2015年7月6日月曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第21号「オラたちの村づくりを他の村の仲間たちに」

 5月下旬から6月上旬にかけて、記録的な猛暑に苦しめられた、事業地のアンドラ・プラデッシュ州。6月も中旬を迎えると、雨がポツリポツリと降り始め、暑い暑い暑い夏の終わりがやっと近づいてきた、雨季の到来に向けて、村人たちは植林や農業の準備で忙しい。




   






目次

1.植林計画
2. さぁ、今年も始めるべ、オラたちの流域保全
3.農業改善は?
4.来週、来週、また来週
5.オラたちの村づくりを他の村の仲間たちに

1.植林計画

前回のよもやま通信で、村人たちの奮闘をお伝えした植林計画づくり。
「この畑は東西の長さが25メートルだから、この縮図にすると、、、」
と、初めての作業に戸惑いながらも、一目で自分の植林する土地がわかるようにと、自分の畑の縮図を書き上げた村人たち。そして、その縮図のなかに、食料になる果実が採れる木、家畜のえさになる木、料理に使う薪として使える木、薬をつくるために必要な木、木材として利用出来る木など、それぞれ用途の違う木をバランス良く育てられるように植林計画をつくっていく。計画づくりのまとめの段階で、植林活動において長年の経験をもつラマさんによる研修が各村で行われた。
炎天下の中を山の上まで進む村人とスタッフたち。縮図に書かれた土地の大きさが正しいかを再確認しながら、計画づくりのアドバイスを行うラマさん。そして、その横でラマさんのアドバイスに熱心に耳を傾けながら、アナンタギリ村の村人たちを助けるのは、ポガダヴァリ村(以下P村)の指導員パドマとチャンドラヤ。
2012年からこのアナンタギリ村で流域管理の研修を行ってきたP村の指導員たちは、アナンタギリ村の村人たちからの信頼は厚い。マンゴー、カシューナッツ、ライム、チークなど、植林する木がどれくらいの大きさまで成長するかを確かめながら、何の木を、どこに、どれくらいの間隔で植えるかを計画し、縮図に落とし込んでいく。声を張り上げるラマさんの横で、ノートをとり、縮図を見直して、アナンタギリの村人をサポートするパドマ。その様子を見て、筆者はふと気付いた。『そういえば、おれは今日なんもしていない。』いくら小僧とはいえ、村に行って何もすることがないというのは恥ずかしい。最近でいえば、石垣などの構造物をチェックしに行ったり、縮図の書き方を教えたり、苗木をする上で妨害になる岩や切り株など、村人が見落としていればそれを伝えたり、、、何かしら仕事はある。


しかし、この研修でその役割を担っていたのは指導員のパドマとチャンドラヤだった。とはいえ、彼女たちもラマさんの植林研修に参加するのはこれが初めてで、事前に打合せをしていたわけでない。それでも、自分たちが隣村のアナンタギリの人たちを引っ張っていく。スタッフのラトナでも、スーリーでもなく、村人のパドマが、チャンドラヤが、隣村の村人たちに、縮図の書き方を教えて、植林計画づくりをサポートしている。何もすることがないことが少し恥ずかしい気持ちになるのと同時に、スタッフ以上の働きを見せる指導員が頼もしかった。そして、ムラのミライ一行は、指導員の二人に任せて、その場を去った。



2. さぁ、今年も始めるべ、オラたちの流域保全

こうして、植林に石垣や堰堤などの構造物と、流域を守るための今年のアクションプランが出来上がった。今まで何度もアクションプランをつくり、そして周辺の村に教えてきたP村とブータラグダ村(以下B村)はもちろんのこと、P村の指導員から指導を受けたアナンタギリ村も、植林計画に少しだけ修正点があるだけで、ほとんど問題ない。他の村のアクションプランも前回と比べて上達している。
そして、村人たちは石垣や堰堤の設置作業をはじめ、植林のための穴を掘り始めた。プロジェクトが終了する8月までの期間、村人たちは農作業に並行して、アクションプランに基づいた保水土対策を進めていく。



3.農業改善は?

村全体で流域保全を実践する村人たちは、世帯単位での農業改善にも取組んでいる。
一昨年、昨年と実践を開始したB村とP村に続き、今年からは4か村14世帯が新たにミミズたい肥づくりへの挑戦がはじまった。1月にミミズたい肥づくりの先輩農家の研修を経て(よもやま通信18号参照)、たい肥小屋をつくり、ミミズや牛糞などを調達し、たい肥を作り始めたのは3月末。それから約2カ月が過ぎ、雨期を前にしてどの村でもミミズたい肥の出来上がりは順調に進んでいる。


と、言いたいところだったが、初めてのたい肥づくりで全てがそう上手く進むわけはない。最初の1か月が経った頃は、セメント容器の土を掘り返すと何匹ものミミズが元気に動き回っていた。牛糞や葉っぱを混ぜた土がどんどんサラサラになって、たい肥づくりは順調に進んでいると思えた。
しかし、6月に入って、スタッフ達がパンドラマヌグダ村とバルダグダ村を訪れると、8名のうち5名の農家たちの容器は、牛糞の塊で埋め尽くされていた。そこにミミズはいない。
「ミミズがみんな死んじまったよ。」
牛糞を水に溶かさず、ドカドカと追加投入し続けた結果、それが固まって容器の中が全く空気のない状態になってしまったのだ。
早く代わりのミミズを、と思っても、同じ村で順調にたい肥が出来上がっている農家たちさえ、まだ他の村人に提供するほど多くのミミズは育っていない。それに、農家たちがたい肥についてしっかり理解していない限り、ミミズを調達してきてもまた同じ失敗を繰り返してしまうに違いない。
スタッフ達の間では、先輩農家のチランジービーに、定期的にアドバイスに来てもらうように頼んだ方が良いという話が出た。隣村のチランジービーなら、パンドラマヌグダ村、バルダグダ村に通うのもそう遠くないし、販売するのに十分な量のミミズを持っている。
数日後、ブータラグダ村を訪れた筆者達は、チランジービーに事情を話した。
「パンドラマヌグダ村のたい肥なんだけど、ミミズが全部死んじゃって、、、」
「あぁ、それなら知ってるよ。ヤツらの方からたい肥づくりが上手くいかないから見てくれって言ってきたよ。」
筆者たちが、チランジービーに事情を話す前に、彼らは自分たちでチランジービーにアプローチしていたのだ。そう、スタッフが知っている以上に、周辺の村人たちはチランジービーの農業技術をわかっている。まだまだ始まったばかりの農業改善だが、チランジービーのような先輩農家の存在は最大の安心材料だ。これから、彼がどのようにパンドラマヌグダ村やバルダグダ村の人たちにアドバイスを与えていくのか楽しみである。




