2013年7月22日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第8号「オラたちの活動は、山あり谷あり」

 

目次

1. 読み書きなんて関係ない
2. モデル農地も十人十色
3. 活動は七転び八起きの連続だ
4. 欲しい欲しいと言う前に、何ができるか自分の頭で考えろ
5. 一難去って、また一難!?


毎年5月末頃になると、いつインドの最南端が雨季に入ったか、を日々チェックするようになる。
この南西モンスーンは、気温45度になる酷暑の後の、恵みの雨。ただ、インドも例外ではなく、雨の降り方が年々極端になり、時には大洪水を引き起こす。
今年の南インドは数週間早く雨期に入り、農村ではシトシトといい具合に降り続いている。ようやく暑さから逃れて人心地がついた頃、村のオッチャン・オバチャンたちの農作業が始まる。

1. 読書きなんて関係ない

『畑の中を区分けして栽培すると、効率よく多くの種類の作物が栽培できる』と、コロンブスの卵のように衝撃を受けた村の人たち(第7号参照)。
村の人たちは今、1家族が1モデル農家として、農業改善に取り組んでいる。取り組む農地は5つ。田んぼ、平地の畑、キッチン・ガーデン、山の斜面の畑、そして果樹園。B村で29家族、G村で20家族、合計49家族がモデル農家に挑戦している。1メートルの棒を持って田んぼなり畑なり自分のモデル農地をなぞって歩き、農地の形を縮尺図に落すと、これが「オラのモデル農地」のデザイン・シート。
コロンブスの卵を経た村のオッチャン・オバチャンたちは、このデザイン・シートに、7月から9月まではココになすびを植えて、こっちにはトマトを植えて、柵を利用して豆のツルを這わせて・・・
と考えて、シールを貼ったり文字を書き込んだり。種は何グラム、誰から買うのかあるいはもらうのか、自分の村以外からの調達ならば、誰がそれを調達するのか、等々、個人レベルであるいはチームで、作業も決める。

「ねぇねぇ、やっぱりアタシも田んぼの畔に豆を栽培してみるよ」
そう言って、村の青年の腕を引っ張るG村のオバチャン。オバチャンの手には、豆のシールとデザイン・シートが握られていて、それを青年にズイっと渡す。それを見ていたラマラジュさんが言った。
キョーコさん、あのオバチャン、何をしなければいけないか、ちゃんと分かってますよ」

このオバチャン、全く文字の読み書きはできないし、発言が活発なわけではない。文字は知らないけれど、いろんな紙を使って何をしているのか、どこに何が記録されているのかは、知っている。
つまり、文字の読み書きが分からないオバチャンでさえ分かるのだから、読み書きできる人にも、何がどこに書かれているのかが分かっている。
G村は20家族のモデル農家の内、読み書きできるのはたった4人。この4人の周りにオッチャン・オバチャンが、カボチャや豆やコメやマンゴーやその他いろいろなシールと紙を持って、群がっている。

こうした研修風景が真夏の間に繰り広げられ、その合間に、筆者たちは、有機農業専門家のから、耕作デザインの考え方や保水土対策を学習した。
モデル農地の土壌成分分析の結果も、ようやく農業局から届いて、それを見ながらより良い方法を探る。

「この作物とこの作物は、相性がいいですよ」
「有機炭素の値が高いところは良い土壌なので、あまり有機肥料を足す必要はないですね」
「傾斜がこのくらいだと、石垣よりも溝を作った方が、土壌流出を止めるのには効果的です」
次々と繰り出されるチャタジーさんのアイデアを、吸収するのに必死な筆者たち。
これを、さらに村の人たちに分かり易いように、後日村で紹介する。
「キッチン・ガーデンの人は、1メートル四方を囲むように石を置くと、土が流れずに済みます」
30人弱のB村のオッチャン・オバチャンたちが集まったまだ残暑厳しい日に、筆者たちがチャタジーさんからのノウハウを紹介すると、
「そうすると、水も溜まりやすくなるね」と、B村のオッチャンが答える。
「オラの裏庭広いから、そんなにチマチマ作れねぇ」と言う人がいると、
「お前んとこは、それより石垣作ったら良いんだよ」と、別のキッチン・ガーデンのメンバーがアイデアを出す。
「ワシの田んぼは、今までどおり稲だけでええ。植え方は変えるけどな」
「オレの田んぼは、ちっちゃなため池も備えて、その土手にはカボチャも植えてみる」
こうして、各モデル農家が、それぞれのモデル農地のデザインを考え、アクション・プランを作った。誰一人として、同じデザインの人は無く、また、栽培作物も違う。
月半に渡った、デザイン・シート作り&アクション・プラン作り研修を経て、「モデル農地」の実践が、いよいよスタート。


2. モデル農地も十人十色

「オレがメートルを測るから、父ちゃんはレンガを持ってきて」
B村のキッチン・ガーデンのモデル農家を訪ねると、土地の周りをロープがピンと張ってある。
そして、1mごとにマークを付けているのは、このモデル農地研修に一番精力的な青年、チランジービー。彼は田んぼのモデル農家なのだが、キッチン・ガーデン担当の父親を手伝っていた。


さて、長さを測るとはどういうことか。
読者諸賢には何のことはない、朝飯前のことだろう。
巻尺をピンとまっすぐに張って、ゼロを起点に合わせて、そして1mごとに印をつける。簡単なようで、最初はできなかった村の人たち。
思えば、巻尺を持ったことはあるけどきちんと使ったことはない、という村の人たちが多かった3・4年前。
ゼロを起点に合わせる、ピンと巻尺を張る、
これに気付くきっかけになったのが、飛騨高山の山奥からインドの山奥まで来てくれた測量専門家による研修だった(よもやま通信 第1部12号に登場)。

これを手始めにして、後々、面積や体積も出せるようになり、そしてため池も掘った。
今では公共事業の道路整備で、賃労働に参加した村人が、作業量から必要な労働日数を割り出して、役人にそれを教えてあげるまでになった。
チランジービー含め、村の人たちがこの事業の中で身に付けた、基礎で大切なスキルのひとつである。

閑話休題。

こうして、「何が何のために必要なのか」を理解し、自分のモデル農地に必要な保水土対策も施したモデル農家のオッチャン・オバチャンたち。
灼熱の太陽でカピカピになっていた土も、降り続くシトシト雨でいい具合にしっとりと湿り、6月頭にはあちこちのモデル農地で、土が耕された。
耕起、種の購入、雑草抜き、石垣づくりや1メートル四方のレンガ起き等々、モデル農地に関して行った作業や、お金の出入り(今はまだ支出ばかりだが)も、モニタリング・シートに入れていく。

「オレ、字は書けないけど数字は書けるから、とりあえず作業した日にちだけは書いてるんだ。」と広げたファイルをグループ・リーダーに渡して
「その日は柵作りをして、4~5日かかったんだよ。その後、種を買って、同じ日に種まいて・・」と日付で作業内容を思い出して、リーダーに代わりに書いてもらう。そのモニタリング・シートを持って各モデル農地を見て回ったある日。新人駐在員、ヒロアキも畑のグループ・リーダーの後について走り回った。
「キョーコさん、見てよこのオバチャン。サトイモばっかし植えてやんの」
と、広大な畑を持つオッチャンが、あるオバチャンのキッチン・ガーデンを指さして言った。


それに対してこのオバチャン。

「何を言うとるか、よう見てみぃ。柵の周りにホレ、ゴーヤに豆に植えとるじゃろうが。最初は、いろんなものが植えられると分かっても、何やらメンドイなぁと思って、シールを貼ったりはがしたりしたけどなぁ・・・柵を見たらやっぱり植えたくなったんじゃい」
確かに、デザイン・シートはサトイモのシールがでーんと貼ってあり、その周りには他のシールを剥がした跡が。
すると、一緒にいたキッチン・ガーデン・メンバーのオバチャンが、「アタシも・・」と話し出した。
「アタシも、あんましたくさんの野菜を植えるのも手間がかかるなぁ、とは思ったけど、畝を作って、区画を分けて、種まいたり苗を植えたりすると、やっぱしここになすびも植えた方が、孫に食べさせてやれるなぁって思ったんよ」と、デザイン・シートやアクション・プランを少し変えて、なすびも植え始めたことを『告白』。

研修場所に戻ると、田んぼチームのメンバーで、B村のリーダーでもあるモハーンでさえも、頭をかいて話し出した。
「田んぼの中にちっちゃなため池を計画通りに掘ったのです。だけど、その畔に植える野菜を、アクション・プランに乗せるのを忘れてしまっていて・・・それに気づいたら、昨日の晩は全然眠れなかったんですよ」
と、筆者たちスタッフを見て、苦笑い。


3. 活動は七転び八起きの連続だ

大抵のモデル農家たちは、デザイン・シート通りに畑や田んぼ、果樹園などで栽培を始めているが、こうした「実際にやってみて、初めて気づいた」ことにぶつかる農家もしばしば。


まるでやったことのなかった「農地利用計画」。
他でもない「オラの田んぼ・オラの畑」が、どのような畑や田んぼに変わるのかを、まずはデザイン・シートという形で視覚化し、目指すべき形を浮かび上がらせた。
そして実際にやっていく内に、「やっぱりコレは変えた方が良い」という事はでてくる。
そしたらそこは臨機応変に、状況に合わせて変えていけば良い。計画は道筋を立てる上では重要だけど、それに固執することはない。ましてや相手は畑や作物。やってみてナンボ、のことなのだ。このことを、スタッフたちと村人たちと確認してから、モハーンがにっこりして言った。

「今日は、ゆっくり眠れそうです」
こうして、順風万帆に動き出したモデル農地。極端な大雨や日照りにならないことを、祈るばかりだ。


4. 欲しい欲しいと言う前に、何ができるか自分の頭で考えろ

翻って、指導員たちのその後の様子。
前号で、P村の指導員たちも波に乗りだした話をお伝えしたが、絶好調に波に乗っている。
P村の指導員チームは、若手のニイチャンに、30代のオバチャン、そして50代半ばのオッチャンと、性別も年代もある程度バランスのとれた指導員チームだ。


