2014年3月23日日曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第11号「村の人からマダムと呼ばれる日」

 

目次

1.オラたちの代わりに
2.無難に過ぎる研修初日
3.スタッフの役割
4.パドマ・オバチャンの本領発揮
5.「マダム」になったパドマ・オバチャン
6.エンジン再始動!?

前回10号、そして番外編3で、B村での快進撃をお伝えしたが、村のオッチャンオバチャンそして青年たちの猛撃は止まることを知らず、文字通り自分たちだけで村の公民館(コミュニティ・ホール)を建設中だ。G村ではホウキ草の大量収穫で、他州から人手を雇うほどの繁盛ぶり。
1月にはお米の収穫、脱穀を終えてホクホク顔の村人たちだが、新たに事業に加わった村の人たちも、とうとう石垣作りに取り掛かった。研修による収穫も続いたこの数か月。山やら谷やらを乗り越えてきたオッチャンオバチャンたちの様子を、とくとご覧あれ。



1.オラたちの代わりに

11月下旬ごろから、このよもやま通信の舞台である農村地域ではお米の収穫が始まるが、お米を皮切りに様々な作物の収穫が山で始まる。タマリンド、ホウキ草、ターメリック、そして4月以降にはカシューナッツ、マンゴーが待っている。とりわけホウキ草は、刈り取っておしまいではなく、ホウキを作って仲買人に卸すので、ホウキ草が採れれば採れるほどに大量のホウキを作ることになる。
2007年から一緒に活動をしているゴディヤパドゥ村(G村)は、以前から「丈夫で軽くてしなやかなホウキ」を作ることで有名だったが、山での石垣による土留めや植林による土作りなどをしてきた効果で、一株の大きさ・量がだんだん増えて来ているのを実感している。

ラマラジュさんキョーコさん今年のホウキ草もグングン伸びています!今年は、去年の何倍もホウキが作れそうですよ」
「ワシのホウキ草畑も、土が流れないだけで、植物の育ちが全然違うわい」と、ガンガイヤ始めG村の村人たちは、11月頃からすでに筆者たちに「2月以降はボク達は忙しいです」宣言をしていた。
その言葉通り、2月どころか1月から徐々にホウキ草の刈り取りが始まり、ガンガイヤは他州から10人も人を雇って(仮住まいと食事と労賃を支給)、夜明けから日暮れまでホウキ作りに余念がない。30世帯弱のG村全体でこんな感じなので、筆者たちスタッフも村には行けない。ガンガイヤ他3名が、近隣の村で流域管理についての研修をする指導員となっていたが、もう研修どころではない。何しろ、このホウキ草での収入が、彼らの年収の9割に相当するのだ。
「それでも、ボクはもう一人の指導員と一緒に、なんとかして研修を行います!」と言っていたラヴィという青年指導員もいたのだが、とうとう彼もホウキの山から抜け出せず、ソムニードから指導員たちへ行う指導員研修にも出席できなかった。
研修のテーマは「活動計画」。いわゆるアクション・プランである。計画とは何か、活動計画とは何か、そして予算はどうやって計算するのか。アクション・プランを作って初めて、石垣や植林などの作業に入れるから、7か村のオッチャンオバチャンたちは、指導員たちによるアクション・プラン作り研修を今か今かと待っていた。ソムニード(現ムラのミライ)による指導員研修に来たのは、B村とP村の指導員10人のみ。G村からはとうとう一人も参加しなかった。
「14人で1チーム。チームとして3つの流域での研修をしていこう」と、今年だったか去年だったかに話していた指導員たちだったが、今までは自然と、B村はB村の流域、P村はP村の流域・・と、それぞれの流域内での研修を受け持っていた。G村の指導員が活動計画についての研修を行えない。となると、B村なりP村なりの指導員たちがG村流域の村々に研修に行かないと・・・と白羽の矢が立ったのが、B村の青年アナンドとP村のオバチャン、パドマ。G村が研修を受け持ってきた村々は「サワラ語」という彼ら独自の言葉を使う。アナンドたちB村の人たちも普段からサワラ語を話すが、P村の人たちは全くわからない。言葉も通じない、しかも女性。政治家や何か組織のリーダーでもない村の女性は、自然と低く見られがちな村社会。「指導員」と自称するだけでは、その実力が認められない限り、男性以上に女性が言うことは受け入れられない。オバチャン指導員パドマによる、言葉が違う村での初めての研修である。