4.来週、来週、また来週

農業改善の広がりは、ミミズたい肥だけでない。今年から新たなに4か村17世帯の農家が、SRIと呼ばれる稲作方法に挑戦する。ポガダヴァリ村では昨年、ブータラグダ村では昨年、一昨年と実践を行ったSRI。周辺の村の農家たちは、B村やP村の農家たちが一体何をしているのか気になっていた。このSRIでは、種もみを選んだうえで、従来の方法に比べて苗が若いうちに一本一本の苗を25センチほどの間隔で田植えする。苗が若いうちに田植えを行うことで、従来の稲作に比べて少量の水でも、稲が育つようになる。また、苗と苗の間を適切な距離をとって、等間隔に植えることで草取りも容易になるし、必要な種もみの量も抑えることができる。
しかしながら、まだ弱々しい苗を、しかも一本ずつ植える方法なんて、何本もの苗を束にして田んぼいっぱいに敷き詰める方法に慣れているこの地域の村人たちにとっては、とても考えられるものではなかっただろう。実際、B村のある農家は、最初に田植えをしたときに、周りの人に笑われたという。それが、日を追うごとにみるみる成長し、フタを空けてみれば周辺の村の農家たちが、「そのやりかたをオラにも教えてくれ。」と、話すようにさえなった。
こうして周辺の村の農家たちも、オラたちもSRIに挑戦したいと名乗り出てきた。もちろん、これまで長年やってきた農業をいますぐ全て変えるわけではない。それでも、各村から何人かが、自分の田んぼの一部をモデルとして使い、新たな挑戦をすることで、今回は挑戦を見送った同じ村の農家たちにとってもSRIを間近で観察するチャンスになる。そして、SRIに挑戦した農家たちの結果を見て、来年以降、新たに挑戦を決意する農家たちも生まれてくるだろう。いまは10人以上の農家がSRIを実践しているブータラグダ村も、2年前は4人の農家からSRIへの挑戦が始まった。新規参入の村々でも、この第一歩が踏み出されたのである。
流域管理事業を進めるなかで、B村やP村の農家たちがSRIを積極的に取り入れるようになったのは、化学肥料の使用を抑え、村の資源を有効活用し、土にやさしい農業をおこなっていくことが、流域を守る活動の一環だと気が付いたからである。そして、土にやさしい農業を継続し、その方法を、流域を共有する周辺の村に広めていくこともまた、流域管理の活動なのだ。
だからこそ、この流域管理の事業でも、各村の流域管理委員会に対して、SRIの道具をサポートしている。必要な道具は、雄牛につなげて田んぼを耕すための耕耘器と、苗を植える位置(25センチの間隔)の印をつけるための道具(マーカー)、そして、除草機の3種類。エンジン式ではないので、燃料も必要なく、特に高額な道具ではない。
シンプルな道具ではあるものの、ムラのミライが活動している村では、これらの耕作道具を手に入れるのが難しいため、村人たちに変わってスタッフが近隣の街からこれらの道具を調達しなければならなかった。キョーコさんからのアドバイスももらい、筆者とスーリーは早速、スリカクラム市の農業用具屋に向かった。これは5月の最初の週の話である。
「2年前にこちらでSRIの、耕耘器と、マーカーと、除草機を購入しました。この3つの道具が4セット欲しいんですが。」
「いまは在庫がないけど、3、4日後には用意できますよ。」
絶対に3、4日で用意が出来るはずはないとは思ったものの『3、4日で用意できると、そこまで自信を持って言い切るということは、少なくともこの道具をつくれる職人が在籍しているか、取寄せ先がわかっているんだろう。2週間もすれば用意ができるに違いない。』と、筆者は高を括っていた。注文を済ませて、しばらく相手からの連絡を待つ。
3日後、先方からの連絡はない。これは予想通りだ。
4日後、スーリーが電話をかけると、先方は電話に出ない。
さすがに電話を無視されるのはまずい兆候だと、再びスリカクラム市を訪れる筆者とスーリー。しかし、店のスタッフは悪気もなく、平然と取寄せ先の店に電話をかけて、「今週中には用意ができる。」と言った。
それ以降、スーリーが電話をしても、電話に出ないか『後でかけ直す』といった具合で、まともな対応をしてくれない。結局、最初に予想した2週間を過ぎても、用意される気配がないまま、筆者は5月の下旬から日本へ一時帰国した。
そして、2週間後、筆者がインドに戻ったころ、SRI農具はまだ調達できていなかった。いよいよ雨も降り始め、もうすぐ本格的な雨季が来る。種まきの時期は刻一刻とせまっている。このままでは今年の稲作に間に合わなくなってしまう。
「どうやら、この店にはこれ以上期待できない。なんとかして他の方法を探すしかない。」
と、筆者とスーリーは他にSRI農具を売っている店を探すことを決意した。別の街の農業用具屋に行き、SRIの道具について尋ね、スリカクラム市の農業研究所の研究員に事情に話し、とにかくSRIの道具を調達するために必死に駆け回った。しかし、どこで誰に聞いても、
「それなら、スリカクラムの誰々が取り扱っているよ。」
と、現在注文を出している店の名前を出すだけだった。どうやら近隣の地域でSRIの道具を取り扱っている店はここだけらしい。結局、筆者たちはまた店を訪ね、催促するほかに道はなかった。
「最初に3,4日で用意できると言ってから、もう1カ月も経っています。用意できないなら用意できないと言ってください。」
「用意できるが、おれたちはいま忙しいんだ。来週までには用意するから。」
と、またどこかで聞いたセリフを話す店主。店主曰く、スリカクラム市周辺の農家たちで現在もSRIを実践している農家は非常に少ないので、道具を調達するのが大変に困難とのこと。代わりに農業機械の購入には政府から補助金の額も大きいため、スリカクラム県に住む農家たちの多くは、高額な農業機械を注文しに店を訪れ、店もその対応に追われている。
昨年、乾地農業の視察研修でB村とP村の農家たちが訪れたタミル・ナードゥ州でも、政府の補助金による機械を使った大規模な農業が行われていた。同時に、自然資源を活用して、土地に適した農業を実践している農家にも出会った。研修に参加した農家たちが選んだのは後者であり、SRIの稲作方法はまさにその実践である。高額な機械の導入は、いくら政府の補助金が出るとはいえ、農家個人でかなりの額を自己負担する必要がありリスクも大きい。購入した後の燃料やメンテナンス・コストもかかる。
村の農家たちにとって、そういった高額の機械は必要ない。SRIを取り入れることで、種もみのコストを減らし、高額な化学肥料や農薬の使用をやめて、村の資源から作るミミズたい肥やバイオ農薬(葉っぱを発酵させてつくる農薬)に切り替え、稲作に必要なコストは、工夫次第でいくらでも改善することができる。B村の農家も、P村の農家も、これでかなりのコスト減らし、収穫量を増やした。B村とP村の農家に刺激を受けて、新規参入村でも、SRIが始まろうとしているのに、、、その農具が調達できない。筆者たちスタッフは、ただただ催促を続けた。
そして、6月某日、ついにSRI農具が届いた。注文から約一か月半が経過していた。
店までSRI農具を取りに行ったスーリー曰く、店主が『あんたたちの執念には根負けした。』と話していたらしい。なにはともあれ、これで農具の調達が雨季に間に合った。後はB村とP村の先輩農家たちから、SRIの研修を受ければ、新規参入村の農家たちも実践に移れる。



