2009年4月13日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第12号「七転び八起き、活動計画への道のり(3)」(2009年4月13日、23日に前編、後編に分けて発行)

 

目次

1. 活動計画は”作ったら終わり”じゃない
2. 森林と灌漑設備の専門家に学ぼう
3. どんな地図が必要なの?

1. 活動計画は“作ったら終わり”じゃない

一年で一番涼しい時期である1月、マーミディジョーラ村(以下、マ村)やポガダヴァリ村(以下、ポ村)、そしてゴトッゥパリ村(ゴ村)のオジサンやオバチャンたちは、今まで何のメンテナンスもしてこなかったため池など、灌漑設備の底にたまった堆積土の除去や土手の補強作業をしていた。

前回から続いている活動計画作りの中から最優先活動を取り上げた、2008年度版活動計画の実行なのだが、計画したとおりの期間内に作業を開始して終わらせられるのは、十ある作業の内一つか二つ。
「どれだけ進んだかな?」と、村でもオジサンたちがファイルにとじている活動計画表を見ながら、村の人たちと巻尺で作業途中のため池の体積を測り始めると、まだ何も聞いていない内から
「いやぁ、思った以上に土が固くてねぇ」とか、
「来ると思ったオヤジ連中が来ねえんだ」とか、なんやかんやと理由をつけて予定通りに作業が進んでいない言い訳を始めるのだが、とりあえず途中で放り出すことなく完了させてきた。
「とりあえず掘っちゃえ」とならないよう、活動計画表をいつも見るように促し、ため池の体積が作業前に比べてどれだけに増えているのか、村の人たちとチェックしては目標サイズと照らし合わす。



労賃の支払い日には、自分たちで記録付けている作業記録簿を提出してもらい、各村人への支払額を算出する。そして、今回、甘く計算していた作業期間や、一日の作業ペースを見直して、これから完成させていく中期活動計画表に反映させていくべく、マ村・ポ村・ゴ村のそれぞれの作業内容や労働延べ日数を共有する。

手足だけを使う労働者ではなく、自分たちで計画して、責任者が指揮して、労働して、記録も付けるという一連の作業に勤しむ村のオジサンやオバチャンたち。

 

2. 森林と灌漑設備の専門家に学ぼう

そんな忙しいオジサンたちの元へ、南隣の州、タミルナードゥ州から列車に揺られること1日半かかってやって来たのは、森林専門家のティナガランさんと灌漑設備の専門家シバナッパンさん。

二人とも80歳近い高齢だが足腰は強く、陽が照りつけるフィールドでもヒョイヒョイと歩き回る元気なオジイチャン達。



早速村に入ると、「このため池へはどこから水が流れ込んでいるんじゃ?」「この斜面には石垣があれば良い」「この村には○○という木はあるのかの?」「岩だらけの場所での植林は、まずこうすればいいんじゃ」と矢継ぎ早に質問やアドバイスが飛び交い、ラマラジュも声をからしながらの通訳をする。
そして、二人がマ村を訪れたとき、私たちはものすごい発見をしたのだ。

今までチャタジーさんや黄門様が2回ほど訪れたチェックダム(よもやま通信第1号、第7号参照)。今回もこの場へとみんなでゾロゾロと歩いていったのだが、マ村の人たちの作業によってつもりに積もった泥が取り除かれて、以前は見えていなかった底など全貌が明らかになっていた。



そしてこれを見たシバナッパンさんは、「おい、これはチェックダムではないぞ。水の流れを変えるための水壁じゃ」と指摘。
ダンダシを含めて狐につままれたような村のオジサンたち。
これはいわば、「露天風呂」だとおもっていたら実は「池」だった、というくらいのマヌケな発見であるが、堆積土除去作業のおかげで遺跡発掘というオマケがついてきた。