2.無難に過ぎる研修初日

今まではG村の指導員たちから研修を受けて来たM村とK村。アクション・プラン作りに関して、B村のアナンドとラメーシュ、そしてP村のパドマが研修第1日目を担当した。
「みなさんこんにちは。僕はB村のアナンドです」とそれぞれが自己紹介をし、「G村の指導員たちがホウキ作りで忙しいとのことで、ボクたちが研修に来ました。さて、前回の研修は、いつでしたか?その時は、何についての研修でしたか?」
「コメの収穫の前だったからなぁ・・・」と、遠い目をして思い出そうとするM・K村のオッチャン、オバチャンたち。そうして順々に思いださせて、M・K村の人たちの理解度を探るアナンド。このやり取りは全てサワラ語なので、パドマはラメーシュに通訳してもらいながら、研修進行を追っている。
流域とは何か、石垣の役割は何か、川の水流を弱めるためには何が必要か、そういうポイントをアナンドが村の人たちと再確認して、いよいよアクション・プラン作り研修に突入した。
「では、みなさんに質問です。『スリカクラム(町の名前)にピクニックに行く』これは、計画ですか?」と、パドマが聞く。
「・・・え??」ぽかーんとする村の人たち。同じ質問を繰り返すパドマ。オッチャンたちはテルグ語(州の公用語)をある程度理解するので、これくらいのやり取りはテルグ語だけでも十分だ。
「え~っと、行きたいということは行くんだから、計画じゃないの?」
「いや、行きたいというだけじゃぁ行かないかもしれないし」
「それでは、『来週の土曜日に、スリカクラムにピクニックに行く』これは、計画ですか?」と、村の人たちの答えにはイエスともノーとも言わずに、次の質問を重ねる。
「あぁ、それは計画だろう」うん、うんと他のオッチャンたちもうなずく。
「では、最初の質問と次の質問では、何が違いましたか?」
「来週の土曜日、という言葉がついている」
「つまり、どういうことがはっきりしているのでしょうか?」
「来週の土曜日」
「つまり??」
「あぁ、『いつ(when)』ってことか」
ここまでは、村の人たちもテルグ語で応答していたが、だんだんとサワラ語で発言し始め、そして自然とアナンドがやり取りを引き継ぐことになっていった。顔の表情や、何となく出てくるテルグ語の単語で、村の人たちとアナンドのやり取りを推測するパドマ。いつの間にか、村の人たちも「計画とは何か」についてポイントを押さえ、計画を実現するための「アクション・プラン」作りの内容へと移っていっていた。
2月半ばは、夏直前の嵐が吹き荒れることもあって、この日も午後からは突風が襲い、村の人たちも指導員も、そして筆者たちも目が明けられないほどに砂埃が舞う研修場。予定よりも早く研修を切り上げることになった。次からは、アナンド達B村も、自分たちがソムニードから受ける研修やら石垣作りやらで忙しいので、M・K村への研修は、P村の指導員たちだけで行うことになった。



