今回は「例え話」の話から。
前回、一対多のやり取りでは、集会に集まった参加者の中で一番所在なげな表情をしているおばあちゃんをボトムラインに置く(というとモノみたいですが、要は、このおばあちゃんに話に加わってもらえないならこの集会はダメな集会だという基準になってもらう、もちろん私がそう心の中で定めているという意味ですよ)ということをお話ししました。そのボトムラインのおばあちゃん、ほぼ百パーセント動員され、そして話を聞いても分からないしつまらない。あるいは、分からないからつまらない。だから、集会が終わるまでぼんやりと過ごすしかない。こんなところでしょうか。難儀なことです。
そのおばあちゃんの胸中は、察するにあまりあるというほどではありませんが、私自身の類似の体験といえば、学校時代の入学式とか卒業式のうんざりする祝辞でしょうか。話に引き込まれて、思わず聞いてしまった、というような経験は皆無です。私の人生で他人の迷惑になったことがないと言い切れることは、自分がこのようなうんざりするような祝辞を述べる立場になったことがない、ということだけです。
さて、このようなおばあちゃんがいる集会で、私がなすことは、おばあちゃんが興味を持って話題についてきてくれる、発言もしてくれる、そんな集会にすることです。その手始めは、壇上から降りて会場のみなさんにできるだけ近づいてから話すこと。物理的に距離を縮めてしまうことですね。みなさんが床に座っている時は、私もなるべく床に座るようにします。これも、物理的に「上から目線」を解消するわけですね。もっとも、一旦座ってから、また立つこともあります。それは、会場の後ろの方から「おい、顔が見えないぞ」というリクエストというかクレームというか、声がかかった時です。少々あざといようですが、要は、これだけでも「こいつは何を話すんだろう」という期待を持ってもらうことができます。その期待が高まったところで、私が最初にすることは、会場に問いかけることです。例えば、こんな具合に。
「私は、今年で〇〇歳になりましたが、この会場で私より年上の方はいらっしゃいますか?」
すると、おずおずと手をあげるおばあちゃん(おじいちゃんの場合もあります)が大概いますね。ここで、おばあちゃん(場合によってはおじいちゃん)の歳を聞くようなことはしません。出生届とかないところで年寄りに年齢など聞いても、適当な答えが返ってくるだけです。自分でも、自分の正確な年齢など知らないでしょう。で、何を聞くかというと、
「あなたは、この村のお生まれですか。」から始めます。
すると、「いんや、ここではねぇ。〇〇村からお嫁に来ただよ。」というような答えが返ってくる確率が高い。こういう場合は、次に「お嫁に来たのは何年前か覚えてますか。」と聞きます。「さあて、50年以上前になるかねぇ」と答えが返ってくれば、大体15歳から20歳の間に嫁入りしてきたと考えて、このおばあちゃん、65から70歳くらいかな、という見当がつきます。今の日本では、70歳などというとまだまだ現役。でも、途上国の草深い田舎の村の70代と言えば、もうヨボヨボと言った見かけになります。きっと、日の光を浴びながら、日中激しい労働をしてきたのでしょうね。
私の知る限り、農村の女性は、朝暗いうちから夜遅くまで働き詰めです。朝暗いうちに起きてトイレを済ませ、というのはオープントイレットですからね。人目を避けなければいけません。そして、朝飯の用意をする、ミルクティーを作る、それもかまどの火を起こすところから始めます。朝飯を済ませると、家畜の世話、農作業などたくさんの仕事が待ってます。子どもがいたら、子どもの世話をしなければいけないしね。あ、忘れてました。朝飯前に、沐浴しますね。井戸端で、バケツ一杯の水で。この間、男どもは、トイレを済ませる、沐浴する、ミルクティーを飲みながら駄弁る、と、まあこんなところです。その間、女は水を汲みに行ったり、薪を撮りに行ったりと、くるくる働くんですね。都会と違って、時間はゆったりと流れてはいますが、それでも大変な労働量であることには、違いありません。そうやって年齢を重ねてきたおばあちゃんですからね、限りない共感を持って話を聞きましょう。
