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2021年12月8日水曜日

「子どもが安心して話せる大人を増やそう」プロジェクトの始まり

始まりは子育て中の親を対象にした小さな子ども向けの講座

2016年から2019年くらいまで、親しい友人から「子育てに使えるようなメタファシリテーションを教えてほしい」と言われたことをきっかけに、子どもをもつ親のためのコミュニケーション講座を試験的に岐阜県や京都府で何度か開催しました。

その間、2018年から3年間、兵庫県西宮市で、NPO法人a littleと一緒に、妊婦とその家族、そして小さな子どもを持つ親、その支援者向けのコミュニケーション講座を実施してきました。

このような講座を受講してくれた小さな子ども(10歳以下)を持つ親たちからは、「子どもの話が聞けるようなった」「子どもの方からどんどん話してくれるようになった」などの反響がありました。

また支援者からは、「支援者も支援される側も楽になる対話を学べた」などの声が聞けました。その一方で、思春期の子どもを持つ親からは、「このやり方では子どもとのコミュニケーションは改善しない」という声も寄せられました。



 中田代表による思春期コミュニケーション講座での「2つの鉄則」

その思春期の親を対象とした「思春期の子どもとのコミュニケーション」連続講座を2019年以降始めたのが、メタファシリテーション手法を編み出した中田豊一(ムラのミライ代表理事)です。自身の子育てや身近な人々の子育てについてのさまざまな相談に、メタファシリテーション手法で対応してきた経験を元に組み立てたのがこの連続講座でした。

この講座に参加した親たちに、講座で教わった通りに子どもへの対応を変えると、子どもとの関係が劇的に改善したという成果が現れ始めました。中田はこの講座の最初に必ず「理屈はともかく“2つの鉄則“をやってみよう。必ず相手との関係が変わる」と伝えます。それは、次の「2つの投げかけをやめる」ということでした。

 「なぜ○○できなかったの?」

 「○○すればいいのに」

10代の子どもを持つ親として、またあるときは記録係として、私はこの中田の講座に繰り返し参加し、どうやって親の子どもへの対応を変え、行動変化につなげていくのか、そのやり方をどのように親に伝えるのかを学びました。

そのような過程を経て、私自身も、思春期の子どもや身近な人とのコミュニケーションについての講座の依頼がPTAなどからあれば受けるようになりました。そのような講座は、中田のように、「2つの鉄則」から始めるようにしてきました。

単発の講座ばかりではありますが、教え方や紹介する事例は、回を追うごとに、参加者の理解と実践を助けるようなものになってきた、との手応えを感じています。

 

講座参加者の発言に20代のころの自分が蘇る

2020年から続くコロナ禍で、対面での講座はなかなか実現せず、しばらくはオンラインでの講座が続いていましたが、この202112月、久しぶりに実現した対面での講座を実施しました。ある地方自治体が開催した「身近な人とのコミュニケーション」講座では、30名ほどの市民が参加しました。

その講座の最後に参加者からのコメントや質問を受ける時間を設けたのですが、その時、ある20代の女性がこうコメントしました。

 「なぜ○○できなかったの?」、  「○○すればいいのに」講座の中で「この二つを最近誰かに言ったことはありますか?」と講師に聞かれたとき、私はハッとしました。私は、誰でもない「私」自身に、昨日も今日も「なぜ○○できなかったの?」や「○○すればいいのに」と言っていたのです。そして、この2つの言葉が私自身をずっと苦しめていたことがわかりました。
 私が親から言われ続けてきたことを、大人になった今、今度は心の中の「私」が私に言い続けて、私をとても辛くさせていることに気づきました。今日の講座を受けて、もし私がこの2つの言葉を「私」に言うのをやめたら、すごく楽になるんじゃないかと思いました。』

少し俯き加減で発言するこの女性の顔を見ながら私が気づいたのは、目の前の彼女はまさに20代のときの私自身だということでした。なぜ私が2016年から試行錯誤しながら、子どもや身近な人とのコミュニケーションをテーマにして講座を続けてきた理由がわかった瞬間でもありました。

私自身が、この
2つの言葉に長い間苦しめられてきたのです。長い時間をかけて克服したつもりでも、時々フラッシュバックのように「○○できないだめな私」という、「根拠なき自己嫌悪の悪循環」に陥ってしまうことがあります。私も、2つのNG投げかけを自分にするのをやめて楽になりたかったのです。そして楽になる人を1人でも増やしたかったのです。

 私が当事者「子どもが安心して話せる大人を増やそうプロジェクト

 現在ムラのミライでは、子ども・若者の支援に関わる20代・30代の支援者に向けて、「子どもが安心して話せる大人を増やそうプロジェクト」を準備中です。

「なぜ○○できなかったの?」、「○○すればいいのに」の2つの投げかけをやめてみよう、子どもの話が聞ける質問をしてみよう、という教材作りからスタートさせる予定です。
メタファシリテーションの技術をわかりやすく伝えることで、子どもの話が聞ける大人を1人、2人と増やしていこう、というプロジェクトです。

この2つの投げかけに苦しめられた10代、20代の「私」を1人でも減らしたい。子どもの話を聞ける大人が増えることで、楽になるのは子ども・若者たちだけではないと思います。
私も含め、多くの大人が、子どもの話を聞けるようになれば、子どもの頃から苦しんできた言葉の数々から自由になる、そんなヒントが得られるはずです。言うなれば、子どもが安心して話せる大人を増やそうプロジェクト」は、むかし子どもだった「私」が当事者です。話を聞いてもらえなかった多くの大人も「当事者」となるプロジェクトなのです。「むかし、子どもだった大人」も当事者として結果として支援されるような、「支援する側」にも「支援される側」にもなるプロジェクトです。

