2014年9月30日火曜日

課題発見後にも威力を発揮する事実質問

今回は、中田がファシリテーターを務めたJICA関西での紛争国の研修員を対象とした研修コース「紛争解決と共生社会作りのための実践的参加型コミュニティ開発手法」で、同席した私(山崎)が学んだことをご紹介します。

これまでのブログでも
何を(What)、だれが(Who)、どこで(Where)、いつ(When)、どのくらい(How many/muchといった5W1Hを用いた単純な事実質問を重ねることで、本当の課題を見つける方法を説明してきました。ただし、なぜ(Why)、どんなふうに(How)は禁句でした。

この5W1Hは、課題を発見した後、それを解決しようとするときにもとても重要となります。
すなわち、アクションプランを作成するときです。

例えば、「パンが食べたい」としましょう。(パン好きですので)
この願望を実際に行動に移すにも計画が必要です。

いつ? 今週の日曜日?
どこで? パンが美味しいと噂のあのレストラン?
だれと? 大学の友達と?

この3つの点だけでも、スケジュール帳を見て、レストランの情報を確認して、友達に連絡して、と、しなければならないことがたくさんありますね。

するべきことは果たしてこれだけでしょうか?

財布の中身と相談するのも忘れてはいけません!
いくらくらい必要なレストランなのか確認して、それが財布の中身と合っていなければ、ピクニックに計画を変更しなければならないかもしれません。

このように、私たちは計画を立てながら、日々の行動に移しています。

上の例は個人の小さな計画ですが、課題を解決するのに時間がかかる場合、また自分ひとりでは解決できない団体、グループ、コミュニティ内の課題であった場合、アクションプランの作成はより複雑になります。しかし、5W1Hを意識してアクションプランを作成することで、周りの人との協働もしやすくなるのではないでしょうか。

大切なことは、アクションプランを作成する際に

What? (行動、目的物)
Who? (責任者)
When? (スケジュール)
Where? (場所)

How much? (予算)
How many? (資源、目標、目的など)

For what? (目的、目標)

これらをできる限りはっきりさせることです。

事実質問で本当の課題を発見するのは、質問される当事者であり、外部の人間ではありません。それと同じく、アクションプランもまた、その当事者が作成しなければなりません。この5W1Hをはっきりさせたアクションプランを自分たちで作成することは、持続可能なプロジェクトの実行へと繋がります。



2014年度インターン 山﨑)

2014年9月23日火曜日

その悩み、本当に悩んでいますか?

以前、明日すぐに使える事実質問「偽事実にご用心」で、悩んでいる友人の相談に乗ってあげるときを例に、事実質問の注意点を紹介しました。

対話型ファシリテーションは、事実質問によって行われる課題解決のための技法であるため、悩みを抱えている友人の話を聞き、その問題を解決へと導くときにもかなり効果的だと言えます。今回はそのやりとりを研修で実践してみた際、研修参加者から寄せられた意見・質問をひとつピックアップしてご紹介します。

「課題の重要度がわからない」
悩んでいる友人から相談を持ちかけられ、「いつから悩んでいますか」「最近そのことで悩んだのはいつですか」などと話の核に迫ろうとします。しかしいつまでたっても問題がぼんやりしており、なかなか課題がはっきりしてこないことがあるかもしれません。

この対話型ファシリテーションにおいて重要なのは、本人に「気づいてもらう」ことで自発的に課題解決へのアクションをとるよう仕向けることです。本人の中で重要度が低い課題は、解決策がわかってもそこに向けたアクションがとりづらく、結果として以前のままということになりかねません。

本人が悩んでいる問題がどれほど解決を必要としているかを知りたい場合、以下のような質問をしてみると良いでしょう。
「その課題を解決するために何か解決策を打ったことはありますか」
「そのことを誰かに注意されたことはありますか」
悩んでいると口では言っていても解決に向けた努力をしたことがない場合、その問題はあまり日常生活に影響を与えていないのでしょう。本人としては誰かに迷惑をかけたつもりでも、周りの人から注意されたことがなければ、それは本人の勘違いかもしれません。

