2014年12月30日火曜日

インドから届く、村の人たちのアツい想い

これまで、日常生活で使える事実質問を紹介してきましたが、
現場では実際にどのように使われているのでしょうか。
今回は、ムラのミライの活動地であるインドの例をご紹介します。

村の人たちが、ため池の管理や植林について学ぶため、
他の地方まで視察研修に行ったときのことです。
研修に参加した村の人たちが、現地のNGO職員に質問します。


植林現場は、参加者達が山で行う植林とは違って平地で行われており、等間隔で苗木が育っている。3年前に植えたという木はすでに人の背丈ほどにもなっている。
「この木は何の木ですか?」
「野生の蚕が住みつくための木です」
「どこから苗木を手に入れましたか?」
「私達(NGO)からの支援です」
「1年目に植えたということですが、2年目は何をしたのですか?」
「枯れてしまったり根付かなかった苗木を植えかえる作業をしました」
「その苗木はどこから?」
「私達(NGO)からの支援です」
「今年は何をしましたか?」
「新たに苗木を植えたり、苗木と苗木の間に豆類を植えたりしました」
「それは、どこから手に入れましたか?」
「私達(NGO)からの支援です」
「村の人たちは、いつまで、NGOに頼っていかねばならないのですか?」
「・・・・・」
声を失くすNGOスタッフと、とまどった顔の相手の村の人達。




20078月にムラのミライと活動を初めてかれこれ7年。
自分たちが活動で得てきた経験や知識をもとに、
村のことを考えて行動するようになりました。
「かっこいい村を増やしたい」という強い意志のもと、
彼らは、今まさに指導員として新たな一歩を踏み出そうとしています。

ご協力のほど、どうぞ宜しくお願い致します。

(2014年度インターン 山下)

2014年12月23日火曜日

相手からの質問こそ、ビッグチャンス

相手の思い込みではなく事実を聞きだす手法として、これまで事実質問を紹介してきました。この事実質問を使ってやりとりをしていると、相手から逆に質問をされることがあります。それまで質問することばかりに意識を向けていただけに、返せなくなってしまうこともあるかもしれません。しかし、事実質問におけるポイントさえ押さえていれば、相手から質問を受けたこの状況も、相手に気付きを促すチャンスへと変わります。

相手から質問された場合、出来る限り簡潔に要点のみをまとめて返答しなければなりません。特に相手の質問が思い込みを含む場合、正面からその質問に答えてしまうと空中戦に突入してしまいます。事実質問で相手に尋ねるときと同様、注意して返答するようにしましょう。

答えにくい質問で尋ねられたときこそ、ビッグチャンス到来です。
その状況をふたつの場合に分けて、以下詳しく見ていきましょう。

まずひとつめ、それまでのやりとりに相手が納得していない、分かりにくさを感じている場合。この場合、あなたに再度説明するチャンスが訪れたことになります。それまでのやりとりが少しあやふやで、相手にしっかりと伝わっていなかったのでしょう。それまでのやりとりを素直に振り返り、相手とのやりとりを再出発させましょう。

そしてふたつめ、相手の質問が明確でなかったり、そもそもの流れを相手が勘違いしてしまっている場合。この場合こそ、相手の質問を逆手にとり、相手に気付きを促すことができるチャンスです。質問のずれを生じさせた原因を探り、答え方を工夫しましょう。

書籍『途上国の人々との話し方』より、ひとつ例をご紹介します。
実際にあった例ではなく、「私」が研修で課題としておこなったロールプレイの一場面です。

私「A団体では、井戸掘りボランティアの話のようなパターンを避けるために、プロジェクトを持たずに村に入るようスタッフやボランティアに強く指導している。ボランティアたち一行も、それに従って、特定の課題を用意せず、白紙の状態で村人と話しあうつもりで臨もうとした。ところが村の入り口に着くや否や、彼らの姿を見つけた村人数人が寄ってきて、『A団体の方ですね。あなたたちは、この村でいったいどんなプログラムをやってくれるのですか』と機先を制する質問を投げかけてきたのである。そこで問題。こんなとき、あなたはどのように対応するか」
研修生たちからは「いや、私たちは村のことを学ぶために来たのであって、何か決まった援助をするために来たのではありません」など、ありきたりでとても通用しないようなアイデアしか出てこなかった。
私「もしもこれが和田さんであったら、次のように対応したに違いありません。『ほー、これは素晴らしい。プログラムですか。これまで、この村にはどんなプログラムが入ってきたか、教えてくださいませんか』」

