2014年5月9日金曜日

水・森・土・人 よもやま通信 第2部 第12号「オラ達の再出発」

 

目次

1.もう一度始めよう
2.あの言葉を言って!
3.本気でやりたい人は誰?
4.農家がこれから受ける農業研修とは?
5.「モデル」ってどういうこと?
6.魅せるオッチャン、魅せられるオッチャン

日本では桜が咲き誇り、穏やかな春の訪れとなる4月、南インドでは気温が一気に40度まで上がり始め、お昼を過ぎるともう野外に出るのは億劫になってくる。村の人たちも、「お昼ごはんの後は、もう研修に参加できません」と宣言する酷暑期の始まり。山では、土壌流出防止対策が効果を発揮し、厚く積もった土壌にどっしりと立つカシューナッツやマンゴーの木々は、たわわに実をつけている。



1.もう一度始めよう

マダムと呼ばれるようになった指導員、パドマの活躍を前号でお伝えしたが、パドマが暮らすポガダヴァリ村(P村)では、ブータラグダ村(B村)のような農業カイゼンの研修が一時ストップしていた。専業農家の村人たちにとって、今までの農業のやり方を変えるというのは、不安がつきもの。今までと方法を変えることで、もしもお米が採れなかったら、もしも野菜の収穫量が減ったら、もしも、もしも・・・と色々想像し、政府スキームの労賃作業に取り掛かる内に、「研修をしてください」という声が聞こえなくなっていった。なので、自然と2013年には、ソムニード(現ムラのミライ)からの研修はなくなった。
対してB村は、P村と同じような不安を抱えつつも「やってみよう」という気持ちが大きく、根気強く研修を受け続けた。そして、これまでに、このよもやま通信でお伝えしてきたように、収穫量が増えたり、お米の色つやが良くなったり、野菜を市場で買わなくても済むようになったり、とB村では様々な成果が表れた。指導員が新しいトピックの研修を隣村にする前に受ける、ソムニードからの指導員研修。

こうした場で、B村の指導員からその農業カイゼンについての『進捗状況』を耳にしてきたP村の指導員、パドマやダンダシ、チャンドラヤと言った面々は、「オラたちのP村でもやらねば」と、再びやる気のスイッチが入ったのだ。
「一度、ワシらとミーティングを持ってほしい」とダンダシに乞われ、P村を訪れたラマラジュさん筆者たち。3月下旬のある日、ミーティング開始15分前にP村に到着すると、村には人影が無い。ニワトリと犬がノロノロと歩き回っているだけ。何をしているのかなと思いつつも、村の入り口となるコミュニティホールで待っていると、パドマが集落裏手から現れた。

「ナマステ、みなさん。もうみんな、準備万端で待っていますので、ミーティング会場に来てください」なんとまぁ、開始15分前で、老若男女混在で50人は居ようかという村人たちが、もうすでに会場(2部屋ある学校の使われていない1部屋)に車座になっている。こんな風景を見るのも懐かしいなぁ、と思いつつ、村人たちの間に座らせてもらう。
「みなさん、ナマステ。久しぶりですね。私がP村に来るのは・・・約1年ぶりですよ」とラマラジュさんが笑って言う。
「私たちが誰だか覚えていますか?」と冗談めかして尋ねるラマラジュさんに、「もちろん、ソムニードですよ!」と村人たちも笑顔で答える。
「今日はミーティングに参加してほしいと言われて来たのですが、何のミーティングですか?」と、まだ笑顔の筆者の質問に、「さぁ、なんだか集まれってチャンドラヤに言われてねぇ」と、まだ笑顔のオッチャンが答える。
「そんな言い方してないだろう!農業についての研修を始めるためのミーティングだろう」とチャンドラヤが、ちょっと怒る。それを受けて、なんだかザワザワしてきた会場。
「今まで山頂や中腹で色々活動してきたでしょ。だから、今度は農業をもっと良くしようって、ソムニードから研修を受けるのよ。そのために、研修を受けたい人は今日のミーティングに集まって、って言ったじゃない!」と、ざわつく中、パドマが大声を張り上げる。


2.あの言葉を言って!