「君はそんなことで悩んでいるのかい?」というセリフで友人を傷つけてしまわないためにも、これらの質問を一度挟んでみてもいいかもしれませんね。



2014年度インターン 山下)

2014年9月16日火曜日

マジックのようなファシリテーション

ムラのミライ(旧称ソムニード)では、4月下旬から2ヶ月間「ReadyFor?」にてクラウドファンディングを行いました。たくさんのご支援をお寄せいただき、現在「子どもたちから始めるバグマティ川再生」プロジェクト実施に向けて準備を進めております。

今回のブログでは、以前の課外活動の際に和田が行った子どもたちとのやりとりをご紹介します。ムラのミライの研修を受けた現地の小中学校の教育担当の先生たちが、今度は子どもたちを連れてバグマティ川に向かいます。課外授業に関してはこちら(プロジェクト通信(ネパール)第7号 「モデル・レッスン始動!~慌てふためくレッスン初日~」)をご覧ください。

ひとつ目の地点での検査を終え、次の地点に移動するためバスに向かいます。初めてのキットを用いた検査に子どもたちだけでなく保護者も楽しそうにしています。そんな様子を黙って見ていた和田が「ビスタ先生、次の地点へ向けて出発する前に2分だけいいですか?」と切り出しました。※後半部に登場する「私」はネパール駐在スタッフ池崎です。

和田    「皆さん こんにちは。私の名前はWADAといいます。」
    「皆さんとお話したいので、2分だけください。」   
    「皆さんは、楽しかったですか?」
生徒    「はーい!とってもっ!!」(ニコニコ笑顔)
和田    「では、ここで皆さんが何をしたか、教えてください。」
生徒    「観察―!」
和田    「では、観察するために、何を使ったか教えてください。」
生徒    D.O.測定器!」「バケツッ」「検査キットー!」「掬い網~」「シャベル!」
口々に生徒が元気よく応える。
和田    「それだけですか?それだけじゃないでしょう?」
生徒    「掬い網!」
和田    「それはもう誰かがいいました!」
生徒    「うーん。エコバッグ?」
和田    「他には?」
生徒    「お水!」「川!」
和田    「他には?」
(中略)
しばらくして、「目!」「手!」と誰かが叫んだ。
そして「体全体!」と、ある男子学生が叫ぶ。
ワッと笑い出すクラスメート。
和田    「その通り!」
    「今、何が聞こえますか?」
    「今から1分間。目を閉じて、集中してみてください。」
    「何が聞こえるでしょうね?」
そして1分間の沈黙の時が流れた。
1分後。
和田    「何がきこえましたか?」
生徒    「川の音―!」「風の音―!」「お水の音!」「トンボの羽の音がした!」
    「コオロギの鳴き声が聞こえた!」
和田    「コオロギですか?本当に?今きこえましたか?」
    「コオロギはいつの時間帯に、どの季節に鳴き声がきこえてくる虫ですか?」
    「これは皆さんへの宿題です。また調べてきてください。」
和田    「もし自分の目でみて、耳を澄まして、実際に手で触れてみると、実に多くのことがみえてくるようになります。」
    「鼻で匂いを嗅ぐことも大事です。意識を鼻に集中して、匂いを嗅いでみてください。」「体全体を使うのです。」
和田    「皆さん、このスンダリジャルの風景を頭にしっかり記憶しましたか?
    体全体を使ってみえてきたことを、記憶してください。」
和田    「では、次にここをみてください。」
和田が皆の視線を、河岸に促した。
(中略)
移動バスへ向かう道中のこと。
ディベンドラと私は顔を見合わせた。
お互い何を思っているのか察しがつく。
    「すごかったですね。今の。」
    「観察するということがどういうことかを、子供にもおばあちゃんにもわかる言葉で、且つ楽しく説明されてしまいました。」
ディベンドラ「あれこそがソムニード流ファシリテーション。」


和田によるマジックのようなファシリテーション。つづきが気になる方はこちら(プロジェクト最新情報(ネパール)第8号 「マジシャンとファシリテーター」)をご覧ください。


(2014年度インターン 山下)