5.オラたちの村づくりを他の村の仲間たちに

流域保全のための石垣や堰堤などの構造物づくりに、植林活動、そして農業改善、それから指導員達は周辺の村での研修と、大忙しのB村の村人たち。
『安全な水と土で安全な野菜を作り出す村、そして高利貸しなど外部からの融資に頼らなくても自活していける村』
という、彼らの描いたグランド・デザインの達成に向けて活動を続ける。
グランド・デザインの研修の一環で、村人が自分自身の夢について語った。ある人の夢は、地元の学校の先生になること、ある人の夢は、耕作用の牛を買うこと、ある人の夢は、子どもに質の良い教育を与えること、またある人の夢は、、、
ひょっとすると、かつてのB村の村人たちであれば、これらの夢が実現できる夢だなんて、思わなかっただろう。だけどいまは、山に土が戻り、3月でもまだ村には水が残るようになった。自分たちで農業を計画し、村の自然資源を有効活用することで、少ない投資で、多くの種類の作物がとれるようになった。高利貸しではなく、村の中で資金を融通するために、各世帯から毎月少しずつ積み立てをして必要時にお金を借りる仕組みもできた。
こうして着実に近づく『オラたちの村』のビジョンのなかに、オラのアタシの、それぞれの夢がある。そして、その個人の夢の実現に向けても、すでに取り掛かっている人たちがいる。
この流域管理プロジェクトは、2015年8月で終了を迎える。プロジェクトの第1フェーズ※から、ずっと活動を続けてきたB村。植林や農業改善と行った活動を継続する一方で、このプロジェクトの振返りを行うステージにも突入している。
6月末には、プロジェクトのパートナーであるJICAから、最終評価チームもやってくる。その最終評価を前に、村人たちが集まり、どのようにしてB村の軌跡を伝えるかという話し合いが行われた。ラマラジュさんとキョーコさんが見守る。

「劇のように見せるのはどうだろう?」

と言ったのは、指導員としても活躍するラメッシュだった。そして、
『せっかくの機会だから、他の村の人たちにもオラたちの軌跡を紹介したい』
と、JICAチームの訪問に合わせて、新旧8か村の村人たちをB村に招待することを決めた。リハーサルでは、指導員をはじめて若い村人たちが、少し恥ずかしそうに発表している様子が見られた。
そして、いよいよブータラグダ村での一日が迫る。プロジェクトの評価に来るJICAチームにとって、これまで共に活動してきたムラのミライにとって、そして、ブータラグダ村と同じようにプロジェクト開始当初から活動を続けてきた村にとって、ブータラグダ村から流域管理技術を学んだ新規参入の村にとって、そして、ブータラグダ村の村人たち自身にとって、この一日はどのような一日になるのだろうか?
この続きは、次回のよもやまで乞うご期待。



注意書き

ラマさん:SOMNEED Indiaの代表で、植林活動においては、30年に渡る豊富な知識と経験を持つ。
筆者:實方博章。現場で修行中。
スーリー:夏の暑さにも負けず、村人と野山を駆け回るフィールドスタッフ。
ラトナ:オバチャン相手に研修経験豊富なフィールドスタッフ。
キョーコさん:前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、本事業のプロジェクトマネージャー。流域管理プロジェクトの他にも研修事業から出版事業まで全てを統括するスーパーチーフ。
スリカクラム市:ムラのミライの事業地があるスリカクラム県の県庁所在地。
JICA:国際協力機構。本事業のパートナー。
ラマラジュさん:よもやま第一部からおなじみの名ファシリテーター。現在はビシャカパトナム市にてムラのミライ・コンサルタントとしてプロジェクトに従事。5月下旬から6月上旬に来日し、高山、東京、名古屋でセミナーや研修を行った。

