2014年4月8日火曜日

どこの国でも基本は同じ

おススメの一冊:「ローマ法王に米を食べさせた男~過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか?」(高野誠鮮 著)












今、南インドの農村では流域管理プロジェクトを実施中で、2013年度は有機農業への転換となる農業を実施し、水や土壌の使い方のカイゼンにも取り組んできました。
誰が?
村人たちが、です。
 一言で、「村人たちが取り組んできた」と言っても、一筋縄ではいきません。村の人たちにとって初めての事(畝を作る、稲の苗は4・5本で一株ではなく1・2本で一株にして植える、その株と株の間も密集させずに25センチ間隔にする、ミミズを使ったたい肥を作る等々)には不安が先立ち、どのようにすれば慣行栽培からカイゼンできるのか、意識改革から行動に移すまでには多少のプロセスが必要でした。














ご紹介する本でも、従来の農家としての意識から脱皮していく様子が、細かく面白く描かれています。
この本の舞台は、石川県羽咋(はくい)市の限界集落地と言われていた神子原(みこはら)地区で、農業の担い手もほとんどが高齢者という状況にありました。
「若者がいない」
「農業では食っていけない」
「農家が物を売れるわけがない(ビジネスなんかできない)」と、
「ないない尽くし」の嘆き節が至るところに噴き出ています。そのような環境で、著者が市役所職員としてどう関わり、どのように神子原地区の農家の人たちが自信を醸成し、行動変化へと移していったのか。
痛快なエピソードがあちこちに散りばめられているのですが、

 例えば、若者を他都市から呼び込む際には、神子原地区の住人に若者を「選ばせる」。
多くの過疎高齢化地域への若者移住の推進は、その地域の人たちが知らない所で若者が選ばれ、準備され、送り込まれますが、著者が神子原地区の人たちと行ったのは「お願いだから来てください」ではなく、「来るんだったらどうぞ、その代り試験します」というもの。
 その試験を経て(3次試験まで!)移り住んだ若者は、過疎高齢化の進む地区に来た「外部者」から、地区の課題にも取り組んでいく「当事者」へと変化していきます。

 国際協力の場でも「参加型」が連呼されて久しいですが、活動に参加するのは誰でしょうか?
もちろん、途上国の村の人たちやスラムの住人ではなく、外部から来た私たちの方です。
なので、私たちは研修を行う時、農業を実施する時、そこに来る人たちを私たちが選んだりはしません。誰を研修に送り込むか、活動に参加するかは、村の人たちで決めてもらいます。

私たちは、呼ばれる限り研修に赴きますが、そこで何が起こっているのかについては、ぜひムラのミライ(旧称ソムニード)のHPにある「土・森・水・人~よもやま通信 第1部第2部」をご覧ください。



 












他にも、この本で紹介してあるエピソード「会社を作って直売所を開いて売る」というくだりでは、
「会社を作るといっても、倒産したらどうするげん?」
「失敗したら、誰が責任とるがいや!」
「赤字になったら役所が全額補てんしろ!」
と、初めて行うことに対して、農家の不満と不安が爆発します。
そんなネガティブな失敗予測ばかりの集会が何十回と続きますが、著者は最終的に、一人の農家に「1日パチンコ2万円負けたと思って150世帯集まってみんか?」と言わせて、地区の農家たちによる自分たちの会社設立へと動き出します。

JAも市も1円も出さずに、農家たちだけで、自分たちの製品を扱う会社を設立・運営していく様は、歳も学歴もオッチャンもオバチャンも関係なく農家たちで出来るという、著者の強い信念と農家たちとの信頼関係に基づいているのが分かります。
 
 そして、神子原地区の農産物のブランド化のために、次から次へと動いていく著者の行動と結果は、痛快の極みです。
現在、神子原地区のお米を完全に自然栽培にシフトする試みが続けられているようですが、南インドのブータラグダ村の人たちの姿と重なります。

 コミュニティに関わって活動していく時の基本的スタンス、そしてマーケティングの基本的なことなどについて、そして農家(村の人)の不安や気持ちなど、日本だから途上国だからと関係なく共通する部分を、一冊を通して実感します。


(事務局次長/海外事業部チーフ 前川 香子