オバチャン指導員は、2007年の事業開始当初から頭角を現していたパドマで、研修のやり方も呑み込みが早い。
P村が担当するのは20世帯弱の村で、P村とその村の流域は、まさしく一つの山の分水嶺であっちとこっちに分かれている。つまり、ある山の頂上から東南方向に広がる斜面がP村の流域、西側に広がるのが、P村がこれから研修をしていくその村の流域だ。
「・・・ということで、これを流域と呼びます」と、
一番最初の研修「流域とは何か」を、考えさせるパドマ。
「なるほどー。で、これから何を作るんじゃい?」と聞いてくる初老のオッチャン達。
このオッチャン達は、他のどの村よりも、「何かを造りたくて(造ってほしくて)ウズウズしている」のが丸わかり。
パドマが何を言っても、何を尋ねても、「何を造るか」というハナシに持っていこうとする。
すると、
「おめえら、ちゃんと聞けよ」
とこのオッチャン達と同年代であるオッチャン指導員、ダンダシが喝を入れた。

「何も考えずに、『アレが欲しいコレが欲しい』と言い続けてきたから、今こんな状態なんだろう。それを変えたいと思って、ワシらに研修をしてくれと、言ってきたんだろう?」
「ハイ、そうです・・」と縮み上がるオッチャン達。
「だったら、まずは欲しい欲しい言う前に、何ができるかテメエの頭で考えろ。そのために、ワシらが研修をしてるんだ」
と、睨みを利かす。
ダンダシは、このおねだりオッチャン達と同じく、読み書きができない。
ただ鍬を振るい、汗にまみれて一日中農作業に精を出す、どこにでもいる村人だ。
他の男性指導員たちは、シャツにズボンという村でも当たり前になった服装で研修をするが、ダンダシは、こうした初老の男性たちと同じように、シャツに腰巻を身に付けている。
ある意味、「息子やそれよりも若いヤツのいう事なんか・・」と思われがちな研修シーンでも、ダンダシがいると、その場の空気が引き締まる。

「あんなオヤジもこうした研修を受けて来たんだ。だったらワシも・・」
と思っているかどうかは、まだわからないが、パドマが女性の村人たちの背中を押しているように、おねだりオッチャンたちの背筋を伸ばさせているのは、紛れもなくダンダシだ。

「ダンダシが指導員になりたい、と言ってきた時には驚いたし、続けられるのかと思いましたが、いやはや、ダンダシの指導員効果は抜群ですね」
と、ラマラジュさんもダンダシの存在感に感嘆の声を上げている。
そのダンダシも睨みを利かすだけでなく、問いかけもするようになって2回目、3回目と研修を重ねるうちに、おねだりオッチャン達のおねだり回数が激減し、第2のパドマを思わせるようなオバチャンも出現と、P村指導員たちの活動は、予想以上に波に乗っている。


5. 一難去って、また一難!?

P村が追い付いた、と思ったら、急に足を止めたのがT村。3人の指導員がいるこの村は、流域下流部にある10世帯弱の村を受け持っていた。
だが、指導員研修で2人がソムニード(現ムラのミライ)から研修のイロハを学んで、いざ、と言う時に、この時用事で来られなかった別の指導員が、横やりを入れてきたのだ。

「オレを差し置いて、研修に行くのは許さん」と、こういう訳だ。
この指導員、村の土地持ち有力者の息子で、村で起こっていることには自分も何かと関わりたい。だから今までの研修も受けてきたけれど、実際に指導員として研修するには、正直度胸が足りない、そんな青年である。

「早く、研修を受けさせてくださいよー」
と、下流域の村からは催促の声が連日のように届く。
他の2人の指導員は、研修をしてあげたい。だけど、この青年を無視するわけにもいかない。かといって、青年が今更指導員研修を受けるには、遅れを取ったようで彼のプライドが許さない。
そんなにっちもさっちも行かなくなった時、2人の指導員とG村の指導員たち、そしてソムニードで相談して、この下流域の村の人たちから要請を受けた形で、G村の指導員たちが下流域の村に研修に行くことになった。もちろん、下流域の村の人たちは大喜び。
待ってましたと、他の村と合同で研修を受け始めた。


ところが、このT村の青年が今度は脅しをかけてきた。

「オレたちの村は、今、別のNGOと一緒に、土地の権利を獲得しようとしているんだ。オレたちを無視して研修をするのなら、お前たち(下流域の村の人たち)の土地の権利獲得の手助けはしてやらないぞ」
すると、G村の指導員たちが反論に出る。
「何を言っているんだよ。土地の権利と、この流域管理の研修は全くの別物だろう。僕たちだって、そのNGOの人たちの手助けで、土地の権利がほとんど獲得できそうになってるんだ。だけど、この流域管理の研修だって続けてるよ」
すると、下流域の村のオッチャン達も、息巻いて思いをぶつける。

「オラたちにとっては、やっとこの事業に参加できるチャンスなんだ。指導員がどの村の人だろうが、オラ達には関係ない。この事業の指導員で、研修をしてくれるって人たちならば、その人たちの言う場所までオラたちは行く。オラたちは研修を受けたいんだ」

この一件の後、青年と他の村の人たちの間にもビミョーな溝ができてしまったT村。後の2人の指導員たちは、自分たちも指導員として研修に行きたいし、何とか青年を宥めようと必死になっている。また、彼のプライドを傷つけないように、彼が研修に再び参加できないかと頭を悩ませている。
筆者も、何か青年やT村の人たちが事業に戻れるきっかけになりそうなことはないかと考えた。だけど結局は、やっぱりT村の人たちが、

「事業に戻る」
「モデル農地なり指導員研修なり研修をまた受けたい」
と言ってくるまで、ここは待つしかない。

G村とは同じ少数民族で、何かと集まりやら山の作業やらで顔を合わし、お互いに情報交換をしている。G村のモデル農地のことも、果てはB村のさまざまな保水土対策も、T村の人たちは耳にしているようだ。
P村は、一度フェイドアウトしかけて、また戻ってきた。T村は、どうだろうか。

事業もちょうど折り返し地点を迎える。一筋縄ではいかない、それが事業である。



注意書き

 ラマラジュさん=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部からおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。今年の8月に来日し、8月17日・18日のシンポジウムに登壇します。

 キョーコ=前川香子。この通信の筆者で、プロジェクト・マネージャーを務める。

 ヒロアキ=今年6月末からインドに赴任してきた新人駐在員、實方博章。ヒーローのニックネームで、山を駆け回る。


2013年4月29日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第7号「走り出したら止まらない!?エンジン全開オラたちの研修」

 

目次

1. 指導員デビュー!
2. これがオラの研修スタイル
3. 守って、使って、作り出す
4. だけど、どうやって?
5. アタシたちも、負けてられない!


若葉が芽吹く春。
日本では厳しい冬の後に来るその穏やかな気候に、老若男女、心躍る季節。
対してインド。
冬の後の春は文字通りアッと言う間に、新幹線が目の前を通るがごとく過ぎていき、老若男女も野良犬も気力を奪われる夏が始まる。
それでもマンゴーが勢いよく若葉を生い茂らせ花を咲かせるように、ソムニード(現ムラのミライ)の事業地の村の人たちも暑さが始まる中、勢いづいてきた。

1.  指導員デビュー!

前回(第6号)で、指導員たちの重たい腰が上がらぬ様子をお伝えしたが、一度腰を上げるとスイスイ動き出した指導員。
といっても、B・G・T・P村の4つの指導員15人の内、走り始めたのはB村の4名。
2月末から、ソムニードから指導員研修を受けるやすぐに、近隣の村々へと研修を実施している。
B村が担当するのは、5村。いずれも山を登って行かねばたどり着けない、ソムニードのスタッフ泣かせの場所にある。
5つの村を2グループに分けて、1回の研修に合計20~30人が集まるように指示された村の人たちであるが、驚くことに、最初から20代の娘さんやオバチャンたち、60代のお年寄りと、女性たちも参加してきた。
B・G・T・P村で事業を始めた2007年当時は、女性の姿なんてほとんど見られなかったものである。


最初の研修テーマは『流域って何?』というもの。
すでにB村から、流域という単語を何度も聞いてきているので、それがキーワードだというのは分かっている。
果たしてどういう風にそれを理解させるのか。
最初に指導員デビューをしたのは、4人の内3人。
村のリーダーでもあるモハーン、指導員エースのアナンド、最年少で負けん気の強いシマハチャラン。
「雨の中、外に立つとまず体のどこに雨が当たりますか?」
よしよし、いつもの例が飛び出したぞ、と指導員を会場後ろから見守るラマラジュさん
「どういうこと??」という顔で、指導員を見つめる村の人たち。

状況を想像しやすいように説明する指導員たちだが、別の例も飛び出した。
「ここに小っちゃい子がいますね。この子を水浴びさせるとき、手桶で上からザバーとかけると、どのように水は流れますか?」
「あぁ、頭か!」
「頭から、お腹に流れていくね」と答える村の人たち。
こうして、いつものごとく流域とは山の頂上から平野の川まで、水の入口から出口までのエリアだということを『説明』した指導員たち。
だけど、これじゃぁモノ足りないなぁと筆者も思っていた矢先、モハーンが村の人たちに一つの課題を出した。
「ではみなさん、村の地図を描いてみてください。あなたたちが薪を採ってくる山、畑地がある山、集落はどこにあって、田んぼはどこまで広がっているのか。そうそう、川や池もあれば描いてください。」
この課題を聞いた時、初めて研修を受ける村の人たちにできるのか?と私たちは疑ってしまった。
ソムニードは、指導員が使う研修マニュアルというものを作っている。1回の研修の重要ポイントや、研修の流れ、何を問うべきかのヒントなどが書かれている。
そしてそのマニュアルのヒントに「参加者の村の山から平野までのおおよその図を描く」という部分があるのだが、筆者たちは「指導員が村の人たちから聞き取って描く」としていた。
今までの経験では、初めて自分たちの村の地図を描く時には丸1日は優にかかったものだが、果たして40分後。
「できましたー!」と発表する村のオジサンたちの手で拡げられた模造紙には、驚いたことに山から田んぼまで綺麗に収まり、畑やメインの大木、砂防ダムや池や井戸、道路に脇道にと、縮尺は無論正確ではないが、大まかな概要がわかるようになっている。
B・G・T・P村の人たちが、あまりにも描けなかっただけ??と内心首をかしげる筆者。


