2014年3月18日火曜日

「自分もまるで同じ」という気づき

現在ネパール駐在員として環境教育を通した地域づくりプロジェクトを担当しています。

ネパールのプロジェクト現場で和田代表のファシリテーションを観察し、いつの日か自分も実践あるのみという修行中のわたしが、最近ようやく気がつき、これって多分大事なことなんだろうなとぼんやり思うこと。

それは、
自分は全く何も知らないし、分かっていないし、脳みそを使ってもいないということに気がつくこと。

 なぜ最近それに気がつくようになったかというところですが、プロジェクト通信を執筆しながら、「あっ」という気づきに出会ってしまったのです。それはでこぼこ通信第7号「自分たちもまるで同じ」の章でお伝えしました。

 ムラのミライの研修を欠かさず受け、今度は自分が「リソースパーソン」となり、子供たちを課外授業(モデル・レッスンと呼んでいます)に連れていくことになった中学校の環境教育担当のクマール先生。
クマール先生主導のモデル・レッスンであるべきところが、ムラのミライからの指示待ちの姿勢をガンとして崩さないクマール先生。そして、その授業にオブザーバーのつもりで参加したソムニードスタッフ(この時、たまたま、ファシリテーター和田は不在の日)が、指示待ちをするクマール先生に翻弄されてモデル・レッスンが終わってしまったのでした。

「指示待ちのクマール先生をみて、準備が甘く、考えが足りないと思っているうちに、自分たちもまるで同じではないかということに気がついた。
指示待ちの先生を前にしてその場その場で慌てふためく。
自分たちこそ、普段からプロジェクトマネージャー・和田からの指示を待ち、指示を受けて初めて動くことしかしていなかったからこそ、和田不在で自分たちの準備不足が明らかになり、そして誰も指示してくれないから慌てふためく。」

 クマール先生の動き方をみて、「なぜそれができないの?」と訝しげ(いぶかしげ)に感じて終わるのではなく、あぁ、そうか、自分も同じだったと気がつけること。まさに自分も準備不足で、ありとあらゆる場面を想定することをハナからせず、何も考えずにとりあえずモデル・レッスンに参加してみたという自分がいたこと。
この気づきがなければ、私の視線の対象は常に相手に向けられており、自分には向くことはない。思考の対象が自分に向いていなければ、自分に関する気づきは生まれない。その結果、自分の行動変化は望めないということになります。

他人の行動変化を望むなんていう偉そうなことを言う前に、まず自分の行動変化。そのためには、やはり「気づき」が必要なのですね。

 今はまだ何も知らず分からずに、「脳みそを使う」こともなく、「ちょっとは考えようよ、自分」と一人つっこみを日々いれる私ですが、少なくとも「自分はわかっていない」という認識にようやく立てたことで自分を少し認め、まだまだいけるよ自分!と思いながら、ファシリテーションを使った研修をツールとしたネパールでの地域づくりに貢献しようと思うのです。

(海外事業コーディネーター 池崎翔子