これに対してその村人が明確に答えられなかったとすれば、それは、その村人がプログラムについてイメージを持っていないにも関わらず、プログラムを求めているということ。そのことに本人が気付くようにことを運んだら、ひとまずその話は打ち切ることができる。その上で、そこから仕切りなおせばいい。
逆に、プログラムについて明確な例を挙げることができたのであれば、今度はそれについてこちらから事実質問をつなげながら、相手の経験分析の作業を手助けすればいい。インフラであれば、今も役に立っているかどうかが分かるような質問をしていく。「あんまり役に立っていないな」ということになったのであれば、冗談めかして「私たちにもそんなプログラムをしてほしいのですか」とでも応じれば、そこから仕切り直すことが可能になるだろう。

相手からの質問は「私はこう思う」という意見でもあります。意見の中に含まれた思い込みを突いてあげることで、気付きを促すことができるのですね。


2014年度インターン 山下)

2014年12月16日火曜日

「事実質問」に隠された思い込み

私たちが使っているメタファシリテーション(対話型ファシリテーション)手法は、「事実質問に始まり事実質問に終わる」ことは皆さんご存知の通りです。では、事実質問の対極に位置する質問をどう呼ぶか、覚えておいでですか?

そう、「思い込み質問」でしたよね。その典型が、「朝ごはんは『いつも』何を食べますか?」というような一般化された質問で、本人は事実を聞いているつもりでも、実際には、相手の思い込みを誘発する可能性が高い。だから私たちは、「いつもは」ではなくて、「いつ」「どこで」「何を」と聞いて行く必要があるわけです。

では、ここでひとつ質問です。

対話型ファシリテーション講座で、参加者のひとりが、他の参加者が首にかけてあるネックレスを指して、「これはどこで買ったのですか?」と尋ねたのですが、これは事実質問と言えるでしょうか?

これは形の上では確かに「事実質問」なのですが、実際は「思い込み質問」になるのです。というのも、その質問は、「このネックレスはどこかで買ったものに違いない」という前提で、言い換えれば、聞き手の側のそのような思い込みに基づいてなされているからです。もしかしたらそれは誰かにもらったものかもしれないのです。

これは援助関係者が村に行って「問題は何ですか?」と聞くのと同じ構造です。つまり「あなたたちは何か問題を持っているに違いない」という思い込みに基づいているわけです。この質問をされた村人は、その次には「何か問題があるようだったら、私たちが援助してあげますから欲しいものを言って下さい」という言葉が来るのを察します。すると「問題は何ですか」という質問は「何が欲しいですか」という意味に受け取られてしまいます。こちらは相手の問題を聞いているのに、相手からは「欲しいもの=おねだり」リストしか出て来ないのはそのためなのです。

ネックレスの場合であっても、思い込み質問に対して相手は必ず違和感を持つはずで、それは対話の深まりを妨げる要因として機能します。思い込み質問にならないためには、「これは何ですか」⇒「ネックレスです」⇒「それは、ご自分で買われたのですか?」という質問をして、相手が「はい」と答えたところで、「どこで」「いつ」「いくらで」というように聞き込んで行くわけです。

メタファシリテーションの極意は、単なる事実質問ではなく、思い込みを排した簡単な事実質問にあるというのはこういうことです。そう考えるならば、事実質問の練習の場は、日常のどこにでも見出せるに違いありません。「仮説を立てる」ことや「気付きを促す」ことなど小賢しいことは考えないで、まずは正しい事実質問ができるように心がけることです。千里の道も一歩から、というわけですね。



(ムラのミライ共同代表 中田豊一)

2014年12月9日火曜日

事実で紐解く「近代化」

会議やミーティングの場において、誰しもが経験したことのないことに対して議論しようとすると簡単に空中戦に突入してしまいます。経験が全てというわけではありませんが、自分は知っていると勘違いしてしまうことは非常に恐ろしいことです。今回は、中田がインドネシアでコミュニティ開発に携わる人々を相手に、実際に行った研修の記録からご紹介します。

