2010年8月1日日曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第22号最終回「事業は終わる、だけどオラ達の活動は終わらない」

 目次

1. 村の代表者として
2. 自分たちの作った組織だからこそ年長者も若者に謝る
3. 誇るべき植林
4. 農民として生きるために
5. 自分たちの身に付けたこと
6. 広げていこう

4月5月と暑い暑い夏の最中に、総会を開いたマーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下、ポ村)、ゴットゥパリ村(以下、ゴ村)のオジサン、オバチャンたち。
そこで村の人たちの承認を得て代表執行委員に選ばれた各村のオジサン、オバチャンたちが、6月末に研修センターにぞろぞろと集まった。

1. 村の代表者として

代表執行委員のオジサン、オバチャンたちも、ソムニード(現ムラのミライ)のスタッフ達も、待ちに待った雨が降ったので、植林の作業計画を確認すべく、ミーティングを開くことになったのだ。毎年毎年、空を見上げては雨雲を待つ雨期だったのが、今年は6月から順調に降り出した。

植林は、雨が全て。
雨が降り出し、土がある程度湿って柔らかくなれば、穴を掘り種や苗木を植える。そして、村の人たちはその後、1年で一番重要な仕事、田植えに集中するのだ。

ミーティングは午前10時、という約束だったのだが、なんと全てのメンバーが、15分前にはセンターに到着。事業開始以来の快挙に、ラマラジュも筆者も、驚きを隠せない。総会後初の合同ミーティングなので、各村で決まった組織名とそれぞれの役職の紹介から始まった。


「マリヤマータ・チャイタニア・サンガムの代表、ガンガイヤです」
「グラマ・アルドゥデッビ・サンガムの代表、モハーンです」
「グラマ・チャイタニア・サンガムの事務局長、パドマです」
と、総勢39名が、それぞれあいさつしていく。

今までの「マ村のガンガイヤ」、「ポ村のパドマ」という村の青年の一人、オバチャンの一人、ではなく、自分たちで開いた総会で選ばれた村の代表として自己紹介する。

資金の立ち上げから約1年かけて、組織形態や規則を自分たちで創ってきたその努力が、ひとつの形になった。
そして、初めて他の村の人たちに、自分の村の組織と自分の役割が認められる。

それは同時に、何度も何度も考えて悩んで話しあってきた「オラ達の組織」への道のりの長さをお互いに知っているだけに、「誰に言われたのでもない、自分たちが作ったのだ」という誇りを共有する瞬間でもあった。

そうして代表委員の自覚もさらに増し、最後の植林作業確認にも余念がない。
自分たちで作った村の模型を使って、山頂、中腹、裾野のどこに何をいつ植えるのか、最終チェックをしていく。

「私の村では、○○を再生したいんだけど、ガンガイヤさん、マ村から種をもらえますか?」
「雨がもっと降ってから種を取り出せますから、もう少し待っててください」
「竹の株を調達するなら、僕の村の分もお願いしますよ」
「山ごとに作業日を割り振るんじゃなくて、1日で全ての山頂に種をまいて、それから中腹、裾野って降りてくるようにしようよ」
「あ、◇◇の種を集める時期が過ぎてた!」

今回の植林は、各村で描いた「理想の森」(よもやま通信第19号参照)を実現化していくため、村毎で種類が違えば量も差がある。

また、すでに失われた樹種の再生や、自生する樹種を増やしていくため、代表委員のオジサン・オバチャンたちは、流域内での種や株、枝の入手にこだわった。


2. 自分たちの作った組織だからこそ年長者も若者に謝る

雨も順調に降り続き、6月末から、まずは種の直播から始める。



ダンダシが中心になり、マ村では山ごとにチームに分かれ、山頂から縦一列になり横に進むようにして一人ひとりが担当する分量を播いていった。
ポ村でも、早朝からパドマを中心に、8~10種類の種を一人分ずつに小分けにし、二手に分かれて播いていく。
種によっては、発芽しやすいように向きを考え、一つ一つ穴を掘り、埋めていく。
灌木のトゲに刺されたり、足場の悪い岩だらけの斜面を横切りながら、丁寧に播いていく。

ガンガイヤ率いるマ村山頂の集落では、まずは祈りから始めた。
「今まで、自分たちはたくさんの木を切ってきました。生活のために仕方のないこととはいえ、森に対して大きな罪を犯してきました。今から始める植林は、その罪を償うものであり、山に木を返すことでもあります。どうか、植林作業が無事に終わり、実り豊かな森に育つよう、お守りください」

そして各村では、代表となった青年たちが作業の指示を出し、他の村の人たちがそれに従う、という関係が当たり前となっていた。
お年寄りは山裾に近い部分、体力のある若者たちは山頂付近、オバチャンたちは中腹付近と、ほぼ村人総出で作業に当たる。

「スマン、ワシが集めることになってた種が、まだ用意できておらん。この数日中には集めるから、待っててくれるか」
と、ある村では、作業を始める前に、年長の村人が代表である青年に謝っていた。

「年長者のオジサンが、ついこの間、代表に選ばれたばかりの青年に謝っていますよ、キョーコさん」
「自分たちで選んだからこそ、年下であっても代表に敬意を表せるし、そして自分に与えられた責任を果たすのが当たり前になっている、ということですよね」
これが例えばソムニードに言われたから組織を作り、代表を選んだのであれば、代表もその任を果たさず、他の村人も何もしない。ただ次の指示がソムニードから来るのを待つばかりである。

だけど、そうではない。
マ村も、ポ村も、ゴ村も、村の人たちは代表委員に全幅の信頼を寄せ、そして代表委員たちは作業が効率よく確実に行われるよう、指示を出していく。


3. 誇るべき植林

7月上旬、種の直播の数日後、さらに雨が降るのを待ってから、今度は苗木や枝、株分けといった植林作業に移った。



これまで長年、彼らが体験してきたのは、カシューナッツやマンゴーと言った果樹を中心とした『一般的な』苗木の植林だったのが、今回、初めて自分たちの森に自生する生活用途に合わせた樹種を植えていく。それは、学術名はおろか、テルグ語でさえも名前が分からないような、だけど家畜の餌や薪、食糧といった彼らの生活には必要不可欠な木々である。

「僕は、今、とても嬉しいんです」
と、ガンガイヤは、その時現場に居られなかったソムニードに、携帯電話で報告してきた。「今、山頂にも中腹にも、僕たちの森にある木の苗木や枝を植えています。今まで、こんな植林活動はさせてもらったことはありません。僕たちの森にある、そしてかつてあった種類の木を、僕たちの森に植えている。こんな植林ができることに、とても感動しているんです」

