中田さんが私のことを最初に触れたのは、中田さんの著書「ボランティア未来論」(コモンズ 2000年)の中でです。前回お話ししたラオスでの共同評価が終わって間もなく、中田さんは、プリントアウトした分厚い原稿の束を私に送ってきて、次に出す予定の本の原稿だけど読んでくれないかと頼んできたのです。私は、その原稿を出張先の宿で夜読み始めたのですが、途中で辞められなくてついにほとんど徹夜をして読んでしまいました。それほど面白かったというか、むしろ身につまされる内容でした。
ところで、この本で私がどんな「登場」の仕方をしたかというと、こちら側(先進国であると自認する日本)が途上国に持ち込むプロジェクトが持ち込まれた側の現状をしっかり把握していなければ齟齬を来す、双方の取り決めも形骸化するということを実際に評価のために視察したプロジェクトの現場で明らかにした場面でした。この時俎上に登ったのは森林保護案件と農村開発プロジェクトでしたが、
「…和田信明はNGO界きっての農村調査のエキスパートであって、彼の巧妙なインタビューが(保護林でのある程度の伐採を)村人だけでなく地域の役人も黙認していることを明らかにしたのだった…」(前掲書p222)という風に紹介されています。引用が長くなりますが、さらにその先には、「彼ら(プロジェクトを持ち込む側)には、残念ながら、村の人々が問題をどうとらえているか、その問題の真の原因は何なのか、村人にとって実行可能な解決方法にはどのようなものがあるのかを、村人の視点に立って分析し把握するという姿勢が余りなかった…和田は、このような村人と共に問題を分析していく一連のプロセスを、『共同体に基づく課題の分析』のプロセスと呼んで、開発援助プロジェクトを実行していく上で最も重要なプロセスであると位置づけた。私たちは彼のそうした考えに従って、調査したプロジェクトがどの程度それができているかを見ていったのである。」(同p223)
前回書いた通り、この「共同体に基づく課題の分析(Community-based
issue analysis)」は「私の」ではなく借り物の概念です。しかし、その元ネタにはそれをどうやって具体的にやるのかは書いてありません。そのやり方そのものは、私が試行錯誤を繰り返しながら独自に築き上げたと言えるかもしれません。
さて、大いなる共感を持ちながら、というか身につまされながら原稿を読んでいた私は、突如私自身のことが記述された箇所が出てきて最初は驚きました。しかも「NGO界きっての農村調査のエキスパート」なんて言っちゃっていいのかな、なんて思いましたね。ただ、日本のNGOだけではなく、海外のNGOも知っている中田さんがこのような表現の仕方をするとは、一体この業界の農村調査って何を見ているんだろうと疑問にも思いました。実際、この評価においては、特にNGOもODAも「住民参加」というレベルでは、何の差も見られなかったし。つまり、両方とも「住民参加」は私の見るところではお題目に止まっているし、金の掛け方の差はあっても、方法論の差はなかったし、で、おやまあ、という感じでした。
この稿を書くにあたって「ボランティア未来論」を改めて読み返してみると、流石に中田さんは慧眼だったな、と思わせるところがあって、実はこの時すでに、「参加型コミュニケーション」のためには「問いを突きつける」技術が必要(同p273)だと喝破しています。その例に挙げているのが、堰の建設にいくらコストがかかったか知っているかという問いを村人に聞き続けた私のインタビューでした。ちょっと長くなりますが、そのくだりを以下引用します。
「…その際、団長の和田がひとつの質問への固執を見せた。それは、その堰の建設あるいは補修にいくらコストがかかったかを知っているか、という質問だった。村の水利組合の委員長にまずたずねたが、彼はそれを知らなかった。次に村長に聞いたが同じだった。さらに彼は、関係する数人の村人に同じ質問をしたがやはり彼らも知らなかった。…和田は、専門家たちの顔を横目で見ながら、村の責任者にさらに聞いた。『建設コストを知らないで、どうやって将来の補修に備えるのですか。』彼はそれに答えることができなかった。…住民参加を目指すといいながら、このプロジェクトでは、事業の核心部分である堰の建設は、自分たちだけでやっていた。セメント運びや水路掘には、村人が参加した事は確かだが、誰もコストを知らないのでは、本当の意味での参加とはいえない。…和田は、自らの経験から、『建設コストを知らなければ、自分たちで補修資金を積み立てようがない』という当たり前の理屈の重要性を知っていた。その前提に立って、彼は、その場でプロジェクトの構造についての仮説を作り、それに沿って質問を組み立てていった。これこそ、参加型開発のコミュニケーションの技法の真髄といえるものであった。ボランティアに必要とされている技能もこれなのである。ただし、この技能はマニュアル化によって伝えられるものではない。教室の中だけで学べるものでもない。相手との対話の中で、現実から学ぶよりほかないつまり、『共』に生きる中で身につけるしかないものである。」(同p274〜276)
中田さんは、私のパフォーマンスを表現するのに、「技術」、「技法」、「技能」という言葉を使っています。念のためにそれぞれの語義をネットの辞書で引いてみると、
「技術」
1 物事を取り扱ったり処理したりする際の方法や手段。また、それを行うわざ。
2 科学の研究成果を生かして人間生活に役立たせる方法。
「技法」芸術などで、技術上の方法。手法。
「技能」あることを行うための技術的な能力。うでまえ。
とあります。それぞれ似たような意味ですが、決まった方法、手段があって、何事かに対処するとき必ず一定の結果、それも当然ながらポジティブな結果を出すというところでしょうか。たった一度、何か際立った結果を出しただけなら、それはまぐれということかもしれません。しかし、どのような場面でも同じように結果が出続けるなら、それはそのような結果を導き出せる技術なり技法なりがあるということなので、中田さんは私のパフォーマンスを表現するに、「技術」、「技法」などという言葉を使ったのでしょう。何だかくどくどと書いていますが、要するにこの時期の私には客観的に見て「技術」なり「技法」なりが確立していたと言えます。つまり、現場での自信のようなものは、あながち私の独りよがりではなかったということで、正直私は中田さんの原稿を読ませてもらうことで目の前が開けたような気分になりました。
ところで、のちに私の現場でのパフォーマンスをネタにメタファシリテーションという万人が使うことのできる方法を体系化した中田さんですが、この「ボランティア未来論」を脱稿した時点では、まだそのような意図はなかったようで、私のようなことができるようになるためには、「相手との対話の中で、現実から学ぶよりほかないつまり、『共』に生きる中で身につけるしかないものである。」としています。しかし、この後、私の「巧妙なインタビュー」を執拗に観察し続けた中田さんは、ついにそこにある法則性を見出すに至ります。そして舞台はインドネシアへ。
和田信明(ムラのミライ インハウスコンサルタント)