2015年6月23日火曜日

「なぜ」質問の曖昧さ

学生の頃から自分のコミュニケーション能力の低さに付いていた私。ムラのミライでのインターンをきっかけに、話型ファシリテーションを知りました。それまで自分が他人と上辺だけの会話をしていたと気づかされ、以来コミュニケーション力の向上に努めています。空中戦を避けるためになぜどのようにを使わず、簡単な事実質問を繰り返すよう心がけています。

日常生活の中にこの技法を取り入れ、なぜ質問の答えの曖昧さに付き始めた頃、それを身をもって知る事件が起きました。以前、ある職場で、流れ作業の中で私がミスをしたときのこと。上司に呼び出され、

上司池田さん、なんでこれしたの?
。すいません。きちんと確認してなかったです。
上司なんでこう判したの?この時どう考えたわけ?
。すいません。集中力が欠けていました。

ミスをした自分がいと重々分かっていたものの、「いつものようにやっていたから…なぜって聞かれても…」と心の奥で思いました。ミスをした原因を聞かれましたが、思い当たる理由が全く出てこなかったため、その時頭に浮かんできた最も無難な返事をしました。

みなさん、このやり取りからも分かるように、なぜと質問をすると相手は事実に基づいた答えではなく、それぞれの考えや意見を述べてしまいます。答える側は、どう答えたら質問者の同意を得られるかを考え、もっともらしい返答をします。それを防ぐためには、時間をかけて事実質問を繰り返すこと。「なぜ」の代わりに「いつ」を使って会話を始めるなど、簡単な疑問詞を使うことです。

あの時の上司の質問は的外れだったなと思う一方、ミスをした私にする怒りで、それどころではなかったのかも、とも反省しましたが。あの況でどのように返答したら地上へ持ち込めたのかと考える池田でした。

無難な言い訳をする池田さん(フリー素材より)

2015年6月16日火曜日

学びのプロセスを「学ぶ」ことこそメタファシリテーションの神髄

この2回、新企画「産地直送シリーズ」として、駐在員の實方さん(5/26)池崎さん(6/9)の記事を掲載しました。二つの記事について、「途上国の人々との話し方」の著者の一人である中田さんより公開フィードバックをいただきました。読者のみなさんにも学びのある内容ではないでしょうか。(ブログ担当 東田全央)

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實方さんの記事を読むと、現場で学びを深めていることがよくわかり、頼もしい限りです。言葉はとかく一般化されがちなので、「あれ?」と思ったら、よりかみ砕いて聞いて行くという態度と質問術を身に付けることは、メタファシリテーションの神髄とも言えます。

では、實方さんの学びの経過をさらに知りたく質問するとしたら、この記事の内容に関してどういう事実質問が可能でしょうか。皆さんも一緒に考えてみて下さい。私であれば、この記事に対してまず次のように質問するでしょう。

私「『先日』とありますが、この村でのやり取りはだいたいいつ頃のことでしたか?」
實方「○月○日頃です」
私「では、前川さんが村人と研修のことでやり取りしているのに同席したのは、いつでしたか?」
實方「正確にはわかりませんが、○月頃だと思います。」

もし、その時期がずいぶん前であったら、私としては、その間にもいろいろと学んだり、使ったりする場があったのではないかと考え、そのことを知りたいと思うに違いありません。たぶんそれは私だけではないはずです。逆に實方さんからすれば、読者のそのへんの反応を先読みして、それぞれの時期を記事中に示し、その間の経緯をひとことでいいので書いておくと、読者に対してよりダイナミックに学びのプロセスが伝わるはずです。

そのことは、実は池崎さんの記事についても同じことが言えます。

今ひとつうまくいかなかったウジャールさんとの事実質問の練習と記事で池崎さんが示した分析との間に何があったのか、あの分析は自分で考えたことなのか、あるいは誰かに相談したのか、などなど、学びのプロセスについての読者の関心に応えるような記述があるともっとわかりやすいと思います。

相手の視点に立ってものを見たり考えたりするよう普段から心がけることが、ファシリテーターとしての上達の道です。ますますの精進を期待しています。

(ムラのミライ共同代表 中田豊一

2015年6月9日火曜日

事実質問失敗アルアル

2015425日に引き続き、512日にもマグニチュード7レベルの巨大地震がネパールを襲いました。多くの犠牲者と建物の倒壊など物理的・精神的に大打撃を受けましたが、いち早く届けてくださった皆様からの支援金で、雨季に備えた住宅の復興作業が始まっています。

震災の9日前。
対話型ファシリテーションの第一人者・和田によるスタッフ研修に参加していた私と同僚のウジャール君。「事実を問う質問か、そうでないか」という最初の一歩を理解した私たちではあるのですが、その次のステップである「事実を問う質問のみで途切れることなく構成された会話」への発展ができず足踏みをしている状態の二人です。「これは何ですか?」というお決まりのフレーズから出発する会話練習をしてみました。ウジャール君が、私に質問をするという設定で進めてみましたが、会話が盛り上がりません。何がいけなかったのでしょうか。