マ村の山頂付近にあるもう一つの集落でも、薬草に一番詳しいチュッカイヤというオジサンが、薬草をさらに増やすべく、種を播いた。
「薬草は、川辺が一番、良く育つんじゃよ」
と、小川の淵をひたすら歩く。

ゴ村のモハーン達は、鉄砲水などの水流を弱めるために小川に設けた堰堤(えんてい)をさらに強化すべく、堰堤の上流側に竹の株を植えていった。

家族と過ごすため、週末に寄宿学校から帰って来ていた一人の少年は、父親と一緒に竹の株を持って小川を遡った。その道中、そして50センチ以上穴を掘り、竹を植える作業の間、父親は息子に話をしていた。
「お父さんたちが、作ったんだよ」と、堰堤を造るまでの様々な日々のことを、そしてなぜ竹を植えるのかを。

こうして様々なドラマを見せながら、各村で約40日間に渡る植林作業が、7月下旬に終了。村のオジサン、オバチャンたちが播いた種、植えた苗木や株などは、合計約14万個。

これで、3年間の事業の集大成である植林作業は終わった。
そして、村の人たちは今、何を思うのか・・・・・


4. 農民として生きるために

7月は、村の人たちの活動を知るために、たくさんの訪問者があった。

そうした人たちに、どのようにこの事業をソムニードと共に始め、どのような研修を受けてきて、自分たちが何をしてきたのか、そしてこれから何をしていくのか、自分の言葉で説明した村のオジサン、オバチャンたち。


ある訪問者が尋ねた。
「ポ村の皆さんのビジョンの一つに、『出稼ぎに行かなくても良いようにする』とありますが、どのようにするのですか?」
「お役所の土木作業で稼ぐ労賃とか、この事業中のいろんな作業の労賃で、この3年ほどは出稼ぎには行かなくても良くなったけどねぇ」
と、話すオジサンのそばから、パドマが胸を張って言った。

「確かに、そうした労賃も助けにはなります。
けれども、私たちは農民です。農業で生計を立てています。
だから、今までは雨期ごとに雨水と一緒に肥沃な土壌が流れ出し続け、不作になれば出稼ぎに行かざるを得ませんでした。
私たちがこの3年間で学び、行ってきた作業の一つ一つは、山頂から中腹にかけて、水を造り、水を貯め、土壌を守っていくことでした。そしてこうした作業が、さらに私たちの田畑にも水と肥沃な土をもたらし、結果的に豊作になると願っています。きちんと収穫ができれば、出稼ぎにいく必要はないのです。
そうなるために、私たちが主体となって、こうした作業を行ってきたのです。私たちは何をしたのか、何故それをしてきたのか、今は誇りを持って伝えられます。」


5. 自分たちの身に付けたこと

また別の訪問者は、チュッカイヤのいる集落の代表である青年に、次のような質問をした。
「以前にも、別の援助で植林やため池を掘るという作業をされたことがあるということですが、この事業では何か特別違ったことはありましたか?」

「すべて、自分たちで行った、ということです。
水や土を守っていくために何が必要なのか、自分たちで話し合い、測量し、活動計画を作り、そして実行する。
作業中も、作業記録を付けるし、サイズも自分たちで測りました。
今までこのように、全てを自分たちでする、という事業はありませんでした」


同様にゴ村のモハーンも、最近体験したことだけどと、興奮して話したことがある。
「サイズの測り方やコスト計算の方法を学んだから、僕たちが今まで政府スキームなどの作業で、労働時間数の割には不当に低い労賃を支払わされていたことに、気づくことができました。
今、政府のスキームで道路整備をしているんだけど、自分たちの担当する部分の土盛り作業が何立方メートル必要なのか、立方メートル当たりいくらなのか、役人に聞いて、自分たちで労働日数を算出しました。
作業記録も今までなら役人が付けていたのですが、今回は自分たちで付けたし、作業分量も測りながら行ったので、短期間でやり遂げることができたんですよ。役人も、『すごい技術を身に付けたね』と、びっくりしていました」


6. 広げていこう

またまた別の訪問者からは、次のような質問も出た。
「これから更に、学んでいくことはありますか?」

「今までは、どのように水を守り、土が流れ去るのを防ぐか、ということでした。今度は、そうして守る水や土を、どうやって使っていくか、ということです。そしてそうした研修を、ソムニードから受けたいのです。」
研修を受けるのは良いけれどと、黄門様が課題を出した。

「お前さんたちが今まで学んだことを、この近辺の村の連中にも教えてやることじゃ。
それができるのは、お前さんたちだけじゃ」


一瞬固まるオジサンもいれば、しっかりとうなずくオバチャンもいる。
苗木が大きく木に成長し、実が成り、その種から更に新しい苗木が生まれるように、マ村、ポ村、ゴ村で、大きく成長したオジサン、オバチャンたちが、さらに新しい人を育てていく。

水をつくり、森を育て、土を守る。
そして、何よりも、人が育った3年間だった。

もうすでに田植え準備も始まり、しばらくの間は田植え作業に没頭するオジサン・オバチャンたちだが、田植えがひと段落すると、今度は代表委員が中心となって、モニタリング作業が始まる。

10月から12月にかけては、各村で、第2回目の総会が予定されている。

オラ達の活動は、終わらない。
オラ達の努力は、続く。
まだまだ続く。

(了)


注意書き

ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。
キョーコ=前川香子。本通信の筆者。
堰堤(えんてい)=川水を他に引いたり、流れを緩やかにしたり、また釣り場をつくったりするために築かれる堤防。ダムより小規模。
黄門様=和田信明、ソムニードの代表理事

2010年5月24日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第21号「オラ達の村の進む道」

 

目次

1. 総会が始まる
2. ポガダヴァリ村の場合
3. ゴトッゥパリ村の場合
4. マーミディジョーラ村の場合
5. 促すことと待つこと

 

1. 総会が始まる

マンゴーの実が大きくなり、そろそろ熟し始めるかという4月終わり頃から、マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(ポ村)、ゴトッゥパリ村(以下、ゴ村)の各地では、村の総会が続々と開かれた。

去年までの構造物の建設作業や植林作業の労賃から一定額を貯めて、村の共同資金を作ってきたことは、これまで何度か通信でもお伝えしてきた。そしてそれら資金を運用し、オラたちの村を描いた「理想の村」に近付けるための活動を行う母体となる組織も、村のオジサン・オバチャンたちが立ち上げた。