ポ村、マ村は、村の中で二人の専門家から色々とアドバイスを受け、ゴ村は研修センターでのまとめの日にマ村やポ村の振り返りの発表を聞いた。そして、「理解したこと」「これからの作業」を、山頂部、中腹部、裾野のそれぞれでリストを作成、発表したのだが、ゴ村のプレゼンでは、山頂からでも作物を収穫するような植林計画を自信満々に発表した。

「これまで研修してきたことが抜けてしまったのか!?」と危ぶんだ筆者たちは、山頂から裾野までの特徴を尋ねると、青年モハーンはこう答えた。

「山頂とは、人間で言うと頭の部分。中腹はおなか、裾野は足の部分に当たります!」
さらに尋ねる。

「で、山頂が頭なら、それはどういう意味ですか?」
「え~っと、てっぺん」

「・・・・・・・・・」
このやり取りを聞いていて、文字通り頭を抱えるポ村のパドマ。

私やマ村のダンダシがゴ村に行って、山頂から裾野部分まで、それぞれの区域の特徴とか必要な作業とか話したのに・・・。なんで覚えてないの~?」
一回だけの研修で、すっかり理解できたら私たちも嬉しいんだけどなぁ、と思った私たち。「またゴ村に行かなくちゃ」と、鼻息荒く決意するパドマだったが、自分が研修で教えたことをモハーンが答えられないことにず~っと、「どうして・・・どうして・・・」とつぶやいていた。

シバナッパンさんやティナガランさんたちが来る直前の中期活動計画作りの研修では、「専門家がやってくるよ」と聞いたとたん、

「新しいため池が欲しい」

「石垣が作れたらいいな」
と、この事業が開始した当初の「何かがもらえるかもモード」に一瞬逆戻りしたオジサンたちだったが、二人の専門家がタミル・ナードゥ州へと帰っていった後から、再び「自分たちでやらなきゃモード」に突入し、体積がどれくらいあれば、自分たちの農地が灌漑できるのか、再び計算機をたたき出した。

そして次に村に現れるのは、飛騨高山からやって来た測量の専門家!

 

3. どんな地図が必要なの?

稲刈りも終わって当分農作業も無いオジサンとオバチャンたちの元へ、二人のオジイチャン専門家の次にやって来たのは、飛騨地域で農場も営む測量の専門家、ワニさん。

マ村(マーミディジョーラ村)、ポ村(ポガダヴァリ村)、ゴ村(ゴトゥッパリ村)のオジサンたちは、自分たちで描いた地図を使って、今、村にある灌漑設備や今後の植林計画などについて説明したところ、「皆さんの地図もスバラシイ」と、測量専門家のワニさんからお褒めの言葉が!

そして、「これからどんな地図が必要ですか?」「誰が使うのですか?」と、ソムニード(現ムラのミライ)でおなじみの質問攻撃がワニさんからも繰り広げられる。しかし、世の中にどんな地図が存在するのかほとんど知らないオジサンたち。
初めての場所に行くにしても、「人に聞いていけば着けるさ」

山の高低や斜面の傾度にしても、「あの山がこの山よりも高くて、斜面がちょっと急なんだよな。オラたち知ってるよ」

田んぼの位置にしても、「オラの田んぼは、○さんと□さんと△さんの田んぼに囲まれていて、水路から水を引いてるよ」

等々、地図などなくても「オラたちの取って知ったる村の中」と、感覚的に生活を営んでいける。
そこで、ワニさんが様々な地図を紹介した。

「コレはワタシの農場で使っている地図ですが・・・」と、まず最初に見せた図面は、広大な田んぼを栽培している米の種類ごとで色分けがしてある、縮小サイズの違う図面を2つ。
稲作中にどのようにこの図面を利用しているのかを具体的に紹介すると、オジサンたちからは「オラたちの田んぼも、土が肥えている所、痩せている所、灌漑のやり方とかを、こうした図面にすることができるかも」という声も挙がってきた。
そして、

