2009年11月23日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第17号「なが~い道のりの第一歩;オラたちの村のルール作り」


目次

1. 集めたお金は何のため?
2. ルールを村の憲法に
3. 石橋を叩くことをためらう
4. 初めての○○

1. 集めたお金は何のため?

10月も終りになると、朝晩の気温が一気に下がり、といっても20度はあるのだが、それでも朝もやが立ち込めはじめ、市場へ野菜を売りに行く村の人たちの服装も、長袖シャツに耳当てという重装備に変わる。

昼間は相変わらず汗が流れるほどに暑い陽射しの中、マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下、ポ村)、ゴットゥパリ村(以下、ゴ村)のオジサン、オバチャンたちは灌漑設備や土砂崩れ防止の石垣を作る作業にまい進していた。


今までお伝えしてきたように、オジサンやオバチャンたちは植林作業や貯水池造成など土木作業にこの数ヶ月は集中してきていたのだが、その労賃の中から定額を村の共同資金として自発的に納めてきた。

何に使うのか?

なんとな~く、「今作っている灌漑設備なんかの将来のメンテのため?」という感覚的な目的はあるものの、「コレコレの目的のためです」とはっきりと言える人はほとんどいない。

だけど、金額的にも大きくなってくるし、なんだかよくわかんないけどチョビチョビ使い始めている村もあり、村人の中には「はっきりさせい」と言って来る人も出始め、
「共同資金のルール作りについて、研修をしてください」
と、ソムニード(現ムラのミライ)に依頼が来た。

各村を回って、村の人たちの意見を引き出しながら、それぞれの村独自のルールを作り上げていく。

それは、単なるお金の出し入れの決まりごとではなく、「どういう村にしたいのか」というビジョンを掲げ、それに向かってどんな活動をしていくのかを具体的にし、そうした意思決定の場と時期、役割なども決めていく過程となっていく。


2. ルールを村の憲法に

ポ村のオジサンの一人が言った。

「コレが出来上がれば、ポガダヴァリ村の憲法になる!」

言葉としては大げさに聞こえるかもしれないが、まさに「オラたちのオラたちによるオラたちのための村の規則」を、オジサンやオバチャンたちは初めて自分たちで作っていく。
オジサンやオバチャンたちがやってきた植林作業や建設作業、これらがきちんと管理され、さらに発展させられなければ、村は住めない場所となり、人が居なくなり、近い将来になくなってしまうだろう。
オジサンたちは「ずっと村に居続けたい、もっと良い村にしたい」という気持ちがあるからこそ、再び脳みそを沸騰させながら、共同資金を貯めるだけでなく、その運用の規則作り、そしてそれを実行する組織作りの研修に自ら挑み始めた。

牛のように消化するには時間がかかるが、牛と同様、走り出すと結構早い、そんなオジサン、オバチャンたちの山あり谷ありの過程を今号からお伝えする。


3. 石橋を叩くことをためらう

今月はゴ村でのよもやま話をご紹介しよう。

ゴ村は、モハーンという青年のリーダーシップで徐々に動き出し、植林も見事にやり遂げたことは読者の皆さんのご記憶にも新しいかもしれない(よもやま通信第15号参照)。

そのゴ村も、マ村やポ村と同様、村の共同資金の運用についてルール作りを始めたわけだが、何しろ今まで他の村のように大きな建設作業もなかったため、ポ村の共同資金の4分の1も資金は貯まっていない。
それに土砂崩れ防止の石垣作りなど建設作業をもう始めてもいい時期なのに、誰も始めようとはしていない。

金銭出納簿の付け方やルール作りの考え方など、少し先をリードするポ村からソメーシュともう一人の若者がゴ村にアドバイザーとして、研修について来ていたが、ゴ村のそんな様子を見て唖然としている。

「ゴ村の人たちは、ソムニードから自分たちにこんなに意思決定の自由を与えてもらって作業も任せてもらっているのに、しかも支払いもきちんとしてくれるのに、なんでもっと積極的に動かないんでしょうね?」
と、不思議がるソメーシュ。

そんな彼から、ポ村の活動計画から今まで実施した作業、支払われた賃金、村の共同資金に集まった金額などが、ゴ村のオジサンたちに共有されると、一斉に上がる驚きの声。
「おぉー、スゴーイ」

さらに、ポ村が考えている村の共同資金の使い方を披露し始めると、ゴ村の人たちのソメーシュを見る目は、尊敬の眼差しでキラキラ光り始めている。
「おぉー、カッコイー」

「ラマラジュさん、もしかしたら、ポ村やマ村のいくつかの集落に視察に行って、作業の内容や方法を見たりルール作りの案を共有したりすると、ゴ村の人たちにとって良い刺激になるかもしれませんよ」
「そうですね、キョーコさん。マ村の中にはゴ村と同じサワラ語(少数民族の言葉)を話す集落がありますから、より気軽に色々と話せるでしょうし、提案してみますか」

ということで、ゴ村の人たちに提案してみると否応なくうなずくオジサンたち。

5人がマ村の山頂付近にある集落2つを視察することになった。その内一つは、最近よく登場する青年ガンガイヤが率いる集落である。


満々と水を湛える貯水池や水門、貯水池からまっすぐに伸びる水路などを目の当たりにし、ゴ村の青年たちは言葉も出ない。

さらに、もう一つの集落の青年たちとも一緒に、自分たちの活動計画や今までに完成させた構造物、これからの計画も共有していた。
「この事業では、何をしたいか、何をするべきか、ボク達が決められるんだ。誰かに言われてするんじゃないんだよ。しかも、労賃の支払いも、ボク達がソムニードに連絡すれば必ず来てくれる。政府のスキームじゃこうはいかない。
だから、作業記録や領収書の準備もしなくちゃいけないけど、これも僕らの責任の一つだからね。」
ゴ村の作業状況や研修の遅れを聞いたガンガイヤも、自分たちの経験を熱く語る。

ゴ村の人たちは、石橋を叩いて渡るというより、叩くことさえもためらっていた。ソムニードを疑ってはいないけど、「これからする作業は金額的にも大きいし、支払いもきちんとしてくれるよね?」と、他の村より作業経験が少ないゴ村の人たちは、多少不安に思っていたらしい。

だが、実際に他の村の実績を自分たちの目で確かめ、直に聞いて、激励されて、ゴ村の青年たちの目の色が変わった。

それと平行して、ルール作りの研修もエンジンがかかり、最初の案で出た共同資金の使い道は「クリスマスの集まりに必要な経費」の1点だけだったのが(ゴ村はクリスチャンの村)、今は構造物のメンテなど他にもポツポツと出始めている。

「ルールの一つに、『緊急の場合』と書いているね」
「そうです」
「じゃぁ、今日がこの映画の最終日で絶対に見なくちゃいけないから、チケット代と交通費と昼食代も出して、と言ったらくれるのか?」
「そんな無茶な」
「それじゃぁ、緊急の場合って何?」
「え~っと・・・」

