2007年9月27日木曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第1号「オラが村さどうするべ?」

 2007年8月に開始した草の根技術協力事業は、事業タイトルに「小規模流域」「森林再生」という言葉が示すように、ソムニードの原点とも言うべき農村での事業となります。

同年6月に終了した、同じくJICA草の根技術協力事業の、通称PCUR-LINK 事業は、ビシャカパトナム市内のスラムを中心にした事業だったわけで、場所は一転して野山を駆け巡ることになりますが、要はスラムだろうが農村だろうが変わらない!詰まるところ、その人の能力を信じて伸ばしていく、ということです。


村のオッチャンやオバチャンたちには、政府やらNGOやら色んなところから、「ダム作ろー」、「井戸掘ろー」、「この種あげるー」とプロジェクトがやって来ます。壊れても育たなくてもお互いに、「あーあ、またやってしもた」と言っては反省も計画もほとんど無いまま、「次はこれ行ってみよー!」と、NGOなどが新たに池を掘ったりしています。
中には、今も使われている建造物もありますが、砂防ダムの底には土砂が溜まっているのに取り除かなかったり、そうやって埋まったダムを、これ幸いと、上流部の人が田んぼにしてしまったから、「水がない?」と下流部の人たちが泣いては新しくため池を作ってあげたりと、まるでモグラ叩きのように、色んな問題点が飛び出してきてはそれを引っ込めさせるという、いわば、場当たり的な事業が数多くあるのが現状です。

そういう所で私たちがまず始めるのは、村の人たちと、同じ理解を持つことです。

「降ってきた雨は、山の上からどのように流れてきて、どこへ流れていくの?」

「どこ(丘陵地・平野部・乾燥地・湿地etc)で、どういう作物を採るの?」
という地理的な事柄からまず取り掛かり、「その流れの中で、どこにどのようなモノ(チェックダムや砂防ダム)を作れば、中流域・下流域の人たちも十分な水が使えるのか?」

「それを良い状態で長期間使っていくためには、どうすればいいのか?」

「どんな組織が必要で、その人たちの責任って何?」
というような、水利事業やら農業やら人材育成、生態系バランスの維持やら色んなものが絡み合う、壮大な(!)事業を、老若男女すべての村の人たちと一緒に、計画をし実行し、管理をしていくのです。
具体的に何をしていくのか(何が起きているのか!?)、ということは、これから(ほぼ)毎月お送りするこの「水・森・土・人 よもやま通信」で、お伝えしていきます。さて、今回は事業開始前に行った村の人たちとのほほ笑ましい交流の様子も含めて、お楽しみください。

目次

1. ポガダバリ村の巻
2. マーミディジョーラ村の巻
3. ゴトゥッパリ村の巻
4. 事業の始まり

1. ポガダバリ村の巻

6月末に雨季が始まったが7月中はほとんど降らず、田植えを始める8月に入っても一向に空は曇らない。
雨は降ってもすぐに止み、田植えをするのに必要十分な量まではまだいかない、そんな暑い日々が続く8月上旬。
神様にお祈りし、「まぁその内降るんやないかねぇ」と呑気にする村人もいれば、「ため池の水を使おうか、でも今使ってしまって、その後も雨があまり降らなかったら、ため池が干上がって田んぼに水が入らないし・・・」と考え込む村人もいる、ここはインド・アーンドラ・プラデシュ州の北部、スリカクラム県にあるポガダバリ村。
およそ200人の住民が住む小さな村は、三方を山に囲まれ、集落の下に田んぼが広がっています。

事業開始前の7月に、ソムニード(現ムラのミライ)スタッフとチャタジー氏がこの村を訪問しました。村の入り口から一番低位置にあるチェックダムまで一緒に探索し、チェックダムから走る水路の壁が崩れかかっている現場で、「そのうち直そうかな」くらいにしか思っていなかった村の老若男女に、静かに告げるチャタジー氏。