「地図には、自分たちだけで使うものと、他人と共有するものの2種類がある」
ということを、田んぼの耕作用の図や温泉の位置図、道路マップ等々を見せてくれて、さらに、
「地図を作るにも、測量が必ずしも必要ではない」
と、ワニさんのおじいさん達たちが昔、測量機材を使わずに水路を築いた方法も紹介して、オジサンたちを力付けてくれた。

ポ村では、測量機材を使わずに巻尺とペンと紙と、そして観察眼で、距離や建物、田畑の位置を記した地図を実際に作ってみることになったのだが・・・

30メートルの巻尺をもって、村の入り口からある地点までを測っていく村のオジサンたち。測っているオジサンたちは30メートルごとに地面に印を付けて、頭の中で「30メートル、60メートル、90メートル・・・」と計算していった。

「で、距離はどれくらいあったんですか?」と、測り終わったオジサンたちに尋ねる筆者

「はい、360メートルです」と、村のオジサン。

「え?390メートルじゃないの?」と、ソムニードのスタッフ。

「あれ、ボクがメモしたのでは420メートルだけど」と、ワニさんがメモを見せる。

「?????」
オジサンたちが測っていくのをみんな一緒について歩いていったのだが、てんでんバラバラ、しかもオジサンたちとワニさんでは60メートルもの誤差が出てしまった!

「じゃぁ、ワニさんが正しいということで」と、オジサンたちの方が正確なのかもしれないのに、安易に何も考えずにすまそうとするオジサンたちだったが、もう一度最初から測っていくことにした。



 

スタート地点を「ゼロ」として、30メートルの印ごとに「1、2、3・・・」とマーキングをしていくようワニさんからのアドバイスどおりに測りなおした結果、

「やっぱり420メートルだった」と、なぜか得意気なオジサンたち。

距離がわかってヤレヤレと安堵しているオジサンたちに、ワニさんからさらに質問が飛んでくる。

「では、田んぼは(マーキングの)何番目から何番目までありましたか?」

「お寺はどのあたりの地点にありましたか?」

「大きなマンゴーの木はどこにありましたっけ?」

「集落は、何番目から始まりましたか?」

などなど。

「え~と4番目から田んぼだったっけ」と、感覚で認識しているためにあやふやな答えしかできないオジサンたちに、もう一度実際に見てもらって、それを黒板に落としていく。

そして集落やら田んぼ等々の情報が図に加えられていき、測量機材がなくても出来る地図の一例が、オジサンたちの目の前に現れた。



マーキングをする意味、情報の取り方、地図の書き方のポイント等にフムフムとうなずくオジサンたちだったが、これはあくまでも、地図の作り方の一例であって、根本的に考えなくてはいけないことは、

「誰のために、何の地図が必要なのか?」

ということである。

このワニさんのインプットが、いつまでオジサンたちの頭に残っているか、少々不安もあるのだが(前編の中のパドマの嘆きが再び聞かれそうな・・・)、活動計画を最終化する時、そして植林や灌漑設備の建設作業が始まるときに、きっと何人かは思い出してくれるはず・・・!

今年は、涼しいはずの1月2月も早くから暑くなり始め、今は、村に出かける時間帯が早朝か夕方に限られつつあるのだが、活動計画最終化に向けて、今日もオジサンやオバチャンたちが待つ村へ、汗を拭き吹き山を登っていく筆者たちだった。

次号に続く



4. 注意書き

ティナガランさん=元森林局のトップで、知らない植物はない植物博士。

シバナッパンさん=三度の飯よりチェックダムや石垣等々が好きな元大学教授。ティナガランさんもシバナッパンさんも、ソムニードの古きよき友人たち。

ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。村のオヤジたちに上手くアメとムチを使い分ける。

黄門様=和田信明。ソムニードの代表理事。

ワニさん=和仁一博。測量専門家でソムニードの理事。飛騨地方で休耕地を利用した農場を営む。

筆者=前川香子。一度にたくさんの専門家たちから教えを受けて、オバチャンたち並に脳みそ沸騰中。