2018年6月29日金曜日

調査を阻む「思い込み眼鏡」

「調査とは何なのだろう?」

授業の冒頭で、ムラのミライ海外事業チーフの前川さんが京都大学院の学生さんたちに問われました。前回に引き続き、講義に参加させて頂けた私も、脇で一緒に考えを巡らせました。

第一回では、村の現実に迫る調査をするための道具として事実質問を学びました。しかし、事実質問を用いた聞き取り調査だけでは十分でないと前川さんは続けます。聞き取り調査は言葉であり、言葉やそこから連想する観念という眼鏡を私たちは外せていないからです。事実質問を用いて調査の入り口を正しく見つけることが出来ても、道中で色のついた眼鏡を付けていては、村人と同じ景色を見ているとは言えません。前川さんは経験に基づくいくつかの例を紹介してくださいました。

その1つが年齢について。
「何歳ですか?」と尋ねる際、私たちは正確な答えが返ってくることを期待します。しかし。村人の中には出征証明書を持たず、自分の年齢を把握していない者も少なくありません。「年齢」という言葉は同じでも、私たちが指す年齢と、村人の年齢の捉え方は違うことが分かります。(この様な場合は、生まれた時期、あるいは前後の社会的な出来事を思い出してもらうことで年齢を推測するようです。)

村に限らず、私たちは日常生活の中でも様々な眼鏡をいくつも、いくつも掛けています。
私はこのような経験を思い出しました。

冬に大活躍するヒートテック。私にとってのヒートテックは重ね着をする際の肌着のようなもの。しかし、友人の住む寮を訪れて目にしたのは、ヒートテック一枚でウロウロする彼女の姿。その寮には沢山の学生が住んでいるので、ヒートテック姿の彼女を見かけたのは私だけではありません。友人にとってのヒートテックは部屋着用のシャツでもあったのです。自分との用途の違いにとても驚きました。
私は実際に彼女の姿を「観る」ことで認識の違いに気づきましたが、もし目にしていなかったらこのような会話をしていたかもしれません。例えば、彼女との冬旅行の前夜・・・

私  :明日からの旅行のパッキングは終わった?ホテルにパジャマ置いてあるかなぁ。
    一応パジャマも持っていく?
友達:うん!ヒートテックをトランクに入れたよ!
私  :ヒートテック?パジャマは持っていかないの?

彼女がヒートテック一枚を部屋着にしていることに気づいた後に、他にも数人の友達が
そのような使い方をしていることが発覚しました。考えてみれば、ユニクロも
ヒートテックが肌着とは言っていないように思います。
このような認識のすれ違いは普段の生活にも多々潜んでいるのだと気づきました。

では、自分の思い込み眼鏡を外すためにはどうすればいいのでしょう?
ここで、「観る」こと、つまり「観察」が登場します。
実際に私のヒートテックへの思い込みは、友人の姿を「観る」ことで解消されました。

「観察」とは何か、前川さんの講義から学んだことは次回のブログでレポートします。


(野片真美 ムラのミライ インターン)


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2018年6月22日金曜日

調査の初めの一歩、成功させるためには・・・

6月11日月曜日、午前8時30分。私、インターン生の野片は、京都大学思修館に潜入しました。京都大学の方々をはじめ、沢山の方々のご厚意のおかげで、ムラのミライ海外事業チーフの前川さんが登壇される授業に出席させて頂けることになったからです。
授業の内容は「村での調査手法」について。ミャンマーでの研修が控えた学生さんたちに向けたものです。

調査をするに当たってはじめの質問で事実を聞き出せなかったら、どんなにキレイに収まったプロジェクトでも何の価値も生み出せずに終わったと同じ。ではそれを避けるために、どのような質問をすればいいのか。まず授業では朝ごはんについて、感情、考え、事実の3つを聞き出す質問を通してそれぞれの違いに気づくことが出来ました。また、前川さんの経験を交えた説明を聞くことで、事実質問への理解が深まりました。印象的だったのは、ペアでの練習の前に前川さんが例として見せてくださった事実質問の流れ。一部省略して紹介いたします。

まず、前川さんが前の席に座っていた学生さんの持ち物を指して一言、
「これは何ですか?」‐私のボトルです。



「どこで買ったの?」「他にもこのようなボトルは持ってる?」といった質問の後、
次のように続きました。

「中には何が入ってるの?」‐何も入って無いと思います。
「振ったら音が聞こえるから何か入ってるみたいだけど・・・」‐あ!昨日入れた水です。
「え!昨日の水を入れてたの!」

飛び石の上を跳んで進むようなやり取りの末、意外な事実の発見です。
真面目そうな学生さんに対する思い込みが解消され、教室は笑いに包まれました。
いざ事実質問をすると次が思い浮かばず、踏み留まってしまうことが多々あります。
トントントン、のリズムで聞けて、
トントントン、と相手も答えられるような、
そんな事実質問を出来るようになりたいと思いました。
トントントンと、事実質問をpractice practice practiceです!


