インタビュー修行は順調だったものの、それが現場ですぐに活かせるかというとそうは簡単にはいきません。自分で計画し、相手にお願いしてさせてもらうインタビューは、いわば事前にそれなりに聞くことを想定し、自分が聞きたいことを質問していくのですから、慣れてくればそれは順調にいくわけです。しかし、現場で、その場で、しかもいつも違う状況の中で、となると話は違います。こちらが望むようなおあつらえ向きの状況、そんなものがあれば、の話ですが、などありようはずもありません。
その場で確かめられることは、その場で確かめる
しかし、そんな状態からのブレークスルーのようなものが、ある日訪れました。ちょうど乾季の暑い日だったことを覚えています。ある村で、1人の農民の乾季の「困りごと」についての聞き取りを行なっていた時のことです。乾季の農民、特に「土地なし」の農民にとっては、仕事がないというのが「困りごと」のパターンです。この時も、私は彼の話を聞く前から、「仕事がない」、では「何か仕事を生み出すプログラムを考えなければいけませんね」などという埒もない想定問答を考えながら対話を試みました。
私:今、何に困ってますか。
彼:農繁期ではないので、仕事がないです。
私:なるほど。それはいけませんね。で、今は何をしているのですか。
彼:唐辛子を作っています。
私:えっ?(彼は、「土地なし」農民じゃなかったっけ)唐辛子って、どこで作っているのですか?
彼:ほら、あそこ。斜面の畑。
私:(なんと、あそこは彼の畑?)
この話は、「途上国の人々との話し方」にも紹介しています。その場で確かめられることは、その場で確かめる、ということが漸く体に落とし込めてきた、そんな感触を得た最初の例なので私の記憶に残ったやりとりだったのでしょう。このような問いかけができると、そのあと、「いつから作っているのですか」、「唐辛子の前は何を作っていたのですか」、「収穫はいつですか」、「収穫後は誰に売るのですか」など色々聞けますね。「農繁期ではないので、仕事がないです」に対して、「それは困りましたね、どんな支援が必要ですか」と返してしまえば、彼との対話はそこでお終い。対話が終わってしまえば、彼について何も知ることができず、つまるところは彼のリアリティーに迫ることはできず、十年一日のごとく同じようなプログラムを続けることになります。
支援という名の視野狭窄
しかしこれ以上に私に学びを与え、その後の現場でのパフォーマンスを向上させるきっかけを与えてくれたのは、「ほら、あそこ。斜面の畑」です。私にとって、これはちょっと衝撃的でした。なぜなら、それまで私は村に行って、村のことを観察したことがなかったのです。もっと端的に言うなら、農民相手のプログラムをやっているのに、農業の現場そのものをじっくりと観察したことがなかったのです。ちゃんと観察していたら、このやり取りももっと違ったものになっていたでしょう。例えば、
私:いやー、暑いですね。今年の夏も焼けるような暑さですね。
彼:まったくだ。
私:ところで、あの丘の斜面の畑、あれはどなたの畑ですか。
彼:あぁ、あれか。あれは俺んだ。
私:そうなんですね。今は何を作っているんですか。
彼:唐辛子さ。
私:いつから作っているんですか。
という具合に、最初から「相手の話を聞く」ということができるようになります。言ってみれば簡単な話です。しかし、この簡単なことに何年も気づかなかったのですから、お恥ずかしい話です。これも、それまでは常にプログラムありきで村に行っていたからでしょう。支援という名の視野狭窄です。
世界は話のネタに満ちている
こうして、まず観察する、それも農民に会って話を聞くまでに、周りをよく観察しておく、そして話を聞く相手のこともよく観察するということを意識的にやるように心がけるようになりました。すると、なんと世界は話のネタに満ちているではありませんか。というより、観察するだけで、自分がまったく知らないことをどれだけ見過ごしてきたのか、よく分かりました。あそこに植えているのは、ソルガムだな、ソルガムはいつ頃植えていつ頃収穫するのだろうか。あ、この人が持っているナタはどこで買ったのだろうか、どんな作業に使うのだろうか、など、こちらが学ぶべき教材が、答を教えてくれる人とともに私をいつも待ち受けていたのだということをやっと理解したのです。
これですぐにやっていることが変わったかというと、そう簡単にはいきませんでしたが、このことに気づくと、なんだか私の視界を覆っていた靄が、少し晴れたようなきがしてきました。なんだ、未来は明るいじゃないか、とまではまだいきませんが。
この続きは、また次回ということで。
和田信明(ムラのミライ海外事業統括)