ネパールで働き始めて約10か月。
「やっぱり和田さんの研修は自分たちがやるのとなんか違うよね!」
と何度かネパール人の同僚から聞いたことがあります。
「おー、やっぱり気づいているとは!さすがソムニード・ネパールのスタッフだな~」と感心したのですが、その違いって何でしょうか?
それは、「待つ」ことができるかどうか。
最近、マスターファシリテーターたる和田さんと、私たちスタッフとの一番の違いはここなんじゃないかと思うようになってきました。
(他にもいろいろあるでしょうけれど、それは一旦おいておきます)
外から刺激を与えることはできるが(これがファシリテーション)、変化は常に内側から起こるもの。
その信頼と主に「よい時期に適度に突つく」ことができたというファシリテーターとしての自己の腕に対する自信がなければ、待つことができず、ついつい突つきすぎてしまう。つまり相手が自分で気付く前に「提案」してしまう。
(『途上国の人々との話し方』p.292より引用)
まさにこれ。
書籍では「自己の腕に対する自信」と表現されていますが、「どんな答えが返ってきても次の質問につなげられるという余裕」がないとできないことだと私は思うのです。
例えば、現在建設中のDEWATS(分散型排水処理施設)をこれから維持・管理していく村人たちへの研修の準備をしていた時のこと。
研修の最後にDEWATS建設のアクション・プランを共有しようという話になりました。
(→アクション・プランについてはこちら)
工程や予算、スケジュール、必要な資材や労働力が記入されたアクション・プランを渡したあと、村人に投げかける質問は何でしょう?
ソムニード・ネパールのスタッフから出てきたのは、“まずは簡単にプランの読み方を説明して、「何かわからないことはありませんか?」と聞いてみる”ことでした。
私は「何かわからないことはありませんか?」では、何も質問が出てこないんじゃないかと思いましたが、じゃあ、最初の質問はどう投げかけるべきか?と考えあぐねていました。
このやりとりを聞いていて「そうじゃないだろう」という表情の和田さん。
和田さんは“「このアクション・プランから何がわかる?」と聞くことから始めていく”と言うのです。
和田さんのやり方は、村人自身に「このアクション・プランには何が書いてあるのか、何のために必要なのか」を考えさせることにつながるやりとりです。
どんな答えが出てくるのかわからない、でも相手の答えを待つ余裕があれば、こういう質問を投げかけても村人とのやりとりができます。
対して、ソムニード・ネパールのスタッフのやり方だと、自分たちで考えさせることなくこちらから説明してしまいますので、「何か質問はありませんか?」と聞いても何も出てこないでしょう。
相手の答えを待つ余裕のなさが、自分たちから一方的に伝えたいことを喋ることにつながってしまっています。
では、その「余裕」はどこから出てくるんでしょうか?
場数を踏むことはもちろんですが、準備をすることだと思います。
要は村人たちに「何に気づいてもらいたいか」というゴールを設定する。
そのためにどんな質問を投げかければいいか、どんな答えが返ってくるか、それに対してどう切り返すか。いくつもパターンを想定する。(先ほどの例でも、ある程度の答えのバリエーションは想定できます。)
実は、和田さんでさえ、カンペを準備しているところを見たことがあります。でも、研修本番となったら、カンペをちらりと見ることもなく進めていくのです。
この準備を飛ばすと、対応できない余裕のなさから、自分の伝えたいことを言うだけ。
一見、“参加型”のやり取りをしているように見えても、村人にしてみれば脳みそを使うことなく聞かされているだけのやりとりになってしまいます。
事実質問の練習をしてみるときに、個々の質問が事実を聞くものであればいいというだけではなく、一つの大きな流れを意識する。
相手がどう答えるだろうか、それに対して私はどう切り返せばいいだろうか。
想定されるケースをできるだけ多く挙げておく。
それが、相手の答えを「待つ」余裕を生むための練習の一つになるかもしれません。
私も、仕事で他のスタッフに交渉して何かを決めなければならないとき、「●●さんだったらこう答えるだろうから、こう質問してみようかな~」など、少し意識的に、やり取りのパターンを多めに想定するよう心がけています。
(田中十紀恵 ムラのミライ 海外事業・研修事業コーディネーター/ネパール事務所)
「やっぱり和田さんの研修は自分たちがやるのとなんか違うよね!」
と何度かネパール人の同僚から聞いたことがあります。
「おー、やっぱり気づいているとは!さすがソムニード・ネパールのスタッフだな~」と感心したのですが、その違いって何でしょうか?