(野片真美 ムラのミライ インターン)




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2018年6月19日火曜日

ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ / 序章 (p14~16)

 国際協力とは介入であるーーー
 介入の、その先に描く「理想」とはどのような姿なのか。

今回は『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』の序章、
14ページから16ページを公開します。

 *

改めて言うまでもないが、中田と私は、長年、いわゆる国際協力という分野で仕事を続けてきた。中田流の言い方をするなら、「援助屋」というやつである。中田が常に言うように、この「援助屋」という表現には、多少の誇りと自嘲(じちょう)がない交ぜになっている。誇りの部分は、人類社会の理想に向かって困難な状況の中で仕事をしているという自負であり、そして自嘲の部分は、果たしてそれが何らかの成果をもたらし、目標とするものに多少とも近づいているのかという根本的な疑問がちらつく、その自分の心の在り様の部分である。

だが、「誇り」の部分も人類社会の理想とは何だと正面切って問われれば、ぐらつかざるをえない。畢竟〈ひっきょう)、人類社会の理想とは、具体的にどんな社会を将来作ろうとしているのかということであり、その具体的な社会像が描けない限り、単なるお題目にすぎないからだ。われわれの自嘲の部分は、まさにそこにある。そして、このことこそ私たちの前著『途上国の人々との話し方― 国際協力メタファシリテーションの手法』では書けなかった部分だ。

国際協力とは、相手側の状況への介入である。特に、私たちのように、農漁村、都市のスラムなど、コミュニティ単位で係わることが多い場合、相手が現在置かれている状況を変えるという方向で係わる。もっと端的に言えば介入するわけだから、大いにこちらの価値観を持ち込むことになる。その場合、自分たちがどのような未来をめざし、それがどのような価値観に基づいているのかよくわからないなど、これはもう笑うしかない。

私たちは、村に代表されるコミュニティ(共同体)が抱える課題を解決する。解決する主体はコミュニティであり、私たちはそれを支援するという建前になっている。だが実際は、課題の設定もその解決方法も私たちが持ち込むものであり、したがって、文化も生活習慣も、そしてそれぞれ抱える課題も違うはずの世界各地の村で、どこも似たようなプロジェクト、いやまったく同じ内容のプロジェクトを十年一日のごとく行っている。

その代表的な例が、農村で行われている貧困削減のための収入向上プロジェクトであり、大方は、何か商品作物を育てて売ろうというものである。その商品作物は、当該地域でもとから産出されていたものは希で、外から持ち込まれたものが多い。

外から持ち込むということは、すでにその作物を消費しているところを市場(しじょう)とするのであれば、新たにその市場に参入するということであり、当然ながら激しい競争に最初から晒されることになる。品質、流通経路などあらゆる面を開拓し、既存のシェアに食い込んでいかなければならない。


また、その作物を食べる習慣がなかったところを市場とする場合、消費者が日常的にその作物を消費するようにする、つまり市場を作り出す必要がある。また、作り出したところで、ある程度のボリュームになれば投機の対象になる。砂糖、カカオ、綿花、麻などの市場価格がどのように推移し、それに生産農家がどれほど翻弄されているかを見れば、それは明らかだ。それでなくとも消費者は飽きやすく、ある年もてはやされたものが翌年には見向きもされないなどはよくあることだ。

いずれにせよ、途上国の伝統的な村には、難題という表現でさえ控えめと言うほかない取り組みだ。単に商品作物を育てるという本来の農民としての取り組みのほかに、市場調査、商品の販売促進、コスト計算など、簡単に言えば会社の経営のようなこともやらなければならない。これを、長い時間をかけて学んでいけばできないことはないだろう。だが、プロジェクトの期間は通常三年から五年だ。プロジェクトが終了して外部者の投入(金銭的な投資のほか、技術的指導なども含む)がなくなった途端、作物の生産そのものがいつの間にか終わってしまうなどという例は枚挙に遑(いとま)がない。