筆者たちは、デジャブを感じる予感のするミーティングになりそうだ、と思いながら、質問を重ねていった。
「『山頂や中腹で色々活動をしてきた』って、パドマが言っていましたが、どんなことをしたのですか?」
「植林とか、石垣作りとか、堰堤作りとか」
「あと、ため池も溜まった泥を取り除いて、水門を付けたり」
「新しいため池も作った」

こうした答えを、パドマたち指導員には黙ってもらっていて、他のP村の村人たちから答えてもらう。誰が植林に参加したのか、どんな木を植えたのか、石垣や堰堤はそれぞれどこに設置したのか、作ることでどんな効果が得られるのか。かつて研修によく来ていたオッチャンたちの他にも、オバチャンや若者も答えてくれる。
「植林は、マンゴーとかチークとか、カシューナッツとか・・」
「マンゴーは食用ですね?じゃぁチークは何のためですか?」と用途についても質問していくと、
「そうそう、植林は、食用、木材用、薪用、飼料用、薬用、あと山頂を守る樹冠が大きい木、のそれぞれで選んだ種類を植えたんです」と、段々と細かいことも思い出していく。
「山頂は水源地帯だから、牛やヤギの放牧もしない。薪や木材は中腹かそれより下の地帯で採るようにしないといけないのよ」と、オバチャンも思い出していく。
「そうしているのですか?」と聞くと、
「いや~、まだ植林した苗木が育ってないから・・」と苦笑いする村の人たち。山から麓までのゾーン分けや、石垣など各構造物の役割をきちんと説明し、どのように水が流れていくか等々を話してくれる、村のオッチャンオバチャン、若者たち。だけど、村の人たちと話し始めて30分以上経っても、アノ単語が出て来ない・・・
「ラマラジュさん、なかなかあの言葉が出てきませんね?」ヒソヒソと言葉を交わす傍らで、チャンドラヤやパドマといった指導員たちは、アノ言葉を言いたくて仕方がないとモゾモゾしている。
「みなさん、だいぶ思い出してきたようですね。ところで、先ほどからよく説明してくれている『山の上から田んぼの先の川まで』というその範囲のこと、何て言うのでしたっけ?」と尋ねる筆者。
「???」「山頂(トップ・ゾーン)、中腹(ミドル・ゾーン)と分けていますけど、何の考えに基づいて分けていたのでしたっけ?」とうとう我慢が利かなくなったパドマが、まるで隣村で研修をしているように、会場に集まっている自分の村の人たちに説明を始め・・・
「そうだ!ウォーターシェッド(流域)だ!」と、叫ぶオッチャンオバチャンたち。たちまち、あちこちから「ウォーターシェッド」という言葉が聞こえてくる。
「まぁ、ウォーターシェッドという単語は忘れても、その意味と活動のコンセプトは覚えているから、良しとしましょうか」と、ラマラジュさんも苦笑い。


3.本気でやりたい人は誰?

そうしてようやく、「今までは、流域の中でも山を中心に、土を作ったり水を守ったりする活動をしてきたけれど、今度はもっと視野を広げて農地でも活動をしてみよう」という、今日のミーティングの趣旨がクリアになった。「ほぉぉぉ」と、感心したようにうなずく約50名のオッチャンオバチャンたち。なんだか、こんな風景を数年前にも見たなぁと、やっぱりデジャブに襲われる筆者。
「ところで、あなたは見かけない人ですが、P村の人ですか?」と、ラマラジュさんが一人の青年に尋ねる。「いや、オレはコイツ(隣に座っている青年)の所に遊びに来ているだけで、なんかこのミーティングに来れば?ってコイツに言われたから、来てるんですよ」と、悪びれずに答える。
「先ほど今日のミーティングの趣旨が、全員で分かりましたね?では、このミーティングに参加すべき人を、みなさんでもう一度考えてください。」
「ちなみに、もうみなさん分かっているかと思いますが、ソムニードは『アレをしましょう、コレをしましょう』と皆さんに提示はしませんし、すぐに何かを造ったりはしません。研修を受けて、考えて、計画して、実行するのが、皆さんがこれからすることです。」と、筆者たちは、ソムニードができることをP村の人たちと確認する。嬉しそうな顔、誇らしげな顔に混じって、怪訝な顔や落胆の顔をしている村の人たち。
あとは彼らが決めること、と筆者たちは会場の外でしばらく待つ。夏の始まりを実感させる熱風が流れ込む会場で、喧々諤々と、村の人たちは、一旦止めた研修を、本当にこれから再開して受ける気があるのかどうか、話し合っていた。そして次々と会場を後にする村の人たち。「研修なんて、かったるい」と笑いながら出ていく青年や、「やっぱりお金はもらえないのねー」と話しながら出ていくオバチャンたちも。さて、誰が残ったかな、と再び会場に入ってみると、パドマ達指導員を含め約20名が、会場の中に残っていた。本気で「農業カイゼンに取り組んでいこう、そのために研修を受けたい」、という20名である。60代のオッチャンから20代の若者まで、男性も女性も入り混じったメンバーとなった。


4.農家がこれから受ける農業研修とは?

