2015年8月17日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 よもやま通信 第22号「奇跡じゃない、これがオラたちの軌跡」

 7月下旬、例年、村人たちは田植えの準備で忙しい。ところが今年はどうやらお天道様が頑張りすぎているらしく、まだまだ夏の暑さが続く。待っても待っても来ない雨を、辛抱強く待ち続ける村人たち。8月に入ると、やっとたくさんの雨が降るようになってきた。これから、村人たちの農業が始まる。



1    雨降って、さぁ植林

指導員の力を借りつつ、植林計画を完成させた村人たち。合計8か村から58世帯が植林を行う。植木屋に苗木を注文し、村で手に入る株分け用の茎(植林方法の一つ)は自分たちで収集して、準備は万端、あとは雨が降るのを待つだけだ。
と、思いきや、なかなか雨が降らないうえに、降ってもすぐにやんでしまう。
「こんなに雨が降らないのは30年ぶりだ」
ラマさんも首をかしげている。なにより大変なのは村人たち。植林はともかくとして、これっぽっちの雨では生活に一番重要な米づくりができない。
そんな不安な日々が続く中で、8月に入ると少しずつ雨が降り始めてきた。田植えが出来るようになるまではもう少し雨が降るのを待つ必要があるものの、これでなんとか植林活動は始められる。
「植林をするからモニタリングに来てほしい。」
と最初に連絡があったのは、コッタグダ村だ。コッタグダ村は12世帯と、他の村と比べても小さな村で、テルグ語の読み書きができる人が数人しかいない。活動をしていく中で読み書きが必要なときは、いつも1人の青年がその役割を担っている。
植林当日、コッタグダ村に出かけて行ったスタッフとポガダヴァリ村の指導員たち。しかし、村に到着してみると植林を行う9世帯のうち、3世帯の人たちしかいない。ちょうど雨が降ったので、他の村人たちは田植えに行ってしまったのだ。そして、いつも読み書きを担当し、音頭を取っている青年も別の農作業に行ってしまって、いない。
もちろん、読み書きの出来ない村人たちも植林の経験はあるし、植物の知識は豊富だ。植林計画も、読み書きが出来ない人でもわかるように、木の名前ごとに色を変えてリストを作り、縮図に描きこんでいる。だけど、その場を仕切り、村人たちを統率する青年がいないため、村の人たちの重い腰がなかなか上がらない。
そんな中で、これまで研修に参加してもいつもの青年に隠れて前には出てこなかった少年スレッシュが、リーダーシップを発揮した。彼は、縮図を読みながらその土地の持ち主や作業を手伝っている人たちに説明をして、苗木の種類と間隔にも注意しながら植林活動を手伝った。
計画に基づいた複数の樹種を植える植林をした経験がなくて、戸惑っていたコッタグダ村の人たちも、この若者の活躍に刺激を受けたのか、翌日には残りの村人たちも植林に取り組み始めた。いつも村での読み書きを担当している青年の不在で、どうなるかと思ったコッタグダ村の植林は、もっと若い世代の活躍で、無事に実施することができた。スタッフも、指導員も知らないところで、着々と若い世代が育っているのだ。
そして、村人たちが一度やる気になりさえすれば、
「ライムの木は水がたっぷり必要だから、こっちに植えた方がいいぞ」
と言った具合に、植物の知識が豊富な年配の世代が今度は若い世代を助ける。計画に沿って、時には修正しながら、植林をする。植林そのものは、個人の土地でしていても、村人たちは世代を超えて協力しながら、森づくりを進めている。





    





2    ブータラグダ村の裏舞台

前回のよもやまで触れた、「オラたちの村づくりを他の村の仲間たちに」。事業パートナーのJICAチームの訪問時に他の村の人たちも呼んで、これまで行ってきた活動を劇の形式で発表することに決めたブータラグダ村の村人たちだが、そのきっかけは、ブータラグダ村での準備の日でのやりとりだった。以下はキョーコさんの回想をつづる。