(『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』p14~16 より)




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2018年6月12日火曜日

途上国の子どもたちが学校に行けない 「貧困」ではない理由

ムラのミライで三度にわたって開かれている、私たちインターン生に、ビジネスマナー等を教えていただくインターンシップ研修の時間の中で、ムラのミライ代表理事の中田さんに、メタファシリテーションの講座を開いていただいています。今回は、中田さんの過去の実話に基づくという、「バングラデシュの農村でのスクールプロジェクト」のケーススタディを詳しく解説していただいた際のお話を書きたいと思います。



ケーススタディの内容は、バングラデシュの農村で、子どもたちの家に通学状況の聞き取り調査に行った話で、インターン生三人それぞれ問題点を分析し、事前にメールでお送りしていました。

メタファシリテーションを学んだことのある方ならご存知の通り、子どもたちが学校に行けない本当の理由(事実)を聞くためには、相手の考えや言い訳を引き出してしまう「なぜ」は決して使ってはいけません。スタッフは、「なぜ学校に行かないのか」と聞く代わりにどう聞けばよかったのかを、インターン生同士で話し合いました。
「今日は学校に行きましたか?」「今週は何日間学校に行きましたか?」など、まず子どもたちの通学状況を聞くための質問を、私たちは考えました。

しかし、中田さんは、
「お子さんは今どこにいますか?」と聞いたといいます。

私たちは、事実を聞いているつもりで、実は、子どもは学校に行っていないのではないか、(学校に行くのが当たり前だ)という思い込み、学校を前提とした仮説を、既に質問に含めてしまっていたのです。それに対して、「今どこ?」という質問は、最も基本的な事実を聞くものでした。

母:「羊を連れて、野原で草を食べさせています。」
中田さん:「誰がそうしろと言ったのですか?」
母:「夫です。」

次に中田さんは、「誰が」指示したか、という大事な要素を聞きました。「誰が」を聞くことは、今まで知り得なかった新しい情報の存在を知るためにとても大切な質問です。

次に、なぜご主人が子どもに羊を連れて野原に行けと言ったのかと頭によぎっても、そう聞いてはいけません。相手からの答えを「待つ」のです。
中田さん:「そうですか、ご主人がそう言ったのですね。」

それ以上中田さんは何も言わず、母親からの言葉を待ちました。
母:「私たちの村はイスラム教の信仰、保守的な考えが強く、女の子が学校に行くことに賛成でない男性がとても多く、夫もそうなのです。」

これが、「なぜ」と尋ねたときには知ることができなかった答えでした。母親に「なぜ」と聞くことは、母親の考えを聞くことで、事実とはいえません。子どもたちが今「どこ」にいて、「何」をしていて、「誰の」指示なのか、事実から得る情報でなければ、何が必要なのかは見えてきません。

中田さんの解説を聞いた後、私は、事実質問をしているつもりでも、自分の仮説を含めてしまっていたことに気付きました。

また、事実質問をして状況が少しずつ明らかになっていく中で、気づき、本当の事実を述べるのは、話し手自身です。
私は、今までを振り返って、相手の気づきを待たず自分の考えを言ってしまうことが何度あっただろうと思いました。私の視点もアドバイスも、一つの参考にはなっても、結局はその人自身の気付きでなければ何もその人の行動には変化は起きません。自分が言いたいから、というだけでは、相手の本音も本気も引き出せないんだと、強く思いました。

知らず知らずのうちの思い込みに気付きを与えてくれる、ムラのミライの環境に本当に感謝です!

(笠見友香 ムラのミライ インターン)

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ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ / 序章 (p12~14)


常にのどに小さな骨が引っかかっているような違和感---

四半世紀をかけて日本から途上国にまたがって多くの村々を目にしてきた著者2人。
彼らが感じてきた違和感の正体を解き明かすべくめぐらされた思索の集大成が
この『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』です。

前回に引き続き、序章12ページから14ページまで公開します。


 *


私と中田は、この四半世紀近くを、いわゆる途上国の農村や都市のスラムと係わってきた。インド、インドネシア、ネパール、ラオス、セネガル、イラン、アフガニスタン、ミャンマー、カンボジア、バングラデシュと国名を挙げていくだけでも、いったいいくつの村を訪れたのか覚えていない。その中でも、鮮やかに記憶に残っている村もあれば、行ったことさえ覚えていない村もある。正確に言えば、私が覚えていないのだから、人に指摘されて、そんな村に行ったこともあったのかと思うだけの村だ。一方日本では、個人的な係わりがあった愛媛県、山梨県、兵庫県、高知県、そして岐阜県北部のいくつかの村しか知らない。それでも、私たちが不思議に思うのは、日本であろうと途上国の村であろうと、文化やその他諸々の違いを超えて、同じ運命を辿ろうとしているとしか思えないことだ。