2014年9月9日火曜日

コミュニティファシリテーターの卵が思うこと ~「意識して考えるということ」~

現在ネパール駐在員として環境教育を通した街づくりプロジェクトを担当しています。

前回の「ファシリテーターのたまご体験談 「自分もまるで同じ」という気づき」2014318日発信号)では、「自分は全く何も知らないし、分かっていないし、脳みそを使ってもいないということに気がつくこと。」の大切さを痛感していることをお伝えしました。

「頭を使って考えていない」と知ることはまず一つ。
そして実際に「使っていない」状態から「使えるようになる」というのも一つ別のこと。

「意識する」という行為なくして「考える」ことは始まりません。
怠け者の私を筆頭に、大抵のヒトは「考える」ことを放棄します。なぜなら、楽だから。

考えるという行為はまず「意識する」行為から始まり、考え続けるためには、常に意識し続ける行為が伴います。その「続ける」という部分こそが多くのヒトにとって苦痛であり試練でもあるのです。
しかしその試練を乗り越えることなしに、「頭を使わない」状況から「頭を使って考えることができるようになる」状況へはたどり着けません。ムラのミライ(旧称ソムニード)流のプロのファシリテーターになるには本当の意味で「頭を使う」ことが必須であり、避けて通れない道です。

そんなことは分かっていてもなかなかできないのが、ファシリテーターの卵を名乗るこの私。「うーむ。そうか。やっぱりちょっとは考えて、自分だったらどうするかを、いっちょ真剣に(!)考えてみるのだ!」と意識的に考えてみたものの、普段考え慣れていないヒトが考えようとしても、大したことは考えられません。それがよくわかったのが、でこぼこ通信第11号「吸い込まれる落とし穴」の章でお伝えしたところです。

地元のコミュニティからの要請を受けて、ムラのミライがゴミやリサイクルに関する研修を行った時のことです。今回が初めて要請を受けての研修であり、そんな研修が私や他のネパール人スタッフにまだまだできるはずもないということで、ファシリテーター・和田(ムラのミライ共同代表:和田信明、ムラのミライ流ファシリテーションという方法論を確立した1人、)が、ファシリテーションを使った研修を行いました。

研修の前に、自分ならどうするかを考えてみました。
①自己紹介
②参加者が何をしてきたかの確認
③手軽にできるゴミ処理・リサイクル活動案のブレスト(日常的、長期的)

大したことは考えきれていません。これはもしかすると考えたことには入らないことかもしれません。


そして和田の研修が一通り終わった後に気がついたこと。

私やディベンドラが行っていたであろうこと、まさにこれが「空中戦」である。

「ゴミ」について深く考えることもなく、いきなり「さぁ、ゴミの減量のために何ができるかを皆で一緒に考えましょう!」と入ってしまうところ。一体何を「ゴミ」と呼ぶのか。資源ゴミはゴミなのか。ゴミはどこから出てきて、どこからどこまでを「ゴミ」と呼ぶのか。100年も200年前にも、或いは人類が誕生する前からいわゆる「ゴミ」はあったであろうが、なぜ今はその同じ「ゴミ」が問題となっているのだろうか。
「ゴミ問題」をなんとかしたいとざっくりいっても、一体ゴミの正体を知ることなくして、どうやってその問題を特定し、その問題に対する対処法を考えることができるであろう。
言葉の響きだけでわかったような気になってしまう。それが落とし穴である。吸い込まれるようにはまっていった罠である。


小手先で表面上のことだけに意識を向けて「考えた」ことにしても、それは「考えたこと」には微塵もなりません。相変わらず「考える」ってどういうこと?と思ってしまう自分は馬鹿なのかと少し肩が落ちたりもします。

そもそも、このように「考える」ということは、日本で教育を受けた私の身に全くついていないということなのかと思うと愕然とします。あれほど高い授業料を払って、自分への教育として投資したこともあるのに、一体自分は何を学んできたのだろうとすら思います。しかし、同時にあれやこれやと自分を慰める術は持っている私。自分もいつかできるようになるはずだと楽観視しています。


