2016年5月17日火曜日

事業後半なのに右肩下がり!? 南国信金おばちゃん信金ができる前


20167月に、ビシャカパトナム市スラムに暮らす女性たちが運営する信用金庫「VVK」を舞台にした、フィールドワーク研修を開催します。それを機に、ちょっとだけVVKにまつわるファシリテーションの記憶を振り返ってみました。

私がVVKのオバチャンたちと初めて会ったのは、200510月。私自身はムラのミライ(当時はソムニード)のインターン(見習い職員)で、とにかく「インドで仕事をする」という状況に慣れるのに必死でした。オバチャンたちも、7つのSHGSelf Help Group相互扶助グループ)で始めたVVKを、もっと大きくするわよと必死。

2005年の年末に一度帰国し、年が明けてから正職員として心新たに再び渡印することになった時には、3年間事業のちょうど折り返し地点である1年半が経っていました。駐在員として初めてVVK事務所を訪れ、和田さんや原さん、ラマラジュさんという師匠や大先輩の研修を見る日が数日続いた頃、ふと気づいたのです。 

VVK7つのSHGが集まって作られた連合体で(当時はまだ正式な信用金庫ではなかった)、もっと加入グループ数を増やすことを目標にしていました。なのに、私が日本にちょっと帰っていた間に加入グループは6つになり、そしてとうとう4つしか残っていない。

繰り返しになりますが、20061月は、3年間の事業のちょうど折り返し時点である1年半が経ったころ。
「プロジェクトって、いろいろ成果が右肩上がりになるものですよね・・?え、今、1年半・・・え、あと1年半・・??え、右肩下がり・・?あれ??」と、一瞬混乱に陥った私。そして、和田さんに思わず聞いていました。
「これがゼロになったら、どうするんですか?」

返ってきた答えは、「まぁ見ておれ」 

覚えていませんが、もしかしたら「ゼロにならないように、何かしなくてもいいんですか?」とも聞いていたかもしれない。でもやっぱり答えは「まぁ、見ておれ」だったでしょう。何しろ当時の和田さんの言葉といえば、このセリフしか記憶にないのだから。
「見ておれ」というのは、私が和田さんたちの仕掛けを見る、ということではなく、和田さんも原さんもラマラジュさんも、すべてのスタッフが「見ていた」のは、VVKに残った4グループの動静でした。

つまり、それが「待つ」ということ。

スタッフ側から、「残り4つになっちゃったよ、どうするの?」という煽るような問いかけもしない。「グループ数を増やすって言ってたじゃない、ほら頑張りなさいよ」という声援も送らない。

残った4つのグループが「どうしよう、このままじゃヤバイ。何とかしてグループ数を増やさないと」と言い出すまで、何もしなかった。

ただ、言い出すまでの期間は、それほど長くなかったような気がします。1か月も経たない内に、残った4グループが、「他のグループを勧誘して、確実に入ってもらうためにはどうすればいい?」、「VVKに入る前に、SHGとしての基本的なコトを実行してもらうためにも、研修をしないと」と、色々なことを考えてはスタッフたちに研修要請をしてきました。

それを、和田さんや原さん、ラマラジュさんは当然のように受け止め、次々と研修を展開していったのでした。私は、そうした研修をビデオに録り、写真を撮り、メモを取りまくり、師匠や大先輩たちの姿を見ていたのでした。

あの時、右肩下がりの数字に一人あせりまくっていたひよっこの私を尻目に、ベンガル湾に浮かぶタンカーのようにどーんと構えていた和田さんたちでしたが、どーんと待っていられたのも、それまでの仕掛け、もといファシリテーションの連続があったから。それがなければ、待ってても何も起きないのは火を見るよりも明らかです。

それ以前のことは、私も書類や当時の通信、そして「南国港町おばちゃん信金」でしか知り得ません。どんなファシリテーションをしていたのかは、3年間のプロジェクト通信や「南国港町おばちゃん信金」を読んでみてください。

ただもう一つ、和田さんの「見ておれ」という言葉は、「残り4グループの動静を見る」という意味と、やっぱり「和田さんたちの仕掛け(=待つ)を見て学べ」の二つの意味があったんだろうな、と振り返って思うのです。
 

前川香子 ムラのミライ 事務局次長/海外事業チーフ)


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http://muranomirai.org/trg2016mc