「このまま放っておいたら、土砂崩れを起こして、この隣の土地に植えているマンゴーやカシューの土地も、土壌が流れていくよ。」

「アンモー!(この州で使われている言語(=テルグ語)で、驚嘆や落胆を表す言葉)」
そして、チャタジー氏とスタッフによる質問が、村の人たちに投げかけられる。

「この草の役割を知っている?畦道に植えると、田んぼの土手が強化されるよ。」

「昔はどんな動物がいたの?どんな木が生えていた?」

「政府の雇用保障事業に申請すると言うけど、そのためには何が必要なんだい?」
かつての村の姿を懐かしげに語るお年寄りと、知っているようで知らなかった村の若い人たち。
何かをするには、どういう作業が必要で、そのためには何が要るのかという計画を立てなければいけない、ということに気づいた女性自助グループのリーダー・・・。



2. マーミディジョーラ村の巻

そして2番目の村は、山の裾野部分と山中に4つの集落が分散するマーミディジョーラ村といい、スリカクラム県の北西部にあり、約350人が暮らしている。7月に、ソムニードスタッフとチャタジー氏が訪問した際には、村人たちは山中にある石製とコンクリート製のチェックダムのすぐ側で質問攻めにあっていた。

「どうしてこの場所に作ったんだ?」

「いったい建設費はいくらかかったの?」

「マネージメントはどんなことをしてるんじゃ?ほれほれ、こんなに土砂が溜まっていては側壁が壊れてしまうぞ」

村のリーダーを始め、オッチャンたちの答えは「いやぁ、森林局がそう言ったから・・・」

「ただの労働者だったからねぇ」「いやその、なんともはや・・・」と、苦笑い。
チャタジー氏が小川で実践させた即席チェックダムで、オバチャンたちも含めて、村人たちは、川の流れを弱めるというチェックダムの役割とその種類を始めて知り、「なるほどね?」と唸っていた。

山裾の村では、田畑にまく農薬や肥料について、やっぱり質問攻めにあうことに。村の畑の土は化学肥料に慣れてしまっており、そうした薬品を使わないと害虫の被害にあうのだが、毎年、薬品を撒くのは良くない、ということは感覚的に分かっている。
「で、一体何をくれるんだい?どういうプログラムをしてくれるんだい?害虫に強い種をくれるの?」という期待を持つ村のオッチャン、オバチャンたち。
そこで問いかけられた最後の質問は・・・



3. ゴトゥッパリ村の巻

スリカクラム県の中央北部に位置する貯水ダムを東に行けばマーミディジョーラ村方面だが、反対の西方向に行くと、ゴトゥッパリ村へと続いている。ゴトゥッパリ村は6つの集落を抱えており、山裾から山頂まで集落が点在する。ここも同じく、7月にソムニードスタッフとチャタジー氏が訪れた。
村の人たち十数人が、自発的に崩れた畦道を修繕している所を通り過ぎ、山の斜面の焼畑地に植えられたターメリックを横目に見て、ひたすら山を登り続けた。
チークの木が一際集中的に植えられた場所に来て、ここでも始まった質問攻撃。

「なぜ、ここにチークを植えているんだ?」

「えっと、いいお金になると聞いたから・・・」

「植えて何年後に売ると、お金になるんじゃい?」

「20年って聞いたけど。」

「何言っとるんじゃ。最低でも50年経たんと良い値では売れんわ。」

「それに、こんなに木と木の間隔が狭いと、太く育たないよ。なんでこんなに狭いの?」

「あと、なぜ潅木を焼き払うんだい?上の部分は肥料につかえるよ?」

「アンモー!また、なぜって聞くぅ・・・」と、村のリーダーも逃げたくなるほどに、
色んな場所で山や田んぼ、畑、水に関して「なぜ?」「何が?」「どのように?」とソムニードとチャタジー氏が尋ね続ける。
しかし、こうした問答から、村の人たちも、自分の村や山に何があって、どうして作物が上手く育たないのか、なぜこの場所に灌漑用の建造物が必要なのか、ということを薄々ながら考えるようになっていくのだ。



4. 事業の始まり

3つの村でソムニードから投げかけられた最後の質問は、
「これから3年間、JICAと協力して、村の資源には何があって、どのように使い、どうやって保存し増やしていくか、村の将来をどうしていくか、という作業を、お前さんたちみんなと、ソムニードとで一緒にやっていかないか?」というものだった。

