2012年4月26日木曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第2号「オラ達の村の水と土」

 

目次

1.  ため池?それとも運動場?
2.  溜まった土、流れてきた土

1. ため池?それとも運動場?

前号では青々とした稲が水田で風に揺らいでいる長閑な風景を紹介したが、その後、結局雨は1滴も降らないまま、稲刈りの季節を迎えた南インドの農村部。
水田は乾き、土が割れ、穂に実はつくものの大きくならず、通年より1カ月ほど早々と村人たちは稲を刈り取った。
中には刈り取らずに牛に食べさせた村もあったほど。
インド全土では降雨量は平年以上にあったというものの、アーンドラ・プラデシュ州沿岸の農村部では、昨年の雨季の降雨量は平年以下だった。
というより、全く降らなかった。

村は乾ききっている…ような印象を受けるが、ここで2つの対照的な村を紹介しよう。
もちろん、この通信の舞台となっている村である。

P村は48世帯で、低地にあり、他の村に比べても政府スキームを多く活用し、労賃をせっせと稼いでいる。
村には2つの大きなため池があり、その内1つは、2年前に貯水量を増やしたり水門を築いたりと整備を施した。
そのため池も2011年9月下旬にはほぼ満水だったのに、10月下旬にはもうすっからかんとなってしまった。
すっかり水の上がったため池には、バレーボール用のネットも張られて、一見すると運動場でも作ったのか?と見間違えてしまう。


ため池の水を何に使ったのか質問すると、村人曰く、
「10月にまた雨が降るかと思ってたし、ため池に水はあるし、二期作ができるかなぁと皆で田んぼに水を引いてみたら、雨が降らなかったんだよね」
別の村人曰く、
「お前が勝手に水門開けて、水を引いたからだろう」

結局、P村の今年の米は、平年の半分ほどしか収穫できなかった。
しかし、お米からの収入の損失部分を埋めるかのように、政府スキームを使って石垣を作ったり道路整備したりして、ある程度の現金収入を得ている。

G村は28世帯、山の高地にあり、この半年で麓からの山道を整備して、オートリキシャ(小型自動三輪車)も楽々通行できるようになったが、それまでは自転車さえも走れないほどのデコボコ道だった。
この村にはため池が一つあり、ため池を南北に挟むように水田地が広がっている。

前事業が終了した後、G村の人たちは自分たちで魚卵を購入し、養殖を生業とする近隣の村で数名が養殖のイロハを習い、4種類の魚をこのため池で育てている。
ちゃんとG村の人用とそれ以外の人たち用に、販売価格を分けていて、これら収益はすべて村の流域管理委員会に納めている。
G村も2011年9月下旬頃はほぼ満水で、その後雨が降らなかったにも関わらず、2012年3月までため池の半分以上は水が残っていた。

村人曰く、
「魚がいるから水が枯れてはいけないし、二期作を初めて実践しようかという話も村で出たけど、今年はまだ挑戦する時期じゃないって、決めたんです。でも、稲刈りの後にもう一度、土が湿る程度に田んぼに水を放流して、全ての土地でひまわりを咲かせようってなりました。見た目もきれいだし、種は油で売ることができますからね」


G村はP村に比べても穂の実りは大きかったが、収穫量はやはり例年の6割ほど。
そして2012年3月、村の田んぼ一面にひまわりが咲いた。

県内一帯を見渡すと、昨年末以降、P村のようにほとんどのため池は干上がり、たくさんの運動場が広がっているような光景が「当たり前」である。
G村は魚がいたからある意味「手をつけずに置いた」だけで、幸運にも稲作後の農作物にも水が使えたのだ。
(通常、この地域では、稲作後にゴマやひまわり、緑豆等を栽培する)

両方の村ともに、ため池の整備はしていても、溜まった水をどうやって使っていくかという計画まではしていなかった。そもそも整備した時点では二期作なんて考えはなかったのだ。

村の人たちの思い込み、あるいは期待として、雨季は毎年決まった時期(6月から9月と10月下旬頃)にやって来て、たくさん雨が降ってくれる、というものがある。
しかしながら、よもやま通信第1部の6月や7月発行号を読み返してみても、毎年、村の人たちは雨が降らないと空を睨み、政府のお偉いさん達は雨乞いの儀式をしている。
もし「雨季はいつからいつまでですか」と聞けば、「6月から9月までです」と村の人たちは答える。
しかし、去年は?2年前は?3年前は?と聞いていけば、順調に6月から9月まで降った年などないことが明らかである。


天候をコントロールすることはできないが、水の使い方、言いかえれば農業のシステムを見直せば、少ない雨量でも必要な収穫量を確保することはできるかもしれない。
そしてやっぱり今までと同じように、水源地や山の中で、水や土を流し出さずに溜めていくという作業も継続していかなければならないのだ。
村のオッチャンオバチャンたちも、うすうすと、気付き出している。


2. 溜まった土、流れてきた土

水について悲喜こもごも起こっていた傍ら、村のオッチャンオバチャンたちは、前回事業で作った石垣(土壌流出を止める役割)やら堰堤(水流を弱める役割)やら苗木やらの、モニタリングのやり直しを始めていた。
水土保全のために設置した設備をそれぞれ見ている内、例えば川に作った堰堤では、
「土が溜まってて凄い。やった?」という人と、
「これだけの土が流されて来ていて大変」という人と色々だ。
堰堤の設備そのものをチェックするだけでなく、溜まった土もその厚さを見ることで、水源地付近からの土がそれだけ流れ出している、という状況を、感覚ではなく見て実感できる。

そしてひとつ一つ村の人たちが再モニタリングして気付いたこと。
「同じ川に作っても、堰堤が埋まりそうなくらい土が溜まっている所と、全然溜まっていない所がある」
そこで今度はソムニード(現ムラのミライ)が一つ一つ聞いていく。
「土が溜まっている堰堤と溜まっていないのは、それぞれどこにありますか?」
「その山の斜面には何がありますか?何が植わっていますか?」
「山の斜面に石垣があるのなら、石垣の役割は何ですか?」
こうした質問を重ねていって、一つの状況を発見した村人たち。

「石垣を作っていない山の川ほど、土がたくさん流れ込んできている」

そして、ここでもう一度、石垣や堰堤の機能について、絵を描きながら聞いていくと、一つの活動が生まれてくる。

「あぁそうか、土がたくさん流れ込んできている川の斜面に、石垣を作った方が、川に流れ込む土が少なくなるのか」

脱穀などの作業が終わり、乾季が始まった時期を利用して、川に土が流れ込まないための短期アクションプランを作って、石垣と堰堤の設置を行うことにした村の人たち。

「アクションプランって何だっけ?」という反応を、意地悪くも少し期待していた筆者だったが、さすがに「アクションプラン」という言葉にも慣れてしまっている村のオッチャンオバチャンたちで、
「はいはい、アクションプラン、作りまっせ―」と、場所を選定したら、予算作りも含めてさっさと表にまとめてしまった。

今回から少し違うのは、予算の何割かを村の流域管理委員会が負担すること。
そして3月までに、アクションプラン通りに石垣と堰堤の設置が完了した。

苗木はどうなったか?
山の岩だらけの斜面に植えた場所は、苗木が育つまで、豆や雑穀の畑作を行っているが、B村では、豆のツルが苗木に絡みに絡まって、見るからに成長を妨げている。

「だって、豆を食べるんだもん」と、はにかむ村の青年。脱力する筆者たち。

前回事業では、初めて自分たちの森から採集した種や根を使って植林したが、結果からして生存率はあまり芳しくなかった。
水源地付近は、近隣の村の野焼きの火が燃え移り、植えた苗木もほぼ焼かれてしまった。


ただ、山の中腹エリアでは苗木もすくすくと育っており、すでに子どもの背丈くらいになっているものもある。

「だけど、石垣より上の斜面に植えた苗木は、他の場所の苗木よりも、成長具合がとても良いですよ」
と、それぞれの村の人たちが発見している。
はてさて、この結果を踏まえて、これからどうするか?
再挑戦を始めよう。

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第3号「オラが村の調べ物」

 

目次

1.  最初のステップ
2.  調査と未来のお嫁さん
3.  生物多様性、名前もいろいろ

昨年度の雨が少なかったせいで、今年のカシューナッツやマンゴーの花の付き具合がよろしくなかったアーンドラ・プラデシュ州農村部。
花があまり咲かないということは、実もならないということで、村の人以上に筆者も困ってしまう。
45度を超える暑さが続く夏を耐え抜くためには、マンゴーが必要不可欠。どうなることやら。


 

