2008年12月31日水曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第11号「七転び八起き、活動計画への道のり(2)」

 

目次

1.1 初めて作る活動計画
1.2 まずはシンプルなところから
1.3 ソムニードが何かをしてくれるんじゃない
1.4 研修センター開所式のご報告
2.1 一羽の鳥を100人で食べる!?
2.2  本当に必要なのはどれだけか

1.1 初めて作る活動計画

10月終わりのこと。
これからまた真夏に逆戻りかというような季節はずれの暑さのなか、ポガダヴァリ村(以下、ポ村)とマーミディジョーラ村(以下、マ村)のオジサン・オバチャンたちは、村を山頂部・中腹部・裾野部と3つのゾーンに分けて、現在の水、森、土地の利用状況を理解しようという、オジサン・オバチャンにとっては全く初めての調査を行うことになった。オジチャン・オバチャンたちの調査の進み具合をにらみながらモニターをしていたソムニード(現ムラのミライ)のスタッフだが、そろそろ次のステップである「活動計画の作り方」の研修をはじめようと、再び黄門様の登場となった。



研修は次の2つの例え話から始まった。
「“私は、ビシャカパトナム市へ買い物に行く”というのは“計画”とよべるか?」と黄門様。

「“行く”って言ってるんだから、計画じゃないの?」

「そうだ、そうだ、これは“計画”だ。」
(※ビシャカパトナム市とは、オジサンたちの住む村からバスを乗り継いで約5時間かかって辿り着く一番近い大都市。結婚式に必要な買い物は、この街でする人が多い。)

「では、“私は、来週の月曜日に、ビシャカパトナム市へ買い物に行く”というのは“計画”とよべるか?」

「これも、“計画”じゃないの?」

「最初の例になくて、次の例にあるものはなんじゃ?」

「え~っと、“来週の月曜日”かな?」

「つまり、それはなんじゃ?」

「・・・・・・・“いつ”っていうことかしら」

「そのとおりじゃ。単に“行く”と言っているだけでは、いつ行くのかわからんからのう。じゃが、“来週の月曜日に行く”というのも“計画”ではないのう。では、他にどんな事柄が必要かの?」

「・・・・・・・わかりません。何ですか?」

「ウォーターシェッドとは何ぞや」ということを理解したオジサン・オバチャンたちに待っていたのは、次の「活動計画の作り方」。
再び脳みそを沸騰させるような研修に突入。
例えば、この「買い物に行く」という活動。

・買い物リストが必要であり、
・どの店に行くのか
・その店までバスで行くのか、乗り合いオートで行くのか
・どこに泊まるのか
・いつ宿の予約をするのか?
・移動に必要な費用はいくらか
・いつ、村へ帰ってくるのか、ナドナド
家を出る前から買い物をして家へ帰ってくるまで、数々の活動がある。
こうした細かい活動を費用なども含めて、まとめたものが「活動計画」となるわけだが・・・。そもそも、これまでのオジサン・オバチャンたちの暮らしのなかに「計画」というものなどなかった。しかも、村全体で何かを自分たちの手で「計画」して実行したこともない。
これまでうなぎ上りの勢いで研修に参加してきたマ村の人たちも、再び活気付いてきたポ村の人たちも、この「活動計画作り」に目を白黒。
次に、村の人たちに、試しに「植林をする」という活動について、「活動計画」を作ってもらった。

その項目は、シンプルに次の5つのみ。
・「何を(作業内容)」
・「いつ」
・「どこで」
・「誰が(責任者)」
・「その作業に必要なもの」
で、村の人たちが最初に作った「活動計画」は、というと…

「何を」・・・植林。
「いつ」・・・2009年1月に場所の選定、同年3月に苗床作成、同年7月に木を植える。
「誰が」・・・村人全員。
あああああ、やっぱり「活動計画」の各項目の意味は理解できていない。

しかし、驚くべきことが1つ!ソムニードのスタッフが何も言っていないのに、村の人たち自身で、3つのゾーンごとに活動計画を作っていた!!オジサン・オバチャンたちの頭の中に、「ウォーターシェッドの考え方や取り組み方」が焼きついていて、自然とそれが「ゾーンごとの活動計画」にあらわれていたことに、スタッフ一同、感動。