こんなやり取りが何度も何度もあるわけだが、ソメーシュやガンガイヤ達に刺激を受けて本気モードになり始めたゴ村の人たち。

「そもそも、活動計画の作業を進めていかないと、構造物もナニもないよ」
「それに、村の共同資金も、建設作業をしないと貯まらない!」
と、作業スピードも一気に加速した。


4. 初めての○○

ゴ村がようやく歩み始めた頃、ソメーシュやガンガイヤの村は、すでに共同資金を扱う村の組織の骨組みを考え始めていた。

ポ村のある研修日、こちらの問題で30分ほど到着が遅れてしまったが、集まっていた村の人たちは、開口一番、こう言った。

「この事業が始まってから2年以上、今回初めて、ソムニードの皆さんは時間に遅れましたよ」
もちろん最初に謝ったが、村の人たちのこのような姿勢に、私たちは一種の感動を覚えた。

そんなポ村やマ村の「オラたちの村のルール作り」は、次号からお伝えしよう。


注意書き

ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。
キョーコ=前川香子。本通信の筆者。




2009年10月1日木曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第16号「結局は、労賃目当て!?」

目次

1. 建設作業ははかどるが
2. 不安ゆえの計画案
3. 彼らは無力ではないし、ソムニード(現ムラのミライ)もサンタクロースではない

雨期到来の遅さ、降雨量不足は、毎年のように報じられているが、今年もやはりインド各地はもとより、アーンドラ・プラデシュ州でも8月になっても雨が降らず、田植えができなかったり去年より遅くなったりしていた。

マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下、ポ村)、ゴトゥッパリ村 (以下、ゴ村)でも、延々と雨雲を待ち望んだ果てに、オジサン・オバチャンたちの祈りが通じたのか、ようやく雨が降り出し田植えができるようになったのも8月半ばから下旬にかけて。

青年ガンガイヤ率いるマ村のある集落で建設した貯水池は(※よもやま通信第14号参照)、一滴一滴、雨水をしっかりと溜め込め、周囲の木々を美しく水面に映している。水門の開け閉めを管理しながら、田んぼに常時水が張ってある様子は、去年までは見られなかった風景だ。

1. 建設作業ははかどるが

そんなマ村と対照的に、ポ村では雨は降るものの全く足りず、稲の苗が植える前に乾ききってしまう水田もあったが、辛抱強く時を待つ間、村の人たちは活動計画を前倒しにしながら、山の斜面に石垣を建設したり、小川に石堤を作ったりと、着々と建設作業を進めていた。

7月下旬に、作業の進捗状況を見ようと、再びポ村へとやって来た森林・水利事業の専門家チャタジー氏(※よもやま通信第1号第9号に登場)から、石堤の形や大きさにちょっとした改善点をアドバイスしてもらい、喜び勇んでその作業にも村人総出で取り組んだ。


そして9月半ばに入って、計画していた建設作業のほとんどが予定よりも早く終わりそうなのに気付いたオジサンたち。植林作業への支払いを終えて帰ろうとする筆者たちを呼び止めて、ためらいがちに話し出した。

「黄門様に、新しく貯水池や石垣を建設する許可をもらいたいんですけど、いいですかね?ラマラジュさん」

「許可をもらえるかどうかはわかんないけど、活動計画はちゃんと作らなきゃダメだよ」すると、自信満々にジャジャーンと模造紙を広げるオジサンたち。とりあえずは、作業名や作業責任者、期間、場所、大きさ、なぜそれが必要なのか、必要経費、という項目が、きちんと書き込まれている。

「灌漑したいから5000立方メートルの貯水池って書いてますけど、なぜ4500や6000立方メートルじゃダメなんですか?」
「それはですね、キョーコさん、その土地の縦横の最大限の大きさがそれだけで、深さもそれくらいあればまぁ十分かな、って感じで・・・」
「黄門様に突っ込まれますよ。あと、なぜこの作業を今の活動計画に盛り込んでおかなかったのか、って聞かれますよ」
「なんでって、なんででしょう?ラマラジュさん?」

黄門様に見せる前に、予想外に色々と突っ込まれてアワアワと慌てふためくポ村のオジサンたち。とにかく、もう少し活動計画を詰め直して、黄門様に掛け合うことにしたようだ。

一方、マ村のダンダシたちは、中央政府スキームでの賃労働もなくなり、田植えも終わりかけたしで、そろそろ懐が寂しくなり始めたぜ、とばかりにイソイソとソムニードを訪ねてきた。
「お久しぶりです。マ村は何の作業を始めさせてもらったらいいでしょうか?」
と、揉み手をするオジサンたちに雷が落ちる。

「阿呆!お前さんたちが作った活動計画だろう、ワシらに聞いてどうする?何の作業があるかなんて、お前さんらが知っとるじゃろうが」
「それがですねぇ・・・隣の州に出稼ぎにいった村人が、荷物と一緒に活動計画も持っていってしまって、村に無いんです」
エヘヘと頭をかくオジサンたちに、開いた口が塞がらない黄門様。

自分たちで何の作業をするのか決めてから出直して来い、と一喝を食らい、事務所にあるコピーをもらってスゴスゴと村に帰っていったオジサンたちは、数日後に再びやって来た。

オジサンたちが口を開く前に、黄門様からお達しが。
「一度に色々と作業を始めてはいかん。一つの作業をまずはやり通してからじゃないと、労賃も支払わない。お前さんたちのやる気を見せろ」

ははーっと印籠にひれ伏すオジサンたちは、雨で土が柔らかくなっている今しかできない作業、来年の植林準備のための作業を自分たちで決めて、黙々とやり始めた。

4つの山が活動計画に挙げられているのだが、ダンダシのリーダーシップは再び発揮されていくのか、オジサンたちのやる気はホンモノなのか、筆者たちも見守っている。


2. 不安ゆえの計画案


そして、再びポ村。

オジサンたちは、練り直した活動計画と共に黄門様を村で迎えて、貯水池やら石垣やらどこにどんな大きさで造りたいのか、切々と語り始めた。
結局は、今年は田植えが少ししかできず収穫も見込めない、イコール、現金収入が減るという不安と、もう活動計画のほとんどの作業が終わりかけている、イコール、労賃収入がこの先なくなるという不安、色々な不安が重なっての思いつくままの計画案だった。

「黄門様、お願いですぅ。貯水池を造らせてくださいよ」
「地形的には、水を集めやすく良い場所だが、かんがい用にするには水田から遠すぎる。それより、ここに保水効果を高める池を造った方がよかろう。」
と、代替案を提案する黄門様。

「でも、それじゃぁ労賃が足りません。このままじゃぁ、ワシら、出稼ぎに行ってしまいますよ」
「労賃がもらえなくなったら、ワシら、食うものも困ります」
「収入がなければ、子どもらも学校に行かせられん」
「やっぱり、出稼ぎに行かないと。そうなりゃ、村からは男が居なくなるぞ」
「おぉ、困った、困った」
と、お涙頂戴作戦に乗り出すオジサンたち。