「ソムニードは、直接村にお金をあげたり何かを作ったりはせん。だけど、子ども・孫の世代にも豊かに水や土、森があるために、何をしなければいけないのか、どのようにするのか、何が必要なのか、そういう計画をお前さんたちが立てて実行できるようにトレーニングをしてやることはできる。」
と、村の人たちを真っ直ぐに見つめながら話す黄門様。
「これからダムを作りましょう」「木を植えましょう」というようなNGO からの発言に慣れていた村の人たちの中には、明らかに拍子抜けしていた人もいた。
しかし同時に、一緒に歩き回っていた小一時間ほどの間で体験した会話から、「何か違う」と感じた人も多く、異口同音に「一緒にやりましょう!ぜひ、また来てください!」という、最後の質問への答えが返ってきた。
こうして3村と「JICA事業を、3年間一緒にやっていくぞ」という共通意識を確認し、8月に正式に始まったわけだが、冒頭にも書いたように8月は田植えの時期で、村中が朝から晩まで忙しい。呑気に待っていた甲斐もあってか、ポガダバリ村にも雨は降り、8月末には無事に田植えも終了した。

8月中旬に、一度様子を見に行った際には、チャタジーさんの一言で危機感を覚えたらしく、「水路の壁を補修するために、政府の雇用保証事業に申請したわ。でも却下されて労賃がもらえなくても、田植えが終わったら、村の皆で直そうって決めたの。」と、田んぼからわざわざ戻って来て報告してくれた。

7月に3村で行われた村の人たちとのセッションは、ソムニードのフィールド・スタッフたちにも刺激を与え、「ボクが村に行くと、必ず『何をくれるの?』ってあからさまに聞いてくるのに、そういう場面が一度もなかった!」
「一つの事柄で、何十もの質問をしているNGOスタッフって、初めて見たわ」と驚いてばかりいるのだが、こうしたスタッフの能力伸ばしも同時に行っていくのだ。

8月は、田植えに忙しい村の人を邪魔するわけにはいかないし、フィールド・スタッフたちは、これからは膨大な記録を付けていかねばならないので、テルグ語のタイプを習ったり、PCUR-LINK 事業で建設された生産・物流センター内にあるソムニード・フィールド・オフィスの管理システムを作ったりと、本格的に村に行く前に、いわば基礎体力づくりをしていたのである。

9月は田植えも終わって一息つく頃。いよいよ本格的なスタートです。


注意書き

PCUR-LINK 事業=2004年7月から2007年6月まで、アーンドラ・プラデシュ州ビシャカパトナム市内のスラムを中心に実施された、女性の自立支援事業のこと。事業の詳細は、ソムニードブログ内の「PCUR-LINK 便り」をぜひご覧ください。

チャタジー氏=コルカタに拠点を持つNGO「Development Research Communication and Services Centre」の代表で、土壌保全や水利事業の専門家。

黄門様=本名、和田信明。ソムニードの代表理事。

ソムニードのフィールドスタッフたち=野山を駆け巡るソムニード・インディアのフィールド・スタッフは3 人。地元NGOで約20年のフィールド経験を持つスーリー(男性)、同じく5~6年のフィールド経験を持つビジャヤ(女性)、NGOでの勤務はほとんど初めてというアショク(男性)が、ソムニードの活動精神(「鳴かぬなら鳴くまで待とう」)を学ぶべく、PCUR-LINK 事業でもおなじみのラマラジューやアシスタント・プロマネから、ソムニードのいろはを学んでいる。ちなみに、ほとんどの地元NGOは「鳴かぬなら私が鳴こうホニャララ」精神でやっている。

アシスタント・プロマネ=本名、前川香子。この通信を必死に書きつつ、プロマネの偉大さの一部を感じ入る日々。第1号の発行が随分と遅れてしまったが、同時進行で第2号も執筆中。