「近代化は産業化、産業化の主役は企業」
中田 「私たちの社会で今、起こっていることを一言で言えば、何と言い表せるだろうか。つまり私たちが今現在舞台としている「最大のコンテクスト」は、いったい何だろうか。」
研修生 ??(研修員一同、首を傾げる)
中田 「皆さんの中で、いわゆる先進国に行ったことのある者は、手を挙げてみて。」

研修員の半分ほどが手を挙げる。どこに行ったかを尋ねてみると、そのうちの半分ほどが日本。さらには、イギリス、アメリカ、オランダなどに行った経験を持っている。

中田 「では、それらの国とインドネシアの村落社会との違いは何だろう。海外に行ったことのない者は、ジャカルタと君たちの町や村を比べてみてもいい。」

研修員からは「ビルが多い。インフラが立派。人々が忙しそう…」などなど色々出てくる。そうしているうちに、ひとりから「とても近代化されている」という発言が出てくる。

中田 「そう。ひとことで言えば、近代化の度合いが違うと表すことができる。では、「近代化」とは一体何だろうか。定義はいろいろだが、これもまた日本とインドネシアの違いを考えてみれば明らかになる。ちなみに、この会場の外を見てみよう。通りは、日本であふれているのだが、それは何だろう(註-「近代化」という概念が出てきたわけだが、その定義を考えさせてはいけない。空中戦に入る。ここではもう一度、参加者の注意を目に見えるものに引き戻すよう努めた)。

研修生 「トヨタ!」

中田 「そう、インドネシアでは行く先々、道あるところすべて日本の車が走っている。スーパーに行けば、日用品から電化製品まで日本のものが限りなく置いてある。パナソニックやソニーだけではない。花王のシャンプーや大塚製薬のスポーツ飲料などが町の雑貨屋の棚に並んでいる。ところで、トヨタやソニーとは何だろうか。それらは、どんな組織か。」

研修生 「会社。」

中田 「そのとおり。会社、企業である。では、インドネシアにも、トヨタやソニーのような企業が存在するだろうか。」

研修生 「国内の企業としては大きな規模のものが、ジャカルタあたりにはたくさんあるが、日本や欧米やあるいは韓国の大企業とは比べものにならない。全然強くない。競争できない。」

中田 「先進国は、先進工業国とも言われるように、工業を中心とした産業が著しく発達していて、その主役は企業である。したがって、途上国と先進国の違いは、つまるところ、強い企業があるかどうかに集約されている。つまり、先進国と途上国の近代化の度合いの違いを最も雄弁に物語るのが、企業の発達の度合いである。」

その場にいる大半の人があまり理解できていない問題を扱う場合、イメージのみで話を進めないよう気をつけなければなりません。自ら直接経験していないことをいかに理解するか、というのがメタファシリテーションの真髄なのです。

このやりとりのあと、中田は「村社会における近代化」へと話を進めます。続きは書籍『途上国の人々との話し方』をご覧ください。



2014年度インターン 山下)

2014年12月2日火曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第16号「規定づくりは難しい」

 

目次

1. 流域管理委員会の設立
2. 作戦会議
3. 再びの研修、そして実施
4. VVK登場
5. 規定づくりは難しい
6. ここが出発点

1. 流域管理委員会の設立

前回のよもやま通信でお伝えした農業カイゼンに活躍するブータラグダ村(以下B村)、ポガダヴァリ村(以下P村)の村人たち。
その二つの村の指導員たちは農業カイゼンに精を出す一方で、流域管理の技術を周辺の村人たちにも伝えるために奮闘している。


各村の現状を振返り、これから村全体で流域管理の活動を続けることを決めた新規参入の6つの村では、流域管理委員会の設立が始まった。
それに伴って、各村で流域管理委員会の活動方針となる規定づくりの研修とアクション・プランの作成が行われた。

出来上がった規定を指導員と共に振返りを行い、それをもとに改善のために指導員が研修を行う。
そして、その規定を基にアクション・プランをつくり実施を始める。
その実践を基にまた規定づくりの振返りと研修を行う。
研修と振返りを繰り返し、流域管理委員会の規定の完成に向けて村人たちと指導員たちの努力が続いている。