1.  最初のステップ

さて、段々と昼間の研修は受けづらくなってきたこの季節、村の人たちの頭と身体にしっかりと刻み込まれた「流域」という概念だが、村の人たちも気になりだした「次のエリア」。
「流域って何ですか?」
と問うと、身体を使って説明するのが、村の人たちの定番。
「トップゾーン(水源域)は頭で、だから髪があるように木が必要になります。胸からお腹にかけてがミドルゾーン(集水域)。腰から下はローワー(lower)ゾーン(裾野)で、足の方は田んぼになります。この頭から足の先までを流域と言います」

「今まで皆さんが行ってきた流域での活動は何で、どこで行ってきましたか?」と問うとアレやコレやと口々にする。
そして次の質問を待たずして声にする村の青年。
「だから、後は『足』の部分で何かをしなければいけないと思います」

「何かって何?」と聞くソムニード(現ムラのミライ)スタッフに、
「さぁ・・?」と首をかしげるオニイチャン。

「2007年にソムニードとJICAと、この流域管理事業を始めた時、皆さんはまず何をしましたか?」
「植物図鑑を作りました」
「いきなり図鑑を作ったの?」
誰が村に来て、何をしゃべって、どこを歩いて、とひとつ一つ思いだしていくと、
「そうだ。自分たちの村に、どんな植物があるのかを調べたんだ」
そしてそこから、何が村にあってどんな状況にあるのかを知って、アクションプラン作りになったんだ、と嬉しそうな村の若者達。
するとすかさず発言する、頼もしいG村の青年リーダー、ガンガイヤ。
「次も、足の部分にあたる所に何があるのかを、まず調べないといけないですね」
「何って、田んぼだべぇ」というオッチャンに、若者たちが反応する。
「田んぼに何を植えているか、ということ?そもそも村の田んぼの面積はどれだけあるのか、僕は知らないなぁ」
「田んぼ以外にも、裾野から下の方にはため池があって、家があって、お寺もあるし、畑もあるしなぁ」
「家畜もいるから、家畜についても調べたらいいんじゃない?」
「そしたら、牧草地も入るのか?」
(お、良いところに目をつけた!)と心の中で拍手する筆者たち。
「いやいや、牧草地は裾野のゾーンじゃないし」
(お、ちゃんとゾーンのことも考えてる!)と感心する筆者たち。
あぁだこうだと調査項目を決めていく村の人たち。
確かに、牧草地は山の中腹にあったりするけれど、これから取り組むべき課題でもある。
但し、この時点では村の人たちに、とことん話をさせて、こちらから「この事を調べましょう」とは言わない。
言わなくても、「裾野にあるモノ/そこで今活動していること」から外れずに考えていけば、すでに植物調査を経験している彼らのこと、筆者たちが考えていることとそう大して違いは出ない。
ただ、そこから何を気付けるか、という過程にソムニードのスパイスが加わる。
(そこが筆者にとっては重責なのだが…)


そして決まった調査項目。
村の世帯数、人口、その内何人が、出稼ぎやら寄宿学校やらで村の外に出ているのか、家畜の数、といった基本的な項目から、家族ごとで政府スキームに2011年度に何日間従事したか、毎月の配給制度で受け取る品物や量、田畑・果樹園の耕作面積なども、調査担当の村人が家を廻って記録することに。
村全体で集まって調べるのは、栽培作物(自家消費作物と換金作物)、採集作物、耕作地別の農作業カレンダー、水の利用状況、放牧状況など。


2.  調査と未来のお嫁さん

世帯ごとに聞いて回る調査は、フォーマットも村の人たちで決めて、担当者が各家を廻る。
日本の農村地と違って、隣りの家まで数十メートルということはなく、長屋のごとく家が隣接しているのが南インドの農村地。
各家を廻るのもそう時間はかからない。
数日経って、調査をしたのか、どのように調査をしたのかを知るために、P村に行った時に、その辺のオバチャンをつかまえた。


「ナマステー。最近、何か調査をしてるらしいけど、あなたの家には誰か来たの?」
「あぁ、配給カード更新のための政府の調査のことかい?」
「あら、そんな調査もやってるのですね。それとは別に、あなたの村の人も調査をしてるらしいのですけど。」
「あぁ、もしかして、チャンドラヤのことかい?そういえば家に来たらしいね」
「あなたはその時いましたか?」
「いや、いなかったけど、うちのダンナから聞いたよ。家族構成とかその内何人がこの家に住んでいるかとか、牛が何頭いるか、鶏を飼ってるかとか、あと、田んぼや畑の面積を記録するからってことで、帳面も見せたらしいよ」
「そうなんですか。ダンナさん、ちゃんと話をしてくれるのですね。良いですねぇ」
「っていうか、こうこう答えたけど合ってるよな?って確かめてきたのよ。うちのダンナは家の事を知らなかったりするからねぇ。あはは」
そして別の日。
T村で、すでに記録された調査フォーマットを見て、記入漏れなどが無いか確認していると、ある世帯の調査表で不思議なことを発見。
「あれ、ブッチャイヤさんってもう結婚されたのですか?」と近くに居たオッチャンに聞く。
「いや、まだじゃのう?」
「でもここにお嫁さんらしき人の名前がありますよ?」
「この間、結婚する事が決まって相手の家族に会ってきたとは聞いたけど、よっぽど気に入ったんじゃのう」
え、そういうこと?と首を傾げるソムニード一同。



(T村の調査担当者を捕まえて)
「ブッチャイヤさんの家には、このお嫁さんはもういらっしゃるのですか?」
「いや、まだです」
「じゃぁどうしたら家族構成に記入できるのですか?」
「ブッチャイヤが、書いてくれって嬉しそうに言うから・・・それに、もうすぐホントに結婚するし」
何じゃソリャ、と脱力する筆者たちを代弁するかのように、
「そしたら、将来の子どもの名前も書いとけー」
と別の青年がツッコミを入れてくれる。
苦笑いしながら担当者は
「もう一度ブッチャイヤの家の調査票を作り直します」
とスゴスゴと去っていった。

似たようなことが、政府が実施する調査にも当てはまる。
P村のオバチャンが言っていた「配給カード更新のための調査」等で職業について聞かれると、あまり村の人は「農業/農家」とは答えない。
お役所に雇われて町から来る人は、パリッとしたシャツにズボンを履き、サングラスをかけてバイクに乗ってさっそうと村に入ってくる。
そして椅子にデーンと腰掛けて、いきなり調査を始める。


村の人たち(特に青年たち)の中には、そういう「外から来た一見さん」に対して少しでもカッコ良い姿を見せたくなるものなのか、職業に「Land Developer」と答えていたりする。
そして調査担当者も何の疑いもなくそのまま記入する。
畑を耕すのも土地開発か?と微笑ましく思ったりもするが、そうした記録を見ただけでは、「P村にはLand Developerが15人もいる」のか、スゴイなー、となってしまう。

調査ひとつにしても、正確な情報を知るためには、村の人たちと関係を作ることから始まる様々なプロセスが要るのだ。


3.  生物多様性、名前もいろいろ

そして村全体で農作業カレンダーなどを調べる作業を始める前に、

P村、G村、T村、B村から何人かが集まって、調査方法や書き込み方などの準備をした。
彼らの中には、山岳少数民族のサワラ語という言葉でしか知らない植物もあり、また、同じサワラ語でもG村とB村では微妙に違っていたりする。
P村はサワラ語を話さず、アーンドラ・プラデシュ州の公用語、テルグ語しか理解できない。
そのテルグ語もなまっていたりするのだが。


その日に準備した調査項目は、「牛のえさになる植物について」
農業については、あらかじめ農作物の写真や絵をこちらで準備できるのだが、牛のえさについては筆者たちも皆目見当がつかないため、葉っぱや枝を採って来てもらった。
この日は、それぞれの草などが、何月から何月まで採集できるのか、ということをカレンダーに落とし込む作業をしたのだが、名前を確認するだけでひと作業。

「この植物は、サワラ語で××と言います」(G村)
「ちがうよー。×○×だよー」(B村)
「何言ってんだ、××だろう。山奥に住んでるから、ちゃんとした名前知らないんだよ」(G村)
いやいや、G村も立派に山奥の村だし・・・と心の中でツッコミを入れる筆者たち。
「これは、テルグ語では△△ですね」(T村)
「違う違う、テルグ語では△○って言うんだよ」(P村)
「間違ってないよー。△△で合ってるよー」(B村)
「田舎者のテルグ語はナマってンだべ」(P村)
いやいや、P村のあなたたちも立派な田舎者ですから・・・と
またまた心の中でツッコミを入れる筆者たち。


なんだかんだと言いながら、こうして採って来てもらった葉っぱや枝は標本にして、後日、植物の専門家から学術名などを教えてもらう。
そうすることで、適切な種の最終方法や植林方法を調べることもできるのだ。
ツッコミ所満載な作業だったが、なんとかフォーマットやら調査方法やらの準備も最低限整った。
何をしているのかを共有するためにも、限られた人だけでなく、なるべく大ぜいの村人が参加した方が良い、ということになり、調査日を設定して、お昼ご飯も流域管理委員会で準備することになった。
果たして、どのような珍回答が出て、どんな結果が出てくるのか…
筆者自身がとても楽しみな今回の調査。
そして忘れていはいない、前回から続く植林の再挑戦。

次号に続く!