プロマネ=本名、原康子。PCUR-LINK 事業の後も、スラムのオバチャンたちに引っ張りだこ。

2006年7月31日月曜日

PCUR-LINK便り第23 号 わずか4 グループの連合体が、2 か月間で16 グループに! ~銀行業をはじめたい!団体登録までの道のり~

 VVK 加盟グループが4つからスタートした新規グループのリクルート。7 月末には、毎月の新グループのリクルートの成果があり、16 グループになったVVK。団体登録の方は、しっかり書類も揃え、ビシャカパトナム県の組合登録事務所に出かけていったオバチャンたち、をお伝えするのが今日のご報告。VVKは、2005 年3 月にアンドラ・プラデッシュ州ビシャカパトナム市で、発足したスラムのオバチャンによるSHGの連合体。発足前から、2004 年7 月のPCUR-LINK事業開始以降、ソムニード(現ムラのミライ)が実施する様々な研修を通じて、まずは個別のSHGのマネジメント技術を習得し、事業開始から2年間で、個々のSHG内での資金運用能力を飛躍的に向上させた。わずか月30 ルピーほどの貯蓄しか資本のなかかった彼女たちが、外部の銀行等からの融資に頼ることなくグループ内での「借りる、返す」を繰り返し、帳簿をきちんとつけた結果、グループのキャッシュフローが向上したのだった。VVKに加盟していないSHG、もしくはVVKに加盟している2 年前のオバチャンたちのSHGの様子は次の通り。。。


☆銀行や、地元政府が年に1 度や2 度、政治家のキャンペーンに合わせて、ローンをSHGに貸し付けてくれるのを、口を開けて待っているだけ。欲しいときにお金はもらえないが、何も貰えないよりは、マシ、貰えるものは貰っておこう、くらいの気持ちで、SHG内だけの資金運用なんて無理だっと思っていた(いる)。