「おぉ、出稼ぎに行きたきゃ行きゃいいさ。ワシらは、活用できないようなものは造らせん」
「そんなご無体な、黄門様ぁ」

そして一喝とともに飛び出す印籠。
「なにを勘違いしておるか!ワシらはお前さんたちに何を教えた?何が必要かを探り、それを実行するために必要な活動計画作りと言うものを教えたろうが。労賃を恵んでやるための活動計画とは違うぞ。
貯水池だけじゃなく、石垣だろうがナンだろうが、それが必要なら資金源はいくらでもあるじゃないか。ソムニード、中央政府、州政府、少数民族対象事業・・・
自分たちの将来の活動計画じゃろう。どこと何の活動をするのか、自分たちで決めるのが活動計画じゃ。ただの労賃稼ぎのためではないぞ」

黄門様の言わんとすることが分かる青年リーダー、ソメーシュは、年長の村人たちを前にして決断した。
「わかりました。色々と新しく計画を立てましたが、黄門さまのアドバイスどおり、無理なかんがい用の貯水池は造らないことにします」


3. 彼らは無力ではなく、ソムニードもサンタクロースではない


ポ村は、田植えが上手く進んでいれば、決してこのような新しい活動計画は提案してこなかっただろう。

マ村やゴ村は、運よくそこそこ田植えができているから、ポ村のような要請はでてこない。

彼らの現金収入減少の不安は良く分かる。
だけど、ソムニードそしてこの事業は、サンタクロースのように欲しいままのプレゼントを単純にあげるものではないし、オジサンやオバチャンたちも、手を差し出してただ待っているだけの村人ではもう決してないのだ。

ポ村も、労働に携わった全ての村人たちが、貴重な労賃から今まで一定金額を、将来村全体で使えるようにと共同の資金として貯蓄してきた。マ村、ゴ村も同様に貯蓄してきているが、これからどのように使っていくのか、収入源は労賃の一部だけに頼っていいのか、オジサン・オバチャンたちは考え始めている。
そして、そろそろ、事業が終わってからでも続く村の将来のための活動計画を作る、準備体操が始まる。

肉体労働が多かったこの2・3ヶ月とは対照的に、これからは久しぶりに脳みそ沸騰の研修が待ち受ける。

続きは次号で。


注意書き

黄門様=和田信明。特定非営利活動法人ソムニード(現ムラのミライ)の代表理事。
ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。

キョーコ=前川香子。本通信の筆者。 



2009年8月1日土曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第15号「オラたちの自慢のリーダー!」


目次

1. 共有されていた活動計画
2. ソムニード(現ムラのミライ)の役割

日本各地で大雨情報が伝えられている頃、南インドでは雨が足りず、マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下ポ村)、ゴットゥパリ村(以下、ゴ村)のオジサン・オバチャンたちは、毎日のように空を流れる雲を見つめては、雨が降るよう念じていた。

この時期、南インドでは田植えの時期に当たるが、ほとんどの村では雨のみに頼っているため、田んぼに十分に雨水が溜まってからでないと、苗が植えられない。

しかし、前号で登場したガンガイヤ率いるマ村の集落では、雨が降り始める前に溜め池や水路を作り上げたので、なんとか田植えができるだけの水を貯水池に溜めておくことができている。

一方で、ポ村やゴ村では、そうした灌漑設備の整備がまだ進行中で、十分に水を溜められず、今年の田植えができるかどうか、ビミョーな状況が続いていた。
それでも、田植えと同じくらいに重要な植林も、オジサン・オバチャンたちは忘れてはいなかった。

「この2~3日の雨で、土が掘りやすくなったので、さっそく山頂での植林を始めます!」
と、電話連絡をしてきたのは、ゴ村の青年、モハーン。

今号では、ゴ村での植林作業を中心に、ご紹介しよう。

 

1. 共有されていた活動計画

今回の植林は、どの村でも、二つの方法ですることになっている。

山頂付近では、種を直接埋め込むか、バラバラと撒くやり方。
中腹付近では、苗木を植えるやり方。
山頂付近はほとんど表土が流れ落ちているため、わずかな土でも生存しやすいように、苗木ではなく種を使用する。そうすることで、ゆっくりと時間をかけて発芽し、苗木を植えるよりも根付きやすくなるのだ。

そのため、活動計画を作り始めているときから、自分たちの山で種を集めていたのだが、セメントを使う作業がないゴ村では、ガンガイヤたちが貯水池を整備している間、自発的に苗床を作り苗木を育てていた。

これには、黄門様もビックリである。



ラマラジュさん、キョーコさん、見てください。ボク達が作った苗木です」
と、少し恥ずかしげに苗床を紹介してくれるモハーンを初めとするゴ村の青年たち。

マ村やポ村の建設作業のモニタリングや資材調達なんかで、ほとんどゴ村には足を運ぶコトができずにいたのだが、モハーンたちは植林作業に向けて、自分たちで考えながら黙々と準備を進めていたのだ。

読者のみなさんもすでにお気付きのように、ゴ村は通信の中ではほとんど脇役のようにひっそりとしていて、今まではマ村やポ村についての記述が大半である。
というのも、ゴ村は研修参加頻度も人数も少なく、そして目立って発言するようなこともなく、静かに研修を受けては片道3時間かけて帰っていく、というのがモハーンたちだった。そんなゴ村が、活動計画通りに各家で種を集め、さらに苗床を育てていたのだから、驚く以外のなにものでもない。

ゴ村を囲む山をふもとの村から見上げると、焼畑をしていた場所でもあるので、遠くからでも茶色い地肌がくっきりわかる。土を掘る道具に数キロの種、飲み水をたっぷり入れた水がめと、身軽ではない村の人たちは、とても身軽な筆者を尻目に、ヒョイヒョイと山を登っていく。

表土がすっかり流れ落ちている山肌は石と砂でざらざらしており、非常に足元がおぼつかない上、斜面が急なのでちょっと強い風が吹くと危うく転げ落ちそうになる。


石と石の間に残っている土を軽く掘り、種を埋める。また歩いて、場所を探して、掘って、種を埋める。
この作業の繰り返し。

種を埋めると、斜面上方から雨で流されてくる土や水を受け止められるよう、U字型に小石を積んでおく。そうした作業を邪魔しないようにしつつ、ある青年に尋ねてみた。

「この植林計画は、誰が作ったんですか?」
「モハーンたちが、黄門様から研修を受けて、活動計画を作ったんだよ。その中に植林もあるのさ。」

「あなたは何をしてきたんですか?」
「ボクも、1回くらい研修に出たことあるけど、後は、モハーンが集会で研修の内容を話してくれるのを聞いてたのさ」

「活動計画って、どんなものですか?」
「植林とか、石垣つくりとか、何をいつするのか書いてあって、それに必要な資金も計算してあるんだよ」

別のオバチャンに聞いてみた。このオバチャンも、一度も研修には姿を見せたことはない。

「どうして、山のてっぺんにこうして種を埋めるのですか?去年か一昨年は、自分たちで調達して山の麓にマンゴーの苗木を植えたんですよね?」
「だって、山の上にも木があれば、川にも地下水にも水が流れるようになるじゃない。それに、土が流れ落ちなくなるって言うし。なによりも、子どもたちに木を残さないと。だから、山のてっぺんだけじゃなくて中腹にも、苗木を植えるのさ。」