ウジャール「これは何と呼びますか?」(1)
私「わかんない。でも、私はブランケットって呼んでるけど」
ウジャール「いつ買ったの?」(2)
私「2012年か2013年」
ウジャール「どこで買ったの?」(3)
私「ファブ・インディア」
ウジャール「インドで買ったの?」
私「違う。カトマンズ市内。ファブ・インディアっていうブランド名のお店で買った。」
ウジャール「いくらで買ったの?」
私「あまり覚えてないけど、多分3,000ルピーとか4,000ルピーとか。高かったよ。他の2枚のドレスと一緒に買ったの」
ウジャール「他の2枚のドレスにはいくら使ったの?」
私「結構高かった。覚えてない。」
ウジャール「お店にはどうやって行ったの?」
私「タクシーで行った。」
ウジャール「タクシーにはいくら使ったの?」
私「多分500ルピーいくかいかないか」
ウジャール「それ、片道?」
私「そう。片道。」
ウジャール「買い物にはどれくらいの時間かかったの?」
私「うーん、多分2時間程度?」
ウジャール「何の目的でそのブランケットを購入したの?」
私「え。寒かったから。」
ウジャール「いつの季節に買ったの?」
私「ん~、多分秋か冬?」
ウジャール「どうやって家に帰ってきたの?」
私「タクシー」
ウジャール「帰ったのは夕方ですか?」
私「覚えてない」
ウジャール「誰かと一緒に買い物に行ったんですか?」
私「ひとりで行った。」
(そろそろ飽きてきた私)
「まぁ、これくらいにしときましょうか。おしまい」

ウジャール君の全ての質問に対して答えを返す私。聞かれたことにシンプルに答えながら、一体この会話はどこにつながるのだろう・・・何が聞きたいのだろう・・・という疑問を私に抱かせたまま、そのまま私に強制終了させられた会話でした。

彼の質問は、私の意見や感情を問うものではなく、事実に基づいた相手(私)に思い出させる質問であることは間違いありません。事実質問です。しかし、全ての質問に流れがなく、ブツ切れた質問。聞いている方も、聞かれている方もおもしろくなくて当然ですし、この会話からは何もみえてきません。

それではどうすればいいのでしょうか。
例えば最初に、(1)特定のモノの名前(2)購入時期(3)購入した場所の3つのトピックについて聞いています。(1)から(2)へ行くまでの間、そして(2)から(3)へいくまでの間、より細かい質問をしていくことは可能です。(1)でモノの名前を聞いた後、「ブランケット」という答えが返ってきました。次に、「ブランケットの購入時期」を聞くのではなく、例えば、このブランケットを使う前に、他のブランケットを使っていたのかどうか、あるいは初めて使ったブランケットであったのかどうかを問うてみるのです。それから、(3)場所の質問に行く前に、2012年か2013年という答えに対して、買った季節がいつであったかという問いをここでしてみて、相手に思い出してもらうというのも有効な質問です。次の事実質問を作る鍵は、その直前の事実質問の答えの中にあるということです。つまり、新しい質問トピックは考えるまでもなく、インタビュー相手の答えの中に秘められています。

プロのサッカー選手を志す子供達は、たった一回のシュートを試合で決めるために、毎日毎日練習を重ねます。それと同じで、事実質問のみで構成された意味ある会話を紡ぐには、日々の練習(空振り)こそがものをいうのです。
日々の練習の大切さ(フリー素材より)

2015年5月26日火曜日

Break-up: ことばを噛み砕く

先日、流域管理プロジェクトで関わるとある村の人たちから、流域管理委員会(※1)で、共同管理する農地を耕したいので、開墾にかかる費用をサポートして欲しいという要望が上がっていた。
私がその村を訪れた際に、また村人たちは費用のサポートについて聞いてきたので、彼らが本気で開墾計画を立てているかを知るために、『耕すのにどれだけの費用がかかるのか』『土地の面積はどれくらいか』『何を植えたいか』『誰が作業をするのか』『(管理していくうえで)誰がどの役割を担うか』などを聞いていった。
結果、面積や植える作物は決めているものの、それ以外の部分は「みんなで作業する」「流域管理委員会が管理する」など、あいまいな回答ばかりで、口では「欲しい、欲しい」という割には「で、結局、誰が何するの?」というところは、何も話し合われていないことがわかった。

このように、村人も、私自身も、無意識のうちに、「みんな」「委員会」「ミーティング」「トレーニング(研修)」というような、あいまいな言葉を使っていることがある。例えば、「明日の研修について、ミーティングで村のみんなと共有した」と村人が言えば、なんとなく、「あぁ、研修のことは村の人たちに伝わっている」と思い込んでしまう。しかし、それをもう一つ噛み砕いて、「明日は何の研修だっけ?」と聞いてみると、他の村人に研修のことを伝えた本人も何の研修かよくわかっていないことや、「ミーティングには何人来たの?」と聞けば、実は4人しかいなかったなんてこともある。つまり、村人の回答を、もう一段階、二段階、三段階と、噛み砕いていかなければ、事実には到達できない。

村人が言った言葉を噛み砕くことの大切さに改めて気が付いたのは、前川さん(※2)とある村人との実に単純な、-しかし、私はずっと見落としていた-やりとりを見たからである。

「明日は9時に研修があると、みんなに伝えています。」という村人のことばに対して、私やフィールドスタッフは
「明日9時に来るから、時間通り集まってね」と言ってしまうところ、前川さんは
「明日は何の研修をするの?」

と、すぐさま『研修』という言葉を噛み砕いた。すると、実は村人たちには、私たちが意図したことが伝わっていないことがわかった。『研修』『ミーティング』などの曖昧な言葉を聞き逃すことなく噛み砕くことができる力、それが、ファシリテーターになるために必要なんだとわかった瞬間だった。


注意書き
※1 流域管理委員会=ムラのミライは2007年から、南インド、アンドラプラデッシュの農村で、流域管理事業を行っている。詳細はよもやま通信をご覧ください。
※2 前川さん=ムラのミライ海外事業チーフ。凄腕のファシリテーターで、本プロジェクトのプロジェクトマネージャー。

(インド事務所駐在員 實方博章

2015年5月22日金曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第20号「オラたちの植林計画」

 

目次

1.いざ、合同研修
2.オラたち自信ないです
3.ウェディング、ウェディング、ウェディング
4.植林計画は難しい、だけどオラたちだってやれば出来る
5. カシューナッツは良いの?悪いの?