「もう活動計画なんてめんどくさい、“植林をする”ってことでええやん」と、途中で言い始めるオジサンもいないではないが、弱音をはかずに、オジサン・オバチャンたち自身による活動計画づくりへの長い道のりが始まった。


1.2 まずはシンプルなところから

黄門様による第一回目の「活動計画づくり」の研修から数日後。もう一度、「植林をする」という活動計画表を作ってみるが、前回と似たり寄ったり。

「ラマラジュさん、これはもう、一つ一つの項目に絞ってやっていくしかないですよ」

「そうですねぇ。まずは、“何を”、“どこで”、“いつ”、という3つの項目だけにしましょうか、キョーコさん」
ということで、またまたトライしてみた植林の活動計画。“木を植える”までに必要な作業を細かくリストアップした。

「どこで」に関しては、各村で作ったミニチュアや地図を使って、山の名前や場所を確認した。その他、どんな研修がこれから必要か、マ村、ポ村、ゴトゥッパリ村(以下、ゴ村)とそれぞれのグループに分かれて作業をすること、約1日。ポ村は、青年達が中心になって考えて考え抜いた結果、「何を」の欄には作業の内容を、「いつ」には年月日、「場所」には作業をする場所の名前が、きちんと書かれていた。

 












「おぉ~、ポ村の兄ちゃんたちスゴイねぇ。これなら、植林場所の選定から苗木を育てて、植えるまでの作業が誰にでもはっきり分かるよ。」

「そうそう、その作業に何日かかりそうかって言うのもいいねえ。」

「ソムニードの研修を受ける日も書いてあるよ!」

「でも、2月って、31日まであったっけ?」

と、何度トライしても「活動計画」のできないマ村とゴ村のオジサン・オバチャンたちは、ポ村の「活動計画」を見て、その分かりやすさにビックリ。ひとまず「活動計画とはどういうものか」を理解してもらうことが出来てヤレヤレ。
こうして、植林以外にも、保水や土壌保全のための構造物の建設や修繕に関する活動計画を、各自、村に戻って作ってみることになった。

ちょっと出遅れていたゴ村は、活動計画を作成する前に、ポ村とマ村の協力を得て、まず「オラの村ではナニをするのか」という村の集会を開くことになった。


1.3 ソムニードが何かをしてくれるんじゃない

村人から村人への技術移転が、着実にすすんでいる。
ゴ村の村の集会に助っ人として、マ村、ポ村から次の4人が出かけていった。マ村からは前号にも登場したダンダシとプラサードの男性2人。ポ村からは、オバチャンが2人で、「マイクロ・ウォーターシェッド」について説明させたら一番分かりやすいと評判のパドマと、植物図鑑作りでも指導員だったジャンマイヤ。

ゴ村の中の集落の1つで、モハーンという青年が、まずは次のように村びとを前に熱く語った。

「ボク達も、この村の森が豊かになって、田畑が潤うように、これからソムニード、JICA、マ村、ポ村と事業を続けたいと思いますが、みなさん、いいですよね?」

「それじゃあ、なんや、ようわからん。一体、ソムニードはナニをくれるんや?」
と、モハーンの話を聞いていたオバアチャン

そこで、マ村とポ村からの助っ人登場。ダンダシとパドマが交互にゴ村のオバアチャンにもわかるように説明した。
・「マイクロ・ウォーターシェッドとは何か」
・「これまでソムニードは自分たちとどんな活動をしてきたのか」
・「これから何をしようとしているのか」



ゴ村のオバチャンたちは、自分達の山岳少数民族の言葉サワラ語がしかわからない。ダンダシやパドマがテルグ語(州の公用語)で話すのを、モハーンがサワラ語に訳しながら集会は進んだ。何度かソムニードの研修に出ていたモハーン青年は何度もこう繰り返した。
「ソムニードが何かをしてくれるんじゃない。自分たちで考えて、計画して、実行していかなければならないんだ」と。

集会が進むにつれ、ゴ村のオジサンやオバチャン、若者達の一部が、「この活動は自分達の村に必要だ」と感じ始めた。その数人が、早速、ゴ村の地形や水土保全のための様々な構造物の状態を見るために、マ村とポ村の助っ人4人、そしてソムニードのスタッフと一緒に村の中を歩くことになった。

