ボランティアしてみようと思い立ち、ムラのミライの事務所で打ち合わせをしていたときのこと。
「お腹、空いたね」と、セネガルのバオバブ茶と屋久島の塩クッキーをご馳走になりました。
カメの形をした塩クッキーが入った箱には「屋久島の天日釜で炊き上げた天然塩を使用」の文字があり、それを見たとたん、突然10年以上前の記憶がよみがえってきました。
息子が小学生の頃、夏休みの自由研究で塩作りをしました。
沖縄に家族旅行に行く予定だったので、沖縄の海水と、近所の海(大阪湾)の水と、2つで塩を作って比べてみたら面白いなと思って息子に提案したのです。
沖縄の海の水をペットボトルに入れて持ち帰り、近所の海の水もすくってきて、それぞれお鍋で煮詰めて塩をつくりました。
すると沖縄の海水からは真っ白の塩、大阪の海水からはどす黒いグレーの塩が出来、あまりの色の差にびっくり!
息子は塩づくりの結果を模造紙にまとめました。私は、できた塩を学校に持って行って見せたら、みんなびっくりするよと言ったのですが、息子は嫌だと言って、私が何度勧めても持って行きません。
「ええー、なんで持っていかないの!?」と私。
「嫌だから」と息子。
「なんで嫌なん?」「嫌だから」
で話はおしまい。
「あれはなんでだったんだろう?」
いまさらですが、22歳になった息子に聞いてみました。
「自由研究で塩作ったのに、学校に持っていくの嫌だって、持っていかなかったの覚えてる?」
「覚えてる」
「何が嫌やったん?」
「自己開示が嫌いな子だったから、そんな目立つことしなくていいって思った」
そっか、クラスで目立ちたくなかったのか。いや、塩で目立つって?
当時すでに親子のコミュニケーションはいまいちだったのに私は全く気づいておらず、思春期以降気持ちが大きくすれ違って、危機的状況がちょっと長く続きました。
もしあの頃メタファシリテーションを知ってたら、使えてたら、私の人生も彼の人生も、ほんのちょっと違っていたかもしれないな、なんて思いつつ、ムラのミライでのボランティア、始めます。
中川智子(ムラのミライ ボランティア)