そばで聞いていた別のオバチャンが、自慢げにさらに付け加える。
「ほら、この向かい側にも山があるだろ?で、大きなマンゴーの木がポツンと見えるかい?あそこから、ずーっと向こうの焼畑地の端っこまで、同じようにモハーンたちのグループが作業してるよ」

なんと青年もオバチャンたちも、活動計画やら植林の目的やら植林の場所を、研修に参加していないのに、きちんと理解して自分の言葉でしゃべっている!
そして他のオジサンやオバチャンたちも、この植林作業を通じて、今までモハーンたちが受けてきた地味な研修の過程がどんなものだったのかを、身体で感じていた。時には前日から研修センターに泊り込んで研修を受けてきたモハーン。寡黙だけれどしっかりと村を引っ張っている若手リーダーの出現に、私たちは嬉しくてたまらない。


朝は曇り空だったのが、昼前には太陽がすっかり顔を出して気温が上がる中、山の峰を伝い、岩をよじ登り、谷底まで降りて再び斜面を上りながら、一日かけて種を全て埋め込んだ。

「よしッ、次は苗木を植えるぞ!」と、ゴ村の人たちの士気は上がる一方。

ところがゴ村の人たちのやる気とは裏腹に、遠慮がちにシトシト降る雨はまだ苗木を植えるには十分ではない。
しかし、苗木は森林局の苗床から次々とソムニードの研修センターへ運ばれてくる。
太陽に照らされて苗木が萎れないように朝夕に水遣りをしながら、雨よ降れ降れとさらに念じる。

村の人たちも田植えを始めないと、という気持ちの焦りが募り始め、中には「植林よりも来年のオラたちのメシとなる田植えの方が優先じゃ」と言う村人も出始めた。
そうした祈りというか執念が通じたのか、まとまった雨がようやく降り始めて数日。各村から一斉に植林作業開始の電話連絡が入ってきて、研修センターの警備スタッフも動員しての苗木の運搬作業となった。

ゴ村に植林作業の様子を見に行くと、村の人たちはもう山に登っていて、村では学校から子どもたちの声が聞こえてくるばかり。一度に苗木を持って上がることはできないから、誰かがまた山から降りてきたら様子を聞いてみようと、しばらく麓から山を見上げて待っていた。

すると、先日山のてっぺんで植林するワケを話してくれたオバチャンが苗木を取りにやって来て、今度は中腹にどうやって苗木を植えているか教えてやるからついて来いと、自信満々である。
再び、時々石に足を滑らせながら山を登ると、すでに植わった苗木を指差しながら自ら説明を始めた。

「中腹といってもね、山の下側、村に近い側にグアバとかジャックフルーツ、カシューナッツとかサポタとかフルーツのなる木を植えて、手入れがしやすいようにするの。他の種類の木は、あまり世話をかけなくてもいいから山の上側に植えるのよ」


2. ソムニードの役割

こうした苗木の植える配置とかU字型に石を置くとか、村の人たちは、いろんなことを知っている。種の採取の仕方、苗木の植え方ももちろん知っている。

だから、ソムニードの役割というのは、単に苗木を与えたり植林の方法を教えたりすることではなく、村全体でどのような森を作り、どうやって育てていくのか、オジサンやオバチャンたちが考えて実践するための技術を研修で身に付けさせることだ。
それが、活動計画作りであり、この後につづくモニタリングである。そしてそうした技術を身に付け始め、ゴ村の人たちを引っ張っているのが、モハーンであり、ゴ村の人たちもモハーンに全幅の信頼を寄せている。

こうしてゴ村だけでなく、ポ村、マ村でも数日かけて、数千本の苗木を植えた。

植えている最中は順調に降っていた雨も、ここ最近はまた快晴の日々が続いている。
とにかく今は、どれだけの種が発芽し、苗木が根付くか、様子を見守るしかない。

オジサン・オバチャンたちは、「次の作業はナンだっけ」と、自然と活動計画をチェックするようになってきた。

8月は田植えで多忙な時期になるハズなのだが、空模様はいかに!?
そして、村の人たちはこのまま順調に作業を進めていけるのか!?

続きは次号で。


注意書き

黄門様=和田信明。特定非営利活動法人ソムニード(現ムラのミライ)の代表理事。村の人たちが作業の完了報告を労働日数(mandays)で答えるようになり、「こんな村のオヤジたち、他にいないよねぇ」と思わずニヤリ。
ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。苗木運搬の前日の大雨には夜も眠れないほどに緊張。
キョーコ=前川香子。本通信の筆者。今回初めて植林作業のイロハを体感し、森で生きる村の人たちの凄さに改めて脱帽。

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2009年7月1日水曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第14号「誘惑・障害に溢れるオラたちの実践の道~建設編~」

 


目次

1. 石と砂利そして技術者
2. 政府スキームの誘惑
3. 遠くを見据えて


今年の雨季は少し早くに到来する、かも。
というモンスーン予報が5月下旬から流れ始め、浮き足立つ黄門様やスタッフ、マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下、ポ村)、ゴトゥッパリ村(以下、ゴ村)のオジサン、オバチャンたち。
しかし相変わらず暑い日が続き、予報も「やっぱりもう少し後だ」と毎日毎日言い続け、結局6月も、熱波に何度も襲われた。けれども、本格的に雨が降る前に、今までに堆積土除去作業をしたため池など灌漑設備を強化しなければならないので、気温が45度を超える日も、オジサン・オバチャンたちは資材の調達から人員のコーディネート、実際の土木作業に汗を流し続けた。

今号では、マ村の中でも山頂に位置する集落での作業について、特にご紹介しよう。

 

1. 石と砂利そして技術者

資材の調達と一言で言っても、かなりの重労働である。

コンクリート作りには、セメント、砂、砂利、そして砂利よりも少し大きめの石が必要であり、チェックダムや堤の壁には鉄筋がいる。それぞれが何十キロ単位で用意しなければならないのだが、ほとんどの村はトラックが入っていけるような場所ではない。この集落もしかり、山の麓に積み上げられた砂やセメントを担いで、約1キロの山道を登っていかなければならない。



コンクリートを固める時には、気泡を抜くための機械(掃除機くらいの大きさ)を使うのだが、これも大人二人がかりで担いで運んでいく。オバチャンたちは、砂をかごに入れて頭に載せて山を登る。
オジサンたちは、セメントの袋を天秤棒に下げて、あるいは肩に担ぎ上げて、岩がゴロゴロした山道を歩く。
「オー、ホイ」という掛け声を麓から山頂へ向かって、あるいはその逆に投げかけ、お互いを鼓舞しながら、半日以上かけて資材を運び込むのだ。