そして、この地図を使って、さらにアナンドが続ける。
「この地図はあなたたちの村についてですね?では、ここに雨雲が来ました。どのように雨が降って水が流れてきますか?」
最初と同じ質問だが、使う材料が違う。
村のオバチャンも、「この山のこの川を通って、こんな風に流れて来て、田んぼに来るの」と、大声で言う。
何人かの意見を待って、アナンドが尋ねた。
「そうですね、この山から水が流れて来て、田んぼの下の川へと流れて出ていく。では、ここ(山の頂上)からここ(川の先)までを何と言いますか?」
「・・・ウォーターシェッド(流域)??」
「どこの?」
「・・・オラ達の村のウォーターシェッドか!」
そして何度も「ウォーターシェッド」とおまじないのように言い続ける村の人たち。
その顔は、まさしく『腑に落ちた』表情だった。

「これから皆さんが受けていく研修は、このあなたたちの村のウォーターシェッドをどうしていくか、ということについてです」
まずは今がどういう状態なのかを知ることから始めようと、次回へのつながりを持たせて最初の研修を終わらせた。
カッコよく指導員デビューを果たした3人の指導員。
だけど研修時間の7割は、3人とも座ったまま。
立って話さないと、ということは分かっているけど、立てなかった。
それくらい緊張していたんだよなぁと、彼らの晴れ舞台に胸を熱くする筆者たち。


そして、4月にJICAインド事務所のエジマ所長がクギタさんと一緒に村に来られたとき、この地図を使って、村のオッチャン達は言った。
「コレが、ボクたちのウォーターシェッドです!」
「みなさんは数々の研修を受けているようですが、研修で学んだことを何に活かしたいのですか?」と、改めて聞く所長。
「岩が見え始めている山頂を、木々で覆いたいのです。今までは、そんな事考えもしなかった。だけど、山頂も木々で覆われていないといけないということに気付いたのです。そして、山から土が流れていくのを止めたいのです」
たった2・3回の研修を受けただけで、ここまで言える村のオッチャンがとても頼もしい。
同時に、指導員がそうやって分かり易く教えているんだ、ということが垣間見える出来事でもあった。

目次へ

2. これがオラの研修スタイル

そんな指導員たちも、場をこなすごとに自信もつき、アドリブも利かすようになった。


『今ある資源の再確認』のテーマで、「調査」について話が及んだ時。
「今ある村の資源について、調査が必要だなぁ」とある参加者が言った。
「資源って、具体的に何ですか?」と尋ねるアナンド。
「人口とか家畜の数とか、山にある木の種類とか、農地の面積とか、井戸の数とか・・?」
「それを知ってどうするのですか?」
「・・必要なのです」
「何に必要なのですか?」
「何がどれだけあるのか、みんなで知る必要があります」
「そこの集会場の壁に、村の絵図が描いてありますね。家や井戸、田んぼが全部絵に描いてあって、その上、この村の田圃や井戸の数、森林の面積も書いてある。もうみんな知っているんじゃないですか?」
「えぇぇ~~、でも今のことを調査しないとねぇ?」
「調査して、みんなで知って、そしてそれを何に使うのですか?」
聞いていて痛快な質問をこれでもかと繰り出す、指導員アナンド。
今まで村の人たちは、さまざまなNGOと「村のことを調べましょう、みんなで壁や床に絵を描きましょう。そして質問に答えてくださいね」という調査しか体験してこず、その結果を何かに使ったこともない。
なので、まずは調査をする目的を村のみんなで理解して、それから調査項目を全員で考え、調査員を選んで、実施する。
アナンドの忍耐強さも天晴だけど、質問攻めに耐えていた村のオッチャンオバチャンたちも、楽しそうだった。
やはり、研修は楽しくないといけない。
そして、そんなアナンドの雄姿を横目に見て、「ボクもこんな風になってやる」と闘志を燃やす最年少指導員のシマハチャラン。
他の指導員が必要な時に、ササッとチョークやペンなどを出して研修のサポートをする姿もいじらしい。


指導員それぞれのスタイルに特徴がでてきたこの頃。
きっとお互いのやり方に意見を言い合う日も来るだろう。だけど、それが逆に彼らのスキルをさらに高めることになるに違いない。


3.  守って、使って、作り出す

そして話は一転、農業について。
指導員が別の村で研修をするのと同時に、自分の村ではこれから農業のやり方を少しずつ変えていく。
化学肥料や農薬を使う農業から、ミミズを使ったたい肥を作り、有機農業へと転換していくのだ。
山の中で土や水を守り木を育てることに注力してきたが、畑や田んぼでも同じである。
土や水を守り、使い、そしてさらに作っていく。
これまでの農業を振り返る中で、G村のオバチャンたちは気づいた。
「あらぁ、アタシらって野菜を買ってばっかりじゃない!」
山の畑地でも裏庭でも、自分たちで食べる野菜と言うより、ホウキ草やパイナップル、豆類など「売ればお金になる」ものをたくさん栽培してきている。
「あなたは、山の畑地で、あるいは田んぼで、あるいは裏庭で、何のために農業をするのですか?」
「西ベンガル州に視察に行って(第4号参照)、何に気づきましたか?自分たちの場合は、何をしないといけないのですか?」


いくつかの研修を経て、村のオッチャンオバチャンたちは、これからの農業のテーマを掲げた。
1年を通して、自分たちの農地からたくさんの種類の作物を作る。
自分の家族に必要な作物を、安全な農法で作る。
肥沃な土で、少ない投資で、害虫にも対処できる、そんな農業ができるようになりたい。


4.  だけど、どうやって?

そしてB村では、どこの村より一足も二足も先に、農業研修に取り組んでいる。
一家族が一つの農地を選び、そこが、有機農法・低コスト・高収量の農業を実践していく「オラのモデル農地」だ。
「2012年に、あなたのモデル農地では、何がいつどれだけ採れましたか?」
「え~っと、マンゴーが5月から6月で、ジャックフルーツが7月頃、ゴーヤが11月頃で、豆が1月・・」と、カレンダー形式にしたフォーマットに、作物のシールを貼っていく。

B村だけで30世帯。
その内、読み書きができる人は3割程度。
文字を極力使わずに「オラのモデル農地」の農地デザインをし、栽培計画を作れるように、スタッフ達はシールやイラストの準備で毎日が忙しい。
ショーコも日本のカッターを片手に、野菜やイモや果物の写真、果ては牛糞のシールにひたすら切り目を入れる。


筆者が、オッチャンオバチャンたちでひしめき合う研修会場の中を縫うように歩き、出来具合を確かめていた時。
「キョーコさん、あのね、ワシはサポタが好きなの」と言って、サポタ(ピンポン玉より少し大きいサイズの果物で、干し柿のような味)のシールをぺたんと紙に貼るオジサン。
「オジサンのモデル農地は・・・裏庭の畑ですね。へぇ、畑にサポタの木があるのですか?」
「いいや。サポタは別の場所に植えてあるの。でもワシはコレが大好きでねぇ。えへへ。」
満面の笑顔で教えてくれるオジサンだが、この作業は、モデル農地をする前(2012年)の状況と、した後(2013年)の比較をするためにも、正確な情報が必要だ。
おもわず一緒にえへへと笑った後、シールをはがしてもらう。
今年は何を植えるのか、自家消費用か販売用か、農地のどこに植えるのか、等々、考えてみることはいっぱい。
「どこって、バーッと種を撒くんだよ」と、胸を張って答えるオッチャン。
それは、まるで花咲か爺さんのように、あるいはニワトリに餌をやるみたいに、4・5種類の種をまとめて畑に撒き散らすのが、今までのやり方。
だけど収穫時期はバラバラ。
「この作物Aは、何月に収穫できるのですか?」と筆者が尋ねる。
「8月」とオバアチャンが答えてくれる。
「じゃぁ、作物Bは?」「11月。作物Dも。」
「作物Cは?」「1月」
「それじゃぁ、例えば作物Aを、この場所だけに植えるとしましょう。そしてBは・・」と、あるオバチャンの農地を例に取り上げ、畑の中を区分けして、それぞれの作物の収穫月を数字で入れる。
それを、月毎につくってパラパラ漫画のように連続して見られるようにした。
収穫が終わったスペースは、その後の月は空白である。
「6月に作物ABCDの種を、別々のスペースに撒いたとしましょう。じゃぁその後、畑がどうなっていくか、見てみましょうか。」と、8月、9月、10月、11月、12月、1月とシートをめくっていくと・・・
「あぁ!!1月になると、畑の4分の1しか使ってない!」
「っていうか、8月に作物Aが採れたら、その後、そのスペースで別の野菜が作れるかも?」
「へぇぇぇぇ」
一様に驚きの声を上げる村の人たち。

今まで、畑をどのように使うか、ということを考えてこなかった村人たち。というよりも、考える場面がなかったし、どのように考えたらいいのか、誰も教えてくれなかった。
この農業改善の研修を始めてから、B村の青年チランジービーは、毎回必ず参加している。
それ以外の研修には、「他の奴らが学んでくれたらいい。その代り、オレは土を耕している」と、朝から晩まで田んぼや畑に出掛け、研修に参加した人たちの指示通りに石垣や植林作業に参加してきた。
だけど、この農業に関しては目の色が違う。
「オレが家族を食わしてるんだ。もっと良い野菜やコメを作るために、研修に出てくるんだ」
彼の熱意に応えるためにも、筆者たちも、専門家や農業局から絶えず学習する日々である。


5.  アタシたちも、負けてられない!

そして、目の色を変えた村人が、ここにも4人。
読者の中で、最近の通信でP村について話が無いなぁと、気づいておられる方がいるだろうか?
もし気づいておられたら、相当なよもやま通信マニアである。
たぶん、筆者一人だけだろう。
さて、P村から連絡が途絶えて5か月ほど経ったある日、「近くに来たから」とP村の指導員候補を訪ねて行った。
偶然か必然か、B村の指導員アナンドの研修風景のビデオデータを持っていたので、「見てみますか?」とノートパソコンをその場で広げた。
「これは、何回目の研修ですか?」と尋ねるオバチャン指導員パドマ。
「2回目ですよ」と何気なしに答えるラマラジュさん。

しばらく食い入るようにアナンドの研修風景ビデオを見つめていたパドマたちに、ラマラジュさんが尋ねる。
「で、あなた方はどうしますか?」
「・・・後で連絡します」


それから3日も経たない内に、P村のパドマから連絡があった。
「指導員研修を受けたいです。私たちも他の村で研修したいです」
「それは良いけど、どの村で研修するのですか?あなたたちは、どの村に声掛けしたのですか?」
「・・・これから声掛けします」

それから1週間後、「事業に参加したいって言う村を見つけました!」と、意気揚々と連絡してきた青年指導員チャンドラヤ。
きっと、研修一回で謝金がナンボという計算もあっただろうが、アナンドの勇姿が引き金になったのは間違いない。
さて、遅れて波に乗ってきた、いやこれから乗ろうとしているP村。

これでまた、B・G・T・Pの4つの村が揃ったわけだが、果たして次回ではどうなっているのか。
筆者も戦々恐々、もとい興味津々である。


注意書き

ラマラジュさん=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部からおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。

筆者=キョーコ=前川香子。この通信の筆者で、プロジェクト・マネージャーを務める。

垣間見える出来事=JICAインド事務所エジマ所長とクギタさんの村訪問については、ソムニード(現ムラのミライ)のフェイスブックページにも写真付きで紹介しています。

ショーコ=池崎翔子。3月末で、インド駐在からネパール駐在へと異動になりました。これからは、ショーコ発のネパール情報をご期待ください。


2013年2月14日木曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第6号「指導員による研修開始・・・なるか!?」

 

目次

1.  研修って何?
2.  教えるのではなく、考えさせる
3.  いつになったら始まるの?
4.  これがオラたちのスタイル
5.  村の人からのリクエスト
6.  準備は万端!?