2011年10月15日土曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第1号「村での再会、そして再開」

 

目次

1.  はじめに
2.  1年間のご無沙汰
3.  オラが村でしてきた活動、現状はいかに?
4.  モニタリングって何?
5.  新しい活動の始まり

1. はじめに

2011年9月下旬。
モンスーン終わりかけの雨が名残惜しげに降りさかる頃、村では主に水田での雑草取りの作業をしている。
今年はまとまった雨の降り始めが遅かったので、田植えも8月に入ってから。まだ青々とした稲が、勢いよく延びている。
アーンドラ・プラデシュ州の北部に位置するスリカクラム県。県内でもさらにオリッサ州に近い3つの流域が事業地であり、この通信の舞台でもある。


2010年8月に事業が終了してから1年。そうした村のオッチャン、オバチャンたちは何をして過ごして来たのか、よもやま話をまずはご紹介。


2. 1年間のご無沙汰

前回事業の目的は、村の人たちが自分たちで村の自然資源を管理できるようになることだった。
そのために3年の時をかけて、自分たちで村の資源の現状を調査し、必要な活動とそれにかかるコストを計算して計画を立て、実行し、終盤では管理するための自治組織も立ち上げた。
具体的な活動には、水源地を涵養し且つ食・材・薬・薪・飼料を得るための植林、渓流の水流を弱めるための堰堤の設置、土壌流出を防ぐための石垣の建造等がある。
そして半ば土に埋もれたままだった貯水池も整備し直し、ダダ漏れしていた雨水を蓄えられるようになった。
その七転八倒の道のりは、「水・森・土・人 よもやま通信(全22話)」に詳しくあるので、そちらをご一読いただきたい。

そして3年の事業が終了した直後、ただ植えて造って終わりではなく、モニタリングをすることになり、研修を通じて村の人たちは自らモニタリング・フォーマットを作った。そして各村の自治組織は総会も開催し、ソムニード(現ムラのミライ)もオブザーバーとして招待を受け、村へ足を運んだこともある。
事業終了後も、絶えず窓口を開き、必要とあらば研修を行うのがソムニードである。というより、事業終了後からが、本当の村の人たちの自立的な活動が始まるのだ。
自転車で例えるならば、3年間という事業でようやく補助輪無しで自転車に乗れる感覚を覚え始めたばかり、自転車がこけた時にいつでもサポートできるように準備はしている。
但し、こけたからと言って「大丈夫?」とすぐには駆け寄らないのも、ソムニードなのだ。

さて、そうして自転車をこぎ始めた、、、

もとい、自分たちでモニタリングや諸々の活動を始めた村の人たちだが、2011年9月から、再びこの村の人たちと一緒にJICA草の根技術協力事業を始めることになった。自転車に乗り始めたのだから走る道も同時に良くしていこうじゃないか、ということである。
新しい事業のタイトルは、

「多角的資源活用農法(DIFS)を通した農地利用と集水地域保全普及発展型地域住民主導マイクロウォーターシェッド・マネージメント」。

これは、前回事業で造り出し保全し始めた水資源や土壌を、農業に有効的かつ最大限に活用していくことを目的としている。そしてさらに、前回事業でマイクロウォーターシェッド・マネージメント(小規模流域管理)のコンセプトとその方法を身に付けた村のオッチャンオバチャンたちに指導員となってもらって、近隣の村へ流域管理の活動を波及していく。
実際、村のオッチャンオバチャンたちが汗水流して植えた苗木も、近隣の村の人たちの野焼きに巻き込まれたり、苗木を引っこ抜かれたりしたのだ。あるいは、石垣の石をどこかの村の工事用に持って行かれそうになったこともある。山が隣接していてクリアな境界線がないならば、他の村も巻き込まないでどうすんべ、ということだ。


3. オラが村でしてきた活動、現状はいかに?

そして事業開始後の9月下旬、筆者たちソムニードのスタッフは、オッチャンオバチャンたちのモニタリングの様子と、貯水池や石垣等の建造物や苗木の状態を確かめるべく、村へと通った。
モニタリング・チームを選び、毎月、それぞれの状態を見てフォーマットにチェックを入れている村の人たち。
「ナマステー。お久しぶりですね」
「おやまぁキョーコさんにラマラジュさん、久しぶりじゃないですか」
「この1年間、モニタリングをしてきたってスゴイですねぇ。ちょっとモニタリング・シートを見せてもらっていいですか?」
「どうぞどうぞ、ほら、ちゃんとモニタリングしてますよ、僕たち。」
「毎月チェックが入っていますね。ふーん、石垣も堰堤(えんてい、ダムより小規模な堤防)もほぼ壊れることなく、何の変化もなく造ったままの状態なんですねぇ」
と、シート全てに目を通す筆者たち。

「はい、バッチリ良い状態です」
「ちょっと一緒に現場まで行ってもらえますか?」

ということで、山を登って石垣から堰堤、貯水池に植林地と一通りオッチャンオバチャンたちと見て回る。
渓流に造った堰堤は、上流部からの土も堰き止めており、場所によっては40センチほどたまっている所もある。

「こうして土が溜まってきていますが、この後どうしますか?」
「そうですねぇ、さらに石を積立てて高さを上げる、とか?」
苦笑いする村のオッチャン。
「そしてまた土が溜まったら?」
「もっと石を積みます・・・」
「山の高さまで積んでいきますか?」
えへへと苦笑いする村のオッチャン。

なんだか3年前にも同じような会話をどこかの村でしたような、
とデジャブを覚える。
B村での堰堤でも、やっぱり上流から流れてきた土が溜まっている。
特に中流域に多く溜まっていて、ほぼ堰堤の高さ(約50センチ)にまで届きそうだ。
その場所で、B村は主要作物の一つ、パイナップルの栽培をわずかながら始めていた。


「キョーコさん、ラマラジュさん、見てください。同じ斜面なのに、堰堤に溜まった土で育てているのと、それ以外の土で育てているのと、成長具合が全然違うのです」

確かに、堰堤の上部に植わっているものは葉の繁り具合も勢いがあるし、株全体が大きい。
パイナップルの実も収穫した時は少し大きかったらしい。
一見して分かる違いは、同じ斜面の他の場所は岩肌で表土が少なく、土も乾燥しているが、堰堤に溜まった土は厚く湿っている、という点。
T村でもそうだったが、堰堤に溜まった土と他の土を、オッチャン達と一緒に見て、触ってみる。

「なんだかよくわかんないけど、この場所は良いんだね」
と、B村青年リーダー、モハーンはほほ笑む。
今はまだ「なんだかよくわかんない」かもしれないが、これこそが、この事業の核心である。
タイミングが来たら、もっとグリグリ突っ込んでいくことになるだろう。

P村では、政府の農村雇用促進事業(NREGS)の一環で石垣を造らされることになり
(村人が提案する事業計画は受け入れられない)、前回事業で石垣をすでに造った場所では、新設せずにその幅と高さを倍にする、という作業をしていた。
しかし、モニタリング・シートには「異常なし」。

「もの凄くサイズが変わってるよね」
と筆者の指摘に、頭をかく青年リーダー。

一方、貯水池では遅い雨季の始まりでもあったため、9月下旬でも満々と水を湛えている。
G村では事業終了後から魚を養殖し始めており、1年で、すでに投資した金額を上回る収入を得ていた。
しかも、水路の掃除や貯水池の堤防の雑草刈りなどを、自治組織の代表委員メンバーが作業計画を立てて、村人を動員して、雨季前に実施していた。
さらにその記録をきちんと集会の議事録に残している。
作業に参加した村人への報酬は、養殖した魚を一人1キロずつ。

これには筆者たちも心底驚いた。
青年リーダー、ガンガイヤの成長ぶりには嬉しさを通り越して感心する。
こうして感心させられることもあれば、ガクッとすることもあるのが、ある意味フィールドの面白さ。
ほとんどの村の植林地では、10か所弱あるモニタリング・プロットのいくつかは「生存率ゼロ」となっている。
しかし実際にそのプロットを見ると、発芽した苗木はすくすくと育っている。

「50センチくらいになったかな?」と目を光らせるラマラジュさん。
「でもモニタリングしたとき(4カ月前)は、何もなかったんだと思いますよ」
と首を傾げるオッチャン。そんなハズはないだろうと、真に受けない筆者たち。

4. モニタリングって何?