 それは、冒頭のエピソードに描いた陶器からプラスチックへの移り変わりに象徴されるものに、私が、常に喉に小さな骨が引っかかっているような違和感を覚え続けていたことに関係があるようだ。そして、その違和感が何によって来たるものなのか、それがわからないことによる居心地の悪さとも関係があるようだ。ただ、そのことは長年の宿題を棚の隅に放り出したままのように、まともに考えないようにしていた、というより、何をどう考えて良いのかわからなかったというほうが正直だ。

ところが、転機が訪れた。それは、中田が私の途上国の農村での仕事ぶりを参考に、実践的な優れた方法論を築き上げたことによる。その方法論という具体的な武器を手に入れたことで、この10年ほど、中田と私二人でその方法論を現場でさらに練り上げるという営みを続けてきた。それはまた、その方法論を通して私たちに新たな視野、というより私たちの思考にある種の風通しの良さをもたらす年月でもあった。そして、私がこの年月「喉に引っかかっていた小骨」について、それが何であったかを明らかにするための、十全とは言えないまでもほぼ十分な経験を積むことができた年月でもあった。



ちょうどそのようなとき、中田が、そのような試みを一気に後押しするような思考の枠組みを文章にした。その後押しを受け、私も長年の疑問に基づく思索を文章にした。この本は、そのような私たちの試みを形にしたものだ。ある意味、謎解きではあるが、そもそも、いったい何が謎なのか、何が「喉に引っかかっている」のか、私にもやもやしたものをもたらしているのか、そのことから中田は本書で解き明かしている。私は、中田が解き明かしたことが何を具体的にもたらしているのか、私がこの四半世紀、私の母国である日本と途上国を行き来することで理解できたことを書こうとしている。

したがって、基本は、あくまでも私と中田のこれまで体験してきた、いわゆる開発途上国の村や都市を通して、そして私たちが日々暮らす日本で、私たちが理解できた範囲のことだ。だから、村に関しては農村、しかも主に私が最も接することの多かった南インドの小さな山村にまつわる体験が基になっている。そういう意味では、私たちの知見の及ぶ範囲などたかがしれている。

この本は、学術的な本ではない。あくまでも、私たちの体験に基づいた村との具体的な係わりを基にした思索であり、これからどう私たちは生きていくのかの、実践的な展望だ。果たして本書がそうなっているかどうかは、読者の判断にゆだねるしかない。

(『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』序章 P12~14より)



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2018年6月8日金曜日

空っぽ会議のもどかしい経験

アイタタタ…
これは私が「途上国の人々との話し方」を読み進めている時に思わず出そうになった心の声です。

以下、「途上国の人々との話し方」より一部抜粋;

…仲間同士のうわさ話や真面目な会議など、他者同士のやり取りを第三者的に観察するよう心がけた。すると、最初に誰かが、事実に基づかないがもっともらしく聞こえる「考え」や「意見」などを語り始め、今度はそれを受けて他の誰かが賛同したり反論したりするが、これまた自分の考えを語っているにすぎないというパターンがあまりに多いことに気がついた。…パーセプションとパーセプションの応酬が華々しく始まり、地に足のつかない話し合いが果てしなく続くことになる。…このような上滑りするやり取り、抽象的で観念的、実りのない議論のための議論を、「空中戦」と呼ぶ。それに対して、地に足の着いたやり取りを「地上戦」と呼ぶ…つまり、常に事実に基づいて進められるやり取りである。

(「途上国の人々との話し方」pp40より)

アイタタタ…アイタタタ…
すぐに思い当たる光景が浮かんできました。

「何か改善していきたい点はありますか?」
皆さんが一度は聞いたことのある質問かもしれません。
私も何度か大学や委員会のミーティングで耳にしたことがあります。
例えば、学期初めの活動方針に関する会議に収集された時。
この問いを受けても誰も発言する人はいません。何か言わなければ、と焦った私は「空中戦」ファイターになり、問題らしきこと、にどことなく聞こえる過去の経験をフル装備。そして、数撃ちゃ当たる方式で自分の言いたいことばかり出てくるマシンガンを口に設置して、いざ「話し合い」に挑み始めました。