3.スタッフの役割

アクション・プラン作りは、例えば『来週の土曜日にスリカクラムにピクニックに行く』ということを実現させるために、一つひとつの行動について、誰がいつ何をどうするのか、について時系列でまとめるものだ。例えば、「タクシーの手配をする」とか「お弁当作りをする」とか「スリカクラムの公園にケータリングできるか調べる」などなど、来週の土曜日に確実にスリカクラムに行き何をするか(遠出をすることを「ピクニック」とこちらでは言う)、そしてそれにいくらかかるのか、を一目で明らかにする。M・K村から約10人ずつ参加した2日目の研修では、それぞれの村ごとにグループを作って、アクション・プラン作りの練習をした。この日の指導員は、P村のパドマと、青年指導員チャンドラヤ、そして睨みを利かすにはぴか一の年輩指導員ダンダシの3人。ソムニードからは、ヒロアキとスーリーというフィールド・スタッフが、研修のモニタリングを行った。
その日は、ラマラジュと筆者はB村での農業に関する研修を行っていたため、ヒロアキとはそれぞれの研修が終わって後、途中の町で合流する。
「今日は、スーリーが何かとしゃべっていたのですが、これって、良いんですか?指導員による研修ですよね?」と車中で筆者に尋ねてくるヒロアキ。詳しく確認していくと、指導員たちがポイントを言う前か後かは言葉の問題もあって判別していないが、何かとスーリーが口を挟んでいた、ということは明らかになった。
「村の人たちの理解度を助けるために、私たちスタッフが介入することが必要な時もあるけれど、それはやり方と聞き方次第だよね」とのみ伝えた。
そしてアクション・プラン作り研修の最終日となる3日目を迎えた日、この日の指導員はP村のパドマとダンダシの2人。この日は、ビシャカパトナムの町、M・K村、B村と3か所に筆者たちスタッフも分散してのそれぞれの業務。筆者は、パドマ達による研修のモニタリングをスーリーとすることになった。
「では、前回の確認をしましょう。誰か、前回学んだことを話してくれますか?」とパドマがテルグ語で言うと、M村の青年がすっくと立って、前回使用した模造紙を見せながら、他の参加者たちにサワラ語で話した。そして、「今、こう言いました」とテルグ語でパドマに簡単に共有している。
この時、青年のパドマに対する言葉遣いや態度が、1日目と少し違うことに気づいた。きっと、前回の研修で、口を挟まれようが何をされようが、パドマの研修のやり方がうまくいっていたのだろう。


4.パドマ・オバチャンの本領発揮

「では、予算の計算の仕方のおさらいです。ミールス(お昼の定食)一人分が30ルピーで15人が食べる時、お昼代は合計いくらになりますか?また、その計算式は、どう書きますか?」すると、またM村から別の青年が立って、黒板に何とかして計算式を書き出す。パドマと何回かやり取りして、ようやく正しい計算式と答えが出る。M村は参加者10名中、文字の読み書きできるのが5・6名。K村は参加者10名中0名。村の中で唯一読み書きできる青年が、今日の研修には参加できていないのだ。前回の練習問題でも、この青年がほぼしゃべったり練習問題に取り組んだりして、他のK村の村人たちは、ただ座って見ていたらしい。
「他のみなさんも、わかりましたか?」とパドマがM・K村合計20名の参加者に尋ねる。
「うん、よくわかった」と、オッチャンオバチャンたちが口をそろえる。
「じゃぁ、次は自分たちの山で行う石垣作りなどのアクション・プランを作っていきますよ」と進めていこうとするパドマに、筆者は「スミマセン」と手を挙げた。
「次に進む前に、ちょっとお聞きしていいですか?」
「はい、どうぞどうぞ」なんだろう、と参加者たちも興味津々の顔で見つめてくる。
「私、テルグ語文字を読むのが得意じゃないので教えてほしいのですが、今、『一食30ルピーの定食を15人が食べる』という例を挙げたのですよね?その式の中では、どこが『一食30ルピー』でどこが『15人』というようになっているのですか?」
「こことここです」と、M村の青年が答えてくれる。
「じゃぁ、前回のおさらいででてきた『バス一人分チケット150ルピーを15人分買う』というのは?」
「こことことです」と、またM村の青年が答えてくれる。
「じゃあ、今度はK村の人に教えてほしいんですけど、30ルピーの定食を10人が食べる、と言う時にはどこの数字をどのように変えればいいですか?」
「えぇぇ、そんな事言われても、どこに何が書いてあるのか知らないよ」と、K村の人たち。