こうして筆者たちは各村を訪れて、それぞれの村の現状を把握することができるが、村同士ではお互い何をしてきたのか、それぞれの苗木や構造物の現状は知らない。
そこで、一度みんなで集まってミーティングを開き、お互いに、良い効果も芳しくない現状も共有した。
モニタリングの方法も、植林地では実は各プロットに一人ずつでしかモニタリングに行ってないことも明らかに。
(だから正確に把握できないのよねぇと、筆者の心の声)

そしてモニタリングの目的を改めて思い起こす。


何を知るためにモニタリングを始めたのか?
「苗木の成長具合や、植林場所ごとの違いを見るため」
「堰堤が壊れたら意味がないから、壊れていないかどうかチェックする」
「失敗や成功を、次の活動に反映する」
「石垣でどれくらい土砂をせき止めているかチェックする」
などなど、諸々の点を挙げていく村の人たち。

「では何が失敗で、何が成功ですか?」
「次の活動への反映ですが、このモニタリングから、何がどのように反映できますか?」
という問いかけに考えるオッチャンオバチャン。

「う~ん、どうしよう・・・」
「堰堤のおかげで鉄砲水はなくなったよね。別の渓流にも設置しておきたいなぁ」
その後も続くやり取りの中で、出てきた発言。

「やっぱりモニタリングのフォーマットを作り直して、もう一度きちんとやり直したいです!」
そうこなくっちゃ、と心の中で筆者とラマラジュはほくそ笑んだ。


5. 新しい活動の始まり

現状を知ってから始まる次のステップ。
そして、もう一度、流域管理とはどういうことだったかをおさらいし、石垣や堰堤の役割、植林の目的など一つ一つ、オッチャンオバチャンたちに自分たちの言葉でもう一度、落とし込んでもらう。
何しろ1年間のブランクがあるのだ。



そして今回の事業は4年間もある。ゆっくり、じっくりいこうじゃないか。
そして村の人たちに投げかけた最後の質問は・・・
「2010年7月まで行っていた事業、誰と一緒にやっていましたか?」
「えーっと、ソムニードと、ジャイカ!」
「そうですね。皆さんが今まで頑張って続けてきた活動を、ソムニードとJICAと皆さんで、もっと良くし続けていくために、今からまた、一緒に活動をしませんか?」
「それは嬉しい。ぜひ、一緒にやらせてください!」と異口同音に答える村の人たち。

またおいしいお昼ごはんが食べられると、嬉しそうな顔をするオッチャンも。

この時点では、事業タイトルも事業内容も、まだ明らかにしない。自分たちで、
「今度はどうやって水や土を農業に活かすか」という事に気づき、
「他の村にも自分たちがしてきた活動を広めよう」と決めていくプロセスが、事業のオーナーシップへと繋がる。

第2フェーズは、まだ始まったばかり。
村のオッチャンオバチャンたちの七転八倒にまつわるよもやま話は、これから更に続いていく。

 

2010年8月1日日曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第22号最終回「事業は終わる、だけどオラ達の活動は終わらない」

 目次

1. 村の代表者として
2. 自分たちの作った組織だからこそ年長者も若者に謝る
3. 誇るべき植林
4. 農民として生きるために
5. 自分たちの身に付けたこと
6. 広げていこう

4月5月と暑い暑い夏の最中に、総会を開いたマーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下、ポ村)、ゴットゥパリ村(以下、ゴ村)のオジサン、オバチャンたち。
そこで村の人たちの承認を得て代表執行委員に選ばれた各村のオジサン、オバチャンたちが、6月末に研修センターにぞろぞろと集まった。

1. 村の代表者として

代表執行委員のオジサン、オバチャンたちも、ソムニード(現ムラのミライ)のスタッフ達も、待ちに待った雨が降ったので、植林の作業計画を確認すべく、ミーティングを開くことになったのだ。毎年毎年、空を見上げては雨雲を待つ雨期だったのが、今年は6月から順調に降り出した。

植林は、雨が全て。
雨が降り出し、土がある程度湿って柔らかくなれば、穴を掘り種や苗木を植える。そして、村の人たちはその後、1年で一番重要な仕事、田植えに集中するのだ。

ミーティングは午前10時、という約束だったのだが、なんと全てのメンバーが、15分前にはセンターに到着。事業開始以来の快挙に、ラマラジュも筆者も、驚きを隠せない。総会後初の合同ミーティングなので、各村で決まった組織名とそれぞれの役職の紹介から始まった。


「マリヤマータ・チャイタニア・サンガムの代表、ガンガイヤです」
「グラマ・アルドゥデッビ・サンガムの代表、モハーンです」
「グラマ・チャイタニア・サンガムの事務局長、パドマです」
と、総勢39名が、それぞれあいさつしていく。

今までの「マ村のガンガイヤ」、「ポ村のパドマ」という村の青年の一人、オバチャンの一人、ではなく、自分たちで開いた総会で選ばれた村の代表として自己紹介する。

資金の立ち上げから約1年かけて、組織形態や規則を自分たちで創ってきたその努力が、ひとつの形になった。
そして、初めて他の村の人たちに、自分の村の組織と自分の役割が認められる。

それは同時に、何度も何度も考えて悩んで話しあってきた「オラ達の組織」への道のりの長さをお互いに知っているだけに、「誰に言われたのでもない、自分たちが作ったのだ」という誇りを共有する瞬間でもあった。

そうして代表委員の自覚もさらに増し、最後の植林作業確認にも余念がない。
自分たちで作った村の模型を使って、山頂、中腹、裾野のどこに何をいつ植えるのか、最終チェックをしていく。

「私の村では、○○を再生したいんだけど、ガンガイヤさん、マ村から種をもらえますか?」
「雨がもっと降ってから種を取り出せますから、もう少し待っててください」
「竹の株を調達するなら、僕の村の分もお願いしますよ」
「山ごとに作業日を割り振るんじゃなくて、1日で全ての山頂に種をまいて、それから中腹、裾野って降りてくるようにしようよ」
「あ、◇◇の種を集める時期が過ぎてた!」

今回の植林は、各村で描いた「理想の森」(よもやま通信第19号参照)を実現化していくため、村毎で種類が違えば量も差がある。

また、すでに失われた樹種の再生や、自生する樹種を増やしていくため、代表委員のオジサン・オバチャンたちは、流域内での種や株、枝の入手にこだわった。


2. 自分たちの作った組織だからこそ年長者も若者に謝る

雨も順調に降り続き、6月末から、まずは種の直播から始める。



ダンダシが中心になり、マ村では山ごとにチームに分かれ、山頂から縦一列になり横に進むようにして一人ひとりが担当する分量を播いていった。
ポ村でも、早朝からパドマを中心に、8~10種類の種を一人分ずつに小分けにし、二手に分かれて播いていく。
種によっては、発芽しやすいように向きを考え、一つ一つ穴を掘り、埋めていく。
灌木のトゲに刺されたり、足場の悪い岩だらけの斜面を横切りながら、丁寧に播いていく。

ガンガイヤ率いるマ村山頂の集落では、まずは祈りから始めた。
「今まで、自分たちはたくさんの木を切ってきました。生活のために仕方のないこととはいえ、森に対して大きな罪を犯してきました。今から始める植林は、その罪を償うものであり、山に木を返すことでもあります。どうか、植林作業が無事に終わり、実り豊かな森に育つよう、お守りください」

そして各村では、代表となった青年たちが作業の指示を出し、他の村の人たちがそれに従う、という関係が当たり前となっていた。
お年寄りは山裾に近い部分、体力のある若者たちは山頂付近、オバチャンたちは中腹付近と、ほぼ村人総出で作業に当たる。

「スマン、ワシが集めることになってた種が、まだ用意できておらん。この数日中には集めるから、待っててくれるか」
と、ある村では、作業を始める前に、年長の村人が代表である青年に謝っていた。

