2014年5月27日火曜日

風景を3次元で「見る」

 あまりの自明さに、いささか気が引けるが、「見る」というのは、見ていないとできない。別の言い方をすれば、見ていないと、見えない。

 メタファシリテーションでいうところの「エントリーポイント」。「これは何ですか?」と、とりあえず対話を切り出すためのきっかけとしての問いは、当然ながら、問いかけるためのネタ、対象が必要となる。しかし、そのような対象は、都合よく話しかける相手が持っているとは限らない、あるいは、身近にあるとは限らない。むしろ、そんな都合のよいものは、ない方が多い。ではどうするか?たまたま語りかける相手が見つかるまでに、そのような「ネタ」を探しておくしかない。相手を前にして、えーと、えーととネタを探すようでは、相手が呆れるのは必定である。あるいは、しらける。ではどうすればいいのか?

1:インドネシアの南スラウェシ州のとある山の小さな村で、行き会った村人に私が最初にした質問。むろん、私がこの村を訪れたのは、このときが初めてだった。
私:あの植林はいつやったんですか?
村人:ああ、あれかね。5年前に森林局の人が来てやったんだよ。
同行していた地元のNGOの職員は、このやりとりに目を白黒させた。彼は、この村に1年以上通っていたが、その植林の存在を知らなかった。その植林は、集落の背後にある山の頂になされていた。

教訓:「見る」ときは、周囲360度のみならず、地面から空まで観察すること。つまり3次元で。

2:セネガルの中西部のカフリーヌ州のある村で。ある農家で、その家のおばさん(主婦)へ最初にした質問。むろん、私がこの村を訪れたのは、このときが初めてだった。
私:庭の奥の倉庫に積んである袋、あれは落花生ですか?
おばさん:はいな。
私:あれは、お宅の自家消費用ですか(当然商品作物とは知っていたが、一応知らないとして聞く)それとも・・・
おばさん:いえいえ、あれは、地主のもので、うちで預かっているのです。
私:とすると、あれはお宅の収穫物ではない?
おばさん:はいな。うちは、地主の畑で、落花生の季節に働くんです。
私と一緒にいた海外青年協力隊の隊員、この村に通い始めてほぼ1年。この家ともむろん馴染みだったが、倉庫にも、その中に積んであるものにも気づいていなかった。

教訓:よく見えるところにあっても、気がつかなければ、ないのと同じ。情報とは、情報と認識して初めて情報となる。

 「見る」とは、文字通り「見る」のであって、それは、つまり「見る」という行為は、目的地に向かって一歩踏み出したときから始まる。むしろ、目的地に着くまでが勝負で、着いたときには、質問の80パーセントは、実は組み立てられている。では、何を見るか?風景である。では風景とは何か?文字通り、風習も景色も、である。風景に対する感覚を研ぎ澄ます。これが、メタファシリテーション上達へのもう一つの柱。




(ムラのミライ共同代表 和田 信明)