15人弱が集まったブータラグダ村での準備の日。
ラマラジュさんがおもむろに尋ねる。
「例えばラジェシュ、君がハイデラバードの学校の寄宿舎で病気になったとする。で、父親はこの村にいる。父親を、例えばチュッカイヤ、君だとする。」
何が始まるのだろう、と恐る恐る話を聞いているブータラグダ村の人たち。そして言われるままに、ラジェシュとチュッカイヤはみんなの前に出てくる。
「ラジェシュの友人を、ドゥルガラオ、そして医者をラメーシュ、としようか」
ドゥルガラオもラメーシュも、前に出てきた。
「例えばこの村でも、親が不在の時に子どもが急に具合が悪くなったら、君たちはどうする?」
「助けてあげます」
「どんな風にするのか、ちょっと見せてくれるかな?医者に診せるのに必要なお金は、父親が送ってくれるとしよう。」
私自身も、最初は何をしようとしているのだろう、と思っていたけれど、ここにきてピーンときた。
ゴニョゴニョと、話し込んでいる4人。周りの人たちから急かされて、4人の寸劇が始まった。

(病人役)「あ~、苦しいよう。頭が痛いよう。う~ん、う~ん・・」
(友人役)「どうしたの?わ、凄い熱!いつからこんなに熱が?」
(病人役)「朝から・・・(シーツを被って、ぶるぶる震える)」
(友人役)「お医者に見せないと・・・っていうか、親御さんに知らせないと」
(電話をかける友人役)「もしもし、ラジェシュのお父さんですか?ラジェシュがすごい熱を出していて、お医者に見せた方が良いと思うんですけど」
(父親役)「マラリアか?・・あ、そう、分からない。とりあえず、早いところに医者に連れて行ってくれ」
(友人役)「分かりました。また連絡します」
(病人を医者に連れて行った友人役)「先生、今朝から急に熱が出た様なのですが」
(触診をする医者)「脈が速いですね。ここは痛くないですか?(病人と問答してから)血液検査をしましょう。万が一、マラリアだったら注射を打たないといけません」
(父親に電話をかける友人役)「検査をするのですが、マラリアかもしれません。お金を送ってくれますか?」
(父親役)「わかりました。お金は送るので必要な治療をしてください。また連絡をしてくださいね」
(医者役)「検査の結果、マラリアですね。注射をしましょう。(注射をしてから)そしたら、2・3日経っても熱がさがらなければ、また来てください。下がっても、1週間後にまた様子をみましょう」
(友人役)「はい」
(医者役)「1200ルピーです」
(友人役)「はい、お金です。領収書をください」
熱を出して震える病人役も、注射を刺す医者役も、さすがそういう場面に何度も出くわしているためか、とてもリアルにやってみせた。
だが、単に寸劇をするのが目的ではない。続けてラマラジュさんが質問する。
「お父さんには、この後どうするのですか?」
「友人がとりあえず電話して、注射をしたことやその後の様子を伝えます」
「友人だけが、伝えたらいいのだろうか?」
「いえ、病気になった息子本人も、連絡しないといけないです。元気になってからでも、何があって、どんな治療をして、今どうなったのか」
「そうですね」
そして、一呼吸置いてから次の質問をする。
「ところで、みなさんが今している活動は、誰と誰がしていますか?」
「ぼくたちB村と、ムラのミライと、ソムニード・インディア」
「だけですか?」
「ジャイカ」
「そうですね。今までに、ジャイカの人たちに会ったことはありますか?」
「この前、村に来られました。たしか数年前にも・・・」
「来週、また来られます。ジャイカの人たちに、何があって、何が起きて、どうなったか、それを説明するのは、誰がいいのでしょう?」
「ボク達だ」
「そうです。ムラのミライも、ソムニード・インディアもジャイカに伝えています。だけど、あなたたちからも、伝えなければいけませんよね。私たちは、伝えることができます。だけどそれは、ムラのミライがあなたたちの活動を見聞きしたことであって、ブータラグダ村が経験したこと、その時々で考えたこと、感じたことを伝えることができるのは・・」
「ボク達です」
「じゃぁ、どうやって伝えましょうか?2007年の事は、もう実物を見せられません。どうしますか?」
そして、集まっていた村の人たちが頭を寄せて考え始めた。
まずは何が起きたのかを順序だてて思い出す村の人たち。議論を引っ張るのは、指導員も務めるアナンド。私たちが忘れかけていた細かいことまで、覚えていた。
ただ何をしたか、何が起こったかを思い出すだけではない、その結果、どうなったのか。
そして、その結果がこのブータラグダ村にどういう影響を及ぼしたのか、そうした事を見ていくのが、自分たちで行う評価である。
模造紙に書いて読み上げるだけの発表はつまらないと、劇も交えて、2007年からどう変化していったのかを小道具でも表現することになり、JICAの人たちが来る日まであと10日と迫る中、彼らの準備は急ピッチで進んでいった。
そして、改めてこれまでのプロセスを自分たちで振り返ったオッチャンオバチャンたちは、
「JICAだけじゃなく、この事業をしている他の村の人たちにも見てもらおう」と奮起して、約100人が座れる場所や昼食の準備も、「任せておいて」と頼もしく宣言してくれたのだ。



