普段は少ない「事実で話を聴く」ケース
メタファシリテーション®講座に参加した皆さんのなかで、特に初めて対話練習をした際に、「だいたいは〜」とか「いつもは〜」、「みなさんは〜」「○○は好きですか?」という、事実は聞けない質問を無意識に連発してしまった記憶のある方は多いことでしょう。
YouTube、テレビ、ラジオにアクセスすれば、相手の「考え」を聞いているインタビューや、出演者のやりとりにあふれています。一度試しに「事実で話を聞くスイッチ」を入れて、耳から入ってくる情報を注意して聴いてみてください。「事実」を聞いている質問がどれだけあるでしょう?そして「事実」でこたえているケースもかなり少ないことに気づかれると思います。
「事実で話を聞くスイッチは通常オフになっている」という理解でいると、「ここは詳しく聞きたい」という場面で、スイッチを入れねば〜と切り替えることができます。
ただスイッチを入れたからといって、すぐ事実だけで聞けるかというと、そういうわけではないのは講座に参加された皆さんはよくご存知で、やはり日々の練習次第にはなるのですが…。
「事実」を聞かれることに慣れた子どもは...
さて、講座などで繰り返し「事実を聞く質問(以下、事実質問)」について話している私ですが、家にいるときも、常に「事実質問スイッチ」をオンにしているわけではありません。
とはいえ、子どもの話を聴くときはなるべく家にいてもスイッチをオンにしようとは心がけています。
来年15歳になる息子は、生まれたときからかなり長い時間、親から「事実質問」で話を聞かれ続け、聞かれることにも、答えることに慣れています。おまけに彼は、ムラのミライの認定トレーナーたちからも、言葉を覚え始めた時から、事実質問でたくさん話を聞いてもらって育っています。小さな頃は各地の出張に連れて行っていましたから、各地の研修先で、研修参加者からもあれこれと事実質問で話を聞いてもらってきました。
ある日、「事実質問スイッチ」を完全オフにした私(親)は、息子に「期末テストどうだった?」と聞いてしまいました。「あ、しまった!」とすぐに気づきましたが、時すでに遅し。ため息混じりの息子から逆に聞かれたのは次のような質問でした。
・「何日間か期末テストはあったけど、いつの試験のことを聞きたいの?今日の試験のこと?」
・「今日も何科目か試験あったけど、どの科目のこと?」
・「その科目の前回の期末テストと今回のテストの点数の違いが聞きたいの?」
私の「どうだった?」という質問では、「期末テストの何が知りたいのか?」が明確でなかったことがわかり、おまけに…
・「◯◯というサイトを見るとテスト結果がわかるけど、もうそのサイトみた?」
と、これまでに私が彼のテスト結果を知るためにやってみたことがあるかどうか(経験)を
も確認されました。
それらの質問に息子が答えたり、私が学校のサイトを見たりしているうちに、息子の期末テストの結果はわかりました。
私の「どうだった?」にしばらく付き合った後、息子は「過去はもう振り返らない、前しか見ない。」と言い残し、自分の部屋に入っていきました。
「どうだった?」質問に慣れると...