インドは暑い国でカレー三昧、というイメージがとても強いが、インドにも寒い季節はある。
カレー以外の食べ物も探せばある。
寒さについて言えば、今年は南インドでも例年より早く11月頃から気温が下がっていった。
12月から1月にかけては気温も湿度も落ち着く、1年で最高の季節。村では朝晩の気温が15度くらいになり、深い霧に包まれる。
毛糸の帽子や耳当てを着けて、カーディガンを羽織ったりして寒さを凌ぐのだが、裸足なのは変わらない。
インドの1年の内、唯一汗をかかないこの時期に、村の人たちは稲刈りをし、その作業の前後に指導員としての研修を受けていた。
今回は、その指導員たちにまつわるお話。

 

1.  研修って何?

前回(第5号)で、「流域管理を一緒にしていく仲間を増やそう」と、獅子奮闘した指導員たち。
近隣の村々に声をかけて、自分たちの活動成果の発表会を行い、「オラたちもそういう活動をしたい」と、新規参入する村人たちに見事言わしめた。
そこで、指導員がそうした村の人たちに研修をしていくためには、まずは指導員自身がソムニード(現ムラのミライ)から研修を受ける。
ソムニードの定番研修、指導員研修だ。


まだ稲穂に実が付き始める10月から、指導員研修は始まった。
「みなさんとは2007年から一緒に活動していますが、2007年から今まで、何を学びましたか?」
と、にこやかにラマラジュさんが尋ねると、指導員たちはそれぞれ記憶に残っていることを口に出していく。
「え~っと、流域が3つのゾーンに分けられることとか、石垣の作り方とか‥」
「ボクは巻尺を使った距離の測り方が好きだ」
「アクション・プランの作り方も学んだ」
「では、その中で一つを選び、それについて説明してもらえますか?」

じゃぁオレが、と、一人の青年指導員が、どうやって流域を3つのゾーンに分けて考えるのかを説明する。
「どうやって、その知識を得ましたか?」
「え~っと、研修を受けたから」
「研修って、なんですか?」
「新しいことを習ったり、どうやって石垣を作るのかとか、スキルを得るところ・・・で良いかな?」
不安そうに答えるニイチャンに、周りの指導員たちが「そうだそうだ」と同調する。
「そうですね、研修では知らなかったことや新しい技術を学びますね。だけど、その学び方にも色々あります」
そしてラマラジュさんが黒板に次の文章を書いた。

【1. 聞いても忘れる】
【2. 見たら覚えている】
【3. やってみて解る】

読者のみなさんにも、この文章に見覚えのある方も多々おられることだろう。

そして【4.○○すると、使うようになる】という最後のセンテンスがあるのだが、これに関しては読者の方々にも考えていただきたい。
そして、ラマラジュさんが続けて指導員たちに尋ねる。
「この3つで、研修をする時に必要なのはどれだろう?」
「ぼくは、聞いても少しは覚えてるよ」とほほ笑む青年、モハーン。
「だから、聞くのとやってみるのが一番だと思う」
「オレは、見るのとやってみるの二つ」
「いや、3つ全部じゃない?」
ワイワイと言い合う指導員たち。
「ダンダシさん、たしか息子さんが町から帰ってきましたよね?」
と、指導員の中でも最年長の50代半ばの男性に尋ねる筆者
「いるよ。農業を仕込んでるんだけど、ヤツには真剣さが足りない」
「例えば稲作は、どうやって教えていますか?」
「ワシと一緒に田んぼに入って、牛の使い方とか肥料の撒き方を見せたりやらせたりしたさ。それに、どんな害虫がでてくるか、その時にどうすればいいか、話してきかせることもある」
「なるほどー。みっちり仕込んでますね。じゃぁみなさん、研修に必要なのは、ラマラジュさんが黒板に書いたものでどれでしょう?」
「やっぱり3つともだよ、キョーコさん」
「そう。モハーンが言うとおり、聞いても全てを忘れるわけではないし、ダンダシのように話して聞かせることも必要ですね」
と、後を引き継ぐラマラジュさん。

「だから、この3つのことを意識しながら、みなさんはこれから研修をしていってください。じゃぁ練習してみましょう。皆さんがこれまでに学んだことの中から一つ選んで、10分間『研修』してみてください。」



2.  教えるのではなく、考えさせる

ということで、G・T・B・P村からのそれぞれの指導員たちは、村ごとにチームに分かれてトピックを選び、模擬研修をしてみることに。
たとえばG村が講師役で、他の指導員たちは、『流域管理のことなんて全く分からない研修初参加の村の人たち』という設定だ。
さすが2007年からソムニードの研修を受けて来ているだけあって、最初に自己紹介をしたり何時まで参加が可能か研修時間を訊いたり、という基本は押さえている。
そして一方的な講義口調ではなく、質問形式で相手とやり取りをするのも忘れない。
「どの指導員が、一番うまくやっていると思われますか?」
と聞いてくるショーコには、研修を受けている人たちの顔を見てごらんとアドバイスする。
一番堂々としゃべっているように見える指導員でも、『初参加の村人役』の人たちはつまらなさそうにしている。
実は、質問内容が固すぎたり説明が難し過ぎたりするのだ。
試行錯誤する指導員たちの中でもキラリと光るのが、B村の青年アナンドだ。
とても単調に穏やかに話す青年である。
「この前、いつお会いしましたっけ?」
と、まずは前回の復習から入るアナンド。
これもソムニード・スタイルの研修の基本。
「先週、あなたたちの村で発表会があった時に、聞きに行きました」
「そうでしたね。その中で、記憶に残っているものはありますか?」
「初めて、石垣の役割を知ったよ」
「植林をたくさんしてたよね」
と、『初参加の村人役』の指導員たちが答える。
そして次々と簡単な質問を投げかけ、自分の村の山の状態について思い起こさせる。


「だからやっぱり、ぼく達も石垣を作りたい」と『初参加の村人役』。
「じゃぁ自分たちで作ればいいじゃないですか」と、アナンド。
この切り返しに、『初参加の村人役』たちもビックリ。
「ハイ、では一緒に作りましょう」
とはすぐに言わず、例えば本当に石垣が必要なのか、何が自分たちでできるのか、次にどのような研修が必要なのか、わずか10~15分の間で相手に考えさせるように促している姿は、もう第2のラマラジュを見ているようだ。
『初参加の村人役』の指導員たちがいつの間にやら真剣に考えているが、
「ちょっとちょっと、そんなことを考えるのは初めてじゃないでしょ?」
と内心ツッコミを入れる筆者たち。
こうして、どんな質問が答えやすいのか、どんな教材があったら分かり易いのか等々、指導員として意識すべきことを段階を経て身につけていった。

そして、新規参入の村人たちに研修をするぞー、と鼻息荒く、本題の流域管理コンセプトに入ろうとした途端、
「稲刈り前のお祈りが…」「稲刈りが始まって…」「お腹を壊して…」
と、指導員研修が次々と後倒しになっていった。

 

3.  いつになったら始まるの?

事業地周辺の田んぼは黄金色に輝き、早いところでは11月半ばから刈り取り作業を始めている。
新規参入の村人にばったり会った時、そっと聞いてくる村のオジサン。
「あのう・・いつになったらワシらは研修を受けられるんじゃろうか?」


新規参入の村人たち
同じような質問を、やはり同じような時期からチラホラと耳にし始めていた。
「どうしますか、キョーコさん。これは一度、指導員たちをせっついて、早く指導員研修を再開しないと村の人たちが研修を受けられないと言った方が良いかもしれませんよ」
と、ラマラジュさん。
「う~ん、私たちがそういうことを言っても、指導員たちは痛くもかゆくもないでしょうね。ここは、私たちじゃなく、新規参入の村人たちに、
『早く指導員研修を再開して、ぼく達に研修をしてよ』
と強く言ってもらいましょう。その為に、一度、稲刈り作業が落ち着いたら、指導員たちと新規参入の村人たち、全員にまた集まってもらいましょうか」

そうして色々仕掛けをして、1月下旬に合同ミーティングを開くことになるのだが、その前にとある訪問者を迎えた。


4. これがオラたちのスタイル

1月半ば、待ちわびた訪問者が村まで訪ねて来てくれた。
この事業を一緒にしている、JICA(国際協力機構)中部国際センターからカトウさんと、インド事務所からクギタさん。
今、一番脂ののっているB村を訪問した時には、B村近隣の新規参入組の4か村からも、4~5人ずつやって来た。
大きな木の下にビニールシートや茣蓙を敷いて、カトウさんやクギタさん、筆者たちを入れて総勢40名近くが、その上に直に胡坐をかいて座る。
どの村からも、20代30代の若者たちが多数を占めており、全体的に活気がある。
そしてそれぞれの村について、紹介してもらうことになった。
「えぇ~、何について話せばいいの?」
と戸惑うニイチャン、オッチャンたち。