★銀行による数々の嫌がらせ。。
10,000 ルピーのSHGの貯蓄を銀行に預けておく、という条件で、50,000 ルピーを貸し付けたり、銀行がSHGへ支払う利子の金額を公開しなかったり、年度末になっても、SHGの貯蓄に対する利子を支払わなかったり、SHGが融資を受ける際は必ず、1 週間毎日のようにSHG代表メンバーが銀行に呼び出されたり。。。
☆SHGのオバチャンたちに一番身近で、一番親切なのは地元の高利貸し(いつでも喜んで貸してくれる)。しかし、親切なのは借りるときだけで、高利子のその取り立ては厳しい。
★SHGを利用した、政府未承認のノンフォーマル銀行が大流行したアンドラ・プラデッシュ州。即座に5,000 ルピーを貸してくれるが、5 回か10 回の返済で返せない場合は、家財道具まで持って行かれ、借金苦に自殺する女性が急増。高利貸しと違うところは、個人でなくSHGに貸し付けたという点で、VVKオバチャンたちも何人か手を出してしまう。(※しかし、近隣のスラムで自殺者が出たとたんVVK内で情報を共有し、SHG内でローンを組んで、すぐにノンフォーマル銀行に返済する、という迅速な対応を取った。)
☆アンドラ州政府が推進するスキームで、SHGやその連合体MACS(相互扶助組合組織)に団体登録しなければ、道路も学校も家の新築も補助金がもらえない、と脅かされる。実際は、SHGを作って、また複数のSHGの連合体で団体登録(MACS)に登録してはみても、帳簿のこともローンのことも誰も教えてくれない。また政府が推進するスキームで、SHGを作ったら、家の新築のための補助金がおりたが、補助金の3 分の1は、キックバックとして地元の役人のポケットへ。。。月に一度、どこからか政府の委託を受けたというNGOのスタッフがSHGにやって来て、お金を集め、勝手にグループの帳簿をつけて帰ってゆく。このNGOスタッフに、50 ルピーを毎月サービス料としてSHGから払っているけど、ローンがいつ貰えるのかも、SHGや連合体に入っていて、ナンの得があるのかも、誰からも教えてはもらえない。。。
こんな現状を打開したVVKのオバチャンたちは、今でもなんだかんだと日銭に困ってはいるけど、PCUR-LINK事業の数々の研修の成果で、自分のグループ内のキャッシュフローがよくなり、年に何度も自分のSHGからお金を借りられるようになったオバチャンたち。次なる課題は、自分たちの銀行!複数のSHGが集まって銀行を設立すれば、個別のSHGだけでは扱えない金額が、自分たちの手で管理できるようになる。そこで、あれこれみんなで調べた結果、複数のグループによるSHGの連合体で銀行業を行うには、アンドラ州政府の場合、政府へ団体登録をしなければならない、ことがわかった。それがMACS「相互扶助組合組織法」で、VVKは、MACS「相互扶助組合組織法」に登録すべく、活動を開始した。膨大な団体登録に必要な膨大な書類を抱えて、(とにかく英語&テルグ語両方で、膨大な量の申請書!)ビシャカパトナム県の組合登録事務所に出かけて行った。
◇登録事務所スタッフ:「VVKというのはいつから活動してるの?」
●VVK代表ビジャヤラクシュミ:「2005 年の3 月からです!最初7つのSHGで発足して、その後、色々あって4つのSHGだけになってしまったけど、5 月、6 月でSHGの数がどんどん増え、7月末には16 のSHGが加盟しています!いよいよ自分たちで銀行業をはじめたいので、団体登録に来ました!」
◇登録事務所スタッフ:「あんたたち、VVKの会則はあるの?」
●ビジャヤラクシュミ:「ハイ、この小冊子を見てください!VVKメンバーは全員、この会則の小冊子を持っています!なんと言ったって、11 か月もかけて、自分たちで会則を作ったのですから、代表メンバーの全員が会則を理解してますよ!4 月には会員総会も開いたのですよ!」
◇登録事務所スタッフ:「すごいねえ。もう会員総会も開いて、会則の小冊子まであるのかい?ところで、団体登録用の申請書類を見せてくれるかな?」
●ビジャヤラクシュミ:「どうぞ。」(ドサッと膨大な申請書類を差し出す)
◇登録事務所スタッフ:書類をパラパラと見て。。。「すごいねえ、全然、書類に不備がないねえ」
※(後でビジャヤラクシュミから報告を受けたソムニード(現ムラのミライ)スタッフ心の声):そーだろう、そーだろう!JICAへの提出書類で鍛えられているソムニード・スタッフも、VVKのオバチャンと一緒に作った書類だもんね、エヘン。
●ビジャヤラクシュミ:「じゃあ、団体登録の申請書を受け付けてくれますか?」
◇登録事務所スタッフ:「でもねえ、君たち政府のスキーム(プログラム)の下で、設立されたSHG連合体でないのだろう?ちょっとねえ、君たちの活動を認めるのはねえ。。。。」
●ビジャヤラクシュミ:「そんなー、書類は全部整っているのでしょう?」
◇登録事務所スタッフ:「そうだ、ビシャカパトナム市都市計画部の人から推薦状もらって来なさいよ。そうしたら登録を認めてあげるからさ。」
●ビジャヤラクシュミ:「・・・・・・」
その日は、VVK事務所に戻る。
※政府の推薦状がなければ団体登録できないとは、何処にもMACS「相互扶助組合組織法」には、書かれていない。登録事務所のスタッフは、登録を申請してきた団体の能力を査定し、登録するか、しないか決定するのが仕事なのに。アーンドラ・プラデシュ州のSHGの多くが、MACS「相互扶助組合組織法」に登録されているが、その多くが政府から雇われているNGOスタッフが会則を作成し、SHGメンバーの誰も、会則の中身も知らず、ただ言われた通りにSHGの代表が署名して、団体登録しているケースが大多数。登録事務所に団体登録の申請に行くときもNGOスタッフは同行し、担当官の質問に答えるのは、NGOスタッフで、オバチャンたちは「団体登録の意味」も把握していない場合がほとんど。また政府のスキーム(プログラム)でもなく、NGOのスタッフも付き添わず、自分たちだけで登録事務所に申請書を持ってくるスラムのオバチャンなんて、今まで誰もいなかった様子。しかも、登録事務所の担当官の質問にすべて堂々と答えることができるオバチャンたちなんて皆無だった様子だ!
VVK事務所に戻ってきたビジャヤラクシュミVVK代表は、他の3 名の代表メンバーと相談し、ビシャカパトナム市都市計画部にも出かけるが。。。