そして、早速作業を始めるとの連絡を受けたので、様子を見に行ったある日のこと。
「ラマラジュさん、見てください」
と、村の青年ガンガイヤが嬉しそうに、砂利と石の小山を指差す。聞けば、近隣の村から調達した砂利と石は質も大きさも悪く、これでは特に基礎となる部分のコンクリートには適していないと判断し、自分たちで岩を砕いて作ったとの事。しかも、作り方も知らず道具も持っていないこの集落の人たちは、何人かが砂利作りに長けた隣の州にいる同じサワラ語を話す村まで行って、道具の使い方から石の選び方を教わってきてから、借りた道具でこれらの砂利を作ったのだ。

「岩は、明るい灰色でほどよく割れやすくないといけないんだよ」

「大きさも、ほら、こうやって土台の枠をしっかり固定して、ハンマーで思いっきり叩くと、きれいにそろうの」

「見てみて、タコができちゃった」
と、自分たちで新しく技術を身に付け、必要な材料を用意したという自信と嬉しさに満ち満ちた顔で報告してくる。
また、石材を扱ったり壁塗りをする職人は、遠方から腕の良い職人たちを連れてきて、作業が終わるまでの期間、寝場所と食事を無料で提供する、と言う。
「この人たちは、セメントを無駄にしないし、短時間でパパッと素早く、しかもきれいに仕上げてくれるんですよ」
と、自慢する村の人たち。




これが、政府による建設作業だったりすると、お役人が用意した資材で、お役人が連れてきた職人によって、お役人の監督の下、作業が進められ、村の人たちは単なる賃労働者に過ぎない。
質が悪くても、技術がヘタクソでも、自分たちに何かを言う自由は無く、ましてや「労賃がガッポリもらえるなら、どんなモノでも作りまっせ」という根性が見え隠れしており、作業過程の効率化など考える気もさらさら無い。


2. 政府スキームの誘惑

この集落でも実は、資材を調達する前に、政府スキームでこの建設作業をしないかと役人がやって来ていた。
「どうしよう」という電話相談を受けた時、黄門様は一言、
「これは、お前たちの事業じゃ。政府スキームでやりたいというならそれで良し。ソムニード(現ムラのミライ)とやりたいというなら、活動計画通りに進めなさい。ただし、政府スキームでやると決めて、役人の都合で結局いつまで経っても始められなかったり、キャンセルされてしまっても、ワシらに泣きついて来んでおくれよ」
と、村の人たちの判断に任せた。

農村での灌漑設備の建設や修繕は、中央・州政府機関が様々な政策の下で各地で行っている。言ってみれば、村の人たちが何の作業をしたいのかがハッキリしていれば、財源の選択は手広くあるのだ。
結局、村で集会を開き、活動計画で決めた作業は全てソムニードと実施する、と決めたわけだが、まぁ、10円でも時給が高い仕事があれば、誰だってそちらに飛びつきたくなるもの。
ただ、時給が少々下がろうとも、「オラたちのオラたちによるオラたちのための活動計画」
を、「オラたちが実行しよう」と決めたのが、青年ガンガイヤが率先する集落の人々である。


この青年ガンガイヤは、去年10月ごろに活動計画を作り始めるための集会を開いているときに、マ村のリーダー、ダンダシに見出され、「この青年を研修にこれから参加させなかったら、集落のリーダーは罰金500ルピー」と、集落全体を一喝した経緯があった。(※よもやま通信10号を参照)
それ以降、この集落のリーダーは罰金を払うどころか、新しい青年リーダーが目覚しく成長しているのだ。


3. 遠くを見据えて

そもそも、ソムニードが目指しているのは、村の人たちが自分たちで課題を探り、それに基づいて活動計画を作り、それぞれの作業に必要な資材や資金を自分たちで確保し、実施して維持管理していくことである。

まだまだ千里の道の第一歩、いや、半歩を踏み出したばかりではあるが、少なくとも、村の人たちは何をしていかなければいけないのか、気がついてきている。

この集落のオジサンがポツリと言った。

「どこに何の設備がどんな大きさで要るのか、いつからいつまで何の作業をしなくてはいけないのか、それにはどれくらいの労働や資材が要るのか、そして誰がするのか、こうやって、これからも計画を立てていかないと、森を育てて水を溜めて使っていくのは難しいねぇ。しかも、5年、10年と続けていかないと」
ナントこのオジサン、研修には一切参加しないで、ガンガイヤ始め研修に参加した村人から内容を聞いてきているだけなのに、全てを理解しているのだ。

「だからキョーコさん、この草の根が終わってもまた事業をやりましょうよ」
と、抜け目無く、資金確保を企んではいるのだが。

そんなこんなやり取りや背景もありながら、この集落では、貯水池の水を田畑へ放水する際に利用する水門と、池に大量に水が溜まったときに放水する堤を、ガンガイヤが采配を振り、時々冗談を飛ばしながらみんなを力づけ、約1ヶ月かかって建設した。
さすが、自分たちで連れてきた職人だけあって、仕上がりがとても綺麗だ。
「いつでも雨よやって来い!」
と、自慢の出来ではあるのだが、6月末になっても連日カンカン照りで地面は乾ききっている。

さてさて、この後は貯水池へ水が流れ込む水路を補強する作業に取り掛かり、そしてモンスーンがやって来ると、植林が始まる。

ポ村もマ村も、色々な誘惑に惑わされ、障害にぶち当たりながら、建設作業を続けているが、それはまた別の話。

そして次号、植林編ではどんな逸話が出てくるのか!?

乞うご期待!


4. 注意書き

黄門様=和田信明。特定非営利活動法人ソムニード(現ムラのミライ)の代表理事。
ラマラジュさん=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。過去に同様の建設事業に携わったこともあり、用途別にコンクリートを作る比率も知っているが、今回はガンガイヤたちから効率的にコンクリートの材料を混ぜる裏ワザを教わっていた。
キョーコさん=前川香子。灌漑設備の建設のイロハを今回、村人から学んだ。そして、過去50年間の記録を塗り替えたと報じられた酷暑を同時に体験。暑いなんて単純なものではなかったこの夏。

2009年5月27日水曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第13号「とうとう完成!コレがオラたちの村の未来図」

目次

1. 習ったらやってみる、作ったら使わないと!
2. 長かった道のり

1. 習ったらやってみる、作ったら使わないと!

