2013年9月27日金曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第9号「オラたち指導員の四苦八苦」

 

目次

1.先輩指導員からの「研修の心得」
2.やり取りのテンプレートができていた
3.オラが提案しちゃいけねぇ
4.みんなって誰?












8月はほぼ2週間、ラマラジュさんヒロアキ、そして筆者はインドを離れ、ソムニード20周年記念事業の一環として、日本に滞在していた。
各種ワークショップに参加し、日本食に舌鼓を打ち、大阪・名古屋で水に関するシンポジウムに出席し、
時々インドご飯を食べて、お腹も心も満たされて8月末に南インドは農村部に戻ってきた。

7月には雨季が始まったものの、村に戻って来てみると、カラッカラに乾いた水田。
あわや干ばつか、と思った矢先にまた雨が降り出し、それからずっと降ったり止んだりの天気が続いている。
植えた稲の苗が枯れる心配もなくなり、ようやく村のオッチャンオバチャンたちも、研修再開である。

1.先輩指導員からの「研修の心得」


2007年から事業に参加している古参組のP・B・G・T村。
これらの村が、周辺の村も巻き込んでいこうと奮起して、合計15人の指導員が去年誕生している。15人の内、T村の3人は開店休業中。
前号でお伝えした通り、にっちもさっちもいかない状況がまだ続く。
残りの12人の内、B村の1人の青年が、村の近くで始まった役場主催のパソコン教室に通い出したものの、パソコン不足ということで教室が即日閉鎖となり、別の町にパソコンを習いに行ってしまった。
来年には戻って来るとの言葉を残していったが、どうなるかは誰も知らない。
実質11人で、10か村を対象に研修を行っているのだが、新たに2人が指導員になりたいと、指導員研修にやって来た。いずれも20代半ばの青年である。
これで、現在、実際に研修を行える指導員は13人。その内女性は一人だ。
7月・8月が農繁期で研修を行えず、先輩指導員たちはほぼ2か月のギャップを経て、再び研修を始めることに。
その前に、2人の新人指導員に対して、まずは「指導員の心得」から始まる「研修とは何か」というオリエンテーションを先輩指導員から行ったのだが、
2か月のギャップなんてモノともしない人もいれば、まるで初期化されている指導員もいる。
とりあえず、次の原理原則は覚えていてホッとする筆者たち。

聞いても【 】。
見たら【 】。
やってみて【 】。
【 】すれば、自分で(その技術を)使うようになる
(【 】内に何が入るか、読者のみなさんも再度考えてみてください。)

そして指導員の中でも人一倍機転が利くアナンドが、
自分の今までの体験から「研修の心得」を伝えた。
「最後にポイントを言うのは、参加者だよ。
指導員のしゃべる時間は、参加者たちが発言する時間よりも少ないといけない。
そのために、参加者たちの関心を引き出し、
どんな発言も無下に否定せずに、自分たちで考えて答えを発見していくようにしないとね」

聞いていてホレボレするアナンドの『研修の心得』。
彼が研修をするとき、筆者たちは大船に乗った気分で、いつもモニタリングをしている。
しかし、最近の指導員たちによる新規参入村の村人たちへの研修で、ある一つの傾向が出てきていた。
研修を受ける村のオッチャンオバチャンたちは、もうすでに「流域とはなんぞや」ということを知っている。
そして「流域」が一連の研修の重要キーワードということも、身に染みついている。
そうすると、理解の有無に関わらず、「これを言えば指導員たちが喜んでくれる」ということを掴んでいる。
それに指導員たちが気づいているかどうか、ソムニード(現ムラのミライ)・スタッフによる指導員たちへの指導員研修で、確かめてみた。


2.やり取りのテンプレートができていた

指導員たちが最初の指導員研修で抽出した11の研修トピックに基づき、筆者たちは6つの研修マニュアルを作っている。
指導員研修では、その研修マニュアルに基づき、基本的な流れやポイントを確認しながら、
どうやって自分(指導員)たちが、村の人たち(研修参加者)から答えを引き出すかを練習するのだ。

ある日の指導員研修。
いつもとは少しスタイルを変えて、
・筆者たちが指導員役、
・13人の指導員たちが「新規参入村のオッチャンオバチャン(研修参加者)」
のつもりになって、模擬研修を行った。