「何も考えずに期末テストどうだった?」と聞いていたことを、みるみる質問した人(私)に気づかせていくこの質問の数々。期末テストの結果はともかく、さすがこれまで事実質問で聞かれ続けているだけあるなあ〜と感心してしまったのでした。
私が14、15歳だった頃、「期末テストどうだった?」と親に聞かれれば、真っ先に親を心配させないように、細かくテストのことを聞かれないように、という類のことを一瞬で考え、「まあまあがんばったよ」と当たり障りのないように答えていたかと思います。
その「一瞬で考える」作業は、期末テスト以外でも、「最近友だちとどう?うまくやってる?」「体の調子はどう?」「最近、部活はどう?」「進路どうするの?」「新しい担任の先生どう?」「○○検定どうだった?」「体育祭どうだった?」「今日のご飯どうだった?」などなど、「どう?」と聞かれる度に繰り返され、反射神経のようになってきます。相手のことを忖度した回答を一瞬で考えて、当たり障りのないように答える、これを繰り返すと、どうなるでしょう。
そうです、習慣になってしまい、相手への忖度なしで返事ができなくなっていくのです。反射神経が鍛えられ、「どう?」と聞かれたら一瞬で、相手が期待することを考えて答える癖がついてくると、恐ろしいことに相手の忖度した答えが、自分の「答え」のように思えてきてしまうのです。一つ一つのやりとりは、大したダメージを与えませんが、何年も繰り返されれば、忖度に疲れてしまい、「誰とも話したくない」「誰も私のことは聞いてくれない」「忖度する直前の自分の答えがわからいない」となっていきます。
事実質問で鍛えられる、子どもの「相手と分かり合う力」
周りの複数の大人から、「どう?」と聞かれ続けてきた10代の頃の私とは対象的に、事実質問で聞かれ続けてきた息子のような子どもは、相手が細分化せずに、ぼんやり聞いてくる質問にも、事実で答える、質問を確認する、クセがついているようです。
それは言葉を覚え始める年齢から始まるようで、事実で話を聞く訓練を重ねてきた人たちの周りの子どもたちにも共通しているようです。そうした子どもたちに、ついうっかりと「どう?」「なんで?」「みんなもそう?」「すぐ○○するね」などと言ってしまったとき、認定トレーナーや訓練を繰り返してきた講座参加者の周りにいる子どもたちは、私と同じような目に合い、子どものほうから質問されてしまうのです。
・「調子、どう?」というのは、今の状態?それとも朝学校に出かける前のこと?
・「宿題終わった?」と聞いてきたけど、今日は何と何が宿題にあって、そのうち今の時点で、何が終わって、何が終わってないかを聞いてくれたら答えるよ。
・「みんなもそう?」というけど、「みんな」ではないよ、Aさんと、Bさんだけだよ、
・「すぐ帰るね」って、「何時くらいに帰れそうってこと?」
という具合です。
どの子も、相手と事実で分かり合う癖がついています。まだ私の実体験と、認定トレーナーや講座受講者の声がちらほら聞こえてきただけの状態ですから、そういう子どもの数は多くはないのですが、大人の事実を聞く訓練の成果が、子どもからもわかります。
自分で考え、自分で解決策をみつける練習
「どうだった?」以外にも、「なんで?」「〜が好きなの?」「毎日〜しているんだね」「あなたの考えは?」「今の気持ちは?」といった「考え」や「感情」を聞く質問を繰り返しされても、子どもは、大人に忖度して答えることはできるようになっても、それらに的確に答えられるようにはなりません。
一方で、大人に事実で聞かれてきた機会が多い子どもは、生まれながら性格や能力といった部分に大きく頼ることなく、毎日の繰り返しで、知らず知らずのうちに、相手と事実で共通理解を得る力が鍛えられていきます。これは大人が事実を聞く質問で自らのメタ認知を鍛えているのと同時に、子どものメタ認知力も鍛えられている、と言えるのではないかと思います。
大人の質問に答える、子どもも質問する、大人もそれに答える、というこの対話の時間の長さが、そのまま信頼関係につながります。大人から聞かれる事実質問に答えていくうちに、子どもが自然とそのときの考えも感情も的確に伝えられるようになっていきます。
この普段からの積み重ねは、やがて子どもが何らかの問題に直面したときに、問題が生じた背景を事実で細分化し、細分化した部分のどこに解決策があるのか、自分で考え、周りの人からの助言を求めてゆくことにつながると思います。
子どもの話が聴ける大人を増やしたい
ムラのミライでは、大人も子どもも圧倒的に一般的な質問にあふれた環境のなかで、1人でも多くの大人が、子どもの話を事実で「聴ける」ようになるにはどんな方法がよいのか、試行錯誤が続いています。
そんな試行錯誤の一つが、コープともしびボランティア振興財団に助成いただいた「子どもの話を聴く技術 体験プログラム」です。
学童保育や子どもの居場所、スポーツクラブなど、子どもと接することが多い人にこそ、この「聴く」技術を身につけてほしいと思っています。90分の講座(オンラインと対面)、個別フォローアップ(事実だけで話を聞いてもらう体験もできます)、動画(マイクロラーニング)をセットになったプログラムです。この体験プログラムは、兵庫県の子ども支援者の方限定ではありますが、11月、12月にはオンラインで全国の子ども支援者の方たちを対象にした講座も予定しています。
引き続き、講座の様子や受講された方たちの声、事実質問をされた子どもたちのお話などもご報告していきますので、お楽しみに。
原康子(ムラのミライ研修事業チーフ)
イラスト:Moto