2014年8月26日火曜日

インドの山奥での活動の原点は、日本の山奥にあり。

私がムラのミライ(旧称ソムニード)に入ったのは20057月。当時はスタッフになるためのインターン期間という位置づけでしたが、この時に、ファシリテーターの世界に足を踏み入れたと言えるでしょう。ただ、自分の過去の経験を振り返ってみると、既にその世界を垣間見てたんだなぁと、後になって気づきます。

 「スターウォーズ」はエピソード1にダースベイダーの誕生秘話があるように(ちなみに、私はこのシリーズを全く観たことが無いです)、私にとってのエピソード1は、ムラのミライに入る前、長野県の山奥で始まっていました。

 私の前職は、過疎の村での廃校を利用したフリースクールと村おこしを目的にしたNPOです。そこで「農業の先生」として在職されていたのがIさん。だけど農家ではなく、50キロほど離れた町で暮らし、長年の会社勤めを辞められた後に、初めてこの村に来られたいわゆる「ヨソ者」です。

Iさんは一日中、田畑や山を村の人たちと歩き回り、畑や道端で話をする毎日。会話の中でピンとくるものを拾い上げて、話を掘り下げておられました。

 Iさんの投げかけが『事実質問』だったかどうかは、はっきりと覚えていませんが、村の60代、70代の方々は、いつも嬉々として喋っておられました。そして、絶えていた在来種の茄子を復活させようと、農家の方が自ら模索し始めたその行動を傍らで見ていて、「これってなんだか楽しい」という感覚が、私の中に染みついていったのでした。

 またある日のこと。フリースクールに在籍していた中学生が、村の農家さんとIさんに弟子入りして畑作を始めた時、「苗を買いたいからお金をちょうだい」と、事務をしていた私に手を差し出して来ました。

 「何の苗をどれだけ買うの?」「いくらするの?」と、私はとっさにIさんではなく、その子に尋ねました。その場にいたIさんも、口出しせずにただ黙っているだけ。そこからのその子の行動は、今思えば、インドの村の人たちとほぼ同じ行動でした。

 この後、Iさんから、私の取った行動に対して「エライ」と言っていただいたのです。

 でも、何がエライのか、その時には分かりませんでした。ただ、その子がIさんたちに訊きながら、そして時々愚痴をこぼしながら、汗を流している姿を見て、「こういうの、なんだか楽しい」と感じたのでした。

 この時は自分の中で消化できていなかった体験と感覚ですが、数年経った今となっては、その仕組みが分かります。

 そして、この「なんだか楽しい」という原体験を味わわせてくれて、この世界に足を踏み入れる動機を作ってくれたIさんは、私の人生の師匠の一人です。



(事務局次長/海外事業部チーフ 前川香子)