2014年3月11日火曜日

『そこにいる人』が『参加者』になる方法


地域づくりの「主役」は誰でしょうか?そもそも、『地域づくり』とは何でしょうか?

事例の舞台は、ネパール首都カトマンズ。

ムラのミライ(旧称ソムニード)のネパール駐在員ハチ公とネパール人スタッフであるクマ公は、親分(ムラのミライ共同代表 和田信明)からプロジェクトを始めるときの心得を学んでいます。



プロジェクトが始まって、親分が最初に始めたのが、ハチ公とクマ公を叩き直すこと。
というのも、ハチ公もクマ公も、それなりにこの道(「国際協力」のお仕事)で経験を積んではきたものの、ムラのミライのお家芸である
「人をいつの間にかその気にさせる」技、
「あぁ、俺っちはこいつがやりたかったんだと、自分で何かをやり始める」技
(ムラのミライ的に申しますと、メタファシリテーション、または対話型ファシリテーションと申します)
については、残念ながらまだまだ素人。
親分としては、こいつらを早いところ何とかしないと、プロジェクトの進めようがありません。

親分「よし、ハチ公、クマ公、俺たちは、まずは学校の『環境教育』の先生たちに、バグマティ川や地元の環境のことを子どもに教えようぜ、と働きかけようと思ってるよな?で、そのために先生たちを研修するとしたら、お前たちなら、まず何をやるよ?」

ハチ公・クマ公「へっ・・・」「ええと・・・あの・・・」
親分「何おろおろしてるんだ。なんでもいいから言ってみろ」
ハチ公・クマ公「えーと・・・地域環境についての・・・」
親分「おい、『地域環境』っていったい何のことだ?お前ら、『地域環境』が何かって、10歳の子供や読み書きできない80歳のばあちゃんに説明できるか?」
ハチ公・クマ公「うっ・・・」

ちなみにこの、
「10歳の子供や80歳のばあちゃんでも分かるように説明できるか」
というのは、ムラのミライの基本的な考え方の一つなんですねぇ。

あたしらのおります「国際協力」業界では、やれ「参加型」だの「住民主体」だの、あるいは「貧困層」の「貧困削減」だの「インクルーシブな開発」だのと、きらきらしい言葉があふれていますが、じゃあこういう言葉を使って、あたしらはいったい何を言いたいのか、やりたいのか。
改めて聞かれてみると、誰も肝心の「住民」の方々には、はっきりと答えることができません。

親分曰く。
「村の10歳の子供や、80歳の字が読めないばあちゃんが納得できる言葉で説明できなければ、それはお前自身が、きちんと分かってねえってことなんだよ」。
逆に、子供やおばあちゃんが「ああ、それそれ、そういうことね、わかるわかる」という言葉で話すことができれば、それが「業界用語」で何と言うかはどうでもよくて、地域の人たちと思いを同じくして、「じゃあこれから一緒に何をしていこうか」という相談を進めることができる、ということだってわけなんです。

親分「お前らに宿題だ。『環境』『評価』『モニタリング』『マネジメント』・・・こいつらを、子供やばあちゃんにわかる言葉で言い直せるようにしておけよ」
ハチ公・クマ公「へ、へい・・・」
親分「さ、話を戻すぞ。先生たちの研修だ。まず最初の日の、最初のお題は何にする?」
ハチ公・クマ公「ええとー・・・ゴミ処理の問題・・・」「バグマティ川の汚染・・・」
親分「いきなり『今日はバグマティ川の汚染について勉強します』っていうのか?お前ら、先生たちに“講義”でもするつもりか?ムラのミライの『研修』って何か、わかってるのか?『研修』ってのは『場』なんだよ。そこにいる人が興味を持って、自分なりに考える場を作るってことなんだよ、わかってるか?みんなが自分で考え始めて、初めて『そこにいる人』が『参加者』になるんだ。『バグマティ川の汚染について勉強しましょう』って言われて、先生たちが『おっ、なんだなんだ?』って興味をひかれると思うのか?」
ハチ公・クマ公「・・・・・・・・・」
親分「しょうがねえなあ。・・・最初のトピックはな、『川』でどうだ?」
ハチ公・クマ公「はぁー」
親分「はぁーじゃねえよ(笑)。バグマティ川の話に持っていくにも、まずそもそも『川』ってなんなのか、みんなが同じレベルの理解をしなけりゃ、話が進まねえだろ?」
ハチ公・クマ公「そうか・・・なるほど・・・」
親分「で、研修始まりました、と。さあ、参加者にまず、何ていう?何を質問する?」
ハチ公・クマ公「えーーーーーーーと・・・・えーと・・・『川って何ですか?』」
親分「(笑)お前たちも懲りねえなぁ。いきなり『空中戦』してどうするんだよ?」
ハチ公・クマ公「あっ、そうか・・・」

この『空中戦』というのも、ムラのミライ流の「技」では大事な考え方です。

ムラのミライでは、『空中戦』=『事実』に基づかない(いわば頭でっかちの)コミュニケーション、『地上戦』=『事実』に基づく具体的なコミュニケーション、と位置づけ、実践的かつ具体的な行動につなげていくためには、いかなるコミュニケーションにおいても『空中戦』を避け、『地上戦』をしていかなければならない、と考えておりやす。