研修を受けてきた村のオジサン・オバチャンたちが中心になって、組織形態や意思決定の方法、資金集めやその運用など規則案を作ってきたが、それらを村全体で承認して正式に活動を開始しようというのが、第一回目の総会目的。
気温が40度近くになり熱風が吹く昼日中は、とてもじゃないが座っていることもできないので、夕方か朝に設定された総会。


2. ポガダヴァリ村の場合


第一陣はポ村。

畑仕事にも賃労働にも行かず村にいるように、ソメーシュやパドマが5日前から村の人たちに言っていたこともあり、各世帯からほぼ2人ずつ集まったポ村の総会第一回目。議長も選び、研修中に考えた組織名や規則を順々に披露するソメーシュ。
「これまで、石垣やため池を作ったり植林をしてきましたが、これらを放っておかず僕たちでメンテナンスしながら、村を良くしていくために、組織を立ち上げましょう。名前は、グラマ・チャイタニヤ・サンガム!他に何か良い名前はありますか?」
「さんせーい!」
そして、グラマ・チャイタニヤ・サンガムが目指すポガダヴァリ村の姿として、「都会に出稼ぎにいかなくても暮らしていける」「すべての子どもたちが読み書きできる」「役人や外部組織などに依存しない」などが、村の人たちの間で共有された。続けて、メンバーは各世帯から男女1名ずつ、18歳から60歳までと決め、年会費や入会費なども設定。
活動を実際に動かしていく執行委員会には男女合わせて15名が選ばれ、その中から代表を選出する事に。

「代表は誰が良いですか?立候補は?」という議長の問いかけに、
「ソメーシュだ」という声があちこちから挙がる。

残念ながらパドマは事情があって今回の総会に出席できなかったが、オバチャンたちからは「パドマよ」という声も出てくる。この3年間、村を引っ張ってきた2人。黄門様から突っ込まれるたびに成長してきた。
最終的に初代代表にはソメーシュが選ばれ、パドマは代表委員会のメンバーの一人になり、共同資金の収入源や活動内容など、次々と自分たちの規則が決まっていく。

こうして、ポ村の理想の村へ向けての第一歩が、踏み出された。


3. ゴトッゥパリ村の場合


所変わってゴ村。

ゴ村では夕方に時間設定がされ、三々五々山や畑から戻ってきた村人たちが集会場所にそろったのは、日が暮れきってから。ようやく第一回目の総会が始まった。

「え~っと、では僕たちの村の組織の名前は・・・・・・・」
議長をするモハーンがもったいぶっているのかと思いきや、すっかり忘れてしまった様子。あたふたと研修記録を読み返し、「グラマ・アビブルディ・サンガム」と発表する。

「え~っと、メンバーは各世帯から1名ずつ」
「違うよ、モハーン。2名ずつだよ」

初めての総会ですっかり記憶が白紙状態になってしまったモハーン。
メンバー構成、年会費、総会や定期集会の開催月、そしてため池の底の定期的な泥の除去作業の活動など、研修記録を淡々と読み上げていく。
最後に規則案作りの研修をしたのが1月だったこともあり、研修に参加したオジサンたちですら「ほほぉ~」と、初めて聞くような顔をしている。

「ちょっと一言いいですか?」
「どうぞどうぞ、ラマラジュさん」
「そもそもなぜこのような組織を立ち上げて、規則を作るのですか?」

『研修記録があるから』総会で諸々を承認するではなく、このような村の組織が必要なのかどうか、組織を作って何をしていくのか、村の人たちに考えを促す。
「え~っと、今まで作って来た石垣とか、メンテナンスするため?」
「メンテナンスするだけですか?」

すると、「それだけじゃありません、キョーコさん」と、モハーンの片腕的存在の青年が、突如勢いよくしゃべりだした。
「みんなも知ってるよね?近くに村があるじゃないか。もう誰も寄り付かない村が。政府の援助で学校を建てたものの、そこの村の人たちが建物のメンテナンスはおろか、子ども達のための活動に無関心で教師にも協力しないから、もう教師も来ないし、自分たちで何もしようとしない。政府やNGOどころか他の村の人たちも、そこの人たちと一緒に何かしようとは思ってないんだよね。ただ学校の建物があるばかり。そんな村には、僕はしたくないよ。」

すると、モハーンがつぶやいた。
「僕たちも、石垣作って、木を植えて、ため池掘って、その後何もしないままなら、全てがダメになって組織の預金通帳が残るだけ。」
「やっぱり、メンテはしていかないと」
「資金も、この事業の労賃から集めるだけなら、8月からはどこからもお金が入らない!」
「そうすると、通帳が残るだけ」
(どうやら、モハーンはこのフレーズが気に入った様子)
「じゃぁ、どうすればいい?」
「誰も村に寄り付かないんじゃなくて、自分たちで石垣づくりや植林作業を続けて、周りの村の人たちから『教えて』と言われるような、そんな村になる!」
「収入には、年会費、村の木のタマリンドの売上と、各自が持つカシューナッツの収穫から1キロ分の売上、労賃の一部」
「さんせーい!」

そして、代表委員会には、他の村に行って流域管理の方法など教えることができるオジサン・オバチャンたちが、村の人たちによって選ばれ、その中から改めてモハーンが代表になった。


4. マーミディジョーラ村の場合

そしてマ村では・・・

長年の夢を自ら叶えて作った村の集会場で、初めての総会。ダンダシを筆頭に70人近い村のオジサン・オバチャンたちが集まったが、結局、「誰それさんが協力しない」だの「アンタが悪いのよ」と、オバチャンたちの喧嘩も始まり、かろうじて代表委員会など役員が決定したのみで、肝心の中身は後日に延期。ダンダシは代表には就かず、新しく代表になったオジサンを支え、組織を見守っていくことになったが、果たしてどのようになるか。


同じマ村の流域で、山頂付近にあるガンガイヤ率いる集落には、ビシャカパトナム市内にある女性自助グループ(SHG)の連合体、VVKからも3人のメンバーがオブザーバーとしてやってきた。この集落の集会のスタイルを踏襲し、年長者たちが他の村人たちと向き合うようにして会場の最前列に座り、その横でガンガイヤともう一人の青年が総会を取り仕切る。
ここでも同様に、今までの研修で考えてきた案を他の村の人たちと共有し、決定していくのだが、一人がテルグ語で読み上げそれをガンガイヤがサワラ語に訳していった。