意識することと反省することが次のステップへとつながると信じて、引き続き、「自分だったらどうするか」を忘れないように意識し続け、試練を少しずつ乗り越えていきたいと思います。




(ネパール事務所駐在員 池崎翔子)

2014年9月4日木曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第15号「農業カイゼン始まる」

 

目次

1. 農業カイゼン始まる
2.やっぱりこれがオラたちの農業
3.チャタジー氏による研修
4.月間モニタリング
5.ポガダヴァリ村のみなさん

今か今かと待ち望んだ雨が村の田んぼを潤す8月。
村々では田植えも終え、辺りを見渡せば若い稲たちが視界を緑に染める。昨年に引き続くブータラグダ村も、今年から新たに加わるポガダヴァリ村も、いよいよ本格的な農業カイゼンがスタートした。



1.農業カイゼン始まる

前回のよもやま通信でお伝えしたように、近隣の村へ流域管理技術を普及するために大活躍をしている指導員たち。その指導員たちは本業である農業にも精を出す。

活躍中の指導員たちが住むブータラグダ村(以下B村)とポガダヴァリ村(以下P村)では、村やら研修センターやらタミル・ナードゥやら、大忙しの研修を終えて、それぞれ農業カイゼンの取り組みをスタートさせた。
昨年に引き続くB村では、5月に設立された種子銀行(シードバンク)も完成し、6月に一回目の種の貸付を終えた。すっかりたい肥づくり名人になったマレッシュに続けと、2人の農家が新しくたい肥づくりを始めた。そして、モデル農家たちは新しいモデル農地での実践を開始した。

一方で、今年から新しく農業カイゼンを始めるP村でも、アクション・プランづくりや技術研修を終えて、いよいよ本格的な実践に移った。
B村での視察研修で目にした、たい肥づくりにもやる気は十分。またSRI農法に取り組む水田では、田植えされた稲たちが前へ倣えをするように綺麗な列が出来上がっている。7月の下旬の本格的な雨季の到来と共に、モデル農家たちの新しい挑戦が始まっている。


2.やっぱりこれがオラたちの農業

本格的なモンスーンの到来が迫る7月上旬、B村、P村から各5名がタミル・ナードゥ州クリシュナギリ県への視察研修に参加した。村人たちが住むスリカクラム県から丸一日かけての列車の旅である。
B村・P村での農業の取り組みに活かすため、乾地農業の視察と農家との対談、農作物のマーケティングに関しての知識を深め、今後の村での農業に活かしていく。

タミル・ナードゥ州クリシュナギリ県は、アーンドラ・プラデッシュ州、カルナタカ州との州境に位置している。高地にあるクリシュナギリ県の気温は30度程度。真夏でも最高気温は35度くらいだと聞く。
40度に近い気温のところからやってきた村人たちとソムニード(現ムラのミライ)一行にとっては、なんとも過ごしやすい気候だった。


今回の視察研修の受け入れをしてもらった現地NGO・ROAD(Rural Organization for Action and Development)の協力で、地域の農家とマーケットを訪れた。一行が最初に訪れた農家は、広大な敷地に建設されたビニールハウスでガーベラ(キク科)の花を栽培している。10名の女性従業員が雇われて収穫から包装まで一連の作業を行っている。村人たちは興味深さそうにガーベラの花を観察し、農家の話に耳を傾ける。


その後も、ピーマンの栽培を行う農家、バラの栽培を行う農家、トマトの苗木づくりを行う農家など、広大な土地でビニールハウスや水道による灌漑設備をもつ農家との面会が続いた。
B村の農家たちもP村も農家たちも、この農家たちのような広大な土地はないし、水道による灌漑設備もない。筆者は「村人たちはこの農家たちに会って何を思っているのだろうか」と考えていた。

この農家たちが広大な土地で育てた作物は、地元のマーケットを通して州外に売られている。一行が訪れた組合のマーケットでは200以上の業者が店を連ねて、大型のトラックが何台も行き来していた。その組合も地元の農家たちで形成されていて、毎朝この場所で大きな取引が行われている。