そこへ、おもむろに立ち上がってシートの隅から真中へズイズイと移動してきたのが、B村の指導員たち4名だ。
当たり前のように、今までカトウさんやクギタさんが座っていた真ん中の場所に移動してきて、あれよあれよとカトウさんとクギタさんは隅に追いやられる。
そして、彼らの生活言語であるサワラ語で、何をどのように発表すればいいのか、モハーンやアナンドたちが指導し始めた。
「スゴイですね。ソムニードではなく、彼らが自然に前に来て、新しい村の人たちを指導しているなんて」
と、カトウさんもビックリ。
そして、それぞれの指導員たちが各村の発表準備の手伝いをして、いざ発表。
「ぼく達の村は25世帯で、あまりお米が採れません。果樹もそんなにないし、野菜もあまり育たないです」
「ぼく達の村は、家畜もいて井戸もあります。だけど、夏にはほとんど水がありません。川も夏は水が枯れます。山には木がありません」
「あのね、無い無いばっかり言ってないで、何があるのかを言ってごらんよ」と、モハーン。
そして次の村の発表では、誰一人として文字が読めないため、指導員が手伝って書いた紹介事項のリストが読めない。
最初は指導員が代わりに読み上げようとしたが、結局は指導員が小声で伝え、それを村のニイチャンが大きな声で発表することになった。


「ぼくたちの村は、カシューナッツの木だらけです。お父ちゃんたちが若い時に植えたから、もう20年近く経って実もならなくなったし、木の下はカシューナッツの枯れた葉が邪魔をして、他の植物が育ちません。このままだと、移住するか、全部の木を切り倒すしかないと思っています・・・」
内容は悲壮的なのに、発表しているニイチャンは、対照的にとても朗らかに言うのでジョークにさえ聞こえてくる。
このエリア周辺の共通の課題として、筆者たちも認識はしているのだが。

そして次に、
「それらの今『困っている事』に関して、何をしなければならないと考えているのか、教えてくれますか?」
とソムニードから水を向ける。
さらに指導員が入って、各村ごとに話し合い、発表する。
どの村も、やはり今までに何かをしてきた訳でもなく、今特別に何かを考えているわけではない。
そして件のカシューナッツだらけの村の発表では・・・
「カシューナッツだらけなんですが、もうどうしていいかわかりません。教えてください」
やっぱり、とても素敵な笑顔で発表する。
クギタさんがさらに突っこんで聞くと、5~6年前から実らなくなり、毎年、切ろうか移住しようか、いやまだ待とうと悩んできた、とのこと。
「指導員による研修で、これから彼らがどんなアクションを取るのか、今後が楽しみですね」
とクギタさん。

最後にはB村からモハーンが、この事業を始める前の状況から事業中の活動について、自分たちが何を学んでどう変わったのか、意気揚々と語った。
「最初は自分一人だけで研修に参加していたとか、直に経験談を聞けるのは楽しいですね。それに、やっぱりB村とこれから活動を始める他の村々と、話し方が違いますね」
と、カトウさん。
次回来ていただく時には、カシューナッツだらけの村はどうなっているのか、そして指導員たちがどこまで成長しているのか、色々と楽しみを見つけつつ、カトウさんとクギタさんもB村を後にした。


5. 村の人からのリクエスト

そしてやって来た指導員たちと新規参入の村々との合同ミーティングの日。
稲刈りは終わったけど、次にはホウキ草の刈り取り作業が待っている1月下旬。
B・G・T村からの指導員11名中8名と、新規参入8か村から合計32名が集まった。
「みなさんこんにちは。私はソムニードの職員で、キョーコと言います。私のテルグ語は分かりますか?」
と、尋ねる筆者。(テルグ語は、この州の公用言語)
2007年から一緒に活動しているB・G・T村の人たちは、私のテルグ語のクセにも慣れているため、言わんとしていることは分かってくれている。
しかし、新規参入の村の人たちは、生活言語がサワラ語だったりオーリヤ語だったりと、テルグ語に慣れていない人たちもあるため、余計に私のテルグ語は分かりにくかったりするのだ。


すると、私の横にドカッと座ってきたのがモハーンだ。
「大丈夫です、キョーコさん。ボクが、サワラ語にも通訳しますから」
と、今までになく積極的に研修に関わってくれる。
しかも、指導する側として。
32名の内、黄門さまによる研修(通信第5号を参照)に参加したのは10名にも満たなかったため、もう一度似たような頭の体操をすることにした。
新規参入村にはエリアごとにチームに分かれ、指導員から学びたいことを制限なしでリストアップしてもらい、そして指導員は一チームとなって、指導すべき項目を指導順にリストアップする。
指導員もこのリストアップ作業はすでにしているのだが、2か月以上経っているため、やはり覚えていないが、さすがに記録は取っていた。

どのチームもうんうん唸ってリストを仕上げて、お互いに発表する。
「植林がしたい」「野菜の収穫量を増やしたい」「石垣を作りたい」「水が足りない」
といった単なる欲しいものリストから、
「山頂から土が流れていく原因を知りたい」「そしてその土の流出を止める方法を教えてほしい」
と少し具体的になったものまで、さまざまだ。

そして指導員たちによって、研修項目のリスト案が読み上げられる。
「(1)流域とは何ぞや、(2)村にある資源の調査、(3)植物資源の記録づくり・・・」
と全部で11項目。
しかも、すべての項目について、1回の研修でできるわけではない。
「みなさんが研修してほしい、と思っていることは、今のリストの中にありましたか?」
「いつくかはありましたよ、キョーコさん。だけど、ワシらが一番したい石垣作りは、どこにあるんじゃろ?」
と、新規参入組の中の最高齢のリーダーが不安げに聞いてくる。
「どこですか、スレシュさん?」
と、この村を担当するG村の指導員に質問を投げる。
「はい、石垣とか何かを作るのは、この7番目の『アクション・プラン作り』についての研修をした後ですね」
「えっ!?最初から作れないの?」
「ちなみに、8つの村の皆さんが、石垣とか植林とか何かを作ったりするために、220万ルピーの予算がすでに確保されています」
と、告げる筆者。
「220万ルピー・・・!!」
一気に目が輝くオッチャン達。
もしこれが映画なら、オッチャンたちの目には、ガンジーの顔が映し出されていることだろう。
(インドの紙幣はガンジーの肖像画が使われている)
同じような光景を、数年前にも味わったなぁとデジャブを感じるラマラジュさんと筆者。
そして面白そうに眺めているショーコ。
「じゃぁ、4月からそのお金で石垣が作れるのかの?」
と、筆者たちを通り越して、指導員たちに聞くオッチャン。
「え~と、その~、先ほども言ったように、それまでに色々と研修があるので、4月からはムリかと・・・」
「じゃぁ、いつになったら研修を初めてくれるの?」
と別の村のニイチャン達も聞いてくる。
お互いに顔を見合わせる指導員たち。

 

6. 準備は万端!?

「それでは、指導員たちにしろ研修を受ける皆さんにしろ、いつ研修を実施できるのか、あるいは受けられるのか、お互いに可能な時期を調整しましょう」
とラマラジュさんが提案する。
そして、各村ごとに、今年の2月から12月まで、1か月の内どれだけ研修に時間が割けそうか、あるいは全く無理なのか、農作業も考慮しながら「年間スケジュール表」を共有した。
やはり田植えの季節である8月は、指導員も村の人たちも研修可能日数はゼロである。
指導員チームも、G村やT村は8月以外にも研修可能日数がゼロの月が何回かあるが、B村はそういう時でも動けそうだ。
もちろん、その時の天候や雨量次第でこのスケジュールも変わってくるが、例えばG村やT村の指導員の代わりに、B村からそのエリアに指導員が赴いて研修をしよう、ということも、この場で共有できた。

そして、今までのらりくらりとはぐらかしてきた指導員たちも、今回きっちりと、村の人たちと第1回目の研修日時と場所を決めた。
「ということで、指導員研修もお願いします」
と、筆者たちともみっちりスケジュール調整をした指導員たち。
さて、無事にその日に研修が始められるのか。
指導員たちはどのような研修を展開してくれるのか、次のご報告を乞うご期待。


注意書き

ラマラジュさん=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部からおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。

【4.○○すると、使うようになる】
この答えは、中田豊一・和田信明 共著「途上国の人々との話し方~国際協力メタファシリテーションの手法」の中に。

筆者=キョーコ=前川香子。この通信の筆者で、プロジェクト・マネージャーを務める。

ショーコ=池崎翔子。体験することすべてが新鮮なその眼を通して書いたエッセイ、「インドつれづれ」もどうぞご覧ください。

2012年11月19日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第5号「オラたちの仲間探し&理想と現実の農地利用」

 

目次

1. 新しい仲間の探索開始
2. キンチョーの初対面
3. 研修って、こういうこと
4. オラの村の変化
5. 理想と現実のギャップ
6. 笑顔の向こう側


南インドでの気候では、6月から8月までの本格的な雨期の後、10月下旬ごろから2週間程、短期間の雨期がある。
10月は稲穂に実が付き始める前で、十分な水分を土に溜める重要な雨。
だから全く降らないのも降り過ぎるのも困る。
今年は雨があまり降らない内に、10月になって急に気温が下がりだした。
気温20度前後で「なんか寒いねー」と言い合う頃、久しぶりに黄門さまがインドにやって来た。

1.  新しい仲間の探索開始

この通信に登場するG・T・B・P村の人たちは、よもやま通信第1部から、一緒に活動をしてきている。

自分の土地だけ何とかすればいい、というのではなく、村全体で水や土を守り、森を育てるという意識に変わり、それを実行してきた。
そして今、こうした活動を近隣の村々にも広げようじゃないか、と村の人たちが動き出したのが6月頃。
村から何人かが指導員になって、流域管理とはなんぞやという事を伝授し、一緒に水や土、森を守っていく仲間を増やしていこうということになった。

「どうやって、他の村を巻き込んでいきますか?」と、指導員14人に尋ねるラマラジュさん。
「村に行って説明したり、研修したりすればいいかと。」
「どうやって、その村を選びますか?」
「関心のある村?」
「どこの村が関心あるかないか、知っていますか?」
「たぶん、あの村とあの村と・・・」
「そうした村の人たちは、あなたの村で何をしてきて、何が変わったのか、ということを知っているのでしょうか?」
「いや、きちんとは知らないと思う。」

こうした会話を続けていき、「そうだ、オラの村で発表会を開こう」ということに。
何を言葉で説明して、何を見せて、どこに連れて行くのか、それぞれの村の指導員たちがああでもない、こうでもないと頭をひねる。
自分の村の模型を使って、お互いに意見を言い合い、「石垣を見せて、ため池に連れて行って…」と、コースも考える。

「ひとつ聞いても良いですか?」と切り出す筆者。
「ため池とか石垣づくり、植林、こうした作業は、この流域管理事業でなくても政府スキームとかでもしてますよね?それとあなたたちのした作業とは、何がどう違うのですか?」


