2016年2月23日火曜日

「会話」と「対話」は、どう違う?

私は関東の私立大学で教員をしています。私が「ムラのミライ」の提案するファシリテーションを知ったのは5年ほど前でした。以後、中田さん宮下さん勉強会が東京で開催される度に、なるだけ都合をつけて参加してきました。また、授業でも「事実質問」によって組み立てる対話型ファシリテーションを、機会を見つけて紹介、実施してきました。これだけの「実績」があれば、当ブログの読者ではなく投稿者としてもっと早く登場したかったのですが、「これは!」と思えるような事例がなく投稿できずにいました。このような落ちこぼれのファシリテーション学習者ですが、最近気づいたこと、学んだことがありましたので報告します。

一つ目は奥村さんの投稿(2016年1月26日)でも紹介されている「技術を習得するとは真似ること。そして実践すること」という和田さんの発言と関係があります。前段で、「機会を見つけて」授業でも対話型ファシリテーションを紹介、実施してきたと書きました。しかし、それではまったく十分でなかったということに気づいたのです。

きっかけは、昨年秋に社会人を対象とした講座を担当したことでした。この講座は2コマ連続(3時間)で開講されることもあり、この機会に対話型ファシリテーションを授業に組み込んで実施してみたのです。具体的には、講座のテーマと関連づけて「事実質問」を授業ごとに実践してもらい、また宿題としてもやってもらいました。さらに最終レポートのテーマにもしました。授業毎に拙いながらも私の説明を聞いてもらった上で、ひたすら「事実質問」をしてもらったのです。「実践」です。その結果、確かな手ごたえを得ることができました。

医療関連の仕事をしている受講生からは、普段自分たちが患者に対して発している質問はまさに「事実質問」であることに気付いたこと、カウンセリング領域で仕事をする受講生からは、意識して事実質問をすることでクライアントの抱える問題をより具体的に理解することができたとの感想が出ました。また家庭内で実践してみることで、普段あまり話す機会のないパートナーや思春期の子どもたちと楽しい中身のある会話をするきっかけを得ることができたとの報告がありました。

また課題も指摘してもらうことができました。複数の受講生から、「事実質問」がその効果を発揮するのは、質問者と回答者の間に信頼関係ができていて、さらにこの質問が相応しい状況に限られるのではないか、との指摘がありました。この指摘は、その内容に私は同意しないのですが、私の説明の仕方が十分でなかったことを教えてくれました。
この機会を通して、対話型ファシリテーションを学ぶためには「機会を見つけて」ではなく、集中して繰り返し実践することが重要であることに気付いたのです。

二点目は、この講義を準備する中で「事実質問」を理解する新しい視点を得られたことです。この視点を教えてくれたのは、2008年に三省堂から刊行された北川達夫、平田オリザ著『ニッポンには対話がない』でした。


 事実質問はコミュニケーションの一つの方法です。その特徴を、同書で紹介されている「会話」と「対話」の差異から考えてみます。会話は文脈を共有し、相互に察し会える関係性を前提になされるのに対して、対話は異なる文脈を背景にもつ者同士が、分かり合えないことを前提になされる、と同書は整理します。そして、これはシンパシーとエンパシーの違いにもつながると考えました(これらの用語も同書から学びました)。つまり、会話が主にシンパシー(sympathy:相手になりきる感情移入型である同調、同情)に基づくのに対し、対話ではエンパシー(empathy:自他の区別を前提としたうえで、意識的・能動的に他者の視点に立ち、他者の立場に置かれた自分を想像することに基づいた相手理解)が働いていると思ったのです。そして、「なぜ」質問はシンパシーから発せられる質問であり、「事実質問」はエンパシーに基づく質問だと考えました。

相互理解を促すコミュニケーションのためにはこの両者が必要だと思います。しかし、シンパシーは多くの場合ないものねだりです。なぜなら私たちは同情する相手になりきり続けることはとても難しいからです。ここで思い出すのが、かつて見たテレビドラマで主人公の発する決め台詞、「同情するなら金をくれ」です。同情は、その相手に一瞬なりきることで湧き上がる感情です。しかし次の瞬間、この同情する自分に満足して終わってしまいます。このような偽善を突いたのがこの決め台詞だったのだと思います。同情だけでは、同情を呼び起こす現状は何も変わらない現実を「事実質問」はあぶり出すのだと思います。

今回投稿した気づいたこと、学んだことを新年度の大学の授業でも活かしていきたいと思っています。当ブログ読者のみなさんにとっても、この投稿が何かの参考になればと願っています。

立教大学コミュニティ福祉学部 空閑厚樹