このように村での農業とは異なる農業を視察する一方、この土地で伝統的な農業を重視して、有機農業を行う農家ラジャ氏と会う機会を得た。
ラジャ氏は外来種の栽培や一品種の大規模な生産ではなく、伝統的な自然農業を推進している。現在B村でも実践が始まった種子保管も行っている。自然資源を利用した殺虫剤の作り方や牛尿の効率的な集め方など、B村・P村ですぐに実践できる農業の技術を学ぶ機会を得た。
中でも村人たちは補助の竿を立ててトマトの成長を促す技術には特に興味を示していた。伝統的な農業の大切さを説くラジャ氏の話に聞き入る村人たち、「オラたちの農業と同じだ」と共感を示す。大規模な換金作物の栽培を行う農家たちと、自然農法で伝統的な農業を推進する農家。二つの異なる道を行く農家たちに出会った村人たち。

「ハイテク農業スゲー」と、その農地の規模や技術には驚かされたと思う。だけど、結局のところ振返りミーティングの話題の中心は、伝統的な農業を行うラジャ氏だった。
「オラたち、プラスチックは使わない」と、ラジャから教わった技術を村で実践をして行こうと決めた村人たちだった。
タミル・ナードゥで見た全ての技術を自分の村で応用できるわけではない。それでも、モデル農家たちはこの視察で得た知識を、自分たちのもつ資源と、そして自分たちが描く村の未来に照らし合わせて上手く使い合わせていくことはできる。
ヒロさん、おれの畑でもこのやり方でトマト育てるよ。」と意気込んでいたのはP村のチャンドラヤ。
このタミル・ナードゥの視察研修が今後の農業にどうやって活かされていくか、筆者は楽しみに感じていた。


3.チャタジー氏による研修

タミル・ナードゥでの視察を終えたB村とP村のモデル農家たち。
P村では有機農業専門家のチャタジー氏を迎えての研修が行われた。
昨年度は農業カイゼンの取り組みを中断していたP村にとっては、同氏との久々の再会となる。
研修が始まり、現在行っている活動について尋ねるチャタジー氏にパドマが答える。「これまでは村で流域の上流と中流の管理に取り組んできました。今年からは、これまで取り組んできた流域管理の技術を下流の農地で応用して農業のカイゼンに取り組んでいます。農地を有効利用できるようにデザインして、葉菜、果菜と合わせて品種も増やしました。」と実践を始めた農業について説明する。

まるで事前準備をしていたかのように明快に説明するパドマ。その様子には、プロジェクト開始以来村人たちをサポートし続けてきたラマラジュさんも驚きを隠せないようで、「ヒロ、いまパドマがどうやって説明したかわかったか?パドマがあれほど完璧に答えるとは僕も少し驚いたよ。」と、ちょっとした興奮を隠せないようだった。
水田のモデル農家であるダンダシが負けじと自分のモデル農地について説明する。
「ワシはモデル農地とそれから別の農地でもSRIを始めたんじゃ。種もみも研修に倣ってしっかり選んだぞ。種も今まで1エーカー当たり60キロ使っていたのが今年は10キロに減った。」

P村とソムニードとの活動が止まっていた間も、近隣の村に流域管理技術の普及活動を行っていた指導員たち。昨年から農業カイゼンを始めたB村の指導員たちとの交流も、P村の指導員にとって良い刺激になったに違いない。なんだかこの農業カイゼンの取り組みでもP村のリーダーとして活躍してくれるような予感がした。現状を共有した後で、チャタジー氏による実践技術指導が行われた。


畑地では煉瓦の囲いをつくり、燻炭と有機たい肥を利用して保水度を高めると共に農地を更なる有効活用する技術。水田向けには、自然資源を利用した殺虫剤の作り方とその適切な使用方法に関しての技術研修が行われた。


4.月間モニタリング

B村・P村の実践開始に伴って、ソムニードはモデル農家たちと毎月農地のモニタリングを行う。
モニタリングは1から5点までの採点方式で、評価項目はソムニードが用意した項目とモデル農家が用意した項目を合わせている。『アクション・プラン等の書類がしっかりなされているか?』『他のモデル農家のモデル農地を見に行ったか?』といったモデル農家としての姿勢を評価する項目と、作物の育ち方や農地のメンテナンスを評価する項目を織り交ぜている。最初のモニタリングはソムニードが主導して行った。