ハタ、と動きを止める指導員たち。
そしてこの質問は、そのままズバリ、G村での説明会の時に参加した、他の村のオッチャンたちからも発せられたのでした。
G村の指導員4名は、その時にこう答えていました。

「政府スキームで同じように石垣を作るとき、あなたは何をしましたか?…そうですよね、ただ人足として石を運んで労賃をもらっただけですよね。僕たちもそうでした。だけど、ぼく達が流域管理事業で行った時は、自分たちで場所を考えサイズを測り、コストを計算して、作業を管理しながら実行したのです」
「それに、政府スキームはぶっちゃけ、お金をもらうためだけにやるだろう?だけど、オラたちの活動は、村で水不足や土砂崩れなんかにもう困らないようにするためにやったんだ。だから、川に沿った山の斜面にたくさんの石垣を作ったし、水源地にも植林をしたんだべ」


読み書きのできないオッチャンも得意げに話すと、説明会に来ていた村の人たちは、自然とこう頼んでしまう。
「オラ達にも、どうすればいいか教えてくれる?」


2.  キンチョーの初対面

7月から9月にかけて、G・T・B村でこうした場面が繰り広げられた。
そして筆者たちソムニード(現ムラのミライ)スタッフも指導員について行って、これから事業に参加したいという村々を実際に訪れた。
初めましての挨拶から、一緒に村の中を歩かせてもらっても良いですか?と許可を求めてから、彼らの案内に沿って、山の中を歩きながら色々と話を聞いていく。
それは、よもやま通信第1部第1号にも出てくるように、最低限必要なルールだ。
8月からインド駐在を始めたショーコにとっても、初めて体験する場面であり空気である。


発表会に来ていたのがオッチャンや青年たちばかりだったので、実際に村で会うオバチャンたちは、興味と警戒心の入り混じった顔で筆者たちを見つめてくる。
関係が築きあがったG・T・B・P村とは違う雰囲気のミーティング。
それでも指導員たちと村の人たちとの会話に加えてもらいながら1~2時間も過ごすと、オバチャンたちも陽気に話し出す。

「私たちも、研修を受けたいわー」ということになり、
「それじゃぁ、ぼく達(指導員)も準備ができたら連絡しますから、その時には研修日時と場所を、皆さんから言ってくださいね」と、指導員がそれぞれの場所で告げていった。

指導員たちは、こうして『関心のある村』を発掘しながら、同時に、「研修とは何か、指導員はどうあるべきか」といった研修も受けていっている。


3.  研修って、こういうこと

そして10月下旬、黄門さまの久しぶりのインド再来である。
2週間も前から、G村の青年リーダー・ガンガイヤは「何を聞かれるんだろう、僕は何を話せばいいんだろう」と緊張しっぱなし。
G・T・B・P村から指導員たちを含め、黄門さまに会いたいオッチャンオバチャンたちが人数制限の下集まり、そして彼ら指導員たちから研修を受けたいという5村からも、オッチャンたちがソムニードの研修センターに集った。


「みんなナマステ。G・T・B・P村のお前さんたち、久しぶりじゃな。」
「はい、お久しぶりです黄門さま!」
「新しくここに来ている村の人たちよ、ソムニードの研修を受けるときには、ただ座って聞いておればいい、というものではない。ここに来たら、脳みそを使わねばならぬ。いつも何かを学んで帰って行ってくれ」

新参の村人たちは、いったい何が始まるんだろう、とドキドキしながら黄門さまの話を聞いている。

「では、今からエクササイズをしてもらおう。G・T・B・P村のお前さんたちは、新しい村の人たちに何を教えたいのか、新しい村の人たちは何を学びたいのか、それぞれ50個挙げてごらん」

ニンマリする古参の村人たちと、おっかなびっくりの新参の村人たち。
うれしいことに、新参の村人たちも時間をかけて、50個書き上げた。

そして発表が済むや否や、黄門さまから繰り出される次のお題、
「その中から、まず指導しなければいけないこと10項目、まず最初に研修してほしいこと10項目を、選んでごらん」

ひきつった笑顔を浮かべながらも、新参の村人たちもグループで考える。

「指導員の人たちからまず学びたいことで、水をためること、土壌流出を止めること、マンゴーがもっと採れるようになりたい、土砂が流れてくるのを少なくしたい、石垣の作りかた・・」
「ちょっと待ってくれるかの。最初の土壌流出を止めることと、後で言った土砂が流れてくるのを少なくしたい、というのと、何が違うのじゃ?」
「え~っと、何が違う・・?」
「ワシにはあまり違わないように思えるがの?」
「はぁ、たぶん」
「もう少し考えてみぃ」

新参の村人たちは、発表会で聞いていた「成果」が頭に残っており、自然とこの活動を始めたら「土を守るんだなー」「水がたまるんだなー」と期待している。
中には、もう少しクリアに意見を言う村人もいるけれど、黄門さまは筆者たちに対して、「ここがボトムラインじゃよ」とも見せてくれているのだ。
そして、G・T・B・P村の村人指導員たちに対しても、「どういう順序で指導していけばいいのか」を考えさせた。

「こうしてお前さんたちは研修を受けていくわけだが、本当に指導員たちから研修を受けたいんじゃな?」
と新参の村人たちに対して聞く黄門さま。
同じように、「お前さんたちも、指導していきたいんじゃな?」と指導員たちに尋ねる。

どちらからも、意気揚々とした声で「もちろんです」という返事が返ってくると、黄門さまは「後はわかるの?」と筆者たちに言い残し、連日のおもてなしインドご飯で膨れたお腹を抱えて、ヒマラヤの国ネパールへ戻って行った。

黄門さまが去ってから、本格化していく指導員研修。
「教えるのではなく考えさせる」ためにはどうすんべ、とまずは自分たちの頭を使わなければならない指導員。

その前に指導員に研修をする筆者たちは、指導員たちの顔を思い浮かべながら
「こういうお題でエクササイズしてみる?」
「いやいや、その前に前回の例を使って軽くウォーミングアップだ」
と、筆者たちも頭を使う毎日。
指導員たちの可笑しくも目を見張る成長の様子は、また次回。


4. オラの村の変化

そして、前号で少し触れた「オラ達の農業」。

この通信に登場するG・T・B・P村で農業をするという時、水田、乾地、山の斜面に切り開いた畑、そして家の周りでのキッチン・ガーデンや果樹園、これらが主な農地である。


自分たちで今、何をどこでどのように耕作しているのかを、自分たちで調べたのが今年4月から6月にかけて。
そしてその過程において、どんなつぶやきがあったのかは第4号をご覧いただきたいが、併せて調査した他の項目についても、その結果についてみてみることに。
実は2008年にも同様に、世帯数や家畜数、耕作地の面積なども調査していた。
筆者の予想通り、見事なまでにそれを忘れている村人が多いのだが、嬉しいことに1人か2人は覚えているもので、当時のオラの村事情とも比較してみた。

「農耕用の牛の数が減ってるなぁ」
「でもヤギの数は増えてるよ」
「農耕用の牛は世話がかかるだけだしねぇ」
「ワシは放牧を担当してるけど、乳牛はよく走り回るから見てるのが大変なんじゃ」
「収入は増えてるけど、モノの値段が上がってるから、生活が楽になったって気はしないよねー」

「なんか、土地の面積が変じゃない?」
「う~ん、あの時は土地登録しているところしか、確か取り上げてなかったような気が・・」
「しかしこうやって見ると、調査って変化が分かって良いもんじゃな」
「また5年後に同じように調査すんべ。その頃はどうなってるんだろうの」

と、老若男女それぞれに発見をし、より正確に記録を取ってこれからの研修に使えるよう、G村やB村は土地の面積を調査し直すことにもなった。


5. 理想と現実のギャップ

そして、家畜の餌や薪に使う植物を、今現在、どこから採っているかについても、村の絵地図を使って確認する。

「あなたたちがよく放牧したり利用している植物、山のどこから採ってきているのでしょうね?」

薪と農耕用の牛が好む餌について、やはり調査の時にランキングを行ったのだが、そのトップ10の種類をどこから採取しているのか、山から集落まで描いた簡単な絵地図に落としている。


それを見ながら尋ねる筆者。

「はい、水源地付近から採ってます」と威勢よく答えるG村のオッチャン。
「隣の村の山まで行って、放牧してるのよ」と、絵を見ながら答えてくれるオバチャン。
「あれ?みなさんは、水源地や山の中腹はどうあるべきだって言ってましたっけ?」
「頭の髪の毛のように、山のてっぺんの水源地は木に覆われて、人間や家畜に荒らされず・・・・うふふふふ」
と最後まで言い終わらずに苦笑いするニイチャン。
「だって、まだ苗木は育ってないし」
「だって、植えても隣村の人たちに焼かれたり抜かれたりするし」
「だって、他に牛を連れて行くところないし」
と、口々に理由を告げる。B村でもT村でも同様である。

「だけど、流域管理事業をしてきた僕らは、やっぱり水源地を荒らしちゃダメだし、薪や放牧はもっと集落に近いところから採るべきだ」と、G村の若き青年リーダー・ガンガイヤは、他のオッチャンやオバチャンたちに、身振り手振りを使って説明する。
「そうよねー。アタシも、山の上まで行って薪を取ってくるのはホントしんどくて嫌なのよ。山の上まで行くと1日仕事だけど、麓のあたりだと半日もかからない。薪集めの時間が短くなると、他の作業ができるのよ」と、オバチャンが力を込めて主張する。
「もっと麓や集落付近で、家畜の餌も薪も、採って使えるようにしたいわぁ」というオバチャンたちのつぶやき。

よもやま通信第1部にでてきていたオラたちの村の未来予想図は、「どのように自然資源を守るか」という視点が強かったが、これからは「守りつつどう使っていくか」という視点から、村の将来像を描いていく。

このオバチャンのつぶやきもまた、その村の将来像に落としていくのだが、それはもう少しオッチャンオバチャンたちが脳みそを沸騰させてから。


6. 笑顔の向こう側

こうした作業をしている中、村を歩き回っていろいろ観察していたインターン生、チンナ・キョーコ

「あのぅ、私気づいたんですけど、B村はたくさんのお家で家庭菜園をしてるのに、G村はほとんどしていませんね。」
「そうなのよねぇ。G村は家の周りに場所がないから、二軒ほどしかしていない。場所がないから栽培できない、と思っているんだよねぇ」
と、村のオッチャンオバチャンたちが、彼ら独自の言葉サワラ語でワイワイ議論している傍らで、和やかにやり取りするチンナ・キョーコと筆者。