ゴ村は今年の8月の集中豪雨の際、地すべりが起き、約500メートルに渡って山肌が2メートルほどの深さでえぐられた。今後もこうした自然災害が再び起こる可能性は高く、土砂崩れ防止と保水のために何かしたいと考えている村人は多いことがわかった。またゴ村は、政府やNGOが建設した土砂流出防止のための構造物がやたらたくさんあるのだが、そのほとんどは使えない状態になっている。(人からもらったものを自分で手間隙かけてメンテはしないので、壊れたら、そのまま放置)

マ村のダンダシは、まずは世帯毎のデータや、各ゾーン毎のデータを、ゴ村も集めるよう提案した。またマ村のフォーマットを見せながら、どのようにしてデータを集めるのか、集めたデータをどうやって記入するかなどを、その場でモハーンたち青年を中心に、指導した。

ポ村のパドマやジャンマイヤは、「アンタ達も、次回から、研修を受けにソムニードの研修センターに来なさいよ」と、恥ずかしげに逃げようとするゴ村のオバチャンや娘さんたちを捕まえて、説得していた。

ゴ村での集会が終わると、「今度はワシら自身の集会だ」と、ダンダシたちもそれぞれの村に戻っていき、筆者達も、「呼んでくれたら、いつでも研修に来るから」と約束して、ゴ村を後にした。


1.4 教育センター開所式のご報告



10月17日の研修センター開所式は、なんと115名も参加者があった。
この日は、デリーのJICAインド事務所から山田次長がはるばると、オジサンたちに会いに来てくれて、みんな大喜び。開所式の後には、文字通り足の踏み場も無いほどにオジサン・オバチャンたちでぎっしり詰まった会場で、山田次長と話し合う時間を持つことができた。
センター開所式で「これからこのセンターをどう使うのかは、あなた達次第ですよ」と黄門様に言われ、背筋を伸ばしたオジサン・オバチャンたち。そして、この式典でお披露目された「植物図鑑」の第一版を手にして、この1年間の成果をかみしめた。


2.1 一羽の鶏を100人で食べる?!

そろそろ稲穂も頭を下げる程に実る11月。

オジサン&オバチャンたちの活動計画がどこまで進んだか、楽しみに出かけたソムニード・スタッフ。そのとき、目にした農村風景は、例年とは少し様子が違っていた。



田んぼには、枯れた稲、米の入っていない稲穂が一面に広がり、無残にも土がひび割れている田んぼも見られた。この数ヶ月、降るはずの雨がまったく降らず、オジサンやオバチャンたちの「雨が降らないかなぁ」という嘆きは、11月には悲鳴となった。

マ村に到着すると、「ナマステ」の挨拶に続くのは、村人の嘆きの言葉ばかり。。

「ラマラジュさん、キョーコさん、今年の米は、ほとんど収穫できそうにありません」
暗~い気持ちで集会場に到着すると、しかしそこで目にしたのは、見事にセッティングされた集会場!!
広場は、わらを敷き延べてシートがかけられ大勢が座れるようなっているし、組み立てたやぐらにココナツの葉で日陰もつくって、持ち運びの出来る黒板とチョークも揃え、山向こうにある集落からは、マイクセットが持ち運びこまれ、とどめには、今日の研修のタイトルを書いた模造紙も広場に貼ってあった!この完璧な会場セッティング、ソムニードのスタッフが頼んだものは一つもなく、すべてマ村(マーミディジョーラ村)の人々が自発的にやったものだった。さすが上昇気流に乗ったマ村地区の人たち。一体どこまでやる気のグラフが伸びていくのか、楽しみなような、怖いような。しかも、この日はマ村の5つの集落全てから人が集められており、それぞれの集落を代表して、一人ずつがこれまでの研修を振り返ることから始まった。その中で、一人のオジサンがある告白をした。