ビジョンの一つに、「今後3年間で、全ての田んぼにいつも灌漑できるようにする」ということを掲げていたが、それを聞いてオバチャンの一人がするどい質問をした。
「今までずっとできなかったことが、なんで3年間でできるようになるのよ?」

すると、ガンガイヤが即答する。
「これまで僕たちがしてきた作業は、水資源を守り、地下に深く広く浸透させ、そしてみんなの田んぼのエリアまで保湿できるようにするためなんだよ。だからそれを実現するためにも、これからメンテナンスしていかなくちゃいけないし、去年までにできなかった残りの場所にも同じように作っていかないといけないんだ。そうすれば、僕たちの田んぼは全て、水に困らなくなる」

3年間でできるかどうかはともかくも、ガンガイヤは今まで自分たちでしてきたことに自信を持っており、誰よりも堂々として見えた。

VVKの新代表は、ガンガイヤ達の第一回目総会を見て、こんな感想を伝えた。
「みなさんは何よりも、この組織の目的や将来図をみんなで描き、共有しているから、初めての総会でも、このように真剣に活発に話し合うことができるのだと感じました。素晴らしい総会でした。」

別の山の頂上付近にある集落でも、同じように総会が開かれたが、そこでは集落の年長リーダー的存在のオジサンから総会の最初にあいさつがあった。
「この事業が始まってから今までにワシたちがしてきたことは、これからもずっと続けていかなければならない。これからこの集落を率いていくのは、新しい知識も得た若者たちである。ワシは、この若者たちに堂々とこの集落を引っ張っていってほしい」


5. 促すことと待つこと

どの村でも、まだまだ詰めが必要なのは、ラマラジュも筆者も承知している。

だが、村のオジサン、オバチャンたちは、今までにないくらいに堂々と、そして誇らしげに自分たちで話し合って考案して決めている。
この事業が始まる前にも、村では同じように石垣やらため池やらチェックダムやらと、色々と援助を受けて作ってきた。しかしそれらはお金を出す側が「ここに作れ」「○○を作れ」と指示を出し、「委員会を作りなさい。代表は○さんが良いだろう。資金は・・・」と、組織の立ち上げもほんの数人の村人と話すくらいだった。

この3年間、特に最初のころ、村の人たちは研修への参加者や作業の内容や進め方についても、何度となくソムニード(現ムラのミライ)からの指示を求めた。
「どうすればいいでしょう?」

その度にソムニードはこのように答えてきた。
「どうしたい?」

そしてオジサンやオバチャンたちがその答えを見つけられるように、自ら動き出せるように促し、時にはじれったくなるくらい待った。この総会で、その成果が現れていると、筆者たちは感じた。

しかしこれは決してゴールではない。

これから、村のオジサン・オバチャンたちが、本当の意味で、自ら動き出して実行していかなければならないのだ。だから、まずは今回決めた規則でやってみる。自分たちでやってみて、不十分なところを自ら発見し、そして改良していけばいい。


「オラ達の村の進む道」
今回決まった村のビジョンと、それに向けての活動や組織体制について記した各村オリジナルのいわば村の憲章。その初版を、テルグ語そしてサワラ語で来月には発行する。
そして、雨期が来れば、まず最初に「理想の森」づくりに向けて植林が始まる。

そう、オジサン・オバチャンたちの進む道は、果てしないのだ。

まだまだ続く。


注意書き

黄門様=和田信明、ソムニードの代表理事
ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。
キョーコ=前川香子。本通信の筆者。
VVK=2004年~07年のJICA草の根技術協力事業を実施する中で、ビシャカパトナム市内・郊外のオバチャンたちが結成したSHG(女性自助グループ)連合体で、銀行業を実施している。日本で使用する「クラフト素材」として、村のオバチャンたちと連携してマンゴーやカシューの葉、ターメリックのヒゲ根などを集めて売るクラフトビジネスも、細々と展開中。詳しくは、「PCUR-LINK便り」「その後のVVKオバチャン便り」バックナンバーをご覧ください。

2010年4月29日木曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第20号「これがオラたちのウォーターシェッド」

目次

1. オラ達のウォーターシェッド
2. 理想の森のその先の為に
3. リーダーの成長

今年の気温の上昇は凄まじい。
3月下旬で、すでに40度に達した日があり、4月に入って少しは下がったものの、それでも平年より4~5度高いという報道が連日流れている。

マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下、ポ村)、ゴットゥパリ村 (以下、ゴ村)では、4月に入ってカシューナッツの実が収穫期を迎え、山の中は熟したカシューの果実で甘い匂いが充満している。マンゴーも実がだいぶ大きくなってきた。

去年、初めて活動計画なるものを作ったオジサンたち。今年はさすがに何を書けばいいのかは分かっているが、重要なのは、何をしなければいけないのか。それが分からなければ計画も作れない。

1. オラ達のウォーターシェッド

前号でお伝えした「理想の森」を描いたあと、ラマラジュが、村のオジサンやオバチャンたちに聞いた。
「これからこの理想の森をつくるだけで十分ですか?他にする作業はありますか?」

「土が流れていくのを止める石垣や、雨期の川の水流を弱める石堤もまだ作らないと」
鼻息荒く答えるオジサンたち。

「どこに?どれだけ?」畳み掛けるように尋ねるラマラジュ。
「去年はどこに作ったっけ?」

村の中でも、全員がすぐに答えられるわけではない。
そこで、自分たちの流域、すなわち山の頂上から田んぼまでを、粘土を使って再現することにした。
山のでこぼこ、川の走り方、集落がどこにあって、井戸や池はどこにいくつあるのか・・・


去年設置した石垣を山の斜面に、石堤を小川の中に、小石や実で粘土の山に載せていった。生まれてからずっと暮らしている村だからこそ、意識しないことが多く、意外に難しい村の再現作業。

「この川は、この山からこう流れてきて、この溜め池に入って、そしてまたこっちに流れていく・・・」
「キノシン山は、もっとなだらかだよ」
と、オジサンやオバチャンたちが口に出して確かめながら、自分たちの村を、縦30センチ横50センチの板の上に作っていく。

ほぼ出来上がったときに、聞いてみた。
「今までも、何度か”ウォーターシェッド”とみなさんも何気なく言ってましたけど、皆さんの”ウォーターシェッド”って、どこですか?」