「年長者のオジサンが、ついこの間、代表に選ばれたばかりの青年に謝っていますよ、キョーコさん」
「自分たちで選んだからこそ、年下であっても代表に敬意を表せるし、そして自分に与えられた責任を果たすのが当たり前になっている、ということですよね」
これが例えばソムニードに言われたから組織を作り、代表を選んだのであれば、代表もその任を果たさず、他の村人も何もしない。ただ次の指示がソムニードから来るのを待つばかりである。

だけど、そうではない。
マ村も、ポ村も、ゴ村も、村の人たちは代表委員に全幅の信頼を寄せ、そして代表委員たちは作業が効率よく確実に行われるよう、指示を出していく。


3. 誇るべき植林

7月上旬、種の直播の数日後、さらに雨が降るのを待ってから、今度は苗木や枝、株分けといった植林作業に移った。



これまで長年、彼らが体験してきたのは、カシューナッツやマンゴーと言った果樹を中心とした『一般的な』苗木の植林だったのが、今回、初めて自分たちの森に自生する生活用途に合わせた樹種を植えていく。それは、学術名はおろか、テルグ語でさえも名前が分からないような、だけど家畜の餌や薪、食糧といった彼らの生活には必要不可欠な木々である。

「僕は、今、とても嬉しいんです」
と、ガンガイヤは、その時現場に居られなかったソムニードに、携帯電話で報告してきた。「今、山頂にも中腹にも、僕たちの森にある木の苗木や枝を植えています。今まで、こんな植林活動はさせてもらったことはありません。僕たちの森にある、そしてかつてあった種類の木を、僕たちの森に植えている。こんな植林ができることに、とても感動しているんです」

マ村の山頂付近にあるもう一つの集落でも、薬草に一番詳しいチュッカイヤというオジサンが、薬草をさらに増やすべく、種を播いた。
「薬草は、川辺が一番、良く育つんじゃよ」
と、小川の淵をひたすら歩く。

ゴ村のモハーン達は、鉄砲水などの水流を弱めるために小川に設けた堰堤(えんてい)をさらに強化すべく、堰堤の上流側に竹の株を植えていった。

家族と過ごすため、週末に寄宿学校から帰って来ていた一人の少年は、父親と一緒に竹の株を持って小川を遡った。その道中、そして50センチ以上穴を掘り、竹を植える作業の間、父親は息子に話をしていた。
「お父さんたちが、作ったんだよ」と、堰堤を造るまでの様々な日々のことを、そしてなぜ竹を植えるのかを。

こうして様々なドラマを見せながら、各村で約40日間に渡る植林作業が、7月下旬に終了。村のオジサン、オバチャンたちが播いた種、植えた苗木や株などは、合計約14万個。

これで、3年間の事業の集大成である植林作業は終わった。
そして、村の人たちは今、何を思うのか・・・・・


4. 農民として生きるために

7月は、村の人たちの活動を知るために、たくさんの訪問者があった。

そうした人たちに、どのようにこの事業をソムニードと共に始め、どのような研修を受けてきて、自分たちが何をしてきたのか、そしてこれから何をしていくのか、自分の言葉で説明した村のオジサン、オバチャンたち。


ある訪問者が尋ねた。
「ポ村の皆さんのビジョンの一つに、『出稼ぎに行かなくても良いようにする』とありますが、どのようにするのですか?」
「お役所の土木作業で稼ぐ労賃とか、この事業中のいろんな作業の労賃で、この3年ほどは出稼ぎには行かなくても良くなったけどねぇ」
と、話すオジサンのそばから、パドマが胸を張って言った。

「確かに、そうした労賃も助けにはなります。
けれども、私たちは農民です。農業で生計を立てています。
だから、今までは雨期ごとに雨水と一緒に肥沃な土壌が流れ出し続け、不作になれば出稼ぎに行かざるを得ませんでした。
私たちがこの3年間で学び、行ってきた作業の一つ一つは、山頂から中腹にかけて、水を造り、水を貯め、土壌を守っていくことでした。そしてこうした作業が、さらに私たちの田畑にも水と肥沃な土をもたらし、結果的に豊作になると願っています。きちんと収穫ができれば、出稼ぎにいく必要はないのです。
そうなるために、私たちが主体となって、こうした作業を行ってきたのです。私たちは何をしたのか、何故それをしてきたのか、今は誇りを持って伝えられます。」


5. 自分たちの身に付けたこと

また別の訪問者は、チュッカイヤのいる集落の代表である青年に、次のような質問をした。
「以前にも、別の援助で植林やため池を掘るという作業をされたことがあるということですが、この事業では何か特別違ったことはありましたか?」

「すべて、自分たちで行った、ということです。
水や土を守っていくために何が必要なのか、自分たちで話し合い、測量し、活動計画を作り、そして実行する。
作業中も、作業記録を付けるし、サイズも自分たちで測りました。
今までこのように、全てを自分たちでする、という事業はありませんでした」


同様にゴ村のモハーンも、最近体験したことだけどと、興奮して話したことがある。
「サイズの測り方やコスト計算の方法を学んだから、僕たちが今まで政府スキームなどの作業で、労働時間数の割には不当に低い労賃を支払わされていたことに、気づくことができました。
今、政府のスキームで道路整備をしているんだけど、自分たちの担当する部分の土盛り作業が何立方メートル必要なのか、立方メートル当たりいくらなのか、役人に聞いて、自分たちで労働日数を算出しました。
作業記録も今までなら役人が付けていたのですが、今回は自分たちで付けたし、作業分量も測りながら行ったので、短期間でやり遂げることができたんですよ。役人も、『すごい技術を身に付けたね』と、びっくりしていました」


6. 広げていこう

またまた別の訪問者からは、次のような質問も出た。
「これから更に、学んでいくことはありますか?」

「今までは、どのように水を守り、土が流れ去るのを防ぐか、ということでした。今度は、そうして守る水や土を、どうやって使っていくか、ということです。そしてそうした研修を、ソムニードから受けたいのです。」
研修を受けるのは良いけれどと、黄門様が課題を出した。

「お前さんたちが今まで学んだことを、この近辺の村の連中にも教えてやることじゃ。
それができるのは、お前さんたちだけじゃ」


一瞬固まるオジサンもいれば、しっかりとうなずくオバチャンもいる。
苗木が大きく木に成長し、実が成り、その種から更に新しい苗木が生まれるように、マ村、ポ村、ゴ村で、大きく成長したオジサン、オバチャンたちが、さらに新しい人を育てていく。

水をつくり、森を育て、土を守る。
そして、何よりも、人が育った3年間だった。

もうすでに田植え準備も始まり、しばらくの間は田植え作業に没頭するオジサン・オバチャンたちだが、田植えがひと段落すると、今度は代表委員が中心となって、モニタリング作業が始まる。

10月から12月にかけては、各村で、第2回目の総会が予定されている。

オラ達の活動は、終わらない。
オラ達の努力は、続く。
まだまだ続く。

(了)


注意書き

ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。
キョーコ=前川香子。本通信の筆者。
堰堤(えんてい)=川水を他に引いたり、流れを緩やかにしたり、また釣り場をつくったりするために築かれる堤防。ダムより小規模。
黄門様=和田信明、ソムニードの代表理事

2010年5月24日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第21号「オラ達の村の進む道」

 

目次

1. 総会が始まる
2. ポガダヴァリ村の場合
3. ゴトッゥパリ村の場合
4. マーミディジョーラ村の場合
5. 促すことと待つこと

 

1. 総会が始まる

マンゴーの実が大きくなり、そろそろ熟し始めるかという4月終わり頃から、マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(ポ村)、ゴトッゥパリ村(以下、ゴ村)の各地では、村の総会が続々と開かれた。

去年までの構造物の建設作業や植林作業の労賃から一定額を貯めて、村の共同資金を作ってきたことは、これまで何度か通信でもお伝えしてきた。そしてそれら資金を運用し、オラたちの村を描いた「理想の村」に近付けるための活動を行う母体となる組織も、村のオジサン・オバチャンたちが立ち上げた。

研修を受けてきた村のオジサン・オバチャンたちが中心になって、組織形態や意思決定の方法、資金集めやその運用など規則案を作ってきたが、それらを村全体で承認して正式に活動を開始しようというのが、第一回目の総会目的。
気温が40度近くになり熱風が吹く昼日中は、とてもじゃないが座っていることもできないので、夕方か朝に設定された総会。