日に日に気温が上がってきているなと感じ始めた3月、あっという間に気温は35度に達し、4月には時には40度近くまで上り続け、5月は呼吸するだけでも暑い日が毎日続くという、とうとう一年で一番過酷な季節が始まった。

マーミディジョーラ村(以下、マ村)、ポガダヴァリ村(以下、ポ村)、ゴトゥッパリ村 (以下、ゴ村)のオジサン・オバチャンたちは、植林、灌漑、測量の専門家から続けざまに受けた教えを忘れない内にと、汗を滝のように流しながら、活動計画を作っていたそんなある日。

「ところで、植林予定地は、何ヘクタールあるのかの?」
という、村人への素朴な黄門様の質問に誰も正確に答えられなかったのだが、そもそも、ポツポツと十円玉ハゲのように岩肌が見え隠れしている山の斜面の面積を、今まで誰も測ったことがない。
「でも、お前さんたち、ワニさん(※よもやま通信の前号を参照)から距離の測り方を習ったじゃろ?」
という、これまた黄門さまのシンプルな指摘にうなずいたオジサンたちは、実際に土地の面積を測ってみようということになった。



まずは復習も兼ねて、巻尺を持ってマ村、ゴ村、ポ村の3チームが研修センターの敷地内を図ってみたのだが、3つのチーム共にてんでんばらばら。しかも測り方が、頭の中で50メートル、100メートル、と数えるだけで地面に印も付けない。
なんだか見たことがあるぞ、この風景、と思った黄門さま。

「あぁ、一度きりでは覚えてないよなぁ」と、納得のため息をつくソムニード(現ムラのミライ)スタッフ・・・そして、ワニさんに習ったことをもう一度思い返し、覚えなおしたことはすぐに実行してみよう、と、次は植林予定地での実際の計測をしたのである。

かつて焼畑をしていた場所、ほとんど表土が流れて岩が見えてしまっている場所等、その場所の周辺を測り、その縮図を方眼紙に描き、その面積を出す。
筆者でさえも、一瞬頭が真っ白になる算数なのだが、研修に参加した村人の中では、特に青年たちの飲み込みが驚くほどに早く、三角定規やコンパスを使って植林予定地の縮図が自在に描けるようになり、この青年たちを中心にした「測量チーム」がマ村、ポ村、ゴ村のすべての植林予定地に赴き、そこの村の人たちと一緒に巻尺ひとつで何箇所もの山の斜面を測量し、三角定規やコンパスを使って図面に落としていった。



「え~っと、この一辺の長さは、縮図にすると何センチになるのかな?」と、ある青年。

「それは、1メートルが○センチだから、縮図にすると△センチだよ」

「この三角形の高さって、どうやって出せばいいんでしょう?」と、別のオジサン。

「あぁ、それは、こうやって90度のところで出すんだよ」

測量チームが他の村の人たちを指導していく、つまりマ村、ゴ村、ポ村の区別関係なく村の人たち同士で助け合うものだから、ラマラジュや筆者の出る幕は、まるで無し。

「自分たちで縮図を描いて面積出して、活動計画作るなんて、村の人たちもスゴイもんだなぁ」と、改めて感嘆するより他にない。

そうして、各村・各集落ごとの植林地面積の算出を、自分たちでやってのけたのだ。
そして中期活動計画も大詰めになってきた頃、毎日10人は日射病や熱中症による死亡者が報じられている過酷な季節。

各村々で、項目の妥当性を話し合おうと、夜明けと同時に村に出かけ、陽が上りきる前に事務所に戻る、という極力太陽から逃げるような毎日を送る中、こんなやり取りがあった。

「黄門様、あそこに苗木を植えて、石垣も作ろうと思うんです。」

「で、石垣のサイズはどれくらいで、何メートル間隔で作るんじゃ?」
と尋ねる黄門様に、活動計画を開いて無根拠な数字を答える村のオジサン。

「お前さんたち、この場所の縮図を描いたろ?」

「そうですけど・・・?」
百数十メートル先の山肌を眺めながら、どのように石垣を設置するか、黄門様が縮図の中に簡単にデザインする。

「一センチが○メートルだから、実際の石垣の長さはどれだけになるかの?」

「はい、黄門様。△メートルです。」

「すごいや!山を登って巻尺で測らなくても、石垣の長さが分かる!」

「しかも、10メートル間隔で石垣を作るとしたら、石垣をいくつ作ればいいのかも、わかるんだ」
口々に興奮した気持ちを叫ぶ村の人たち。



「お前さんたち、縮図はこうやって使うんじゃよ」

面積を算出したらもう縮図の役割は終わったと思い込んでいた矢先、黄門様とのやり取りで、縮図の意味、利用方法に開眼した村のオジサンたち。こうやって、木の植える位置もデザインできるんだと、何人かのオジサンたちは気がついた。

そして、別の村で・・・

「え~っと、灌漑の専門家シバナッパンさん(※よもやま通信前号参照)が来られたときにも、ここに貯水池を作っても水は溜まらないからやめておけと言われたんですが、やっぱり作ろうと思うんです。」

「ナゼじゃ?」

「この下に開墾する田んぼに水を引くためです。」
ところが、その田んぼを灌漑するためには、彼らが計画する貯水池の貯水量では足りないことも判明。しかも、彼らもここに作っても水が十分にたまらないだろう事は知っている。

「例えば、この貯水池の建設に20万ルピーかかるとする。お前さんは、50万ルピーの資金を持っている。貯水池建設のために投資するか?」

「え~ッ、黄門様。20万ルピーも投資しませんよ。」

「ナゼじゃ?」

「だって、作っても水が溜まらないし、意味ないじゃないですか・・・」
だんだん声が小さくなって、最後にはエヘヘと苦笑いする村のオジサン。

「自分の金じゃぁなければ、最後にはどうなってもいいからとりあえずもらえそうなものはもらっておけ、ということが良く分かるのう。ま、誰でもそういうもんじゃ。」

 

2. 長かった道のり

そんなやり取りもありながら、村のオジサン・オバチャンたちは、雨季の始まる前に行う雨の神様への儀式の合間を縫って、植林作業やら灌漑設備の建設やらに必要なコストや労働日数を計算していった。
これらの計算は、昨年度の活動計画の作成と実際の作業の経験から、村人の動員数や作業量がどれくらいになるのかが分かっているので、一日一人当たり100本の苗木を植える、というような無謀な数字は出てこない、と思ってみれば・・・



「では、4つの山の山頂付近、合計5ヘクタールに、10種類の種を埋めたり蒔いたりという作業、どれくらいでできますか?」

「そうですね、6人で4日間あればできますよ、ラマラジュさん」

「それはスゴイ。ところで、一人でどれだけの種を、あんな高い場所まで運べるのですか?」

「う~ん、まぁ10キロくらいがせいぜいだと思いますよ、キョーコさん」

「あ、そうだ。埋めるための道具とか、飲み水、お昼ご飯も持って上がらないと!」

「上り下りだけで、結構時間がかかるなぁ。しかも、4つの山でしなくちゃいけないんだ・・・」

「となると、6人で4日間はムリってことか。」

貯水池の堆積土の除去や水路の整備などの作業では無茶な労働計画は出てこないが、初めて計画する植林になると、すぐに無謀な作業計画をはじき出す村のオジサンたち。しかし、一回考え方を整理できると、山腹付近での植林作業計画でも、暴走しかける計画を自ら省みることができるのが、やはり昨年度に何度も何度も「一羽の鶏を100人で食べるのか」と刷り込まれたおかげであろう。