一瞬の沈黙の後、あるオジサンが我が意を得たりとばかりに言った。
「そうか、これがオラたちのウォーターシェッドか」。


2. 理想の森のその先の為に

「何ナニ?どういうこと?」
せっつくように尋ねるオバチャンたちに、できたばかりの村の模型で説明するオジサン。

「ほら、雨の中に立った時、雨水は頭の上から伝って足まで流れてくるって、黄門様やチャタジーさんがいつか話してた、アレだよ(よもやま通信第9号を参照)。
村をぐるりと囲むこの山のてっぺんが頭で、ここから、去年作ったこの溜め池の水路や田んぼを通って、村の外にこうやって水が流れていく。これが、そうなんだよ。」
「おぉ、なるほど。」
「じゃぁ、こっちに流れてる小川は、皆さんのウォーターシェッドですか?」
「いやいや、キョーコさん、これは隣村になりますよ。アレ?じゃぁワシらは隣村のためにこの石堤を作ってしまってたのか?」

なんとも親切な村の人たちだが、自分たちの村、すなわち自分たちの生きる場所である山から田んぼまでの全てを、前回と同じ様に、自分たちで視覚化することで、自ら再確認し落とし込むことができるようになった。

この模型に全ての要素、たとえば岩だらけの山肌だとか田んぼの位置の高低などを表すことはできないけれど、それでも、自分たちの村を山がどのように取り囲み、どの田んぼに水が引きにくくなっているか、そして、なによりも自分たちが去年成し遂げたことを、一目で多くの人たちと共有する事ができるようになった。

「オラたちは去年色々やったけど、まだまだ一部だけだったんだなぁ」
「では、これからあなた達のウォーターシェッドで、何をしていかなければならないのですか?」

模型を前に、アレコレと話し合うオジサン、オバチャンたち。今回は、1年間だけでなく、3年間という長期間の計画を考える。
そして前回で作った理想の森を、この模型に移し変えた。


「薪に使う木は、集落の裏側の山にたくさんあった方がいいわ」
「ちょっとアンタ、山のてっぺんに家畜の餌を植えてどうするの!」
ツッコミも入りながら、赤や黄や緑と、前回の5色のピンが粘土の山にカラフルに突き刺さっていく。

そうして今までに作ったもの、これからしなければいけない3年間の計画を、自分たちで考えて描いていった。


3. リーダーの成長

そして、3年間でする計画の内、2010年度でやるべきことを活動計画として書き出し、黄門様にとうとう発表。

先行はポ村のソメーシュ。
去年できなかった場所での石垣作りの提案を始め、新たに溜め池をつくったりチェックダムの建設を言ってきた。

「一つ、聞いてもええかの?」
「ナンでしょう?黄門様」
「この場所には、すでに何年か前にチェックダムを作っていなかったかの?」
すると、研修に来ていた年長のオジサンが口を開いた。
「はぁ、だけどいろいろあって役に立たないし、新しいのをと思って・・・」
「お前さんたちは、また『役人の言いなりになって』と言い訳を言うつもりか?それでも役人の言うことに『はい、はい』と言ってきたのはお前さんたちじゃろ?」
「でも、埋まったりしてもう使えないし・・・」

去年、どこかの村で聞いた事があるような会話がまた繰り返されるかと思ったとき、ソメーシュがきっぱりと言った。
「わかりました、黄門様」

村の人たちの意見をひとつにまとめるというのは、生半可なことではない。
ソメーシュなりに、年長者の意見にも耳を傾けつつ、そしてソムニード(現ムラのミライ)から考える力という技術を身につけながら、村の目指す方向へまい進している。

他の村も同じである。

そして考えるだけでなく、模型を作るだけでなく、これからすべき活動をきちんと実行していくために、各村で村の組織の総会を行なうことになった。初代代表を選出し、執行委員会を形成し、基金の運用を開始していく。

果たして、どんな総会になるのか?


続きは次号で。


注意書き

ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。
黄門様=和田信明、(特活)ソムニード(現ムラのミライ)の代表理事
キョーコ=前川香子。本通信の筆者。

2010年3月1日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第19号「オラたちの山、理想の山」

 

目次

1. 収穫が終わって研修が始まった
2. 山の現状の共通理解と分析
3. 理想の山の姿
4. 独自のアイデアも

1. 収穫が終わって研修が始まった


マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下、ポ村)、ゴットゥパリ村(以下、ゴ村)の村の人たちには、一年を通してとても重要な時期が2回ある。

7月から8月にかけての雨期。
それは村の人たちが総出で繰り広げる田植えの時期である。今までも何度か書いてきたが、毎日空を見上げては祈り、雨が降り始めると村から人はいなくなり、水田はどこもかしこもオバチャンたちのカラフルなサリーの色が緑の田んぼに広がっている。

そして12月から2月上旬にかけての収穫・脱穀時。
黄金色の田んぼに、鎌を持った村の人たちが列になってひたすら刈り込み、牛が引き回す円筒状の石で脱穀する。収穫した稲束の山、そして脱穀した籾の詰まった袋を見て、村の人たちはこの1年間も無事に過ごせるだろうという安心感を味わうのだ。

なので、この2つの時期には、筆者たちも村には行けない。
村の人たちも、この時期には絶対に研修の要請もしない。

だからこれまでも、田植えや収穫が終わった後の研修は、半ば振り出しに戻る覚悟で筆者たちも臨んできたのだが、今年は少し違っていた。
収穫時期の前に、村のルールづくりをしながら、次の雨期の植林計画も立て始めていたのだが、この通信でもおなじみの専門家、チャタジーさんが1月下旬に再び村にやって来て、植林計画の考え方と苗床作りを指導してくれた。
収穫祭を楽しんだ後に、頭を使うルール作りの研修はあまり乗り気じゃないけど、土と身体を使う研修なら出てもいいかな、と1月下旬の脱穀に忙しい時期に、オジサン・オバチャンたちは研修にやって来た。

「植物って一体何だね?」
いきなりの禅問答のような質問から始まったチャタジーさんの研修。

自分たちの収入や消費を満たすためだけでなく、土壌の流出を防ぐことや、土中の保湿効果を高めること、野生の動物や家畜への食糧も視野にいれるよう、今回も、繰り返し繰り返し言われた村の人たち。

チャタジーさんの、百科事典並みの植物に関する知識の量に圧倒されたオジサンたちだったが、チャタジーさんから課せられた「一目でわかる木々の年間利用カレンダーを作る」という宿題をやり遂げ、雨期の植林に間に合わすため、2月から各村で怒涛の研修が始まった。