5月に入り、夏真っ只中の南インド。気温は連日40度を超え、道を行けば汗がタラタラと流れ出す。木陰がいとおしい季節、、、夏はまだまだ続く。



1.いざ、合同研修

これまで農業改善に取組んできたブータラグラ村(以下B村)とポガダヴァリ村(以下P村)、そしてそのB村とP村の指導員から流域管理の技術を学び、農業改善についての取組みも始めた新規参入の5か村(バルダグダ村、パンドラマヌグダ村、コッタグダ村、マンマングダ村、アナンタギリ村)の村人たち。夏が訪れ、6月下旬から7月上旬に来る雨季を待つあいだ、流域管理委員会を中心に流域保全の活動計画づくりと、その実践を行っている。
4月某日、B村、P村と新規参入の4か村から、数名が代表して研修センターに集まり、今年度の活動計画づくりの合同研修(オリエンテーション)を行った。研修では、今年度の活動計画に活かすために、村ごとにムラのミライとの活動を開始してから何を学んできたかを振返った。普段は、指導員や農業改善活動の先輩という立場のB村・P村の村人たちと、彼らから研修を受ける側の新規参入の4か村の村人たちが、この研修には互いに参加者として出席している。共に参加者としてこれまでの活動を振り返るからこそ、B村とP村の2007年からの活動の話を改めて聞くのは、2012年から活動を始めた彼らにとっても刺激的だったに違いない。
昨年、初めて流域管理委員会を中心とした流域保全のための活動を行った4か村だったが、昨年は石垣や堰堤など保水土対策の構造物の設置と、水源地での植林活動を中心に活動した。今年の活動計画では、引き続き保水土対策の構造物の設置と、昨年度カバーできなかった集水域と裾野での植林を行っていくことが決まった。植林の話になり、B村のモハンが立ち上がった。
「オラたちが最初に植えた木は、今ではその実を食べられるようになったんだ。」
植林をしたからと言って、明日、明後日、1年経ったって、効果が見えるわけではない。だけど、2010年に植林を経験しているモハンの話を聞いて、新規参入の4か村の村人は、流域保全という目的にプラスして、食べ物や薪など村人たちにとっての生活物資にもなる集水域と裾野での植林へのやる気を見せた。ラマさんから、植林方法の研修を受け、村人たちは今回の研修の内容をそれぞれの村での共有を行った。


 

2.オラたち自信ないです

2012年から共に活動する5つの村のなかで、1か村だけ合同研修に参加しなかった。マンマングダ村だ。後日、決まったことを伝えがてら、彼らの様子を見に、村を訪問すると、
「オラたち、植林の計画なんて難しくて立てられないよ。」
と、自信なさげに話すマンマングダ村の人たち。
「去年だって村で話し合ってしっかり活動計画を立て、実践したじゃないか。」
と、励まそうとする筆者
「だけど、オラたちの中で読み書きできる人が少ないし。」と話す青年。
「(計画は立てないで)作業だけならいつでもやるけどな。」とオッチャン。
15世帯と、他の村に比べても小さいマンマングダ村では、確かに他の村に比べて読み書きの出来る人は多くはない。だけど、流域管理委員会で事務や会計など実務を行う青年たちは、読み書きが出来る。村全員が読み書きできないからと言って、活動計画を立てられないということはないのだ。それでも、一部の村人は、植林する場所や植える木の種類を細かく選ばなければならない植林計画なんてオラたちには難しすぎると決めつけ、一部の人は政府の補助金のように、面倒な活動計画など立てなくても、与えられた仕事に応じて手っ取り早く労賃をもらえる方がずっと楽だと考えている。
「植林にしろ他の活動計画づくりにしろ、もしもわからないことがあればいつでも研修します。ただ、活動の計画を立てるのは、マンマングダ村の皆さんです。ムラのミライと一緒にやっていくか、もう一度話し合って、教えてください。」
それだけ伝えて、スーリーと筆者はマンマングダ村を去った。



3.ウェディング、ウェディング、ウェディング

数日後、マンマングダ村から朗報が届いた。村で話し合った結果、ムラのミライとの活動を続けていくという結論に至ったのだ。そして、植林計画づくりの研修への要望もあった。これで、合同研修に欠席したマンマングダ村も含めて、全ての村で今年の活動計画づくりが始まる。他の村でも、先日の研修の共有が行われて、活動計画づくりが始まった。
(これから、植林の研修やアクション・プランの確認で忙しくなるぞ。)
と、安心した筆者だったが、現実はそれほど甘くなかった。というのも、ヒンドゥー教徒たちにとって、結婚に最良の大安吉日が今年はこの時期に集中していたため、村人たちは連日結婚式に参加していて、活動計画の話し合いをする時間がほとんどないのだった。スーリーが村人に電話をすると、
『今日と明日は村で結婚式なので、集まって話し合う時間がない』と、どこの村人も口を揃える。とはいえ、いつまでも『時間がない時間がない』と、言っているばかりでは何も進まない。雨季に備えて植林の準備の必要もある。
これでは埒があかないと、電話だけではなく、スーリーと筆者で直接村に様子を伺い行くと、ある村では結婚式の準備で大忙し、ある村では隣村の結婚式でほとんどの人が外出中、またある村では何人もの村人が親戚の結婚式で遠出しており数日は帰ってこないと、まともに掛け合ってくれさえしない村人たち。これで本当に雨季の前に活動計画がつくれるのか?という再びの不安が押し寄せる。


ただ、そんな大忙しな状況でも、着実に計画づくりを進めている村があった。よもやま通信でもおなじみのP村とB村である。自分たちの村でも結婚式があって忙しい中でも、合間を縫って話し合い、保水土対策の構造物の設置場所を決めたり、植林をする土地も測り始めたりしていた。更にP村のパドマは、隣のアナンタギリ村へ指導員として計画づくりの研修に行くことも決まっていた。
さすがに2007年から活動を続けているB村とP村は他の村とは一味違う。いくら結婚式が続くと言え、村人全員が四六時中結婚式の準備をしているわけではない。だから、どんなに忙しくても、活動計画の重要性がわかっていれば、どこかで時間を見つけてコツコツと進めていくのである。