そうして、出来上がった中期活動計画。

「灌漑に必要な水量を貯めるためにはどれくらいの大きさの貯水池が必要なのか?」

「土中の保水度を向上させるには、どうすればいいのか?」

「度重なる土砂崩れを防ぐには、何が必要なのか?」

「水源地を涸れさせないためには、どこに何をすればいいのか?」

そして、

「将来の補修や管理に必要なコストをどうするか?」
ということも、それぞれの村で考えた。

事業当初は「オラの田んぼにさえ水が来れば、それで良し」としか考えていなかった村のオジサン、オバチャンたちだったが、「オラたちの山に木があって、水が涸れることなく、村のみんなでずっと田んぼで米が採れているように」と考えるようになり、そして活動計画を作り上げた。
事業開始から約20ヶ月が経っていた。

「よし、大筋ではコレでよかろう。マ村、ポ村、ゴ村の皆の衆、早速作業に取り掛かるが良い。ただし、植林のデザインを仕上げてから、植え始めるのじゃよ。」
と、黄門様から印籠を見せられて、喜び浮かれる村のオジサン・オバチャンたち。

「雨季が始まるまでに、灌漑設備の建設を終わらせないと!」

「種や苗木も、早く集めないとね」



雨季の前触れのように、空が暗くなり風が吹き荒れる日も出始めたこの頃。今年は平年並みに雨が降る予想が出ており、村の人たちも期待で一杯だ。

さてさて、これからどのように活動計画が実行に移されるのか。

スタッフも村の人たちも、空模様と活動計画を見比べながらの日々が始まる!


3. 注意書き

黄門様=和田信明。特定非営利活動法人ソムニード(現ムラのミライ)の代表理事。村のオジサン・オバチャンたちが1センチにもこだわって、灌漑設備のサイズやら予算やらを計算しているため、嬉しい悲鳴を上げている。

ラマラジュさん=頭の中の計算器のバージョンアップが著しく、活動計画に書かれたサイズやコスト、労働日数をものの数秒で検算するようになった。

筆者=前川香子。活動計画作成が終盤に近づくにつれ、暗算するという機能を放棄。


2009年4月13日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第12号「七転び八起き、活動計画への道のり(3)」(2009年4月13日、23日に前編、後編に分けて発行)

 

目次

1. 活動計画は”作ったら終わり”じゃない
2. 森林と灌漑設備の専門家に学ぼう
3. どんな地図が必要なの?

1. 活動計画は“作ったら終わり”じゃない

一年で一番涼しい時期である1月、マーミディジョーラ村(以下、マ村)やポガダヴァリ村(以下、ポ村)、そしてゴトッゥパリ村(ゴ村)のオジサンやオバチャンたちは、今まで何のメンテナンスもしてこなかったため池など、灌漑設備の底にたまった堆積土の除去や土手の補強作業をしていた。

前回から続いている活動計画作りの中から最優先活動を取り上げた、2008年度版活動計画の実行なのだが、計画したとおりの期間内に作業を開始して終わらせられるのは、十ある作業の内一つか二つ。
「どれだけ進んだかな?」と、村でもオジサンたちがファイルにとじている活動計画表を見ながら、村の人たちと巻尺で作業途中のため池の体積を測り始めると、まだ何も聞いていない内から
「いやぁ、思った以上に土が固くてねぇ」とか、
「来ると思ったオヤジ連中が来ねえんだ」とか、なんやかんやと理由をつけて予定通りに作業が進んでいない言い訳を始めるのだが、とりあえず途中で放り出すことなく完了させてきた。
「とりあえず掘っちゃえ」とならないよう、活動計画表をいつも見るように促し、ため池の体積が作業前に比べてどれだけに増えているのか、村の人たちとチェックしては目標サイズと照らし合わす。



労賃の支払い日には、自分たちで記録付けている作業記録簿を提出してもらい、各村人への支払額を算出する。そして、今回、甘く計算していた作業期間や、一日の作業ペースを見直して、これから完成させていく中期活動計画表に反映させていくべく、マ村・ポ村・ゴ村のそれぞれの作業内容や労働延べ日数を共有する。

手足だけを使う労働者ではなく、自分たちで計画して、責任者が指揮して、労働して、記録も付けるという一連の作業に勤しむ村のオジサンやオバチャンたち。

 

2. 森林と灌漑設備の専門家に学ぼう

そんな忙しいオジサンたちの元へ、南隣の州、タミルナードゥ州から列車に揺られること1日半かかってやって来たのは、森林専門家のティナガランさんと灌漑設備の専門家シバナッパンさん。

二人とも80歳近い高齢だが足腰は強く、陽が照りつけるフィールドでもヒョイヒョイと歩き回る元気なオジイチャン達。



早速村に入ると、「このため池へはどこから水が流れ込んでいるんじゃ?」「この斜面には石垣があれば良い」「この村には○○という木はあるのかの?」「岩だらけの場所での植林は、まずこうすればいいんじゃ」と矢継ぎ早に質問やアドバイスが飛び交い、ラマラジュも声をからしながらの通訳をする。
そして、二人がマ村を訪れたとき、私たちはものすごい発見をしたのだ。

今までチャタジーさんや黄門様が2回ほど訪れたチェックダム(よもやま通信第1号、第7号参照)。今回もこの場へとみんなでゾロゾロと歩いていったのだが、マ村の人たちの作業によってつもりに積もった泥が取り除かれて、以前は見えていなかった底など全貌が明らかになっていた。



そしてこれを見たシバナッパンさんは、「おい、これはチェックダムではないぞ。水の流れを変えるための水壁じゃ」と指摘。
ダンダシを含めて狐につままれたような村のオジサンたち。
これはいわば、「露天風呂」だとおもっていたら実は「池」だった、というくらいのマヌケな発見であるが、堆積土除去作業のおかげで遺跡発掘というオマケがついてきた。

ポ村、マ村は、村の中で二人の専門家から色々とアドバイスを受け、ゴ村は研修センターでのまとめの日にマ村やポ村の振り返りの発表を聞いた。そして、「理解したこと」「これからの作業」を、山頂部、中腹部、裾野のそれぞれでリストを作成、発表したのだが、ゴ村のプレゼンでは、山頂からでも作物を収穫するような植林計画を自信満々に発表した。

「これまで研修してきたことが抜けてしまったのか!?」と危ぶんだ筆者たちは、山頂から裾野までの特徴を尋ねると、青年モハーンはこう答えた。

「山頂とは、人間で言うと頭の部分。中腹はおなか、裾野は足の部分に当たります!」
さらに尋ねる。

「で、山頂が頭なら、それはどういう意味ですか?」
「え~っと、てっぺん」

「・・・・・・・・・」
このやり取りを聞いていて、文字通り頭を抱えるポ村のパドマ。

私やマ村のダンダシがゴ村に行って、山頂から裾野部分まで、それぞれの区域の特徴とか必要な作業とか話したのに・・・。なんで覚えてないの~?」
一回だけの研修で、すっかり理解できたら私たちも嬉しいんだけどなぁ、と思った私たち。「またゴ村に行かなくちゃ」と、鼻息荒く決意するパドマだったが、自分が研修で教えたことをモハーンが答えられないことにず~っと、「どうして・・・どうして・・・」とつぶやいていた。

