2015年9月22日火曜日

相手に語らせる

友人や家族、同僚との会話で、頼まれてもいないのに「こうしたらいんじゃない?」と、つい提案してしまうことはよくあることです。相手が、とにかく聞いて欲しいだけで別に解決案が欲しくて話をしているとは限らないのに、提案してしまいます。ムラのミライが、国内外問わず地域開発の現場にて有効としてオススメしている「対話型ファシリテーション」は、対話を通じて、こちらから提案するのではなく、相手に気づきをもたらすところから始まります。この「気づき」をもたらすためのテクニックとして、「相手に語らせる」ことがあります。この「相手に語らせる」こと。このことを最近とても身近な存在である母との会話で成功したので、その時の様子をお伝えしたいと思います。

背景:自分自身の楽観的なところ、根拠無き自信の塊のような私は、どのようにして形成されたのだろうと疑問に思うことがありました。あっけらかんとしてのんきな父親から影響を受けているに違いないと思っていたのですが、よく考えてみれば、小中学生の時に口を酸っぱくして言われていた母からの一言「あんたはやったら絶対できるから!」は、もしかすると自分にとても大きな影響を与えていたのかもしれないと思うようになりました。そこで今回、「事実質問」を意識しながら、母の私に対する根拠無き「やったらできる!」はどこから来ているのか、母も彼女の両親に同じようにいわれて育ったのか、その辺を探りたいと思い聞いてみることにしました。いきなりいろいろ質問すると怪しまれるため、まず上記の理由を簡単に説明した上で、「で、お母さんも同じようにおばあちゃんとおじいちゃんたちに、「やったらできる!」で育てられたん?」という質問から入りました。

私「お母さんも同じようにおばあちゃんとおじいちゃんたちに、「やったらできる!」で育てられたん?」
母「いや~全然そんなことない。何も言われてないな~。うちの兄がよくできるから兄は期待されていたけど、私に対しての親からの期待は無かったよ。」
私「おじさんってめっちゃ成績優秀やったん?」
母「よくできた。勉強しなくても成績よかったよ。」
私「じゃぁ、お母さんは、おばあちゃんに「あんたはやったらできるから」と言われて育てられた記憶が無い?」
母「そんなん全然いわれへんかったで」
(私:なるほど。おばあちゃんのお母さんに対する教育方法と、お母さんの私に対する教育方法が違うなぁ)
私「おじさんが勉強しなくても成績よかったっていうのは、おじさんが勉強しているところをお母さんがみたことがないってこと?」
母「ほとんどない。よく外に行って遊びにいってたよ。」
私「お母さんは?」
母「私も兄と一緒に外で遊ぶか、漫画ばっかり読んでた。」
私「お母さんの成績はよかったの?」
母「悪くはなかった。」
私「漫画ばっかり読んでいたのに?それっていつ頃?」
(ここで私は、かつて母が自分のことを「ガリ勉だった」といっていたので、あれ?と思い、「いつ?」質問をすることに)
母「小学生のころかな~」
私「ふーん、じゃぁ、小学生の時は別に成績悪くはなくて、でも勉強した記憶もなくて、いつも漫画ばっかりお母さんは読んでいて、できのいいお兄さんがいたってことね。」
母「そう。それで、兄の出来があまりにもいいから、大阪の中学校にいかせるために、引っ越した。」
私「そうなんや。勉強のために滋賀から家族で引っ越したの?」
母「そう。そこで兄が、初めて成績トップでなくなった。マンモス学校に入ったことで、生徒の母数も大きかったから。でも、兄が勉強したらすぐ挽回して次の試験では上位に入りはったんよ。」
私「へ~!すごい!優秀!で、お母さんも中学から大阪に行ったんでしょ。お母さんも同じように成績落ちたん?」
母「それがな、まぐれやと思うねんけど、特に勉強してないのに、まぐれで成績1位をとってん。」
私「へ~!一位!すごい。」
母「そうしたら、おばあちゃんに、「あんたもやったらできるんやね~」って初めて言われてん。それから、一生懸命勉強にするようになって、成績はよかったよ。」
・・・
 私の母が、かつてはガリ勉だったと言っていたのは、この中学校での成績まぐれ一位事件をきっかけに勉強するようになってからのことを言っていたのだと初めて知りました。それまでの小学校時代の母は漫画好きでほとんど勉強しない子供であったようです。教育熱心な母に育てられた私は、自分自身をガリ勉と称していた母は子供のころから成績優秀な頭のいい人であったと思っていたのですが、その考えは「思い込み」であったと気づきました。
初めて、知らなかった幼少期の母の一面が見えた気がしました。
このやりとりを通じて感じたことは、母を語らせることができたということでした。

私は中学校1年生位までに、私の両親の両親、つまり祖父母は全員亡くなっていました。従って、自分の家族のルーツを知るためには親に聞くしかなく、過去になんどか根掘り葉掘りきいたことがありました。当時は「事実質問」は知らず、自分の好奇心を埋めるためにとにかく質問、思いついた順に質問を並べ立て、「なんで?」を連発し、質問を受けた母をよく疲れさせていました。「もう疲れたからしんどい」と言われて強制終了を余儀なくされた、私の「家族のルーツ知りたい質問」の経験は苦い経験です。下手に質問するとまた答えてもらえなくなる、、という懸念があったのですが、「事実質問」は相手に考えさせず「思い出させる」ことが鉄則なので、練習の意味で、「なんで」を使わず、母に強制終了させられずに、会話を繋げてみようと思い、始めました。
上記の会話は記憶をたどって再現したものですが、実際にはもう少し長いやりとりがあり、基本的には母を気持ちよく語らせることができたと感じるものになりました。

「対話型ファシリテーション」は、対話を通じて相手に「気づき」をもたらすというところが特徴の一つです。
今回の私の「事実質問」練習から、母へもたらされた「気づき」は特にありません。また今回、その部分は意識しておらず、私の「自分自身の根拠無き自信」は、親からどのように影響を受け、またその親はどのようなきっかけで「基本的に大概のことはやったらできる」と思うようになったのかという単純な疑問の答えを「事実質問」を意識しながら探るというところにありました。

結果、母の私に対する「やったらできる」論は、彼女の中学生以降の体験に基づいたものであり、彼女自身もガリ勉になる転機(つまり、まぐれでとれた学年1位の成績が、彼女の母(私の祖母)の「やったらできるんやね~」の一言につながり、そこから勉強するようになった)があったということがわかりました。相手を語らせることができたという経験と、実はガリ勉ではなく漫画を読みふける少女時代があった母の新たな一面を発見し、自分の母の知らない部分は沢山あるな~と思った次第です。

さてこんな風に時々「事実質問」の練習台にさせられている私の家族。
私が「事実質問」を使いながら会話を途切れさせることなく、相手に語らせ、そこから相手に「気づき」をもたらせ、そして最終的にその「気づき」による行動変化が伴うような名ファシリテーターには、まだまだ道のりは遠いのです。私の身内、周りの人たちは私の練習台にまだまだ付き合わされることになりそうです。


(海外事業コーディネーター 池崎翔子