-役割分担を変えなければ一部の人の負担になっているのではないか
-継続のために、新規参加者を募っていかなければならないのではないか

などなど…これらは、ただの思い付きです。

地上戦にするならば、例えば「課題について誰かに話したことがありますか?」と聞くことが出来るかもしれません。
もしミーティングの参加者であれば「私は○○の改善のために△△をしました。皆さん他に取り組まれたことはありますか?」と返すことで、装備をつけずに、空中戦に巻き込まれずに済んだかもしれません。

本音を聞き出しリアルを見つめるためには、装備もマシンガンも取り払った丸裸の状態にならねば、と気付くことが出来ました。そして、装備に取って代わる道具を、メタファシリテーションの技術を身につけられるよう、もっともっと学んでいきたいです。





(野片真美 ムラのミライ インターン)


 

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2018年6月5日火曜日

ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ / 序章(p10~12)

誰も語りえなかった現代の正体とその「解」
NGOの実践から生まれたこの「解」はあなたに納得と展望を与えるだろう。---
(『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』の帯より)

ムラのミライ中田豊一和田信明の著書、『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』をブログで公開していきます。
今週は序章の10ページから12ページまでです。



序章   和田信明



-この本では、あまりに当たり前だと思われているゆえに、これまで誰も書か
なかった現代の正体、私たちが今を生きる世界の本当の姿を描き出す- 

南インド。アーンドラプラデシュ州とオディシャ州の州境近く、バンサダラー川の畔にスブラーイ村がある。一九九三年に、この村で小さな火災があった。出火したのは、この村に住む陶器職人の仕事場だった。窯の火が仕事場の藁(わら)屋根に燃え移ったのだ。幸い、仕事場が焼けただけで鎮火した。周りに壁はなく、木の柱に藁屋根を葺(ふ)いただけの仕事場は、それまでに何度も焼けている。
 
当時、小さなNGOとも言えないようなNGOを立ち上げて援助を始めたばかりの私は、この仕事場の再建を支援した。藁屋根をトタンに替えて、これで少々飛び火してもすぐに火事にはならないだろうと、私も陶器職人たちもささやかな満足を覚えた。この「再建」にいくらかかったか覚えてはいないが、当時、私の「NGO」であまり悩むこともなく出せる金額だったのだろう。

陶器職人たちは、冬、つまり乾季にさまざまなサイズの甕、椀などを焼き、雨季になると製品を自転車にくくりつけて近隣の村で売り歩いた。このような家庭で使う製品のほかに、建築用の煉瓦も焼いた。陶器は、乗用車の車輪ほどの大きさの轆轤(ろくろ)を回して成形した。釉薬を塗るでもない素焼きの素
朴なものだったが、木立や牛や田圃とともに辺りの風景に溶け込み、村の一部となっていた。

ところが、これから数年を出ずして、これらの陶器は村から消えた。まさに、いつの間にか消えていた。理由は簡単だ。プラスチックのジャーなどが、陶器を駆逐したのだ。それは、あとで振り返ってみれば、まさにあっという間のできごとだった。時を同じくして、村にさまざまなプラスチック容器が入ってくるようになった。そして、飴の袋、食用油の袋などのプラスチックが、ゴミとなってそこら中に散らかり始めた。これらは、素焼きの陶器と違って辺りの景色に溶け込むなどということはなく、しかし村の生活に居座った。


これを、なんと呼べばいいのだろうか。ただ、生活が変わったというのだろうか。それとも、村の生活が進歩したというのだろうか。陶器が古くなったというのだろうか。陶器を作る土が古くなったというのだろうか。陶器より、プラスチックの容器のほうが便利だというのだろうか。私には、わからない。ただし、私にわかろうがわかるまいが、起きてしまったことは、起きてしまったことだ。





前段の終わりで、「私には、わからない。ただし、私にわかろうがわかるまいが、起きてしまったことは、起きてしまったことだ」と書いたが、この「わからなかったこと」のひとまずの解答を書こうとするのが、この本だ。別の言葉で言えば、中田と私がこの本で書こうとしているのは、私たちが現在生きる世界が何を意味しているかだ。時間軸で表現すると、現代世界の意味、ということになるだろうか。しかし、現代世界の意味するところといっても、私たちは、この本で現代の「分析」ということは行ってはいない。ましてや、現代の「解説」なども行ってはいない。そんなことをしても、
まず退屈するのは私たちであり、実際、私たちが生きるうえで何の役にも立たないことがよくわかっているからだ。