3    奇跡じゃない、これがオラたちの軌跡

最終評価当日、ブータラグダ村を訪れるスタッフたちとJICAチーム、この時期に合わせてネパールから和田さんもやってきた。
村人たちが準備した会場には、砂で作ったブータラグダ村の流域のミニチュアと、村でとれる作物やSRIの稲のモデルが展示されている。JICAチームや和田さんたちに用意された歓迎の花の首飾りには、2009年に植林した木が咲かせた花が使われ、濃厚な香りを放っている。この地で「サンパンギ」と呼ばれるインド原産の木だ。劇の準備だけでも大変だっただろうに、自分たちで工夫しながら会場を設営して、スタッフとJICAチーム、そして他の村の人に、これまでの活動を伝えようとするブータラグダ村の人たちがより一層頼もしく感じられた。


音声のチェックを終えて、会場の準備は整った。隣のパンドラマヌグダ村とバルダグダ村から、そして車で2時間も離れたポガダヴァリ村とアナンタギリ村から、招待された村人たちがぞろりぞろりと集まって来る。それに合わせて準備に携わっていないブータラグダ村の村人たちも会場にやってくる。
『これから何が起きるんだろう?』と、ワクワクしながら、お父ちゃん、お母ちゃんが働く姿を見つめる村の子どもたち。立派に会場を仕切る息子たちを静かに見守る村のおじいちゃん、おばちゃんたち。会場が一杯になった。アナンドがマイクを握る。彼は流域管理の指導員として、村のリーダーの一人として、流域管理の活動を引っ張ってきた。ムラのミライとソムニード・インディアのそれぞれの代表格和田さんとラマさん、2007年からずっとB村に寄り添い研修を行ってきたキョーコさんとラマラジュさん、他のスタッフたち、JICAチーム、招待された他の村の人たち、それぞれの紹介を終えて、いよいよブータラグダ村の軌跡の発表が始まる。