2. ポガダヴァリ村の場合


第一陣はポ村。

畑仕事にも賃労働にも行かず村にいるように、ソメーシュやパドマが5日前から村の人たちに言っていたこともあり、各世帯からほぼ2人ずつ集まったポ村の総会第一回目。議長も選び、研修中に考えた組織名や規則を順々に披露するソメーシュ。
「これまで、石垣やため池を作ったり植林をしてきましたが、これらを放っておかず僕たちでメンテナンスしながら、村を良くしていくために、組織を立ち上げましょう。名前は、グラマ・チャイタニヤ・サンガム!他に何か良い名前はありますか?」
「さんせーい!」
そして、グラマ・チャイタニヤ・サンガムが目指すポガダヴァリ村の姿として、「都会に出稼ぎにいかなくても暮らしていける」「すべての子どもたちが読み書きできる」「役人や外部組織などに依存しない」などが、村の人たちの間で共有された。続けて、メンバーは各世帯から男女1名ずつ、18歳から60歳までと決め、年会費や入会費なども設定。
活動を実際に動かしていく執行委員会には男女合わせて15名が選ばれ、その中から代表を選出する事に。

「代表は誰が良いですか?立候補は?」という議長の問いかけに、
「ソメーシュだ」という声があちこちから挙がる。

残念ながらパドマは事情があって今回の総会に出席できなかったが、オバチャンたちからは「パドマよ」という声も出てくる。この3年間、村を引っ張ってきた2人。黄門様から突っ込まれるたびに成長してきた。
最終的に初代代表にはソメーシュが選ばれ、パドマは代表委員会のメンバーの一人になり、共同資金の収入源や活動内容など、次々と自分たちの規則が決まっていく。

こうして、ポ村の理想の村へ向けての第一歩が、踏み出された。


3. ゴトッゥパリ村の場合


所変わってゴ村。

ゴ村では夕方に時間設定がされ、三々五々山や畑から戻ってきた村人たちが集会場所にそろったのは、日が暮れきってから。ようやく第一回目の総会が始まった。

「え~っと、では僕たちの村の組織の名前は・・・・・・・」
議長をするモハーンがもったいぶっているのかと思いきや、すっかり忘れてしまった様子。あたふたと研修記録を読み返し、「グラマ・アビブルディ・サンガム」と発表する。

「え~っと、メンバーは各世帯から1名ずつ」
「違うよ、モハーン。2名ずつだよ」

初めての総会ですっかり記憶が白紙状態になってしまったモハーン。
メンバー構成、年会費、総会や定期集会の開催月、そしてため池の底の定期的な泥の除去作業の活動など、研修記録を淡々と読み上げていく。
最後に規則案作りの研修をしたのが1月だったこともあり、研修に参加したオジサンたちですら「ほほぉ~」と、初めて聞くような顔をしている。

「ちょっと一言いいですか?」
「どうぞどうぞ、ラマラジュさん」
「そもそもなぜこのような組織を立ち上げて、規則を作るのですか?」

『研修記録があるから』総会で諸々を承認するではなく、このような村の組織が必要なのかどうか、組織を作って何をしていくのか、村の人たちに考えを促す。
「え~っと、今まで作って来た石垣とか、メンテナンスするため?」
「メンテナンスするだけですか?」

すると、「それだけじゃありません、キョーコさん」と、モハーンの片腕的存在の青年が、突如勢いよくしゃべりだした。
「みんなも知ってるよね?近くに村があるじゃないか。もう誰も寄り付かない村が。政府の援助で学校を建てたものの、そこの村の人たちが建物のメンテナンスはおろか、子ども達のための活動に無関心で教師にも協力しないから、もう教師も来ないし、自分たちで何もしようとしない。政府やNGOどころか他の村の人たちも、そこの人たちと一緒に何かしようとは思ってないんだよね。ただ学校の建物があるばかり。そんな村には、僕はしたくないよ。」

すると、モハーンがつぶやいた。
「僕たちも、石垣作って、木を植えて、ため池掘って、その後何もしないままなら、全てがダメになって組織の預金通帳が残るだけ。」
「やっぱり、メンテはしていかないと」
「資金も、この事業の労賃から集めるだけなら、8月からはどこからもお金が入らない!」
「そうすると、通帳が残るだけ」
(どうやら、モハーンはこのフレーズが気に入った様子)
「じゃぁ、どうすればいい?」
「誰も村に寄り付かないんじゃなくて、自分たちで石垣づくりや植林作業を続けて、周りの村の人たちから『教えて』と言われるような、そんな村になる!」
「収入には、年会費、村の木のタマリンドの売上と、各自が持つカシューナッツの収穫から1キロ分の売上、労賃の一部」
「さんせーい!」

そして、代表委員会には、他の村に行って流域管理の方法など教えることができるオジサン・オバチャンたちが、村の人たちによって選ばれ、その中から改めてモハーンが代表になった。


4. マーミディジョーラ村の場合

そしてマ村では・・・

長年の夢を自ら叶えて作った村の集会場で、初めての総会。ダンダシを筆頭に70人近い村のオジサン・オバチャンたちが集まったが、結局、「誰それさんが協力しない」だの「アンタが悪いのよ」と、オバチャンたちの喧嘩も始まり、かろうじて代表委員会など役員が決定したのみで、肝心の中身は後日に延期。ダンダシは代表には就かず、新しく代表になったオジサンを支え、組織を見守っていくことになったが、果たしてどのようになるか。


同じマ村の流域で、山頂付近にあるガンガイヤ率いる集落には、ビシャカパトナム市内にある女性自助グループ(SHG)の連合体、VVKからも3人のメンバーがオブザーバーとしてやってきた。この集落の集会のスタイルを踏襲し、年長者たちが他の村人たちと向き合うようにして会場の最前列に座り、その横でガンガイヤともう一人の青年が総会を取り仕切る。
ここでも同様に、今までの研修で考えてきた案を他の村の人たちと共有し、決定していくのだが、一人がテルグ語で読み上げそれをガンガイヤがサワラ語に訳していった。

ビジョンの一つに、「今後3年間で、全ての田んぼにいつも灌漑できるようにする」ということを掲げていたが、それを聞いてオバチャンの一人がするどい質問をした。
「今までずっとできなかったことが、なんで3年間でできるようになるのよ?」

すると、ガンガイヤが即答する。
「これまで僕たちがしてきた作業は、水資源を守り、地下に深く広く浸透させ、そしてみんなの田んぼのエリアまで保湿できるようにするためなんだよ。だからそれを実現するためにも、これからメンテナンスしていかなくちゃいけないし、去年までにできなかった残りの場所にも同じように作っていかないといけないんだ。そうすれば、僕たちの田んぼは全て、水に困らなくなる」

3年間でできるかどうかはともかくも、ガンガイヤは今まで自分たちでしてきたことに自信を持っており、誰よりも堂々として見えた。

VVKの新代表は、ガンガイヤ達の第一回目総会を見て、こんな感想を伝えた。
「みなさんは何よりも、この組織の目的や将来図をみんなで描き、共有しているから、初めての総会でも、このように真剣に活発に話し合うことができるのだと感じました。素晴らしい総会でした。」

別の山の頂上付近にある集落でも、同じように総会が開かれたが、そこでは集落の年長リーダー的存在のオジサンから総会の最初にあいさつがあった。
「この事業が始まってから今までにワシたちがしてきたことは、これからもずっと続けていかなければならない。これからこの集落を率いていくのは、新しい知識も得た若者たちである。ワシは、この若者たちに堂々とこの集落を引っ張っていってほしい」


5. 促すことと待つこと

どの村でも、まだまだ詰めが必要なのは、ラマラジュも筆者も承知している。

だが、村のオジサン、オバチャンたちは、今までにないくらいに堂々と、そして誇らしげに自分たちで話し合って考案して決めている。
この事業が始まる前にも、村では同じように石垣やらため池やらチェックダムやらと、色々と援助を受けて作ってきた。しかしそれらはお金を出す側が「ここに作れ」「○○を作れ」と指示を出し、「委員会を作りなさい。代表は○さんが良いだろう。資金は・・・」と、組織の立ち上げもほんの数人の村人と話すくらいだった。

この3年間、特に最初のころ、村の人たちは研修への参加者や作業の内容や進め方についても、何度となくソムニード(現ムラのミライ)からの指示を求めた。
「どうすればいいでしょう?」

その度にソムニードはこのように答えてきた。
「どうしたい?」

そしてオジサンやオバチャンたちがその答えを見つけられるように、自ら動き出せるように促し、時にはじれったくなるくらい待った。この総会で、その成果が現れていると、筆者たちは感じた。

しかしこれは決してゴールではない。

これから、村のオジサン・オバチャンたちが、本当の意味で、自ら動き出して実行していかなければならないのだ。だから、まずは今回決めた規則でやってみる。自分たちでやってみて、不十分なところを自ら発見し、そして改良していけばいい。