それは、「待つ」ことができるかどうか。
最近、マスターファシリテーターたる和田さんと、私たちスタッフとの一番の違いはここなんじゃないかと思うようになってきました。
(他にもいろいろあるでしょうけれど、それは一旦おいておきます)
外から刺激を与えることはできるが(これがファシリテーション)、変化は常に内側から起こるもの。
その信頼と主に「よい時期に適度に突つく」ことができたというファシリテーターとしての自己の腕に対する自信がなければ、待つことができず、ついつい突つきすぎてしまう。つまり相手が自分で気付く前に「提案」してしまう。
(『途上国の人々との話し方』p.292より引用)
まさにこれ。
書籍では「自己の腕に対する自信」と表現されていますが、「どんな答えが返ってきても次の質問につなげられるという余裕」がないとできないことだと私は思うのです。
例えば、現在建設中のDEWATS(分散型排水処理施設)をこれから維持・管理していく村人たちへの研修の準備をしていた時のこと。
研修の最後にDEWATS建設のアクション・プランを共有しようという話になりました。
(→アクション・プランについてはこちら)
工程や予算、スケジュール、必要な資材や労働力が記入されたアクション・プランを渡したあと、村人に投げかける質問は何でしょう?
ソムニード・ネパールのスタッフから出てきたのは、“まずは簡単にプランの読み方を説明して、「何かわからないことはありませんか?」と聞いてみる”ことでした。
私は「何かわからないことはありませんか?」では、何も質問が出てこないんじゃないかと思いましたが、じゃあ、最初の質問はどう投げかけるべきか?と考えあぐねていました。
このやりとりを聞いていて「そうじゃないだろう」という表情の和田さん。
和田さんは“「このアクション・プランから何がわかる?」と聞くことから始めていく”と言うのです。
和田さんのやり方は、村人自身に「このアクション・プランには何が書いてあるのか、何のために必要なのか」を考えさせることにつながるやりとりです。
どんな答えが出てくるのかわからない、でも相手の答えを待つ余裕があれば、こういう質問を投げかけても村人とのやりとりができます。
対して、ソムニード・ネパールのスタッフのやり方だと、自分たちで考えさせることなくこちらから説明してしまいますので、「何か質問はありませんか?」と聞いても何も出てこないでしょう。
相手の答えを待つ余裕のなさが、自分たちから一方的に伝えたいことを喋ることにつながってしまっています。
では、その「余裕」はどこから出てくるんでしょうか?
場数を踏むことはもちろんですが、準備をすることだと思います。
要は村人たちに「何に気づいてもらいたいか」というゴールを設定する。
そのためにどんな質問を投げかければいいか、どんな答えが返ってくるか、それに対してどう切り返すか。いくつもパターンを想定する。(先ほどの例でも、ある程度の答えのバリエーションは想定できます。)
実は、和田さんでさえ、カンペを準備しているところを見たことがあります。でも、研修本番となったら、カンペをちらりと見ることもなく進めていくのです。
この準備を飛ばすと、対応できない余裕のなさから、自分の伝えたいことを言うだけ。
一見、“参加型”のやり取りをしているように見えても、村人にしてみれば脳みそを使うことなく聞かされているだけのやりとりになってしまいます。
事実質問の練習をしてみるときに、個々の質問が事実を聞くものであればいいというだけではなく、一つの大きな流れを意識する。
相手がどう答えるだろうか、それに対して私はどう切り返せばいいだろうか。
想定されるケースをできるだけ多く挙げておく。
それが、相手の答えを「待つ」余裕を生むための練習の一つになるかもしれません。
私も、仕事で他のスタッフに交渉して何かを決めなければならないとき、「●●さんだったらこう答えるだろうから、こう質問してみようかな~」など、少し意識的に、やり取りのパターンを多めに想定するよう心がけています。
(田中十紀恵 ムラのミライ 海外事業・研修事業コーディネーター/ネパール事務所)