...そう、始まりは2007年、ムラのミライ、ソムニード・インディアとブータラグダ村との出会い。
最初は、流域なんて言葉も知らなかった。でも研修を受けて、自分たちの流域のことを知った。自分たちの村にある資源を知った。植物図鑑を作って、計画づくりのやり方を学んで、石垣をつくって、植林をして、今度はそれを村のみんなでメンテナンスできるような仕組みをつくって、、、
少しずつ自分たちの森のことを知って、それを守り、今度は農業に活かすための実践を続けてきた。そして、自分たちが習得した技術を隣の村にも教えるようになった。
今では、自分たちで流域管理の計画を立て、それを実践できるようになった。今では、乾季でも村で水が手に入るようになった。今では、農業の計画を立てて、小さな土地を有効活用して、より多くの、多種類の作物がとれるようになった。今では、化学肥料に頼らなくても、ミミズや牛糞や葉っぱを利用して、土に栄養を与える方法を知った。毎月各世帯から貯金を募り、今では村の中でお金の貸し借りが出来るようになった。そして、今では
「安全な水と土で安全な野菜を作り出す村、そして高利貸しなど外部からの融資に頼らなくても自活していける村」
という目標を立てて、それを達成するため2020年までの計画を立て、実行している。
誰かが『あーしろ、こーしろ』と、指示したわけじゃない。この全ては、ブータラグダ村の人たちが自分たちの意思で続けてきたこと。自分たちの意思だから、8年間、ずっとこの活動を続けてこられた。
ブータラグダ村の軌跡の発表が終わると、会場からは拍手が巻き起こった。司会をしていたアナンドがブータラグダ村のみんなを呼び寄せた。子どもたちも、若者たちも、お母ちゃんも、お父ちゃんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、『これがオラたちのブータラグダ村』だと言わんばかりに、その嬉しそうな顔には、自分たちの村を誇る自信が感じられた。
素晴らしい発表に筆者も感動した。そしてなによりも、この日のために村で計画をして、準備をして、私たちスタッフや他の村の人たちを招待して、この大きな催しを成功させたことがブータラグダ村の成長を物語っているような気がした。ブータラグダ村だけが特別だったわけじゃない。ただ、一つ一つの研修を積み重ねて、村のみんなで考えて、村のみんなで計画し、村のみんなで実践をしてきたから、いまのブータラグダ村がある。



他の村人たちは、このブータラグダ村の軌跡を聞いて、何を思ったのだろうか?
司会のアナンドが、他の村人たちにコメントを求める。
同じ2007年から流域管理を続けてきたポガダヴァリ村のチャンドラヤは、
「オラたちも、流域について学んで、植林をして、石垣をつくって、農業のことを学んで、、、」
と、自分たちの活動もアピールするように身振り手振りで話しだした。ブータラグダ村の発表に触発されたのか、前日にJICAチームがポガダヴァリ村を訪問したときよりも、もっと威勢がいい。同じく前日にJICAチームが訪問したときは、恥ずかしがる表情を見せていたアナンタギリ村のクリシュナも、今日は堂々と話している。
パンドラマヌグダ村とバルダグダ村は、ブータラグダ村の指導員から流域管理について学んできた。指導員たちから学び、実践してきたことを振返って、
「自分たちもこの流域管理の活動を続けて、ブータラグダ村のようになりたい。」
と抱負を語った。
ブータラグダ村の発表は、ブータラグダ村の人たちだけでなく、他の村の人たちにとっても、自分たちの活動を振返り、評価する機会になったのだった。そして、その振返りをもとに、これからの村づくりを考えるとき、他の村にとって、ブータラグダ村は一つの道しるべになる。
2007年に始まった流域管理プロジェクト。2015年8月31日で、2011年9月から始まった草の根事業(第2フェーズ)は終わりを迎える。そのため、今回JICAチームを迎えて行った【最終評価】。
でも、ブータラグダ村の村づくりの活動のなかでは、これはきっと通過点にしか過ぎない。このプロジェクトで学んだことを活かし続けながら、お互いに新たに学び続けながら、そしてその学びを、流域を共有する他の村の仲間たちに伝えながら、ブータラグダ村の村づくりは続いていく。




「あれ、よもやま通信2部も今回が最終回?」
、、、ではありません。プロジェクトのお話はもう少しだけ続きます。次回のよもやま通信もお楽しみに。

注意書き

ラマさん:SOMNEED Indiaの代表で、植林活動においては、30年に渡る豊富な知識と経験を持つ。
JICA:国際協力機構。本事業のパートナー。
キョーコさん:前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、本事業のプロジェクトマネージャー。流域管理プロジェクトの他にも研修事業から出版事業まで全てを統括するスーパーチーフ。
ラマラジュさん:よもやま第一部からおなじみの名ファシリテーター。現在はビシャカパトナム市にてムラのミライ・コンサルタントとしてプロジェクトに従事。5月下旬から6月上旬に来日し、高山、東京、名古屋でセミナーや研修を行った
和田さん:2015年5月までムラのミライ共同代表を務め、同年6月からは、海外事業統括としてムラのミライの活動に携わる。

筆者:實方博章。