「ワシは、こんな研修を受けることは今までなかった。テルグ語もよくわからんし。(※このオジサンは、山岳少数民族のサワラ語を普段使っている)実は、植物図鑑作りから始まったこの事業も、最初は何がナニやら、さ~っぱりわからんかった。ただ、研修センターのお昼ご飯はとてもおいしいから、それを楽しみに、いつも研修に出ておった。だけど、今は違うぞ。お昼ごはんは相変わらずおいしいけど、最近は、研修を受けたら、必ず1つは分かることとか、勉強になることがあるから、研修に参加しておる。テルグ語も前よりかは分かるようになったしの。」
オジサンの発言に、会場は大爆笑。でも、このオジサンは、この村の植物、特に薬草に詳しく、知らない植物は無いというほどに物知り。植物図鑑のデータ集めの際、マ村以外の村人たちも、このオジサンからインタビューすることが多かった。
そして、いよいよ今度こそはと、「何を」「どこで」「いつ」「誰が」「作業に必要なもの」の項目を埋めながら、活動計画作りが始まった。
もう誰一人として「ソムニードが計画をたててくれるんだろ」とは言わない。

これまでの研修に参加してきた人も、初めての人も、アイデアを出し合い、模造紙に計画を書いていった。筆者達が、時々、項目の書き方をチェックする以外は、全てオジサン・オバチャンたちだけで進められた活動計画づくり。

何度かの研修後、マ村にとってはじめての「活動計画」が完成し、あとは黄門様のOKサインを待つばかりの村人たち。

ポ村(ポガダヴァリ村)も同様に、オジサン・オバチャンたちが必死になって活動計画作りを開始した。ポ村も今年の米の収穫は例年の半分も見込めない。村の人たちの大半は、活動計画をつくりながらも、頭の中は労賃をもらうことばかり。

これまでソムニードの研修を受けてきたパドマたちは、一つひとつの活動を丁寧に計画してゆこうと呼びかける。



「植林には○○が必要よね?」

「石垣を作る場所の測量をしないといけないよね?」

村の多くの人たちのアイデアをまとめながら、活動計画を模造紙に書き込んでゆき、ようやくポ村の活動計画も完成し、黄門様のお裁きを待つばかりとなった。

ちょっと出足の遅れたゴ村(ゴトゥッパリ村)は、ようやくデータを集め終えたばかり。それでも黄門様が研修センターに来る前夜から、センターに泊りがけで、出来る限りの活動計画を作った。

いよいよ明日は、黄門様によるお裁き(活動計画の中間評価)が・・・。


2.2 本当に必要なのはどれだけか

黄門様は、まず米の収穫状況をオジサン・オバチャンたちに聞いた。オジサン・オバチャンたちによれば・・・

・干ばつで、米の収穫がほぼ全滅となったのは、約10年前に一度きり。

・2009年年明けくらいから、街に出稼ぎに行かねば村では食べてゆけないところも多数。

それを聞いて黄門様は問いかける。

「10年前の干ばつのあと、おまえさんたちは何か自ら行動したか?」

「そのとき、土の保水能力を高めるような処置をしていれば、今年のような干ばつがあっても、泣かずに済んだのではないかの?」

「じゃあ、何をすればいいの?」
と、無邪気に聞いてくる村のオジサンとオバチャンたち。

「何が必要かの?」
と、逆に問いかける黄門様。

・灌漑設備の多くが、過去一度もメンテされずに放置されている。

・ため池や水路には、長年の泥が溜まって、本来の機能を果たしていない。
そうしたことに気づいたマ村・ポ村・ゴ村の人たちは、活動計画の中から、保水能力を高めるための構造物を選び、関連する活動を最優先にリストアップした。

そして早速、活動の優先順位がつけられた。
「何を」「どこで」「いつ」「誰が」「作業に必要なもの」「費用」の項目を埋めながら、さらに詳細な活動計画づくりに取り組むオジサン・オバチャンたち。この活動計画が実施できれば、労賃ももらえるし、構造物もメンテできる!と、目にガンジーをキラキラと光らせながら、計算器を叩きまくって予算をつくる。(※インドの紙幣には、ガンジーの肖像画が使われています。)

しばらくして、活動計画を自信満々に発表するマ村・ポ村・ゴ村の人たちに、黄門様が質問。

「1メートルため池の泥を取り除くと、どれだけの水が溜まって、どれだけの田んぼに灌漑が出来るんじゃ?」

「え~と、たくさん。」

「たくさんって、どれくらいかの?」

「・・・・・・・・・」



黄門様が黒板に田んぼの絵を描き、1エーカーを灌漑するのに必要な水の量はどれくらいか、計算方法を説明。
オジサン・オバチャンたちも、0.5エーカーなら、2エーカーならと、実際に何度も計算してみる。