では、何を書いているか。それをあえてこの本に出てくる順序で、キーワードで表してみると、村、近代化、化石燃料、土、水、ヒト(種としてのヒトであり、ヒト科ヒト属ヒト種のこと)、ゴミ、そして私たちの日々の生活となる。なんだか判じ物みたいだが、最後までお読みいただければ、そのつながりがはっきりおわかりいただけるものと思う。

(『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』p10~12 より)




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2018年6月1日金曜日

子育て×メタファシ講座レビュー後編:参加者の声「困っていない本人に行動をさせる方法ってあるの?」

ムラのミライのメタファシリテーションの講座には何度も参加しています。最初は力んで話す相手の「問題解決」の糸口を導き出そう!などと思っていましたが。繰り返す内にそんな力も抜け、今では楽に会話の中にメタファシリテーションを取り入れられるようになってきました。それでも、いつもうまくいくわけでなく、試行錯誤の連続です。

我が家の「困りごと」を講座でシェア
4月のステップアップ講座では、私の困りごと「3年生のわが子(T)がパジャマを片付けらない」を課題に、参加者みんなで解決法を探りました。その中で「T君が一人でできることはあるの?」との質問がありました。思い返してみると、Tは晩御飯のときのテーブルの片付けとお箸等を並べることに関しては自主的にやっています。それが、パジャマとなるとできない…。もしかして、夕飯の用意はルーチンになっていのではないか、それならパジャマもルーチンにすればいいのでは?という仮説に行き当たりました。

パジャマ問題の根本的な問題は?
では、どうすればいいのか…。参加者からは、パジャマの片付け場所が定まっていないのか、それとも服を着がえる場所が定まっていないのか、そもそもパジャマを片付けないと本人が困るという意識がないのかなど次々に質問が出ました。たしかに、夕飯時にテーブルを片付けないと夕飯にありつけないので、片付けのモチベーションは、晩御飯そのもの。それとは違い、パジャマは放置しても本人は困らないので、片付ける気も起らないのではないか。

困っていない本人に行動をさせる方法ってあるの?
 話を進めていくと、参加者の一人が「片付けたらご褒美をあげたら?」と提案してくれました。子どもにご褒美を与えるやり方は単純だけれど、本当に効果があるのかどうか…という私に対して、講師からは「本人は問題だと思っていなくても、課題を提示して一緒に解決しようと促すことで、本人のやる気が出るものです。解決法を導きだしたのは「自分」だという意識が芽生えたら行動を起こしますよ」と助言がありました。そこで、Tが以前から大好きなシール貼りをご褒美にすることにしました。

シール一枚で嬉々としてパジャマを片付けるT
 家に帰って話をしてみると、想像通り!想像以上!にシールを貼るということに興味を持ち、すぐにシールの台紙を自分で描いてくれました。そして、翌朝…。起きて来て、真っ先にパジャマを片付けて、早速シールを台紙に貼っていました。そこから、毎日、毎日、パジャマ片付けは続きました。時に忘れることがありましたが、私が「今日はシール貼ったの?」というだけで、「あ!」という顔をしてそそくさとパジャマを片付けてくれます。なんともまぁ。シール作戦をするまでは、「パジャマを片付けなさい!」「捨てるよ!」と怒りモードのことも多かった私でしたが、あれから2か月間、一度も声を張り上げていません。

そして、この原稿を書きながら、シールの台紙を見てみました。あれれ、2か月経っているはずが21日までしかシールがない! 今となっては、シールを貼ることがモチベーションではなくて、きちんとパジャマ片付けがルーチンになっているようです。すごい! さて、私も欲が出てきました。次は「パジャマをたたんで、ボックスに片付ける」という課題を解決できるかな~。シールではないご褒美が必要かな。何か考えてみたいと思います。
メタファシリテーション、楽しい!

(大和 陽子 a little)
*ムラのミライでは、a littleという兵庫県西宮市にある家事・子育て支援の団体(会員制)と一緒に、2017年7月、10月、2018年3月とメタファシリテーションを子育て中の方にご紹介する講座を開催しました。2018年4月からは、a littleとムラのミライのコラボレーションで、「女性の健やかな心と体サポートプロジェクト」を3年間の予定で始まっています。
*a little ホームページhttp://alittle.sakura.ne.jp/wp/


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