●ビジャヤラクシュミ他VVK代表メンバー:「あのー登録事務所からここで推薦状をもらってくるように言われてきたのすが、私たちVVKが団体登録するための推薦状を書いてくれないでしょうか?」
▽ビシャカパトナム市都市計画部:「何で、ボクがアンタの団体を承認しなくちゃいけないわけ?なんかキックバックあるわけ?(間接的に)団体登録に、ウチらや、市役所の推薦状なんて、必要ないんだよ。直接、登録事務所に行けばいいじゃないか?」
●ビジャヤラクシュミ他VVK代表メンバー:「アタシたちも推薦状が必要だとどこにも法律に書いてないから、直接、登録事務所に行ったのですよ。そしたら、ここで推薦状貰ってこい、登録事務所の人に言われて。。。」
▽ビシャカパトナム市都市計画部:「なんだかんだと登録事務所のやつ、自分たちだけでSHGの連合体を査定して、問題があったときに嫌だからって、俺たちを巻き込もうとするんだ。いいかい、必要ないんだよ、推薦状なんて。さあ忙しいのだから、帰って、帰って。」
そこで、ビジャヤラクシュミ、また登録事務所に出かけて、都市計画部で推薦状が貰えなかったことを報告。
●ビジャヤラクシュミ:「都市計画部では、団体登録に政府機関からの推薦状なんて要らないって言われたんです。今日も申請書類を持ってきましたから、書類を受け取ってくれないでしょうか?」
◇登録事務所スタッフ:「まあそれはそうなんだけどさ。ほら、ナンかアンタたちのバックにNGOとかいないの?そのNGOの人を登録事務所に来るように言ってよ。」
●ビジャヤラクシュミ:「どうしてですか?」
◇登録事務所スタッフ:「だって、そのNGOがアンタたちのVVKへの支援を止めたら、アンタたちの活動が終わり、なんてことになったら、登録を許可するボクの責任になってしまうのよ。そのNGOから“VVKは、ずっとワタシのNGOが支援します”みたいに一筆書いてもらえないの?」※
●ビジャヤラクシュミ:「ソムニードの人たちは、言えば来てくれます。でも、資金の支援は最初から2007 年6 月末のJICAの事業終了時まで、だって言われています。そのつもりで、私たち今、新しいSHGをVVKのメンバーにしよう、と頑張っているのです。他所からの支援に頼ってしか活動を続けられない状態は嫌だから、自分たちのVVKで銀行をやりたいんです!だから、申請書類を受け付けてください!」
◇登録事務所スタッフ:「アンタたちさあ、政府のスキームの下で団体登録しないと、 道路とか学校建設とか、家の補助金とか出ないよ。どーするの?だからさ、政府が推進するSHGに入ってさ、それから連合体作って、団体登録したら?こんな風に自分たちだけで直接、登録しに来ないでさ。」
●ビジャヤラクシュミ:「アタシたち、道路とか学校建設とか、家の補助金とかそういうことは今はいいのです!今は、自分たちの銀行、VVK銀行を設立したいのです!だから、団体登録が必要なのです。どうか団体登録の申請書類を受け付けてください!VVKが信用ならない、というなら、いつでもVVK事務所にきて、金銭出納帳でも銀行通帳でも、仕分帳でも、2005 年度の年次報告書類でも何でも見てください」※※
◇登録事務所スタッフ:「まあまあ、ボクも同僚と相談してみるから、また来週来てください。」
※そもそもNGOがずっと支援することが条件で、MACS「相互扶助組合組織法」法に登録するなんて、どこにも法律に書かれていないし、そういう趣旨で法律があるのでは決してないはずなのに。。。
登録事務所スタッフが心配しているのは、これまでアンドラ州政府のスキームの下に、マッシュルームのように次々と連合体が結成され、その団体登録を認可してきたのが、その団体の多くが、政府のスキームでの支援が終わると同時に活動を停止しているという事実が山積みだから、だ。ひどいところでは、団体登録時に、保険料や会費だ、月別貯蓄だと、お金を回収しにきたNGOのスタッフが、政府からの委託金がNGOに支払われなくなった途端、そのお金を持って逃げてしまったとうケースも有り。また、保険料を払ったにもかかわらず、SHGメンバーが亡くなってもまだ政府のスキームで登録された団体に所属するSHGのオバチャンの家族に、保険料が支払われたという話はどこからも聞かない。
※※これだけの帳簿や報告書類をSHGのオバチャンたちが自分たちだけで作成し、その維持管理をしているSHG連合体なんてビシャカパトナムにはどこにもないし、州全体でも一体どれだけあるか。。。
また別の日の登録事務所。。。。
●ビジャヤラクシュミ:「また来ました!今日は、申請書を受け取ってくれますか?」
◇登録事務所スタッフ:「アンタたちもしつこいねえ。まあ書類だけは受け取るよ。これは、ボクは君たちの団体登録を無視しているわけじゃない、ってことだからね。でも申請書類を受け取るイコール登録をする、ということじゃないからね。ずっとこの申請書類がボクの机の上にのったまま、ということもあるんだからね。」
●ビジャヤラクシュミ:「・・・・・」
まずは申請書と登録事務所に提出することだけは出来たが、嫌がらせはまだまだ続きそう。
7 月だけで4 回も登録事務所に足を運んだ代表メンバー。7 月28 日のVVK定例ミーティングでも登録状況を報告し、8 月も継続して団体登録を目指すと宣言したオバチャンたち。8 月2 日には代表メンバーで作戦会議を開き、どうやって登録を認めてもらうか話し合う予定。
7 月、6 月の新SHGのVVKの加盟に向けての働きかけの効果が現れはじめ、7月末にはVVK加盟SHGが16 に!来年3 月末までにVVK加盟グループを40 にする、という目標に一歩一歩近づいている。
普段は10から15 人くらいしか参加しない毎月28 日のVVK定例ミーティング。7 月28 日のミーティングには、なんと50 人近くが参加。新しくVVKに加盟したSHGのメンバーが、定例ミーティングやVVK事務所を見学に来た、というもの。10 時から11時のミーティング開始時間に、次々とオバチャンたちが「ここがVVKの事務所かね?」とやって来る新しいメンバーたちの姿に、VVK代表のビジャヤラクシュミや他の代表メンバーはとっても嬉しそう。この1 か月間、団体登録のために気力&体力を消耗していただけにその喜びはとても大きい。
☆ビジャヤラクシュミ:「プロマネ!見てよ、見てよ、こんなにたくさんの人がVVK に来てくれて、アタシは嬉しいわ!」
●プロマネ:「ワタシも嬉しいわ!これもアンタたちの努力の成果よね!」

