2017年7月11日火曜日

残酷なメタファシリテーション

みなさん、はじめまして。京都大学総合生存学館(通称、思修館)の博士課程5年生、横山泰三と申します。私は2016年3月にインドでコミュニティファシリテーター研修に参加して、メタファシリテーションの方法を学びました。もともと「メタファシリテーション」と出会ったのは、私が思修館の1年生のとき、当時にJICAから特任教授としておられた先生から「途上国の人々との話し方」をお薦めいただいたのがきっかけです。その後、中田さんや和田さんのファンとなり、中田さんの著書をむさぼるように読んでいました。

ですので書物を通じてメタファシリテーションのマインドを頭で分かっているつもりでした。しかし実際にそれをインドで実践に移すと、思うように質問が思い浮かばず、農村での対話実践が終わるともうヘトヘトになっていたのを今でも覚えています。

特に印象に残っているのは、ビシャカパトナムのある農村で「いつの間にか継続されなくなってしまったプロジェクト」を抱えるコミュニティとの対話の場面です。もちろん「尻切れチョンボになってしまったそのプロジェクトについて聴きますよ!」というのはその時の目的ではないですし、農村の方々に明言はしません。ただ行きのクルマの中で「そんなことがあった」ということを事前に聴いていただけです。しかし(残酷にも?)当日の事実質問は、いつのまにかそのプロジェクトについて尋ねる展開になっていきました。
その事実質問に及んだときに対話相手だった若い青年が、はにかんで笑いながら「やっぱりキター!」といった何かマズそうな表情をしたのを今でも思い出します。

「事実質問」は生易しいものではなく、どこか残酷さがあります。現在の自分の意識や行動を変える、ということはどこかで現在の意識と行動が否定される自己否定の契機(一度、現在の自分が死んでしまいそうになるような契機)をもたらすものです。そこにメタファシリテーションの高い効果の根底があるように感じています。

私はその後、自分がボランティアで関わっている日本のひきこもり自助グループでの対話、その国内調査、そして思修館の4年次プログラムである「海外武者修行」ではカンボジアでのコミュニティ調査、そして現在、5年次のプロジェクト・ベースド・リサーチではスリランカを含む多くの国でメタファシリテーションを活用しています。そしてその効果や成果を得るたびに、「うん、今日もなかなか残酷だったな」と思うこともしばしばです。

「それはいつから始めましたか?」「誰からそういったことを聴きましたか?」「何をそのとき見ましたか?」といった質問を受けた人は、過去を思い出しつつ質問に答えながらも目まぐるしく感情の変化に襲われているように思います。過去の事実(自分の行為)と現在の自分が思考の内面で対話している、と言ってもいいかと思います。そして「あ、今の自分ってまた同じこと繰り返してる」「前に気づいた過ちを実は今も繰り返してる」といった自分の行動の矛盾、コミュニティの実践の矛盾、プロジェクトの目的と現状の矛盾に次々、ぶち当たっていきます。

政策分析のインタビューでも事情は同じです。何気ない意見の提示に対して、「いつ/どこでそれが分かりましたか?」「その時、相手は何を言いましたか?」といった質問は、根拠となっているはずの事実の客観性を暴いていってしまうのです。気持ちよく自論や哲学を展開している人の足元を、根底から揺るがしてしまいそうな場面もあるのです。

この残酷さを緩和するために、私は自分なりにメタファシリテーションをカスタマイズしました。「事実質問スイッチ」というものを自分に持つようにしたのです。そのスイッチは長くて5分~10分程度でしょうか。まったく無意識な対話の中で、「あ、これを掘り下げて聴かないといけないぞ」という時にこのスイッチを入れて、相手にも「そこ大事なんじゃない?」というメッセージを暗黙に伝えて質問する場面です。
「事実」というものがもっている凄い魔力とエネルギーを、どのように私達がコントロールして活用していくか、まだまだ私の修行は続いています。



京都大学総合生存学館 博士課程5年生 横山 泰三)



読み切り形式でどこからでも読める、メタファシリテーションの入門本。

 



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