モデル農家と一緒にモデル農地に赴き、農地とファイルを見ながら評価を行う。
評価される農家たちの表情は、『我こそはモデル農家なり』というような人もいれば、『勘弁してください。』というような人もいる。
B村・P村共に一通りの評価を終え、アクション・プランに基づいて農業を実践している農家と、そうでない農家がわかった。2カ月目のモニタリングでは、それぞれの農地で最も点数の高い人をリーダーとしてグループに分けて、ソムニードではなくグループのメンバー全員で評価を下す。


なぜ5点満点ではなく4点なのか、何が出来ていれば5点をあげられるのかをグループ全員で共有して、評価シートに記載する。
こうしてお互いに評価を行う中で、自分が見落としていた点にも気が付き、自分の農業にも役立てることが出来る。
最初は「これはよく出来ているから5点だ」「いや、4点だよ」と言い合っていた村人たちだが、一つ一つの項目で出来ているところと出来ていないところを共有しながら進めるうちに。
「今日までに6種類の作物が栽培されている計画だけど、1種類抜けているから4点」などと、何が出来ていなかったのかを明確に評価を始めた。

この月間モニタリング、何人かのモデル農家はずば抜けて高評価を得る。時期の面でも、作物の組み合わせの面でも、アクション・プランを忠実に守り、農地を余すことなく有効活用している。そして多くのモデル農家は完璧とはいかないまでもそれぞれ工夫して農業に取り組んでいる。前回のモニタリングで指摘された点を修正したり、実践が順調に進むモデル農家たちからアドバイスを受けたりして、自分のモデル農地をもっと良いものにしようとカイゼンに取り組む。このようにモデル農家たちが揃って農業カイゼンに取り組む一方で、活動が停滞しているモデル農家がいることも事実である。モデル農業の流れについて行けなかったモデル農家たちを、いかにして復活させるかが今後の課題になりそうだ。


5.ポガダヴァリ村のみなさん

ところで、筆者は、今年の5月に初めてP村の人たちと顔を合わせた。
今までも指導員の4人(パドマ、ダンダシ、チャンドラヤ、バライヤ)と顔を合わせる機会は多かったものの、4人の他にどんな村人がいるのかはよく知らなかった。

今年からP村と接する機会が増えて、一つ気が付いたことがある。それは、B村にせよ、P村にせよ、プロジェクトのフェーズ1からソムニードと共に活動してきた村では、(例えば指導員といった)特定の村人たちだけではなく、他の多くの村人たちも自分が研修やモニタリングの参加者であるという意識が強いということ。

現在、流域管理技術の研修をしている新しい村々では、研修やミーティングの中心人物になる人は、毎回変わらない。そういった村のリーダーのような人たちの存在は非常に重要なのは確かである。一方で、そのリーダーがいなければ何も進まないような村をつくってしまってはいけない。

5月以降、P村の指導員以外の人々と会う中で、指導員以外の人が研修やモニタリングのなかで活躍するのが見えた。これは筆者が感じていたB村の強さと重なる。きっとこれは2007年からソムニードの研修を続けてきた成果に違いない。この様子を見て、いまは毎回中心となる人物が同じ新しい村々でも、研修を重ねるにつれて、もっともっと多くの人たちが活躍を始めるだろう。そして、そういった活躍できる人を増やせるような研修を行っていかなければならないと思った。そのためにも、これからP村から学ぶべきことは多い。「ヒロさん、これを見てくれ」と、自信に満ちた笑顔でモデル農地を案内するチャンドラヤ。そこには、タミル・ナードゥで学んだトマト栽培の技術が応用されていた。

これからもまだまだ続く、P村とB村の挑戦。この続きは、また次回以降のよもやま通信で。


注意書き

ソムニード一行

ヒロ、ヒロさん、ヒロアキ(筆者)=實方博章。現場で修行中。

ラマラジュさん:ソムニードの名ファシリテーター。