2. 山の現状の共通理解と分析

「毎週の買出しに行った時、市場で適当に、豆を5キロ、ターメリックの粉は1キロって買いますか?」
ゴ村の研修場に集まったモハーンや青年、オバチャン、お年寄りと20人近い村人たちに問いかけるラマラジュ

「いやいや、買い物に行く前に、家に何があって何が足りないのか、まずチェックするよ」
「どれだけあるのかも見るわよ、もちろん」
オジサン、オバチャンから即答が返ってくる。

「植林も同じですよね。今、山に何のための植物がどれだけ、どこにあるのかを知らなければ、これから何をどれだけ植えなければいけないのかが、わかりませんよね?」
「ホントだ!」

ということで、まずは自分たちの生活で主に利用している、食糧・薪・飼料・木材・薬の5分野で、いつ何の植物を山から採ってきているのか、カレンダーに書き込んでいった。

と同時に、山頂・中腹・裾野の3ゾーンに分けた発泡スチロール製の山を用意し、また、5分野ごとに色分けし、木・潅木・草・つる性植物と、特徴が分かるようにしたスティックを使って、自分たちの山の利用状況が一目で分かるよう、視覚化する作業も進めていった。



「牛の餌には・・・・・」
とオジサンが言い出すと、
「シャムナーラにボタンティミ、ラヴィ、アンジラン、それに」
とオバチャンたちが、次々に挙げていく。

「薪には・・・・」
「ターダ、シリシミ、ショーダ・・・夏の始まりくらいに集めるわよね」
と、これもまたオバチャンたちがオジサンたちに負けじと、指折り数えていく。

青年1人がカレンダーに書き込む傍ら、オバチャンやオジサンたちは、山の模型にスティックをブスブスと差し込んでいった。

「牛の餌に使う木だから、青色のスティック」
「中腹ゾーンから採ってるわね」
「この潅木は、薪用に採っているから赤の短いスティックか」
「山頂付近まで行かないと、無いよね」

普段利用している山だが、どのシーズンに集中的に利用しているのか、あるいは何も収穫・収集できない時期なのか、そして一体どこのゾーンに依存しているのか、今までは個人個人で感覚的に認識していた状況だった。そして今、このカレンダー作りと山の模型を使う作業をすることで、初めて全員が「共通の理解」を持つことができた。

さらに、5つの利用目的全てのスティックが刺さり終り、出来上がった山を見て、現状を分析する。


「山頂からは、薪と木材用に木を使っています」
「食糧は、山腹付近が多いね」
「村から無くなった植物も、山頂と裾野のゾーンに集中してる」
「つる性の植物で、家畜の餌になるものが、山頂にたくさんあるわ」

「山頂から、薪や木材の木を取ってきているということは、つまり、木をどうしているということですか?」
「枝を切ったり、時々は木を切っているんです、キョーコさん」
「薪は毎日の料理でも必要ですよね?このまま、山頂から使い続けると、どうなりますか?」
「山頂には木がなくなって、中腹からもっと木を使うことになるのか・・・」
つぶやく青年。
「それより、私はいつもいつも山の上まで登って、重たい薪の束を運んでくるのがしんどいのよ!」
と、息巻くオバチャンたち。
「では、どのような山であったら良いのですか?」

木が無くなるだけでなく、土も流され、小川の水源地も枯渇してしまうのを避けるために、山頂はどのような状態であったら良いのか、生活に必要な植物を、中腹や裾野からどうやって利用し且つ再生産していけばいいのか、事業開始から今までチャタジーさんを始め色んな専門家から受けた研修を思い出す村の人たち。


3. 理想の山の姿

ゴ村だけでなく、マ村の山頂付近の集落でも、今月はオバチャンたちの勢いが凄かった。

ゴ村と同じように、今現在の山を表現した後、「理想の山」として、同じように模型の山にスティックを差していくのだが、山頂付近は家畜の侵入を阻止し、人の利用も最小限にして、常に木々で覆い尽くすために、特に用途は無いけれど樹齢の長い大きな木が必要なので、更に1色を足し、合計6色で理想の山を描き出した。

「え~っと、木材のいくつかは山頂から‥」とスティックを挿そうとするオジサンから「さっき何聞いてたのよ!」と、取り上げて中腹ゾーンに差し替えるオバチャン。
「○○の木はこの辺でいっか」と、薪のスティックを中腹ゾーンの高地に挿そうとする青年に、
「取りに行くのが大変じゃない!」と、集落近くに差し替えるよう指示するオバチャン。
「家畜の餌になる草は、裾野にたくさんあったらいいよね」と、ブスブス適当に挿しまくるオジサンに、
「田んぼの畦に植えたら、畦も崩れにくくなるじゃない。考えなさいよ!」と、突っ込みを入れるオバチャン。

 

4. 独自のアイデアも

ある集落では、山頂付近への家畜の侵入を防ぐためにも、棘のある潅木をフェンスとして植えれば良いと、独自のアイデアを盛り込んだ。

実はこのフェンスとしての植林方法は、”更なる考え方”としてチャタジーさんはスタッフに対してはアイデアをくれていたのだが、村の人たちへはまだ言っていなかった。

つまり、この集落の人たちは各ゾーンの特徴を捉え、どのように維持していくのかを理解して落とし込んだからこそ、自ら発案してきたのだ。筆者もラマラジュも、彼らの作業を見て心の中でガッツポーズをしていたのは、言うまでもない。

ポ村では、この作業を通じて、村から消滅した薬となるある木が、ポガダヴァリ村の名前の由来となる木だった事が判明。青年ソメーシュは、自分の名前の元でもあるソームという木も復活させたいと目論んでいる。

ダンダシ率いるマ村は、前号で、感動の集会場の建設をやり遂げたのだが、最後の仕上げがまだ出来ず、利用できない状態が続いている。脱穀作業が忙しいのを口実に、集会場も完成させず研修もやり遂げないままなのだが、他の村がどんどんと先に進むのを見て、ようやく焦りだした。

マ村以外では、どうしたら「理想の山」ができるのか、植林計画を作り始めた。

ゴ村・ポ村、そしてマ村の山頂付近の集落で、合計120種類強の植物が挙げられたのだが、山岳少数民族の言葉サワラ語でしか分からない植物もたくさんある。

去年に植えた樹種も考えながら、木だけでなく潅木、草、つる性植物と、これから何の植物をどこにどれだけ植えていけばいいのか、栽培方法は何が適しているのか、種はどこでいつ入手できるのか、その保存方法は、等々、オジサン・オバチャンたちが知っている限りの情報を、自分たちで記録していった。


そして、理想の山は半年や1年でできる作業ではない。
木を植えたらできるものでもない。

土壌の流出を堰き止める石垣や、土中への水の浸透を高める堤など、村の人たちがこの1年の間に作ってきた様々な構造物も、きちんとメンテしながら使っていくことで、理想の山はできるのだ。

木・土・水が、山頂から裾野まで、循環しながら利用できるようになるには、何年もかかる。その何年もかかる作業を、活動計画としてまとめることにしたオジサン・オバチャンたち。同時に、村のルールづくりも再開する。
まずはこれから3年間の活動計画作りだと、意気揚々と研修日を設定する村の人たちだが、果たしてどこまで気合が続くか!?