4.植林計画は難しい、だけどオラたちだってやれば出来る

結婚式のピークがひと段落して、少しずつ活動計画の話し合いを始めた各村の村人たち。これまで行ってきた保水土対策の構造物設置に関しては、自分たちでしっかり計画を立てることができるようになっていた。
ただ今回、新規参入の村人たちが苦戦したのは、植林の活動計画で、特に植林する土地を縮図に落とし込む作業だった。B村とP村では、農業改善の活動で、縮図を利用してきたのでなじみがあるが、新規参入村にとっては初めての経験、植林する土地を測るだけでも一苦労である。
例えば、四角形の土地を測るときに、私たちにとっては1辺の長さをそれぞれ測るのは当然のように思えるが、彼らは一辺の中間から、対の辺の中間までの長さを測っていた。つまり、彼らのノートには四角形の土地の図が十字で書き記されていたのである。ちなみに、村人たちが植林をする土地は、正方形でも長方形でもなく、四辺の長さがまちまちで、人によっては四角形ではない土地もある。なので、二辺の長さだけ測れば全体図がわかるというわけにはいかない。
そんな図を基にしては、植林なんてできっこないと、A地点からB地点、B地点からC地点と、一緒に土地の測定をやり直し、それぞれの辺をノートに記して大まかな土地の図を描く。そして、その土地には既に立っている木や、大きな岩や石垣などがあれば、それらの位置も把握する。土地全体の測定を終えて、その土地にある木や岩などのチェックも済んだら、下書きした土地の図を方眼紙に落とし込む。
この縮図書きの作業では、流域管理委員会でも中心的な役割をしている青年たちに加えて、現在学校に通っている村の高校生世代も大活躍した。高校生たちは、町の寄宿学校に通っているが、ちょうど夏休みで村に帰っていたのだ。
「この方眼紙上では、1マス(5mm)が2メートルだから、40メートルは、何センチになる?」
と一つ一つのルールを確認しながら作業を行うなかで、
「こりゃ、難しい。」と悲鳴を上げる青年たち、
「こんなの簡単だよ。」と、スイスイと線を引く少年。
青年たちと同世代(もしくは少し年上)の筆者は、『自分も高校生に勉強教えられたら、ちょっと恥ずかしいかもなぁ』と、この状況に少し同情しつつ見ていた。
ただ、彼らの表情を見ていれば、村の青年たちは少し恥ずかしがりながらも、下の年代が流域管理の活動に興味をもって一緒にやっていけるのが嬉しいに違いなかった。そして、少年たちにとっては、何に役立つかもわからずに学校で習っていることを応用して、自分の村の活動に役立てることが嬉しいのだ。
縮図が書き終わると、今度はオッチャン・オバチャン世代の出番である。
「ここには岩があるけど、この木だったら1メートルも岩から離せば育つから大丈夫だ」
「この木は食べ物だけじゃなくて、家畜の餌にも使える」
などと、経験を活かしながら、自分の土地に適した木を選んでいく。こうして、年代を超えた協力をしながら、各村では植林の活動計画を作っていった。
合同研修にも欠席して、最初は
「オラたちには、出来ない」
と自信を無くしていたマンマングダ村でも、活動計画は順調に仕上がっている。保水土対策の構造物設置の活動計画は、新規参入の5か村の中では一番早くに完成させた。それに、その設置場所も、流域管理の研修で学んだ基本を踏まえている。植林の活動計画も、弱音を吐かずに作成中だ。
村人たちと一緒に土地の測定をして、植林の活動計画づくりを行ってわかったことは、彼らは一度聞いたことはすぐに覚える。もちろん、方眼紙の使い方など、何度も説明が必要なこともある。それでも、土地の測り方や図の書き方など、一度見本を見せれば、基本は確実に抑える。そして、植林活動に限らず、保水土対策の構造物を設置する時にも、ここが流域のなかでどこに位置するかをしっかりと意識しながら活動計画を作っている。
村人たちは出来ないなんてことはない。
水のことも、土のことも、森のことも、経験ではわかっている。ただ、知識としては知らないことはある。それでも、流域管理の研修で覚えたことは、自分の経験と照らし合わせて理解をしているし、活動計画の作り方だって、研修を行えばすぐに出来るようになるのだ。
その証拠に、長年一緒に活動するB村やP村では、活動計画の研修なしでも計画づくりを完成させているし、忙しい中でも指導員として他の村のサポートさえ行っている。今回研修を行った新規参入の5か村でも、石垣や堰堤などの構造物の活動計画は完成して、その計画に基づいてすでに設置作業を開始している。
あとは植林の計画の最終仕上げをするだけだ。




 

5. カシューナッツは良いの?悪いの?