親分「全く、お前らも覚えが悪いな。研修の最初はな、『あなた(たち)が『川』について知っていることを、50リストアップしてください』ってのでどうだ?・・・なんで50なのか、わかるか?」
ハチ公・クマ公「えーと、50じゃなくてもいいけど、とにかくなるべくたくさんってことで・・・」
親分「まあそうだな。でもじゃあ、なんで『なるべくたくさん』じゃなくて50、って数を出したのか、わかるか?」
ハチ公・クマ公「・・・・・・」
親分「あのなぁ、人間は、『なるべくたくさん』って言われたら、10か15考えて、はいできました、おしまい、って思っちゃうもんなんだよ。でも50、って言われたら、とにかく何でもいいから、一つでも多く絞り出そうとするだろ?」
ハチ公・クマ公「ふむふむ」
親分「そうするうちにな、理屈で知ってること(『空中戦』的な知識)だけじゃ足りなくなって、どうしても自分が生で経験したことが絞り出されてくるんだよ。つまりその人なりの具体性が出てくるってわけだ。さあ、じゃあ、参加者が50とか60とか、『川』について知ってることをリストアップしましたよ、と。その次は何だ?」
ハチ公・クマ公「えっ・・・あの・・・」
親分「じゃあ、今日はここまで。明日までに、お前ら自身が『川』について知ってることを50書き出しておけ。自分でやってみると、少しはこっちの意図が実感を持ってつかめるだろうからな」

・・・という具合の特訓が何回か続き、二日か三日分の研修内容をざっくりイメージするにも、ハチ公クマ公は大苦戦でしたが、そこは親分、身内の教育にも「技」(対話型ファシリテーション)を繰り出していたんですねえ。

「50書き出しておけ」と言われたハチ公・クマ公は、それをすることで、自分が『川』について何を知っているか、逆に何を知らなかったのかを理解することになったからです。
そうすると、「あ、このことはおいら、よくわかっていなかったな。これってどういうことなんだろう」と考えるようになります。

つまり、ムラのミライの「技」の勘所というのは、相手に、『自分が何をどこまでわかっていて、何をわかっていないか』『ではこれから、何を知れば、学べばいいのか』を、「教える」のではなく「自分自身で考えるように『つついていく』」ことなんです。

・・・親分に絞られて、すこーしはムラのミライの「技」がどう相手に(この場合は自分に)作用するか、まさに実感したハチ公とクマ公ではありますが、しかし自分でこの「技」を駆使できるようになるには、まだまだ道のりは遠そうです。

ただし、これも親分に言わせれば、
「いくら理屈を勉強したってダメなんだよ。例えばこれからやる研修でな、参加者の前に立って、『あれっ、次どうしよう、何を質問したらいいんだろう??』って、頭が真っ白になる体験をしない限り、こいつは身につかないのさ。ま、これからいくらでも真っ白になる機会はつくってやるさ(ニヤリ)」

・・・ということであります・・・

(引用:ムラのミライホームページ よみがえれ、聖なる川 ~バグマティ川再生プロジェクト でこぼこ通信~ 第1号 「まずお前たちの『頭の枠組み』を変えてみろ」


人間相手のプロジェクトは、電車の時刻表ではないので、予定通り進むことは稀です。そのあたりのことを考慮して十分余裕をもった予定の組み方をしなければ人は育ちません。

では、「人が育つ」とはどういうことでしょうか?

人が育つということは、人が理解したことを実践する、つまり行動変化が起こるということです。


ポイントなのは、「教える」のではなく「自分自身で考えるように『つついていく』こと。

最初から、結論に入るのではなく、当事者自身が考える機会を持ち、「育つ」のを待つことです。


では、最初は何をお題に始めたらいいのでしょうか?

親分が「何をお題に研修をするのか?」とハチ公・クマ公に聞くと、

ハチ公・クマ公「ええとー・・・ゴミ処理の問題・・・」「バグマティ川の汚染・・・」

と答えました。すかさず親分はこう続けます。

親分「いきなり『今日はバグマティ川の汚染について勉強します』っていうのか?お前ら、先生たちに“講義”でもするつもりか?ムラのミライの『研修』って何か、わかってるのか?『研修』ってのは『場』なんだよ。そこにいる人が興味を持って、自分なりに考える場を作るってことなんだよ、わかってるか?みんなが自分で考え始めて、初めて『そこにいる人』が『参加者』になるんだ。『バグマティ川の汚染について勉強しましょう』って言われて、先生たちが『おっ、なんだなんだ?』って興味をひかれると思うのか?」

そして、まず「川」について知っていることを50書き出すというワークをハチ公・クマ公自身が
やってみるということになりました。

このように最初に、当事者が何を「理解している」のか、「理解していない」のかを知る機会を持つことはとても大切です。

また当事者に年齢のばらつきがある場合、理解してもらうボトムラインは、高齢者や子どもたちに置きます。

高齢者や子どもたちが、何が起こっているかを理解できているかが、他の人たちが理解しているという指標になるからです。

次週は、コミュニティファシリテーターとして修行中のネパール駐在員の体験談をご紹介します。


(研修担当インターン)

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詳しい解説は、『途上国の人々との話し方』345~348ページ「③パートナーシップとは、ギブ・アンド・テイクの関係:参加ゲームを避ける」をご参照下さい。