「あぁ、だからガンガイヤさんが空間を利用した家庭菜園というのをして、あんなにステキな笑顔を見せていたのですねぇ」
このガンガイヤのステキな笑顔は、ソムニードのフェイスブックにもアップしてあるのだが(2012年7月20日記事)、地面(平面)に場所がないなら、空間を利用して野菜を育ててみようと、彼だけがトライしているものである。


他の村のオッチャンオバチャンもこうした栽培には興味はあるものの、腰が引けてすぐに行動に移すのは難しい。

こうしたキッチン・ガーデン含め、乾地、山肌の畑、水田で、自分たちが食べていける農業が、そして放牧や薪の採集の理想を現実にした土地利用が、これから進んでいく。
つまり、森を中心に土や水を守りつつ、農地でそれらをうまく使っていく、そんな村の絵が、オッチャンオバチャンたちにも、おぼろげに見えてきた。

前号で予告していたこれからの村の計画図は……また今度。
よもやま通信第2部が始まって約1年、今まで村のオッチャンオバチャンたちがしてきたことは、こうして次なる展開へとつながってきた。
指導員として流域管理をしていく仲間を増やしていくのと、自分たちの農地利用の改善と、ますます多忙になるオッチャンオバチャンたちだが(そして筆者たち‥)、今後の山あり谷ありを楽しみにしていただきたい。


注意書き

黄門さま=ソムニード共同代表の和田信明。現在ネパールに駐在し、親方としてバクマティ川再生プロジェクトに取り組む。今回は約1年ぶりのインドへの里帰り。

ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部でもおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。

筆者=前川香子。プロジェクト・マネージャーを務めるが、いまだに事業名が長すぎて覚えられない。

ショーコ=池崎翔子。まだインドに来て数か月。体験することすべてが新鮮なその眼を通して書いたエッセイ、「インドつれづれ」もどうぞご覧ください。

チンナ・キョーコ=松本京子。ソムニード関西事務所のインターン生。筆者と同じ名前のため、インドでは「チンナ(=ジュニア)キョーコ」と呼ばれ、ラマラジュからも、体力には合格点を付けられた。インターンの日々についても、「インドつれづれ」で掲載予定。

フェイスブック=ソムニードのFacebookページ。よもやま通信では書ききれない、研修の一コマや日常風景もアップしています。フェイスブックのアカウントが無くても見られます!

2012年10月8日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第4号「西ベンガルへの視察の旅」

 

目次

1.  オラ達の農業
2.  西ベンガルへの視察の旅
3.  質問する人、答える人
4. その活動は何のため?誰のもの?
5. 旅の後


前回のよもやま通信発行から、またまた半年ほどが経ってしまい汗顔の至りだが、汗ばかり流していても仕方が無い。それに、無駄に汗をかいていたわけでもない。47度近くまで気温が上がる「岩が割れるような暑さ」と暦上でも呼ばれる5月末の2週間を乗り越え、ひと月も遅い雨季を待ち続けて田植えをし、人力では何ともしがたい気候と折り合いを付けながら、筆者たちは、村の人たちと研修に次ぐ研修を行っていた。

今号では、その中でもつい最近起こった、村の人たちの目覚ましい成長ぶりをご紹介しよう。

1.  オラ達の農業

ひとまず時は半年を遡る。
4月頃から村の人たちは、「オラ達の村ではどんな農業をしてるンだ?」と、調査を行っていた。

過去3~4年間に渡って、村の人たちは森や水、土といった自然資源を再生し、保存しようとさまざまな活動をしてきたが(詳しくは、よもやま通信第1部をご参照ください)、今は保存していくのと同時に、上手く使い続けていくにはどうすんべ、と考え始めている。

より視覚的に分かりやすく考えてみようと、山の畑地から低地の水田まで、いつ何の農作物を栽培しているのか、放牧地はいつどこの場所を集中的に使っているのか、薪や水の利用状況はと、様々なイラストや地図を使って、まずは現状について村の人たちと共通の認識を作ってきた。

その過程で、P村、G村、T村、B村の人たちが様々なことに気が付いた。
「10年くらい前には作っていたさとうきびも、今は水不足で作れなくなったなぁ」とP村のおじさんが遠い目をし、
「あれまぁ、アタシ達の村では野菜をほとんど作ってないのね…。えぇ~!ということは、みんな買ってきてるんだ。これを自分ちでも作れるようになったら…」
「でも、家同士がひっつきあってるから裏庭栽培はできないし」と、G村の人たちは「野菜作りの場所がない」と言い合い、
「オラ達の村の水田、半分以上は小川から自然に水を引いてるけど、途中で畦が壊れてたりして、時々無駄に水が流れ出してるんです。だけど、よその村の部分だから自分たちじゃ直せないんだよねぇ」
「で、雨を待つしかないんだけど、結局降らないと、稲作ができなくてお金が入ってこないんだよねぇ」と、B村はのんびりと困った顔をする。
各村で、さまざまな発見があり、つぶやきがあった。


そして、この事業では有機農業の専門家としてお世話になっているインド人専門家、チャタジー氏が、コルカタから電車ではるばる12時間かけて村までやって来て、村の人たちと調査途中を共有したのが7月。

「そこに生えてる葉っぱは、イモの葉っぱじゃないですか?」と、村の中を歩きながらおもむろに尋ねるチャタジー氏。
「そうですよ。」
「だけど、この調査の中の栽培作物とか収集作物には入ってないですね?」
「だって、勝手に生えているだけですから。」
「じゃぁ食べない?」
「時々食べますけど、そんなに頻繁に採って食べるわけではないです。でも美味しいですよ、チャタジーさん」と、にこやかに答えるG村のオジサン。

調査の中で、自分たちで植えた木や作物で収集するというのは「定期的に」という感覚があった村の人たち。そして、さらにつぶさに見ていくと、畑でも庭でも「場所があったら植えまくる」という栽培スタイルになっている。つまり、読者の多くが見慣れている日本の畑のような『種類ごとに畝が整備され、栽培されている』という畑とは真逆の光景なのだ。

大抵の作物の種は、雨季が始まる頃に数種類まとめて一度にバッーと蒔かれるが、収穫時期は作物によってまちまち。チャタジーさんが、
「水が少なければこんな栽培方法があるよ」、「AとBを組み合わせて植えると良い」、「この土地は水田っていうけど、ほとんど乾燥地だよね」と、色々なアドバイスをくれる。

そうすると、「そんな農業をしているところ、ボク達も見てみたいなー」という、村の人たちの声がちらほらと聞こえ出す。


2.  西ベンガルへの視察の旅

そうこなくっちゃと筆者達がチャタジー氏とアレンジしたのが、気候や土壌の質が良く似ている西ベンガル州西部の村への視察研修。


夜行列車で約12時間北上し、世界一長いプラットホームを持つという駅で3時間ほど次の電車を待ち、更に3時間ほどまた電車に揺られて西に向かい、アドラという駅まで約18時間の旅だ。

視察研修も普段の研修と同様に、ソムニード(現ムラのミライ)は参加できる人数だけ告げて、村の人たち自身が参加者を選出する。基本的に、記録付けとして各村から1~2名は読み書きできる人が参加するが、読み書きできない人が参加する事も、ソムニードは拒まない。

そして視察に行く前の事前研修。

「みなさんが行きたいと言っていた視察研修、西ベンガル州のアドラという町になりました」とソムニード・スタッフが告げると、
「えっ、アグラ??タージ・マハルが見られるの?」と勇み足になる村の青年。
「ちがいます。アドラです」
明らかに落胆する青年を横目に、視察先で何を学ぶのか、目的を明確に設定する参加者15名。

そうして、雨季で少し涼しいアーンドラ・プラデシュ州北部から18時間かけて、蒸し暑い西ベンガル州西部へと、村人達15名とソムニード・スタッフ5名の総勢20名の視察研修が始まった。


3.  質問する人、答える人

西ベンガル州西部のプルリア県という、山岳少数民族が多く住む地方でいくつかの村を視察する事になった参加者達。


複数の作物を畝で整備して栽培する「混合栽培」や、村で保管している穀物を個人に貸し出す「穀物銀行」、堆肥づくりといった農業に関することから、ため池の管理や魚の養殖、植林など、水土保全に関することまで、1日2~3か村を訪れて学んでいく。

大抵の村は、参加者の村と同じように10数世帯から40数世帯と小さく、彼ら独自の山岳少数民族の言葉を用いている。視察中、質問するのはG・T・P・B村からの参加者たちで、ソムニードは彼らの質問を英語に訳すのみ。それを、視察受入先団体のスタッフがベンガル語に訳し、相手の村の人たちが答える、というやや長い通訳事情となる。と思ったら…、

「いつ、この作物を植えるのですか?」
「雨季が始まった後です」
「この種はどこから入手するのですか?」
「自分たちで集めることもあれば、農業局から購入する事もあります」
「この作物はいつ収穫できますか?」
「これは11月…ですね」
「収穫した後、この空いたスペースはどうするのですか?」
「次の作物を植えます」

矢継ぎ早に、質問を投げかける参加者たち。そして、答えるのは相手側NGO団体の職員。
時々確かめるように、相手の村の人たちに質問する。相手の村の人たちは、ただにこやかにNGO職員の背後に立っているだけだ。
苗床でも、ため池の整備でも、魚の養殖でも、参加者達は
「いつ、どこで、誰が、どれだけ、いくらで、」と、具体的に質問をしていく。

普段、筆者たちソムニード・スタッフが研修で聞いていることそのままに、参加者達が相手の村の人たちやNGO職員に対して聞いていた。

『自分たちが見せたいモノを見せる』ツアー感覚でいた相手側NGO職員は、参加者達からの逃れられない質問に冷や汗をかきつつも、『これが視察研修というものか』と驚いてもいたようだ。


4. その活動は何のため?誰のもの?