植林の計画づくりの研修では、
「カシューナッツの木を植えたい。」
という声をよく聞いた。収穫が直接現金収入につながりやすいカシューナッツだが、葉っぱが土に還りにくいという問題点もある。
現に、森の中を歩いていると、カシューナッツが育つ場所は、その落ち葉ばかりで、しかも朽ちにくく、土がほとんど見えないところもある。植林計画づくりでは、果物が取れる木や、薪として使える木、家畜のエサになる木、木材として使える木、薬として使える木など、用途の違う木を万遍なく植えることを推奨しているが、やはりカシューナッツを植えたい村人たちは多い。
流域管理という点から考えると、カシューナッツばかりを植えるべきではないということを、どうように村人たちに伝えれば良いかと考えていたら、キョーコさんがこんな話を聞かせてくれた。
「今日、私と一緒に石垣のチェックに行った彼の名前は何だっけ?とてもするどい質問をしてきて一緒に歩いていて楽しかった。」
と、バルダグダ村での研修で、こんなやりとりがなされていたのである。
「カシューの木って、良いのかな?悪いのかな?」と切り出したのは、高校を卒業したばかりの、サントーシュだ。
「あなたはどう考えているの?」
「いつも疑問に思っていたんだけど、カシューナッツの林の中では、葉っぱの上を水がダーッと流れていって、水が土に浸み込まないし、斜面がすべりやすくなるんだよね。」
「そうだね。私もすべったことはあるよ。他にも何か気が付いたことはある?」
「カシューの葉っぱは、ほら、虫食いの跡がほとんどない。」
「それはどういう事かわかる?カシューの葉っぱをたい肥づくりでミミズのエサにあげるかな?」
「虫やミミズはカシューの葉っぱを食べないんだね。」
「そう、つまり土を作る、という面ではバクテリアもミミズも食べにくいから、土になりにくい。」
「そうすると、この場所では土も生まれないし、水も水中に浸み込んでいかないし、、、そしたらヘタすりゃ食べ物が作れなくなっちゃうな、、、なんだか前からもっていた疑問が一つ解決できたなぁ。それじゃ、キョーコさん、他にも疑問があるんだけど、石垣と堰堤の役割ってさ、、、」
こうして、流域に関してのキョーコさんと少年との対話は続いた。
まだ高校を卒業したばかりの彼は、流域管理委員会のメンバーでもなければ、常に研修に参加しているわけではない、それでもお父さんやお母さん、先輩たちから流域管理の話を聞いて、時には自分も研修に参加して、「流域ってなんだろう?」と、考え続けていた。
そして、それは、研修に参加したら自動的に考えつくものでもない。幼いころから森を歩き、森で暮らす彼がずっと心の中に秘めていたもの。そんな疑問を、キョーコさんと森を歩くいまがチャンスと、色々と聞いてみたのだ。『カシューナッツの葉っぱは土になりにくいから、植えちゃダメ』なんて一方的に言わなくても、流域のコンセプトを思い出せば、村人たちの中でその答えが出てくる。
ムラのミライが流域管理の研修をしたB村とP村、そしてB村の指導員が研修を行ったバルダグダ村。
そのバルダグダ村の一人の少年の疑問は、流域管理のコンセプトが、ムラのミライの知らないところでも、着実に広まっていることを物語っている。そして、そんな村人たちが、年代を超えて協力して出来上がった活動計画に基づいて、これから実施を始める。その様子は、次回以降のよもやま通信で乞うご期待。

注意書き

ラマさん:SOMNEED Indiaの代表で、植林活動においては、30年に渡る豊富な知識と経験を持つ。
筆者:實方博章。現場で修行中。
スーリー:夏の暑さにも負けず、村人と野山を駆け回るフィールドスタッフ。
キョーコさん:前川香子。ムラのミライの名ファシリテーターで、本事業のプロジェクトマネージャー。流域管理プロジェクトの他にも研修事業から出版事業まで全てを統括するスーパーチーフ。


2015年5月19日火曜日

事実質問で変わった?姉弟の関係

私はムラのミライに出会うまで、「ファシリテーション」というものに触れたことがありませんでした。人とのコミュニケーションに関する勉強なども特にしたことがなく、対話型ファシリテーション基礎講座に初めて参加したときには、それまで自分がどれだけ人の話を聴いていなかったかということに気づき、ショックを受けました。特に、9歳離れた弟とは、本当に的外れなやり取りばかりをしていました…(トホホ)。

弟「最近、一つのことに集中できない気がする。失敗を恐れて、壁に当たる前に違うことに手をつけてしまう」
私「小さい頃からそうやったもんね~。失敗するのが嫌いで、ピアノを教えた時も、間違えるとすぐ機嫌が悪くなって諦めたりしてたよね。きっと人前で恥をかくのが嫌なんやろねぇ。」
弟「えええ、そうなん…!そうなんかなぁ…?」

悩み相談を受けるたびに、こちらの思い込みで答えるだけで、解決に至らないことが多くありました。

姉という立場では、ついつい自分の方が物事を知っていると思ってしまいます。私は、弟と同じ家や学校で過ごしてきたし、彼のことも生まれたときから見てきている。なので、彼が抱えている問題の解決策くらい知っていると、無意識に思い込んでいたのでしょう。

講座を受けた後には、色々とアドバイスをしたいとはやる心を落ち着け、なるべく事実質問をすることに徹しました。

弟「最近、学校の授業が退屈や。」
私「最近って、今日の授業で退屈なものがあった?」
弟「授業じゃなくて、今日はテストやったんやけど。」
(どの教科のテストがあったのか、結果を返してもらったテストはどの教科で、何点だったかなどを確認)
私「返ってきたテスト、お父さんかお母さんに見せた?」
弟「うん。○○の点数がよくないから頑張らなあかんなって言われた。テスト前にあんまり勉強してなかったからちゃうか、とか。それに、クラス全体の点数も悪かったから、先生も怒ってたし…。」
私「○○のテストの点数がよくないって言われたんやぁ。」
弟「点数だけで人を評価してるように感じるんや。前にも…。」
このあと、他にも学校で不満に思ったできごとを話してくれました。

さて、弟が不満に感じたこと、それを解決するには、これまた長~い対話の積み重ねが必要です。

ただ、意識的に事実質問を続けることは、私自身にも変化を及ぼしたようです。
最近では、「前はお姉ちゃんに話しかけて返ってくる言葉がおもしろくなかったけど、今は“深み”があるような気がする。言葉に説得力がある。」という評価をもらいました。

いったい以前はどれだけダメダメな姉だったのか…と反省させられるコメントですが、これからも対話型ファシリテーションを練習し続けていく励みにもなりました。
近藤姉弟のイメージ図 (フリー素材集より)
(海外事業コーディネーター 近藤美沙子