さて、何年前にお嫁に来たのか分かったら、ここから他の人たちも巻き込みながらさまざまなことが聞けます。例えば、「お嫁に来た時、この村に何家族いたか覚えてますか?」とか。「さあてね、何家族(何軒家があったかでもいい)いたかね。〇〇家族くらいだったと思うがね。」と答えが返ってきたら、「他にその頃を覚えている方、いますか。」と全員を見渡しながら聞いてみます。すると、大概は「覚えてる、確かに〇〇家族くらいだった。」などという声が聞こえてきます。この辺りから、おばあちゃんを入り口として、私と村人全体、は大袈裟として、少なくとも集会に来ている人たち全員とのやりとりが始まります。その頃、どこまで森はあったか、あの山の木はどのあたりまで生えていたか、田んぼや畑はどの辺りまであったか、水はどこから汲んでいたか、井戸はいくつあったか覚えているか、など、集団としての記憶を辿っていくことができます。こういう時は、多数を相手にしている利点が出てきますね。個人では思い出せない時も、他人の記憶によって自分の記憶が蘇ってくる、なんてことはよくありますからね。で、こんなやり取りを重ねていくと、ああ、あの頃は山全体が木で覆われていたのに、頂上付近にほとんど残っていないな、など、過去と現在の違いがみんなに明確にビジュアライズされていきます。この辺りから、樹木と保水の関係、土壌の流出が水の保全に及ぼす影響とか、漠然とした知識ではなく、どのようなメカニズムが具体的に働き、彼らの日常の営みに具体的にどのように関わっているのかを徐々に考えていきます。もちろん、私が問いかけ、彼らの答えを促す、そうしながら少しずつ知識を導入していく、という場面になっていきます。このような時に、知識を落とし込むのに有効なのが「例え話」です。
例えば、こんな風に始めます。「あの山を見てください。雨が降ると何が起こりますか。」すると、「水が流れる?」などの答えがおずおずと返ってきます。「そう、水が流れますね。どんな風に水が流れる?」と再び問いかけると、ここで皆は考え始めます。その時、私は、近くにいる髪のふさふさした男性を指差し、「例えば、この方、はい、立派なお髪をお持ちですね、と、私が一緒に朝水浴びをします。その時、二人同時に頭から水を被ります。どちらの髪が早く乾きますか?」。そう、こういう時都合がいいことに、私の髪は申し訳程度にしか残っていません。少々あざといやり方ですが、なるほどそういうことかという表情がこの頃になると皆の顔に浮かびます。「山に木がないと、水が流れてしまって、すぐに乾いてしまう。木があると、水はすぐには流れないし、すぐには乾かない。地面に沁み込むチャンスが大きいんだ。」とこんな具合に考えて答えてくれます。そこで、私は続けます。「私の頭も昔からこんな寂しい状態ではありませんでした。昔は、ふさふさしていて、頭を洗うと、髪が乾くまで時間がかかったものです。さて、あの山も、先ほど話されていたように、昔は木で覆われていた。その頃は、2年や3年で新しく掘った井戸が干上がってしまうなんてことは、なかったのではないですか。」と、詳しくは書きませんが、これ、みんなとやり取りをしながら、その場で得た情報を再びみんなに返していくところです。
ま、髪の毛の例え話がうまい例えかと言われれば、私としては苦笑するしかないレベルの例えですが、要は、その場の皆がすぐに分かる、身近な例を持ってくるということが肝心なことなのです。これなら、おばあちゃんも時々笑いながら、最後まで付き合ってくれます。
ところで、いつも都合よく例え話が見つかるわけではなく、おばあちゃんに分かってもらえるように説明できないこともあります。その中でも特にこれからお話しする例は、何年経っても忘れることができない、私にとっては悔しい思い出です。
ある村で、植物が酸素を出してくれる、これが空気中にないと私たちは呼吸ができないということを説明しようとしてどうしてもおばあちゃんにすぐに分かってもらえるような例え話をその場で思いつかなかったことがあります。目に見えないものを、つまりおばあちゃんが、これだと目や肌で確認できるものではないので、どう説明したらいいのか。だから、集会が終わる時も、おばあちゃんの顔には?が残ったまま。うーん、悔しい、と思いながら集会場を後にして、帰りの車に乗った途端に、思いつきましたよ。いい例え話を。どんな例えだと思います?
答えは、次回ご紹介します。言ってみればなあんだ、というような話ですが、皆さんも考えてみてください。ヒントは、おばあちゃんも恐らく何十年と毎日やっているあれ、です。
和田信明(ムラのミライ インハウスコンサルタント)