その20名と、後日改めて農業カイゼンについて研修のセッティングをして、いざ研修開始である。
「ところで、あなたは田んぼを持っていますか?」と一人のオッチャンに尋ねる。「おぉ、持っとるよ。12月に米を収穫した後、豆を植えとるよ」
「その田んぼの水は、どこから来ますか?」
「オラの田んぼは少し下の方にあるから、上の方の田んぼから流れてくる」
「その田んぼには、どこからその水が来るのでしょうか?」
「ため池だ」
「ため池にはどこから?」
「雨じゃ」
「水路からも流れてくるよ」と、他の人たちも会話に交る。
「雨が降ると、その雨はどう流れますか?」すると、滑らかに説明してくれるオッチャンたち。
「つまり、山からの土がため池に流れ込まないように、今まで石垣などを作ってきたのですよね」と、オッチャンたちの話を受けて、確認する。
「そうして溜めている水を使って、皆さんは稲作をしているのですよね?」
「そうじゃ」

すると、今の稲作方法よりも水を使わない『SRI農法(幼苗一本植え高収量稲作法)』を聞いたことのある別のオッチャンが、そういうようにコメを作りたい、と口にした。今の状態で雨がちょっとでも降らなくなると、ため池だけでは間に合わない、と不安を口にするオバチャンも。
「そうですね。作って守っている水を使いながらも溜めていくことが必要ですよね。それに、水を溜められるのは、今ある大きなため池だけではありません。」と、含みを持たせる。P村の人たちも、今まではいつも、「山の上から田んぼへ」と上から下へと見ていた水の流れを、今度は「農地から水源地へ」と下から上へ辿っていくことで、「自分たちの農業も流域を守る活動の一部なんだ」と、現実味を帯びて実感できるのだ。
「みなさんは、農業に詳しいです」と、また話しかける筆者。「私は町のアパートのベランダで、ゴーヤや花を育てているくらいですので、ほとんど何も知りません」
「なので、これから私たちソムニードが行っていく農業の研修は、農地で土を作り、水の利用を抑え、化学肥料や農薬を使わないようにするには、どんな方法があるのか、年間を通じて作物を栽培するにはどうすれば良いのか、ということについての考え方、選択の方法を提供します。実際にどう実践するかは、皆さん次第です」
「そうだ、ワシらは農業で食ってきた。だけど、ワシの息子たちもそうできるかと言うと、分からない。今よりももっと良くなれるのならば、必死で研修を受けていく」と、指導員でもある50代のダンダシは、力強く言った。

こうして農業カイゼンのための研修の初日、本気で残った20名のオッチャンオバチャンたちは、ソムニードからの提案に真剣な表情で聞き入り、『もっと良くなれる』とは具体的にどういう姿なのかを知るため、「先輩であるB村へ視察に行こう」と決めた。


5.「モデル」ってどういうこと?

一方で、P村が来る前に、今年の農業研修について話し合っているB村の人たち。去年、一家族が一農地を「モデル農地」として担当し、有機農業や多種目の野菜栽培など、農地を無駄に遊ばせることなく行った農業を、今年はまた別の農地でもやりたいと、また30名弱が集まった。去年は田んぼを担当していた人が、今年は畑を、という具合にである。