続きは次号で。


注意書き

ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。
キョーコ=前川香子。本通信の筆者。

2010年1月11日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第18号「なが~い道のりの第一歩;オラたちの村の未来予想図」

目次

1. モデル村を目指して
2. 本当に必要なら自力で
3. 組織作りが始まった
4. 日本から来た研修生

11月も半ばになると気温が一気に下がり、耳当てをしている村の人たちをよく見かけるようになる。この耳当ても、余談だが、去年まではなかったヘッドフォンタイプのデザインで、子どもから老人まで使用している今年のヒットアイテムのようだ。

そんな朝晩は寒さが厳しくなる時期に、マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下、ポ村)、ゴットゥパリ村(以下、ゴ村)では、石垣やら溜め池やらを作りながらも、村の共同資金をどのように使っていくのかルール作りに取り組んでいた。

 

1. モデル村を目指して

とある日のポ村の研修の様子。まずは共同資金の使い途についての話し合い。

「共同資金、やっぱり溜め池の堤防とか石垣とか、今作ってる設備だけじゃなくって前からある設備の点検作業や修理にも使おうよ」
「例えば井戸とか?」
「村の中の外灯の整備にもいいんじゃない?」
「子どもの教育費とか急に具合が悪くなった時には使えないかなぁ?」
「村のみんなの田んぼの耕作費に使っていくのもいいんじゃないかしら?」
「村のお祭りでのごちそう作りにもいるよ」


20人ほど集まった村のオジサン、オバチャンたちは、お金の使い道ならすぐにアイデアが浮かんでくるのだが、まるで天からお金が降ってくるかのごとく、そして村の隅から隅までに使ってしまえと言わんばかりに、アレもコレもと挙げていく。

「ちょっといいですか?共同資金を使って、何をするのが目的なんですか?」
ラマラジュの質問に、ピタッと議論が止まるオジサンたち。

「え~っと、村をよくするため?」
「村を良くするって、どういうことですか?」
「この郡の中の、モデル村になりたいんです」と、立ち上がってきっぱりと宣言する青年リーダー、ソメーシュ。

「ぼく達は、村の将来をこんな風にしていきたいんだ。山から田畑まで水が潤い、木も農作物も丈夫に育ってる。今まで作った構造物の点検とか修理はもちろん、それまでに作ってきた設備も自分たちで管理していって、みんなが村で生活できるように、誰も出稼ぎにいかなくても良いようにする。そして村の子どもたちの中で読み書きができない子はゼロにする。そのために必要な作業に、共同資金を使っていくんだ」

そして20点近く挙げた項目は、単なる欲しいものリストであることに気付いたソメーシュは、アレもコレもと挙げていたリストから、行政と一緒にすること、単に資金をあげるのではなくローンとして使うもの、各家庭で当たり前にしなくてはいけないことなど、彼が中心になって議論をまとめ直していった。
その中で、資金の使用を誰がどのようにして認めるのか、共同資金の口座を誰が管理するのか、それらをチェックするのは誰か等々、必然的に母体となる組織を立ち上げることになった。

「でも、村には村落委員会とか、なんとか委員会とか、組織がたくさんありましたよね?」
「あのですね、キョーコさん。そういうのは過去に事業を始めるときに作らされた委員会で、今はナニもしていないんですよ」
と、活動停止状態の委員会の状況を、恥らうことなく堂々と説明してくれる村のオジサン。
「それに、そうした委員会は、村の中の何人かだけが集めさせられたんです。だけど、今から作る組織は、村の人たち全員が関わらないといけないんです。村のこれからのことだから」
別の青年もソメーシュに触発されて熱くなっていき、外の涼しい空気とは反対に、熱中していくオジサンオバチャンたち。

村の組織の名前も考え、メンバーとなる村人の構成(年齢、各世帯からの参加人数)、会費なども話し合い、組織の中の役割も考えていくと、すでに頭は飽和状態。ぐったりと壁にもたれるオバチャンもでてきたため、次回の研修で続けることになった。


2. 本当に必要なら自力で


そして場所は変わって、ダンダシ率いるマ村。
マ村では、以前に「研修に来てくれ」と指定された日時に行っても、家の建設作業に村人ほぼ総出で取り掛かっていて、結局研修を中止にしたこともあったので、研修予定日の朝にも必ず電話で確かめるようになったスタッフ。

今日こそはあるということで、村に行ってみると、ダンダシが泣きそうな顔で出迎えてくれた。
「学校の先生が、教室を貸してくれないんです」

授業があるから当たり前の話だが、実は今までにも1~2回ほど事前にダンダシが頼んで、教室や3畳ほどの入り口の軒下を借りて研修してきた。というのも、マ村はポ村やゴ村と違って、集会場が無いのだ。今まで、マ村の集会といえば広場に集まっての青空集会(大抵は夜)が主だが、その広場も収穫した米が積み上げられ、しかも模造紙を使っての話し合いができない。じゃぁここで、と連れて行かれたのは、建設途中の家。床は砂漠のように砂が積もり、外からの明かりは入ってこず薄暗い。しかも10人すらも入りきれない。ソムニード(現ムラのミライ)スタッフたちの無言の視線を受け止めて、「やっぱりダメっすよね」と、次に向かったのは、「ここの軒下が一番長いから」と、村の端っこにある4軒の家が連なった仕切りのない軒下。ところが、そこでよちよち歩きの子どもたちの世話をしていたバアチャンは、「アタシがなんで動かなアカンの」と、これまた当たり前の話だが、場所を譲ってくれない。

