2018年6月5日火曜日

ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ / 序章(p10~12)

誰も語りえなかった現代の正体とその「解」
NGOの実践から生まれたこの「解」はあなたに納得と展望を与えるだろう。---
(『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』の帯より)

ムラのミライ中田豊一和田信明の著書、『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』をブログで公開していきます。
今週は序章の10ページから12ページまでです。



序章   和田信明



-この本では、あまりに当たり前だと思われているゆえに、これまで誰も書か
なかった現代の正体、私たちが今を生きる世界の本当の姿を描き出す- 

南インド。アーンドラプラデシュ州とオディシャ州の州境近く、バンサダラー川の畔にスブラーイ村がある。一九九三年に、この村で小さな火災があった。出火したのは、この村に住む陶器職人の仕事場だった。窯の火が仕事場の藁(わら)屋根に燃え移ったのだ。幸い、仕事場が焼けただけで鎮火した。周りに壁はなく、木の柱に藁屋根を葺(ふ)いただけの仕事場は、それまでに何度も焼けている。
 
当時、小さなNGOとも言えないようなNGOを立ち上げて援助を始めたばかりの私は、この仕事場の再建を支援した。藁屋根をトタンに替えて、これで少々飛び火してもすぐに火事にはならないだろうと、私も陶器職人たちもささやかな満足を覚えた。この「再建」にいくらかかったか覚えてはいないが、当時、私の「NGO」であまり悩むこともなく出せる金額だったのだろう。

陶器職人たちは、冬、つまり乾季にさまざまなサイズの甕、椀などを焼き、雨季になると製品を自転車にくくりつけて近隣の村で売り歩いた。このような家庭で使う製品のほかに、建築用の煉瓦も焼いた。陶器は、乗用車の車輪ほどの大きさの轆轤(ろくろ)を回して成形した。釉薬を塗るでもない素焼きの素
朴なものだったが、木立や牛や田圃とともに辺りの風景に溶け込み、村の一部となっていた。

ところが、これから数年を出ずして、これらの陶器は村から消えた。まさに、いつの間にか消えていた。理由は簡単だ。プラスチックのジャーなどが、陶器を駆逐したのだ。それは、あとで振り返ってみれば、まさにあっという間のできごとだった。時を同じくして、村にさまざまなプラスチック容器が入ってくるようになった。そして、飴の袋、食用油の袋などのプラスチックが、ゴミとなってそこら中に散らかり始めた。これらは、素焼きの陶器と違って辺りの景色に溶け込むなどということはなく、しかし村の生活に居座った。


これを、なんと呼べばいいのだろうか。ただ、生活が変わったというのだろうか。それとも、村の生活が進歩したというのだろうか。陶器が古くなったというのだろうか。陶器を作る土が古くなったというのだろうか。陶器より、プラスチックの容器のほうが便利だというのだろうか。私には、わからない。ただし、私にわかろうがわかるまいが、起きてしまったことは、起きてしまったことだ。





前段の終わりで、「私には、わからない。ただし、私にわかろうがわかるまいが、起きてしまったことは、起きてしまったことだ」と書いたが、この「わからなかったこと」のひとまずの解答を書こうとするのが、この本だ。別の言葉で言えば、中田と私がこの本で書こうとしているのは、私たちが現在生きる世界が何を意味しているかだ。時間軸で表現すると、現代世界の意味、ということになるだろうか。しかし、現代世界の意味するところといっても、私たちは、この本で現代の「分析」ということは行ってはいない。ましてや、現代の「解説」なども行ってはいない。そんなことをしても、
まず退屈するのは私たちであり、実際、私たちが生きるうえで何の役にも立たないことがよくわかっているからだ。

では、何を書いているか。それをあえてこの本に出てくる順序で、キーワードで表してみると、村、近代化、化石燃料、土、水、ヒト(種としてのヒトであり、ヒト科ヒト属ヒト種のこと)、ゴミ、そして私たちの日々の生活となる。なんだか判じ物みたいだが、最後までお読みいただければ、そのつながりがはっきりおわかりいただけるものと思う。

(『ムラの未来・ヒトの未来-化石燃料文明の彼方へ』p10~12 より)




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