シバナッパンさんやティナガランさんたちが来る直前の中期活動計画作りの研修では、「専門家がやってくるよ」と聞いたとたん、

「新しいため池が欲しい」

「石垣が作れたらいいな」
と、この事業が開始した当初の「何かがもらえるかもモード」に一瞬逆戻りしたオジサンたちだったが、二人の専門家がタミル・ナードゥ州へと帰っていった後から、再び「自分たちでやらなきゃモード」に突入し、体積がどれくらいあれば、自分たちの農地が灌漑できるのか、再び計算機をたたき出した。

そして次に村に現れるのは、飛騨高山からやって来た測量の専門家!

 

3. どんな地図が必要なの?

稲刈りも終わって当分農作業も無いオジサンとオバチャンたちの元へ、二人のオジイチャン専門家の次にやって来たのは、飛騨地域で農場も営む測量の専門家、ワニさん。

マ村(マーミディジョーラ村)、ポ村(ポガダヴァリ村)、ゴ村(ゴトゥッパリ村)のオジサンたちは、自分たちで描いた地図を使って、今、村にある灌漑設備や今後の植林計画などについて説明したところ、「皆さんの地図もスバラシイ」と、測量専門家のワニさんからお褒めの言葉が!

そして、「これからどんな地図が必要ですか?」「誰が使うのですか?」と、ソムニード(現ムラのミライ)でおなじみの質問攻撃がワニさんからも繰り広げられる。しかし、世の中にどんな地図が存在するのかほとんど知らないオジサンたち。
初めての場所に行くにしても、「人に聞いていけば着けるさ」

山の高低や斜面の傾度にしても、「あの山がこの山よりも高くて、斜面がちょっと急なんだよな。オラたち知ってるよ」

田んぼの位置にしても、「オラの田んぼは、○さんと□さんと△さんの田んぼに囲まれていて、水路から水を引いてるよ」

等々、地図などなくても「オラたちの取って知ったる村の中」と、感覚的に生活を営んでいける。
そこで、ワニさんが様々な地図を紹介した。

「コレはワタシの農場で使っている地図ですが・・・」と、まず最初に見せた図面は、広大な田んぼを栽培している米の種類ごとで色分けがしてある、縮小サイズの違う図面を2つ。
稲作中にどのようにこの図面を利用しているのかを具体的に紹介すると、オジサンたちからは「オラたちの田んぼも、土が肥えている所、痩せている所、灌漑のやり方とかを、こうした図面にすることができるかも」という声も挙がってきた。
そして、

「地図には、自分たちだけで使うものと、他人と共有するものの2種類がある」
ということを、田んぼの耕作用の図や温泉の位置図、道路マップ等々を見せてくれて、さらに、
「地図を作るにも、測量が必ずしも必要ではない」
と、ワニさんのおじいさん達たちが昔、測量機材を使わずに水路を築いた方法も紹介して、オジサンたちを力付けてくれた。

ポ村では、測量機材を使わずに巻尺とペンと紙と、そして観察眼で、距離や建物、田畑の位置を記した地図を実際に作ってみることになったのだが・・・

30メートルの巻尺をもって、村の入り口からある地点までを測っていく村のオジサンたち。測っているオジサンたちは30メートルごとに地面に印を付けて、頭の中で「30メートル、60メートル、90メートル・・・」と計算していった。

「で、距離はどれくらいあったんですか?」と、測り終わったオジサンたちに尋ねる筆者

「はい、360メートルです」と、村のオジサン。

「え?390メートルじゃないの?」と、ソムニードのスタッフ。

「あれ、ボクがメモしたのでは420メートルだけど」と、ワニさんがメモを見せる。

「?????」
オジサンたちが測っていくのをみんな一緒について歩いていったのだが、てんでんバラバラ、しかもオジサンたちとワニさんでは60メートルもの誤差が出てしまった!

「じゃぁ、ワニさんが正しいということで」と、オジサンたちの方が正確なのかもしれないのに、安易に何も考えずにすまそうとするオジサンたちだったが、もう一度最初から測っていくことにした。



 

スタート地点を「ゼロ」として、30メートルの印ごとに「1、2、3・・・」とマーキングをしていくようワニさんからのアドバイスどおりに測りなおした結果、

「やっぱり420メートルだった」と、なぜか得意気なオジサンたち。

距離がわかってヤレヤレと安堵しているオジサンたちに、ワニさんからさらに質問が飛んでくる。

「では、田んぼは(マーキングの)何番目から何番目までありましたか?」

「お寺はどのあたりの地点にありましたか?」

「大きなマンゴーの木はどこにありましたっけ?」

「集落は、何番目から始まりましたか?」

などなど。

「え~と4番目から田んぼだったっけ」と、感覚で認識しているためにあやふやな答えしかできないオジサンたちに、もう一度実際に見てもらって、それを黒板に落としていく。

そして集落やら田んぼ等々の情報が図に加えられていき、測量機材がなくても出来る地図の一例が、オジサンたちの目の前に現れた。



マーキングをする意味、情報の取り方、地図の書き方のポイント等にフムフムとうなずくオジサンたちだったが、これはあくまでも、地図の作り方の一例であって、根本的に考えなくてはいけないことは、

「誰のために、何の地図が必要なのか?」

ということである。

このワニさんのインプットが、いつまでオジサンたちの頭に残っているか、少々不安もあるのだが(前編の中のパドマの嘆きが再び聞かれそうな・・・)、活動計画を最終化する時、そして植林や灌漑設備の建設作業が始まるときに、きっと何人かは思い出してくれるはず・・・!

今年は、涼しいはずの1月2月も早くから暑くなり始め、今は、村に出かける時間帯が早朝か夕方に限られつつあるのだが、活動計画最終化に向けて、今日もオジサンやオバチャンたちが待つ村へ、汗を拭き吹き山を登っていく筆者たちだった。

次号に続く



4. 注意書き

ティナガランさん=元森林局のトップで、知らない植物はない植物博士。

シバナッパンさん=三度の飯よりチェックダムや石垣等々が好きな元大学教授。ティナガランさんもシバナッパンさんも、ソムニードの古きよき友人たち。

ラマラジュ=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。村のオヤジたちに上手くアメとムチを使い分ける。

黄門様=和田信明。ソムニードの代表理事。

ワニさん=和仁一博。測量専門家でソムニードの理事。飛騨地方で休耕地を利用した農場を営む。

筆者=前川香子。一度にたくさんの専門家たちから教えを受けて、オバチャンたち並に脳みそ沸騰中。