「あなたたちは、この状況を何とかしようと思わないんですか」
と、一喝するラマラジュ。
「これまで学校の先生や子どもたちに迷惑をかけてきて、他の家の人たちに無理を言ってきていますが、ポ村やゴ村、マ村の他の集落ではどのように研修をしているか、ダンダシも知っているでしょう?」

マ村は今まで「集会場が欲しい」と、何年も誰かが集会場をプレゼントしてくれるのを待っていた。研修だけでなく村の行事や祭りにも使える集会場が欲しいとずっと思い続けている。だけど、コンクリートでなくても竹や木材など彼らの山には建設資材もあるのに、ただ座って手を差し出して待ってるだけじゃ集会場はできない。
「共同資金のルール作りの研修が本当にしたいなら、自分たちで研修場を用意しなさい。できるまで、研修はしません」


しょげ返る村のオジサンたちだが、モノをもらうことに慣れすぎている村の人たちは、本当に必要で自分たちでできることは自分たちでやっていくという、これまた当たり前の事に気付いて実践していかなければならない。
『カワイソウに集会場がないのね、じゃぁ建ててあげましょう』ということにはならないのが、ソムニードなのだ。

集会場が無い事が村の問題なのではない。だからソムニードは集会場を建てない。ソムニードは、何年間も何もせずただ待ち続けているだけの村人たちの意識を変えていく。
それから数日後、ダンダシではなく別の青年からオフィスに電話がかかってきた。
「これから、村の集会場を建てる事にしました。多分2週間くらいでできると思います。完成したら連絡するので、また研修をしてください」

結局、本格的な稲刈りが始まってしまい、集会場はまだ建設途中だが、優に40人くらいは入れる大きさの小屋ができつつある。この集会場は、自分たちの山から梁や柱、屋根枠などに使う最低限の木材や細竹を自分たちで集め、労働力を無償で提供して、建設している。すべて、マ村にあるもので作っている。
そう、やればできるのだ。オジサンたちは。


3. 組織作りが始まった

そして、場所は再び変わってマ村の中でも山頂付近にある集落。
青年ガンガイヤが引っ張るこの集落でも、ポ村と同様に共同資金の使い方、村の組織について研修が進んでいる。

「共同資金を扱う組織は、やっぱり村の全世帯がメンバーとなるようにして、組織には、代表、書記、会計、会計補佐、そして代表委員会みたいなのがあればいいんじゃないかと思ってます」
と、彼らの山岳少数民族の言葉であるサワラ語での話し合いの途中経過を、発表するガンガイヤ。


「代表とか、代表委員会とか、各役割に就いた人は何年間その仕事をするんですか?」
と質問する筆者に、1年とか2年とか口々に言う村の人たち。

「オバチャンたちの何人かは会った事があると思いますが、ビシャカパトナム市で活動するSHG(女性自助グループ)の連合体VVKでは、代表や書記といった役職は年に2回開く会員総会で決めていて、代表委員会など委員会メンバーは、10人の内5人だけが最初の1年で交代して、いわば先輩・新人メンバーで常に構成しているようになっています」
と、ラマラジュがVVKの紹介もすると、それは良い考えだと、ガンガイヤたちも役割についてさらに話し合いを進めていく。
ちなみに、各村で作っている村のルールの骨組みは、組織形態も含めて主に次の要素で成り立っている。

組織名、共同資金の使用目的、具体的な活動内容、組織の構成員、各役職とその任期、意思決定の仕組み(総会・委員会等)、資金の収入源等々。
ゴ村でも同じように話し合いが進むが、同時に稲刈り作業も全ての村で本格的になり、1月中旬にある収穫祭に向けて村の人たちの心も浮き足立ってきた。
村ごとで山あり谷ありの研修の日々だが、村の人たちの言う「村の将来」に向けて、再び活動計画作りが待ち構えている。

はてさて、どんなルールができて、どんな将来図が描かれるのか。

収穫祭が終われば気温も再び上がり始め、村の人たちの熱気も比例するようにあがっていく・・・・・ハズ。

続きは次号で。


4. 日本からの研修生

クリスチャンの村ではクリスマスのお祝い準備でも忙しい12月末、マ村、ポ村、ゴ村を、日本から来た若者たちが訪れた。
彼らはソムニードの研修を受けるために来たのだが、村のオジサン、オバチャンたちから農村に対する固定観念を払拭させられることしばしば。

「私たちはお金がなくても生きていけるけど、あなた達はお金がないと生きていけないのね」と、村のオバチャンは、堂々と日本人研修生たちに言った。


 

『村は貧しい』と思ってやって来た若者たちは、電気もありテレビがある家もあり、携帯電話を持つ若者もいる村の姿に衝撃を受け、だけどそういう便利さを追求するのではなく、「山と田畑に水があり、作物が十分に実り、家畜が丈夫に育っている村で、いつまでも村の人たちが生きていけるようにする」という青年リーダーの言葉の意味を考えた。

そして村の人たちは、活動計画を見せ、何故このような活動をしているのかを自分の言葉で話した。
「これからのメンテナンスのためにも、今、村の共同資金のルール作りの研修をしているんですよ」
と、研修日に労賃の支払い予定がなければ姿を見せないような、現金なオジサンまでもが言ってのける。

『私は知っているようで、ホントは知らなかった。現場を知るっていうことが、どういうことか分かった』
『村の人たちに活動の始まりも終わりもない。だってこれは村のオジサンやオバチャンたちがしていくものだから』

10日間の研修中、村の様子を観察し、村の人たちに質問をして、そして自分でも村の生活を体験していった日本の若者たち。

「ぼく達の村に、日本人研修生をいつでも連れて来て下さい」と、ポ村のソメーシュたちは言っている。それは、自分たちの生き方に誇りを持ち、日本の若者たちとも共有したいからなのだ。


注意書き

ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。
キョーコ=前川香子。本通信の筆者。
VVK=2004年~07年のJICA草の根技術協力事業を実施する中で、ビシャカパトナム市内・郊外のオバチャンたちが結成したSHG(女性自助グループ)連合体で、銀行業を実施している。日本で使用する「クラフト素材」として、村のオバチャンたちと連携してマンゴーやカシューの葉、ターメリックのヒゲ根などを集めて売るクラフトビジネスも、細々と展開中。詳しくは、「PCUR-LINK便り」「その後のVVKオバチャン便り」バックナンバーをご覧ください。
ソムニードの研修=2009年12月末にソムニードがマ村・ポ村・ゴ村も舞台に実施した「コミュニティ開発研修」。