「植物図鑑が必要だと言いましたよね?何のために必要なのですか?」
と聞く筆者。
「無くなりかけている薬草とかを記録するため」
と答える村人役の指導員アナンド。
「他には?」
「子どもたちにも教えるため」
「何を?」
「薬になる木とか植物とか、そういう木を切らならないように教えないと。」
「なるほど。だけどあなたたちも、薬草関係の植物を知っていても薬屋さんで薬を買ってますよね?切ることの何がいけないのですか?」
と、指導員が絶対に聞くであろう質問をする。
「そうだけど・・・・そうそう、木を切ると、そこから土が流れていき、やがては岩だらけになってしまう」
と答えた唯一のオバチャン指導員パドマ。一斉にうなずく他の指導員たち。
さらに、
「例えばそこに、植物図鑑で調べて薬に使える木を植林できる」
と答える別の青年指導員。
他の指導員たちも、一様に 「正にその通り」 という顔をしている。
「マンゴーやカシューナッツのような実がなる木を植えれば、良いじゃないですか」
と意地悪な質問をするラマラジュさん。
「他に、何のために植物図鑑を作るのか、何を記録するのか、意見はありますか?」
・・・無言の指導員たち。
村のオッチャンオバチャンたちの中では、
「木がなくなれば、土が流れて山が禿げて、川にはやがて水が流れなくなる」
というセリフが常套句となっている。
そして、こう言えば指導員たちがいつでも納得する、とオッチャンたちは気づいている。
指導員たちもこれを黄門さまの印籠のように思っていて、
最近では、この文言で全てが進んでいくかのように使っている。
確かに流域管理の背景にある基本アイデアではあるが、
印籠も出すタイミングを間違えれば、その後の展開はどうなるだろう?
果たして、それだけで植物図鑑を作る必要があるのだろうか?

そして指導員たち自身で、考えた。
考えたと言うよりも、自分たちが植物図鑑を作った時の事、出来上がった図鑑、そしてどう使っているのかを思い出した。
そして、村の人たちにとって本当に植物図鑑が必要なのか、何のために必要なのか、を引き出していくにはどうすれば良いか、再び考えた。


3.オラが提案しちゃいけねぇ

トピックは変わって、「オラが流域のミニチュア作り」へと移る。
自分たちもやって来たように、
画板上に「オラたちの流域」を粘土で再現し、絵の具で川や池や道路、集落なども描き込み、
現在の保水土対策と、今後の計画をそこに表すのだ。
ここでも、指導員たちはあくまでも問いかけを続けることで、
村のオッチャンオバチャンたちが
『村の人たち全員が、自分たちの流域について共通の理解をもつ』ことの重要性に気づき、
ミニチュアを作る行動に移せるようになるのが目的だ。
ところが、どこの村のオッチャンオバチャンたちも、
「模造紙に地図を描けば良い」
という意見が最初にでる。
指導員たちも、一度は通った道。
実際に、自分たちも2009年~2010年頃、まずは平面に地図を描いて、
流域の範囲や現状・そして計画を村の人たちの間で共有しようとしていた。
しかし、最終的にはミニチュアを作って、今後の計画を立案した経験がある。
視覚化された教材は、言葉だけで説明を受けるよりも分かり易い。
では、ミニチュアの代わりに、地図(平面図)では何が不十分なのか?

13人の指導員たちのエース、アナンドは、「地図で良いよ」という参加者たちに対して、
こんなワークショップを実施した。
「では、3つのグループに分かれて、『子どもからお年寄りまでが一目で分かる、自分たちの流域』を地図に描いてください」



30分ほどの作業を終えて、満足げなグループもいればそうでないグループも。
「そしたら、Aグループの地図をBグループのプラカシュさん、あなたが説明してくれますか?」
この指示を聞いて、プラカシュのみならず、Aグループ全員がぽかーんと口を開けている。
周りに押しだされるようにオッチャンは前に進み出ると、Aグループが描いた地図の前に立ち、しばらくじーっと見つめていた。
「え~~~~~、これが○○山で、こっちがXX山?
なんでこんなとこに、こんな川が?この丸いのは、池か、オイ?池ならもっと麓だろうが。・・・・う~、わかんねぇ」
なんとか地図を読み取ろうとするプラカシュ。
「オラたちの村がない」
と、ぼそっと呟く別のオッチャン。
ここは、3つの村が水源地から中腹にかけて点在し、ひとつの小さな流域を作っている。
この内、中腹にある村がその地図から抜けていたのだ。
「川なのか道路なのか、分かんないわよ」 「っていうか、すべての山が入ってないじゃない」
と口を出すオバチャンたち。
ただ黙って、そんなオッチャンオバチャンたちの様子を、アナンドはただ見ている。
別の言い方をすれば、待っているのだ。
村の人たちが、地図では何が表しきれないのか、代わりにどうすれば良いのかを言ってくるのを。

「地図でイケると思ったのに、難しいなぁ」
「どこが難しかったですか?」と聞くアナンド。
「ぐるりと囲む山が、上手く模造紙に描けない」
「山とか村の位置で、どっちが高いとか低いとか、分かりづらい」
3つのグループの地図を見ながら、色々出てくる意見。
「なら、それらを表せる方法はありますか?」
「ガネーシャみたいに、像を造ればええんや!」と、オバチャンの一人が言った。



ガネーシャとはヒンドゥー教の神様の一人で、毎年8月末か9月頃にガネーシャの誕生祭と言うのがある。
その時に、手のひらサイズから果ては40メートル級のガネーシャ像がインド国中で飾られ、
一定期間お祈りをささげた後、海や川、池などに沈められる。ガネーシャ像は、粘土やプラスティックで作られるのが主流だ。