この様子を見て、パドマはぴんと来た。(この時、何かを言いかけるスーリーを目で制す筆者。)
「皆さんが石垣を作る、堰堤を作る、植林をする、という時に予算を立てますよね。予算の書き方、つまり必要なお金の計算の仕方、書き方は決まっています。なので、文字が読めなくても書き方が分かっていれば、どの数字が何を意味するのか、分かるんじゃないですか?」と、パドマ。
「じゃぁ、もう一回言ってよ」とK村のオバチャンたち。
「M村のバンパイヤさん、絵を描いてみてもらえますか?」と、パドマが言う。照れながら、ご飯の絵を『一食30ルピー』の下に、人の形をした絵を15体、「15人」の下に描くバンパイヤ。
「じゃぁ、一食30ルピーの定食を10人で食べる、という計算はどこをどのように変えますか?」とパドマが聞くと、お互いの背中を押しあいながら、K村のオッチャンが一人ようやく前に出てきて、15人の絵から5人分の絵を消し、「ここが10人だ」と数字を入れて、そそくさと黒板から逃げる。
「合計金額がそのままだ」と、別のK村のオッチャン。お前が書けよ、と別のヤジが飛んで、合計金額も300ルピーに直される。
こうして、色々な例で試して、テルグ語での計算式は『単価がxxで量がyyなら合計金額はzzルピー』と書くようになっているんだということが、K村の人たちにも染み込んだ。

 

5.「マダム」になったパドマ・オバチャン

そして、自分たちの山で設置する、石垣や堰堤に関するアクション・プラン作り。すでに、山のどこに何メートルを設置するか測定をしているので、例としてM村の測定表から石垣2基を取り上げて、アクション・プランを全員で考えてみる。
「では、この役割分担という項目には、誰の名前を入れますか?」とパドマが尋ねる。
「AさんとBさんとCさんとDさん」とM村の人たちの答えのままに、模造紙に書く青年。
「何の役割ですか?」
「いろいろ」
「人を集めたり、作業記録を付けたり、長さを測ったり・・」この時、スーリーが何かを言いかけるのを、「まぁ待ってみて」と制止する筆者。
「じゃあBさんが、急にお腹を壊して、この日に作業ができない場合、Bさんの役割はどうしますか?」とパドマが訊く。
「Eさんに代わってもらう」
「何をしてもらうのですか?」
「・・・・あ、そうか。誰が何の役割をするのか、最初にはっきりさせておかないといけないんだ」村人たちの顔つきが、より一層クリアになっていく。
ポイントを、村の人たちから言わせるパドマ。もう立派なファシリテーションのスキルでもって、研修を行っている。パドマたち指導員たちのファシリテーションのサポートも、筆者たちモニタリングの役割の一つだ。そして、M村、K村それぞれのアクション・プランを作成する時には、パドマがK村の人たちの言うとおりに紙に書いた。
「1メートル当たり80ルピーで50メートル設置なら・・・・・・4,000ルピー」と、ブツブツK村のオッチャンオバチャンたちが言っている。
「パドマ・マダム、ここはこうやって書けばいいんでしょうか?」と、M村の青年たちがパドマに質問してきた。初めてパドマが研修に来た日は、名前すらも呼ばなかった村の人たちが、今は「マダム」と呼んでいる。
そして、予定より2時間ほどオーバーしてアクション・プラン作りの研修が終わった後で、M村とK村の人たちがパドマに言った。
「パドマ・マダム、ぜひ今度も、ボク達に研修をしてください」
研修後、近くのバス停まで車で送っていく途中、パドマが言った。
「キョーコさん、また別の村で研修が必要な時は、ぜひ私に声をかけてくださいね」
「ワシも行くぞ」と、ダンダシもボソッと言う。


6.エンジン再始動!?

そんなキラリと光るパドマの住むP村では、農業研修を2012年に行っていたが、途中でゴニョゴニョと尻すぼみ状態になり、結局農業研修は続かなかった。ところが、パドマやダンダシなどP村の指導員たちがB村の指導員を通じて、やれタミル・ナードゥ州に視察に行ったの、やれ堆肥づくりや植え方の工夫で収穫が3倍以上になっただの、B村の農業研修の成果を聞いて、
「自分たちも、もう一度研修を受け直したい」と言ってきた。
「一度、ワシらとミーティングを持ってほしい」とダンダシに請われ、P村を訪れた筆者たち。パドマの声がひときわ朗らかに響くP村で、待ち受けていたものは・・!?続きは次号で。


注意書き

1 ラマラジュさん=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部からおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。
2 キョーコ=前川香子。この通信の筆者で、プロジェクト・マネージャーを務める。
3 ヒロアキ=2013年6月末からインドに赴任してきた新人駐在員、實方博章。ヒーローのニックネームで、村の人たちにも人気者。