2. 作戦会議

村の現状を知るためのミーティングに参加して、P村の指導員のパドマはあることを気にしていた(よもやま通信第14号参照)。

それはミーティングに参加している女性が極端に少ないということ。
そして、参加していても積極的に発言をしている女性はほとんど見られないということ。唯一の女性指導員として活躍するパドマだからこそ、他の指導員たちよりも女性の参加に対する意識が強く芽生えたのだろう。
指導員研修や、P村での研修の際、パドマは誰よりも積極的に発言をする。そんなパドマを見ていると、はじめから彼女だけが特別だったような気さえする。
しかし、パドマ自身も自らの努力によってP村や新規参入村の村人から認められるようになったのである。






もう一つ忘れてはいけないのが、家長の研修への参加を促すことだった。各家庭から一人ずつ研修に参加する場合、家長であるお父さんではなくお母さんや読み書きの出来る息子が参加する場合も多い。
女性の参加者が増えたり、若い世代が先頭に立って流域管理の活動を進めていくのは、村の今後にとって喜ばしいことである。
しかし、流域管理委員会の規定づくりのように、村全体のことを決めるには女性たちと青年たちだけでは話がつかないということもある。このため、今後の研修では特に女性と家長の参加をバランス良く促すことが決まった。


3. 再びの研修、そして実施

まず行われた規定づくりの研修では、B村、P村の指導員が自分たちの村の規定を参考に、流域管理委員会の目的、その目的を達成するための具体的な活動、管理委員会のメンバーや責任者の選出方法などを規定としてまとめられた。
「流域を管理する」「一年中水を使えるようにする」「農業の改善を行う」などの目的が掲げられ、そのための活動として植林や石垣など構造物の設置、委員会の資金確保のため会費や、収穫の一部寄付などを定めた。

そして、行われたアクション・プランの研修。
6つの新規参入村にとって今回のアクション・プランづくりは、二度目の経験。それもあって、アクション・プランづくりそのものはさくさくと進む。
しかし、流域管理委員会がまだなかった前回とは違い、今回のアクション・プランは流域管理委員会の規定に基づいて作成されなければいけない。また、前回なかった植林も、今回アクション・プランの対象となる。指導員が地域に合った植物を植えるように呼びかけると、年配の参加者があれを植えろ、これを植えろと、若手の参加者たちにアドバイスを送る。
こうして各村のアクション・プランが出揃った。
アクション・プランに基づいて、各村では植林と石垣など構造物の設置が行われた。


村人総出で作業に取り組んだため、アクション・プラン提出から一か月後を待たずして作業の半分以上を終えた。
この間、非常に強いサイクロンの接近があったが、石垣等の構造物へのダメージはなく、植林された苗木も無事だった。村人たちは農業の傍ら、現在も残りの作業を行っている。


4. VVK登場

アクション・プランに基づいた植林や石垣づくりも進み、村人たちは石垣など構造物の継続的なメンテナンスの必要性を感じていた。
また、流域委員会の規定をつくるなかで、今後の活動への資金の必要性を感じ、その資金を外部からではなく村の中から調達するために流域委員会の規定でも、各家庭から資金を融通し合って流域委員会の資金にすることが定められた。
「でも実際のところどうやって村のお金を積立てて、それをうまく運用していく?」
そんな村人たちの要望に応えたのが、ビシャカパトナムのおばちゃん信用金庫、VVKことビシャカ・ワニタ・クランティである(以下VVK)。資金運用の研修を希望した4つの村から、各村4人計16名がビシャカパトナムにやってきた。
普段、あまり村から出ない参加者にとっては、ビシャカパトナムは大都会。中には海を初めて見るという村人もいた。
そんな村人一行だが、今回の目的は観光ではなく、流域委員会の資金運用のコツをVVKから伝授してもらうための研修だということを忘れてはいない。
内部資金運用の研修なら任せなさい、とVVKのおばちゃんたちが待ち構える。

「貯蓄の方法と、流域委員会でその資金をうまく運用していく方法を知りたくてやってきました。」
村人がVVKにやってきた目的を話して、研修が始まる。
まず、VVKの簡単な歴史から、会員の申込書や通帳、融資のシステムについて話すVVKのおばちゃん。村人たちはおばちゃんたちのスピード感に圧倒されながらも、VVKのおいたちや、貯蓄、ローン返済のシステムなどおばちゃんの話を必死に聞いている。

