に思い出させる質問であることは間違いありません。事実質問です。しかし、全ての質問に流れがなく、ブツ切れた質問。聞いている方も、聞かれている方もおもしろくなくて当然ですし、この会話からは何もみえてきません。

それではどうすればいいのでしょうか。
例えば最初に、(1)特定のモノの名前(2)購入時期(3)購入した場所の3つのトピックについて聞いています。(1)から(2)へ行くまでの間、そして(2)から(3)へいくまでの間、より細かい質問をしていくことは可能です。(1)でモノの名前を聞いた後、「ブランケット」という答えが返ってきました。次に、「ブランケットの購入時期」を聞くのではなく、例えば、このブランケットを使う前に、他のブランケットを使っていたのかどうか、あるいは初めて使ったブランケットであったのかどうかを問うてみるのです。それから、(3)場所の質問に行く前に、2012年か2013年という答えに対して、買った季節がいつであったかという問いをここでしてみて、相手に思い出してもらうというのも有効な質問です。次の事実質問を作る鍵は、その直前の事実質問の答えの中にあるということです。つまり、新しい質問トピックは考えるまでもなく、インタビュー相手の答えの中に秘められています。

プロのサッカー選手を志す子供達は、たった一回のシュートを試合で決めるために、毎日毎日練習を重ねます。それと同じで、事実質問のみで構成された意味ある会話を紡ぐには、日々の練習(空振り)こそがものをいうのです。
日々の練習の大切さ(フリー素材より)