これから折に触れてプロジェクトの内容や進捗をお伝えしていく予定ですが、ぜひ1人でも多くの「むかし子どもだった」たくさんの大人の参加をお願いしたいと思っています。

原康子 ムラのミライ 研修事業チーフ)

 


2021年3月17日水曜日

「生きづらさ」の、外に出る

生きづらいという言葉がここ数年、メディアで良く聞かれます。
背景には色々とあるでしょうが、私はその原因の一つに、なんでも二極化して判断する社会の構図があると思っています。儲かるか儲からないか、好きか嫌いか、男か女か、若いかそうでないか、勝ち組か負け組か。
そうやって決めてしまった方が、敵味方が明確で戦いやすいし、何より、それ以外の色んなことを考えなくていい。その波にうまく乗れず、半ば諦観していた私に「おまけ組」の存在を示してくれたのが本著です。


20歳を過ぎてくらいから徐々に、世の中の理不尽や自分の現状への不満みたいなものと戦うよりも諦観する方向に気が向き始めていました。
小さい頃からクラスのグループやらヒエラルキーやらに順応できなかったり、高偏差値主義の高校生活についていけなかったり。大学に入れば、SDGsの授業でジェンダーについて討論した後に「それでも生む機能があるのなら使ってほしい」と言ってくる男子学生。家では、毎日見聞きする「家事を手伝ってますよ」レベルから深まらないジェンダー論議。就活では、今や新卒は神話と言われて中途で受けるも職歴や専門性で他と劣ると言われ、若いから新卒へと言われて行くと大卒と比べ若くないと言われ。
そうやって波に上手く乗れないでいると、いくら自分に信念があっても、ずっと揺らがず立ち続ける事は簡単なことではありません。就職エージェントに相談しても、私のことを聞こうとも理解しようともせず、「○○と○○のどっちかしかない」、もしくは「早くどちらかになれないなんてヤバくない?」と感じさせてくるのはなぜ?人はもっとグラデーションで、その度合いを見ようとしなくちゃ互いの存在を認めあえないのではないか。
ちょっと熱くなりました、すみません。本当は○○組とかはなくて、あるのはあなたと私という存在なんだ。おばちゃん信金で語られる「おまけ組」は、ずっとモヤモヤを抱えて、おかしいと感じることに対して立ち続けることを投げ捨てようとしていた私に、それを言語化して、もう一度自分を肯定する勇気を与えてくれました。


私はインドに縁もゆかりもなく、行ったこともないのですが、きっと日本社会よりも過酷な社会の仕組みの一番下の方で生活しているおばちゃん達が、原さん達との対話の中で、少しずつ自分たちの存在を肯定し、力を付けて、勝ち組でも負け組でもない、自分達の存在を勝ち取っていく姿は清々しいもので、こちらの気持ちまでさわやかになりました。
また、長らく経済的に苦しい環境に加え、外から持ち込まれた貧困の指標や支援のものさしで良いように計られてしまってきたがために培ってしまった“生きる術”を持つおばちゃん達に対して、その術を当然のことだと肯定し、常におばちゃん達と事実を確認しながら、おばちゃん達の可能性を見守っていた原さん達の我慢から、何が誠実なのかを考えました。
原さん達が指示をするわけでも提案をするわけでもないのにおばちゃん達が信金を設立して運営しているのは、それが、おばちゃん達が必要だと思うおばちゃん達の物だからです。そんな当たり前のことなんだけれども、社会のあらゆる関係性や構造の中で忘れ去られてしまうことを、既存の開発支援の定説や制約の中でも貫こうとする原さん達の姿勢に、また頑張ってみようというエネルギーをもらえました。

本書の内容とは別に、原さんの語り口や伝え方にも心の温かみや勇気をもらえる人は多いと思います。まず、途上国での支援という一見壮大で難しいテーマですが、ニュースの討論コーナーで専門家が話しているような専門用語とか理論解説などはほぼ出てこず、終始、原さん達とおばちゃん達による無声映画に原さんが活弁しているという感じで、途上国支援に馴染みのない人にも楽しめます。
そんな調子で、大学院で学んだ原さんが理論武装をしたまま現場を求め、たくさんの失敗をしたことをベースに話が語られていきます。失敗した自分を下げすぎず、開き直るわけでもなく、失敗からの改善を高らかに誇示するでもない。おばちゃん達の会話が、便宜上、岐阜弁で語られていることも、このおばちゃん達が良い人達とも悪い人達とも映らない、身近な人達の会話のように迫ってくるものがあります。そのような伝え方だからこそ、国際協力や開発をやろうとして前のめりになっている人には、じわじわと身につまされる思いがしてきて、結果として自分を振り返る機会を与えてくれます。そして、自分がどのくらい前のめりになっているかどうかを確認できるでしょう。
もちろん、支援に対しては、様々な立場での様々な考え方はあるでしょうが、自分がどう受益者の人達と関わっているのかを振り返る指標には成り得ます。そうして、いつでも帰ってきたくなるバイブルになっていくことと思います。私にとってもそのような作品になっています。
私はこの全体としてバランスの良い伝え方がとても好きなので、いつか自分もこのように伝えられる人になりたいと思います。

(田中沙知 メタファシリテーション講座修了生)