その後のトレーニングでは、グループ内での毎月の貯蓄と貸し借りについてゲーム形式で学んだ。
一通りの研修を終えて、村人からVVKへの質問の時間になった。保険の制度や返済について疑問点を再確認するなかで、一人の村人が聞いた。
「VVKは政府に税金を払っているのですか?」
「資金の運用(ローテーション)には税金はないわ。でも利益に対する税金は払っているわよ。」
筆者も他のスタッフもこの質問に驚かされていると、VVKのおばちゃんも『こんな質問されたのは初めてだわ。この子はデキル子ね。』
と、鋭い質問に対して驚くと同時に、VVKのことをもっと知ろうという姿勢を嬉しがっていた。

「VVKには災害時など緊急用の貯蓄はあるのですか?」
「VVKにはそういう別々の貯蓄はないわ。」
「ただ、これはあくまでもVVKのルールよ。だから、こういう細かいルールはそれぞれの村で決めていけばいいのよ。」

模範解答のような返答を聞いて、さすがムラのミライと長年活動してきたおばちゃんたちだと、筆者は感心していた。この返答はVVKのおばちゃんたちが自分たちでVVKの規定をつくっていなければ、絶対に出てこない言葉だろう。

「今日は本当にありがとうございました。村に帰って今日学んだことを共有して、流域管理委員会の活動に活かします。」
「また、いつでもいらっしゃい。」
そんなやりとりを聞いて、VVKに研修の依頼をしたのは間違いではなかったと、改めて感じながらVVKスタッフたちのもとへ向かう筆者。
「今日はありがとうございました。こちら謝金です。」
「ヒロさん、、、これだとちょっと足りないわよ。」
「え、でもこの額で話がついていたじゃないですか。」
「そうだけど今日は村人が16人も来たし、VVK側はスタッフも理事もいるし、もうちょっと出してくれてもいいんじゃない。」


数人のおばちゃんたちに囲まれカツアゲ状態の筆者は、ソムニード・インディアのおばちゃんラトナを呼び、今後の研修の料金は一律ではなく、参加人数や研修内容ごとにVVKから事前に伝えることで合意した。
思わぬかたちでおばちゃんたちのパワーに触れた瞬間だった。


5. 規定づくりは難しい

アクション・プランづくりと実施、資金運用の研修、そして振返りを通して、規定を作っては見直し、作っては見直しと、流域管理委員会の規定完成に向けた研修は続いている。
指導員たちの努力のおかげでアクション・プランづくりは出来るようになった。
アクション・プランに基づいて植林や、石垣の設置も出来る。
だけど、規定の中身は委員会の目的と具体的な活動内容がちぐはぐだったり、老若男女全員へ理解が行き届いていなかったりと、まだまだ完成に向けて行うべきことは多い。村の流域管理委員会の規定が完成して、機能しない限り、流域管理の活動を継続的に行っていくことは難しい。そして、指導員たちはそれを知っているからこそ、自らの農業カイゼンに忙しいなかでも何度も新しい村に足を運び、振返りと研修を続けている。


B村やP村、VVKだって長い時間と労力をかけて自分たちの力で完成させた規定。それは新しい村でも同じ。1回や2回の研修で規定が完成するわけでない、でもこの規定があるからこそ、B村もP村もVVKも自分たちの活動を継続できている。
私たちスタッフの役割は、新規参入村でも規定が完成するまで、村人たちと指導員たちのサポートをすることのように思う。


6. ここが出発点

新規参入村への研修に先立って、B村の村人たちもVVKを訪問した。B村の訪問の目的はグランド・デザインの一環として行う村の内部資金運用についての研修である。
B村は今後高利貸しからの借金をせず、村の中で資金を回していけるような仕組みづくりをおこなっている。流域管理技術の習得から、その技術の農業への応用、そして種子銀行(シード・バンク)の設立に、内部資金の運用、

『安全な水と土で安全な野菜を作り出す村、そして高利貸しなど外部からの融資に頼らなくても自活していける村』

という目標に向けて着々と活動を進めるB村。



新規参入村がB村のところまで行くにはまだまだ時間がかかるだろう。それでもB村も始まりは同じ。一歩一歩着実に歩んできたからこそ、今のB村がある。B村の指導員が新規参入の村へ伝えられる最も大切なことは、その部分なのかもしれない。
そんなB村のグランド・デザインについては次回以降のよもやまで。


注意書き

VVK:ビシャカパトナムの女性たちの信用金庫。
ヒロアキ(筆者):實方博章。現場にて修行中。
ラトナ:ソムニード・インディアのフィールドスタッフ。