植林現場は、参加者達が山で行う植林とは違って平地で行われており、等間隔で苗木が育っている。3年前に植えたという木はすでに人の背丈ほどにもなっている。


「この木は何の木ですか?」
「野生の蚕が住みつくための木です」
「どこから苗木を手に入れましたか?」
「私達(NGO)からの支援です」
「1年目に植えたということですが、2年目は何をしたのですか?」
「枯れてしまったり根付かなかった苗木を植えかえる作業をしました」
「その苗木はどこから?」
「私達(NGO)からの支援です」
「今年は何をしましたか?」
「新たに苗木を植えたり、苗木と苗木の間に豆類を植えたりしました」
「それは、どこから手に入れましたか?」
「私達(NGO)からの支援です」
「村の人たちは、いつまで、NGOに頼っていかねばならないのですか?」
「・・・・・」

声を失くすNGOスタッフと、とまどった顔の相手の村の人達。

「ほほ、ワタシが今聞こうと思っていた事を聞いてくれましたね」と、チャタジー氏。

ため池整備やその他の果樹園植林でも同様に、村がどうあるべきなのかを、相手の村の人達やNGOに考えさせる質問をする参加者たち。

「この果樹園の土地は誰のもので、だれが整備をしたのですか?」
「3人が所有者で、残りの村人達が整備したり苗木を植えたりしました」
「収穫物はどうなりますか?」
「30%が所有者に渡され、70%を残りの村人たちで分け合います」
「ずっとそうしていくのですか?」
「25年間、土地を借りるという約束事になっていますので、25年間はそうなります」
「その後は?」
「土地は今のように村人たちが使えず、すべての収穫物は土地の所有者のものだけになります」
「つまり、労働力のみを提供し続ける、ということですね?」
「・・・・・」


5. 旅の後

2007年8月に、ソムニードと一緒に活動を始めてかれこれ5年。

自分だけ、今だけ、水があったら良い、果実が採れたら嬉しい、収入を増やしたい、というような願望から、村全体の現状と将来のことを考えるようになり、行動に移して来たG・T・B・P村の人達。

今回の視察研修に参加した15人の内13人は、これから指導者として、新しい村へ「村全体で水や土や森を管理していくにはどうすればいいか」ということを教えていく立場でもある。

期せずして、視察研修という場で将来の指導者たちが、何をどれだけ理解しているのかを見る事ができた筆者達。

親ばかのように「ガンガイヤが、こういう質問をしてたよね」「モハーンも穏やかにするどいツッコミ入れてたよね」と、視察中もその後も、筆者達は参加者達の成長ぶりを思い出しては語りあっていた。予想外の収穫物を得た、今回の視察研修だった。

そして、視察研修を終えたら待っているのが、「それじゃぁオラ達の村ではどうしていくべ?」という今後の計画。
今度は、筆者達が参加者達へツッコミを入れていく番だ。

次号では、4月からの調査内容の事も交えつつ、村のオジサン・オバチャンたちの、これからの村の計画図をご紹介しよう。


2012年4月26日木曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第2号「オラ達の村の水と土」

 

目次

1.  ため池?それとも運動場?
2.  溜まった土、流れてきた土

1. ため池?それとも運動場?

前号では青々とした稲が水田で風に揺らいでいる長閑な風景を紹介したが、その後、結局雨は1滴も降らないまま、稲刈りの季節を迎えた南インドの農村部。
水田は乾き、土が割れ、穂に実はつくものの大きくならず、通年より1カ月ほど早々と村人たちは稲を刈り取った。
中には刈り取らずに牛に食べさせた村もあったほど。
インド全土では降雨量は平年以上にあったというものの、アーンドラ・プラデシュ州沿岸の農村部では、昨年の雨季の降雨量は平年以下だった。
というより、全く降らなかった。

村は乾ききっている…ような印象を受けるが、ここで2つの対照的な村を紹介しよう。
もちろん、この通信の舞台となっている村である。

P村は48世帯で、低地にあり、他の村に比べても政府スキームを多く活用し、労賃をせっせと稼いでいる。
村には2つの大きなため池があり、その内1つは、2年前に貯水量を増やしたり水門を築いたりと整備を施した。
そのため池も2011年9月下旬にはほぼ満水だったのに、10月下旬にはもうすっからかんとなってしまった。
すっかり水の上がったため池には、バレーボール用のネットも張られて、一見すると運動場でも作ったのか?と見間違えてしまう。


ため池の水を何に使ったのか質問すると、村人曰く、
「10月にまた雨が降るかと思ってたし、ため池に水はあるし、二期作ができるかなぁと皆で田んぼに水を引いてみたら、雨が降らなかったんだよね」
別の村人曰く、
「お前が勝手に水門開けて、水を引いたからだろう」

結局、P村の今年の米は、平年の半分ほどしか収穫できなかった。
しかし、お米からの収入の損失部分を埋めるかのように、政府スキームを使って石垣を作ったり道路整備したりして、ある程度の現金収入を得ている。

G村は28世帯、山の高地にあり、この半年で麓からの山道を整備して、オートリキシャ(小型自動三輪車)も楽々通行できるようになったが、それまでは自転車さえも走れないほどのデコボコ道だった。
この村にはため池が一つあり、ため池を南北に挟むように水田地が広がっている。

前事業が終了した後、G村の人たちは自分たちで魚卵を購入し、養殖を生業とする近隣の村で数名が養殖のイロハを習い、4種類の魚をこのため池で育てている。
ちゃんとG村の人用とそれ以外の人たち用に、販売価格を分けていて、これら収益はすべて村の流域管理委員会に納めている。
G村も2011年9月下旬頃はほぼ満水で、その後雨が降らなかったにも関わらず、2012年3月までため池の半分以上は水が残っていた。

村人曰く、
「魚がいるから水が枯れてはいけないし、二期作を初めて実践しようかという話も村で出たけど、今年はまだ挑戦する時期じゃないって、決めたんです。でも、稲刈りの後にもう一度、土が湿る程度に田んぼに水を放流して、全ての土地でひまわりを咲かせようってなりました。見た目もきれいだし、種は油で売ることができますからね」


G村はP村に比べても穂の実りは大きかったが、収穫量はやはり例年の6割ほど。
そして2012年3月、村の田んぼ一面にひまわりが咲いた。

県内一帯を見渡すと、昨年末以降、P村のようにほとんどのため池は干上がり、たくさんの運動場が広がっているような光景が「当たり前」である。
G村は魚がいたからある意味「手をつけずに置いた」だけで、幸運にも稲作後の農作物にも水が使えたのだ。
(通常、この地域では、稲作後にゴマやひまわり、緑豆等を栽培する)

両方の村ともに、ため池の整備はしていても、溜まった水をどうやって使っていくかという計画まではしていなかった。そもそも整備した時点では二期作なんて考えはなかったのだ。

村の人たちの思い込み、あるいは期待として、雨季は毎年決まった時期(6月から9月と10月下旬頃)にやって来て、たくさん雨が降ってくれる、というものがある。
しかしながら、よもやま通信第1部の6月や7月発行号を読み返してみても、毎年、村の人たちは雨が降らないと空を睨み、政府のお偉いさん達は雨乞いの儀式をしている。
もし「雨季はいつからいつまでですか」と聞けば、「6月から9月までです」と村の人たちは答える。
しかし、去年は?2年前は?3年前は?と聞いていけば、順調に6月から9月まで降った年などないことが明らかである。


天候をコントロールすることはできないが、水の使い方、言いかえれば農業のシステムを見直せば、少ない雨量でも必要な収穫量を確保することはできるかもしれない。
そしてやっぱり今までと同じように、水源地や山の中で、水や土を流し出さずに溜めていくという作業も継続していかなければならないのだ。
村のオッチャンオバチャンたちも、うすうすと、気付き出している。


2. 溜まった土、流れてきた土

水について悲喜こもごも起こっていた傍ら、村のオッチャンオバチャンたちは、前回事業で作った石垣(土壌流出を止める役割)やら堰堤(水流を弱める役割)やら苗木やらの、モニタリングのやり直しを始めていた。
水土保全のために設置した設備をそれぞれ見ている内、例えば川に作った堰堤では、
「土が溜まってて凄い。やった?」という人と、
「これだけの土が流されて来ていて大変」という人と色々だ。
堰堤の設備そのものをチェックするだけでなく、溜まった土もその厚さを見ることで、水源地付近からの土がそれだけ流れ出している、という状況を、感覚ではなく見て実感できる。

そしてひとつ一つ村の人たちが再モニタリングして気付いたこと。
「同じ川に作っても、堰堤が埋まりそうなくらい土が溜まっている所と、全然溜まっていない所がある」
そこで今度はソムニード(現ムラのミライ)が一つ一つ聞いていく。
「土が溜まっている堰堤と溜まっていないのは、それぞれどこにありますか?」
「その山の斜面には何がありますか?何が植わっていますか?」
「山の斜面に石垣があるのなら、石垣の役割は何ですか?」
こうした質問を重ねていって、一つの状況を発見した村人たち。

「石垣を作っていない山の川ほど、土がたくさん流れ込んできている」

そして、ここでもう一度、石垣や堰堤の機能について、絵を描きながら聞いていくと、一つの活動が生まれてくる。

「あぁそうか、土がたくさん流れ込んできている川の斜面に、石垣を作った方が、川に流れ込む土が少なくなるのか」

脱穀などの作業が終わり、乾季が始まった時期を利用して、川に土が流れ込まないための短期アクションプランを作って、石垣と堰堤の設置を行うことにした村の人たち。

「アクションプランって何だっけ?」という反応を、意地悪くも少し期待していた筆者だったが、さすがに「アクションプラン」という言葉にも慣れてしまっている村のオッチャンオバチャンたちで、
「はいはい、アクションプラン、作りまっせ―」と、場所を選定したら、予算作りも含めてさっさと表にまとめてしまった。

今回から少し違うのは、予算の何割かを村の流域管理委員会が負担すること。
そして3月までに、アクションプラン通りに石垣と堰堤の設置が完了した。

苗木はどうなったか?
山の岩だらけの斜面に植えた場所は、苗木が育つまで、豆や雑穀の畑作を行っているが、B村では、豆のツルが苗木に絡みに絡まって、見るからに成長を妨げている。

「だって、豆を食べるんだもん」と、はにかむ村の青年。脱力する筆者たち。

前回事業では、初めて自分たちの森から採集した種や根を使って植林したが、結果からして生存率はあまり芳しくなかった。
水源地付近は、近隣の村の野焼きの火が燃え移り、植えた苗木もほぼ焼かれてしまった。


ただ、山の中腹エリアでは苗木もすくすくと育っており、すでに子どもの背丈くらいになっているものもある。

「だけど、石垣より上の斜面に植えた苗木は、他の場所の苗木よりも、成長具合がとても良いですよ」
と、それぞれの村の人たちが発見している。
はてさて、この結果を踏まえて、これからどうするか?
再挑戦を始めよう。