「1.5エーカーの田んぼに必要な水は、ため池の底に溜まった泥を深さ1メートル分だけ取り除けば、十分なのか?」
眉間にしわを寄せながら、計算するオジサン・オバチャンたち。

「あれれ??計算してみると、1.5エーカー分の水には足りないや。0.8エーカー分の水しか溜められない、どうしよう?」

「おまえさんたちの計算は、一羽の鶏を100人で食べるようなもんじゃ。」と、黄門様。
黄門様も実際に村に行き、ため池のそばで、オジサンたちに質問。

「ほぉ、このため池じゃの。泥がいっぱい溜まっておるの。ところで、ため池を造った当初は、どれくらいの水が溜められると言っていたんじゃ?」

「たしか、2エーカーです。」

「ホントにそうか、計算してみなさい。」
縦が何メートル、横が何メートル、深さが何メートル、とその場でため池を測って、体積を計算。その結果、「あれ?1エーカー分も水を溜められないや!!」

肝心なのは計算そのものよりも「どれだけの水が必要なのか」ということを、オジサンやオバチャンたちが自分達で考えるということ。ソムニードの研修を受ける前は、NGOや政府に言われるままに、ただ賃労働者としてため池建設などに関わってきたオジサンやオバチャンたち。
今は、違う。
・その設備を作ったらどれだけの水が得られるか、
・その水の量で十分なのか、不十分なのか、
・造ったあとはどうメンテしてゆくか、
当たり前といえば当たり前のことを考えながら、活動計画をつくっている。

これまで研修に参加していたオジサン・オバチャンたちに加えて、青年達や計算の得意な娘さんたちも新たに研修に参加し、お年寄りから若者までがチームで活動計画の研修を受けている。研修センターでの研修中も、お昼ご飯の時間も忘れて話し合う村の人たち。何度も何度も、「それじゃぁ、一羽の鶏を100人で食べるようなもんじゃ」と黄門様に突っ込まれる度に、ノートを広げ、ペンを走らす。とうとう黄門様へ最後のプレゼンをし、「これでよかろう」と各村、集落ごとに、活動スタートのOKがでた!

最初の活動計画は、干ばつ対策のための保水・土壌保全のための構造物のメンテナンスを中心にした一部の活動のみ。まずは、自分たちで初めて作った活動計画。

各村で決められた担当者が活動の記録を取ることを約束して、いよいよスタートだ!!と、鼻息荒く意気揚々と、村へ帰っていったオジサン・オバチャンたち。

1月、2月に新たに登場する森や水土保全、測量の専門家たちの指導も受けながら、さらに全体の活動計画を完成させていく予定だ。

◎●◎○○●◎

12月、トップバッターで活動を始めたのはゴ村、そしてマ村、ポ村でも次々と活動がスタートした。しかし・・・・。
活動計画に沿って、作業をし、各活動の記録を取る、という一連の活動を、自分たちで行うのは初めて。当然、記録が不十分だったり、活動計画から脱線したり、と、最初から活動計画通りには進まない。
しかし、最初は何でもやってみて、そして失敗しても、その失敗から学んでいこう、というのがソムニード方式。

「ココはこうしたら上手くいくかも!」とか

「このやり方はちょっとダメかも?」とか、

オジサン・オバチャンたち自身が、気づいて、改善して、またトライしてこそ「オラ達がやったんだ」と自信につながる。

1月以降もまだまだ記録の付け方、活動計画の最終化、帳簿の付け方と、脳みそが沸騰しそうな研修が続く、まさに七転び八起きの活動計画作りとその実行。
果たして、「オラが村の活動計画」、最終的にどうなるのか?
次号、乞うご期待!


3. 注意書き

黄門様=和田信明。ソムニードの代表理事。黄門様の印籠見たさに群がる村のオジサン・オバチャンたち。

ラマラジュ=ソムニード・インディアのスタッフで村のオジサンたちの人気者。

キョーコさん=前川香子。この通信の筆者。