「ところで、『モデル』って何ですか?」と尋ねるラマラジュさん。
「カッコいい洋服を着て、ステージを歩く人のこと?」と、B村で一番ファッションに敏感な青年が答える。
「そうですね、それもモデルですね。つまり、最新のデザインや縫製の仕方を、ステージで歩く人が見せているんですね。じゃぁ、他の人に見せている目的は何だと思いますか?」
「え~っと、広めたいから?」
「そう。他の人にも、こうしたデザインの服を着て欲しい、他の技術者にもこうした服の作り方があるよと見せたい。だから、モデルが新しい服を着て、こうして他の人に見せているのですね。皆さんも『モデル農地・モデル農家』と言っていますが、何を誰に見せて来たのでしょうか?」
「・・・えへへ」と苦笑いするB村の青年たち。
「今までも、何回か尋ねてきましたが、田んぼを担当したモデル農家の人たちは、キッチン・ガーデンのモデル農地を見ましたか?何かを発見したでしょうか?」
「オラは通り道だから見ていたよ」と、慌てたように言う人もいるが、ほとんどの人たちは他のグループの農地は今まで見ていないし、また、見せようともしてこなかった。
「みなさんがしてきた『モデル』は、自分の家の中で『一人ファッション・ショー』をしていたようなものですねぇ」と、筆者がツッコミを入れると、「その通り!」と苦笑いしながら返してくれる青年たち。
では、『モデル農家』を実践する目的が一人ファッション・ショーで無いならば、『モデル農家』の役割とは何か?『実践して、見せて、広めて、他の人たちにも真似してもらえるようになるのが、モデル農家だ』と、青年たちも改めて気合を入れた。また、それに合わせて、ソムニードが行うモニタリング形式も去年と変更することにした。
こうして「今年こそは本当の『モデル農家になるぞ』」と決意をしたB村の人たちは、黙々と、今年の自分担当のモデル農地についての栽培デザイン・活動計画を作り始めた。
「B村の人たちは、去年もモデル農地の活動計画を作っていて、何をどうするかは知っているから、後の研修はお願いね」と、ラマラジュさんや筆者から、残りの研修を託されるヒロアキとフィールド・スタッフのスーリー。若干顔が強張っているのは、気のせいだろう。


6.魅せるオッチャン、魅せられるオッチャン

そして、P村の人たちがB村に視察研修に来た日。
B村の【田んぼ、キッチン・ガーデン、畑、ミミズを使った堆肥制作】の各チームから各一人が、講師としてP村からの10名を迎えた。SRI農法で二期作を行っているソンブルさん始め、各講師であるB村の人たちに対して、P村からの参加者は、曖昧な質問をせずに、細かく質問を重ねていく。その姿に、「さすがこれまでソムニードから研修を受け続けてきただけのことはあるよなぁ」と、ソムニード・スタッフ達は全員、内心で感心していた。
B村の講師たちも、どのように各農地での経験を伝えるか、という事前研修のようなものは特にしていなかったにも関わらず、「P村の人たちにもやって欲しい」という気持ちがヒシヒシと伝わるような見せ方だった。

田んぼを担当していた青年の講師は、ミミズを使った堆肥作りではB村一であり、植物の葉っぱだけで作ったバイオ農薬など数々の試作をしては改善に取り組んでいる。その青年の田んぼの隣りの堆肥小屋に入った時、P村の人たちは彼に堆肥作りの事について質問したが、青年は一言、「後で、堆肥作り担当講師の小屋に行くから、その時に訊けばいいよ」と、役割をきちんと把握して動いていた。堆肥の質はこの青年と1、2を争うオッチャン講師が待つ小屋に行くと、そのオッチャンは「やって見せるから」と、葉っぱ、ワラを混ぜた牛糞、水、ミミズ、と、まるで料理番組の様にあらかじめ準備してあった材料をまずは披露した。そして、「まず最初に葉っぱを敷きます。葉っぱは、油分を含むモノはダメですよ」と、やっぱり料理番組のようにコメントを挟みながらその場で実践していく。「そして45日間発酵させて出来上がったのが、こちら」と、すでに出来上がっている堆肥も披露する。3分間クッキングならぬ3分間堆肥メイキングだ。「難しくなく簡単にできるよ、とアピールするオッチャン。もちろん、乾季から夏にかけてはミミズが死なないように、頻繁な水やり作業が必要になってくるが、誰でも有機農業に必要なたい肥が作れることが伝わってくる。目が爛々と輝くP村のオッチャン達。

さらに場所を変えて、こうして農業を実践をする前に、どんな目標を掲げて、農地デザインとはどんなことをしたのか、どういう風にモニタリングや記録付けをしたのかなども、聞き込んでいくP村からの参加者。
「よし、オラたちも本当にやっていくぞ!」
「分からない時なんかは、B村のあなた方も指導に来てくれると、嬉しいなぁ」「ワシも、絶対SRIをやってみせる」と、次々とやる気の炎をメラメラと燃え上らせていくP村の人たちだが、はてさて、どのような展開を見せていくか、次号からも乞うご期待。


注意書き

ラマラジュさん=ソムニード・インディアの名ファシリテーター。よもやま通信第1部からおなじみ、事業に欠かせないスタッフの一人。
筆者=キョーコ=前川香子。この通信の筆者で、プロジェクト・マネージャーを務める。
ヒロアキ=インドに赴任してきてもうすぐ1年になろうかという新人駐在員、實方博章。ヒーローのニックネームで、村の人たちにも人気者。