「オラ達の村の進む道」
今回決まった村のビジョンと、それに向けての活動や組織体制について記した各村オリジナルのいわば村の憲章。その初版を、テルグ語そしてサワラ語で来月には発行する。
そして、雨期が来れば、まず最初に「理想の森」づくりに向けて植林が始まる。

そう、オジサン・オバチャンたちの進む道は、果てしないのだ。

まだまだ続く。


注意書き

黄門様=和田信明、ソムニードの代表理事
ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。
キョーコ=前川香子。本通信の筆者。
VVK=2004年~07年のJICA草の根技術協力事業を実施する中で、ビシャカパトナム市内・郊外のオバチャンたちが結成したSHG(女性自助グループ)連合体で、銀行業を実施している。日本で使用する「クラフト素材」として、村のオバチャンたちと連携してマンゴーやカシューの葉、ターメリックのヒゲ根などを集めて売るクラフトビジネスも、細々と展開中。詳しくは、「PCUR-LINK便り」「その後のVVKオバチャン便り」バックナンバーをご覧ください。

2010年4月29日木曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第20号「これがオラたちのウォーターシェッド」

目次

1. オラ達のウォーターシェッド
2. 理想の森のその先の為に
3. リーダーの成長

今年の気温の上昇は凄まじい。
3月下旬で、すでに40度に達した日があり、4月に入って少しは下がったものの、それでも平年より4~5度高いという報道が連日流れている。

マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下、ポ村)、ゴットゥパリ村 (以下、ゴ村)では、4月に入ってカシューナッツの実が収穫期を迎え、山の中は熟したカシューの果実で甘い匂いが充満している。マンゴーも実がだいぶ大きくなってきた。

去年、初めて活動計画なるものを作ったオジサンたち。今年はさすがに何を書けばいいのかは分かっているが、重要なのは、何をしなければいけないのか。それが分からなければ計画も作れない。

1. オラ達のウォーターシェッド

前号でお伝えした「理想の森」を描いたあと、ラマラジュが、村のオジサンやオバチャンたちに聞いた。
「これからこの理想の森をつくるだけで十分ですか?他にする作業はありますか?」

「土が流れていくのを止める石垣や、雨期の川の水流を弱める石堤もまだ作らないと」
鼻息荒く答えるオジサンたち。

「どこに?どれだけ?」畳み掛けるように尋ねるラマラジュ。
「去年はどこに作ったっけ?」

村の中でも、全員がすぐに答えられるわけではない。
そこで、自分たちの流域、すなわち山の頂上から田んぼまでを、粘土を使って再現することにした。
山のでこぼこ、川の走り方、集落がどこにあって、井戸や池はどこにいくつあるのか・・・


去年設置した石垣を山の斜面に、石堤を小川の中に、小石や実で粘土の山に載せていった。生まれてからずっと暮らしている村だからこそ、意識しないことが多く、意外に難しい村の再現作業。

「この川は、この山からこう流れてきて、この溜め池に入って、そしてまたこっちに流れていく・・・」
「キノシン山は、もっとなだらかだよ」
と、オジサンやオバチャンたちが口に出して確かめながら、自分たちの村を、縦30センチ横50センチの板の上に作っていく。

ほぼ出来上がったときに、聞いてみた。
「今までも、何度か”ウォーターシェッド”とみなさんも何気なく言ってましたけど、皆さんの”ウォーターシェッド”って、どこですか?」

一瞬の沈黙の後、あるオジサンが我が意を得たりとばかりに言った。
「そうか、これがオラたちのウォーターシェッドか」。


2. 理想の森のその先の為に

「何ナニ?どういうこと?」
せっつくように尋ねるオバチャンたちに、できたばかりの村の模型で説明するオジサン。

「ほら、雨の中に立った時、雨水は頭の上から伝って足まで流れてくるって、黄門様やチャタジーさんがいつか話してた、アレだよ(よもやま通信第9号を参照)。
村をぐるりと囲むこの山のてっぺんが頭で、ここから、去年作ったこの溜め池の水路や田んぼを通って、村の外にこうやって水が流れていく。これが、そうなんだよ。」
「おぉ、なるほど。」
「じゃぁ、こっちに流れてる小川は、皆さんのウォーターシェッドですか?」
「いやいや、キョーコさん、これは隣村になりますよ。アレ?じゃぁワシらは隣村のためにこの石堤を作ってしまってたのか?」

なんとも親切な村の人たちだが、自分たちの村、すなわち自分たちの生きる場所である山から田んぼまでの全てを、前回と同じ様に、自分たちで視覚化することで、自ら再確認し落とし込むことができるようになった。

この模型に全ての要素、たとえば岩だらけの山肌だとか田んぼの位置の高低などを表すことはできないけれど、それでも、自分たちの村を山がどのように取り囲み、どの田んぼに水が引きにくくなっているか、そして、なによりも自分たちが去年成し遂げたことを、一目で多くの人たちと共有する事ができるようになった。

「オラたちは去年色々やったけど、まだまだ一部だけだったんだなぁ」
「では、これからあなた達のウォーターシェッドで、何をしていかなければならないのですか?」

模型を前に、アレコレと話し合うオジサン、オバチャンたち。今回は、1年間だけでなく、3年間という長期間の計画を考える。
そして前回で作った理想の森を、この模型に移し変えた。


「薪に使う木は、集落の裏側の山にたくさんあった方がいいわ」
「ちょっとアンタ、山のてっぺんに家畜の餌を植えてどうするの!」
ツッコミも入りながら、赤や黄や緑と、前回の5色のピンが粘土の山にカラフルに突き刺さっていく。

そうして今までに作ったもの、これからしなければいけない3年間の計画を、自分たちで考えて描いていった。


3. リーダーの成長

そして、3年間でする計画の内、2010年度でやるべきことを活動計画として書き出し、黄門様にとうとう発表。

先行はポ村のソメーシュ。
去年できなかった場所での石垣作りの提案を始め、新たに溜め池をつくったりチェックダムの建設を言ってきた。

「一つ、聞いてもええかの?」
「ナンでしょう?黄門様」
「この場所には、すでに何年か前にチェックダムを作っていなかったかの?」
すると、研修に来ていた年長のオジサンが口を開いた。
「はぁ、だけどいろいろあって役に立たないし、新しいのをと思って・・・」
「お前さんたちは、また『役人の言いなりになって』と言い訳を言うつもりか?それでも役人の言うことに『はい、はい』と言ってきたのはお前さんたちじゃろ?」
「でも、埋まったりしてもう使えないし・・・」

去年、どこかの村で聞いた事があるような会話がまた繰り返されるかと思ったとき、ソメーシュがきっぱりと言った。
「わかりました、黄門様」

村の人たちの意見をひとつにまとめるというのは、生半可なことではない。
ソメーシュなりに、年長者の意見にも耳を傾けつつ、そしてソムニード(現ムラのミライ)から考える力という技術を身につけながら、村の目指す方向へまい進している。

他の村も同じである。

そして考えるだけでなく、模型を作るだけでなく、これからすべき活動をきちんと実行していくために、各村で村の組織の総会を行なうことになった。初代代表を選出し、執行委員会を形成し、基金の運用を開始していく。

果たして、どんな総会になるのか?


続きは次号で。


注意書き

ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。
黄門様=和田信明、(特活)ソムニード(現ムラのミライ)の代表理事
キョーコ=前川香子。本通信の筆者。

2010年3月1日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第19号「オラたちの山、理想の山」

 

目次

1. 収穫が終わって研修が始まった
2. 山の現状の共通理解と分析
3. 理想の山の姿
4. 独自のアイデアも

1. 収穫が終わって研修が始まった


マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下、ポ村)、ゴットゥパリ村(以下、ゴ村)の村の人たちには、一年を通してとても重要な時期が2回ある。

7月から8月にかけての雨期。
それは村の人たちが総出で繰り広げる田植えの時期である。今までも何度か書いてきたが、毎日空を見上げては祈り、雨が降り始めると村から人はいなくなり、水田はどこもかしこもオバチャンたちのカラフルなサリーの色が緑の田んぼに広がっている。

そして12月から2月上旬にかけての収穫・脱穀時。
黄金色の田んぼに、鎌を持った村の人たちが列になってひたすら刈り込み、牛が引き回す円筒状の石で脱穀する。収穫した稲束の山、そして脱穀した籾の詰まった袋を見て、村の人たちはこの1年間も無事に過ごせるだろうという安心感を味わうのだ。