このオバチャンは、そのガネーシャ像を思い出したのだ。
「そうそう、ガネーシャ像みたいにすれば、デコボコも分かり易いわね」
と、赤ちゃんを連れて研修に来ているオバチャンが言う。
「地図だと分かりづらい山の反対側も、それなら作れるな」と青年たちも納得。
そして、「粘土で作ろう」という意見で一致した後、
アナンドが、
「実際の大きさよりも小さいサイズで立体的に表すことを、「ミニチュア」と言うんですよ」
と説明した。
こんな風に、その場の状況や参加者の様子を見ながら研修ができる指導員は、アナンドとパドマくらいだ。
この2人の成長ぶりには、ラマラジュさんも舌を巻いている。


4.みんなって誰?

研修にやって来る村のオッチャンオバチャンたちの中には、
声のでかい人、恥ずかしがり屋の人、横槍ばかり入れる人などなど、様々な人がいる。
流域管理事業は、個人単位の事業ではない。
村単位で取り組まなければならない活動だ。
そうした中で、研修に参加していない人たちが、今までの経緯、あるいはどんな研修が開かれているのかを知っているか、というのは
情報共有がされているかどうかを測るひとつの方法である。
ある日のP村の指導員たちの研修がひと段落した時に、指導員や参加者から許可をもらって、ラマラジュさんが今回初めて研修に参加する人たちに、質問をした。
「前回、いつ研修があったか知っていますか?」
「先週の土曜日やったかな?」
と答えるオッチャン。
「何についての研修だったんですか?」
「さぁ」
と答える人もいれば、
「なんか、植物がどうのこうのって言ってたのが聞こえてた」
と言うオバチャン。
すると、今までの5回の研修に全て参加してきた30代前半の威勢の良いオバチャンが、
「あのねー」と、前回の研修について話し出した。
そこに、いつも中心的に発言をするオッチャン達数名が加わり、
やいのやいのと今までの研修について、好き放題に話している。
「例えば、ポーライヤさん。あなた『走れ』って言われたら、どうしますか?」
と、突如ラマラジュさんが尋ねる。
「え、『なんで?』って聞く」
「『とにかく走れ』って言われたら?」
「『どこまで?』って聞く」
「それに答えてくれなかったら?」
「じゃぁ走らない。だって訳わかんないし。」
「あなたたちが、今日の研修に来た目的は何ですか?」
と、やり取りを引き継ぐ。
「なんだか参加してみたかったから」
と答える人もいれば、ただニヤーっとしている人も。
「いつまで、この研修は続くのですか?」
「さぁ?」
「もともと、誰が何のために、P村の指導員たちに研修をして欲しいって頼んだのですか?」
「・・・・・」
「これは、誰のための研修ですか?」


「みんなのためよ」
と、威勢の良いオバチャン、スジャータが答える。
「みんなって誰?」
「この村の全員。子どもからお年寄りまで。男性たちが中心になって、これからこの村を良くしていくの」
「男性が中心なら、スジャータさんはどうして研修に来ているの?」
このソムニード・スタッフと、今まで研修に来たことのないオッチャンオバチャンたちとのやり取り、
そしてスジャータとのやり取りを傍で見ていたP村の指導員たち3名。

今までの研修の事が共有されていないことや、集会のような場がない事、
集まっても男性ばかりがただ車座になって世間話のついでのように色々話をしていること、
そして議事録が残されていない事、などが浮き彫りになった。
「私も、植林とか必要になったら、作業に参加するの。だから研修に来てる」
と、別のオバチャンがボソッと言った。
そして、研修が終わった後2日以内に集会を開き、
不参加だった村の人たちにも研修で何を話し合ったのかを共有し、
最後にノートにその内容と集会に来た人たちのサインを取る、ということが決まった。

全部で10か村ある新規参入村だが、
「みんな」イコール「4~5人の村人たち」だったり、研修記録が無かったりという村が、ポツポツ出てきた。
指導員たちも研修参加者たちも、「研修」に慣れてきた頃に出てくる罠。
でも、こんな研修ができる指導員たちは他にはいない、と確信する筆者たち。
気持ちを新たに引き締めつつ、研修もだんだんシフト・アップしていく。

 

注意書き

  ラマラジュさん=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部からおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。

  ヒロアキ=今年6月末からインドに赴任してきた新人駐在員、實方博章。ヒーローのニックネームで、山を駆け回る。

  筆者=前川香子。プロジェクト・マネージャーを務める。

  【 】すれば、自分で(その技術を)使うようになる=答えはこちら。聞いても【忘れる】。見たら【覚える】。やってみて【解る】。【発見】すれば、自分で(その技術を)使うようになる。
詳しくは、和田信明・中田豊一著「途上国の人々との話し方~国際協力メタファシリテーションの手法」みずのわ出版