20050811

ここで、2 人は喜びの笑顔でお互いの腕をブンブンと振り合いながら握手。この日のミーティングには、ソムニードの高山事務局の高田尚子さんが、ソムニード「クラフト素材ビジネス」を、VVKオバチャンに提案。高田さんのプレゼン中、ビジネスの実施フローの部分ではボーッとしていたオバチャンたちだが、年間の利益試算の話になった途端、目を輝かせて。。。。(まあ全く、なんてわかりやすいのでしょうねえ。)
さてさて、オバチャンたちは、新たなビジネス・チャンスを理解し、活用してゆくことができるか?
団体登録は?
規模が大きくなったVVKの新たな運営は?
銀行業スタート準備は?
新たなグループへの研修は?
生産・物流センターの活用は?
まだまだ色々ハードルはあるのだけど。。。VVKのオバチャンたちは気づいていないかもしれないが、新しくVVKに加盟して、“自分たちのグループを自分たちで運営してゆこう”と決めたこと自体が、もう今までの「施しを待っているオバチャンたち」ではないのだ。登録事務所にはソムニードのスタッフの誰も付き添って行っていない。だから上の登録事務所や都市計画部の担当官とのやり取りは、後からビジャヤラクシュミ他、VVKのオバチャンたちから聞いたものだ。ビジャヤラクシュミもそのほかの代表メンバーのオバチャンたちも気づいていないと思うけど、彼女たちが私たちに登録事務所での話をしてくれる顔は、自分たちで自分の運命を決めるという意志を持って、しかも1 人じゃないんだ、VVKという仲間と一緒なんだ、という自信を持って「闘う顔」だった。彼女たちの顔は、2 年前と全く違う。