なので、この2つの時期には、筆者たちも村には行けない。
村の人たちも、この時期には絶対に研修の要請もしない。

だからこれまでも、田植えや収穫が終わった後の研修は、半ば振り出しに戻る覚悟で筆者たちも臨んできたのだが、今年は少し違っていた。
収穫時期の前に、村のルールづくりをしながら、次の雨期の植林計画も立て始めていたのだが、この通信でもおなじみの専門家、チャタジーさんが1月下旬に再び村にやって来て、植林計画の考え方と苗床作りを指導してくれた。
収穫祭を楽しんだ後に、頭を使うルール作りの研修はあまり乗り気じゃないけど、土と身体を使う研修なら出てもいいかな、と1月下旬の脱穀に忙しい時期に、オジサン・オバチャンたちは研修にやって来た。

「植物って一体何だね?」
いきなりの禅問答のような質問から始まったチャタジーさんの研修。

自分たちの収入や消費を満たすためだけでなく、土壌の流出を防ぐことや、土中の保湿効果を高めること、野生の動物や家畜への食糧も視野にいれるよう、今回も、繰り返し繰り返し言われた村の人たち。

チャタジーさんの、百科事典並みの植物に関する知識の量に圧倒されたオジサンたちだったが、チャタジーさんから課せられた「一目でわかる木々の年間利用カレンダーを作る」という宿題をやり遂げ、雨期の植林に間に合わすため、2月から各村で怒涛の研修が始まった。


2. 山の現状の共通理解と分析

「毎週の買出しに行った時、市場で適当に、豆を5キロ、ターメリックの粉は1キロって買いますか?」
ゴ村の研修場に集まったモハーンや青年、オバチャン、お年寄りと20人近い村人たちに問いかけるラマラジュ

「いやいや、買い物に行く前に、家に何があって何が足りないのか、まずチェックするよ」
「どれだけあるのかも見るわよ、もちろん」
オジサン、オバチャンから即答が返ってくる。

「植林も同じですよね。今、山に何のための植物がどれだけ、どこにあるのかを知らなければ、これから何をどれだけ植えなければいけないのかが、わかりませんよね?」
「ホントだ!」

ということで、まずは自分たちの生活で主に利用している、食糧・薪・飼料・木材・薬の5分野で、いつ何の植物を山から採ってきているのか、カレンダーに書き込んでいった。

と同時に、山頂・中腹・裾野の3ゾーンに分けた発泡スチロール製の山を用意し、また、5分野ごとに色分けし、木・潅木・草・つる性植物と、特徴が分かるようにしたスティックを使って、自分たちの山の利用状況が一目で分かるよう、視覚化する作業も進めていった。



「牛の餌には・・・・・」
とオジサンが言い出すと、
「シャムナーラにボタンティミ、ラヴィ、アンジラン、それに」
とオバチャンたちが、次々に挙げていく。

「薪には・・・・」
「ターダ、シリシミ、ショーダ・・・夏の始まりくらいに集めるわよね」
と、これもまたオバチャンたちがオジサンたちに負けじと、指折り数えていく。

青年1人がカレンダーに書き込む傍ら、オバチャンやオジサンたちは、山の模型にスティックをブスブスと差し込んでいった。

「牛の餌に使う木だから、青色のスティック」
「中腹ゾーンから採ってるわね」
「この潅木は、薪用に採っているから赤の短いスティックか」
「山頂付近まで行かないと、無いよね」

普段利用している山だが、どのシーズンに集中的に利用しているのか、あるいは何も収穫・収集できない時期なのか、そして一体どこのゾーンに依存しているのか、今までは個人個人で感覚的に認識していた状況だった。そして今、このカレンダー作りと山の模型を使う作業をすることで、初めて全員が「共通の理解」を持つことができた。

さらに、5つの利用目的全てのスティックが刺さり終り、出来上がった山を見て、現状を分析する。


「山頂からは、薪と木材用に木を使っています」
「食糧は、山腹付近が多いね」
「村から無くなった植物も、山頂と裾野のゾーンに集中してる」
「つる性の植物で、家畜の餌になるものが、山頂にたくさんあるわ」

「山頂から、薪や木材の木を取ってきているということは、つまり、木をどうしているということですか?」
「枝を切ったり、時々は木を切っているんです、キョーコさん」
「薪は毎日の料理でも必要ですよね?このまま、山頂から使い続けると、どうなりますか?」
「山頂には木がなくなって、中腹からもっと木を使うことになるのか・・・」
つぶやく青年。
「それより、私はいつもいつも山の上まで登って、重たい薪の束を運んでくるのがしんどいのよ!」
と、息巻くオバチャンたち。
「では、どのような山であったら良いのですか?」

木が無くなるだけでなく、土も流され、小川の水源地も枯渇してしまうのを避けるために、山頂はどのような状態であったら良いのか、生活に必要な植物を、中腹や裾野からどうやって利用し且つ再生産していけばいいのか、事業開始から今までチャタジーさんを始め色んな専門家から受けた研修を思い出す村の人たち。


3. 理想の山の姿

ゴ村だけでなく、マ村の山頂付近の集落でも、今月はオバチャンたちの勢いが凄かった。

ゴ村と同じように、今現在の山を表現した後、「理想の山」として、同じように模型の山にスティックを差していくのだが、山頂付近は家畜の侵入を阻止し、人の利用も最小限にして、常に木々で覆い尽くすために、特に用途は無いけれど樹齢の長い大きな木が必要なので、更に1色を足し、合計6色で理想の山を描き出した。

「え~っと、木材のいくつかは山頂から‥」とスティックを挿そうとするオジサンから「さっき何聞いてたのよ!」と、取り上げて中腹ゾーンに差し替えるオバチャン。
「○○の木はこの辺でいっか」と、薪のスティックを中腹ゾーンの高地に挿そうとする青年に、
「取りに行くのが大変じゃない!」と、集落近くに差し替えるよう指示するオバチャン。
「家畜の餌になる草は、裾野にたくさんあったらいいよね」と、ブスブス適当に挿しまくるオジサンに、
「田んぼの畦に植えたら、畦も崩れにくくなるじゃない。考えなさいよ!」と、突っ込みを入れるオバチャン。

 

4. 独自のアイデアも

ある集落では、山頂付近への家畜の侵入を防ぐためにも、棘のある潅木をフェンスとして植えれば良いと、独自のアイデアを盛り込んだ。

実はこのフェンスとしての植林方法は、”更なる考え方”としてチャタジーさんはスタッフに対してはアイデアをくれていたのだが、村の人たちへはまだ言っていなかった。

つまり、この集落の人たちは各ゾーンの特徴を捉え、どのように維持していくのかを理解して落とし込んだからこそ、自ら発案してきたのだ。筆者もラマラジュも、彼らの作業を見て心の中でガッツポーズをしていたのは、言うまでもない。

ポ村では、この作業を通じて、村から消滅した薬となるある木が、ポガダヴァリ村の名前の由来となる木だった事が判明。青年ソメーシュは、自分の名前の元でもあるソームという木も復活させたいと目論んでいる。

ダンダシ率いるマ村は、前号で、感動の集会場の建設をやり遂げたのだが、最後の仕上げがまだ出来ず、利用できない状態が続いている。脱穀作業が忙しいのを口実に、集会場も完成させず研修もやり遂げないままなのだが、他の村がどんどんと先に進むのを見て、ようやく焦りだした。

マ村以外では、どうしたら「理想の山」ができるのか、植林計画を作り始めた。

ゴ村・ポ村、そしてマ村の山頂付近の集落で、合計120種類強の植物が挙げられたのだが、山岳少数民族の言葉サワラ語でしか分からない植物もたくさんある。

去年に植えた樹種も考えながら、木だけでなく潅木、草、つる性植物と、これから何の植物をどこにどれだけ植えていけばいいのか、栽培方法は何が適しているのか、種はどこでいつ入手できるのか、その保存方法は、等々、オジサン・オバチャンたちが知っている限りの情報を、自分たちで記録していった。


そして、理想の山は半年や1年でできる作業ではない。
木を植えたらできるものでもない。

土壌の流出を堰き止める石垣や、土中への水の浸透を高める堤など、村の人たちがこの1年の間に作ってきた様々な構造物も、きちんとメンテしながら使っていくことで、理想の山はできるのだ。

木・土・水が、山頂から裾野まで、循環しながら利用できるようになるには、何年もかかる。その何年もかかる作業を、活動計画としてまとめることにしたオジサン・オバチャンたち。同時に、村のルールづくりも再開する。
まずはこれから3年間の活動計画作りだと、意気揚々と研修日を設定する村の人たちだが、果たしてどこまで気合が続くか!?

続きは次号で。


注意書き

ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。
キョーコ=前川香子。本通信の筆者。